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2006年07月21日
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テーマ: 戦争反対(1190)
<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ

(中略)
 靖国神社についての発言メモは88年4月で手帳に張り付けてあった。メモはまず、「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。
 「松岡」はA級戦犯で合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中に死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑、収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)とみられる。
 メモはさらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は 平和に強い考があったと思うのに」などとしたうえで、「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は、長男で78年10月ににA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司、松平永芳氏(同)とみられる。昭和天皇は松平永芳氏が決断した合祀に不満だったことを示している。
(以下略 毎日新聞)


 日経新聞のすっぱ抜きから始まった昭和天皇発言問題ですが、巷の話題は昭和天皇が靖国参拝をやめたのがA級戦犯合祀のせいなのかどうか、メモが本物かどうかなどにつきるようです。
 さて、私は天皇陛下の参拝中止の理由がどうのこうのとか、靖国A級戦犯合祀がいいのか悪いのか、分祀すべきとかという問題はこの際どうでも良く、大変残念に思っていることがあります。

 それは、この報道により天皇という制度の人徳が失われていくのを感じるからです。確かに、天皇は戦後の新憲法のもと現人神から人になられたわけですが、それで一般人と同等になったわけではありません。アメリカGHQが天皇制を保持したのも、天皇制度という中に日本人の伝統的美徳と道徳を見いだしたからであり、法律や文言で規制したり改善したりすることの到底出来ない神秘性を畏れたからでもあります。

 我々庶民は、いくら総理大臣であろうと宗教家であろうと、世俗のしがらみの中に生きており、どんなに人徳、道徳的にありたいと思った所で、常にそうような行動を取ることが出来ません。その言い訳に、ああだこうだと論議し、戦い、泣き叫ぶのです。天皇制度における天皇とは、こうした我々の世俗を逸した存在であり、世の中のしがらみにも、もちろんご自分の利益利害にも影響されてはいけないものなのだと理解しています。

 もちろん、天皇陛下ご自身とて人間でありますから、好き嫌い、信用するしないといった思いがあるのは当然です。しかし、それをストレートに我々国民に表現してしまっては、日本の人徳・道徳の体現者としての意味がありありません。昭和天皇はこうしたことを非常に深くご理解されていたのでしょう、宮内省関係者などの手記を除けば、ほとんどご自分の意志を公の場で吐露されたことはありません。もちろん、現天皇におかれても同様です。
 それ故、今回のような昭和天皇の心情吐露を暴露することは非常に悲しいことであり、我が日本国民の人徳も道徳も自ら否定するような気分になってきます。マスコミから見れば、スクープだ、新発見だと楽しいイベントなのでしょうが、あまりに下劣で世俗的な行いに悲しさを覚えます。また、本来こうした天皇の心情などは側近によってガードされるべきものであり、その護るべき側近から漏れてくると言うこと自体残念です。何でも知る権利があると思っている人も多いかも知れませんが、知るべきでないことも世の中にはたくさんあるのです。

 さらにもっと悲しいのは、メモが陛下の言動に忠実であったとするならば、陛下のご発言です。アメリカ軍GHQは昭和天皇の戦争責任訴追を行いませんでした。日本人の美徳として、武士道として、その長たる者は責任のあるなしに関わらず、腹を切るのが常道です。(とはいえ、実際に腹を切らない「長」は戦国時代から実にたくさんいるわけですが)。その日本国の長たる天皇陛下が責任を取るという具体的行動に出なかったのは、言うまでもなく天皇陛下は日本国の「行動の」長でなく、日本人の「心」の長であったからに他ならないのです。しかるに、それは死して責任を全うするのではなく、生きて責任を全うするのだという陛下の御心だったはずで、事あるたびにそのようなご発言をされてきたと理解しています。
 日本人伝統の心の一つは、寛容と慈悲の心であり、死したものはいかに敵であろうと悪人であろうと、その人間としての尊厳に敬意を示して赦す広い心にあります。それは、もちろん仏教の教えからあるわけですが、死者の生前の功罪を認めるという意味ではなく、現世の人間への戒めと心の養育にあるのだと理解しています。欧米や中華思想のように罪人を後世末代まで吊し上げて糧とするやりかたとは180度違うのです。そういう意味で、靖国の英霊はもとよりA級戦犯に対しても広く深い懐で包み込み、我々世俗の人間への戒めにするのが日本の伝統的手法だと思うのです。陛下のご心情メモは穏やかではないのです。もちろん、本来ならば世間に知られる内容ではなかったわけですから致し方ないところかもしれませんが。

 今後、陛下のメモをもとに靖国問題の議論が高ぶっていくことでしょうが、私としては靖国問題を陛下のメモをもって語るべきではないと思っています。陛下は先にも述べたように、日本国民の「心」の体現者であって「行動」の体現者ではない。陛下の決断や行動で制約されるべき内容ではないと思うからです。





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最終更新日  2006年07月21日 07時52分28秒
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