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御聖訓には「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり」(御書740頁)とあります。宿命の暗雲に覆われ、不幸に泣いて生きねばならない人もいる。いや、多くがそうかもしれない。 しかし、私どもは、南無妙法蓮華経と唱えることによって、常楽我浄の香風で、その苦悩の暗雲を吹き払っていくことができる。 また、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788頁)です。人生には、いろいろな楽しみがあるでしょう。しかし、自身が仏であると覚知し、南無妙法蓮華経と唱えていくことこそが、歓喜の中の大歓喜であるとの御断言です。 欲しいものを手に入れたり、名誉や名声を得たりする喜びは、外からのものであり、その喜びは一瞬にすぎず、決して永続的なものではありません。 それに対して、唱題に励むならば、自身の生命の大宮殿が開かれ、心の奥底から、泉のごとく、最高の喜びの生命、すなわち大歓喜が湧き出でてきます。しかも、いかなる試練にさらされ、逆境に立たされようが、その歓喜の泉が涸れることはありません。 さらに、御書には「真実一切衆生・色心の留難を止(とど)むる秘術は南無妙法蓮華経なり」(1170頁)とあります。南無妙法蓮華経と唱える私どもを、諸天善神は、三世十方の諸仏は必ず守ると約束されている。したがって、題目を唱え抜いていくことが、いかなる難も防ぐ秘術となり、それによって人生の最高の幸福を満喫して生きることができる。 御本尊とともに、唱題とともに生き抜いていくなかに、最高の所願満足の人生があることを確信して、仏道修行に励み、自らの生命を磨いてください。人の言動に右往左往したり、一喜一憂したりするのではなく、唱題に徹して、「私は題目が大好きである」といえる皆さんであってください。 【新・人間革命「暁鐘」56】聖教新聞2017.11.6
January 31, 2018
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どうしたら“親友”を見つけられますか?————ある学生からの質問に、漫画家の赤塚不二夫さんが答えた。「まずはっきり人生の目標を決めることだ」。 どんな目標でもいい。達成に向けて真剣に挑戦する中で、自分と同じ志をもつ人と自然に出会う。その仲間こそが、かけがえのない存在となると、赤塚さんは熱く述べた(『人生これでいいのだ!!』集英社文庫)。 赤塚さんは巨匠・手塚治虫氏を慕い、多くの“漫画家の卵”が集まったアパート「トキワ荘」に住んでいた。切磋琢磨したのは、石ノ森章太郎氏、藤子・F・不二雄氏、藤子不二雄Ⓐ氏ら。トキワ荘を巣立った後も彼らの友情は変わることなく、互いに触発し合いながら、数々の名作を世に送り出していった。 支え合い、共に成長する友の存在が、どれほど大切か。一人の友との出会いで、人生が大きく変わることもある。信仰の道、広布の道もまた例外ではない。釈尊は、妙法弘通に励もうと「決意した人」が善人・善友であり、善友を持つことが「仏道修行の全て」であると強調している。 “善き友”を得たいなら相手にとって“善き友”となれるよう、まず自分を磨くことだ。広宣流布という大目標へ心を定めて、周囲に希望を届ける人へと成長していきたい。 【名字の言】聖教新聞2017.11.5
January 30, 2018
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仏法には因果具時の法理がある。蓮華は花と実が同時に成長するが、それと同じように、仏の生命を開く原因と結果も同時に具わることを示したものだ。 その法理に照らすなら、決意して踏み出す「一歩」という要因そのものが、すでに未来の成長を約束する勝利の結果にほかならない。 コスパという考え方にとらわれ、仕事の効率や労働時間に見合った「結果」のみを求めて、「原因」となる眼前の労苦を避けてしまえば、そこから成長や喜びは生まれにくいだろう。 人間は、行動の結果として成功すれば、確かに幸福を感じる。とともに、否、それ以上に、行動を起こしたこと自体に幸福を感じることができる。自己の壁を破って「一歩」踏み出せた喜びが湧いてくるものだ。 学会には、勝利の因となる一歩を踏み出すための祈りと励ましがある。 池田先生は述べている。「祈った瞬間に、生命の闇は消えるのです。因果具時です。生命の奥底では、その瞬間に、もう祈りは叶っているのです」と。 因果具時の法理が、行動や励ましに息づくからこそ、“どうせやっても無理だ”という無力感が支配する現実の中にも、創価の青年は臆することなく飛び込んでいけるのだ。 【グローバルウォッチ「青年と幸福」】聖教新聞2017.11.4
January 29, 2018
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密教は、ヒンドゥー教化した仏教で、『大日経』(七世紀半ば西インドで成立)、『金剛頂経』(七世紀末成立)が主要な経典です。密教のテーマは、「修行を続けるから仏陀となる」という仏教の基本テーゼを、「仏陀であるから修行が続けられる」と逆転することです。仏陀ですからもう修行は必要なく、自分が仏陀であると確信すればよいことになります。「大日経」は、中尊:大日如来(=部廬舎那仏)を中心とする胎蔵界曼荼羅として世界をとらえます。毘盧遮那仏は説法して、初発心から覚りに至り、毘盧遮那仏として報身を得たこと、智慧(般若)を完成させたあと、慈悲を発して、加持(神秘的な呪術力)・神変を発揮していることを説法します。大日経の修行は、一尊瑜伽、すなわち、曼荼羅の中の一尊を三蜜(身・口・意の三業の働き)加持で模倣することで、その一尊と自己とを瑜伽することです。この段階ではまだ、即身成仏は否定されています。修行を続ける励みとして、覚りの境地をちょっと予告編的に体験するというのが、一尊瑜伽の趣旨です。いっぽう『金剛頂経』は、即身成仏を主張します。『オウム、一切の如来たちがある如くに我はあり』と仏身円満の真言(呪文)を唱え、三昧耶印(手)・法印(真言)・〇摩印を結ぶと、“象徴されるものと象徴それ自体は同一である”という密教の宇宙方程式によって、即身成仏が果たされます。金剛頂経の金剛界曼荼羅は、中尊:毘盧遮那を中央に、一切如来(阿しゅく・法頂・阿弥陀・不空成就、ほか)を周囲に拝したものです。密教は、仏教の最新ヴァージョンとして中国へ伝わり、空海がそれを日本に伝えて真言宗を開きました。 ※密教は、釈迦の唱えた合理主義的な仏教とは対極の、非合理的・神秘主義的な仏教です。仏教というよりも、ヒンドゥー教だといったほうがよいかも知れません。ヒンドゥー教は、世界でも重要な宗教のひとつです。しかし奇妙なことに、日本では仏教については関心があるのに、ヒンドゥー教への関心は驚くほど低く、きちんとした研究もほとんどありません。そういうわけで残念ながら、本書でも章を立てて紹介するのは見あわせました。オウム真理教が、高級幹部には許されると称していたポア(殺人)は、金剛乗(ヴァジラヤーナ)にもとづくとされていました。これは要するに、密教のことです。 タントリズムの世界密教はその後、ヒンドゥー教と混淆して、インドから消えてしまいます。密教の流れをくむタントリズムは、し林(墓地の裏手の荒れ地)で男女抱合の儀式を行いサンヴァラ(性的合一による至高の快楽)を得る、という怪しげなものでした。地面の上に曼荼羅を描き、般若=女性、方便=男性、菩提心=男女の抱合、という象徴方程式を立てて、集団的に男女が抱合します。この儀式専門の、荼木只(き)尼という秘教集団の女性もいました。このように性的快楽を、密教にいう「成仏を確信する方法」に採用したのがタントリズムです。そのほかに、殺生・妄語・盗・淫・糞尿食……など、仏教の戒と反対のことを故意に行う修行法まで現れました。 【世界がわかる宗教社会学入門】橋爪大三郎著/ちくま文庫
January 28, 2018
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作家・ドイツ文学者 天沼 春樹 デンマークと日本が国交樹立してから今年は百五十年にあたる。八月から十月までの二か月、埼玉県の狭山市立博物館で、「空想の旅人 アンデルセン展」が開催され、作家、詩人の生地オーデンセンの博物館所蔵のアンデルセンの遺品が展示公開された。アンデルセンが生前発表した百六十篇の童話の全訳をしている私は、展示品のなかでも、彼が愛用したカバンにひかれて同館を訪れた。十四歳で故郷からとびだし、生涯家をもたず、ずっと旅の途上であったような人生を送った彼であるから、いわば詩人の人生を運んだカバンである。ずっしりと大きな茶色の革カバンは、ちょうど彼の作品の『空飛ぶトラック』を思い出させた。身長が百八十五センチもあった大柄なアンデルセンは、このカバンをさげて、ヨーロッパ各地を旅して歩いていたわけだ。このカバンに詩人は果てしない夢や空想をもつめこんでいたように思われた。詩人は、動植物、街灯、瓶のフタ、帽子、メガネなどあらゆるものに生命(いのち)を与えている。主人公、特に女性は『人魚姫』や『マッチ売りの少女』のようにかわいそうな運命の人が多い。女性にモテなかったうらみだろうか? いや、主人公はむしろ、私生活ではみたされなかった彼自身をおきかえたものであったようだ。いつか醜いアヒルは、美しい白鳥になると信じて。アンデルセンは生涯独身で、恋愛はつねに片思いの失恋が続いた。相手にたくさんの手紙を送り続け、不審がられたこともある。また、ベルリンに住むグリム兄弟をノーアポイントメントで訪ねたこともある。伝染病になると信じ、果物を食べなかった。火事にそなえた長いロープや「私は死んでいません。寝ているだけです」と書いた紙をつねに枕元に置いていた。そんなエピソードにはことかかない彼でもある。アンデルセンの愛用したその旅行カバンにはつまっているようでもあった。展示品のなかに、彼が好んで作って、お話を聞きに来た子どもたちにも見せた切り絵があった。二つに折った紙を切る絵は、左右対称の図柄になる。旅の途上でも、つねに火事や伝染病をおそれ、また、当時の故郷デンマークでは作家仲間にあまり評価されず悪評されたりして、いつも心がゆれていた彼であったから、こうしたバランスのとれた図柄と、紙をひらくとパッと思いがけない世界があらわれる面白さに心ひかれたのかもしれない。「私の生涯は一篇の美しいメルヒェンのようであった」と、アンデルセンは『自伝』の冒頭に書いている。その生涯とともにこの大きなカバンは歩んだのだろう。「物はなくとも人は幸せになれる」との彼の言葉がこの質素だが大きなカバンの中から響いてくるようでもあった。(あまぬま・はるき)【文化】公明新聞2017.11.3
January 27, 2018
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阿弥陀仏は、Amitabha(無量光)、Amitayus(無量寿)の音訳で、“寿命無限の光り輝く仏陀”という意味です。今日の研究によると、その実態はイラン(インドの西!)に広まっていた拝火教(ゾロアスター)の神(アフラマズダ)で、それが仏教化したものです(ですから浄土宗は、仏教のなかでも一神教に近いのです)。 また極楽は、チグリス川河口に実在した小島と言われます。極楽はのちに、浄土でもあると考えられるようになります。 阿弥陀信仰は、阿弥陀仏の仏国土(=極楽)に往生(=転生)して、そこで成仏しようというものです。ごく初期の『大阿弥陀経』(無量寿経の呉訳本)では、(1)六波羅蜜の修行者、 (2)仏塔信仰者、 (3)念仏を唱える者、が極楽往生するとされますが、のちの経典では(1)、(2)が除かれ、(3)だけ(念仏が極楽往生の必要条件)になります。 浄土経典によれば、阿弥陀仏の前身・法蔵菩薩はその昔、世自在王如来に対して四八の誓願をしました。その第二二願に「われ仏となるとき、他方の仏土の諸々の菩薩衆、わが国に来生せば……必ず一生補処(つぎに生まれるときは成仏できる修行のランク)に至らしめん」とあります。そのあと成仏し、阿弥陀仏となったのですから、約束どおり極楽に往生すれば歴劫の修行など必要なく、来世には成仏が保証されるというわけです。極楽は、宝石の樹が生え、妙なる音楽が流れ、修行には最適の場所とされます。阿弥陀仏の寿命が尽きたあとを、観音菩薩→勢至菩薩と継ぐことになっており、この二つを本尊とあわせて阿弥陀三尊と呼びます。 ※阿弥陀仏がもともとインド仏教起源でなく、イランのゾロアスター教の神であった、という有力な説があるのを知って、私はびっくりするのと同時に、なるほどと納得するところが多くありました。釈迦仏のかわりに阿弥陀仏を信仰し、極楽浄土への往生をひたすら願う浄土教は、仏教としては奇妙な構造をもっています。そのことは、阿弥陀仏が本来は一神教的な神であったと考えると、すんなり腑に落ちます。 ゾロアスター教は、善=光の神アフラマズダと、悪=闇の神アハリマンの戦いがこの世界だとする二神論で、最後には善=光の神が勝利するというものですが、一神教とよく似た構造です。そして、ユダヤ教、ひいてはキリスト教に影響を与えたことも知られています。このような考え方が、東はインドへ伝わって大乗仏教の阿弥陀信仰となり、西はキリスト教になったと考えると、ほぼ同時期に起こった日本の浄土真宗(一向一揆)とドイツの宗教改革(農民戦争)は、いわば兄弟同士であることになります。 阿弥陀信仰が、一神教の変形したものであると考えると、浄土宗で自力本願/他力本願の論争が起こった必然がわかります。仏教は本来、めいめいの修行によって成仏するのですから、自力本願に決まっています。いっぽう一神教では、神は万能ですから、人間の信仰は他力本願でしかありません。阿弥陀仏の場合、極楽ではおそらく万能でしょうが、しかしそこは、われわれのいるこの世界ではない。この世界では少なくとも、阿弥陀仏は万能ではないのです。そこで、人間がこの世界から極楽に「往生」するのは、われわれの主体的努力(自力)によるか、あるいは阿弥陀仏の能力(他力)によるのか、どちらとも言えず論争になったわけです。浄土真宗は他力本願説に立っていますが、それでも論理的に考えて、誰もが必ず往生できることの証明はできないと思います。 【世界がわかる宗教社会学入門】橋爪大三郎著/ちくま書房
January 26, 2018
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学生部教学室長 小林 隆明 明治の文豪・夏目漱石は、100年以上も前に、学生に向けての講演の中で、このような他人に合わせる日本人の特徴を「他人本位」だと警鐘を鳴らしている。「ここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んで貰って、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。一口にこういってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をするわけがないと不審がられるかも知れませんが、事実は決してそうではないのです」「つまり鵜呑といってもよし、また機械的の知識といってもよし、到底わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我物顔に喋舌って歩くのです」(『私の個人主義』夏目漱石著、講談社学術文庫)はるか昔の講演にもかかわらず、現代の日本人の問題にも通じており、漱石の慧眼に驚きを隠せない。 他者との差異が個性として輝く「御義口伝」には、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」(御書784頁)との一節がある。桜・梅・桃・李は、形や色合い、香りは異なるが、それぞれが魅力的な花を結ぶ。一方、法華経の薬草喩品第5には、三草二木の譬えが説かれる。世界中に生い茂る草木には、さまざまな種類があり、異なる性質や名前を持つが、その全てに雨は平等に降り注ぐ。そして草木は、それぞれの性質に合った花を付け実を結ぶ。ここでいう雨とは仏の説法のことで、仏の慈悲は、いかなる衆生にも平等に注がれることが例えられている。画一的に生きることが楽であり、それでいいと半ば諦めていた私は、他者との差異が個性として輝くとの思想に触れ、生きる希望を見いだした。人間は十人十色であり、外見も性格も誰一人として同じではない。当たり前のことであるが、自分らしさをなくそうとする生き方の中では、なかなか気付けないことである。今は、この“差異を認識すること”が自分らしく生きるために重要なのだと感じる。 自身の「花」を咲かせるために仏法には「自体顕照」との法理もある。それは本来、自らに具わっている仏の生命が妙法によって照らし出され、一つの個性として輝くことを示す。「はたらかさず・つくろはず・もとの儘」(同759頁)とあるように、ありのままの姿で仏の生命を顕現できることを教えている。ここで注意したいのが、ありのままといっても、現実逃避や独善性を促すものとは一線を画する点である。ともすれば、現在の自分が尊貴であるから、現状から前進しなくていいとの努力不要論や、自己の要求を押し通そうとする放縦と同意であると受け止められかねないが、日蓮大聖人の死身弘法の闘争に思いをはせれば、そのような見方は“誤解”であることが分かる。池田先生は「個性は、必死の努力によってしか咲かない」(『青春対話』)と語られている。桜梅桃李の花も、冬の厳しい寒さに打ち勝ってこそ美しい花を咲かせるように、人間として自らの課題への挑戦を続ける中で、それぞれの、ありのままの姿が輝きを増していくのだろう。 【教学論苑】創価新報2017.11.1
January 25, 2018
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経済学者・大竹文雄氏の指摘は興味深い。著書「競争社会の歩き方」で、米国の経済学者による研究成果を通して、どのような時に人間の幸福度が上がるかを説明している。 実験者にお金を渡し、片方のグループはそのお金で自分のために買い物をする、もう片方のグループには他人へのプレゼントか寄付に使ってもらう。その日の夜、実験者にそれぞれの幸福度を確認したところ、前者は変化なし、人のためにお金を使ったグループの幸福度はアップしていた。同氏は他の研究からも利他的行動と幸福度の関連性を強調していた。 【北斗七星】公明新聞2017.11.1
January 24, 2018
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「海外にて知音と逢う(海外逢知音)」との言葉に彩られた友情がある。「知音」とは、中国春秋時代の琴の名手と、その琴を奏でる音をただ一人、真に理解した人物との間に育まれた友情の故事にちなみ、心の通い合う友を意味する。 書き送ったのは近代中国の父・孫文。受け取ったのは和歌山出身の博物学者・南方熊楠。2人の出会いは、1897年、イギリスの大英博物館だった。 一方は祖国から亡命していた革命家であり、一方は海外遊学を続ける在野の学者である。南方は一部の学者から高く評価されながらも、東洋人として差別を受け、幾度となくトラブルを起こす奇人といわれていた。そんな2人が意気投合した。 重ねた語らいの時は、孫文がロンドンを去るまでの3ヵ月余りだった。その後も友情は続き、1901年、孫文は南方がいる和歌山へ。次にまみえる機会はなかったが、孫文はアメリカ・ハワイから南方の研究のためにと、自ら採取した地衣植物の標本を贈ったという————。 他人を見定め、距離を置きたがるのも人間だが、立場や信条を超え、絆を結ぶのも人間である。差異に執着する心を越えれば、友情を育める。そこに、言語や文化の違い、共有する時間の長さなど関係ない。 一度の出会いから生涯の友情も始まり、たった一言でも真心は届けられる。顔を合わせることはなくとも、メッセージに託して、心と心は通い続ける。 仏典には「善き友を持つことは、仏道の半ばではない。仏道のすべてなのだ」(サンユッタ・ニカーヤ)と。争いの絶えない世界で、万人の仏性を見つめる眼は、いや増して求められる。反目を融和へ、孤立を連帯へ転じゆく尊き使命を胸に、新たな出会いを重ねたい。 池田先生は“つながりこそ力”と語っている。「苦悩に沈む人が立ち上がれるまで祈り、励まし続ける。古い友情を大切に、新しい友情を結ぶ。そうした人のつながりから、また新たな価値を創造する———私たち『創価』の真骨頂です」 【社説】聖教新聞2017.11.1
January 23, 2018
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ドイツの作家ミヒャエル・エンデの作品『モモ』に、道路掃除人のベッポというおじいさんが登場する。ある日、彼がモモに、自分の仕事の話を始めた。 いわく、非常に長い道の掃除を受け持つときがある。“とてもやりきれない”と思いつつ、せかせかと始める。時々、顔を上げるが、ちっとも進んでない。心配でたまらなくなり、ものすごい勢いで働くが、やがて疲れ果ててしまう——ここで彼が一言。「こういうやり方は、いかんのだ」 しばらく黙った後、彼は口を開く。「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ」「すると楽しくなってくる。これがだいじなんだな」(岩波書店、大島かおり訳) 先のことを思い煩って焦るより、足元を見つめ、「今」を大切に生きることで心は豊かになると、エンデは訴えているのだろう。日々の忙しさの中で、足元の幸福を見失いがちな現代人への警鐘にも思える。 【名字の言】聖教新聞2017.10.31
January 22, 2018
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文明とは、人間が森や草原と共生するのをやめて、自然に手を加え、農地を耕し、都市を建設することをいう。社会は急速に変化し始め、複雑となり、文字と歴史が生まれる。 人びとは自然から切り離され、都市に集まり、人工的な環境のなかで、この世界の過去とゆく末とを考えたのだ。 それ以前の人びとは、自然と共生し、自然に包容されて生きてきた。世界と自然とは、区別されなかった。自然の背後に知性(霊)が宿っていると考えれば、それなりに安定した。自然が、知性を超えた、考えられないものだったのである。 日本人は、こうした側面をつい最近まで残していた。 日本の都市は、自然とはっきり区別された境界(城壁)を持たなかった。日本に伝わった仏教は、経典を読まなくてもよいという、浄土真宗(念仏)や法華宗(題目)に変わってしまった。日本に伝わった儒教は、四書五経を読むことより天皇に真心を尽くすことのほうが大切だという尊皇思想に変わってしまった。そして江戸幕府も、明治政府も、宗教は政府に反対する反体制の思想だと警戒した。特定の宗教に熱心だと、出世や商売にさしつかえた。日本人は、宗教を、知性と結びつけて理解することができなかった。 これは、文明国としては、めずらしい現象かもしれない。 日本人にとって、宗教は知的な活動でないから、病気や災難にあって困っているひとの気休めか、人をだます迷信ということになる。そこで、宗教とはなんだろう?という疑問を、もつようになる。 そういう素朴な疑問は、そろそろ卒業にしよう。 【世界がわかる宗教社会学入門】橋爪大三郎著/ちくま文庫
January 21, 2018
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ドミニカ共和国 サントドミンゴ自治大学 ロベルト・レイナ元総長創価学会の牧口初代会長、戸田2代会長は、戦時下にあって、「教育」に希望を見いだされました。 「人間の幸福」という価値を創造しゆく生き方は、戦後の復興に大きな貢献を果たしました。 お二人は軍部政府によって投獄され、後に戸田会長が学会を再建されました。そして後継の池田会長のリーダーシップのもと、SGIは今日まで権力に屈することなく、平和のメッセージを発信し続けておられます。 さらに会長自身、人間教育の範を示してこられました。世界中の多くの人々が会長の励ましを受け、生きる意味を深めています。人間の精神性を向上させることは、技術や知識を与えることよりも、はるかに難しく、大変です。 会長を中心としたSGIの思想と行動は、人類に対する大きな貢献といえましょう。 ◇ 今こそ、人間の内面に焦点を当てた教育が必要です。私たちがやらなければならないのは、青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)です。情熱を持った青年たちを、社会に陸続と送り出していかなければなりません。 ◇ 冷戦以降、世界は「哲学不在」ともいえる時代になりました。人々は「何を信じていいか分からない」「どのように生きたらいいのか分からない」状態に陥っているように感じてなりません。 だからこそ、池田会長の功績が輝き、その存在がいや増して重要となっているのです。 一人一人が、自らの人生に価値を見いだし、自らの使命に目覚めていく……。そうしたSGIの取り組みは、世界に大きな示唆を与えるものであると思います。 【グローバルインタビュー「世界の識者の眼」】聖教新聞2017.10.29
January 20, 2018
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アメリカの細菌学者 ルネ・デュポス博士人生は「選択」の連続だ。進む道を決めるのは自分自身であり、その選択が「未来」を変える。ゆえに、「いかに生きるか」の価値基準をもつことが重要になる。 「人間は人間を向上させる進歩した選択を通して自分自身をつくりあげるのである」(『人間であるために』)。これが、博士の揺るがぬ信条であった。 限りない可能性を秘めた未来に眼を開き、人間の利己的な利害を超えた新しい世界をいかにして創造していくか。博士は未来の運命を変えうる人間の力を信じた。 「人間の将来というものは、どうしても避けられない宿命に結びつけられているわけではない」「人間と、その住む環境に起こる事柄は、かなりの程度まで人間の想像力と意志の力によって条件づけられている」(『生命の灯』) そして、化学が社会にもたらす最大の貢献とは、人類と宇宙と人間の本性についての知識を与えるとともに、人間が自らの運命を決め、目標に達する最良の方法を学び取れるよう助けることであると確信していたのである。 ◇ いかにして環境問題を解決に導くか。博士は以前から、その方途として“人間性の回復”を強調してきた。人間が「自然の征服」という考えにとらわれている限り、世界の変革はない。真の改革のためには、自然と人間とを調和させる「新しい社会的宗教」が必要である———と。先生との会見でも、博士は“偉大な未来宗教こそ人類の危機を救う唯一の鍵である”との信念を語っている。 先生は、生命(正報)と環境(依報)は不可分と説く「依正不二」の原理を紹介し、トインビー博士とも一致をみた論題について、博士にこう語った。 「仏法は中道です。中道とは人間主義であり、生命主義であります。21世紀は『生命の世紀』としていかなければなりません」 デュポス博士は温顔をほころばせ、深くうなずいた。 【「明日を求めて」池田先生の対話録Ⅱ】聖教新聞2017.10.28
January 19, 2018
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人間が成熟したかどうかの一つの目安は、どれくらい人の話を聞けるか、というところにあるのではないか。声高に自分を主張する人ばかりだと、社会がギスギスする。 話し上手になることも大事だが、聞き上手になることも重要である。多くの場合、話し上手は同時に聞き上手でもある。人間の心の機微がわかり、相手を思いやることができなければ、人の心を掴む話し方もできない。国会中継などを見ていると、現在の日本には、演説上手よりも、もう少し聞き上手が欲しいと思うのは私だけだろうか。 心理学者で、文化庁官の河合隼雄先生には、御目にかかるたび、その「聞き上手」ぶりに感銘を受ける。言うまでもなく大変学識のある方で、座談の名手でもあり、これ以上ないくらいの話し上手なのに、話をうれしそうに聞いてくれる。 河合先生に、あの笑顔で「ああ、そうですか」「おもしろいなあ」と相づちを打たれると、ついつい普段は喋らないような心の秘密まで明かしてしまう。振り返ってみて、あんなに贅沢な時間はないな、と思えるほどの豊かで幸せな時間なのである。 河合先生の聞き上手は、ほとんど神懸かり的な領域に達している。以前お目にかかったときに、びっくりするようなことをうかがった。タクシーに乗ると、運転手が身の上話をしはじめるというのである。 後部座席に座り、運転手の言葉に「はあ、はあ」と相づちを打っているうちに、「いやあ、私も人生でいろいろなことがありましてね」と始まる。河合先生が話を聞いているうちに、運転手も夢中になって、目的地とは別の場所に行ってしまうことさえあるのだ。 あるときなど、すっかり違った方向に行ってしまって、メーターの料金がとても高くなってしまったのだが、運転手は「まあ、話を聞いてもらえたから、いいですわ」と料金をとらずに走り去ったという。 いったい、そんな奇蹟のようなことが起こるのはなぜか? 何しろ、「河合隼雄」と正体がばれているわけではないから、知識や思い込み、暗示でそうなるわけではない。姿がはっきりと見えているわけでもない。「はあ、そうですか」と、相づちを打つ河合先生の声の調子やリズムが、何となく話をしたくなるような気分にさせてしまうのだろう。 私自信が振り返ると、河合先生に話を聞いていただいていると、どんなことを話しても、受け入れてもらえるように感じる。そかも、こちらに自分の考えを押し付けたりはしない。つかず離れず、絶妙な距離をとってくださる。伝わってくる人間的な温かさに、すっかり胸襟を開いてしまうのである。 いったい、そのようなコミュニケーション術を実現させている河合先生の脳のはたらきに関する秘密とは何か。 「茂木さん、一度、相手の話を聞いているときの私の脳活動を測ってみませんか」と、河合先生にけしかけられたことがある。 ぜひ、実現したいと思うが、そう簡単に秘密が分かるのもでもないだろうと感じる。河合先生が常々言われているように、コミュニケーションとは、相手との関係性の問題だからである。 河合先生のような「奇蹟の聞き上手」がもっと増えたら、よい世の中になるだろう。その秘密については、引き続き考え、調べて、改めて報告したいと思う。 【すべては脳からはじまる】茂木健一郎著/中公新書クラレ
January 18, 2018
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子供のうちは夢にあふれていても、歳を経るごとに否応なく現実にさらされる。ちょうどたわわに実の生った、高い木を見上げているようなものだ。木に登ることすらできず、落ちたおこぼれを拾うしかない者もいる。懸命に木に登っても、掴んだ実が腐っていたり、中身がなかったり、あるいは渋かったりさまざまだ。 本当はあっさりと手に入る実など、高が知れている。手あたりしだいにもいだところで、季節が過ぎればそれきりだ。豊穣の時はしごく短い。 徳兵衛なら、その実を食べずに土に埋める。まめに世話をしながら木へと育てれば、その木は毎年実をつけるようになる。長い辛抱と、たゆまぬ努力が肝心で、稲を育てる百姓や、修行を旨とする職人同様、商人もまた同じことだ。店を構え、維持していくためには、堅実な裁量が肝心だった。 一方で、金は化け物だ。人心を惑わし、争いの火種を生む。相場という荒馬から振り落とされぬよう、手綱を締めて疾駆する道の先を見通さなければならない。 【隠居すごろく123「糸玉の音」20】公明新聞2017.10.26
January 17, 2018
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将棋棋士の大山康晴氏は十五世名人になった翌年、屈辱的な敗北を喫し、無冠に陥落した。良い時は群がるマスコミも、潮目が変わると手のひらを返す。そんな大山氏を、父が励ました。「自分の将棋を指すように心掛けなさい」(『名棋士81傑 ちょっといい話』講談社) そこからの巻き返しはすさまじかった。2年のうちに、王将、九段、名人の三冠を奪取し、以後、名人戦13連覇などを果たした。さらに、がんの闘病も勝ち越えるなど、生き方そのものが“不死鳥”さながらであった。 氏は、あの父の言葉を、どう受け止めたのだろう。“肩書や立場ではなく、「将棋」という使命の舞台で、自分の信念を貫け”という指針として、胸に刻んだように思えてならない。 人生、順風もあれば嵐もある。忘れてはならないのは、いかに周囲の状況が変わろうと“自分は自分”であるということだ。何があろうと前を向いて、一つ一つ、誠実に努力を重ねる。いつか嵐がやんだとき、目覚ましい成長を遂げた自分を発見するだろう。 大山氏は色紙に揮毫する際、「忍」とよく書いた。不遇の時代にこそ、本物の負けに魂が磨かれる。仏の別名もまた「能忍」。能く忍ぶ人こそ、わが使命を見失うことなく、自他共の幸福という大事を結実させる。 【名字の言】聖教新聞2017.10.25
January 16, 2018
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食品加工事業者代表 尾山 叔子 私は毎朝午前3時半に起きて、「ひびきの工房」の皆さんの健康、無事故を真剣に祈ります。「ひびきの工房」は、「JA埼玉ひびきの」女性部の有志による食品加工事業。午前5時には平均年齢69歳の仲間が加工“工房”に集合し、お弁当作りが始まります。午前11時に仕事が終わった後も、お茶を飲むなど、楽しい語らいが続きます。皆さんから、たくさんのことを学べるので、日々、感謝は尽きません。私と同女性部との出合は、家族で地元、埼玉・上里町のイベントに参加した時です。女性部の皆さんが、地元の野菜がいっぱい入った豚汁や、手作りの田舎まんじゅうを、生き生きと笑顔で振る舞う様子に、私も仲間に入りたいと思いました。そして16年前、友人の誘いで女性部に入ったのです。私は上里町の農家の4女として生まれました。父は農業に誇りを持って、日々、まじめに働き、いつも地域の役員を引き受けて忙しくしていました。そんな父の背中を見て育った私が、JA女性部で活動することになりました。その中で一番大きな節目となったのは、「ひびきの工房」を立ち上げたことです。一番大きな節目となったのは、「ひびきの工房」を立ち上げたことです。“食品加工事業を、ぜひやってみたい”という女性部の方々の声を聞き、JAの了解を得て、“工房”としてのお弁当作りがスタートしました。2年間の試作や改良を重ね、味や見た目、値段を決めながら、2007年(平成19年)3月、正式に「ひびきの工房」の運営が始まりました。“工房”の皆で出資金を出し合い、まずは3年間、事業を続けようと互いに決意しました。 「地産地消」を心掛ける私たちの作るお弁当は「地産地消」(地元で生産したものを地元で消費する)を心掛けています。看板メニューの一つは、太巻きずしです。コメは、減農薬・減化学肥料特別栽培米である地元の「かんな清流米キヌヒカリ」を使用。太巻きは、この酢飯で新鮮な農産物を巻き込んだものです。どっしりとした卵焼きやゴボウ、ニンジンが入っていて、通常のものより大きいのが、うちらしさです。ひな祭りや運動会などの行事には、太巻きが出るのが、地域の昔ながらの習わしです。年配のお客さまは、幼い頃の記憶を重ねるように、「この太巻きを食べると懐かしい気がしますね。おばあちゃんの味がします」と喜んでくれます。看板メニューのもう一つは、地粉100%のゆでたてうどんです。「JA埼玉ひびきの」管内にある上里町は、国産小麦の主力品種である「さとのそら」の有数の生産地です。この地元産小麦で作っているのが、ゆでたてうどんです。地粉を使っているので、真っ白な麺ではありませんが、小麦の香りがほんのりする素朴な味が親しまれています。こうしたお弁当を、管内の四つの直売所に、毎日、140食から160食、配達しています。“工房”は、オリジナル弁当の注文にも対応しています。直売所の売り出し日や地域の行事のたびに、「お弁当をお願いできますか」と注文を頂けることも、うれしいことの一つです。 自分が変われば周囲も変わるの“工房”を発足して2年後の09年、その取り組みがJAの雑誌「家の光」10月号に掲載されました。さらに11年2月には、JAグループの出版・文化団体主催による全国大会で、埼玉県代表として発表を行い、「会長賞」を頂くことができました。“工房”の取り組みは、いうなれば「6次産業化」の試みもあります。作物の生産から加工、流通、販売までを、生産者が一手に担う6次産業化の動きは、今、全国各地で見られます。6次産業の「6次」には、1次(生産)、2次(加工)、3次(販売)を全てひっくるめた意味があります。6次産業化には、例えば加工した農作物をいち早く、消費者のもとに届けられるという利点があります。従来は、1次、2次、3次と、いくつもの事業者の手を介して農産品が消費者のもとに届いていました。それが、一つの事業者によって、消費者のもとに素早く届くようになるのです。農産品を、より新鮮な状態で届けることのできるこうした動きは、地域にとって活性化のきっかけともなります。お弁当を直売所に配達に行くと、売り場で「お弁当を楽しみに待ってました」と声を掛けてくださる常連客もいらっしゃいます。こうした方々に支えていただきながら、“工房”の経営を続けてくることができました。日蓮大聖人は「心という一法から国土世間も出てくるのである」(御書563頁、通解)と、強い信心の一念が環境を変えていくことを教えられています。今いる場所、地域を、どう、より良くしていくことができるか。それは紛れもなく、そこに生きる人の心、一念が出発点です。自分が変わることで周囲も変え、地域をより良くしていくことができる————このことを仏法は教えています。 今いる場所を照らす“灯台”に“工房”のスタートに当たっては、もちろん不安も迷いもありました。しかし、地域の発展と人々の幸せを真剣に祈りながら、“絶対に引かない”と一念を定めて、“工房”の運営を続けてきました。私が心に刻む御金言に「月月日日につより給え・すこしもたよむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190頁)とあります。仏法は、仏道修行を妨げようとする「魔」と、どこまでも戦い抜く信心の姿勢を教えています。仏法は、この魔を見破り、乗り越えていく中に、自他共の幸福の拡大があることを示しています。自他共の幸せを願って、信心を根本に、常に前へ前へと進みゆく生き方こそ、信仰者の姿です。「地域の灯台たれ」との農漁光部の指針を胸に、地域の発展を願ってますます仕事に励んでいく決意です。 【プロフィル】おやま・よしこ 「JA埼玉ひびきの」の女性部長を務める。と同時に、同女性部の有志による食品加工事業「ひびきの工房」を運営。埼玉・上里町在住。1965年(昭和40年)入会。婦人部副本部長。農漁光部員。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.10.24
January 15, 2018
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移動の新幹線の中で食べた京都の老舗のお弁当があまりのも美味だったので、時速二百数十キロで疾走する座席に座ったまま、心の中で思わず感涙にむせんだ。一つ一つの料理が、丁寧に、本当に心がこもってつくられているのがわかった。猛烈な勢いで遠ざかる土地に住む料理人さんたちに向かって、ありがとうと手を合せた。 東京駅でトイレに入ったら、新幹線の乗組員の方だろうか、鏡に向かってシャキッと立ち、帽子の位置を直しているのを目撃した。この人たちの営々たる努力で、世界に誇るべき定時運行が維持されていると思った。 駅構内の本屋さんで新刊を求めたら、テキパキとあっという間にキレイにカバーをかけてくださった。その間、数秒。目にもとまらぬ早業だった。 人のために、心をこめて仕事をする。誰も見ていなくても、自分のやるべきことをきちんとやる。そのような職業倫理をもって働いている一方で、デジタルの数字を動かしてカネを儲けることばかり考える輩もいる。 まったくふざけんじゃねえよ、と、その時だけは本気で思った。 人は、お金のためだけに生きているのではない。本当に心を込めて誠実に仕事に向き合うことが、結局は人の心を動かす。派手ではなくても仕事は仕事。別に地味でもよいではないか。 人間は、誰でも、自分の中にひそむ能力を思う存分発揮して生きたい、と願わずにはいられない。潜在能力をすべて生かすことができたら、そのような人生は悔いるところはないだろう。 もちろん、全員が天才的能力を示すことができるわけでもないし、やることのすべてがうまくいくはずもない。それでも、それぞれのユニークな資質に寄り添ってどんな小さなことでもできることができれば、そんなにウレシイことはほかにないのではないか? 才能を生かす方法は、何か? いろいろあると思うが、自分の経験に照らしても、また最近の脳科学の知見からとても大切なことだと思うのは、「熱中すること」である。 熱中しているとき、私たちの意識の中から時間が流れているという感覚は消える。そして、何よりも重要なことだが、取り組んでいる対象と自分のあいだの境界が消えてしまう。まるで、自分が仕事そのものになってしまったかのように感じられるのである。 そのようなときには、人間の脳が外界と相互作用する際に使われる感覚と運動の領野が、フル稼働している。いわゆる「引き込み」の現象が起こるのである。雑念が消え、脳の資源が「仕事をする」という目的のために総動員される。その過程で、最大のパフォーマンスが発揮されるし、また深い学びも起こる。 肝心なことは、没入して仕事をしているときには、他人にそれがどのように見えるか、マーケットの中でどれぐらい価値があるかなどということは気にならないということである。熱中することはけっして派手ではないが、それでいいのである。 大人だけではない。何でもいいから熱中することを知っている子どもは、きっと大丈夫である。多少、勉強ができなくても、社会に出たら必ずやっていける。 時代はめぐり、再び熱い思いが問われている。まずは大人たちが、熱中することのお手本を見せてあげようではないか。 【すべては脳からはじまる】茂木健一郎著/中公新書クラレ
January 14, 2018
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経済ジャーナリスト 上妻 英夫 激変の政界、世の中がどう変わるかの渦中である。中小企業の経営者中心の経営者数人と懇談する機会を得た。いま、何が重要で何を基軸に経営すればいいのか、語り合った。結論は出なかったが、いくつかの重要な経営キーワードが飛び交った。 まず最初は「生き残りは即断即決“スピード感”である」というスピード経営に注目が集まった。ある大手の経営者の言葉が「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」であり、「情熱・熱意・執念」が厳しい経済状況に穴をあける突破口になるという意見だった。付け加えられたのは「今日のことは今日やる」「他人の倍働け」「仕事が一番楽しい」ということである。次は、「諦めない、持続は力」という言葉だった。モンゴルの諺に「山が高いからといって戻ってはいけない。行けば超えられる。仕事が多いからといって、ひるんではいけない。行えば、必ず終わる」という深い意味の諺である。何人かの哲人が「諦めない心こそ、本当の才能だ」とも言いきっている。 ある大手の経営者が「私の履歴書」(日本経済新聞社の中で、「どんな高い壁はあってもよじ登ってみせる。よじ登れないなら、こじ開ける。それも無理なら、穴を掘って向こう側に行く」という壁を乗り越えるヒントを執筆していた。天才といわれたスティーブ・ジョブスの「今日が最後に日だと思っている」という覚悟の言葉が印象的だった。 現役経営者の世界トップクラスのカルロス・ゴーン氏も同じ「私の履歴書」の中で、「企業に求められるのは、好機を逃さないことだ。だが、最も重要なのは社会貢献だ」と綴っている。好機、つまり、英語でチャンスである。 経営する一人ひとりが会社の課題を明らかにして、素早く問題解決のヒントを生み出すことに尽きるという話題が出た懇談会で、ある経営者は「ジョーダン(情報断絶)は命取り」、日々変化する中から生きた人間情報、価値ある貴重な情報で動けば必ず活性化するという、結論的な話し合いだった。 【ニュースな視点】公明新聞2017.10.23
January 13, 2018
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スイス宗教社会学者 ジャン=フランソワ・メイヤー博士 SGIに出合ったのは、1980年代中ごろです。当時、私はスイス国立科学財団からの助成を受け、歴史学、社会学の視点で宗教団体を研究していました。その対象の一つが、SGIでした。 SGIは最も大きい在家の仏教団体の一つであり、会員の方々は宗教活動のみならず、さまざまな平和活動を展開されています。 私が特に感銘を受けるのは、SGIの池田会長が、宗教以外の分野にも関心をもっておられる点です。一般的に見て、それは並大抵のことではありません。宗教指導者として、その宗教的使命と他の分野への関心を結び付けられておられることが、池田会長が世界から尊敬を集められておられる理由の一つだと思います。 ◇ フランスの学者オリビエ・ロイ氏が出版した『ホーリー・イグノランス』できょうちょうされているように、現代において宗教を原理主義的に捉えている人々は、「文化」を無視するようになっています。しかし、歴史を振り返れば、世界宗教は常に文化と交流しています。宗教家たちは、新しい文化、異なる文化に出合うたび、宗教的価値観をどう伝えるべきか悩み、新たな表現法を生んできたのです。 幻想的で時代錯誤の考え方によって、他の文化を犠牲にすることもいとわない宗教的原理主義者について考える時、人々は通常、彼らの「暴力性」を恐れています。 しかし、私はそれ以上に、彼らによって「無文化の貧しい世界」が広がることに、深刻な脅威を感じます。 【グローバルウォッチ世界を見つめて「若者と幸福」】聖教新聞2017.10.21
January 12, 2018
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スイス宗教学者 ジャン=フランソワ・メイヤー博士 宗教を持つ人は、自らの意思を自身の気まぐれな考えや空想よりも、高くて深いものへと向けていくことができるのです。その人は「自律」を獲得できるようになります。 人間は皆、生まれつき、「幸せになりたい」と願っていますが、本当の幸せとは、儚い物質的存在を超えるものであり、“自分を超える大きな存在”を求めるのです。 精神的自律の一部としての「祈り」によって、“自分を超える存在”を思い出し、意識させ、人間であることの意味を深く洞察することができます。祈り以外の精神的な修行・実践もまたしかりです。それは、「人間としての背骨」をつくることにあるといえるでしょう。このような道に徹する人は、同時に生きとし生ける全てのものに対し、責任を自覚するようになります。 宗教は、この限られた人生に「意味」をもたらします。私たちは慌ただしい日常生活に没頭しており、働くことにあまりにも集中し、何が大事であるかを忘れるほどです。 働くことや人生の美しい側面を楽しむことも良いことですが、“人生には物質的成果を獲得することより高い価値があること”を忘れてはなりません。それを思い出させ、教えてくれるのが宗教です。 【グローバルウォッチ世界を見つめて「若者と幸福」】聖教新聞2017.10.21
January 11, 2018
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探検家、医師、武蔵野美術大学教授 関野吉晴 サルはヒトを作るうえでの失敗作だという人がいる。しかし、これは私たちが現在生きているのは、先人たちの果断な努力の成果のおかげだということを理解していないから起こる発言だ。 私たちにとって、なくてはならないもの、パソコン、スマフォ、電気、プリンター、電話は突然生まれたものではない。先人たちがコツコツと積み上げてきたものの成果としてある。 私たちは正確にはサルから進化したわけではない。サルや類人猿の共通の先祖から分かれて生まれた。その共通の先祖の時に獲得した構造、機能のおかげで生き延びてきたことを意識している人は少ない。 恐竜が生きている時代、虫を食べるジネスミのような存在だった私たちの祖先は恐竜絶滅後に熱帯の森に入った。そこで拇指対向性という手のかたちを手に入れた。親指と他の4本の指が向き合っている。樹上空間では木から木に渡っていく、その時親指が他の指と向き合っていた方が木を握りやすいのだ。指紋とそこにある汗腺が滑り止めとして機能した。 また、横にあった目を前にもってきた。視野は狭くなったが、立体視ができるようになり、樹上で異動するには有利だ。フルーツを食べるようになり、鳥の専売特許だった色覚を手に入れた。サルやヒト以外の哺乳類は皆モノクロに近い世界なのだ。肩の関節も球状になり、腕が360度回転できるようになった。枝から枝に渡り歩くのに欠くことのできない肩関節の構造だ。 サルの時代にこれらの進化がなかったら立体視もできないし、モノクロの世界に生きることになる。ものも握れず、細かい作業ができなかったはずだ。 私はヒトだけでなくサルたちの先祖にも感謝しながら生きている。 【すなどけい】公明新聞2017.10.20
January 10, 2018
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「発心」とは、「発心菩提」という意味である。簡単に申し上げれば、悟りを求める心を起こすということであり、成仏への決心です。 人生をよりよく生きようとするには、「汝自身とは何か」「汝自身のこの世の使命とは何か」「汝自身の生命とは何か」「社会にいかなる価値を創造し、貢献していくか」等々、根源的な課題に向き合わざるを得ない。 その解決のために、求道と挑戦を重ね、仏道修行即人間修行に取り組んでいくことが「発心」であり、それは向上心の発露です。 【新・人間革命「暁鐘」42】聖教新聞2017.10.20
January 9, 2018
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川合 信幸 どちらがより適切? 「電車が遅れてしまいました。申し訳ありません」「遅れて申し訳ありません。電車が遅れていました」2通りの言い方、どちらが謝罪として、より適切でしょうか。◇私たちの身の回りでは、さまざまな場面で謝罪が行われています。テレビなどの謝罪会見を見ると、言葉では誤っているようでも、全く反省して様子がないな、と思うことがあります。このような謝罪は、自分のために誤っているからです。自分が攻撃されないように、また、自分をよい人だと見せようとして謝罪しているのです。大切なのは、相手のための謝罪。その気持ちが前面に出ていると、よい謝罪になるのです。さて、冒頭の問題ですが、「電車が遅れていました」と先に言ってしまうと、自分が遅れたのは電車のせいなんですと、言い訳をしているように聞こえます。でも、誤った後だと、言い訳ではく状況を説明しているように聞こえます。さらに続けて、次は遅れないようにします(改善)や、スタートが遅れたから打ち合わせの終了時間を早めましょうか(補償)など付け加えると、よりよい謝罪になるはずです。 不快や攻撃の成分の分解怒りというのは、喜びや悲しみと同じく、基本情動の一つで、不快成分と攻撃成分に分けられます。何かの行為に対してムカッとして、相手を攻撃しようとするわけです。この合計が怒りの大きさになります。もともとは、縄張りや持ち物、自分が持っている資源などを守るために発達したと考えられています。怒りを表明することで、侵略してきた相手を追いやるわけです。特に、怒りや喜びの表情は見分けやすく、私たちは、たくさんの写真から怒りの表情をすぐに探すことができます。相手の怒りを感知することで、攻撃されないように注意しているのです。ところが、人が狭い場所に集まって住むようになると、怒りを表明しても相手を追いやることができなくなります。このため、怒りがうまくコントロールできなくなっているようです。ほかの感情と異なり、怒りは人に向くことが大きな特徴です。怒りが継続して増大し、最終的に殺人まで発展してしまうケースも。殺人事件を犯す理由の第1位は憤怒で、42%を占めます。第2位は報復・怨恨の11%なので、怒りという劇場に駆られた犯罪が圧倒的に多いことが分かります。 不快や攻撃の成分に分解怒りをコントロールするにはどうしたらよいのでしょうか。相手を怒らせてしまったときは、誠意ある謝罪をすること。一方、自分の怒りを抑えるには、怒ることが得ではないと知ることが第一歩です。怒りには不快成分が含まれるため、心から追いだした方が、平穏に暮らせるはずです。いつまでも怒りが持続するような人は、心臓血管系の疾患にかかりやすいので要注意。怒りの感情を持ち続けるのは、身体的にも精神的にも相当、苦しいのです。簡単なのは寝転んで見ること。頭を後ろにした体勢になると、攻撃性が薄まり、怒りが収まっていきます。また、日記を書くように文章化してみることも効果的。客観的に思い返すことで、相手の事情も理解でき、怒りの記憶を書き換えることができるのです。日本人は、欧米人に比べ、すぐに謝るといわれます。とにかく「ごめんなさい」と言えば赦してもらえるという感覚が強いかもしれません。でも、きちんとした謝罪でなければ、相手の怒りを増すばかり。近著『怒りを鎮める うまく謝る』を書いて、これまでの自分の謝罪は効果的でなかったと感じました。意を尽くした謝罪が分かると、相手を赦しやすくなります。科学的な研究の知見に基づいた適切な謝罪を知って、よりよい人間関係を築いていきたいものです。 =談(名古屋大学准教授) かわい・のぶゆき 1966年、京都府生まれ。日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員などを経て現職。主な著書に『心の輪郭』『コワイの認知科学』『ヒトの本省』などがある。 【文化】聖教新聞2017.10.20
January 8, 2018
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「皆さんは、『一切法は皆仏法是なり』(御書563頁)との御聖訓を深く心に体して、それぞれの国にあって、良識豊かな、人びとの模範となる、良き市民、良き社会人であってください。われわれは、暴力を絶対に否定します。その信念のもとに、各国各地にあっては、その伝統並びに風習を最大に尊重し、社会に信頼の根を深く張っていただきたい。そして、世界の友と、心と心を結び合い、平和を目指していただきたいのであります」◇「人間の心ほど、瞬間、瞬間、微妙に変化し、複雑極まりないものはない。その心を、いかに強く、揺るぎないものにしていくかによって、人生の充実、幸福も決まっていく。また、人生には、“なんで自分は、こんな目に遭わなければいけないのか”と思うような、宿命・宿業の嵐に遭遇することもある。それを乗り越えていく、何ものにも負けない強い心を培うための信心なんです。妙法という宇宙根源の法を具現したものが御本尊です。私どもの信力、行力によって、南無妙法蓮華経の御本尊の仏力・法力に、わが生命が感応して、大生命力が涌現し、困難の厚き鉄の扉も必ずや開くことができる」◇「勇猛さは、足とか腕がしっかりしているということにはなく、心と魂の堅固さにある」(フランスの思想家モンテーニュ) 【新・人間革命「暁鐘」41】聖教新聞2017.10.19
January 7, 2018
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元プロ野球選手の豊田康光さんは、黄金期の西鉄ライオンズなどで活躍した。4度出場した日本シリーズでは通算3割6分2厘の高打率。現役の終盤には2試合連続代打サヨナラ本塁打を放つなど、土壇場で大役を果たした。そんな豊田さんが論じる「勝負強さ」が興味深い。 いわく、勝負に弱い人は打席に入っても「なぜ打てないのか」と悩んでしまう。反対に、勝負強い人は「どうやったら打てるだろう」と考える。すると、相手が見えるようになり、目の前が一気に開けてくるという(『豊田康光のチェンジアップ人生論』日本経済新聞社)。 いざという時、失敗を恐れ、一歩を踏み出せないことがある。その時に、“なぜできないのか”と縮こまるのではなく“どうすればできるか”と心躍らせて挑みたい。克服すべき課題、対峙すべき相手に正面から向き合ってこそ、活路は開かれる。 日蓮大聖人は、広布の途上に起きる数々の大難にも「いよいよ・はりあげてせむべし」(御書1090頁)と、満々たる“攻め”の精神を貫かれた。決して忘れてはならない言論闘争の魂である。 【名字の言】聖教新聞2017.10.19
January 6, 2018
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脳にとって、自由とは、抑圧から解放させることであると同時に、かなりのプレッシャーを感じることでもある。自由にやってよいと言われると、脳は側頭葉にたくわえられた過去の体験を総動員して、何とか、その時々の状況に適したものを生み出そうとする。「生み出そう」という意欲をつくるのは、前頭葉だ。前頭葉と側頭葉の組み合わせのダイナミズムにより、脳は創造性のジャンプを何回も経験するのである。 【茂木健一郎「すべては脳からはじまる」】中公新書クラレ
January 5, 2018
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福岡市西区 山上勝将 プロ野球セ・リーグを制したのは広島カープだった。昨年に続いての連覇は素晴らしい。その広島の一因で今年、闘病生活を送ってきた選手がいる。赤松真人選手だ。昨シーズン終了後に胃がんが見つかり、今年1月に手術。胃の半分を摘出したが、リンパ節への転移も判明し、半年間にわたって抗がん剤治療を受けた。 赤松選手は2005年に阪神に入団し、3年後に広島に移籍。俊足、強肩を生かして活躍してきた。 懸命に病気と戦う姿を見て、ナインは皆、「赤松選手に会うと、野球ができる喜びをあらためて感じる」と感謝の気持ちを伝え、同選手も、「復帰に向けて努力する姿勢を見せることで、みんなを元気づけたい」と応じてきた。“チーム愛”で心が一つとなったからこそ成し遂げられた連覇だ。赤松選手の早期復帰を願っている。 (無職 72歳) 【波紋】公明新聞2017.10.18
January 4, 2018
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一九九五年、パリで『寛容——ぼくは書く、お前の名前を』というシンポジウムが開かれました。鵜飼哲氏が指摘していたように(西谷修・鵜飼哲・港千尋『原理主義とは何か』、河出書房新社)、タイトルに現れる気取りとスノップな余裕、また、このシンポジウムに、フランスのジャック・シラク大統領が、メイン・ゲストとして招かれたことが象徴的に物語るのは、「寛容の脆弱さ」です。 数年前フランスで、アフリカのマリ人労働者が聖アンポロワーズ協会を占領し、劣悪な労働条件にさらされていることをアピールしようとしました。その時、占拠されているカトリック側ですら、「教会は『神の家』であり、すべての貧しき者の避難所である」と、パウロの有名な『エフェソ書(Ⅱ、一九——二〇)』の行の精神に基づき、マリ人支持を表明したのです。にもかかわらず強制撤去させた張本人の一人が、ジャック・シラクでした。 一九九六年五月、オルレアン解放記念日に、ジャック・シラクは「(ジャンヌ・ダルクが我々に語りかけるものは)彼女の名においてときどき繰り広げられる不寛容や拒絶、暴力のディスクールと全く反対のところにある」と、極右国家主義運動にクギを指したはずだったのですが……。 このように「寛容」には、何か自分の立場はそのままにして、自分より貧しい人に、“上から物”を施しているような傲慢さがただよいます。 故に、「ここまでやってあげたから、もういいだろう」「まだ、そんなこと言っているのか」という、“seuil de tole(、)rance”(寛容の敷居、我慢の限界)があるのです。 そこで今、新たな原理として注目されているのが、前回にも述べた「歓待」です。「歓待」は、自らもその人々と同じ運命にあるという感覚・意識から発しています。故に、そこには限界はないのです。 自らが老い、病になり、やがて死ぬことを深く意識する故に、老いた人、病者、死者を嫌悪したいのです。苦しみをもとにし、喜びをもとにし、ともにあることを歓ぶのです。ブッダはそのことを、若き、健康な、生のただ中に見たのです。 【ブッダは歩む ブッダは語る——ほんとうの釈尊の姿 そして宗教のある方を問う】友岡雅弥著/第三文明社
January 3, 2018
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洋の東西を問わず、古代・中世においては「貧困」は悪ではありませんでした。病や障害などによって、貧困の境涯に落ちた人々は、軽蔑の対象どころか、しばしば「聖なる存在」として大切にされたのです。それは身体的、精神的障害を持った人々も同様でした。当時、最大の罪であり、最大に軽蔑すべきは「貪欲」だったのです。 それがヨーロッパにおいては十七世紀から、「怠惰」が最大の罪となっていったのです。貧困者は畏敬の念をもって施与される対象ではなくなりました。貧困を神聖と考える感性が失われていったのです。貧困や狂気は侮蔑の対象となったのです。施設に収容され、労働のために教育されました。これが、フーコーが『狂気の歴史』で立証したことです。今でも、インドに行くと貧困を神聖とする感性が残っています。インドの聖者は金持ちではダメです。だから、多くのインドの金持ちは最終的に財産を捨てようとします。そのことは、日本とインドの最大の違いかもしれません。 以上のようなことからも分かるように、今の日本の感性や常識で、単なる慈善ではなく、宗教的実践である古のインドの施与、布施を考えることはできません。 【ブッダは歩む ブッダは語る——ほんとうの釈尊の姿 そして宗教のあり方を問う】友岡雅弥著/第三文明社
January 2, 2018
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教育の目的は「子どもの幸福」にあるとの信念に立った牧口先生は、若き日、寒さの厳しい北海道の小学校では、雪の降る朝でも外に出て、登校する子どもたちを迎えました。あかぎれで手を腫らした子がいれば、お湯を沸かし、手を温めてあげたといいます。 また、東京の小学校の校長時代には、弁当を持参できない子どものために、無料の給食を先駆的に実施されるなど、さまざまな工夫をこらし、子どもたちを慈しまれました。 「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である」と牧口先生は宣言されています。 そして、「自他共の幸福」を目指す人間教育の粘り強い推進によって、社会の矛盾や葛藤を打開しつつ、平和な社会の創造をと展望したのであります。 【教育——池田先生の謝辞】聖教新聞2017.10.16
January 1, 2018
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