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この作品はフィクションであり実在の人物団体等とは一切関係ありません。
Copyright(C) 2008-2011 Kazuo KAWAHARA All rights reserved.
スルタンは、部屋に入って来たヤシンの目を見据えた。
ヤシンは、直ぐに目をそらした。ヤシンは、どうしてスルタンに呼ばれたか、良く分かっていた。既に、ターハから請求書が来ている筈だったからだ。
ヤシンは、床を見ながら、ただ、じっとして、スルタンの次の言葉を待っていた。
スルタンは、そんなヤシンを見て、ヤシンが呼ばれた理由を分かっているのだろうと思っていた。
しばし、沈黙が続いた。
「ヤシン、何で呼ばれたか分かっているな」
スルタンの落ち着いた、しかし、諭すような声が沈黙を破った。怒りの込められた、詰問する口調ではなかった。ヤシンは、それも辛かった。
「ええ」
ヤシンはぼそっと呟くように応えた。
「全て、即座に支払った」
「ありがとうございました」
ヤシンは、スルタンのことだから、恐らくそうするのではないかと予想はしていた。声を出せないほど、ヤシンの喉は萎縮していたが、振り絞って、ようやく礼を言った。
「どうして、事前に相談してくれなかったのだ」
さっきよりは語調がきつくはなったが、そこにはヤシンの立場を慮った優しさに満ちていた。ヤシンは、それを敏感に感じて目に涙を溜めていた。ヤシンは、相変わらず、床を見詰めて、じっとしていた。
「相談すれば、断られると思ったのだな」
スルタンは、ヤシンの気持ちを見透かしたように、言葉を続けた。しかし、その口調には、相変わらず、冷たいところはなく優しさに満ちていた。
ヤシンの目から涙がこぼれ床に落ちた。
今度は、スルタンがヤシンから目をそらした。ヤシンが泣いているのを見るに忍びなかったからだ。ヤシンの目からは涙がとめどなく流れていた。
また、沈黙が続いた。
「こんなことには多額の費用が掛かるのだろうとは思うが、それにしても高かったな」
スルタンが、また、口を開いた。高いことに素直に驚いただけで、それを非難してはいないことは明らかな口調だった。冗談半分に困ったなと言っているようなところがあった。
「済みません」
ヤシンは、ぼつりと言った。相変わらず、涙がボロボロと床に落ちている。
スルタンは、ヤシンを殴り倒しても良かった。シェイク家が、イスマイル時代から積もりに積もった債務で存亡の危機に瀕していると言うのに、ヤシンのお陰で膨大な費用を払う破目になってしまったからだ。アブドルアジズから養蜂業の利権を取り戻し、シェイク家全員に倹約を強いて、ようやく、財政健全化に向けて明るい陽射しが見えて来たというのに、これでは元の木阿弥だ。
しかし、スルタンは、シェイク家の矜持もあったし、天下のシェイク家の面子を潰す分けには行かない。
払いたくは無くても払わなければならない。そんな時もあるものだ。腹を立てても何の解決にもならない。
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