大。福。日記

大。福。日記

暗黒の准看学生時代


 7時30分に病棟へ行く。消毒作業に入り、モーニングケア、配膳・食事介助をする。その後は、ほとんどメッセンジャーのようなこと。検体と検査結果・処方箋と薬の上げ下ろし、外来・検査部門への患者さんの送迎、物品請求、環境整備、回診の準備、処置の補助、体位変換、清拭の補助、体温・血圧測定、点滴の抜針。昼の配膳が終わると、昼13時から16時まで学校へ行く。そして17時から19時まで病棟勤務。19時から外来が終わるまで(だいたい30~60分)診察の介助や処置穂補助につく。とにかく働いた。止まるなんてなかった。1つの仕事をしながら、2、3先の仕事を浮かべて、動いた。職場にはいじめがあった。幸いよく働いたので、スタッフにも患者さんにもかわいがられた。この時はセルフケアの視点よりも「嫌われたくないから」。寮に帰ると、疲れ果てて宿題をやって爆睡。勉強なんて、する余裕がなかった。メヂカルフレンド社の看護学入門10巻が私の知りえる情報の全てだった。試験はほとんど過去問をやって受けて、合格してきた。そうして、根拠と照らし合わす作業をしていないから、2年生になって臨地実習に出てから、とてつもなく、しんどい思いをした。
 実習病院は都立病院だったので、レギュラー校と進学コースの学生も来ていた。だから、どうしても看護師養成課程を求められ、習ってない知識と手技ばかりで、「何しにきたの?」「あ~もう!」ため息を吐かれたり、イライラされていた。実習指導者と教員から違うアドバイスを受けて、悩んでいると、教員は決まって、「指導者さんの言うとおりにしなさい」と答えた。何が何だかわからない。卒業時の成績は実習オール3(これは決して良くない評価)。学校の順位:学内10位/50人中、業者の模試は2位/50人中だった。勉強だけの頭でっかちで、実技が伴わず不安だらけだった。筆記試験は、とかく「~しなくてはならない」が多い。実習は、怖くて、実習指導者に接するのがイヤで、質問もしなかったし、最小限しか関わらなかった。あの頃は、ただ、それでも、受け持ち患者さんからの「ありがとうね。あなた、良い看護婦さんになるわよ」という言葉を信じていた。あと1年長かったら、おかしくなっていたかもしれない。
 また、いつも准看護師は、「一人で判断してはいけない」「医師、看護師の指示の元で従事しなくてならない」と言われていたので、「つまらない」し、「なのに専門職っていうのは何故?」「命を扱う仕事なのに?」分からないことだらけだ!「進学して看護婦になろう」と決めていた。
 この頃の私は、行動範囲が狭すぎて、「紀伊国屋」「旭屋書店」「ジュンク堂」に看護の本がいっぱいあるなんて知らなかった。学校の本は古いし、新しいのは人気でなくて、一日しか借りられなかったので、読みきれなかった。スローガンは「気合で生き抜け」「根性があれば何とかなる」と言う感じ。そして、ある教務からは「あんたは看護婦に向かない。センスがない。」と言われ完全に嫌われていた。
 その教務はN。Nは2年間担任で、入学当初は成績もよく、とてもかわいがられていた。しかし1年の冬、彼女の逆鱗に触れた。風邪を引き始めていた土曜日、彼氏(今の旦那)とマルイで買い物をしている所をNと出くわした。日曜日にこじらせて、月曜日の演習に39度の発熱をして参加したからだ。「男と遊んで、体調管理のできないやつは看護婦になるな。」そこから、私は彼女の贔屓から落ちた。それからの教育は、「もうちょっと考えなさい」で跳ね返された。いまならN先生の言うことがわからないこともない。でも、全てを理解できてもいない。そこで、教務=教えることに興味が湧いた。(後に看護教員への関心につながる)否定され続ける日々…。それは、私という学習者が未成熟だったからでもある。それにきづくことはできていなかった。准看護師養成課程は、昭和26年と言う時代背景を考えれば、訓練的、指示的、強圧的な学習になってしまうのは否めない。しかし、平成で看護師が充足の時代を迎えても尚、同じ傾向で実施していては、学習者もまた、教員のご機嫌取りや期待に添った反応しか見せず、学習動機が高まらない。
 その時彼氏だったパパが、「一人の教務に潰れるな。病棟の50人の患者さんが、良い看護婦さんになるって言ってくれてるじゃないか」と励ましてくれた。(真に受けてはなかったが、適当にやってこの場を抜けようとは思っていた。)何も考えない、反発はしない。60点取れば合格だ。精根が尽きた私は、自己価値も地を這うところまで下がり、こんな生活と恋愛を両立するなんてできず、恋を諦めそうになっていた。当時の彼には元カノが電話をしてきていて、私は付き合っていながら、その不確実感に悩んでいた。彼も専門職を目指して働きながら勉強の身で、会う時間を作るのが大変だった。後でわかったことだが、資格を取ってからの結婚を考えていたらしい。けれども、私が看護でいっぱいになり、別れようと言った為、「もう恋愛のスリルとサスペンスは要らないね、結婚して一緒にいよう」といってくれた。互いの支えになるべく私たちは結婚した。

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