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居場所を巡る旅
被災地と向き合うなかで
仙台に住む家族が被災したことがきっかけで、東日本大震災の被災地を訪ねるようになった磯前順一・国際日本文化センター教授。被災地から聞こえてくる犠牲者、被災者の心の声を『死者のざわめき 被災地信仰論』(河出書房新社)などにまとめ、その度、被災と向き合う学者の「居場所」について考えてきた。磯前教授に聞いた。
悲しみ、尽きない思いを翻訳する
自身の無力さ認め、自ら問う
磯前 順一
かき消された言葉を聞く
私が被災地を初めて訪ねた 2011 年4月当時は、被災者を支援するボランティアや震災の被害を調査する多くの研究者が被災地に通っていました。そのなかで、心に深く刺さったのは、被災地で出会った僧侶から言われた一言でした。それは「学者であれば、学者らしい役割を果たしてほしい」というものでした。
被災地に通う学者、研究者の中には、被害の甚大さに圧倒され、それを言葉にできず、ボランティアに加わり、泥夏季や炊き出しを手伝うようなる人もいました。しかし、それは学者としての知的責任を放棄していくことにならないか、私は疑問に感じていました。
また、被災地を案内してくれた知人の学者は「身近に家族を亡くした人がいる私たちには言葉を発することは簡単ではない。しかし、被災地の外から通うあなたにはそれができる。学者として被災地の思いをどう言葉にできるのか。その覚悟を持って被災地に向き合ってほしい」と私に語ってくれました。
当時の私が、かき消された犠牲者の声、言葉にならない被災者や遺族の声にどれだけ耳を傾け、それを言葉として伝えることができたのか、それは分かりません。しかし、死者と共に被災した人々の心の声に耳を済ませて、彼らの尽きぬ思いを言葉に表していく一種の翻訳作業が必要であることは、知人らの言葉がひしひしと感じていました。それが。震災4年後に、拙著『死者のざわめき』を出すことにつながったのです。
責任放棄する学者、研究者も
学者や研究者の中には、被災者の悲しみを言葉にできない自身の無力さに溺れ、被災者と同じ痛みを共有しているかのように振る舞う人もいました。「こんなことを書いたら被災地の人は傷つきますよ」と語る学者らの言葉は私を何度も耳にしました。
しかし、その結果、実際に被災地で何が起きたイルカを伝えようとする言葉は握りつぶされ、被災地の人々は気の毒な被災者といった捨てれをタイプ化された被災地のイメージが作り上げられていったのです。自らの責任を放棄した学者や研究者の罪は決して小さくありません。
震災後、仙台で大学吸引となった友人から、私は被災者に向き合う学者の姿を学びました。自らも家族も被災していない彼でしたが、対する学生は被災したり、家族を失っており、彼らが書くリポートや卒論では必ず震災について触れられているのです。それらを読むことはつらく、どう評価すればよいかもわからない。しかし、彼は「学生たちに寄り添うとは言わない。言葉にできない自身の無力さを歯がゆく思うけれど、立ち止まり、個の無力さと向き合い続ける」と自ら決め、現在も被災地の大学の教壇に立ち続けています。
奪われた「喪の行為」に気づく
東北から新しい学問が
2016 年、震災論の集中講義を先代の大学で行ったときのことです。対話を通し、教室に笑顔がやって来たと感じ始めていたなか、笑わない学生がいることに気付きました。
学生の出身地は福島県南相馬市小高区。当時、彼女は仙台に住んでいましたが、家族は原発事故の影響で転々としていました。「うちの村の人は泣けないんです。表情がないんです。いつ村に帰れるか、泣けることがうらやましいです」と彼女は語りました。
今も泣けない福島の人々の悲しみに触れ、それは何に起因するのか、理解したいと思いました。そして、それは「喪の行為」が欠けていることにあると、被災地の学者たちとの対話を続けるなか気付きました。日本では弔い上げといって、 33 回忌や 50 回忌を節目に故人への法要に一つの区切りをつけてきました。
福島の人々は、こうした「喪の行為」、心の痛みを胸に置き、悲しみに蓋をする権利を奪われていたのです。なぜならば、それは天寿を全うする権利を奪われた不条理な死であったからです。
被災地における「喪の行為」をどれだけの人が意識していたでしょうか。また、それを伝えられない学者が被災地を見えにくくしているのではないかと思っています。
被災者の心の底にあるつらさに触れるとき、私は言葉を失います。それでも立ち止まり、自身の無力さを認めながら、自ら問います。「どうするのか」と。
そこに居場所はありません。まさに宙ぶらりんの状態です。しかし、だからこそ彼らから聞く資格を持つことができるのではないかと思います。それこそが聞くものの倫理ではないでしょうか。私の恩師の安丸義男は「人々の生活に踏み込んでいく俺たちは、その報いとして自分自身の居場所はないという覚悟が必要なのだ」と常々語っていました。
表現者でもある学者は被災者の声を言葉にし、それを読む人に時として痛みを与えることも覚悟し、発信する役割を引き受けなければならないと考えています。それは被災地を想う力を引き出すためにも必要なのです。
私は東北から新しい言葉、学問が生まれてくると思っています。そして、それは被災者の深い悲しみ、学者をはじめとする表現者たちの覚悟によって語られ、築かれていくものなのです。
いそまえ・じゅんいち 1961年、茨城県生まれ。文学博士。東京大学宗教研究室助手、国立歴史民俗博物館や奈良文化財研究所等で研究員、非常勤講師を務め、現職。専門は宗教・歴史研究。著書に『宗教概念あるいは宗教学の死』、『(死者/生者)論』(共編著)などがある。
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