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現代を問う三木清の「人生ノート」
戦後最大のベストセラー
「人間を一般的なものとして理解するには、死から理解することが必要である。」
この仏教哲学的命題は、三木清著『人生論ノート』の一節である。三木は、 20 世紀の日本を代表する哲学者の一人だ。市民哲学者の先駆ともいわれる。三木の残した言葉は、現代の多くの場面で私たちに哲学の重要性を突き付けてくる。
三木清は 1897 (明治 30 )年、現在の兵庫県たつの市に生まれる。旧制龍野中学から旧制一高、京都帝大に進んだ三木は、京都学派の祖でもある同大学教授・西田幾多郎のもとで哲学を志す。後年三木は、一高時代に西田の主著『善の研究』に出会ったことが「私の人生の出発点となった」と述べている。三木は 1922 (大正 11 )年に岩波書店の創業者・岩波茂雄の支援を得てドイツとフランスに留学しリッケルやハイデガーらに師事。パスカルの研究にも取り組んだ。 25 (同 14 )年に帰国した三木は翌年、『パスカルに於ける人間の研究』を発表し注目される。
余談だが、幹人岩波書店の関係は深く、留学先のドイツのレクラム文庫を手本に 27 (昭和 2 )年、三木が日本で初めて文庫本様式を考案し誕生したのが岩波文庫。今も文庫本巻末にある岩波茂雄による「読書子に寄す」の草稿も三木が起こしたものだ。
人間存在そのものに価値
利他の心で自他共の幸福
一方で、マルキシズムにかかわったとして治安維持法により検挙され、大学教員を辞した三木は市井の研究者、文筆家として活動する。そして『歴史哲学』『アリストテレス』『哲学入門』『構想力の論理 第一』『人生論ノート』『技術哲学』『読書と人生』はじめ膨大な著作を次々と世に問うた。しかし、治安維持法案の知り合いを助けたことから 45 (同 20 )年に投獄され同年 9 月、豊多摩刑務所で亡くなった。享年 48 。
なお、三木の死で敗戦日本がいまだ思想犯を数多く収監していたことに驚いた GHQ が慌てて彼らを釈放させたのは有名な話だ。また『人生論ノート』は戦後もベストセラーとして、当時の若年層は、盛んだった読書などを通じ、同書を熟読し、盛んに議論を交わしたといわれる。
『人生論ノート』で三木は、戦時下の滅私奉公の世相の中、人間には幸福追求の権利があると述べ、「成功と幸福を、不成功と不幸を同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。」「幸福が存在に関わるのに反して、成功は課程に関わっている。」と、人間存在そのものが幸福であり、価値があるとした。最近の極右論者が唱えるような、生産性が人間の価値を決めるという全体主義的人間観を、三木は明確に否定している。
さらに『人生論ノート』で「人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって、生きていることは希望をもつことである。」「断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しないものは真の希望をもつこともできぬ。」と謳った。そして、「鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。」と、利他の心で自他共の幸福を目指すことが真実の幸福だと断言している。( K ・ U )
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