POOhさん日記

POOhさん日記

入院生活


私は、どちらというと我慢強い方なんだと思う。もう少し我慢できる!もう少し我慢できる!と、思っているうちに痛みはピークに達し、夜、巡回の看護師さんに懐中電灯を当てられ涙顔で我慢しているか顔を見られてしまうことが、度々あった。
モルヒネを上手に使い痛みを軽くすることの説明を医師から受けた。
少し、量が多いと眠気が襲い、少ないと痛みが襲う。
何度かそんなことを繰り返し、ようやく、ちょっと我慢したらいい程度の痛みにまで軽減してもらった。

腎臓ガンの手術をした影響か、モルヒネの影響か、腸閉塞を起こし手術をすることになった。それから、急性胆嚢炎、脾臓の炎症などを併発し、何回か手術をすることになった。そして、どれも、その度に、命にかかわるような症状になり、旦那さまは何度も職場から病院まで飛んで帰るということが起きた。

確か、4人部屋に入院していたのに、気がついたら個室にいて、目を開けると涙でぐしゃぐしゃな顔をしている友人がいたり、旦那さまや息子たちが私を覗き込んでいた。
医者が、「もう、あかんか思った!」と、その場にしゃがみこんだこともあった。
友人は、「旦那がおかあさんが危篤やし、顔見にきてやって!」て言うから飛んできた。と言うし、親しい看護師さんは、「ねえねえ、何か見なかった?お花畑見なかった?ゆうくん(亡くなった息子)が、迎えにこなかった?」なんて、言うこともあった。

正直、そんなことは何にもなかった。

ただ、医者が耳元で私の名前を大きな声で呼んでいるのを、「やかましいなあ~そんな大きな声で呼ばなくてもわかるわ~」と、思ったり、「わかるか?わかったら、手を握ってみて~」と、いっているのに、わかるんやけど手に力が入らず医者の手を握り返す事が出来ないことはあった。

そんなことが、何回かあり、腎臓ガンで手術をしてから、退院するまで、1年近くの月日が流れた。

その1年近くの間、いろんな思いが私の心の中で繰り返し、いろんな人と出会い、いろんなことを考えさせられる1年であったことは確かなこと。
一番長いお付き合いになったのは、当時、72~3才だった心臓の悪いおばあさん。その人の息子さんも腎臓を患って隣の部屋に入院してきた。その人と同じ部屋に高校生の背の高い男の子がめずらしい病気で、命は助かったけど後遺症で半身不自由な体でリハビリも兼ねて入院していた。
長期入院となった私達4人は、それなりに仲良くなり退屈な病院生活を少しでも楽しく暮らそうと、時には、励ましあいながら一日、一日、生活していた。

1年近くの入院生活。知らない間に過ぎていった。

主治医から施設入所の話が出た。家の近くにある身体障害者施設。そこへの入所を主治医は私や旦那さまに勧める。
でも、旦那さまは、家に連れて帰ると言い張る。とりあえず、家に帰るのであれば、トイレと外出手段を考えなければ、家に帰るのは許可できないと言われ、急遽、トイレの改装と車庫から出入りするよう段をとりつけることにした。リハビリの先生があれこれと、指導をしてくれているのにうちの旦那さまは、全く聞かずトイレの壁を一面取っ払い、アコーディオンカーテンをつけて車椅子が入るようにした。
それが一番、お金をかけず、なおかつ早く工事が出来る手段だという。結局、12年たった今でもそのままで、便利に使っている。

最初に手術をしてからおよそ、1年。その間に手術室に入る子と5回。年末の押し迫った12月30日、入院した時は自分で自動車を運転して荷物を持って入院したけど、退院の時は、車椅子に乗り、介助をしてもらって旦那さまの希望どおり家に帰った。
この日から今まで、何度も入退院を繰り返し、常習犯になってしまった。

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