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洋の東西を問わず、古代・中世においては「貧困」は悪ではありませんでした。病や障害などによって、貧困の境涯に落ちた人々は、軽蔑の対象どころか、しばしば「聖なる存在」として大切にされたのです。それは身体的、精神的障害を持った人々も同様でした。当時、最大の罪であり、最大に軽蔑すべきは「貪欲」だったのです。
それがヨーロッパにおいては十七世紀から、「怠惰」が最大の罪となっていったのです。貧困者は畏敬の念をもって施与される対象ではなくなりました。貧困を神聖と考える感性が失われていったのです。貧困や狂気は侮蔑の対象となったのです。施設に収容され、労働のために教育されました。これが、フーコーが『狂気の歴史』で立証したことです。今でも、インドに行くと貧困を神聖とする感性が残っています。インドの聖者は金持ちではダメです。だから、多くのインドの金持ちは最終的に財産を捨てようとします。そのことは、日本とインドの最大の違いかもしれません。
以上のようなことからも分かるように、今の日本の感性や常識で、単なる慈善ではなく、宗教的実践である古のインドの施与、布施を考えることはできません。
【ブッダは歩む ブッダは語る——ほんとうの釈尊の姿 そして宗教のあり方を問う】友岡雅弥著/第三文明社
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