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専修大学法学部教授 岡田 憲治 選挙制度① 議員を議会に送り込むための選挙制度には、実にさまざまなものがあります。おのおのの民主国家がどのような制度を採用するかは、国家の生成の歴史、地理的条件、人口などの社会的条件、積み重ねられてきた政治文化など、いろいろな要因によって決まります。 そうした諸制度の中でも、大きく分けて二つの種類、「地域」を基準に議員を選ぶ選挙と、「政党」を基準に議席を決めていく場合があり、それらを混合した制度もあります。 地域を基準にする場合は、院の議員定数に応じて地域を区切り、そこでおのおのの選挙区の当選者数を決めます。 1人を当選者とする制度を「小選挙区」、2〜5人程度の定数を設定するのが「中選挙区」、厳密な基準はありませんが、それ以上の当選者の枠を作るものを「大選挙区制」と呼びます。それぞれの制度において、立候補者にとっての有利不利が現れます。 小選挙区では、1票でも多く票を獲得した候補者が当選しますし、敗れた側は1票差でも落選となりますから、候補者が乱立しますと、選挙区全体の有権者からの支持が半数以下でも当選することがあります。しかし、与党などの有力候補が出馬すれば、勝つためには対抗する側がおのずと連携せざるをえませんから、二つか三つの有力な政党の候補者が有利になります。 中選挙区では、複数の当選者が生まれますから、例えば定数が3なら全体の3位までに滑り込めば当選となります。当選に必要な得票数は小選挙区に比べると少なくて済み、候補者が乱立して競合した場合には、当選得票数はより下がります。またこの制度は、同じ政党から複数の候補者を出す誘因にもなります。 大選挙区では、中選挙区での傾向がより強まります。例えば、東京都の世田谷区議会選挙では、全区1選挙区の定数が50で、上位50位以内に入れば当選できます。大きな政党の組織力がない無所属候補や小政党の候補者にも当選の可能性が高くなります。 いずれかの選挙制度も、地域を代表する人々を選ぶため、その地域の社会的利益を反映させるような議員が生まれやすくなります。農業や漁業といった第1次産業の人口を抱える地域では、農業団体や漁業団体政策要求が反映されやすくなります。都市部と郊外では、おのおの重視する利益や政策が異なりますから、それに応じた人材が送り出されることになります。商業地や住宅密集地の代表となる議員の主張する政策は、時として郊外地の議員の政策と衝突することもあります。 【議会政治のそもそも[11]】公明新聞2018.5.10
September 30, 2018
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民俗学者 川島 秀一 有明海 アンコウ網で捕る 海が生きていると思えるのは、シオが動いているからであり、人間が魚を捕ることができるのも、同じ理由からである。魚はシオと共に動いたり、あるいは魚によっては、逆にシオに向かって動くことを利用している。 例えば、シオの干満差を利用した漁業が有明海にある。佐賀県福富町のアンコウ網とは、深海魚のアンコウを捕る網のことではない。網の形状が、海底でアンコウが口を開けている様子に似ていることから、その呼称が生まれた。夏季にワラズボやシマエビを捕っている。 アンコウ網は、幅18メートル、深さ9メートル、長さ50メートルほどの大きな錨も目立つ。この錨を下ろし、潮流に向かって、アンコウが口を開いているように網を広げていく。アンコウの上唇に当たる部分がモウソウ竹で、海底で浮きの役割をする。下唇に当たる部分がカシの木で、錘の役割をするが、今は錨と同様にステンレス製になっている。 有明海は奥で最大約6メートルの干満差があり、その潮流の激しさを利用して河口で魚類を捕る、いわば、シオと共に動く魚を捕る優れた漁法である。 漁場は思い思いのところに定めるが、ガタ(潟)から沖へ向かって船が並び、網入れのタイミングを待って、操業を開始する。ガタに近い方は、網が壊れるリスクが少ないわりに魚があまり入らない。沖の方は、シオの流れが強く、網が敗れることが多いけれども、魚が入る。こちらの漁師さんは、網を何度か上げ始めてから、板子に座って網をつくろい続けることになる。15ミリ四方の網目が敗れることが多くなるからである。網の安全さを選ぶか、どこの網漁師でも、このようなジレンマを抱えている。 実際の操業は、アンコウの尻尾に当たる網の部分を上げて、結び目を解き、奥に溜まっていた魚類を船に下ろすわけである。浮きと一緒に揺れているモウソウ竹の近くは、干潮が激しくなると、白い波が立ち始める。 時間が経過するうちに、シオの流れは、早瀬のように速くなる。シオが引くにつれて、沖の代表であるシマエビから、ガタの代表であるワラズボが入り始める。時間を見計らってから、急いでアンコウ網自体を上げ、フルスピードで港へ戻る。ゆっくりしていると、シオが引いてしまい、港に着眼できなくなるからである。 有明海のアンコウ網は、動く海を相手にしている漁業である。そこには、生きている海と共に生きる漁師たちがいた。 【いのちの海と暮らす—2—】聖教新聞2018.5.10
September 29, 2018
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大聖人から「日蓮よりも強盛の御志どもあり」(御書1126頁)と讃えられた日眼女への御聖訓を拝したい。 「頭をふればかみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しすかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同1187頁) 経済苦や病気、介護、家庭の問題……現実には幾つもの悩みがあろう。 だが、一念を定め、題目根本に課題に挑む時、苦しみも悲しみも越え、必ず充実と歓喜の人生が開ける。思っても見なかった大福徳に包まれる。 これが「変毒為薬」の妙法であり、日蓮仏法の真髄である。 【随筆 永遠なれ創価の大城「五月の空に栄光の虹」】聖教新聞2018.5.10
September 28, 2018
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人間関係が苦手という人たちは、みんな人との距離のとり方がわからなくて悩んでいる。相手との関係に応じて、それにふさわしい距離をとるのが人間関係のルールだが、その距離感がうまくつかめないのである。いわば対人距離失調症である。 これはまさに精神分析でいうヤマアラシ・ジレンマ状況といえる。 ある寒い冬の日、凍えそうになったヤマアラシのカップルがお互いの身体を温め合おうとして身を寄せ合った。近づけば冷たい風を避けられるので温かくなる。そう思って近づいたら、お互いのトゲが相手を刺してしまうことに気づいた。痛くて飛びのくと、今度は寒い。そこで近づくと痛い。こんなことを何度も繰り返したあげくに、ヤマアラシたちは、お互いに傷つけあわずに温め合える適度な距離を保つことができるようになった。 これは哲学者ショーペンハウエルが描いたエピソードである。精神分析学者のフロイトが、このエピソードをもとに、ヤマアラシ・ジレンマという概念を精神分析に導入した。ヤマアラシ・ジレンマとは、人と人との間の心理的距離をめぐる葛藤とアンビバレンスのことである。 【「上から目線」の構造】榎本博明著/日経プレミアムシリーズ
September 27, 2018
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精神医学者土居健郎によれば、精神医学の用語のほとんどは輸入物だが、対人恐怖というのは日本で生まれた概念だそうである。対人恐怖とは、人と一緒にいると極度の不安と緊張にかられるため、対人場面を避けようとするノイローゼである。人からおかしなヤツと思われるのではないか、嫌われるのではないかと思いあまり、対人場面に出ていくのが怖くなるのである。 日本独自の心理療法である森田療法では、神経質に悩む治療に主眼が置かれたが、そうした治療実践の中で生まれたのが対人恐怖という概念であるようだ。神経質に悩む神経症患者には、赤面恐怖、視線恐怖、醜貌恐怖、体臭恐怖など、対人場面に発する症状に悩むものが少なくない。そのような対人場面に関係した恐怖症状が対人恐怖である(土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂)。 精神医学者木村敏も、対人恐怖症など日本的人間性の構造を反映した症状はないと指摘している。対人恐怖に相当する西洋語が存在しなかったことからも、そのメカニズムが日本独自なものであることがうかがえる。木村によれば、対人恐怖症の根本的な特徴は、患者にとって自分の価値が自分自身の内面から評価されるのではなく、もっぱら他者による外部からの評価の対象になってしまっているという点にある。自己とは単に相手によって知覚されている自己でしかない。このような人が自分自身を見いだすのは、常に相手の中においてであるという(木村敏『人と人との間』弘文堂)。 だが、対人恐怖に悩む人たちに限らず、人間の視線によって自己が規定され、相手の視線を通じて自己を発見するというのは、すべての人間に当てはまることであろう。 ただし、日本文化には「甘えの構造」が根づいており、(略)、自分はひたすら謙遜しつつ相手が配慮し評価し良きに取り計らってくれるのを期待して待つといった姿勢をとらざるを得ない。相手がこちらの期待通りに評価してくれるかどうかにすべてがかかっている。ゆえに、人からどう見られているかに敏感にならざるを得ないのだ。 それに加えて、日本文化においては、人と視線を合わせる習慣がないために、人から視線を受けることに慣れてないという事情も、人の視線が気になることの理由になっていると考えられる。 【「上から目線」の構造】榎本博明著/日経プレミアムシリーズ
September 26, 2018
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高校3年になり、大学進学を希望する息子に、父は「駄目だ」の一点張り。当時、心臓を患う母の治療費がかさみ、タクシー運転手の父が働けど働けど家計は火の車だった。だが諦められず、泣いて訴えると父は言った。「うちみたいな貧乏人、弱い人のための医者になれ」。息子とは、医師で作家の鎌田實さんである(『一個人主義』KKベストセラーズ)。 医師となった鎌田さんは地域医療に従事。難民キャンプで診察するため海外へも飛んだ。父の言葉通り、貧しい人や病める弱者に尽くす生き方を貫く。 広布草創期、学会は“貧乏人と病人の集まり”とやゆされた。だが一人一人が現実の苦悩に挑み、変毒為薬し、自他共の幸福を築いたからこそ学会は“人類の希望”となった。 御聖訓に「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(御書1190頁)と。逆境が当然と捉えれば、どんな試練も幸せの因にして見せると腹が決まる。これが逆に“よからんは一定”であれば大変である。憂き目にいちいち動揺し、信心に不信も起こしかねない。 鎌田さんの自著の題名に「あきらめない」という言葉をよく使う。本人の信念を表すキーワードでもあろう。断じて諦めない——その強い心が一切の勝利への扉を開く重要な「鍵」である。 【名字の言】聖教新聞2018.5.8
September 25, 2018
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リーダーは、愛情をもって部下に接していかなければなりません。これは、決して溺愛するという意味ではありません。「小さな愛」(小善)ではなく、「大きな愛」(大善)により部下を教育していかなければないのです。 たとえば、親が子供を甘やかすあまり、子供は自分では何もできないようになってしまい、成長するに及んで人生を誤ってしまうということがあります。前者を小善、後者を大善と言います。 職場においても、さまざまな上司がいます。その中には、やさしくて、部下の意見をよく聞き、自由に仕事ができるようにしてあげる上司もいます。また、非常に厳しい上司もいます。 もし、信念もなく、ただ部下に迎合している上司ならば、長い目で見て決して組織のためになりません。部下に甘い上司というのは、人気はあるかもしれませんが、その気楽さは部下をだめにしていくはずです。長い目で見れば、目標を課し、規律をもって鍛える厳しい上司によって、部下ははるかに伸びていくのです。 「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」という言葉があります。小善をもって部下を導いていくリーダーは、つかの間の名声や成功しか手にすることはできないのです。 【成功への情熱】稲森和夫著/PHP文庫
September 24, 2018
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自分が変えるつもりがあるかどうかも、経験の吸収力を大いに左右する。変化を恐れるか、恐れないかと言い換えてもよい。 変化を恐れるタイプは、何度失敗しても自分のやり方を変えようとしない。だれかが親切でアドバイスしても聞く耳を持たない。 「これまでの自分のスタンスを大切にしたい」 と言ったり、 「自分のやり方にこだわりたい」 と言ったりして、新たな視点を取り入れようとしない。そんな守るべき大層な自分って何なのか、そんなところで成長を止めてしまってもよいのか。変化を恐れないタイプからすれば、このように疑問をつきつけたくなるところだ。 変化を恐れないタイプは、周囲から影響を受けることを恐れない。ゆえに、失敗するたびに何かを学び、それをもとにパワーアップし、進化し続けることができる。かつて社会学者リフトンが、変動の激しい時代の敵者として提起したプロテウス的人間のように、経験を糧にして自分自身を変化させることで、環境に適応すると同時に自分の可能性を開発していける。 プロテウス的人間というのは、自分の姿を恐ろしいヘビ、ライオン、竜、火、洪水などに変幻自在に変えることはできるが、自分自身の真の姿を現すことができないギリシャ神話の海神プロテウスからリフトンが名を借りたものである。 今の自分にこだわりすぎないため、防衛的にならず日々の経験に開かれている。ゆえに、経験からいろいろと学んで発展し続けることができる。そんなイメージである。 【「上から目線」の構造】榎本博明著/日経プレミアム
September 23, 2018
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物質には可燃性、不燃性、自燃性という基本的なタイプがあります。 可燃性のものは、火を近づけると燃え始め、不燃性のものは火中に投じても燃えず、自燃性のものはひとりでに燃えだします。 同じ分類が人間にもあてはまります。何か価値のあることをやり遂げるためには、自燃性の、自ら進んで事をなす人間でなければなりません。なぜなら、熱意と情熱こそが物事を成就させるにはなくてはならぬ基本的要因だからです。 不燃性の人は、才能があっても、ニヒルで感受性に乏しく、感情がありません。 能力があっても、何も成し遂げられない人なのです。可燃性の人は、少なくともやる気のある人に囲まれている時は、自分もやる気になるのです。火のそばにいる時だけは、燃えるのです。 事業を行ううえで、本当に必要な人は、自燃性の人、つまり、自らのエネルギーで燃え上がることのできる人です。そういう人は、自分も燃え、周りの人たちにも自分のエネルギーを与えることができるのです。 自らの情熱の炎で、他の人たちを包み込まなければなりません。 【成功への情熱】稲森和夫著/PHP文庫
September 22, 2018
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情熱は、成功の源となるものです。成功させようとする意志や熱意、そして情熱が強ければ強いほど、成功への確率は高いのです。 強い思い、情熱とは、寝ても覚めても、二十四時間、そのことを考えている状態です。 実際に二十四時間考え続けるのは不可能でしょう。しかし、そういう意識を持ち続けることが大事なのです。願望はいつしか潜在意識に透徹し、寝ても覚めてもそのことに、意識を集中し続けることが、成功への鍵なのです。 【成功への情熱】稲森和夫著/PHP文庫
September 21, 2018
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これまでの人生を通して、未来を予見する一番良い方法は、今日を真剣に生き、明日は今日の努力の延長であると思うことだ、と私は信じてきました。もし明日という日が自分の思いどおりになってほしいなら、なすべきことを確実に遂行していくしか、方法はないのです。 私たちは決して悩みから解放されることはありません。しかし最悪の時でさえも、明るさを失わず、明日に希望を持つように努力することはできるのです。 【成功への熱意】稲森和夫著/PHP文庫
September 20, 2018
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私は、対話とは「聞く力」だと考えます。池田会長との語らいも、婦人部の皆様との交流も、「聞く」行為に満ちていました。 相手は何を語るのか。それが自分に何をもたらすのか。そんな好奇心と興味にあふれた経験でした。相手を決めつけたり、自分が不安になる必要もない。そうした空間をつくることが、全ての女性に「声」を与えることになるのです。 また対話とは、「分かち合う力」ともいえます。自身が悩みを打ち明けるこそ、周囲からアドバイスをもらうこともできます。新の人間関係を築く上で、これはとても重要です。 こうして対話は、「協働作業」となるのです。対話し、共に課題に向きあった時、すでに私たちは、協力して何かを生み出しているといえるでしょう。 そして最後に、対話とはそれ自体が目的であり、価値の創造であると訴えたいと思います。「教える側」と「教えられる側」に分かれるものではなく、形ある答えに到達する必要もないのです。 あなたの話を聞き、人生豊かにする、そんな、心と心の交流です。 そうした対話の先頭を行く、婦人部の皆さまに心から敬意を表します。そして今後とも、「女性の世紀」を築きゆく活動を、共に続けていけることを念願しています。 【5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集】聖教新聞2018.5.4
September 19, 2018
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先日、仕事帰りにご無沙汰をしているTさんを訪問した。 自分より20歳も上の年齢差のある壮年の方だ。 取次の奥さんに、「Tさんはいらっしゃいますか?ちょっと話を聞いてほしいと思いまして」と、少しへりくだった訪ね方をしたのは、年齢の差もあるが“うるさ型の人”であるからだ。このTさんに対する私の印象はステレオタイプなのかもしれない。 快く受け入れられた。 久闊を叙し、しばし世間話。 ご無沙汰をしているので、お身体の具合などを尋ねた。 Tさんは「あかん、肺がんステージ4や」 衝撃が走った。わたしはどんな顔をしてよいのかわからず、絶句。重病やないか。 しかし、元気なのだ。抗がん剤も適応し徐々に回復に向かっていると話された。 Tさんの言葉の中に、強がりでないなにか“達観”されている様子が感じられた。 しかし、学会員がよく口にする“病気と戦う”とか、“確信”とかの話ではないのだ。 なんかこう、開き直りとかいうか、人間自体の力が感じられ、感動を覚えた。 また、訪問すること告げ、T宅を辞した。 とはいえ、地区内のメンバーが罹病しておられるということは、世間話ではすまされない。 僕は躊躇しながらも、地区婦人部長にラインメールをおくった。 躊躇したというのは、壮年部のわたしが地区婦人部長に報告をするということにである。 しかし、地区婦人部長は地区のお母さん的存在だからと思い、報告をした。 それが間違いであったのか、悩みをつくったのかもしれない。 地区婦人部長から返信が来た。 概略「TさんもFH(わたし)に話を聞いてもらって、すっきりしたことでしょう」と。何気ない文章かもしれない。 わたしはその文章に違和感と、不快感ともいえる感情を覚えた。 ひょっとして、地区婦人部長はTさんの病気のことを知っているのではないか。Tさんが肺がんということに衝撃を覚えたわたしの気持ちを、はぐらされたというか、期待していた言葉がなかったので、かなり複雑な気分である。 昨年の年末に、Tさんを訪ねた折、ちょっと熱を出して検査入院をしたと奥さまからきいた。 そのことを地区婦人部長に「壮年部のことですが…」と報告をした。地区婦人部長は「それとなしに奥さんを訪ねてみます」とのことだった。 地区婦人部長は、訪ねた折、Tさんの病気のことを知っていたのだ。愕然とした。 今から約9カ月も前に、知っていたのだと思う。 また、地区婦人地区婦人に電話で確認しても、知っていたという。 どうでもいいことかも知れない。愚痴かもしれない。かもしれないではなく、愚痴だ。 複雑な気分だ。知っていればわたしに知らせてほしかった。Tさんの病気のことを個人情報だと守秘義務で知らせなかったのかもしれないが、創価学会は、そうではない。地区の主要メンバーだけには言ってほしい。苦悩を共有して祈ることができないのではないか。とくに壮年部のことでもある。 「FHさんに話を聞いてもらって。Tさんもすっきりしたことでしょう」という上から目線オーラは何なのか。そう感じるわたしが極めて心が狭いのか。さびしさを感じるとともに、非常に悩む次第である。 近ごろ、とくに多いな~。組織的な信心が。 組織の成果に行き詰るときは頼みに来る。わたしも単純なので、結果を出そうと精いっぱい努力してきたつもりであるし、多少なりとも貢献してきた(自分のためでもあるが)。 だが、肝心なことはスルー、運営のことはガン無視。 地区協議会等で、メンバーの近況情報を共有しようとよく地区婦人部長はいう。それは、自分に情報を提供せよということなのか。そこに、マターを感じるし、隠匿された“上から目線”を感じるのはわたしだけでしょうか。 Don't let me down あまりにも さびしき心境を ここに記す。 ともあれ、今より“一人立つ”精神で生きることを決意する。 2018.9.18早暁
September 18, 2018
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青空を悠々と泳ぐこいのぼりのイメージが強いが、幼い頃、鯉が泥水でもすめる魚だと知り驚いたことがある。 生命力が非常に強く、寒さにも負けない。陸に揚げられても、長時間、生きられる。「淡水魚の王様」と呼ばれるゆえんだろう。そのたくましさは、中国の有名な故事「竜門の滝」にも描かれる。「竜門と呼ばれる滝を登り切った鯉は竜になる」という、立身出世を象徴する伝説だ。 滝の落差は300メートル以上。流れは、放たれた矢よりも速い。それ以上、漁師や飢えた鳥たちから命を狙われる。日蓮大聖人はこの故事を通して「仏になるみち(道)・これにをと(劣)るべからず」(御書1560頁)と仰せだ。困難に負けず、人間として向上し続けることは、それほど難しい。 (略) 子らに示すべきは“栄誉栄達”への登竜門そのものではない。利害損得の渦巻く社会にあって、「何のため」の理想を忘れず、人間性の高みへ登り続けることの美しさである。たくましい鯉のように。 【名字の言】聖教新聞2018.5.4
September 17, 2018
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勝海舟が15歳の少年に「これからの日本は世界を相手に伸びて行かねばならん」と語り、「日本を背負って立つような人物になりなされ」と励ました。 頬を紅潮させたその少年は“柔道の父”加納治五郎(戸川幸夫著、小説『加納治五郎』より)。後に、日本人初の国際オリンピック委員会の委員となり、1940年大会の東京招致をめざした。対するヘルシンキ(フィンランド)などが圧倒的に有利な中、東洋の日本で開催されれば、五輪が欧米のものから世界的な文化になると粘り強く訴え、東京大会が決まった。 このときは、日中戦争の泥沼化で“幻”となったが、加納なき後の64年東京五輪では、柔道も正式種目となる。やがて、柔道を「国際的な体育として世界中の人が、できれば男子だけでなく、女子も、老人も子供も親しんでやるようにしたい」(同小説)との加納の思いも現実に。 加納と同年代の新渡戸稲造は自著『武士道』で、勝海舟が物情騒然の時代に再三、命を狙われながら、「一度も自分の剣を血で濡らすことはなかった」として、「武士道の究極の理想は平和であることを意味している」と論じた。 武術としての柔術を進化させた加納の柔道も「自他共栄」を旨とする。彼が没したのは、80年前のきょう。再来年には、若者が世界へ伸びゆく「平和の祭典」が再び東京に来る。 【北斗七星】公明新聞2018.5.4
September 16, 2018
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どうなるかわからない将来を心配するよりも、今日を大事に生きることのほうが、私にとっては大切なのです。 今日を懸命に生きれば、結果として、かなりの正確さで明日が見えてくると明言できます。 そして、将来をどのように変化していくかを推測できるようになってくるのです。 一日一日を懸命に生きれば、未来が開かれてくるのです。正確に将来を見通すということは、今日を努力して生きることの延長線上にしかないのです。 【成功への情熱】稲森和夫著/PHP文庫 「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(開目抄、231頁)
September 15, 2018
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人より優位に立ちたいという思いが強いのに、現実にはなかなか優位に立てない自尊のない人物が、相手の上から目線を過度に気にする。 ◇ 自信がないため、人からどう見られるかが、やたら気になる。人の目線を過剰に意識する。そして、尊大な態度で自分を誇示しようとする。 ◇ 熟成した人間はコンプレックスに振り回されない。ゆえに、自分の力を誇示したり、偉そうな態度をとろうという衝動が湧きあがらない。 ◇ 甘えが強い人は被害者意識を持ちやすい。 【「上から目線」の構造】榎本博明著/日経プレミアム
September 14, 2018
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(同じレベルの能力をもっていても、失敗する人と成功する人がいる。その差は何か) その違いは、粘り強さと忍耐力です。失敗する人は壁につき当たった時、突破できないものとはじめから決めてかかっているのです。こういう人は壁につき当たった時、ごく体裁のいい口実を見つけて努力を止めてしまうのです。 たとえ実現不可能だと思える、やり遂げるため粘り強く、真面目に努力を続けなければなりません。 自分の中にある既成概念を崩さなければならないのです。「ここまでしかできない」といった頑固な固定観念をもっていると、壁を破り、一線を越えて成功に至ることができなくなります。 より粘り強い性格が形成され、その粘り強さがさらに大きな成功へと導いてくれるのです。 【成功への情熱】稲森和夫著/PHP文庫
September 13, 2018
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毎日悩み苦しんでいると、ある瞬間に、まるで神の啓示のように、アイデアが心にひらめきます。これは逆境に勇敢に立ち向かい、人間として何が正しいかを問い続けて仕事に没頭している時に、神が与えてくれる霊感(インスピレーション)だと思っています。 ◇ 現時ではとうてい実現不可能だと思えるようなことを何とか成し遂げようとする努力からのみ、驚くような成果が生み出されるのです。 【成功への情熱】稲森和夫著/PHP文庫
September 12, 2018
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人間の脳は、強く望めばそれを可能にする力を持っているのです。 * とくに脳は苦しくなると自己保存の本能が働いて苦痛を避けようとする。 * 人間の脳は自分にとって都合のよい方向に働きやすい。 * 先入観にはとらわれないでください。思い込みは勝負の大敵です。 日頃鍛えておくべきは自分に都合の悪いことも直視できる力です。 * 結果を意識するのではなく、それを達成するために必要な技、作戦に気持ちを集中させる。 【<勝負脳>の鍛え方】林成之著/講談社
September 11, 2018
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専修大学法学部教授 岡田 憲治 ■政府の活動を精査する権限 政府は国政について、おのおのの政策や現況、法やルールの決定過程や手続きなどを示す資料を、法律で別個に定められている特定秘密以外は、公開しなければなりません。メディア、ジャーナリスト、そして学者は、独自の調査に加えて、そうした行政情報を活用して、政府の活動をチェックしています。「事実に基づいて政策過程を精査する」という仕事は、立件民主主義の基本です。 憲法は41条で「国会は国権の最高機関」と定めています。これは選挙で選ばれた議員の集まる国会が決定することが他のいかなる決定よりも高位にあるという、国民主権の原則です。ですから国会にこそ、政府の活動を徹底的に精査する権限が与えられているとすりことができます。この権限を「国勢調査権」と呼びます。 憲法は62条において「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と明文化しています。また66条3項で「内閣は行政権の行使について、国会に連帯して責任を負ふ」と定めています。ですから国会の資料提出要求と審議に、政府は誠実かつ最大限に対応しなければなりません。 国会の会期中でない時にも、資料を提出させ、調査や審議をする必要があるならば、その時は53条によって内閣は臨時会の召集を決定することができます。いずれかの議員の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければなりません。国会が審議を通じて、政策が法に沿って執行されているかを調査すること自体が、法律を作ることと並ぶ国会の役割だからです。 このことは、民主政治を支える政策や決定が「事実」に依拠して行われ、それを検証し、記録を残すことが不可欠であることを示しています。民主政治は人間の持つ不可避の条件としての過ちと失敗を前提としているからです。 多種多様な政策領域を対象とせざるをえない現代の政府は、常に不完全情報の下での決定を下さねばならない宿命を抱えています。だから政府は、己の活動を失敗や未熟さも含めて正確に記録しなければなりません。そうしないと、次世代の政治家や官僚、有権者に伝え、後の時代に修正と改善することができないからです。国政の記録は、事実に依拠して残さないと、「そんなことは存在していなかった」となってしまうからです。 政治家も官僚も、自分たちは間違えないという幻想の呪縛を解いて、「誤りを記録することで民主政治の水準を維持する」と考え、国権の最高機関の持つ機能を死守せねばなりません。 【議会政治のそもそも[10]】公明新聞2018.5.3
September 10, 2018
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丸坊主の男が、しま模様のどてら姿で腕を組み、人懐っこい笑顔を浮かべている。仙台を訪れたことのある人ならば、その写真に見覚えがあるかもしれない。福の神こと「仙台四郎」だ。 四郎は江戸末期から明治にかけて仙台に実在した人物である。知的障がいがあったが、いつもニコニコしながら街を歩いては、勝手に店の前を掃除したり、水まきをした。立ち寄った店は繁盛し、抱かれた子どもは丈夫に育つといわれ、四郎は「商売繁盛の福の神」と噂された。 一方、四郎をいじめた店は没落したとの伝説も。心の純粋な四郎が誠実な商人を見分けたことも、わけ隔てなく接客する店がはやったとも解される。古来、日本には「障がい児が生まれた家は栄える」との福子伝説があった。障がいのある子どものため、家族が力を合わせて働くから、福を呼び寄せたように見えたという。 翻って現代、知的障がい者らから、子どもを産み育てる権利を奪う法律が、つい22年前まで存在していた。“不良な子孫の出生防止”などを目的とした旧優生保護法だ。障がいを理由に不妊手術が行われてきた事実に目を背けてはならない。 旧厚生省が自治体へ手術を促したが、背景には社会の障がいへの偏見や差別があった。悲劇を繰り返さぬために肝に銘じたい。命に優劣のないことを。 【北斗七星】公明新聞2018.5.2
September 9, 2018
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文芸評論家 持田 叙子 山笑う、という季語がある。 山が人間に向かって、にこにこしている感じ。冬のあいだは人を厳しく拒んでいた山が、こっちにおいでよ、と誘う感じ。ちょうど今頃、新緑のきれいな山の優しい表情を表すことばである。 冬は凍っていた山に、多彩な花が咲く。山桜、藤、蓮華つつじ。平地から遠く、そんな山の神秘的な花々をながめていると、山が恋しくなる。 山へ行く、といっても険しい名峰をきわめることには限らない。むしろ日本人は昔から、天気のよい日にふらっと近くの里山をあるくことで気晴らしをしてきた。 先日も信州で会った中年の男性が「こんな晴れの日は仕事なんかしたくないよなぁ」と大きなため息をつく。「山へ行きたい」とつぶやく。 「アルプス登山?」と言うと、笑われた。そんな大げさじゃない、家の裏の山を歩くんだ、鳥の声を聞いて心をすうっとさせるんですよ、と教えてくれた。すてきなリフレッシュ法だと感心した。 みどり匂う季節にいい本が出た。池内紀(おさむ)氏が編集した『ちいさな桃源郷』(中央文庫)。山を語る33編のエッセイがおさめられる。 登山記というより、ぶらぶら山を歩く散歩記が多い。村や里の暮らしの匂いがする。そこがいい。執筆陣も多彩。作家もいれば、旅行家や学校の先生、画家もいる。 庄野英二は老いて「天涯孤独の身」になったら、防水服と洗面器と蚊帳だけしょって、山を旅すると息まく。西丸震哉は、地図にも記されない小さな「カッパ山」を愛する。こんにゃく作りのさかんな甲州の山村を行く記も忘れがたい。 日本は山国。私たちはわずかな平地に住む。まだまだ未知の山が多い。そこにはどんな神秘と不思議があるのだろう。まずは、近くの山里に深呼吸しておこう。 【言葉の遠近法】公明新聞2018.5.2
September 8, 2018
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対話は、権威や立場といった衣を脱ぎ捨てて、率直に、自由に、あらゆる問題に踏み込んで、双方が主張をぶつけ合ってこそ、実りあるものとなる。また、初めに結論ありきという姿勢ではなく、柔軟に、粘り強く、何度でも語り合っていくなかから、新しい道が開かれていくのである。 【小説「新・人間革命」誓願31】聖教新聞2018.5.1
September 7, 2018
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2001年5月23日:朝日新聞『私の視点』 私の視点 創価学会名誉会長 池田 大作 【教育基本法――見直すより大いに生かせ】 「艱難(かんなん)に勝(まさ)る教育なし」――ギリシャの箴言(しんげん)と記憶している。 教育は観念ではない。頭脳だけでもない。実践であり正義である。「人格の向上」と「社会の繁栄」と「世界の平和」の源泉こそ、教育の本義であると私は思う。 かつて内村鑑三(うちむら・かんぞう)は、近代日本の教育が “ 艱難を避(さ)ける方法 ” を授(さず)け、才子(さいし)ばかりをつくっていると嘆いた。教育は “ 艱難に打ち勝つ力 ” を育(はぐく)むものでなければならない。 昨今、教育改革が政治日程に上るなか、小泉政権の下でも「教育基本法」の見直しが論議されている。 私自身は、拙速(せっそく)は慎(つつし)むべきであると考える。基本法の眼目(がんもく)である「人格の完成」など、そこに掲(かか)げられた普遍的な理念は、教育の本義に則(のっと)ったものであり、新しい世紀にも、十分、通用するからだ。 たしかに、基本法がうたう「人格」や「個性」は抽象的(ちゅうしょうてき)だという指摘もある。しかし、憲法に準ずる基本法の性格を考えれば、抽象性ゆえの普遍性(ふへんせい)は、むしろメリットとして、大いに生かせるのではなかろうか。 第一に、「グローバリゼーション(地球一体化)」は、とどめようのない時流である。 そこでは、国益と同時に人類益への目配(めくば)りが欠かせない。普遍的かつ世界市民的な視野を養(やしな)うことが、ますます重要になる。 第二に、「教育勅語(ちょくご)」に盛(も)られたような具体的な徳目(とくもく)は、基本法の正確になじまないと思う。法文化されれば、必然的に権威主義的な色彩を帯(お)びてしまうからだ。 現代は、あらゆる既成の権威が色あせ、家族という人類最古の共同体までも “ ゆらぎ ” に直面している。その底流を直視せずに、教訓的な徳目を並べても、復古調(ふっこちょう)の押しつけとして反発されるだけである。 もとより私は、日本の歴史や伝統文化を軽んずるのではない。逆である。 軍部権力と対決して獄死(ごくし)した、ある卓越(たくえつ)した教育者は「慈愛、好意、友誼(ゆうぎ)、親切、真摯(しんし)、質朴(しつぼく)等の高尚(こうしょう)なる心情の涵養(かんよう)は、郷里(きょうり)を外(ほか)にして容易(ようい)に得(う)ることはできない」と述べた。 地域や郷土に根ざした固有の文化や伝統を尊重してこそ、豊かな人格の土台も築かれる。 ただ、そうした心情の涵養、人格の形成は、外からの「押しつけ」ではなく、徹(てっ)して「内発的(ないはつてき)」に成されるべきである。 周知のように、基本法は、アメリカのデューイの教育哲学と親近している。デューイも内発的な精神性を重視し、それを引き出すものこそ教育であり、「人間は、教育によって人間となる」と断じた。「内発」こそ、教育改革のキーワードでなければなるまい。 私自身、教育を生涯の事業として取り組んできた。すべての子どもの生命にある「伸びゆく力」と「創造力」を開発させるのは、やはり教育の現場、また家庭や地域における、人格と人格の触発以外にない。 目指すべきは「教育のための社会」である。社会のために教育があるのではない。教育のために社会があり、国家がある。発想を大きく転換して、21世紀こそ、子どもたちが「生きる歓(よろこ)び」に輝く世紀としていきたい。 大胆(だいたん)に改革を提唱する小泉純一郎首相も、教育に関する発言は、まだ少ないのではないかという印象を、国民は受けている。 未来のために最も重要であり、世界の平和と文化の創造の根本であり、人間が人間として幸福になるための真髄(しんずい)である教育を、ぜひ、忘れないでいただきたい。
September 6, 2018
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最近、私が観て感動した映画があります。『シンデレラマン』という題名で、伝説のボクサー、ジム・ブラドックの生涯を描いた作品です。一介のストリートボクサーだった彼が波乱万丈の人生をたどりながら、最後に勝てるわけがないといわれた試合に奇跡的な勝利をおさめて世界チャンピオンになるまでの実話をもとにした映画です。監督は『ビューティフル・マインド』でアカデミー作品・監督賞を受賞したロン・ハワード、主演は『グラディエーター』でオスカーを獲得したラッセル・クロウ。一八キロも減量したクロウは、ジム・ブラドックのリング上の癖や独特の戦術などすべて頭に叩きこんだうえで撮影に臨んだそうです。 もちろん「勝負脳」という言葉は私の造語ですから、この映画のスタッフが知っているはずもありません。しかし、ここまでこの本を読んでくださったみなさんがご覧になれば、主人公が奇跡を起こせたのはまぎれもなく勝負脳のおかげであり、人生のピンチにおいて勝負脳がいかにすばらしい結果をもたらし、ときに大きな感動を生みだすかを確認できると思います。 これから映画を見る読者の興をそがないよう、ここでは彼がどんな勝負脳を使った要件だけを紹介します。 ジム・ブラドックがいよいよ世界の頂点に手が届くまでに勝ち上がってきた頃、ものすごいKO率を誇るハードパンチャーの選手が現れ、彼はその選手と世界チャンピオンをかけて戦うことになりました。大方の予想は、パンチ力や戦歴からみて戦う前から勝負は決まっている。ジムは殴り殺さなければいい、といったものでした。さて試合が始まると、ハードパンチャーの選手はいつでもKOできるといった余裕を感じさせながらゆっくりと間合いをつめていきます。これに対して、ジム・ブラドックのコーチは勝負脳を使った作戦を立てたのです。それは、全力を先制攻撃に集中させてポイントを稼ぎ、その後は足を使ってかわしきるという策でした。 試合前から十分に体を動かしていたジム・ブラドックは、初めから集中力を全開にして先制攻撃を仕掛けます。この作戦はみごとに当たり、いいパンチがいくつもあたって五ラウンドあたりまではポイントでリードする試合展開になりました。ところが、相手も中盤からは本来の力を発揮しはじめ、徐々に強烈なパンチを繰り出すようになります。追い込まれたジムは、それでも足を使ってなんとか逃げきろうとしますが、最終ラウンドでは誰の目にも逆転は必至、というよりノックアウトが濃厚な状況になってしまいます。 まだポイントでは二点ほど勝っている。「逃げろ!」とコーチは最終ラウンドも絶叫しながら指示を出します。しかし、その作戦は誰の目にも難しいと映る状況でした。相手は勝利を確信し、ライオンがウサギを追いつめるように攻めてきます。 ところが、ここで今度はジム・ブラドック自身が、勝負脳を駆使した奇策を編み出すのです。すなわち「攻撃へ攻撃を仕掛ける」作戦です。 強打の相手だけに、パンチを出してきた瞬間には隙が生じる。打たれても倒れさえしなければ、自分のパンチが当たるかもしれない。そうすれば勝負はわからないと考えたジムは、一転して真っ向から相手がもっとも自信を持っている打ち合いの勝負に出ます。度肝を抜かれたのはコーチばかりではありません。いままで逃げ回っていた相手が突然、自分の得意な打ち合いにきたのですから、自信満々だった相手の選手も驚きました。見ていた観衆は思わぬ展開に感動し、ジムに声援を送りはじめます。場内のムードが一変するなか、それまでは追い掛け回していた相手はいきなり打ち合いにガードがうまくできず、ついには打ち負けてしまうのです。これが、奇跡といわれたジム・ブラドックの勝利のあらましです。 【〈勝負脳〉の鍛え方】林 成之著/講談社現代新書
September 5, 2018
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小説『人間革命』『新・人間革命』を貫く主題は、ご存じの通り、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換も成し遂げ、さらに全人類の宿命をも可能にする」であります。 この「宿命の転換」というテーマについては、20世紀最大の歴史家であるトインビー博士とも語り合いました。 個人にも思いもうよらぬ苦難や試練がある。社会にも、あまりにも悲惨な災害や貧困、暴力、分断、対立、紛争等々がある。博士は私に問いかけられました。 ————人間は、それらを「宿命的」と言って諦めるしかないのか。それとも宿命は変えることができるのか———— 私は「因果は瞬間瞬間に動いていく。常に自身の宿命転換、社会変革への強い生命力を最大限に引き出していけるのが人間革命の哲理です」 「イエス! イエス!」 と目を輝かせ、大きくうなずいて賛同してくださった博士の笑顔が、45星霜を経た今も、鮮やかによみがえります。 宿命は、必ず変換できる。断じて使命に変えられる————小説でも随所につづった通り、まさに、わが創価の父母たちは、宿命転換の人生を晴れ晴れと価値示してきた、厳然たる証明者ではないでしょうか。 なかんずく、家庭で職場で地域で、何役も務めながら、早朝から配達を遂行してくださっている「無冠の友」皆さま方こそが、一人も漏れなく「人間革命の勝利劇」を飾られ、そして愛する郷土から人類の宿命転換への希望の光を放ちゆかれることを、私は確信してやまないのであります。 【本紙創刊67周年を記念 無冠の友へのメッセージ】聖教新聞2018.4.30
September 4, 2018
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仏になることは確定したが、まだ仏になっていない状態の釈尊を何と呼ぶかということで、覚り(bodhi)と人(sattva)をつなげてbodhi-sattava(菩提薩埵、略して菩薩)とし、「覚りが確定した人」という意味の言葉ができたのです。 これに対して、紀元前後頃、菩薩という意味を塗り替える動きが興ります。すなわち、bodhi-sattavaを「覚り(bodhi)を求める人(sattava)」と読み替え、覚りを求める人はだれでも菩薩であると考える大乗仏教が興ったのです。小乗仏教では菩薩と呼べる存在は釈尊と弥勒(マイトレーヤ)だけでした。それをあらゆる人間に解放したわけです。 しかし、大乗仏教が興ったからと言って小乗仏教がなくなったわけではありません。勢力としてはむしろ小乗仏教の方が大きく、大乗の方はまだ小さな勢力でした。こうした大小並存の時代の中で、まず、大乗仏教の側から小乗仏教の出家者たちを痛烈に批判する『般若経』が成立します。そして紀元一〜二世紀頃には、保守的で権威主義的な部派仏教を糾弾する『維摩経』が成立しました。 こうした流れに対し、紀元一〜三世紀頃、小乗と大乗の対立を止揚(アウフヘーベン)する、対立を対立のままで終わらせず、両者を融合させてすべてを救うことを主張するお経が成立しました。それが『法華経』なのです。 【100分de名著「法華経」】植木雅俊著/NHKテキスト2018年4月
September 3, 2018
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日本貝類学会名誉会長 奥谷 喬司 小学生の夏休みの自由研究で、貝を海岸から拾ったり、キャンプ場で採ったりすることから貝に魅せられてコレクションが始まる。昭和天皇も貝類がお好きなことはよく知られていて、多くの献上品もあったが、その中心コレクションは自ら相模湾で採集されたもので、遂には「相模湾産貝類」という一地域の貝類図録としては、学術的レベルの高さといい、ボリューム(和文・英文等合わせて1301頁+242図版)といい空前の出版物となった。 この“天皇の本”の主著者となったのは黒田徳米博士(1886~1987)で、黒田博士を助けたのは波部忠重博士(1916~2001)と大山桂博士(1917〜1955)という当時の貝類分類学の最高峰3者の共著で、この本には30の新属・亜属、104の新種・新亜種が記載されている。 黒田博士は1913年、私財を投じて京都に貝類博物館を建てたり、「貝類雑誌」を発行するなど貝類研究の普及と発展をはかった平瀬與一郎(1859〜1925)の奉公人として15歳の時雇われたが、遂には京都大学を経て日本を代表する貝類学者となり、1928年に、のちに日本貝類学会となる貝類研究会を創立した。黒田博士は生涯に100の新属・650新種を記載したが、驕り高びることなく自らを「貝のしもべ」といい、その学識と高潔な人格を仰ぐ後進には「貝聖」とさえ呼ばれている。 第2著者の波部博士は京都大学で黒田博士と机を並べて黒田博士から貝類学の多くを学び、戦後GHQ(連合軍総司令部)にいた貝類学者のスケンク博士などの肝煎りで編纂された「日本近海産の貝類全種の索引と文献評」(1952)の共著者となった。九州大学を経て国立科学博物館に移り、瀧巌のあと第4代の学会長を16年勤めた。波部博士は人脈の広さから多くの人から同定標本の提供を受け、また自身も元気に諸所に貝類採集に赴き、生涯に1300を超す新種・新属などを記載した。日本近海と陸・淡水を合わせるとおよそ6500種と見積もられるから5種のうち1種は波部博士が新種法記載したものという計算になる。 第3著者の大山桂博士は日露戦争で大功を樹てた公爵大山巌元帥の孫という名門の出自。地質調査所に勤務した化石貝類学者であったが、現生貝類の分類にも精通した大家であった。 上記3人の学者はそれこそ貝類に魅せられた生涯を費やしたと言えるが、このような貝類学者には、貝類コレクターが入手した標本の同定を求めてくるのが常で、それらの中には研究者の目の届かなかった新種も多数見つかる。黒田博士の時代に次々と新種を提供したのは、京都在住の画家・寺町昭文氏(1898〜1978)で、テラマチダカラ、テラマチオキナエビスなど氏に献名された珍稀種が多数ある。近代貝類学の芽は平瀬——黒田のいた関西圏から生じたため、この方面にも多くのコレクターがおり、代表的な一人は住職で学校長の吉良哲明氏(1888〜1965)で、新種を含む大きなコレクションを持っていたばかりでなく、それを用いて原色貝類図鑑も著した。 黒田から波部時代にかけて多くの標本を提供し、なかから多くの新種が発表されたのは、当時日本最大のコレクターと言われていた、JCBの創立者・河村良介氏(1898〜1993)で、カワムラハデミナシ、カワムラカセンなどの献名された貝が多くある。また、鳥料理店の主人・櫻井欽一氏(1912〜1993)も研究者に多くの標本を提供し、自らも新種の記載をしている。 こうして、近代の貝類学は貝に魅せられた研究者と貝に心奪われたコレクターとの密接な連携で発展・進歩してきたといえようか。 (おくたに・たかし) 【文化】公明新聞2018.4.29
September 2, 2018
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民俗学者 川島 秀一 沖縄県の宮古諸島には、宮古本島の周辺に池間島・伊良部島・来間島・大神島が点在している。大神島を除いて、これらの島に橋が架かったのは、池間島が早く、1992年のことである。その後、来間島にも橋が架かり、3年前には伊良部島ともつながった。 これらの橋を渡るときに、海が一番、美しいのは、池間大橋のような気がする。橋の下で刻々と変わる潮流の変化が、コバルトブルーを基調としたさまざまな色合いを動かしている。 この池間島に生まれ住む伊良波進さん(昭和6年生まれ)は、沖縄県で現在3人しかいない「名誉指導漁業士」という肩書を持つ名漁師である。銛を片手に潜水漁にも長けているインシャー(漁師)であるとともに、カツオ一本釣り船、吉進丸の船長(船頭)でもあった。 彼は近年、B5判のルーズリーフノートに海に関するさまざまなことを書き留めている。「地球は最大の丸いもの、そして次に大きな丸いものは海であろう。島影の見えない大海原で四方八方見渡しても海には角がない」 海を丸く感じているのは漁師だけだろうかとも思えるような表現である。 「海は地球上で一番大きい生きものである。また、心がとても広いのである。陸からの汚れを流しても愚痴一つこぼさず、波を立て、流れを出して、綺麗にした後、ベタと凪で静かになる。海はすばらしい大きな生きものであると考えて間違いないだろう」 海に「心」があり、それは常に「流れを出して」いることが生きている証左であった。絶えずシオ(潮)の流れを感得できる、沖縄、特に池間の海に生活し続けた漁師だからこそ書き留められた言葉であろう。 そして「海の心」を持つのはインシャーであることも、伊良波船長は「海の男」と題して書き留めている。 「海人(うみんちゅ)は大海の心を持つと、昔から伝えられています」 海が生きていると思われるのは、毎日の干満の差、オオシオとコシオの1カ月ごとの周期、また、1年の周期でもあるからである。 これらのシオの流れとともに暮らしてきた漁師たちは、それを利用して漁を捕るという漁業の技術を育んできた。さらに、そのシオを巡る信仰や儀礼もある。 果たして、海という大きな生きものと、どのように付き合ってきたのであろうか。 ◇ かわしま・しゅういち 1952年、宮城県生まれ。博士(文学)。日本民俗学理事、日本カツオ学会会長。著書に『津波のまちに生きて』『海と生きる作法』など。 【いのちの海と暮らす—1—】聖教新聞2018.4.28
September 1, 2018
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