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精神力ナポレオンは1812年夏、フランス軍に衛星国軍を加えた60万を超える大軍でロシアに侵攻した。迎え撃ったロシア軍の私記は碧眼の老将軍クトゥーゾフ◆緒戦を制し波に乗るナポレオン軍は同年秋、モスクワ西郊でロシア軍と激しく戦い、双方が多大な死傷者を出した。後にナポレオンが「わが生涯最大の先頭」と回想したボロジノの戦いだ。その後クトゥーゾフのモスクワ箒作戦などもありロシア領に深入りしたナポレオン軍は、ロシア民族の粘り強い抵抗と兵糧など補給不足に苦しみ、撤退を余儀なくされる。〝冬将軍〟の追撃設けた壊滅的な撤退行は、ナポレオン没落の決定打になった◆トルストイは『戦争と平和』で、この戦いを中盤のクライマックスとして描く。文豪の分身ともいえる主人公の一人アンドレイ公爵は戦い直前、祖国を守る決意を込めて語る。「戦いに勝利するのは、勝とうという決意の固い側だ。」「より果敢に、身命を惜しまず戦った側が勝利する——事実とはそういうものだ。」(『戦争と平和』4 望月哲男訳・光文社古典新訳文庫)◆「フランスはボロジノで初めて、己よりも精神力に勝る敵に圧倒されたのである。」(同)とトルストイは誇らしげに述べている(略) 【北斗七星】公明新聞2021.10.28
January 31, 2023
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勇気と誠実琉球王国時代の440年余りにわたる膨大な外交文書が収められた「歴代宝案」。諸外国との外交の歴史とともに、海の往来で起きた遭難に関する記録も多く残されている▼琉球には外国の漂着者を保護し、本国に送還する態勢が整っていた。ある時、救出した中国の漂着船に重病者がいた。琉球王府の医師が懸命に治療するが及ばず、遺体は手厚く葬られた。後に帰国した一人が、琉球での厚遇を伝え広めた▼一方、傍若無人に振る舞う外国人には、毅然とした態度で交渉した。交易国の間で琉球人は、〝正直で人を裏切らない〟として、一目置かれたという。琉球の外交史には大国を相手に長期繁栄を築いた、生命尊厳と信義重視の精神がきざまれている▼池田先生は、外交で重要なのは「勇気」と「誠実」であると述べた。難しそうな相手にも胸襟を開いて率直に語り合う。そして、〝この人なら信じされる〟と思われるような信頼関係を築くことである、と▼法華経に説かれる不軽菩薩は、万人に仏の生命が具わると確信し、礼拝行を続けた。相手にも自信にも仏性があるとの信念を貫いた精神闘争だ。(略)「勇気の対話」「誠実の振る舞い」から、共感の万波は広がっていく。 【名字の言】聖教新聞2021.10.28
January 30, 2023
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明治文学史に輝く純愛小説作家 村上 政彦伊藤佐千夫「野菊の墓」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、伊藤佐千夫の『野菊の墓』です。私が本を初めて読んだのは、10代の半ばと記憶しています。うぶな少年と少女の恋物語と受け止め、心が洗われました。そして、このコラムを書くために再読。その間に四半世紀近くの歳月が過ぎているのですが(まだ高齢者ではありません)、読んだ印象が変わりのないことが驚きでした。『野菊の墓』が浅い作品だと言っているのでも、自身の読解力を誇っているのでもありません。この小説の確信が、しっかり動かぬものであると主張したいのです。未読の方のために、『野菊の墓』のあらましを。主人公は、13歳の政夫と15歳の民子。二人は遠縁の間柄ですが、互いに好意を持っています。周りは彼らの仲を危うく思いますが、政夫の母は優しく、一緒に茄子畑で作業をさせたりする。「茄子畑と言うのは、椎森の下から一重の藪を通り抜けて、家より西北に当たる裏の千菜畑。崖の上になっているので、利根川はもちろん中川までもかすかに見え、武蔵一円が見渡される。秩父から足柄箱根の山々、富士の高嶺も見える」ここで茄子をもいでいるうち、政夫は胸に中に「小さな恋の卵」があるのを意識する。二人の仲が決定的になったのは、その後の山畑で綿取り。これも母に促されて作業に出向いた。政夫は地面に咲く野菊を摘み、自分は野菊が好きだ、「民さんは野菊のような人だ」と。民子は竜胆を摘み、「わたし急にりんどうが好きになった」「政夫さんはりんどうのような人だ」と。なんと澄んだ告白。胸がキュンとします。しかし、それから政夫は中学へ進み民子と会えなくなる。二人が深い関係になることを恐れた大人たちは無理強いをして、民子を嫁にやる。彼女は身籠りましたが、流産して、肥立ちが悪く、亡くなりました。手には政夫の写真と手紙が握られていた。彼の悲しみの深さは計り知れません。1週間、民子の墓へ通い詰め、その周りいっぱいに野菊を植えたのです。本作が書かれたのは明治39年1月。日本文学の動向を見れば、田山花袋や島崎藤村などが自然主義文学を提唱して、露骨な現実を描いた時代です。そんな時、いわゆる「泣ける」純愛小説が世に出て、若い読者を喜ばせた。しかも作者の伊藤佐千夫は43歳。私が言うのもなんですが、オッサンです。それなのに、このような瑞々しい作品を書いた。奇跡としか言いようがありません。『野菊の墓』を再読し、これは書かれるべくして書かれた作品だと思いました。宇野浩二は解説で述べています。「私は、はっきり、いう、『野菊の墓』は、明治の文学史に、一つの席を占める小説である。[参考文献]『野菊の墓 他四篇』岩波文庫 【ぶら~り文学の旅㊶】聖教新聞2021.10.27
January 30, 2023
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ポピュリズムとファシズムエンツォ・トラヴェルソ 著 湯川 順夫 訳 現状をいかに認識するか同志社大学教授 吉田 徹 評社会科科学には「本質的に論争的な概念」という言葉がある。あまりにも多様な意味を込められて用いられるため、定義が定まらない概念のことだが、ポピュリズムやファシズムはその最たる例だ。それぞれは、明確な定義を欠いたまま、比例的なものとして手当たり次第に用いられるから、理解するがますます難しくなる。では両者は何が同じで、何が違うのか——ポピュリズムの密林に分け入りつつ、著者が追いかけるのは眼前で繰り広げられる新たな政治的急進主義の真の姿だ。「ポスト・ファシズム」という概念を手がかりとして、かつてのファシズムのようにポピュリズムは体制打倒の運動ではないという意味でこれとは異なっており、しかしユダヤ人の代わりにイスラムを目の敵にする民族主義的な政治という意味では同じ性質をもつという。読者は政治的急進主義の引き起こす事件やその解釈についてのアクチュアルな知識に圧倒されるだろう。しかし圧巻は著者が専門とする、過去のファシズム研究の解題だ。英語、仏語、独語の文献を渉猟しながら、ファシズムは決して亜流のイデオロギーではなく、自由主義と共産主義を目の敵とし、近代性と保守性の双方を併せ持った革命的思想だったと定義される。そして、その特性は有形無形の暴力を用いたことにあったとしている。また、過去の負の遺産をいかに処理するかという観点からの歴史修正主義についての議論は、歴史認識問題がこの日本だけでなく、グローバルな課題であることを知るためにも有効だろう。次々に起きる政治的現象を前に、私たちは過去に作られた概念を手がかりに理解しようと努めるしかない。しかし、歴史は過去と全く同じに繰り返すものではない。そうであれば、これまでの概念を丁寧に精査し、現状をいかに正確に認識できるかを問い、過去の思想から何を活かせるかを提言することこそが知識人の役割である。本書はそうしたシンシナチ的営みの成果である。◇エンツォ・トラヴェルソ 歴史家。ファシズム、ナショナリズム、全体主義などの研究者として世界的に著名。米コーネル大学教授。1957年、イタリアで生まれる。 【読書】公明新聞2021.10.25
January 29, 2023
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「ヒューマニズム」の世紀へ㊦インド ラジブ・ガンジー現代問題研究所1997年10月21日しかし、一口に「ヒューマニズム」と言っても、中身は一様ではありません。ヒューマニズムの変遷については、さまざまに分析できますが、近代市民社会のエートス(基本精神)となったのは、ルネサンスと宗教改革を経て、西欧を中心に形成された「個人主義的ヒューマニズム」であると言えましょう。十九世紀後半に、その矛盾と脆弱さが露呈するにつれて、施行されたのが、「社会主義的ヒューマニズム」の試みであります。これらの近代ヒューマニズムは、確かに、中世的な〝絶対者の楔〟から、人間を開放するもであったかもしれない。ところが、解放さてれはずの人間は、 今度は、自らの偏狭なエゴイズム、いわば〝小我〟に隷属していったのであります。欲望に振り回される「欲望の奴隷」になってしまった。その弊害は、社会の退廃と環境破壊、貧富の拡大という人類的課題として噴出してしまったのであります。さらに、さまざまな原理主義の台頭に象徴されるように、〝ポスト・イデオロギー〟の人類史は、未曽有の試練に立たされているといっても決して過言ではありません。この局面を、どう打開するか。はつらつたる、平和な「地球文明」の創造へ、どう踏み出していくか。そのための原動力は、何か。私は、行き詰った近代ヒューマニズムを超えて、〝コスモロジー(宇宙観)〟に立脚したヒューマニズムを提唱したいのであります。なぜなら、イデオロギーというものは、「二元対立的」であり、どうしても他者を「差別」し「排除」しがちです。これに対して、コスモロジーは、より深い次元から、「包括的」に、あらゆる他者を受用する「寛容」の特徴をもつからであります。その好例がアショーカ大王の「ダルマというヒューマニズムの治世」であります。それは大王の根本原則に、端的に表れております。その第一は「不殺生」です。その第二は「互いに敬え」です。不殺生については、人間以外の生物にも拡大して論ずるべきでありますが、私は少なくとも、「人間は人間を絶対に殺してはいけない」ということを、二十一世紀の〝人間憲章〟の冒頭に掲げるべきであると主張したいのであります。これまで、そして今も、「正義」の名のもとに、どれほど多くの血が流されたことでありましょうか。近代ヒューマニズムの象徴であったフランス革命では、多くの無辜の人々が断頭台に消えました。また社会主義的ヒューマニズムが、実験の過程で、当初の志に反して、何千万という人々を死に至らしめました。これも今世紀の厳然たる史実であります。この悲劇を断じて繰り返してはならない。今、求められる「ニュー・ヒューマニズム」の第一項目は絶対に、「殺すなかれ」の黄金律でなければなりません。「殺」と暴力を伴う〝正義〟は、いかなる論理で装うとも、全部、にせものの正義であります。タゴールが一生涯、叫び続けたように、「いけにえ」を求める神は、偽りの神なのであります。 では、これまでの「ヒューマニズム」の脆弱さは、どこに由来するのでありましょうか。精緻な分析をする席ではありませんので略させていただきますが、その根本は「人間への不信感」ではないでしょうか。「人間への不信」は、自己に向けられれば対話の拒否となり、暴力となるからであります。不信は不信を生み、憎悪は憎悪を生む。限りなき流転に歯止めをかけるものは、一体、何か。それこそ「一人の人間生命は、大宇宙と一体の広がりをもち、最高に尊貴なものである」と見る「宇宙的ヒューマニズム」であると思うのであります。その思想は、貴国のウパニシャッドの賢人や釈尊の教えに結実しております。釈尊の教えの最高峰である「法華経」は。その真髄と言えましょう。法華経は人々に、「差異へのこだわり」を捨てて、共通の「生命の大地」を知ることを教えました。その大地に立てば、「差異」は対立をもたらすものではなく、豊かさをもたらすものとなります。「法華経」の薬草喩品では、多種多様な草木が、同じ雨によって潤わされ、土井膣の大地に生い茂る譬えを説いております。しかし、ただ「ニュー・ヒューマニズム」を叫び、「宇宙的ヒューマニズム」を論じるだけであれば、それは観念論でありましょう。その「生命尊重」の思潮を現実に広げる方途を求めなければならない。その重大な柱が、私は「教育」であると思うのであります。宗教やイデオロギーだけで、「教育」がなければ、どうしても「独善」となるからであります。時代の趨勢として、宗教は個々人の自由という方向に向かうのでありましょうが、宗教を独善に陥らせることなく、正しい方向へ、平和の方向へ持っていく翼は、「教育」であります。タゴールが、彼の深き宗教性に、西洋人をも理解させる「普遍性」を与えたカギは、彼の教育であり、知性でありました。彼は自分のみならず、大学の設立をはじめとして、生涯、教育による人間開発へ努力したのであります。要するに、教育こそが人間を自由にするのであります。知性こそが、人類がそこで語り合える普遍的舞台であります。教育は人を偏見から解放します。暴力的熱狂から心を解放させます。宇宙の法則への無知から解放してくれるのは教育であります。また教育によってこそ、我々は無力感から解放され、自分自身への不信感から解放されます。自分の中に眠っていた能力を解放させ、「完全なるものに到達しよう」という魂の意欲を、思う存分に伸ばしていく。これが教育です。これは、なんと素晴らしい体験でありましょうか。自分への不信感から解放された個人は、他者を潜在する可能性を持信じるに違いありません。「彼は、今の見かけの姿が真の姿ではない。内に、もっと素晴らしい宝をもっているのだ」と信じ始めるのであります。表面の際にとらわれず、共通の「生命の大地」「生命の大海」を見抜く眼を与えるもの。それは教育であります。 「教育なき宗教」は独善に 釈尊の実践もまた、一面から見れば、教育活動であったとも言えます。法華経に「開示悟入」とあります。一人の人間の本来もつ智慧を「開かせ」「示し」「悟らせ」、その智慧に「入らせる」ことが、仏教の究極の目的なのであります」(法華経121㌻、趣意)。これは「教育」と完全に軌を一にします。『仏教』は裏を返せば人間教育であり、一方、「教育」は、人間信頼という精神性に裏打ちされてこそ価値がある。「人格を形成」し、「平和への知性」を与え、「社会への貢献」を教える「人間愛の教育」こそが最も必要なのであります。私どもSGIの源流は「創価教育学会」であります。戸田第二代会長も教育者でありました。そして〝教育の目的は、生徒を幸福にすることにある〟(『牧口常三郎全集』5、参照)という信念から、その幸福の中身を追求し、仏教の生命哲学に至ったのであります。マハトマ・ガンジーやネルー首相が、反植民地主義の闘争を展開したのと同時代の日本で、戸田は、牧口初代会長とともに、反軍国主義を貫き通しました。牧口が七十三歳で獄死した悲嘆を乗り越え、弟子である戸田は、閉ざされた独房にあって、「法華経」等に依拠しつつ、「宇宙的ヒューマニズム」の原点を己心に覚知したのであります。戦後、私は、この恩師と出会いました。奇しくも五十年前、貴国の独立前夜の八月十四日であります。あの制憲会議の席上、ネルー初代首相は、〝すべての人々の目から涙をぬぐい去ることがわが国の目的である〟(「ネルー演説集」坂本徳松・大類純訳、『世界大思想全集』22所収、河出書房新社、参照)とガンジーの「夢」を引いて叫ばれました。まさに、その日でありました。ともあれ、教育が開く「英知の世界」がなければ、宗教の信仰も〝盲信〟になる危険があります。反対に、「教育」による英知の光源をもてば、宗教による「精神性」も、より光を放つことでしょう。ゆえに私は初代・二代会長が、真の「教育」の探求の延長線上に、民衆の中での「仏法」の実践に至ったことを、最も道理にかなった道と思っております。今度は、その「仏法」を基調にして、私どもは、世界のあらゆる人々、民族、国々の中へ、「教育」と「文化」と「平和」の普遍的な連帯を広げているのであります。 一九七四年には、私は、相前後して中国とソ連を訪問いたしました。この年、中国には、二度行きました。当時は、中ソ紛争たけなわのころでありました。しかし両国首脳に、一民間人として、率直に関係改善を訴えたのであります。とりわけ、ソ連訪問の際は、なぜ宗教否定のイデオロギーの国へ行くのかと、何回となく批判されました。私は、そのつど、「そこに人間がいるから行くのです」と明言いたしました。昨年(一九九六年)は、アメリカとともに、キューバを初訪問し、カストロ議長とも友情の絆を固めてまいりました。国家間の険悪な関係でさえ、一歩高い「人間」の次元から見るならば、決して乗り越えられない壁ではないと、私は信ずるのであります。今、私の胸には、ラジブ首相のあの凛とした声が蘇ります。いわく、「世界文明に対するインド最大の貢献は、多様性と民族の独自性が決して対立しないことを証明している点である。我々は、五千年の生きた経験を通して、我々の多様性のなかの統一が、生き生きとした現実であることを、世界に示してきた」と。二十一世紀の地球が直面しているのは、この〝多様性の統一〟を、どう実現するのかの一点であります。人類は、今こそ、貴国の尊い歴史と智慧から真摯に学ぶ時が来ていると、私たちは思うのであります。貴国は今年(一九九七年)、栄光の独立五十周年を迎えられました。歴史上、「非暴力から生まれた最初の国」であると同時に、「最も新しき国」が貴国であります。人類の進歩の最前線の国が貴国なのであります。その壮大な実験は、インドを超えて世界に深い精神の啓発を与えております。マーチン・ルーサー・キング師によるアメリカの人種差別への反対闘争も然り、あの八九年の東欧革命も、またしかりであります。「源遠ければ、流れ長し」という言葉があります。未来への「平和の大河」を求めるならば、その源は、最も深き人間精神の源流に求めていかなければならない。揺るぎなき平和を求めるならば、揺るぎなき土台を求めていかなければならない。それこそ私は、アショーカ大王を一例として、貴国が二十一世紀へ、二十二世紀へと発信している「平和のメッセージ」でもあると思うのであります。 あるいは、こういう見方は、あまりにも楽観的に聞こえるかもしれません。しかし、私は「人間への信頼」を絶対手放したくないのであります。私は、人間性への大いなる信仰をもっているのであります。あの日、ラジブ首相と私は、東京で語り合いました。「人類の『心の壁』を取り払いましょう!」と。壁を取り払ったあとには、広々とした「共生の大地」が広がっていることでありましょう。その大地の上に、平和の大河が流れ、分化の大樹が天に向かって伸びていくことでありましょう。事実、私と首相とは、あの時、一切の違いを超えて、互いの胸中の「平和の調べ」で結ばれたのであります。ラジブ首相は、掲げた「夢」に向かって、突き進みました。勇者は敢然と、人間の中へ、民衆の中へ、飛び込みました。「夢」に殉じ、「ヒューマニズム」に殉じました。今も燦然と輝いておられます。その荘厳な「生」と「死」をもって、新世紀の人類の行く手を大きく照らしてくださっております。樹財団は、ラジブ首相の「正心の後継者」として、首相のあの崇高な「夢」を、具体的に追求しておられる。その「夢の追求」には、インドはもちろん、世界の心ある人々が、こぞって参画するでありましょう。「人類よ、ラジブ首相に続け! その先に『平和』はある」と、私は申し上げたいのであります。終わりに、青年時代より愛読したタゴールの「最後のうた」の一節を朗読して、スピーチの結びとさせていただきます。 おお 大いなる人間がやって来る——あたりいちめん地上では 草という草が顫(ふる)える。天上には ほら貝が鳴り響き、地上には 勝利の太鼓がとどろく——大いなる生誕の喜びの瞬間(とき)が来たのだ。今日 暗き夜の要塞の門がこなごなに 打ち破られた。日の出の山頂に 新しい生命への希望をいだいて恐れるな 恐れるなと、呼ばわる声がする。人間の出現に勝利あれかしと、広大な空に 勝利の賛歌がこだまする。(「最後のうた」森本達雄訳、『タゴール著作集』2所収、第三文明社) サンキュー・ベリーマッチ。ダンニャワード!(「ヒンディー語でありがとうございました」)) 【創造する希望「池田先生の大学・学術機関講演に学ぶ」】創価新報2021.10.20
January 28, 2023
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地層は語る国立研究開発法人 産業技術総合研究所 上級主任研究員 澤井 祐紀堆積物から過去を知る2011年に起きた東日本大震災では、東北地方だけでなく千葉県の九十九里浜でも津波による大きな被害を受けました。この地域では、1703年元禄地震と1677年延宝地震による津波の被害が記録されていますが、それら以前にどのような津波が起きていたのか、今のところ歴史の記録としてはっきりしたものは見つかっていません。それでは、1677年より前の津波については、どのように知ればいいのでしょうか。最新の研究によって、九十九里浜の地下の地層に、過去の津波の記録が残されていることが分かってきました。国立研究開発法人産業技術総合研究所では、日本各地の海岸底地において掘削調査を行い、過去の巨大津波の痕跡を調べてきました。巨大な津波が海岸に押し寄せると波によって周囲の土砂が侵食・運搬され、陸上に堆積します。これを「津波堆積物」といいます。地層の中に残された過去の津波堆積物はさまざまな情報を与えてくれます。例えば、その分布から当時の浸水範囲を推定することや、複数の津波堆積物が見つかればそれらの年代から再来間隔を見積もることができます。これまでの研究から、津波堆積物は、穏やかな環境である池や低湿地の地下に残されやすいことが分かっています。かつての日本には多くの低湿地が存在していましたが、埋め立てられて水田などに利用されています。九十九里浜の一部のそういう場所で、むかしの地面を見ると、現在水田があるところに大きな池が描かれていたりします。私たちは、過去の記録を参考にしながら、池が埋め立てられた場所に狙いを定めて掘削調査を行いました。匝瑳市、山武市、一宮町の合計140地点余りで地層を観察した結果、淡水環境で退席した泥炭層の中に、明瞭な2層の砂層を発見することができました。この2層は、そこに含まれる化石や堆積構造などから判断して、過去の津波が残した津波堆積物であると判断しました。地層年代は、放射性炭素同位体(C14)を利用して推定することができます。堆積物中に埋もれた果実などを拾い出し、そこに含まれる放射性同位元素の濃度を計測するのです。この方法を利用したところ、九十九里浜地域で発見された津波堆積物は、上の層が西暦100年~1700年、下の層が西暦800年~1300年に堆積したことが分かりました。この結果から判断して、上の僧は歴史記録にある1703年元禄地震あるいは1677年延宝地震による津波に対応すると考えられました、この一方で、舌の僧については対応する地震や津波がないため、未知の津波の痕跡と考えられました。発見した未知の津波の実体を探るために、津波が発生した当時の海岸線の位置や砂丘の高さを考慮したうえで、計算機上で津波の再現を試みました。この結果、その波源の特定には課題が残るものの、房総半島東方沖でマグニチュード8クラスの地震が発生したであろうことがわかりました。 九十九里地域で未知の津波の痕跡を発見 九十九里地域において明らかになった津波は、その繰り返し間隔などがいまだ明らかになっていません。1704年元禄地震や1677年延宝地震による津波も含めて、単純に津波の襲来だけに注目すれば、この地域は過去千数百年くらいの間に大きな津波を繰り返し経験していることになります。このことから、千年という時間規模で見れば、九十九里地域ではないと言えます。非常に大きな地震を感じた時に取るべき行動を確認するなど、普段からの備えが必要です。(さわい・ゆうき) 【文化】公明新聞2021.10.23
January 27, 2023
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終わりのマイルールを作る精神科医・産業医 井上 智介 メール繊細さんは、相手の表情の変化などをすぐに察知して、相手に合わせた行動をとることができます。しかし、気配りしすぎて疲れやすい一面もあります。では、相手の表情や態度が見えないやり取りは気楽かというと、そうではありません。いつも以上に、相手を傷つけないよう慎重になり、余計に気を使うので苦手な人も多いです。例えば、メールなどの文字だけのやり取りでは、相手がどのような気持ちで発信しているか分かりづらく、「もしや怒っているのでは……」とネガティブになりがちです。さらに、こちらからメッセージを送る時も、相手が少しでも傷つかないように配慮して、表現などを何度も見直し、文章を作っては消すという作業を繰り返します。特に繊細さんが悩むのは、メッセージラリーになった時、どのタイミングでこのやりとりを終わらせたらよいのかです。これで終わりかなと思いつつも、「いや、相手は最後の変身を待っているかも……」と不安になり、こちらは最後のメッセージを送ったと思っても、しばらくスマホを手放せなくなります。そこで、このような繊細さんは、メッセージの終わり方のマイルールを作ってみてください。例えば、ラリーを終わらせる時は、文面の最後に「今日もありがとうございました。では、また今度」と送ったら、それ以降はこちらからやりとりはしないなどです。このマイルールを決めておくと、最後に相手から連絡が来ても、特に反応する必要もなくなります。LINEの場合はスタンプなどでもやりおりができるので、自分の中で終わりを意味するスタンプを決めておくのもいいですね。ラリーの最後は相手に譲ってあげるくらいの気持ちでやりとりしてみましょう。 【元気になれる「繊細さんの生活術」▷12◁】公明新聞2021.10.21
January 26, 2023
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粉河寺縁起、信貴山縁起絵巻を作ったのは後白河院か滋賀県立大学 教授 亀井 若菜女性像から読み解く面白さ後白河院というと何を思いうかべるだろうか。平清盛と確執、長きにわたる院生、今様の集成『梁塵秘抄』などだろうか。彼は美術史においては数々の制作を手がけた権力者として有名だ。現存する絵巻でも「信貴山縁起絵巻」や「粉河寺縁起絵巻」など後白河院が作ったとされるものは少なくない。しかしそれは絵巻とは直接関係のない文献資料からの推測によっており、確たる根拠があるわけではない。そのため、絵巻そのものに向き合って、何が、なぜ、表現されているのかを詳細に検討するならば、別の制作事情を推測することも可能である。それを紹介したい。「粉河寺縁起絵巻」には、ある長者の娘が粉河観音によって治り、娘が出家する物語が描かれる。絵には苦しむ娘の姿が、苦痛に顔を歪め赤い斑点を胸まではだけて描かれる一方、粉河観音の前で出家する姿は、長い黒髪を見せる美しい顔で描かれる。物語のとおりの絵になってとも言えるが、病であっても美しい顔で描かれる絵も多いことを踏まえると、この絵巻では、病の姿と出家する姿を対照的に描き出し、一方を「悪く」、一方を「良く」表そうとしていることが見えてくる。この長者の娘は「河内国讃良郡(さららのこおり)の長者の娘」と詞書に書かれている。調べてみると、讃良郡は鎌倉時代に高野山金剛峰寺の所領となっていた。同じ頃、粉河寺は堺を巡って高野山と激しく争っていた。これらを踏まえて絵巻を見るならば、粉河寺側が敵である高野山川の長者の娘を「悪く」描き、粉河観音の前の姿は、「良く」描いたのだと考えられよう。熾烈な領域争いとその裁判を控えて、粉河寺は自らが優位にあるように見せる絵巻を制作したのではないだろうか。そう考えてこそ、この絵の表現が意味をもってこよう。また、「信貴山縁起絵巻」も後白河院の制作とされるものである。この絵巻には、信貴山に独居する僧命蓮とその姉の尼公の物語が描かれる。尼公は若い頃に別れた弟に再会すべく、信濃から奈良に旅をする。途中東大寺の大仏の前で糸版祈りをささげた後、弟のいる信貴山へ向かう。この絵巻が制作された平安時代後期には、女人禁制のため、女性は大仏殿に入ることも聖なる山に登ることもできなかったのだが、この絵巻ではそれらの様子が描かれる。しかもその表現は特異で、尼公は大仏の前には大変小さく線だけで描かれ、その姿のまま霞の中に入って消え、その後に紫雲たなびく信貴山の威容が描かれる。この表現は、生き民のまま紫雲に包まれ往生するという、当時の説話集などに載る「現身往生」のあり様を思わせよう。その五尼公は信貴山上の命蓮と再会し、ともに楽しそうに暮らすのだが、その二人の住房一帯も仙境のごとく表される。それは、死別した肉親とも極楽でならばともに暮らせようという、中世の人々の願いに通じるかのような絵なのである。この絵巻では、女性を巡る非現実的な様相や願望を、往生や仙境のイメージを使って描き出している。それらは果たして後白河院の見たいイメージであったのか。絵の表現を起点に考えるならば、それが誰にとって意味があるものなのかも導かれる。その際、女性初に注目してみることは重要だ。社会の中で劣位にある女性をいかに表現するか、そこに絵を見る者の価値観が反映するからである。権力の中枢にいたものの名を追うばかりでなく、絵に描かれたものから享受された環境を考え、絵巻の面白さを味わいたい。 かめい・わかな 1962年、神奈川県生まれ。学習院大学大学院博士後期課程単位取得退学。平成27年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『語りだす絵巻』(ブリュッケ) 【文化】公明新聞2021.10.20
January 25, 2023
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脳の力、生かせていますか?諏訪東京理科大学教授 篠原菊紀さん ルーティンで取り組みやすく〝やらなきゃいけないことがあるのに、やる気が出ない……〟と悩んでいる人はいませんか?やる気を出すには、「まず行動し始めること」が有効な手段です。脳には線条体というやる気の中核となる部分があります。線条体は、運動の開始や意地に関係し、やる気が出るのをも待つのではなく、動き始めることで活性化するのです。線条体は快感の予測でも活性化します。成績が上がって褒められたり、仕事で報酬を得たりする体験を重ねると、報酬を予測し、線条体の活性化が前倒しされるようになり、やる気や集中力を高めることになります。また、ルーティン(日課)が、仕事モードに切り替える〝スイッチ〟になることも。着替える、ネクタイを締める、電車に乗るなど、勉強や仕事をする場所に行くことが、自然とやる気を出すルーティンになっていた人も多いと思います。しかし、コロナ禍の影響で、在宅勤務(テレワーク)やオンライン授業になり、職場や学校に行かないケースが増えています。移動がなくても切り替えられるよう、仕事や勉強の前に、机の上を拭いたり、今日やることをノートに書いたりするなど、自らルーティンを決めことも工夫の一つです。 休む前に、次の動きを決める集中力、注意力を高めるポイントは、とてもシンプル。見るべきところを「しっかり見る」と意識することです。例えば鉄道関係の人たちが指差し確認したり、受験生がマーカーで教科書に線を引いたりするのは、そのことを強制的に見るためです。何かを中止すると眼球コントロールに関わる前頭眼野を中心に前頭野が活性化し、集中力が上がります。注意して見つめることで集中力が上がるのです。〝集中力が途切れないのが理想〟と思いがちですが、それは不可能です。多くの人は10~15分も経てば、集中力は切れてしまうもの。集中力には限界があることを知り、積極的にリセットすることが大切です。よく、〝疲れたときは糖質補給〟と言われます。甘いものが口に入るだけで脳のドーパミン系が活性化し、気分転換になります。実際、栄養が脳に届くのは先のこと。集中力を取り戻すためには少量の甘いものを口に含むだけでも十分なのです。また休憩は、長く休むのがよいというわけではありません。大事なことは、思い込むこと。たとえ1分だったとしても、「ここで1分休めば、回復して能力は上がる」と思うことです。休みをきっかけにスイッチを入れ直すのです。休憩後に何をやるかを決めて休むことが、上手な休み方の基本です。 生活の中で記憶力を鍛える記憶力を維持、向上させるポイントを紹介します。仕事の中では、ひと手間かかる、面倒くさい仕事を率先してすることが、脳のトレーニングになります。経験を積むと、つい大変なことは部下に任せてしまいがち。仕事効率を上げるにはいいかもしれませんが、自分の脳がいつも楽な状態で、負荷が小さければ、衰えるのは当然です。生活の中には、脳トレの機会がたくさん転がっています。仕事に限らず、家事や趣味など、苦手なことにも積極的に向き合っていくことが脳のトレーニングになるのです。記憶力を維持、向上させるには運動、筋トレがいいとされ、特に骨への刺激が重要。骨から分泌されるオステオカルシンが働いて記憶力向上に役立つとされています。ジョギングや縄跳びなどの運動も継続できるように心掛けましょう。勉強や仕事ははかどる時間帯は朝型、夜型のようにクロノタイプと言って遺伝的に5、6割は決まります。自分の実感として集中できる、記憶しやすい時間を選ぶようにしましょう。 興味や関心がひらめきの鍵発想やひらめきは、仕事をしたり、考えたりするときに働く脳の回路ではなく、ぼんやりしているときに活動している脳の回路が重要だといわれています。課題は抱えながらも、お風呂に入ったり、散歩したり、リラックスした時にこそ、新しいアイデアが生まれるのです。緊張感のある会議の場や、目の前のことに夢中なときは、ひらめきを求めるには向いていません。一度目を閉じて情報を遮断する、スクワットをしてみるなど、全然違うことをしてみると要でしょう。現状の自分を俯瞰することで、頭頂連合野が働き、新しいことや気付かなかったことが見えてくるものです。最近多くなったオンラインでの会議も、情報共有や中心者が話をする使い方には向いていますが、アイデアを生み出したい場合には不向きな場合もあります。誰も話さない時間を作れたり、雑談も挟めたりするような空間こそ、アイデアが生まれやすい場ともいえるでしょう。また、ひらめくためには日頃からさまざまなものに興味を持ち、吸収し続けることが大切です。インプット(入力)がなければ、アウトプット(出力)はできません。 いつでもできる二つのトレーニング脳のパフォーマンス向上の鍵は、運動とバランスの良い食事、生活習慣病の予防や治療、良質な睡眠です。その上で、日常的にできる脳を効率的に動かすためのトレーニングを二つ紹介します。まずは、文字を逆さから読むトレーニングです。例えば散歩中、看板に書いてある文字を、平仮名で逆から言うと、どうなるか考えるだけ。言葉や数字を順番に読むことが普通ですが、あえて後ろから読みあげてようとすることで、脳に負荷をかけます。農の中のメモを使いながら考えているという感覚でやってみてください。次に、新聞を使ってできる、「仮名拾い」というトレーニングです。一度に二つのことを処理する能力を養います。記事を読み、内容を理解しながら、特定の文字の数を数える方法です。例えば、聖教新聞コラム「名字の言」を読みながら、同時に記事中の「香」の文字数を数えてみてください。簡単だと思ったら、制限時間を決めたり、数える文字の種類を増やしたりと、レベルを上げてもいいでしょう。遊び感覚で、脳を鍛えていきましょう。 【健康PLUS+】聖教新聞2021.10.19
January 24, 2023
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衰えに負けない成長力を維持する「脳の学校」代表 脳内科医、医学博士 加藤 俊徳実年齢より若く元気で結動的な人の中には、いつの間にか年齢だけが70、80代になっていたという人の少なくはありません。実年齢よりも20~30歳も若々しく生活している人は脳が成長している人です。脳の老化のサインは40代後半から50歳を過ぎると、これまで以上に強くなります。しかし、脳が成長している人は、脳の老化サインが出にくく、実年齢よりも脳年齢がどんどん若くなります。50歳を過ぎてから実年齢と脳年齢の差が広がっていくのが理想的です。統計的には、78歳頃から認知症が著しく増加されるとされていますが、いくつになっても脳を成長させることで、脳の認知力をパワフルに保てます。例えば、78歳の時に脳の衰えに負けない50歳の脳の成長力を維持できていれば、認知症を遠ざけることができます。きょうから20歳、年齢にさばを読んで生活してみましょう。65歳の人は45歳のころの気持ちを持ち、行動範囲を広くして活動を。起床後、自分は45歳だと言い聞かせて出発してみましょう。■1日の行動を八つの脳番地に当てはめる▽朝おっきて水を飲んでから、ラジオ体操(思考・運動系)▽栄養バランスを考えて朝食に果物を足した(思考・理解系)▽新聞の記事を一つ音読(視覚・聴覚・記憶・伝達系)。最後に見た川柳が面白くて笑った(◇・理解・感情系)▽少し遠いが、安いと評判の店まで歩いてトイレットペーパーを買いに行った(思考・運動系)▽雲行きが怪しくなってきたので寄り道せず帰宅。(視覚・理解・記憶系)——というように、八つの脳番地を満遍なく使うように意識することがポイントです。脳番地を使うごとに合計点数(各1点)をつけてみたり、どの脳番地をよく使っているかなどを分析するのも良いでしょう。 【きょうから実践! 脳トレの基本⊂17⊃】公明新聞2021.10.19
January 23, 2023
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住民が主導権有する仕組みを尾松 亮地域の再生と国の責任廃炉事業それ自体は立地地域にとっての長期・安定的な新産業になりえない。原発閉鎖の影響を受ける立地地域が自力で「廃炉以外の新産業」を創出することも困難だ。海外では廃炉地域の経済・社会再生に、政府を関与させる制度作りや取り組みが積み重ねてきた。ドイツでは、1990年に閉鎖した旧東ドイツ・グライフスヴァルト原発周辺地域の経済再生のため連邦政府が30億ユーロ以上の支援を行った。廃炉時代を迎えた立地地域では、国営事業者EWNが地元自治体と協力して新事業団地の形成、廃炉以外の新事業誘致に成功している。英国では2005年、政府が原子力廃止措置期間(NDA)を設立した。NDAは全国17の原子力施設廃炉を担当する政府機関で、それらの廃炉事業で約1万6000人が雇用されている(20年時点)。立地地域の社会・経済再生に取り組むこともNDAの役割である。NDAは「廃炉事業に依存しない地域経済創出」を掲げ、立地地域でのインフラ整備や事業創出を支援している。日本でも、立地自治体の「自力再生」を惟一の選択肢とせず、地域再生に国を関与させる仕組みが必要になるだろう。ここで立地地域の経済再生に「国が関与する」というとき、二つの点に注意しなければならない。一つ目は、住民の移行や地域そのものまでの歴史を無視した中央からのお仕着せプロジェクトとなってはいけない、ということだ。グライフスヴァルト原発立地地域で工業団地をつくる「と誓いはt計画」の策定には、国営EWN社とともにルプミン村などの地元自治体が取り組む英国政府機関NDAは、支援する経済往路ジェクトの選定に当たって地元議会を含む地域のステークホルダー(利害関係者)との意見交換を欠かさず行っている。国に財政上の責任を持たせつつも、地域住民が新産業創出計画で主導権を握れるような仕組みが鍵となる。二つ目の周囲点は、国が予算を投じるに当たって「原子力以外」の産業を支援対象とする必要がある、ということだ。これまで原発関連の税収で優遇されてきた立地地域の再生を廃炉決定後も国の予算を投じて支援をすることについて、反発もありうる。「廃炉決定した地域で原発以外の地域産業をつくる」事業と位置付けなければ、国の予算を投じることに広く納税者から理解を得られないだろう。(廃炉制度研究会代表) 【廃炉の時代㉒—課題と対策—】聖教新聞2021.10.19
January 22, 2023
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決定した一念の行動古代インドの仏教説話を一つ。強大な群を擁し、王自身も像のように強いカ—リンガという国があった。ある日、カ—リンガ王は策謀を巡らせてアッサカ国に戦争をしかけた▼開戦前、天帝が勝敗を占い、「カーリンガ国が勝つ」と予想した。それを聞いた王は大喜び。この話は広く伝わり、すでに勝った気でいる王に率いられたカーリンガ軍は“我らの勝ちだそうだ”と、戦いの手を緩めた▼一方のアッサカ王は、決死の覚悟で自ら馬に乗り、千人の精鋭とともに突撃。油断したカーリンガ軍を打ち破った。それを見た天帝は語る。「心の揺るぎなく集中と、統一乱さず、時にのぞみて出陣」。そして「確固たる勇気」。このゆえに「アッサカ王に勝利あり」と(松村恒・松田慎也訳『ジャータカ全集』春秋社)▼「大丈夫だろう」という慢心、「自分ぐらいは」という人任せ——どんな強者でも、世評や風聞に惑わされて歩みを止めてしまえば、足をすくわれる。勝負の厳しさである。▼池田先生は「自分らしく精いっぱい戦っていくことだ。その真剣な一念によってこそ、自分ならではの、最高に力が発揮される」と教える。自分が活路を開いて見せる——その決定した一念の行動から勝利の回転は始まる。 【名字の言】聖教新聞2021.10.18
January 21, 2023
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第30回嘱累品第二十二 仏の願い、師匠の願いはただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが「報恩」 ■大要釈尊が、無量の菩薩の頭をなでて、〝一心に、この経を弘めていきなさい〟と語ります。それに応え、菩薩たちが〝釈尊の仰せの通りに実践します!〟と、誓います。それでは内容を追ってみましょう。 ●シーン1その時、釈尊は、座から立ち上がり、偉大な神通力を現します。右手で無量の菩薩の頭をなでて語ります。「私が無量百千万憶阿僧祇劫という久遠の昔に修行した、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)の法を、いま、あなたたちに付嘱する(教えを弘めるように託す)。この法を、一身に流布して、広く人々に利益を与えていきなさい」このように3度、菩薩たちの頭をなでて、述べます。「私が無量百千万憶阿僧祇劫という久遠の昔に修行した、阿耨多羅三藐三菩提の法を、今、あなたたちに付嘱する。この経を受持・読誦し、広くこの法を語って、一切衆生が聞き、知ることができるようにしなさい」そして、その理由を語ります。「仏は大慈悲があり、物惜しみすることも、また畏れることもなく、衆生に仏の智慧を与える。仏は一切衆生の代施主である。それに従って仏の法を学び、物惜しみしてはならない。未来において、法華経を信じる男女が、仏の智慧を信じるならば、その人に仏の智慧を得させるために、法華経を説き、聞き知ることができるようにしなさい。もし、人々がこの経を信じ、受けるならば、仏の深き方の中に於いて、教えを示し、利益を与え、歓喜させるべきである。このようにするならば、諸仏の恩を報ずることになる」 ●シーン2菩薩たちは皆、釈尊の説法を聞き終わって、大歓喜します。ますます仏を敬うようになり、体を曲げて頭を下げ、手を合わせて、ともに語ります。「釈尊の仰せの通りに実践します。仰せのままにします。釈尊よ、どうか心を煩わせませんように」 ●シーン3その時、釈尊は、十方より集まってきた分身の仏たちを、それぞれの本土に帰し、宝塔を元通りにするように語ります。最後に、十方の無量の分身の仏や、多宝仏を上行菩薩をはじめとする無量の菩薩たち、舎利弗など声聞、四衆、一切世間の天界・人界・修羅界の人々など、生きとし生けるものが、仏の説法異を聞いた大歓喜します。 ■総付嘱「嘱累品」での付嘱は、釈尊に教化された本化(地涌)と、迹仏に教化された迹化のりょうほうを含めた無量の菩薩に付嘱されたので、総付属といいます。日蓮大聖人は、付嘱の光景を次のように記されています。「嘱累品の心は、釈尊が虚空に立たれて、四百万那由他の世界一面に、武蔵野の芒のように、富士山の木のように群がり、膝を詰め寄せ、首を地につけ、身をかがめて、手を合わせ、汗を流して、釈尊の前につゆのようにおびただしく集まった上行菩薩陶冶文殊等、大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経を譲るため、3度も頂をなでられたことにある。たとえば、悲母が子ども髪をなでるようなものである。その時に、上行や日月刀は、かたじけない仰せを受けて、法華経を滅後末代に弘通することを誓われたのである」(御書1245㌻、通解)菩薩の頭を3回なでられたことについては、「御義口伝」に「三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり」(同772㌻)と記されています。池田先生は、次のように教えられています。「『弘教』です。広宣流布に動いていくことです。広宣流布に連なった『身』『口』『意』の三業は、塵も残さず、全部、大功徳に変わる」付嘱といっても。託される側が、広布の戦いを起こしてこそ、法を受け継ぐことができるのです。 ■嘱累品の題名である「嘱累」の「嘱」には「たのむ」「まかせる」「たくす」など、「累」には「かさなる」ほほかに「つなぐ」「わずらわす」という意味があります。つまり「嘱累」には、〝大変だが、弘通を頼む〟という意味合いがあるのです。また、嘱累品は、弟子の末法弘通の誓いで終わっています。池田先生は「弟子の側からいえば、『私が全部、苦労を担っていきます』というのが「嘱累」です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受け止めているか。『すべて実行しましょう」と受け止めるのが弟子です』と。「嘱累品」は、師から弟子へ法を託し、弟子が師に誓いを立てる——歓喜に彩られた〝師弟の品〟とも言えるのです。 「法華経の智慧」から慈悲と言っても、凡夫には慈悲なんか、出るものではない。「自分は慈悲がある」なんて言うのは、たいていは偽善者です。だから慈悲に代わるものは「勇気」です。「勇気」をもって、正しい者は正しいと語っていくことが「慈悲」に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です。◇嘱累品に、弘教の人は「諸仏の恩を報ず」(法華経579㌻)とある。仏の願い、師匠の願いは、ただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが、それこそが師匠への「報恩」になるのです。恩を忘れて仏法はない。否、人道はない。仏法は「人間の生き方」を教えたものです。ゆえに、仏法者は、どれよりも「知恩の人」「報恩の人」でなければならない。◇たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言う通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。根幹は、師匠対自分です。(普及版〈下〉「嘱累品」) 二処三会「嘱累品」で、「宝塔品」から始まった虚空会の儀式が、終わります。この後、法華経の説法の舞台は、再び霊鷲山へと移ります。このように説法の場所が、霊鷲山から虚空会、虚空会へと、二つの場所で三つの会座があることを「二処三会」といいます。池田先生は、「『二処三会』には、深い意義があった。それは法華経全体の構成によって、『現実世界から〈永遠の生命の世界〉へ』(霊鷲山から虚空会へ)、そしてまた『現実の世界へ』(虚空会から霊鷲山へ)という〝人間生命のリズム〟を示している」私たちにとっては、現実社会で広宣流布の苦悩を誓願の祈りに変え、生命力を満々とたたえ、再び民衆救済、立正安国へと挑んでいく。この往復作業こそが変革への確かな道であり、自身の成長と人生の充実もあるのです。 【ロータス ラウンジLotusLounge】聖教新聞2021.10.17
January 20, 2023
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大食いの男が見つけた謎の草とは落語評論家 広瀬 和生そば清このところ毎日そば屋に来て、盛を十枚食べていく男がいる。それを見た町内の若い連中が「あの人とそばの賭けをしよう」と思いついた。翌日現れた男に「二十枚食べられたら一分あなたに払いましょう。食べたれなかったら一分いただきます」と持ち掛けると、男は「無理だとは思いますが、ご挨拶代わりということで」と言いながら二十枚ペロリと平らげて「どうも」と言いながら、一分もらって帰っていった。翌日、「損した分を取り替えそう」と待ち構えた若い連中が三十枚で一両の賭けを持ちかけると、「では昨日の分にお釣りをつけてお返しするつもりで」と言いながら、これまた難なく食べてしまう。男が「どうも」と言いながら一両もらって帰った後、それを見た別の客が笑っているので、負けた連中がわけを訊くと「あの人はおそばの清兵衛、通称そば清さんといって、そばの賭けで家を二軒立てた人。普段四十枚の位の賭けをしているあの人にとって二十枚や三十枚なんて勝負のうちに入らない」という。それを聞いた連中、翌日は「そば清さん、五十枚で五両でどうです?」と一気に増やした。さすがのそば清も五十枚は食べたことがないので「今日はちょっと調子が……」と勝負を避けて帰っていく。このそば清、仕事で信州に出かけ、山道に迷い込んだ。そこに化け物のような大蛇が現れ、猟師を丸呑みにするのを目撃。腹が膨れ上がって苦しんでいた大蛇だが、脇に生えていた赤い草をペロペロと舐めると、見る見るうちに腹が平らになった。「あの草を食べたら腹の中の人間が溶けたのか。これを使えばいくらでもそばが食べられるぞ」と、そば清は赤い草を摘んで江戸に帰り、連中に「六十枚で十両の勝負をしましょう」と申し出た。本気を出したそば清、あっという五十枚を超えたが、そこから急に様子が変わり、とうとう降参寸前に。苦しそうに「ちょっと風に当たらせてください」と言うそば清。自分で動けないので皆で縁側に連れていくと、障子の向こうからペチャペチャと何かを舐める音がする。やがて静かになったので見に行ってみると、そこに人の姿はなく、そばが羽織を着ていた。 【落語を楽しもう▶㉟】公明新聞2021.10.16
January 19, 2023
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成功の体験は未来の失敗体験ゴルフの渋野日向子選手が国内ツアーで復活の逆転優勝を果たした。海外初参戦でメジャー制覇を遂げた2019年以来、約2年ぶりの勝利に涙する姿は、その間の苦悩を物語っていた▼渋野選手の強さの一つは「バウンスバック」。〝跳ね返り〟を意味し、ボギー以上のある五スコアを出した次のホールで、バーディー以上の成績をマークすること。2年前、彼女は国内トップのバウンスバック率で勝利を積み上げ、精神力の強さを示した▼大きな期待を背に迎えた昨年は、力を発揮できず苦しい一年に。悩んだ末に着手したのがスイングの改造だった。五輪代表を逃し、冷評も浴びたが、〝過去の自分を超える〟と逆境をはね返し、再び頂点に立った▼スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「成功の体験は未来の失敗体験」と語る。「一つの成功に酔いすぎると、その後の変化が見えなくなり、進歩が止まる」(『対論・勝利学』第三文明社)と。スポーツに限らず、人間の成長を阻む難敵は〝自分はこれでやってきた〟という、成功した過去への執着心だろう▼変化を恐れず、変化の中に飛び込み、新しい自分をつくる。昨日より今日、今日より明日へと進みゆく「挑戦の人」「向上の人」に勝利の栄冠は輝く。 【名字の言】聖教新聞2021.10.16
January 18, 2023
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第8回耳と鼻の持つ可能性耳鼻咽喉科 田崎クリニック院長 田崎 洋さんにおいや音を通して状況を認識眼には見えぬ世界を感じ取る器官新型コロナウイルス感染症の症状の一つに、収穫・味覚の障害があることが知られています。日本耳鼻咽喉科学会と金沢医科大学の研究グループは本年2月から5月にかけ、感染者を対象に臭覚と味覚に関する調査を行い、感染者の約6割に臭覚障害が起こっていることが明らかになりました。また味覚の違和感を覚える方の多くが、味覚の違和感を覚える方の多くが、味覚の検査上では正常値を示しており、実は味覚障害ではなく、〝臭覚異常による風味障害〟の可能性が高いことも分かりました。臭覚異常は風邪などでも起こり、その主な原因は鼻の炎症などによる鼻詰まりです。しかし、新型コロナ感染者には、そうした症状がないのに臭覚障害となることが多く報告されています。6割以上の患者の臭覚は早期に改善していますが、感染から回復して数カ月たっても、臭覚障害が残る患者さんも少なくありません。ウイルスが直接、においを感じる嗅細胞や臭覚神経周辺に影響を及ぼしている可能性もあり、今後、さらなる調査や治療法の検討が求められています。現在、接種が進められているワクチンは重症化予防効果があり、鼻の機能を守る上でも効果が期待できます。そうした意味からも、一人でも多くの方に接種を前向きに考えていただければと思います。◆◇◆コロナによる影響は、耳にも及んでいます。それは自粛生活の長期化で、難聴の患者が増えていくのではないかと指摘されているたんです。最近、在宅による運動不足を解消しようと、イヤホンやヘッドホンをつけながらランニングする人も見掛けるようになりました。それらは〝自分の世界に入る〟には効果的ですが、音が直接耳に入るため、大音量で聞き続けると耳へのダメージが大きくなります。使用する際は、周囲と会話ができる程度の音量にし、聞こえにくいとか、耳鳴りがするといった違和感に気付いた場合は、早めに受診し、治療を受けていただくことをお勧めします。 それぞれの機能さて、今回のテーマは「鼻」と「耳」ですが、それぞれの機能を見ていきましょう。まず鼻についてですが、その役割は〝空気洗浄機〟の機能と、「におい」を感知することです。華は、私たちの呼吸の際、空気の通り道となりますが、単に空気を通過させているわけではありません。鼻毛や湿り気のある の汚れを取り除き、新鮮な空気にして体内に入れていきます。それとともに、その空気中に含まれる匂い物質を臭細胞が感知し、神経を通して脳に伝達しています。普段の生活で、この嗅覚が、味覚や資格などに比べて重要と感じるきかいは少ないかもしれません。しかし、その感覚がもし失われてしまったら、感じる世界は全く異なるものになるでしょう。例えば、食事は風味を重視しますが、臭覚がなくなってしまえば、感じる味が変わり、味そのものを感じられなくなることもあります。においの感じない景色も、その場にいるのに映像を見ているような感覚になるでしょう。実は五感の中で、臭覚には、ほかの感覚器官にはない特徴があります。それは認識された情報が、自律神経の調節を行う視床下部を経由せず、直接、記憶をつかさどる大脳辺縁系に送られることです。皆さんも、ある香に触れ、〝懐かしい〟などと過去の記憶が呼び起こされた経験があると思いますが、そうしたことも、この脳との関係が影響していると考えられます。この大脳辺縁系は本能や情緒とも深く関わっており、そこで情報が処理される鼻は、周囲の状況をもっとも直接的につかむ機関であると思います。次に耳の機能ですが、その主な役割は、空気の振動、つまり「音」を感知することです。耳は三つの部分からなり、外から見える耳、いわゆる普段、私たちが言う耳から鼓膜までは「外耳」と呼ばれ、ここは集音の役割があります。そして、鼓膜の内側は「中耳」と呼ばれ、そこにある骨が鼓膜に伝わった空気振動を約30倍に増幅し、さらに内側にある「内耳」と呼ばれる部分につなぎます。内耳には、液体で満たされた蝸牛という部分があり、そこにある毛のような細胞が振動することで電気信号に変換され、その信号が脳に伝わることで私たちは音を認識しています。また、私たちは耳が二つありますが、そこにも大切な意味があります。音の発生場所によって、左の耳と左の耳に入るタイミングには、わずかな差が生じます。加えて、左右の耳に入ることで、その発生源がどこにあるのかを立体的に捉えています。◆◇◆鼻と耳は、まったく別の機能のように思えますが、共通の特徴があります。それは、においや音を通して「周囲に触れることなく、その状況を認識できる」という点です。これは眼も同じで、「遠隔感覚」と呼ばれます。その上で、人間は、このえんかく感覚の中で、鼻よりも耳、そして耳よりも眼で得た情報を優先することが知られています。一説には、私たちは情報の8割以上を視覚に頼っているともいわれますが、眼では例えば、壁の向こう側は、回り込まなければ見ることができません。一方、鼻と耳は、たとえ距てるものがあっても、その先にあるものを感じ取ることができます。この鼻と耳の持つ可能性に目を向けていったとき、これまでとは違った世界を感じられるのではないかと思うのです。 心の変化を察知する嗅覚と聴覚この力を周囲の友のために 六根清浄の功徳では仏法では、鼻と耳のもつ特徴を、どう捉えているのでしょうか。法華経では、六根のうち、鼻が清らかになる功徳について、「香を聞(か)いで悉く能く知らん」(法華経538㌻)などと説かれており、あらゆる香りを嗅ぎ分け、それだけでなく、楚の香から相手の心や生命状態なども読み取ることができると教えています。あらゆる香りを嗅ぎ分ける——私たちの身近な存在で、嗅覚が秀でた動物にイヌがいます。犬の持つ嗅細胞は人間の40倍ともいわれそのイヌと比べれば、私たちは嗅ぎ分ける力は劣ると思うかもしれません。しかし、アメリカで興味深い実験が行われました。それは、ある香を人に嗅がせ、犬と同じように地面に鼻を近づけながら香の跡をたどる実験です。その結果、多くの被験者が正確にたどることができ、中には訓練を繰り返すうち、犬よりも早くこなせるようになった人もいたというのです。だからといって、犬よりも臭覚がいいということにはなりませんが、調香師が1万種類もの香りを嗅ぎ分けられるといわれるように、私たち一人一人の嗅覚も、訓練することで鋭くなるのです。その上で、仏教で教える心や生命の香も、感じられるようになるのでしょうか。これは、あくまで個人的な実感ですが、そうしたものも、神経を研ぎ澄ましていけば感じられるのではないかと思っています。私は、幼い頃から多彩な国々の人とふれあってきました。国によって食べるものや生活習慣も変わりますが、そうした違いが、人それぞれのもつ香りに影響することを感じてきました。また病院で診察する際も、どんな疾患を抱えているかによって、患者さんのにおいが変わることも難じてきました。あった瞬間、どんな疾患か分かったということも、一度や二度ではありません。実は嗅覚には、におい物質に慣れると、そのにおいを感じにくくなる特徴があります。自分のにおいを感じにくくなるという感覚は、だれもが持っているでしょう。それは、そのにおいに気をとられると、周囲の臭いに気付きにくくなってしまうからです。むしろ嗅覚は、周囲の変化を敏感に察知するために発達したとも言えます。その意味では、一人一人に寄り添い続ける中で、香りの変化から心の変化を感じられるようになることは、十分に考えられるのではないでしょうか。◆◇◆次に、耳の功徳について、法華経には「三千大千世界の全てのあらゆる声を、父母から生まれながら受けた、いまだ神通力を得ていない耳で、全てを聞き、知ることができるであろう」(同530㌻、通解)と説かれています。訓練を重ねた音楽家は、わずかな音の違いも、1000分の1秒の音のずれも聞き分けられるそうですが、聴覚も嗅覚と同じように、鍛えられることが分かっています。さらに人間の嗅覚は、雑音などで会話が聞きにくても脳が音を補正し、必要な音を聞き分けることができるのが特徴です。つまり、聞きたいと思って集中した分、それがきけるようになるのです。人それぞれ、声には、その時の微妙な心の変化があらわれますが、そうしたものも、感じ取れるようになっていくと思います。 御書「此の娑婆世界は耳根得道の国」今こそ希望の励ましを強く 動物に共通の感覚その上で、日蓮大聖人は「此の国の娑婆世界は耳根得道の国」(御書415㌻)と仰せです。先ほど、私たちは眼や鼻、耳と言って遠隔感覚の機能を使い、周囲の状況を認識していると述べましたが、逆を言えば、私たちが人々に影響を与えるには、周囲の人が持つこれらの感覚に訴えることが大切ということです。なぜ、大聖人は眼でも鼻でもなく、耳によって成仏すると仰せなのでしょうか。生物学の観点で言えば、この世には、眼を持つものや持たないものなど、多種多様な動物が存在しますが、実は地球上に生きる動物が、遠隔感覚の中で共通して持っている感覚器官があります。それが耳なのです。ここで言う耳とは、聞くということではなく、平衡感覚の機能を持った器官のことです。全ての動物が平衡感覚を持つ理由は、地球に重力があるからです。この重力に対する傾きを覚知することで、動物は前後左右、自分がどの方向に進んでいるのかを感じ取っています。そして人間などが持つ耳は、この平衡感覚器として生まれた耳に、進化の過程で音を覚知する力が加わったものです。もちろん、人間の耳にも平衡感覚器の役割があります。先ほど述べた通り、人間の耳にある蝸牛は液体で満たされていますが、その液体の傾きによって、私たちも耳で平衡を感じ取っています。地球上で暮らす動物たちに共通する耳によって成仏する——これは、興味深い点ではないでしょうか。その上で、人間の耳について言えば、例えば、生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声は、生まれた国の言語によって抑揚が微妙に違うことが分かっています。それは体内にいる時から、周囲の声を感じ取っているからだと考えられています。また、死ぬ介護の瞬間まで活動するのも、聴覚だと考えられています。こう見ると、「耳根得道の国」との仰せには、生命の心音を心で聴くという重要な意味があると感じずにはいられません。 会うことの大切さ多くの人が将来に不安を抱えるコロナ禍の中にあって、今こそ声にならない声に耳を傾け、一人一人の耳に希望の励ましを届けていくことが大切だと思っています。当に、耳の力が求められています。その上で、私は感染症対策に万全を期すことを前提として、対面で会えるなら、短時間であっても会っていくことが大切度と感じます。それは、鼻の持つ機能と関係します。嗅覚は記憶と密接に結び付いていますが、その嗅覚で感じた情報は、視覚で得られた情報よりも記憶に強く残ることが分かっているからです。つまり、孤独に悩む友がいるのなら、直接会った方が、相手の記憶に残る励ましを送ることができるのです。鼻と耳の持つ力は、眼だけでは決して分からない人々の微妙な心を感じ取り、人々の絆を結んでいくものだと思っています。この力を地域の同志と伸ばしながら、広布前進のために全力を尽くしていきたいと決意しています。 たざき・ひろし 1958年生まれ。医学博士。耳鼻咽喉科専門委。韓国・高麗大学医学部卒業。名古屋市立大学医学部耳鼻咽喉科勤務、米セントルイス大学医学部研究員などを経て、2000年に耳鼻咽喉科田崎クリニックを開院。創価学会中部ドクター部長。区副書記長。 【危機の時代を生きる■創価学会ドクター部編■】聖教新聞2021.10.15
January 17, 2023
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電力会社とガス会社武庫川女子大学教授 丸山 健夫「電気料金にガス料金をまとめると、お安くなります」「ガス料金に電気をまとめちゃいましょう」と、電気とガスの戦いがさかんである。利用者から見れば、電気はいろいろな電気器具、ガスは料理やお風呂に湯沸かしと、すっきり棲み分けがあるように思える。ところが明治の文明開化の時代、電力会社とガス会社は、ともにあかりの会社として誕生した。ふたつは、照明サービスのライバル会社だったのである。1872年.先行したのは意外にもガス会社だった。日本で初めて横浜でガス燈の炎が街を照らす。なんと言っても行燈や石油ランプの時代である。ガス灯の明るさにみんな驚き、地中にガス管が伸びていった。外国人居留地では、故郷を懐かしむかのようにガス燈が大いに支持され、横浜に続いて神戸の街にもガス燈の証明が誕生する。ところがエジソンの登場だ。電気技術が驚異的に進歩した。1881年、電気の光が街を照らし始める。そうなるとガス会社は脅威となった。このとき、電気は怖いとの風評も広がりを見せた。そのあおりを食ったのが、電車である。電車は頭上の電線から電気を取り、モーターをまわしたあと、レールに電気を流して走る。道路に敷かれたレールの電気が、埋められた鉄製のガス管に影響するのではないかとの思いもあって、長らく東京の路面電車が許可されなかった。当時の電力会社は、電気鉄道事業を兼業しようとしたし、電気鉄道の余った電気を沿線の街で販売しようとした。電気鉄道会社は有力な電力会社だった。結局、設置も簡単で明るい光を供給する電力会社が圧勝。ガス会社は、料理やお風呂の世界に活路を見いだしたのであった。 【すなどけい】公明新聞2021.10.15
January 16, 2023
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『行人』の一郎が見いった「蟹」の姿心理療法家 「まどか研究所」主宰 原田 広美家族の中で苦悩した『行人』の一郎は、小説の最後に旅に出た。前回も書いたが、母から受容も評価も受けずに育った一郎は、母と似て、直接的に物を言わず、一郎に冷淡な妻の直をうまくあやせない、そんな自分を責めた。一郎の胸中には、生育歴の中で親子関係からえたトラウマがあった。おそらく、一郎が生まれた時、母は父に対して「勝ち組〈技巧派〉」のポジションを保持するためにも、一郎をでき愛した。だが二郎が生まれると、母は父に似た一郎の気質に気づいて遠ざけ、自分と似た気質の二郎を優遇したのではなかったか。そのため一郎は、母の溺愛の対象から、一気に「気難し屋」扱いの子供に降格し、以後、愛情に飢えて孤独を抱えた可能性がある。人は、自分の傷を抱えたままで、人を癒すのは難しい。それが、一郎が直の絶望や「死への欲求」を見抜けず、あやせなかった理由である。また「負け組(真正直派)」気質の三沢が、病気に倒れた芸者や、出戻りの精神病の娘と心を通わせつつも、力を貸せなかった原因でもあるだろう。また一郎が、直を直接に問い詰められないのは、家族でいちばんの「負け組」気質であるための、自己肯定力の不足からだ。直の率直な告白に、もし自分が打ちのめされてしまったらと、恐れたのだ。この一郎の冒険心の欠如は、朝日新聞に辞表を出しきる冒険には至らなかった漱石の、「負け組」気質の影にも見える。一郎は、Hさんととびに出る。旅先から二郎に、一郎の様子を書き送ったのはHさんだった。一郎は、何かに見入ることで「不安」や「恐れ」から逃れようとしたようだ。それは、何かに見入った瞬間の「今」に生きる、ということだっただろう。同時に一郎は、松の優雅な気品と力強さ、百合の純白さや高価なエロス、山や谷の雄大さや崇高さに見入りながら、それらの性質を自分の中に生み出そうとしたようでもある。最後に一郎が見入って所有しようとしたのは、身を守る甲羅とハサミを持った一人歩きの「蟹」だった。それは、横歩きながらも、精神的な独立を果たした一郎の姿を彷彿とさせる。 【夏目漱石 夢、トラウマ―18―】公明新聞2021.10.15
January 15, 2023
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耳栓などグッズを事前に準備精神科医・産業医 井上 智介五感からの刺激人間は五感を調整して、無意識に自分にとって必要な刺激を受け取っています。しかし、繊細さんはこの五感が敏感なので、刺激を受け取りやすいのです。もちろん、五感の全てが鋭い繊細さんばかりでなく、視覚、聴覚、触角など一部の感覚だけが鋭い人もいます。感覚が鋭いことで、自分にとって不必要な情報もすべてキャッチして、頭の中で勝手に情報処理を始めるので、とても疲れやすいです。さらには、あれこれと情報が入ってくるので、仕事などに集中できず困る人もいます。例えば、チョウ閣であれば、時計の秒針や隣の人の鼻をすする音が気になったり、イライラすることもあります。また、エアコンからの風邪がずっと気になったり、シャツの首のタグが気になったりします。ですから、そこに少しでもエネルギーを消費しないようなクフが、繊細さんの生きやすさにつながります。そこで、最初は物理的にその刺激から逃れられないかを考えてみてください。たとえば、時計の秒針の音が気になる人は、音が鳴らないタイプに変えたり、服のタグが気になる人は切り取ってしまいましょう。しかし、いつでもそのような方法がとれるわけではありません。感覚からの刺激を減らすために、縁の太い眼鏡をかけることで見える範囲を狭くしたり、耳詮やノイズキャンセリングイヤホンなどを使用したり、直接肌に当たる服などはオーガニックコットンやシルクなどの天然素材のものを使って刺激を減らす工夫もお勧めです。繊細さんは、自分がどのような場所で刺激を受け取りやすいかを知っておくことも大切です。そのような場所に行く時は、お気に入りの刺激カットのグッズを事前に準備して、うまく活用できるようにしたいですね。 【元気になれる「繊細さんの生活術」▷11◁】公明新聞2021.10.14
January 14, 2023
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新しい働き方としての副業川上 淳之(東洋大学准教授)〝本業で足りない何か〟を求めて働き方改革で大きく変化総務省の「就業構造基本調査(2017年)」によると、副業をしながら働いている人は全国で267万8400人。これは、普段仕事をもっている有業者の約4%に当たります。さらに、副業を希望する人は424万④000人と、実際に副業をもつ人の1.7倍の人が希望しているという結果になっています。2017年の働き方改革によって、就労を巡る環境は大きく変わりました。同一労働同一賃金、賃金引き上げと労働生産性向上など12項目が掲げられ、そのうちの「柔軟な働き方がしやすい環境整備」では、テレワークの推進とともに、副業・兼業を推進していく方針が示されたのです。働き方改革による副業解禁や、コロナ禍での就業環境の変化によって、これまで以上に副業をもちやすくなることは間違いありません。そんな副業の現状と環境などについて、各種統計調査や先行研究の内容をもとに、近著『「副業」の研究』で分析しています。もともと調査する前は、副業のメリットについて、複数のスキルを得るための副業というのは少数。ほとんどの場合は、短時間労働で収入も少ない、いわゆる非正規雇用者が生活していくために副業をしていたのです。この点は、働き方改革では光が当たらない部分です。スキルアップなどと切り分けて対策を考える必要があるでしょう。 スキルアップだけでなく将来のためにも 趣味も収入のある仕事にどのような人が副業をしているのでしょうか。本業の収入が少なく生活費異を稼ぐために副業をする人もいれば、本業に生かせるスキルを身につけるため、人との交流のため、新規授業の準備……様々な理由が考えられます。働き方改革では、副業を推進する理由として、新たな技術の開発、オープン・イノベーションや企業の手段、第二の人生の準備などとしています。本業の年収区分と副業率の関係はU字型のグラフになります。グラフの左側は、本業の収入が低く、生活のために副業をするケース、特にコロナ禍によって、急激に景気が悪化し労働時間が短縮したことによって、副業をせざるを得ない人が増えています。右側は、本業が高収入で副業をしているケース。もともと、医者や政治家、大学教員など、高収入の人、高い収入が得られるような専門職では、講演や原稿執筆などの副業をもつ傾向が高いのです。どうして、中間層では副業率が低いのでしょうか。一番の理由は、会社から認められていないため、全体の70%ぐらいがこれに当たります。実際に副業をしようとすると、多くの人は得意なスキルを利用した仕事を思い浮かべるでしょう。それは、本業と全く関係のない分野の仕事にはなりにくいもの。このような職種だと、副業の禁止事項に当てはまってしまうわけです。ただ、副業を持つかどうか、個人が選択できるようになったことで、働き方の選択肢は確実に増えます。自分が本当にやりたいこと、趣味で取り組んでいることも、収入を得るための仕事にできるかもしれません。 なぜやるのかを考えて最近では、だれもが副業をもつ方向に傾いているように感じます。でもまず「なぜ自分が副業をもつのか」を考えてほしいのです。本業以外の時間の使い方として、副業で本当にいいのか。自分の大切な時間を無駄に失うことにならないか。例えば、結婚して子どもが幼く子育てが大変な時に、土日迄ほかの仕事をするのはどうでしょうか。教育ローンや住宅ローンの返済のために収入を増やすのなら仕方がないかもしれません。しかし、単なるスキルアップが目的なら、考え直した方がいいと思います。副業をすると、それ以外のそれ以外の時間は圧迫されてしまいます。それは本業に対する影響も。長時間労働などの健康面を含めて、無理をしないようにしたいのです。どんな仕事で会っても、経験を積むこと自体、大きな財産です。だから、給料をもらっておしまいというのではなく、何か高められたものはあるかなど、自問自答してみるといいでしょう。さらに、その経験はこんなことに役立ちそうと考えてみることも大切です。副業をする場合、一番多いのは経済的理由。でも、収入面だけでなく、本業では足りない何かを求めて、副業を始めるのだと思います。本業に満足している人は副業を持つ必要はないのかもしれません。=談 【文化Culture】聖教新聞2021.10.14
January 13, 2023
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奇跡の甲子園出場を果たした実話作家 村上 政彦山際淳司「スローカーブを、もう一球」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、山際淳司の『スローカーブを、もう一球』です。山際淳司と言えば、スポーツ好きならだれもが知っているスポーツライターです。惜しいことに40代で亡くなりました。デビュー作は「江夏の21球」です。ハリウッド映画の定番として、弱小スポーツチームが、あることをきっかけにして、猛然と勝ち進み、優勝してしまう、というのがあります。本作は、その日本版。しかも高校野球なので、スポーツ好きにはたまらない。冒頭、1980年11月5日に行われた、群馬県の高崎高校と茨城県の日立工業高校の試合から始まります。場面は9回裏、2対0で高崎高校がリード。攻撃は日立工業。関東大会の準優勝なので、守り切れば、翌春の「センバツ」で高崎高校の甲子園出場が決まる。マウンドに立つのは、2年生の川端俊介です。普通なら、ここから作者は結果を先延ばしにして、読者の興味を引こうとします。しかし、山際は、川端が得意のスローカーブでバッターを動揺させた後、直球を投げ込むところを描きます。打球は凡打。「ダブルプレーだった。ゲーム・セット」実は、ここから本作の読みどころです。高崎高校は、県内有数の進学校で、高崎工高と区別するために「高高(タカタカ)」と呼ばれます。野球部ができたのは、明治38年。以来、76年の間、甲子園とは縁がなかった。新しい監督を迎えたのが3カ月前。世界史を教える飯野邦彦は、中学時代に3カ月だけ野球部にいた経験を買われたのです。就任した彼が、まず始めたのは、野球の技術解説書を入手すること。スポーツ新聞を読んで、監督はみだりに動かず、どっしり構えていることが大切と学ぶ。試合の時に言うことは、「練習の時と同じようにやればいいんだ。ふだん着野球に徹しろ」。川端は、夏の大会が終わるまで3番手のピッチャーでした。学校の成績は、学年で10位以内に入ることもある秀才。中学の頃から密かに野球の腕にも自信をもっていたが、野球進学の誘いはまるでなかった。野球部の2年生になり、あるOBの助言で、スローカーブが武器になり、いつの間にかエースとして登板するように。野球を続けている理由は「惰性」。彼は自分のスローカーブでバッターを驚かせるのが愉しみなのです。つまり、「タカタカ」の野球部は、だれも甲子園へ行けるとは思っていなかった。周りもそうです。山際の筆致は、テンポよく、弱小チームに奇跡が起きる過程を追っていきます。監督をはじめ、選手たちの緩さも、小気味がいい。スポーツ・ノンフィクションの秀作です。[参考文献]『スローカーブを、もう一球』 角川文庫 【ぶら~り 文 学 の旅】聖教新聞2021.10.13
January 12, 2023
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時間を意識し、予定を立てて行動「脳の学校」代表 脳内科医、医学博士 加藤 俊憲日々の出来事は時間の経過とともに刻一刻と変化し、人の記憶も時間の経過にひも付けられて記憶されます。記憶系脳番地の重要な中枢である「海馬」は、時間を意識すると活発化する一方、怠け者で他の脳番地が働いていても一緒に働いてくれないことも。アルツハイマー型認知症では、複数の脳番地が働いていても、海馬が委縮し始めている状態のため、さっき聞いたことすら忘れてしまいます。時間を意識して過ごすことで、海馬は鍛えられます。時間の感覚と記憶力には密接な関係があるのです。海馬を鍛えて記憶力をアップするには体験したことを反復して思い出す時間を持つこと、予定を立てて実現するように行動することが重要です。そう心掛けると、猫の手も借りたいほど忙しい時でも、海馬が働きやすくなります。海馬がイキイキしていないと生活上でもボケっとすることが多くなります。海馬に全ての原因があるわけではありませんが、海馬を鍛え衰えさせないことは認知症予防に効果的です。時間の感覚や物事の流れ、順序を十分に意識すると物忘れをしにくくなります。■予定は未来から立てる今日は何時に寝るのか決めます。例えば、▽23時に寝るには、22時には家事を終わらせなければならない▽22時に家事を終わらせるには、20時に夕食を食べ終えなければならない▽そのためには夕食は18時から作り始めよう▽だから、昼食後少し休んだら献立を考え、16時には買い物に行こう▽掃除洗濯は午前中に終えよう▽あすは6時にあきてお弁当を作って余裕を持って家族を送り出そう――です。このような予定を立てて、実行しましょう。うまくいかない日もありますが、自分にあった時間配分や行動時間を意識することで、海馬がよく働きます。 【きょうから実践! 脳トレの基本⊂16⊃】公明新聞2021.10.12
January 11, 2023
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心の声に寄り添いたい小児科専門医 廣瀬 益子 〝子どもには未来がる〟——希望を抱いて小児科医になりました。以来41年。子どもたちと共に成長を続けられることが、最大の喜びです。かつて診療した子どもが成人し、今は自分の子どもを連れて来てくれるようにもなりました。小児科は、子どもが成人するまでの間、病気の予防や治療に当たる科です。それだけではありません。心身ともに健康に成長するように手助けすることも重要な役割です。コロナ禍で最近、頭痛や腹痛、投稿しぶりなど、体調や心の異変を訴える子どもが増えています。日常の生活の様子を聞いてみると、午前1時、2時までスマートフォン(スマホ)やゲームに没頭していることが原因で、不調を訴えた例もあります。在宅時間が長くなった影響で、自然と電子機器に触れる機会が増えているのが現実だと思います。スマホは、親にとって〝子育てのツール〟としても使われています。子どもが泣きやまないときや、ぐずったときには、おもちゃとして使わせることもあるでしょう。親の育児ストレスを軽減させる意味では、便利な手段ともいえます。現代の子育て環境を考慮した上で、小児科医としてお願いしたことがあります。それは、乳幼児期からスマホなどの電子機器を過度に触れさせることを控えるということです。将来、言語や感情の発達、親子間の愛着に影響が出る可能性が指摘されています。心身共に健やかに子どもを育むためには、親子で会話を楽しんだり、一緒に体を動かしたりして、居心地のよい関係を続けることが第一であってほしいと思います。そのためにも、食事、睡眠、運動は何より大切な要素です。「今日の食事もおいしかった!」「今日も一日楽しかった!」と眠りにつけることが、居心地のよい親子関係に結び付くのです。 自らの力で前へ子どもの健康を守るために、国立育成医療研究センターが「コロナ×こどもアンケート」を実施しました。そこには、子どもたちや保護者の方々の生の声、SOSが寄せられています。それらを読むと、長引く行動規制の影響で、親子ともに強いストレス状態がうかがえます。今ほど、子どもの気持ちに寄り添うことが必要な時期はありません。アンケートでは、〝言いづらい気持ちを言葉にすることで、心の中を整理できた〟〝少しほっとした〟との回答もありました。子どものストレスに対して、話を聞いてあげたり、気分転換をさせてあげたりするなど、親の援助は有効だといえます。親が〝こうしなさい〟と一方的に言うより、じっと心の声に耳を傾けてあげるだけで、子どもの気持ちは自然と前へ進んでいけるのです。日蓮大聖人は、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり」(御書1574㌻)と仰せです。たとえ車が重くても、油を指せば滑らかに進むことができます。同じように、相手を無理に動かすのではなく、どうやったら相手が自らの力で前へ進めるか、心を砕き、関わることが私たちの励ましの在り方です。わたしも、安心して本音を打ち明けることができる先輩の存在があったからこそ、医師を続けられています。 幸福を〝つかむ〟医師2年目の時、500㌘の超低出生体重児を受け持ち、毎晩かかりっきりに。責任の重さから、4カ月も無理な生活を続けてしまい、腎臓を悪くして休職。実家に戻りふさぎこんでしまいました。創価学会の先輩に思いを話すうちに、青春の原点を思い出したのです。中学生の時、「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」との池田先生の指針に出会い感動。猛勉強の末につかんだ使命の道が医師でした。原点に立ち返る中で、病に打ち勝ち、小児科医としての誓いを貫く力が湧いてきました。その後、病状は快方に向かい、新たな病院で勤務することに。努力の末、医学博士号を6年で取得。25年前には、夫(亘さん=副県長、関東ドクター部長)とともにクリニックを開業しました。食事を工夫して乗り切ってきた病は、昨年寛解へ。少しでも地域の役に立ちたいとの思いから、新型コロナに対する発熱外来や、ワクチンの接種を積極的に行っています。「創価学会永遠の五指針」の一つに、「幸福をつかむ信心」があります。「つかむ」の一語に、力強い能動的なメッセージが込められています。幸福とは、ほかのだれから与えられるものでもなければ、いつか訪れるのをただ待つものでもありません。つまり、自ら「つかむ」以外にない、と創価学会では考えます。子どもは成長しようと、もがいています。子どもが安心して本音を打ち明け、希望や思いをかなえられるような、親子関係を築くために、医師として心配りを続けていきたいと考えます。大人も悩みながら、子どもと一緒になって成長し、幸福をつかんでいく——それが子育ての醍醐味ではないでしょうか。そんな親子の〝伴走者〟として走り抜いていきます。 [プロフィル]ひろせ・ますこ 埼玉県所沢市にある「ひろせクリニック」で副院長を務める。医学博士。68歳。1953年(昭和28年)入会。所沢市在住。支部副女性部長。第5埼玉総研副ドクター部長。 視点信心即生活現実の日々が多忙であるがゆえに、自分では気付かないうちに尊人の軌道から外れ、行き詰まりを感じてしまうことがあります。廣瀬さんは病気療養中、「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲がれば影ななめなり」(御書992㌻)との一節に出会い、信心の姿勢を改めることができたと語っています。「体」である信心が確立されてこそ、その「影」である仕事をはじめ生活が順調に進んでいきます。大聖人の仏法においては、信心と生活は一体と捉えます。周囲の状況に翻弄されることなく、朝晩の勤行・唱題を根本に仕事や生活に勝利していくことが、創価学会が大切にする「信心即生活」の生き方なのです。 【紙上セミナー 仏法思想の輝き「親子の成長を見守る〝伴走者〟」】聖教新聞2021.10.12
January 10, 2023
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耐久力の闘争基礎研究は地図をもたずに砂漠を旅するようなもの——理論物理学者の大栗博司氏は、そう捉える。だからこそ「あきらめずに時間をかけて粘り強く考え続ける力」が大切だと強調する▼それを実感したのは、米プリンストンの高等研究所での経験だ。画期的な論文を次々と発表する研究所だけに〝どんな天才がいるのか〟と思っていた。だが実際は毎日、自分の研究に頭をひねっては「どう思う」と尋ねてくる——日本と異なっていたのは、同僚たちの「しぶとく考える耐久力」だった(『探求する精神』幻冬舎新書)▼行動遺伝学では、人間の知能には少なからず遺伝の影響があるとの研究結果が報告されている。しかし、遺伝が全てを決定するわけではない。知能も才能も、自らの努力いかんによって、いくらでも大きく開花する▼基礎研究が〝耐久力の闘争〟であるように、行き詰まりとの連続闘争が人生の本質であろう。文豪・トルストイは「君を嘆かせて苦しませていることは、一つの試練にすぎず、その試練に基づいて君は自分の精神力を発揮し、それを強化することができる」(北御門二郎訳)と▼信心は、試練に立ち向かう心を涌現させる原動力である。日々、挑戦の歩みを粘り強く積み重ねたい。 【名字の言】聖教新聞2021.10.9
January 9, 2023
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日本の新型コロナワクチン接種は想像以上に順調な進み方インタビュー 大阪大学 宮坂 昌之名誉教授 高い有効性・安産性——近著『新型コロナワクチン 本当の「真実」』には、ご自身が本然、ワクチン接種を受けようと決断するにいたった経緯が書かれています。今と違い、昨年の時点でワクチン接種に慎重な意見をお持ちだったそうですが……。 もちろん、接種の判断は一人一人の自由です。それを前提とした個人的な見解では、接種が可能ならば「打たないという選択肢はない」と、今は思っています。しかし、昨年までは、必ずしもそうではありませんでした。私は、いくつかの著作で、今、接種が進んでいる「mRNAワクチン(※注1)」というタイプのワクチンについて書きました。新型コロナウイルスに対しても、こうしたワクチンが強力な武器になりうると予想していました。ただ、mRNAワクチンはコロナ禍の前から「がんワクチン」などとして研究されていましたが臨床試験(治験)があまり進んでいなかった。また、エボラ出血熱などに対してもワクチンが使われていたものの、何十万人という単位でのデータはありませんでした。したがって、新型コロナワクチンがどれだけ有効でどれだけ副反応が出るのか、当初は予想するのが難しかったのです。昨年11月にはファイザー社やモデルな社から、ワクチン有効率(※注2)が90%をこえたという、臨床試験の結果が発表されました。インフルエンザ向けワクチンの友好率が40~60%程度なので、これは驚異的な数字です。しかしながら、その時点で「安全性」について具体的なデータは、まだ十分でないように感じました。それで私は、「接種については慎重に考えたい」という意見を述べていたのです。 ——しかし、その後、意見を大きく変えられています。 今年に入ってから、米国のCDC(疾病対策センター)が、約2300万人に及ぶコロナワクチン接種者の副反応データの分析結果を公表しました。「重篤な副反応の頻度は、従来のワクチンと同等」という結果でした。つまり、コロナワクチンが他のワクチンよりも危険ということはないと。90%を超える驚くべき有効性があり、「感染予防」の三つの働きが、そろって非常に高い。加えて「安全性」も明らかになったことで、私は「打たない選択肢はない」と確信するに至ったのです。 短時間での進展——コロナワクチンは短期間で開発が進み、人類が経験したことのない規模で実用化されました。その中では、何かと「リスク」ばかりが強調されがちですが、日本での接種はイメ、日本での接種は今、累計回数で世界第5位となっています。 日本の接種の進み方は、予想をはるかに超える、順調な伸び方です。今年の5月、政府が「1日に100万戒」との目標を示した時、私は、それはとてもできないだろう、そこまで行くにはかなり時間がかかるだろうと思いました。ところが関係者の皆さんが、やりましょうということで立ち上がって、力を合わせた。私も今、大阪市での接種をお手伝いしています。接種を担う医師や看護師、役所の方々、アルバイトの皆さん——ものすごく大きなチームが一丸となって、熱心に動いています。接種に関わり始めた当初、短時間でこれほどのチームの動きができるのかと、感動しました。デジタル化の遅れなどなどの課題もありますが、ワクチン接種の実施という点では、見事な進展だと思っています。また、私は、海外からのワクチン確保・供給が、そんなにスムーズに進むはずはないと思っていました。昨年の感染拡大の当初、ヨーロッパやアメリカには、人口比で見ると日本の50倍から100倍に及ぶ新規感染者がおり、そうした地域のワクチンの必要性が非常に高いと思われたからです。また、世界的なパンデミックで、どの国も有効率の高いワクチンを使いたいのは同じですから、ワクチンが日本に来るのが少し遅れてもやむを得ない状況でした。 免疫が働く仕組み——コロナワクチンの有効性の高さは、どんな仕組みで実施されているのですか。 ワクチンは、人の免疫に病原体の情報を覚え込ませておいて、実際に病原体が体内に侵入した時、その外敵から体を守る効果を発揮させるものです。私たちの免疫は「自然免疫」と「獲得免疫」の二段構えの機構になっています。「自然免疫」は、体内に入ってきた多様な病原体に素早く反応します。一方、「獲得免疫」は体内に入った病原体の特徴を〝記憶〟することができ、その病原体が再び体内に侵入してきた時、強く反応し、より多くの抗体(ウイルスなどの異物を体内から排除するたんぱく質)や免疫細胞をつくって体を守ります。コロナmRNAワクチンは、コロナウイルスの遺伝子(RNA)の一部だけを体の中に送り込んで働かせ、あたかもウイルスそのものの感染があったような反応を起こして、自然免疫・獲得免疫を活性化させる仕組みです。このワクチンには、実用化に当たって、多くの工夫がされています。例えば、ワクチンに含まれるコロナウイルスRNAを脂質膜で包み、「脂質ナノ粒子」と呼ばれる形にしたことも、素晴らしい工夫の一つです。自然免疫を働かせる細胞の一つで、獲得免疫を働かせる鍵となる「樹状細胞」や、獲得免疫の主役となる「リンパ球」は、「リンパ節」というところに集中して存在しています。脂質ナノ粒子は、そのリンパ節につながる「リンパ管」に入り込みやすいという特徴があります。インフルエンザの「ワクチンなどは、「水溶性」であり、筋肉注射すると、その個所から全身に散らばっていきます。そのため、リンパ節に入っていく量は、どうしても少なくなります。しかし、コロナのmRNAワクチンは、脂質ナノ粒子の形にしているため、血管に入らず、選択的にリンパ管に入り込むのです。そのため、ワクチンが直接的に、〝免疫の砦〟であるリンパ節に再び運び込まれ、非常に効果的に、強い免疫反応が起きるようになるのです。 ワクチンは人が持つ「戦う力」を何倍にも引き出してくれる ——ワクチンは人体にとって「異物」ですが、そうしたワクチンと免疫の関係は、仏教でいう「縁」と「因」の関係を想起させます。ワクチンが「縁」となり、人体が本来持つ力を引き出してくれるというイメージで……。 当に、そう考えていいと思います。私たちは、もともとコロナウイルスにも反応する力を持っていますが、その力は、そんなに多くない。そして、非常に大きな個人差もあります。しかし、ワクチンは、もともと人が持っている〝戦う力〟を十倍、百倍、千倍にしてくれる。そうして接種を受けた多くの人が、異物に対抗する大きな力を持てるようになる——そういうことだと思います。その上で、例えば「おたふくかぜ」のワクチンの効果が続くのは20年から30年ほど。破傷風、はしかなどは、高価が50年くらい続きます。ところが、インフルエンザはワクチンを打っても4カ月ほどで効果が半減します。つまり、ワクチンの中には、免疫を長期間、持続させてくれるものと、そうでないものがある。これは、ワクチンが悪いのではありません。病気亦ウイルスの中に、長期の免疫を付与するものと、そうでないものがあるのです。その違いの原因については残念ながら、まだメカニズムがよくわかっていません。免疫学者も、答えを見つけられないでいるのです。この問題を解決できたら、ノーベル賞ものだと思います。 ブレイクスルー感染——宮坂名誉教授は、「変異株」に対するワクチンの有効性についても、繰り返し語らえています。 変異といっても、その遺伝子の変化は非常に小さく、ワクチン接種による発症予防効果は以前、かなり大きいといえます。その上で、感染者の保有するウイルスが最も多くなる「デルタ株」の登場で、ワクチンの効果が少し下がりつつあることは事実です。ワクチン接種者が感染する、いわゆる「ブレイクスルー感染」もあります。ただし、例えばイギリスのデータを見ると、ファイザー社・モデルな社のmRNAワクチン、またアストラゼネカ社のウイルスベクターワクチン(※注3)ともデルタ株によって効果が少し下がっていますが、重症化率はどちらも10分の1ほどに抑えられています。また、ブレイクスルー感染による感染者は、ワクチン接種者の中の割合で見ると、非常に少ないです。では、社会に飛び交うウイルス量が変異株によって増えたこと、またワクチンの防御力が、何でも完全に防げるようなものではなかったことが考えられます。社会のウイルスの量を雨に例えるなら、私たちは当初、ワクチンを2回打った人というのは、どんな雨にも濡れない「厚い鎧」をまとったくらいの防御力を得ると思っていました。祖化し、実際にワクチンで得られるのは、「厚い鎧」ではなく「トレンチコート」「レインコート」くらいの防御力だった。すると、ある程度の雨を防ぐことはできても、世間にまだワクチン未接種者が多く、変異株によってウイルスの量も増えると、その「土砂降りの雨」は防ぐことができず、ぬれてしまう。つまり、感染する意図も出てくる。他国の例を見ると、ワクチン接種が6割くらいの状況で、マスク着用などの社会的制限を解除してしまえば、やはりブレイクスルー感染は増えるようです。一方、ワクチンを接種していない人は「裸」の状態といえますので、たとえ雨が少量だったとしても、当然ながらぬれてしまうことになる。やはり、ワクチンは接種した方がよいわけです。日本では、海外ほどブレイクスルー感染が起こっていません。「変異株=ワクチンの効果が落ちた!」とばかり強調する報道もありますが、マスク着用などの対策を社会的に行っていれば、そうした感染は抑えられるのです。そうした対策をとりながらワクチン接種を粛々と進めることで、社会にフルウイルスの『雨』の量を減らせば、トレンチコート・レインコートを着ている人なら基本的には大丈夫ということになるわけです。また、ウイルスの変異は感染者の体内で起こるので、感染者が減れば、新たな変異株が誕生する確率も減ることになります。 抗体カクテル療法——「抗体カクテル療法」(※注4)にも、コロナ禍を打開する上で、大きな期待が集まっています。 昨年、綿井は首相官邸で、コロナの今後の対策についてお話する機会がありました。そこで申し上げたのは、「ワクチン」とともにコロナ対策のゲームチェンジャーになるのは「抗体カクテル療法」だということでした。日本でも、国内製薬会社がこの治療薬を作っており、その効果は劇的です。東京都では、重症化リスクの高い人に治療薬を投与すると、2~3割の人は2日以内に症状が消え、残りのうち半数は、症状が出ないまま1週間以内に退院できています。まだ、世界的な供給量の不足や価格などの課題もありますが、この治療薬が広く実用化すれば、重症者が激減すると思います。 誤解を解きたい——ワクチンについては、玉石混交の情報、悪質なデマ情報も飛び交っています。 最近は、厚生労働省のホームページなども、情報発信の工夫を凝らしていますね。コロナワクチンのような「mRNAワクチン」については、がんワクチンなどの形で開発されてから、すでに10年がたっています。その間に、さまざまな実験も行われており、ワクチンのウイルス遺伝子が子孫に遺伝していかないことや、体内に注射したmRNAは2日以内に分解されましたが、その基幹的な研究には長い歴史があるのです。私が本を書いている一番大きな理由は、どうしたらワクチンに対する世間の誤解を解けるか、という思いがあったからです。〝免疫学の祖〟の一人は、北里柴三郎という人です。つまり、免疫学は日本人によって始まっている面もあるわけです。日本の免疫学は今、世界のトップクラスでしのぎを削っていますが、まだまだ、さまざまな謎が解けていません。日本の若い人にはぜひ、免疫学の分野で、ノーベル賞を受けるくらいの活躍をしてほしいと願っています。 注1 「メッセンジャー・アール・エヌ・エー・ワクチン」ウイルス遺伝子(RNA)の一部を含むワクチン。その遺伝情報をもとに体内でウイルスのタンパク質の一部が作られ、これに対して抗体などが産生されることで、ウイルスに対する免疫ができる。 注2 ワクチンが発症を減少させる割合。「ワクチン降下率=[1-〈接種者罹患率÷非接種者罹患率〉]×100」。例えば、摂取した100人のうち5人が発病し、摂取しなかった100人のうち50人が発病したなら、接種者罹患率5%、非接種者罹患率50%で、有効率は90%。 注3 発病性のない(コロナとは別の)ウイルスをベクター(運び屋)として利用するワクチン。 注4 2種類の抗体を組み合わせた薬を投与する治療法。軽症・中等症の治療に用いられ、日本では現在、点滴で投与されている。 みまさか・まさゆき 大阪大学免疫学フロンティア千九センター招へい教授。1947年、長野県生まれ。京都大学医学部卒業、オーストラリア国立大学大学院博士課程修了。医学博士。東京都臨床医学総合研究所等を経て、大阪大学医学部教授、同大学大学院医学系研究科教授を歴任。2007年~08年に日本免疫学会会長。著書に『免疫力を強くする 最新科学が語るワクチンと免疫の仕組み」(講談社)、『新型コロナ 7つの謎 最新免疫学からわかった病原体の正体』(同)など。 【危機の時代を生きる】聖教新聞2021.10.8
January 8, 2023
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野球殿堂入りに驚きノンフィクション作家 佐山 和夫球歴を聞かれて、「中学のボールボーイでした」というしかない男が、野球殿堂入りするなんてことが、あるものだろうか。それがあるのだから、驚くのではないか。中学というのも、戦前の旧制中学なのだ。名を言えば、和歌山県立中学。現在の桐蔭高校の前進だ。戦争末期、父がそこの教師をしていた関係で、私たちはその校内の官舎で暮らしていた。私は和歌山県師範学校付属国民学校(小学校)の三年生だった。学校から帰って飛び出す先が、中学のグラウンドだったのはそういうわけで、野球部のボールボーイになったというのも、ごく自然な流れだったといえる。近くには、海草中学、海南中学、和歌山商業、和歌山工業などの強豪があった。しかし、自他共に許す県下ナンバー1といえば、和歌山中学に違いなかった。厳しい監督がいるわけではなかった。日常の練習などは、上級生たちの立てる計画に沿って、自主的に進められていた。バッティング練習のときに飛び出すファウルボールを拾いに走るのが私の仕事だった。一塁側には巨大なスタンドがあり、その向こうは砂山の松林だった。そこへボ-ルが飛ぶたびに、私はスタンドを登り、赤いレンガの兵を超えて、松林を駆けずり回るのである。それが楽しくてならなかったのは、県下無敵のチームのお役に立っているとの自負からだった。破れたボールを持って帰ることもあった。母に縫ってもらって、よく朝の練習に用立てるのだ。物質払底あの時代に、母はどこからか新しい布地を探してくれ、私にユニフォームを縫ってくれた。生地そのものは、スフという粗末なものだったが、上下ちゃんと揃ったもので、左の胸には、選手たちと同じWのマークもついていた。あれは「ボールボーイをするならするで、しっかりやりなさい」という母からのメッセージだったのだろうか。和歌山中学の野球が特別に強かったのには理由があった。東京の六大学などに進学した卒業生たちが、帰郷したときに母校にたちより、戦法を現役選手に伝えたからだ。スクイズでも、ヒットエンドランでも、最新の方を試合で用いれば、見事に決まるのである。今の言葉でいえば、『情報化』と呼ばれるべき事が、長時間の猛練習より効果的であることを、当時の私はすでに幼くして感じていた。のちに野球に関する本を書くようになったもとには、その頃の経験がある。しかし、殿堂までに私を送ってくれたものはというと、やはり、あのWのユニフォームだったのではないか。驚きの情報が届いた日、私は改めて遠き日の母に深い感謝を捧げた。(さやま・かずお)【文化】公明新聞2021.10.8
January 7, 2023
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自分を安売りするな不安から自分を守るために従順することで、ますます人から嫌われることが怖くなる。人から嫌な顔をされると落ち込んで泣きたくなる。ときには、どうしていいのかわからないで死にたくなる。それほど嫌われるのが恐ろしくなる。じつは、自分の立場を主張しても嫌われるわけではないのに、嫌われる気がしてくるのである。相手と自分と、どちらが要求して、どちらが従ってもいいのに、相手が要求し、自分が従うのが当たり前になってくる。それが心の習慣になる。いったんそのような習慣ができると、相手の言うなりになっていかないと、なにかとんでもないことが起きるように気がしてくる。自分が人に迷惑をかけることを恐れる。しかし、人が自分に迷惑をかけることには抗議できない。典型的なのはメランコリー親和型の人である。この種の人は、人を利用する人の餌食になってしまう。そして、利用される不満を自分の中で処理できないで、最後にはうつ病になる。うつ病にまで追いつめられてしまう人は、従順というよりも、自分を安売りしている。自分を安売りしたり、相手に過度に従順になったりすると、相手は逆に自分自身を過大評価し始める。あなたは自分を安売りしているのに、相手はあなたを高く買ってやったと思いがちである。そして、あなたはしなくていい仕事をする。してあげる必要がないことまでしてあげる。あなたの責任でないことまでしてあげて、疲労困憊する。その結果、相手はさらに高慢になる。相手は、あなたをたいしたことのない人間だと思うようになる。 【不安のしずめ方―人生に疲れきる前に読む心理学】加藤諦三著/PHP文庫
January 6, 2023
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自分を出せば自信がつくたとえ相手に気に入られたとしても、気に入られることで、その人の心の底の不安がなくなるわけではない。支配―服従の関係にあるものは、基本的にいつも不安である。どんなに相手に服従しても、「見捨てられる不安」から逃れるわけではない。カルト集団などの信者が教祖に競って服従する。教祖に対して服従競争をする。それは服従しても服従しても、不安が消えないからである。そして、いつも相手が怒るのではないかとビクビクしている。相手の不機嫌が怖い。その怯えた態度は、心の底の頼りなさがあらわれたものである。迎合したものは、いつも脅えている。相手が上司であれ、親であれ、友人であれ、配偶者であれ、恋人であれ同じことである。いつも相手が不機嫌になるのではないかとビクビクしている。人は、自分が心理的に依存しているものに脅える。相手の気持ちがどうなるかに脅える。サルがライオンを怖いと思ったら、ライオンの方は好き勝手なことをする。怖いと思ったサルは、ライオンを喜ばすことをする。生きることの中心が相手になってくる。サルがライオンを好きなら、「サルはこんなことするんだよ」とライオンに言う。自分が中心になる。同じように、孫がお婆ちゃんを好きなら、孫は勉強でも手伝いでもやる気になる。もし親が嫌いなら、子供が頑張る動機は不安である。これは大人になったときにノイローゼになる生き方である。不思議なもので、相手に気に入られたいと相手に服従することで、逆に相手を心理的に遠い存在にしてしまう。相手の顔色をうかがうだけで、相手とのコミュニケーションができなくなる。カレン・ホルナイの言う「迎合」も、エーリック・フロムの言う「服従」も、彼らの言うごとく人を救わない。人生の課題をなにも解決しない。しかし、人は見捨てられる不安を持つときに、迎合することで不安から逃れようとする。そして、見捨てられる不安から、迎合的な態度をとることで、その人の見捨てられる不安はさらに深刻化する。迎合は人生の課題を解決しない。これはいくら肝に銘じても銘じすぎることはない。逆に自分を出せば自信もつくし、人からの好意がなくても生きていけると感じられるようになる。 【不安のしずめ方―人生に疲れきる前に読む心理学】加藤諦三著/PHP文庫
January 5, 2023
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いのちの手段化への危ぐ——研究目的に受精卵を作ってよいのか島薗 進難病克服の可能性京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞を作り出すことに成功したのは2006年、その功績でノーベル賞を受賞したのは12年である。米国のダウドナ教授とフランスのシャルパンティエ教授がクリスパー・キャス9によるゲノム編集を可能にしたと報告したのは12年、その功績でノーベル賞を受賞したのは20年である。生命科学の発展はめざましいものがあり、人の発生過程を解明・利用し、新たに病気や障害を解決できる可能性が大きく広がってきている。iPS細胞は体細胞から作り出される「多能性幹細胞」だ。「多能性幹細胞」は受精卵からES(胚性幹)細胞として樹立するしかなかったのだが、分化した体細胞から同等のものが作り出せるようになった。また、ゲノム編集は、各人がもつ遺伝子配列を入れ替えて好ましい者に変えるというものだ。遺伝子を入れ替え、難病を治療する可能性が高まってきている。これらは、始まりの段階の人間の生命を利用し、病気を治したり、身体を改造したり、身体組織を作ったりすることを可能にする技術だ。加えて、人の生命と身体を新たに作り出し、病気を治療するための研究に使えばその効果は大きい。しかし、そもそも「人(ヒト)の生命をつくる」ことはしてよいことなのだろうか。 どこで線を引くか首相が主宰する総合科学技術・イノベーション会議の生命倫理専門調査会は2021年9月から、『「ヒト胚の取扱いに関する基本的な考え方」見直し等に係る報国(案)(第三次)』に対する意見の募集(パブリックコメント)を行っている。この第三次報告(案)は、新たに胚(受精卵)を作成してゲノム編集技術等を施し、遺伝性・先天性疾患研究の治療の可能性を調べ高めるための研究などを認めようというものだ。すでに第一次、第二次報告はまとめられ、生殖補助医療の改善、遺伝性難病棟の根治的療法の開発へとつながる可能性がある限りで、ヒトの受精卵にゲノム編集技術を用いることを容認する方向性が出されていた。第三次報告で、新たに受精卵を作成して、それにゲノム編集や類似の操作を実施することで容認しようというものだ。これまでは余剰胚ならば用いてよいとした。余剰胚というのは、不妊治療で体外受精したが使われず残って冷凍された受精卵を指す。いずれ廃棄するものなので、廃棄するぐらいなら利用してもよいということだった。ところが、いまや新たに研究・利用するための胚を作成することまで許容しようというのだ。現段階ではゲノム編集を施した受精卵を子宮に着床させ、誕生に至るということまで展望されていない。これは18年に中国の科学者が正当な理由なく行って、世界から厳しい批判を浴びたことだ。その科学者は中国の法に違反したとして刑に服することになった。だが、受精卵の段階での研究で遺伝性難病に限定するとしても、その範囲の外にある難病を治すために用いてはいけない理由を明確にしておかなくてはならない。「すべり(やすい)坂」という比喩で論じられるが、いったん許容すると、どこかで線を引き、そこから先はいけないと禁止することは大変に難しい。 育てば人になる存在もう一つの重要な問題がある。1970年代末に体外受精が行われるようになってからごく最近までは、生むのではない受精卵を作ることは基本的に許されないと考えらえてきたことだった。これは生まない人間の生命をつくって、それを何かのために利用するということ自体が人間の尊厳を脅かすことだと考えられてきたからだ。これは人間の生命を道具や手段として遇することにならないか。育てば人間になる存在を他の人の生存のために利用することは、個々の人間はかけがえのない存在であり、手段として遇してはならないという倫理の基本に反することではないだろうか。いのちをつくってもよいことにすれば、いのちを壊してもよいということにもなる。これまでも特定の場合には、受精卵が廃棄されたり妊娠中絶されることはあった。だが、それはやむをえざる事情があってという条件があった。だが、難病治療等の良き目的があるとはいえ、研究のために新たに人間のいのちをつくるということは許容できることなのか。そこに人のいのちを軽く扱う行為が含まれてしまうのではないか。こうしたことについて、世界の人々、日本の人々はあまり関心を払っていない。よく自覚しないうちに、人類の倫理基盤の重大な変化が進んでいる。これはおかしい。認識を深めるべきことだ。(上智大学グリーフケア研究所所長) しまぞの・すすむ 1948年、東京都生まれ。東京大学名誉教授。主な研究領域は近代日本宗教史、死生学。日本宗教学会会長など歴任。著書に『〈癒す知〉の系譜』『いのちを〝つくって〟もいいですか?』、『死生学Ⅰ 死生学とは何か』(共編著)などがある。 【文化・社会】聖教新聞2021.10.5
January 4, 2023
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各国で政府が産業創出を支援尾松 亮地域の再生と国の責任廃炉事業それ自体は、雇用や税収面で立地地域にとって長期・安定的な新産業にはなりえない。原発閉鎖の影響を受ける立地地域が自力で「廃炉以外の新産業」を創出することも困難だ。海外では廃炉地域の経済・社会聖性に、政府を関与させる制度作りや取り組みが積み重ねられてきた。ドイツでは、1990年に閉鎖した旧東ドイツ・グライフスヴァルト原発周辺地域の経済再生のために連邦政府が30億ユーロ以上の支援を行った。廃炉時代を迎えた立地地域では、国営事業者EWNが地元自治体と協力して新工業団地の形成、廃炉以外の新事業誘致に成功している。英国では2005年、政府が原子力廃止措置期間(NDA)を設立した。NDAは全国17の原子力施設廃炉を担当する政府機関で約1万6000人が雇用されている(20年時点)。立地地域の社会・経済再生に取り組むこともNDAは「廃炉事業に依存しない地域経済創出」を掲げ、立地地域でインフラ整備や事業創出を支援している。米国では廃炉中・廃炉後の立地地域に対して、保管を続ける「使用済み燃料」の量に応じて連邦予算から経済影響緩和基金を初出する新法案が議論されている(座礁原発法案、本連載第2~4回)。この法案はエネルギー省が立地地域のための経済再生タスクフォース(特定任務に当たるチーム)を設立することを求めており、これも「廃炉時代の地域再生」に国を関与させる方針を示している。制度の違いはあれ、廃炉先進国では「地域再生に国を関与させる」仕組み作りがひとつのスタンダードになりつつある。民営原発であっても、その廃炉と地域再生に国(あるいは国営企業)が関与する制度設計である。日本では廃炉決定した原発の立地地域で「廃炉によって地元経済を維持する」という方針が語られることもある。しかしながら「廃炉頼りの自力再生」が行き詰ることは、海外の廃炉先行地域の経験が示している。立地自治体の「自力再生」を唯一の選択肢とせず、地域再生に国を関与させる仕組みを求める必要がある。(廃炉制度研究会発表会代表) 【廃炉の時代―課題と対策―21】聖教新聞2021.10.5
January 3, 2023
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ナポレオン没後200年「近代の扉」を開いた英雄京都大学 杉本 叔彦 名誉教授留意すべき革命の限界——ナポレオンへの批判と同様、米国では奴隷を所有したジョージ・ワシントン初代大統領を批判する声が広まっています。各国で現在、21世紀の価値観に合わない主張や行動をとった人物・伊人の座から降ろそうとする動きが繰り返されていますが、こうした批判について、どう捉えていますか。杉本叔彦名誉教授 カリブ海のマルティニーク島では、ナポレオンの妻ジョセフィーヌの石像が破損されました。彼女は、奴隷を使役していた農園主一家の娘だったからです。英雄や偉人にも当然、問題があります。歴史家はそれを明らかにしますが、だからといって、その功績をすべて否定するべきではありません。歴史研究の視点から見れば、ナポレオンは「フランス革命の申し子」である一方、さまざまな時代の制約の中で生きていました。フランス革命によって廃止された奴隷制を復活させたことが批判されていますが、そもそも革命後のフランスは奴隷制廃止に積極的ではありませんでした。1794年、革命政府は廃止を決議しましたが、人権宣言から4年以上の歳月がたっていました。奴隷制度廃止の実現には、人道主義的な観点とともに、フランスが英国と交戦するなか、カリブ海にある西インド諸島の農園主が敵国に加担していることへの対抗であるという側面が強くありました。農園主は王党派であり、本国革命政権と対立。敵国と内通し、その力を借りて農園経営を続けようと画策していました。おりしも黒人奴隷の反乱がおきたことから、革命政府は奴隷を解放し、西インドを解放し、西インド諸島をフランス領として保持しようとしました。つまり、対英戦争の戦略的必要性が制度維持の声を抑えたわけです。——ナポレオンはなぜ奴隷制度を復活させたのでしょうか。杉本 ナポレオンが政権を掌握し、英国との戦争を終結させたからです。1902年3月にフランスと英国との間でアミアン和約が成立すると、わずか2か月後には奴隷制度復活の布告が出されました。それが当時の〝民意〟だったといえます。フランスで奴隷制が再び廃止されるには、19世紀半ばまで待たなければなりませんでした。自由・平等・基本的人権を掲げるフランス革命は、人類史に輝く歴史的偉業だったことは間違いありません。しかし、今日的な基準から見れば、フランス革命にも限界があったのです。奴隷制度の問題は代表例です。ナポレオン個人の責任を問うだけでは、フランス革命が抱えていた問題点が隠れてしまいます。英雄の負の側面については、過度期社会という当時の時代背景を視野に入れながら総合的に評価する必要があるでしょう。 常に先頭に立つ指導者——ナポレオンは今も英雄として多くの人々に愛されています。その理由は何でしょうか。杉本 自身の「能力」で立身出世したことが、多くの人々の共感を得たと考えます。18世紀の社会では、血統や家柄で何もかもが決まっていましたが、フランス革命以降、ブルジョワ(有産市民層)中心の社会に変わり、自身の努力で人生の道が開けるようになりました。しかも、ナポレオンは皇帝にまで上りつめた。当時の若者にとっては憧れの対象になったことでしょう。また、大西洋の絶海の孤島セントヘレナに追放され、そこで死を迎えたことが影響しているといわれます。成功物語で終わらなかった、波乱に富む人生には「ドラマ性」があったということ。日本の戦国武将でも、徳川家康より豊臣秀吉に、秀吉よりも織田信長に「英雄像」を見る人が多いのと同じでしょう。——ナポレオンは、どのような理想を抱いていたのでしょうか。杉本 端的に言えば「ブルジョワ革命」だったと考えられます。彼の発想は、19世紀以降の欧米社会を領導していく中産階級の人々の目標に重なっていたといえます。民衆には「平等」の実現を、富裕な商工業者や農園主には「経済活動の自由」「私有財産の不可侵」を保証し、自由で豊かな生活を目指すものでした。——ナポレオンの軍隊は1812年に始まるロシア戦役まで、ほぼ連戦連勝を重ねました。彼はまさに「常勝将軍」でした。杉本 ナポレオンは、たたき上げの軍人でした。将軍や統領、皇帝になった後も、戦場の全線で指揮をとりました。ナポレオンが軍隊内で頭角を現す契機となったトゥーロンの戦い(1793年)では、正さとして一部隊の陣頭指揮に当たり、大ケガを追います。しかし、そうした姿勢が将兵から信頼や忠誠心を勝ち得ることになったといわれています。現代の企業や組織でも、社長が自ら先頭に立ったり、上司が現場へ足を運び、現場の人々の意見を聞いたりすることで、部下たちは仕事への意欲を高めることができます。戦術を除くと、ナポレオンが快進撃を続けた主な要因として、優れたリーダー像を体現していたことが挙げられます。 現在に残した功績多く——教授はナポレオンについて、「最初の近代政治家」「近代国家の予言者」と位置付けられています。杉本 はい。ナポレオンは、フランス銀行やリセ(中等教育機関)を創設したり、官僚制度を整備したりと、経済・教育・行政の近代化を推進しました。軍事利用の観点から科学技術の振興にも大きく貢献した。また、戦勝記念としてパリの凱旋門の建設を命じたことをはじめ、文化面でも多大な功績を残しました。業績主義を採用したことも功績の一つです。彼は、ルーブル美術館の部長を兼務する美術行政部門の最高ポストに、芸術家のヴィヴィアン・ドノンを抜擢しました。卓越した鑑識眼をもつドノンはその期待に十分に応え、美術館のコレクションを豊かにしたのです。有能な人材の登用は、さまざまな分野に及びました。「信教の自由」も、ナポレオンによって確立されました。彼はフランス革命以来の政府とカトリックとの対立を解消しました。これまで統治のために人々の信仰心を利用したと批判されてきましたが、ムスリム移民・難民との摩擦が生じている現在のフランスでは、ナポレオンの宗教政策を再評価する声が高まっています。——特筆されるべき功績として挙げられるのは、1804年公布の「フランス人の民法典」です。杉本 民法典には「万人の法の前の平等」「私有財産の不可侵」「経済活動の自由」などが明文化されており、フランス革命の生家である自由・平等が一つの法体系としてまとめられました。法の秩序を基礎とする近代市民社会に進む扉を開いたといえます。日本を含む各国が模範とした卓越した法典です。ナポレオンは若いころから大変な勉強家でした。ルソーの啓蒙思想書や、ゲーテをはじめ文学作品を読みふけったといわれています。こうした読書経験がナポレオンの近代的思考を育み、数多くの功績につながったのでしょう。とはいえ、民法典にも時代遅れな内容が含まれていました。近年よく指摘されるのは「夫婦間の不平等」です。父権・夫権は強化される一方、既婚女性は法的無能力者とされ、訴訟を起こすことはできませんでした。夫の協力や同意なしに、財産の贈与・譲渡や抵当権の設定も行えなかった。女性の地位は大きく低下させられたのです。フランス革命の前と後、つまり「二つの時代のはざま」を生きたナポレオンゆえに、「近世的なもの」と「近代的なもの」との二重性があったといえます。 すぎもと・よしひこ 1955年、京都府生まれ。京都大学文学部卒。静岡大学准教授、大阪大学教授、京都大学大学院研究科教授を経て、現在、同大名誉教授。専門は、フランス近代氏。著書に『ナポレオン——最後の専制君主、最初の近代政治家」、『ナポレオン伝説とパリ——記憶史への挑戦』など。 【オピニオン】聖教新聞2021.10.4
January 2, 2023
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格差是正へ再分配強化を中間層回復は社会安定のカギ駒村康平慶応義塾大学教授に聞く20年間続く「下流層」拡大労働・産業政策 見直す時雇用安定、独占禁止など重要課題 ——格差拡大の現状は。 駒村康平教授 日本では、国民を所得順に並べて男中に来る人の所得額(中位等価化処分所得)が20年間、ずっと低下している。この所得額の半分が貧困ラインであり、貧困ラインが低下しているのに、このラインに満たない人の割合(貧困率)は現役世代も全体も緩やかな上昇傾向にある。つまり、国民全体が貧しくなっている中で、もっと貧しい下流層が増えている。富が富裕層から低所得層に徐々に滴り落ちるとする理論「トリクルダウン」の発想は、賃金上昇に貢献しなかっただけでなく、貧困・格差を拡大したといえる。 そこにコロナ禍が襲ってきたのが今の状況だ。ただ、諸外国のように閉塞感が社会・政治の混乱につながっていない。このため、貧困・格差の悪影響が十分に認識されにくくなっている。この背景には、貧困・格差は自己責任、自助の不足だという認識があるのかもしてない。 ——格差が社会にもたらす悪影響について。 駒村 婚姻件数や出生数の急激な低下、ひきこもり、精神疾患、児童虐待、DV(配偶者などからの暴力)、自殺の増加といった形で、「社会の持続性」を奪っている。 格差を是正しないと、資本主義的製剤自体の持続可能性がなくなる恐れがある。米国でも、買電政権の政策を見ると格差是正の方向にかじを切ったのではないか。1970年代後半以降の、いわゆる小さな政府や、自由競争・格差拡大を放置する政策から潮目が変わってきている。 米国は中間層が崩壊状態にあり、これが社会の不安定要因となってトランプ政権末期の混乱を生んだ。困窮層が多く失業率が高い地域でトランプ氏が支持されたが、社会に対する不満の受け皿を政治が担った時に、ポピュリズム(大衆迎合主義)の方向へ動き、社会の不安定化につながった。社会の持続性を高めるには、生活的にも安定している中間層をいかに分厚くするかがポイントだ。 ——中間層の回復に必要な取り組みは。 駒村 コロナ終息後に元の小さい政府や規制緩和路線に戻るのではなく、累進課税や社会保障給付の充実など意図的に細分パン政策を強化するべきだ。また、経済成長のためには規制緩和や競争政策よりも、労働者を守るセーフティーネット(安全網)や再チャレンジの仕組みが大事だと考えている。社会保障のみならず、雇用の安定や不利な労働条件の改善、独占禁止などの労働・産業分野も含めた新たな社会政策を今こそ求めたい。 コロナ禍で「貧困の連鎖」深刻低所得の家庭に影響直撃教育・保育の質向上などで親を支える体制が不可欠——親の経済格差が子どもに引き継がれる「貧困の連鎖」も大きな問題だ。駒村 コロナ禍で深刻度が増す恐れがあり、もっと公明党に頑張ってほしいと思っている課題だ。〝親が子どもを育てるのが一番〟という発想があるが、低所得世帯では親の教育力や生活力が落ちている傾向があり、貧困の連鎖の重大な要因になっている。例えば、子どもの学力格差は長期休暇中に生じるという研究結果がある。裕福な家の子どもは休暇中に学習塾に通ったり旅行に行ったりできるが、生活にゆとりのない家の子どもはそうした経験ができず、むしろ家にいることで日常生活の影響を直接受ける。親元にいれば安心だという話ではない。コロナ禍による「ステイホーム」が長引き、家にいる時間が多くなることで、子どもたちの格差が広がるとの指摘もある。ストレスなど子どもの精神の影響も深刻だ。加えて、近年は児童虐待の件数が増え続けている。親が無職の家の子どもの死亡率も上昇傾向にある。どの子家の子に生まれたかという運次第で人生が左右されることを意味する「親ガチャ」という言葉が話題だが、そのような貧困の連鎖は絶対に断ち切らなければならない。——連鎖を断ち切るには。駒村 家計支援の充実も必要だが、是非とも親を支える仕組みの構築に重点を置いてほしい。教育・保育の充実や保育人材の処遇改善。いつでも親が子どもについて相談できる体制など、公共サービスの質向上に、より予算を投入すべきだ。子どもがいる家庭や子どもをほしいと思う家庭が安心して暮らせる政策を実行することが、少子化対策となり、貧困の連鎖を断ち切ることにつながる。 弱肉強食から「助け合い」に公明の発信で潮目変えよ新政権の方向示す役割に期待——格差是正に向けて日本が目指すべき社会像は。駒村 私の理想は、競争を重視する新自由主義から転換した「助け合う社会」の実現だ。この重要になるのが、従来の弱肉強食・自己責任という社会の〝空気感〟を変える強力なメッセージを政府が発信することだ。空気感の重要性について、「囚人のジレンマ」というゲーム理論を巡る一つの実験を紹介したい。この理論は、2人のプレイヤーがお互い協力するか、相手が裏切るかによって、得られる利益が異なるゲームにおいて、自分だけ得をしようとすることで、お互い協力するよりもかえって悪い結果を招くというものだ。実権では、このゲームをはじめる前に、あるグループには、弱肉強食で相手を裏切って自分の利益のみ追及する社会を思わせる「ウォール街ゲーム」を行うと宣言し、もう一方には、他者の利益も考慮することを想像させる「コミュニティーゲーム」を始めると伝えた。ゲームのルールは変更せず、〝呼び名〟だけ変えたというわけだ。結果はどうか、ウォール街ゲームの参加者は多くが相手を裏切ったが、コミュニティーゲームでは多くが互いに協力した。呼び名が異なるだけで相手への認知や期待が変化し、結果が変わることになった。現実の人間は100パーセント利己的でも利他的でもない。実際の行動は、お互いに相手を信頼できるかどうかという点で決まる。その認知に影響を与えるのは、ゲーム(社会)の空気(雰囲気)ということだ。——公明党に求められる役割は。駒村 公明党はウォール街ゲームを勧める政党ではなく、コミュニティーゲーム、則ち格差縮小や中間層の回復を制作に掲げる党だと認識している。新政権が発足する今こそ、公明党が「お互い助け合って皆が豊かになる社会にしよう」と発信し、社会の潮目を変えて、政権がそうした方向に進むよう取り組むべきだ。格差拡大によって社会に閉そく感が漂い、日本全体が精神的に鬱屈している。その空気感を変え、新型コロナで傷ついた人々を癒し、信頼と助け合いの社会をぜひとも築いてほしい。 こまむら・こうへい 1964年、千葉県生まれ。慶応弘熟大学大学院博士課程単位取得退学。経済学博士。国立社会保障・人口問題研究所、駿河台大学助教授、東洋大学教授などを経て現職。著書に『中間層消滅』(角川新書)、『社会のしんがり』(新泉社)など。 【土曜特集】公明新聞2021.10.2
January 1, 2023
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