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早いもので、今月末には父の一周忌法要です。その一周忌時に納骨も合わせて行うため、それに間に合うようにお墓を発注していたのですが、実は今回の東日本震災で被害が少々ありました。石自体は中国から船便で茨城に入る形だったのですが、ちょうど震災の時とぶつかり、お墓自体は無事でしたが、外壁?の一部が破損してしまったのです。一周忌に間に合わうか微妙とのことでしたが、「完成」との報告が入りました。母はすでに石材屋さんに連れて行ってもらったのですが、今日、私も母と一緒に確認してきました!今はやりの洋型(オルガンタイプ型)にしました。また前面には言葉を入れるのですが、母や弟、妹と議論を重ね、以下の4つの候補が。。。「ありがとう」「愛」「絆」「感謝」そこからは消去法。まず「愛」がちょっと父のイマージからすると、キザ?かな~と消え、「ありがとう」は好きな言葉ですが、ちょっと長くてデザイン的にどうかと消えました。「絆」と「感謝」のどちらにするかはかなり悩みましたが、石材屋さんのある一言で、こちらになりました。その一言とは。。。「“感謝”というのは、お父上さまへの“感謝”でもあるでしょうが、お墓参りに来ていただいた方への“感謝”という意味もありますよね。」なるほど!ですよね!!今日行ってはじめて気付いたのですが、ちょうどお墓の横には道路を挟んで見事な桜が!これからは毎年、父ともお花見ができるな。。。☆★ 被災された皆様に、少しでも「希望」という光が届きますように
2011/04/09
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肝試しみたいですが、日曜日に父のお墓の件で、霊園巡りをしてきました。巡りと行っても二ヶ所だけなのですが、10時に自宅を出て、帰宅が15時でしたので、ほぼ1日掛かりでした。行ってきたのは、地元近くでは双璧の「西多摩霊園(あきる野市)」と「大多摩霊園(青梅市)」。今回は石材店さんのご案内で、当初は「西多摩霊園」のみの予定だったのですが、「もし同じ予算でもう少し立派なお墓をご希望なら、大多摩霊園にされた方が良い。」との、担当者のアドバイスがあったので、どうせなら!と、急遽そちらにも行ってきた次第です。いっぺんに二ヶ所観てきて大正解でした!やっぱり比較するなら同じ日でないと、記憶も多少曖昧になりますからね。。。大雑把な比較で言うとこういうことになります。●霊園重視(様々な意味で)なら、「西多摩霊園」●お墓重視なら、「大多摩霊園」何せ土地代が全然違うんですよ。勿論「西多摩霊園」の方が高い。あと年間管理料も2000円高い。だから同じ予算なら、大多摩霊園の方が立派なお墓を建てられる!ということになるのです。これだけ聴けば、「大多摩霊園」に決定!となるところでしょうが、結論的にはほぼ100%、「西多摩霊園」に決めました。理由は以下の通り。。。●平日土日祝日、福生駅から無料送迎バスが1時間に3本ある。しかもそのまま霊園内も循環し、お墓に近いバス停まで行ける。(大多摩は、東青梅駅から1時間に1本で平日は霊園内は循環なし)●園内美化が徹底されていて、お墓に枯れた花などは全くなし。ツツジなどが植えられていて、手入れも良くされている。(大多摩は、枯れた花も放置、桜は綺麗そうだが汚いイメージが)特にバスの点は、足の悪い母がいつでもお参り出来るという意味でも、大きな決め手となりました。自宅からも車で15分で行けるし、親戚も圏央道の日の出インターからすぐなので便利!しかし何ですね。将来自分も入ることになるお墓ですからね。。。何か不思議な心境でした。余談ですが。。。今回仮押さえしてきた場所は、松田優作さんのお墓の近くだったりする。。。
2010/07/27
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13日から父の新盆でした。この3日間は、陽の出ている時間に会社を出て、平日では1年振りくらいに家族で夕食を摂りました。今日が送り火ですが、流石に3日間残業していないので、今日は終電まで仕事(志事)をしていきます。。。明日からの三連休はまた、こき使われますしね!とにかく最近は、マイホームパパならぬ、マイホーム息子状態で、休みの日は母の足代わりに、あっちこっちへと車を走らせています。生前の父の仕事を引き継いだ心境。。。
2010/07/16
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父の忌中、さまざまな活動を自粛してきたわけですが、 忌中明けはじめのエンタメ鑑賞は、決めてありました。 書道家・武田双雲さんの個展に行くことです。 それには理由があります。 元々武田双雲さんは大好きで、 今年のカレンダーでもお世話になってます。 そして父が亡くなり、その10日間くらいは、 父の遺影の前で、ただただ謝る日々だったのですが、 ふと目が留まったカレンダーには。。。 ありがとう という、双雲さんの書が! そしてコメントには。。。 ***** 僕は寝る前に必ず、今日会った人や家族や先祖に ありがとう。と言うようにしています。 そして起きたら、生きてくれている自分と自分の体に ありがとう。と言う習慣を長い間守ってきました。 ***** 一筋の涙が頬を伝った。。。 大泣きというわけではなかった。 何かがスゥ~と流れ落ちるように泣いた。 それからだった。 父の遺影の前で、 ありがとう! と、言えるようになったのは。。。 そんな経験があり、双雲さんのサイトを訪れてみれば、 なんと、目黒雅叙園で個展をやっているというではないですか! これは是非行きたい! と、早速土曜日に行ってきました。 その模様はまた明日にでも。。。
2010/07/06
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今月は早速父の新盆なので、 昨日、母・弟と仏具店に買い物に言って来ました。 コンセントの延長コードも必要だな。。。 ということになり、「でんきのセキド 河辺店」へ。 実はこのお店。 父が家電を買う際に必ず利用していたお店なのです。 最近も地デジ対応テレビや洗濯機等など、 かなり大きな買い物をしています。 ここにも父と馴染みの店員さん(多分副店長?)が。。。 父が来店すると、スゥ~と寄ってきて、 「今日はどんなご用件ですか?」聴いてくるほどだったそうです。 (母の話) 会計を済ます際に、その店員さんがいらしたので、 ポイントカードの件もあったので、母が話を切り出す。 母「あの~夫が亡くなったのですが、これどうしたら良いですか?」 店員さん「そうですか・・・(と、はじめはそっけなく)」 「それでは、この名義変更届に記入してもらえますか。」 母が名前と住所を書き始めると。。。 店員さん「えっ、待って下さいよ。まさか・・・。」 で、改めて母の顔を見て、 店員さん「嘘でしょ!亡くなったんですか!」 そして何と泣きだしてしまった。。。 「(目を真っ赤にしながら)、僕お父さん大好きで・・・、 すみません・・・何と言ったら良いか・・・」 そして私達兄弟に向かって、 「本当にお父さんにはお世話になりました。」 と、頭を深々と下げてくれた。。。 さらに何と! 「名前変えないでよ!お父さんの名前のまま使ってよ。 うちは全然それでも構わないから。。。お願いです!」 なんて粋な事まで言ってくれた! また目頭が熱くなり、ウルウル来てしまった。 素敵な店員さんだった! 店員さん曰く、以前書いたガソリンスタンド同様。 「あそこの店はもっと安かったといつも文句言うのに、 結局うちで買ってくれていた。」 と言うのです。。。 ははは。 あちこちでそんなことやってたんだな。。。 帰りの運転中、またちょっとウルッ!と来て、 私の瞼にもバンパーが必要だった。。。
2010/07/05
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お墓に関しては、まだこれからじっくり考えようと想っています。 何とか秋までには決めたいと想っているのですが。。。 まずいろいろな人にアドバイス頂いたのが、 「お寺は辞めた方が良い」ということ。 とにかくお金がかかると。。。 友人の話では、「○○の修繕費」の名目で、 寄付のお願いがきたそうなのですが、 一口5000円で最低10口だと。。。 だったら初めから「一口50000円」と言ってほしいですよね! 同じような話が余りにも多いので、 もうすっかり霊園で!と想っているのですが、 ちょうど、この7月に都立霊園の募集があるので、 それにも応募してみるつもりです。 もっとも凄い倍率だと聞いているので、 かなり難しいでしょうが。。。 ところで、自分で石材屋を見つけてきて、 その石材屋さんでお墓を作ってもらって、 気に入った霊園に。。。というのは出来ないそうです。 霊園ごとに出入りの石材屋さんが決まっているのです。 その証拠として。。。 毎週のように新聞に墓地の折り込みチラシが入っているかと想いますが、 機会があったらそのチラシをよく見てみて下さい。 石材屋さんの名前と電話番号が入っていると想います。 つまりそのチラシは霊園ではなく石材屋さんが出しているのです。 多分。。。このチラシをご持参頂いた場合は。。。 などのうたい文句もあるはずです。 逆に直接霊園に見学に行くと、 石材屋さんのテントとかがあって、 いろいろ説明してくれるのは良いのですが、 アンケートにご協力を。。。と言われるそうで、 そのアンケートに協力すると当然営業対象になりますし、 何よりその霊園ではその石材屋さん以外の石材屋さんは使えないとか。 これも暗黙の了解ということらしいです。 霊園によっては何社か石材屋が入っています。 話によると、霊園を作る際に、地ならし等の名目で、 石材屋さんから出資を募っているのだそうです! この霊園に関する話は、 ただただ、「へぇ~。。。」というものばかりでした。
2010/07/01
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父の忌中が明けました。 この間私は、仕事及び志事以外の活動を全て自粛。 映画も観てませんし、エンタメ等の鑑賞もなし、 当初予定していた、鎌倉行き、伊豆旅行、野球観戦も全てキャンセル。 写真も一枚も撮ってませんし、 お酒もお通夜以来、1滴も飲みませんでした。 ブログも楽天以外の、アメバブログ、多摩ブログも休止! しかしこうすることで、 自分自身を見つめなおす良い機会になったのも事実です。 父への親不孝という一生消えない十字架を背負ったことで、 ≪感動野郎≫という、人生の肩書きを捨てることも考えましたし、 「自分が本当~~~に、したい事は何なのか?」 「自分が出来ることは何なのか?」 それらも非常に明確になってきました。 面白いですよね。 しなくなると、 「無性にしたくなる」ものと、 「しなくてもいいな!」と想えるものが、 ハッキリとしてくるんですよね。 もしあなたが、「これは本当に自分がしたいことなのか?」 迷った時は、一度それを手離してみることをオススメします。 人の温かさも冷たさも知りました。 いろいろなことに対する感謝の気持ちもさらに芽生えました。 これからは多分、 いろいろな動きが加速していくことと想います。 その中で一つの結論! それは、 ≪感動野郎≫という肩書きは捨てられない! いや、捨ててはいけない! ということ。。。 ただし。。。 今までとはちょっと行動が変わるかもしれません。 「新しい感動野郎」というよりも、 「洗練された感動野郎」という感じでしょうか!? 今後も何卒ヨロシクお願いします♪ 今ひとつ、悩みがあるとすれば。。。 忌中明けに何を一番最初に撮ろうかということかな(笑)
2010/06/29
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今日は父の四十九日です。明日かと想っていたのですが、亡くなった日も入れるらしいのです。お陰様で、昨日法要も無事行えました。そして今日の午前中。母と一緒に、父が長くお世話になった会社へ挨拶に行ってきました。社長さんから、父の仕事ぶりをいろいろ聴かせて頂き、また新たな父の一面を知りました。途中社長さんの言葉にウルッと来たりもして。。。「あの人は仕事においては、“凄い”の一言ですね。」「例えるなら、学者か芸術家タイプ。もうとことん突き詰めないと気が済まない。」「会社という組織は、実は全体の数%の人で動かしているものなのだけど、間違いなくその数%の人だった。」「下請けへの対応は右に出る人はいないでしょうね。例えは悪いけど、飴と鞭の使い分けが素晴らしかった。でもそれは全て愛情の上から。だから葬儀にあれだけの人が来たのだと思いますよ。」実はご会葬頂いたご近所の方々から、「すごい立派な葬儀だった。」と、母がよく言われるようなのですが、それは会社の取引先の方々から頂いた生花の量が凄く多かったからなのですね。父は正真正銘の≪仕事人間≫でした。家にも仕事を持ち込んでましたが、仕事している時は本当に愉しそうな顔をしていた。その反面、趣味がなかったので、現役のまま逝ったのはまさに本望だったのでしょう。昨日の法要にも来て頂いた、会社の同僚さんや元同僚さん。みな素敵な方ばかりで、会社の居心地も良かったことでしょう。本当に感謝感謝です。母は家にいるより居心地が良かったのだろうな。。。と、呟いてましたが。。。
2010/06/28
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お香典の文字は薄墨で書くのが通例かと想っていたのですが、実は違うようです。薄墨は、「涙で墨が薄くなった」という意味でで。濃墨は、「故人への想いの強さを表す」そうです。ただ。。。後者はあまり知られていないので、薄墨の方が無難だと想います。お札はピン札だと、まるで「あらかじめ準備していた」かのようなので避けるべきです。たまに住所を明記頂かない人がいます。これは単に忘れたケースもあれば、「お返しは結構です」と、気を使ってのケースもあると想います。実は私も一度、経験があるのです。元同僚が数年前に他界したのですが、式に出れなかったので、お母様とも面識があったので、直接「御霊前」をもってお邪魔したのですね。その時まさしく「お返しは結構です」の意味で、実は中袋に住所を明記しませんでした。ところが数日後に、香典返しが来たのです。想像するに、年賀状をみてお送り頂いたのかと。。。かえってお手数をおかけして申し訳なかったと反省しました。今回も2名程住所が不明記の方がいて、調べるのにちょっと苦労しました。
2010/06/24
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今まで私も何度か、通夜・葬式の受付をしましたが、 今回遺族の立場になって気づいたことがいくつかありました。 式が終わり、お香典の整理をします。 正直気持ち的にはそんな場合ではないのですが、 お金が絡むので、こればかりは避けては通れないわけです。 会葬者に直接ご記入頂くご記帳と、 受付の方に会葬者とご香典の金額を明記頂く台帳があります。 遺族は、この2種類の台帳とお香典の束を整理するわけです。 当日の心理状態からすると、この整理に手間がかかると非常に困る。 そこでこれからもし受付を頼まれたら、以下の点に心配りしようと想います。 1)ご記帳と台帳のそれぞれに番号を振り、照合しやすいようにする。 2)香典袋の水引は取っておく。 この2点だけで、だいぶ照合作業が楽になるはずです。
2010/06/23
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実はまだ自宅の名義書き換えなどの一番大変なことは、後回しにしているのですが、今回一番大変だったのが。。。父名義口座のお金のこと。銀行の普通口座に関しては、母が暗証番号を知っていたこともあり、私がカードで1日50万円ずつ引き出したのですが、困ったのは「郵便局の定額貯金」。この定額貯金は、生死に関わらず、本人以外が引き出す場合、委任状が必要なのですが、当然、父は亡くなってますので、委任状などありません。そうなると、当然死亡した旨を報告するわけですが、その時点で口座は凍結されてしまいます。これは相続のこともあるので、まぁ当然と言えば当然なのですが、凍結した後に、今度は父の隠し財産がないかを調べられるわけです。その一方で、父の生まれから死亡に至るまでの、謄本が全て必要になります。父は墨田区の生まれなので、墨田区役所まで行きました。そんなこんなで未だに凍結されたままの状態です。いろいろ諸事情は理解できるのですが、何となく釈然としないのも事実!変な話ですが。。。ご家族がもしもの時は、予め委任状を書いてもらっておく、名義を変更しておくことなどは大切な事だと想います。特に我が家みたいな貧乏家族には。。。また、役所に死亡届を出しただけなら、金融機関にその情報が流れることはありませんので、いきなり凍結されることはないそうです。しかし、どこかの金融機関で「死亡報告」をしたら、あっ、という間に他の金融機関に情報が流れますのでこれも注意です。それと葬儀屋さんの情報では、銀行は多分無理ですが、郵便局ならば、「せめて葬儀代だけでも・・・」と、葬儀屋の見積書を提出すれば、葬儀代だけは、下ろせるかもしれないそうです。
2010/06/22
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なかなか機会がなかったのですが、 今回いろいろ学んだことがありましたので、 ためになるものも、ならないものもあるかと想いますが、 ちょっとご紹介していきますね。 私は東京都羽村市在住なのですが、 特にお通夜での羽村市ならではの風習がありました。 一番驚いたのが、通夜ぶるまいを出さないこと。 その代わりとして、会葬礼状と一緒に、 粗供養品として「お酒とお茶のセット」をお持ち帰り頂くのです。 今まで私が会葬した中で、こういうケースがなかったので、 正直??だったのですが。。。 案の定、通夜に会葬頂いた知人から最近聞いたのですが、 当日特に父の会社の取引先関係者から、 「何だよ、何も出ないみたいだな。」と苦笑いがチラホラ見られたと。。。 私個人的には、親族の時以外は、 通夜ぶるまいは遠慮しているので、 上のような発言が出ることも驚きなのですがね。。。 因みに、粗供養品を人数分ご用意する方が、 予算的にははるかに大変です。 そして通夜に喪主の挨拶があるのです。 通常は葬式の出棺前ですよね。 今回は母が喪主でしたので、 逆に葬式の出棺前の親族代表の挨拶は、私が努めました。 この挨拶がボロボロでね。 途中で大泣きしちゃいました。。。はは。。。。 母も大泣きでの挨拶だったので、 後に近所の叔母さんから、二人して泣かすんだもの。。。 と、クレーム!?が入りました(苦笑)
2010/06/21
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トヨタのVOXY。父の最後のワガママで購入した車。勿論孫達をいろいろなところに遊びに連れて行きたいから!というのが一番の目的!!実際、昨年の千葉二泊三日の旅では大活躍してくれました!その車は私が相続します。VOXYを売って、自分の好きな車買えば?という意見もありましたが、ある意味父の形見ですからね。売るわけにはいきません。大きいので感覚的に、乗り慣れない部分もありましたが、もうだいぶ慣れてきました!そう言えば、ガソリンを入れにスタンドに行ったのですが、車のサンバイザーのところに、父がいつもガソリンを入れていたスタンドのポイントカードがあったのですね。以下はスタンドでのやり取り「父が亡くなったのですが、このポイントカード継続して使えますか?」「えっ、ちょっと待って下さいよ。」と、その店員(多分店長)が、いきなり車の屋根を見たりしだし、「あの~最近、うちでタイヤを交換してくれましたよね?」「あっ、確かそうです。」「え~!!!亡くなられたんですか!!」「あの~父の事分かるんですか?」「え~分かりますとも!あそこのスタンドはいくらだった(安かった)とか、文句言うくせに、結局はいつもうちで入れてくれるんですよね。そんなお父さんが好きだったんです。だからお父さんが来られた時は必ず私が担当してました。」父らしいと想った。その会話の様子がハッキリと想像できる。涙がウルウルと来るとともに何とも言えない笑顔がこぼれていた。。。
2010/06/17
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体調も回復し、 右手首も全く私生活や仕事に支障がなくなるほどに回復しました。 まだある角度で力をいれると、ピリッ!と来るくらいかな。 一昨日の夜から薬も飲んでませんし、 昨日から湿布も貼ってません。 今は湿布を貼っていたところにできた、 汗疹がちょっと痒いくらいでしょうか。。。 うん! すこぶる快調! こんなに体調が良いのは何日ぶりだろう! よし! 今日は遅くまで残業していくか! と、想いきや。。。 気づけは今日は、父の月命日。 これはちょっと早く帰宅しよっと! 妹家族も来るみたいだから、チビ達もいて、 賑やかな晩になりそうです♪ それにしてももう一ヶ月経ったのか。。。 早いなぁ。。。 早いけど、遅いようなそんなへんな感覚です。 この一ヶ月は本当にいろいろな事があったし、 勉強にもなりました。 何せはじめて経験することばかりですから! 明日は香典返しの打ち合わせもあるし、 明後日は、父の謄本取りに墨田区役所いかないといけないし、 あとは四十九日法要か。。。 あっ、来月は早速初盆だ! お墓も探さないといかんし! まだまだいろいろやることあるな。。。
2010/06/11
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はははははははは。 はははははははは。 はは・・・はぁ~。 なんかこんな感じの日記ばかりで、すみません。。。 お陰様で右手首の痛みはだいぶ取れました。 腫れも引きました。 今は、薬を減らし(具体的には夜は飲まない)、 調子が良ければ、湿布だけにして、 様子見をしようかと想ってます。 まぁでも根本的な問題(石灰の塊)が、 残ってはいるのですがね。 なんかネットで調べたら、 痛み止めにステロイドを混ぜる注射らしいです。 ステロイドか。。。ちょっと怖いな! さて。。。 今度は体調を崩しました! 特に頭痛と、若干の寒気が。。。 元々片頭痛持ちなのですが、風邪かな? 身体が重いです。。。 まぁしかしこの状況、笑うしかないよな。。。
2010/06/09
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ハァ~ほんとに。。。 先週の木曜日になるのですが、右手首に激痛が! 一番酷かった金曜日は、箸さえ持てない、 いえ、持てますが、動かす事ができないありさまでした! 流石に、整形外科に行ったら、 『石灰沈着性腱炎』との事。 カルシウム(石灰)の塊が出来て、 それが腱に付着して炎症を起こすもので、 九割は肩に起こるそうで、手首は非常に珍しいとの事。 因みに原因は不明。 もっとも私は多分、 PCでの手首の酷使が無関係ではないでしょうが。。。 本当に目茶苦茶痛いんです! 注射で痛みを取るのが、一番手っ取り早いそうですが、 想像を絶する痛み(手首だから)なので、 医者も奨められないと・・・。 医者が奨められない痛みって、どれほどなんだろうか? 取りあえず、湿布と内服薬をもらい、 この土日は、なるべく右手首は使わずに、過ごしたお陰で、 九割がたは痛みが取れました! 問題は今週、 騙し騙し右手首をかばいながら仕事してどうなるかですね。 そして薬を飲まないと、どうなのか? 最悪、激痛注射を覚悟でしょうか!! そう想うと気が重いです。。。 それにしても正直、 「何でこんな時期に!」 と、かなり凹みましたよ。 やけを起こす手前ですよホントに! 金曜日の帰りも、 ご丁寧に雨まで降ってくれたもんですから、 右手で傘持てず、 「傘持てねぇんだよ!」 と、心の中で叫んでました。 母に 「俺、呪われてるんじゃないか」 なんて、 半分冗談、マジ半分で、 ちょっと愚痴ったら、 何とも悲しそうな表情をしたので、 「これはイカン」と、 冗談だと笑ってごまかしましたが、 正直精神的に結構一杯一杯です! 私のこと、呪っている方! もう勘弁してください!
2010/06/07
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告別式の翌日、電話の後に 珍しく怒りの表情の母が、 ものすごい剣幕で話始めた。 電話の相手は以前住んでいた自宅の前に住んでいた 偏屈オバサンさんだった。 電話の内容は、 式に行けなかった言い訳を、 正直理由にならないことを並べ立てて話始めたらしい。 その後は、父の死因やらを根掘り葉掘り聴いてきて、 終いには「保険はどうなっているの?」 「お金はあるの?」 と、余計なことを聴きまくったらしい。 以前からこのオバサンは「人の不幸を餌にしている」と、 囁かれたいたのだが、 私が電話に出なくてよかったと正直想った。 私なら怒鳴ってたかもしれない。。。 実はこの話にはちょっとした、こぼれ話!?が! 以前日記でも紹介した通り、 4月に「原点回帰の旅」をした際、 その時以前住んでいた自宅も観にいったのですが、 当然そこには新しい家が。。。 そして家の前で植木の手入れをしているオジサンが! そのオジサンこそ、この迷惑オバサンのご主人。 このオジサンには小さい頃、 カブトムシ採りに連れて行ってもらってりして、 好印象しかないなのだが、 このオバサンの事もあり、 その時声をかけずに失礼したのですね。 今想えばこれも不思議な話だし、 何よりこの時期に、 「原点回帰の旅」をしたのも不思議ですよね。。。 そういや、その時に撮った写真を家族で観た時、 父が懐かしそうに笑顔で観てたな。。。
2010/06/02
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私は毎朝家を出る時、母には「行ってきます!」と、 声をかけていくのですが、 父はまだ現役で、仕事に出掛けるということもあり、 声をかける事はまずなかったのですね。 休日に出掛ける時は、声掛けていきますが。。。 父が亡くなった日(実際には翌日未明ですが)、 母が玄関前の花に水をやっているのは分かっていたので、 本来なら玄関先で、母に声をかけるだけなのですが、 なぜかその日は、 父のいるリビングに向けても声をかけたのですね。 「行ってきます!」と。。。 その時の父の 「うん・・・」のひと言が、私が聴いた最後の言葉でした。。。 救急車で父が運ばれた時、 親しくしていた近所の奥様も見送ってくれたそうなのですが、 その時父は、声もなく手を振ったと言います。 そんな事をするタイプではないのですが、 その奥様は、 「今までありがとう。バイバイ。」の意味に想えてならないと。。。 夕方、病院から自宅に帰る母に向けて、 父は「明日は来なくていい」と、言ったといいます。 「そうはいかない。」と、母が言い、 「じゃあまた明日。」と、最後は言っていたそうですが、 母は「あれも意味があったのか?」と、不思議がっています。 こじ付けと言えばそれまでかもしれないのですが、 こういった事を語り合ったりしちゃうんですよね。。。
2010/05/31
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昨日の月は綺麗でしたね。。なんか久し振りに空を観上げた気がします。今回本当にありがたかったのが、近所の方々。式まで3日間あったのですが、近所と呼べる8件、全ての方が自宅へ弔問に来てくれた。またその中でも特に仲の良い奥さんと、同じ市内在住の母の親友である奥さんは、毎日顔を出してくれ、母の話相手になってくれた。どんなにか母は気を紛らすことができただろうか。それから妹の旦那にも本当に助けられた。実はここ3年でご両親を送っていることもあり、私どもが気付かない点を本当にバックアップしてくれた。特にありがたかったのが、食事。正直、自分たちの食事のことなど、全く意識がなく、何より食欲もないのですが、差し入れを絶妙のタイミングでしてくれ、式後の最後の食事を折り詰めにして、その晩の食事にと、持たせてくれた時は、鳥肌が立つほど感動した。葬儀屋の担当も良い人だった。分からないことだらけだったので、とにかく質問攻めになったのですが、嫌な顔一つせず、懇切丁寧に教えてくれ、当日も素晴らしい心配りをしてくれた。何よりも、本当に“心”があった。そして。。。友人たちにも感謝です。式には来れないからと、朝、自宅に弔問に来てくれた友人。通夜・告別式とご会葬頂いた友人。通夜の式が終わった後に駆けつけてくれた友人もいた。その他、お香典・弔電も頂いた。MIXIでのコメントやメールもたくさん頂いた。本当にありがたいことです。皆々様に感謝です。。。ありがとうございました!
2010/05/28
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先週までは、父の遺影の前で謝ってばかりだったのですが、最近は感謝の言葉も多くなってきました。いろいろ手続き等が大変なのですが、その手続きを進めるごとに実感が沸いてくるそんな日々です。さて。。。ここの日記でも以前書いた通り、我が家は最近リフォームをしたばかりです。今想えばこれも、「あと10年は家族が安心して暮らせていけるように」という、父の想いが込められていたのでしょう。もっと言えば、テレビも全て地デジ対応にしたし、洗濯機も掃除機もエアコンも新しくしたばかり。。。何か意味があるように想えてなりません。ちょっと趣旨からズレるかもしれないけど、こうしてあっさり逝ってしまったのも、「家族に迷惑をかけたくない」という、父の想いがあったように想えてならないのです。父は私が小さい頃は、本当に怖い存在でした。要領の良い私と違って、弟は本当によく殴られていた。そんな私も一度だけ殴られたことがある。今でもその時の痛みはハッキリと覚えている。中学3年の時だった。。。なぜ殴られたか。。。勿論その理由も忘れられるわけがない。その事は肝に銘じて、今後も生きていこうと想っている。怖い一面もあったが、休みの時は本当にいろいろなところに遊びに連れてってくれた。一度父が、「俺は父親に遊んでもらった記憶がなくて寂しかったから、お前たちにはそんな想いをしてほしくない。」と、語ってくれたことがある。この“想い”も、しっかり受け継いで行きたいと想っている。
2010/05/25
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私は親不孝者です。 父に孫の顔を見せるどころか、嫁さんすら連れてこれなかった。。。 長男として本当に情けない限りだ。 父のお墓をどうするか? という件を母と話していたら、 母からこんな言葉が。。。 「一度真剣にお墓をどうしようって話し合ったことがあったんだけどね。 “○○(私)が、結婚するかも分らんし、無縁仏になるのも嫌だから、 今のところいいよ!”と言ってお墓は建てなかったんだ。」 あまりの衝撃に崩れ落ちそうになった。 情けなくて情けなくて、 ただただ大きな岩に潰される想いだった。。。 自分の家族を作って安心させてやる事ができなかった。 父は、定年後も嘱託で働き、現役のまま逝った。 父の中では、「安心できるまでは現役で」という想いもあったのかもしれない。 会葬に来て頂いた人が、口を揃えて仰ってた。 「働きすぎ。過労死。」だと。 その言葉を耳にする度に、心が傷んだ。 「私が殺したようなものだ」と、言われている気がした。 実はここ数年、父とはあまり話をしていなかった。 特にここ数カ月は、ちょっとしたことでイライラし、 母に喧嘩を売るような口調で接するのが本当に嫌で、 口を出すと大喧嘩になるのが目に見えていたので、 いわゆる、『無視』に近い状態だった。。。 式が終わった翌日、弟がボソッと言った。 「○○ちゃん(私)って、お父さんに冷たかったよね。」 ハンマーで殴られたような衝撃だった。 分かってたさ、分かってはいたのさ、でもさ。。。 あのイライラも今想えば、 会社でのイライラが募っていたのだと想うのです。 それなのに私は。。。 本当に本当に悔いばかりである。 何が感動野郎だ! 一番大切な人に、お前はどれだけの感動を与えられたんだ! 自分を責めるばかりである。 父への親不孝。 これは私が一生背負っていく、十字架である。
2010/05/21
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実は父の死因は正式には不明です。 明らかにするために死体解剖したいと言われましたが、 家族で拒否しました。 解剖しても100%分かるとは限らないようなのです。 救急で運ばれた事もあり、 いろいろ検査はしてくれたのですが、 肝臓と腎臓の数値が異常だったそうです。 さらに十二指腸も赤黒く、かなり酷い状態だったとか。 死亡診断書上での死因は「急性腎臓不全」となっていました。 実は亡くなる二週間前位から、 「腰が痛くて寝れない」と言っていたのですが、 父のお腹がかなり出ていたので、 体重による負担が腰に来たのでは? くらいに想っていたのです。 今想えば、十二指腸が悪かったからなのでしょう。 父は定年後、嘱託で働いてましたが、 最近いわゆる「リストラ係」をさせられ、 かなり精神的にまいっていたようです。 そのストレスが十二指腸を蝕んでいたのかもしれません。 GW中、「微熱が続いている」と言い出し、 主治医のいるクリニックに行ったのですが、 診断は「風邪でしょう。2,3日様子をみましょう。」とのことでした。 正直このクリニックへの不信は大いにあります。 何せ父は薬を10種類も飲んでいたのです。 「よくもまぁ父を薬漬けにしてくれたものだ!」と想わずにおれません。 お酒はほとんど飲まなかった父の肝臓が悪かったのは、 この薬のせいではないかと想っています。 「薬は毒だ」と仰る医師もいるくらい、 しょせん化学物質ですので、身体への負担は避けられないのです。 特に肝臓は解毒の臓器なので、 かなりの負担があったのではないでしょうか? 救急で運ばれた病院にも不信はあります。 父の容態が急変する数分前まで、 看護師と普通に会話していたというのですが、 そんなことって本当にあるのでしょうか? 医療ミスでは?などと想ったりもします。 先週はこんなことを考える心の余裕はありませんでしたが、 少しずつ余裕が出てくるとこんな事を考えてしまっています。 父の体調の変化や、ちょっとした仕草の異変に、 気づいていれば・・・ いえ、もっともっと真剣に受け止めていれば・・・ と、後悔ばかりです。
2010/05/19
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だいぶ放置した状態でしたが、実は。。。 先週の火曜日(11日)1:20分に、父が他界しました。。。 今日は早くも初七日になります。 あまりにも突然でしたので、 現実として受け入れられないままの、 金曜日に通夜、土曜日に告別式でした。 喪に服すため、 49日までは、飲み、各種エンタメ鑑賞、イベント参加などは 自粛しますので、ここの日記も、 しばらくは、思いつくまま、父の想い出、 今回いろいろ体験したことなどを綴ることになるかと想います。 毎日とはいかないと想いますが。。。 私自身、父が他界した日は、普通に仕事をしており、 父がちょっとここのところ体調を崩していたので、 病院に行く事は知っていたのですが、 まさか倒れ、救急車で運ばれた事を知りませんでした。 夕方、母が病院を出る際には、 「また明日!」と手を振っていたという父が、 夜中に容態が急変したそうです。 私はその知らせを帰りの電車内で知り(携帯電話)、 急いで帰宅し、家にも入らず、自宅前で待っていた、 母と弟を乗せて車で病院に駆けつけましたが、 その時はすでに父の意識はなく、 そのまま逝ってしまいました。。。 あまりに。。。あまりに。。。突然でした。 病室で心臓マッサージを受けている父の姿は、 一生忘れることはできないでしょう。
2010/05/17
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