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誓願の祈りが幸福を開く朗々と題目を唱える時、わが胸中に太陽が昇る。力があふれる。慈愛がわく。歓喜が燃える。智慧が輝く。諸仏・諸天がいっせいに動き始める。「仏法は勝負」である。「人生も勝負」である。その勝利を決める一番の根本は唱題である。 唱題に徹すれば、無量の功徳に包まれる。たとえ今、苦境にあっても、なにも恐れる必要はない。唱題こそ、幸福への大直道なのだ。 妙法の祈りとは、「誓願」である。もっとも強靭な精神の力だ。祈が心に満ち満ちているところ、いかなる臆病も、あきらめも、弱音も、入りこむ隙などない。祈とは、「必ず成し遂げる!」という信念である。「絶対に負けない!」という確信である。自分には無理だという不信の壁を打ち破り、「断じて戦い勝つ!」という究極の勇気なのだ。 願が叶うかどうかは、どこまでも自分自身の信心による。大いなる希望と、具体的な目標をもった、強い祈りを貫くことである。祈のとおり、行動することである。 我らは〝光の走者〟だ。いかなる乱世の闇も打ち破り、赫々と社会を照らしながら、民衆の中へ走ろう!友情と信頼の輪を、地域にも、職場にも、故郷にも広げゆこう!わが敬愛する同志の皆様、この一年、本当にご苦労様!ありがとう!お体を大切に。風邪などひかないように。聡明に、元気に、快活に、希望溢れる新春を! 【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2020.12.27
December 30, 2021
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祈りから希望は生まれる祈りは、人間の人間たる崇高な証しである。 無宗教だという人も、何か祈っている。「苦境を脱したい」「よりよく生きたい」「家族を守りたい」などと強く欲するのは、人間として本然的な心である。 思いやりも、友情も、祈りから始まる。祈りこそ、人間と人間を結びゆく力である。 我らの祈りは、「人間革命の祈り」だ。人や周囲が変わってくれるのを待つのではない。強盛な一念で自分自身が変わり、その波動を広げるのだ。 我らの祈りは、「自他共の祈り」だ。あの友も、この友も、共々に仏の生命を開きながら、絶対の幸福をつかんでいくための原動力なのだ。我らの祈りは、「誓願の祈り」である。広宣流布への大願へ、拡大と勝利を誓い、自ら行動を起こし、実現していくのだ。 希望を自ら生み出す原動力こそ、「南無妙法蓮華経」の唱題行である。題目の力は無限だからだ。題目を唱えた瞬間から、自身の一念を変革し、希望の明日を創り開いていけるのだ。 日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことだ。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功がある。つまり、「決意」と「祈り」、そして、「努力」と「工夫」が揃ってこそ、人生の勝利がある。 【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2020.3.15
December 14, 2020
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人生の目的は何か。 「勝利者」になること、 「幸福」になることだ。 では「幸福」とは何か。 その中身は「充実」である。 では「充実」とは何か。 「苦難」と戦うことだ。 苦難がなければ充実はない。 充実がなければ幸福ではない。 何の苦労もない幸福など、 どこにもない。 信心したからといって、 悩みの「汚泥」が なくなるわけではない。 「悩みに負けない生命力」が出る ということだ。 むしろ、 悩みをいっぱいもっていくことだ。 それらの悩みに どれだけ挑戦できるかを 楽しみにできるような 境涯になることである。 大いなる境涯の人は幸福である。 広々とした心で、 毎日生きぬいていける。 強き境涯の人は幸せである。 苦しみにも負けることなく、 悠々と一生を楽しんでいける。 清らかな境涯の人は幸せである。 その人のまわりには、 常に爽やかな喜びが広がっていく。 希望に満ちて、 自己の課題に 挑戦している人は強い。 どんな困難に直面しても、 希望を失わないことだ。 希望の灯が消えない限り、 やがて、いかなる闇をも 燃やし尽くすことができる。 いのちある限り、道は開ける。 その強靭な 〝希望の一念〟を育む根源の力が、 信仰なのである。 信仰こそ〝永遠の希望〟である。 【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2019.8.4
March 9, 2020
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大宇宙の万物が、挑戦を続ける。 花は、 懸命に深雪を割いて新芽を出し、 波は、 体当たりを重ねて巌を削り、 太陽は、 日々、暁暗を破って躍り出る。 人が見ようが、見まいが、 己が使命を果たさんと、 黙々と、忍耐強く、 労作業を繰り返す。 挑戦! 挑戦! 挑戦! それが、 “生きる”ということなのだ。 まず一歩を踏み出すのだ。 うまくいかないことがあっても、 「よし!」とおもいま直して、 何度でも挑戦すればいい。 その連続の中に、 成長があり、幸福もある。 人生には、挫折もあれば 行き詰まりもある。 そうした時に、 何ものにも負けない強さをもち、 それを堂々と 乗り越えていけるかどうかに、 幸・不幸の鍵がある。 そこに、 仏法を求めざるをえない 理由がある。 信心ある限り、 人生の不遇も、失敗も、 すべて 生かし切っていくことができる。 ゆえに、 仏法者に行き詰まりはない。 「ただ唱題」「ただ、広布」 ————その炎のごとき一念と実践が、 暗夜を開いていくのだ。 大事なのは 「今から」の決意だ。 「これから」の挑戦だ。 その連続闘争が、 大きな歴史を築く原動力となる。 【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2018.6.2
November 9, 2018
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友と会い、語る。 一緒に悩み、考える。 すると心中には、 限りない慈しみと知恵が湧く。 それが思いきった 実践となっていく。 いつしか生命は、 ダイナミックに回転し始める。 「友情」が、 生命にみずみずしい 触発を与えているのだ。 人格と人格、 魂と魂で結ばれた絆というものは、 どんな嵐にも、揺らぐことはない。 いかなる試練の峰、 苦難の坂にあっても、 互いを固く結び合い、支え合いながら。 時とともに 強固なものとなっていく。 まさに、真実の友情こそ、 人生の最高の宝である。 目の前の一人を励ますため、 苦難の一人を救うために、 動き、語り掛け、 一対一で粘り強く 対話を重ねていく。 この最も地道な対話こそが、 事実の上で 「仏の仕事」を行じている 何よりの証である。 「人間革命」もまた、 一人との誠実な対話から始まる。 それは、対話によって、 自分自身も、縁する人も、 変えていく戦いである。 小さな殻を打ち破り、 無慈悲な エゴの壁を乗り越えながら、 善縁を結び、広げていく行動だ。 勇気をもって人と会い、 誠意をもって 人と語ることこそが、 最も確実な 「人間革命」の第一歩なのである。 【池田先生「四季の語らい」】聖教新聞2018.5.13
October 5, 2018
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日蓮大聖人の仏法は、「人間」を最高に強く賢くし、「心」を豊かに鍛え上げる「生命変革の哲理」だ。御書の一文字一文字は、人間の根源の力を引き出すための仏の金文字である。御書は、民衆が永遠に勝ち栄えゆくための「勝利への源泉」なのである。 教学が大切である。人体でいえば「骨格」にあたる。教学がしっかりしていれな信心は崩れない。日蓮大聖人は「信行学」と仰せである。信仰は、あくまで「信行」が基本である。そのうえに「学」を身につければ、これほど強いことはない。 教学を深めることで、疑問が納得に変わり、「そういうことだったのか」と分かれば、さらに強盛な祈りとなる。「本当にすごい仏法だ」と感じれば、祈りに感謝が生まれる。「叶わないわけがない」と腹が決まれば、祈りは歓喜に包まれる。「学」によって「信」が強くなれば、歓喜と感謝の祈りが生まれ、御本尊の功徳力を存分に強く引き出していくことができる。 創価学会は信仰の世界である。どこまでも「信心」かどうか、「人格」がどうかである。何よりも私たちは、学会という、「民衆の総合大学」で学んでいる。この、“創価学会大学”こそ、人間の生き方を学べる“最高の大学”なのである。 【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2018.4.22
August 21, 2018
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勇気のあるところ、正義と希望の太陽は輝く。「勇気」と「臆病」の差は、微妙である。紙一重の差といってもよい。たった一言の励ましによって、気力が倍増し、勇気が漲ることは、実に多い。励ましは英語で「エンカレッジ」。勇気(カレッジ)を吹き込むことだ。ゆえに励ましのあるところは、勇気が満ちあふれている。勇気とは、本来、外に向けられるものではない。弱い自分、苦労を回避しようとする自分、新しい挑戦を尻込みしてしまう自分、嫌なことを他人のせいにして人を恨んでしまう自分など、自己の迷いや殻を打ち破っていく心である。勇気が幸福を確立していく上で、最も大切な力なのだ。自分の境涯が変われば、物事の感じ方、捉え方も変わってくるものだ。逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていける。その境涯革命の原動力は、強い一念を込めた真剣な唱題だ。唱題を唱え抜いて、勇気を奮い起こして行動し、自分の壁を打ち破った時に、境涯を開くことができる。かけがえのない「今日」を悔いなく戦い、広宣流布のため、人々のために生ききれ!「常勝」とは、断固として「今を勝つ」ことだ。「今日を勝つ」ことだ。【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2018.2.4
June 2, 2018
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若き挑戦の魂に行き詰まりはない。全ては“行動”から始まる。行動を開始すれば、知恵がわく。「道」が見えてくる。道があるから歩くのではない。歩くから道ができるのである。【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2018.1.7
April 19, 2018
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「ありがとう」の一言には不思議な力がある。人生を豊かにし、心の絆を限りなく広げる。平和や友好といっても、他者への「感謝の思い」を伝えることから始まるのだ。感謝と報恩の決意が、自身を向上させる原動力となる。自分を育んでくれた人々を断じて裏切るまいと思えば、人生の正しき軌道から外れることはない。いかなる苦境でも、御ある人を思い浮かべれば、「負けじ魂」が込み上げてくる。報恩は、人間の根源の力を引き出す源泉となる。第2代会長の戸田城聖先生は、よく、こう言われていた。「常に感謝の念をもっている人は、いよいよ栄える。福運がいよいよまさる」「感謝を忘れた人は、福運が消えていく」と。感謝の心から、喜びも希望も生まれる。「ありがとう」「ご苦労さま「事故に気をつけてください」「風邪をひかないように」————その一言で、心が温まる。爽やかな人間性の薫りが広がる。人間と人間の麗しい絆こそ創価学会の世界なのである。この一年、本当にありがとう。よいお正月を迎えていただきたい。そして来年も、大いに素晴らしい一年を、一緒に戦い抜きましょう!どこまでも「晴れやか」に!何があっても「朗らか」に!【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2017.12.24
April 1, 2018
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人格の輝きこそ、人間として最も大事である。それには、精神闘争が必要である。自分の弱さに挑み、苦労に苦労を重ねて、自己の精神を磨き上げていくことである。そして、人材には、力がなくてはならない。何か一つでよい。これだけは誰にも負けないというものを持つ必要がある。 【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2017.12.10
March 12, 2018
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今この一瞬の一念が変われば、それが「現在の因」となって「未来の果」をいくらでも変えていける。日蓮仏法は、太陽の仏法である。わびしさや諦めなどない。愚痴をこぼすことなどない。今の一念がどうか。それによって、常勝の道が深く、強く、できあがっていく。 【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2017.9.24
November 26, 2017
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仏法では「如蓮華在水」と説かれている。蓮華は泥沼から生じて、あの美しい花を咲かせる。同じように、どんなに厳しい状況にあっても、最高に価値ある人生を開いていけるのが仏法である。私もそう確信して生きてきた。今、どんなに苦しくても、決して負けてはいけない。幸福と栄光の人生へと、劇的に転換できるのが信心だ。 「負けじ魂」とは、一体、何か。それは、究極の「勇気」である。偉大な栄光は、悪戦苦闘なくして勝ち取ることはできない。ゆえに、真の「」栄光の人とは、負けじ魂を燃え上がらせた「勇気の人」なのである。 【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2017.6.11
August 1, 2017
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真の寛容とは、人間の尊厳と平等性を脅かす暴力や抑圧を断じて許さず、万人尊敬の思想を掲げて、民衆を苦しめる魔性と戦うことである。そして「生命を手段化する思想」「人を差別・分断する思想」が広がっているならば、その精神的土壌となっている元凶を強く打ち破らなければならない。人々を不幸に陥れる無明との戦い。これが日蓮仏法の折伏精神にほかならない。 平和は遠くにあるのではない。今、自分がいる場所で「仲良き世界を!」と努力しゆく聡明な心の波動から、充実と満足の平和が広がる。「破壊」と「分断」の悪の力が強ければ強いほど、それを凌駕する「建設」と「結合」の善の力を、断固と強めていくことだ。 【四季の励まし】聖教新聞2016.9.11
November 16, 2016
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何が起こっても、それを楽しんでいく。前向きの方向へと受け止めていく。それが楽観主義であり、その究極が信仰である。楽観主義の人は強い。いい方向へ、いい方向へと自分でとらえ、自分で「そうなる」「そうなってみせる」と決めることである。【池田SGI会長「四季の励まし」】聖教新聞2016.1.17
February 1, 2016
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社会で勝て 「誠実」で勝てこれからは、人間自身の持つ、いな人間のみが持つ、「努力」と「創造力」が勝負を決する時代だ。「以信代慧(信を以って慧に代う)」の生命哲理を持っている人生がどれほど強いか。勇敢なる信心がある限り、智慧は尽きることがない。* * *「誠実」こそ宝である。策でもない。命令でも、号令でもない。「誠実」こそが人を動かす。長い目で見た時には、必ず誠実の人が勝っている。そして状況がどう変わろうとも、我が胸中の誠は、誰人も奪うことはできない。* * *妙法は「生活」と「社会」と「宇宙」の根本リズムである。観念ではない。道理である。真剣な祈りから出発する。そして、これ以上ないという努力を重ね、死力を尽くす。これが「信心即生活」の生き方である。そこに、諸天も動く。* * *太陽は毎日、黙々とわが軌道を進む。きょうも、あすも、休むことなく、はつらつと昇り、天地を照らし、荘厳に沈む。そのリズムを崩さない。生活も太陽のごとく、単調のようで、これほど偉大な営みはない。赫々たる「生活の勝利」。それこそが「信心の勝利」なのである。【池田名誉会長「光の言葉 幸福の曲」】聖教新聞2015.10.25
October 28, 2015
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生きていくことは辛い。ことにそれが勝負の世界ともなればなおのこと辛いであろう。そうでなくても時に一人の力では耐え難いほど人生は辛い。だからこそ宗教はある。宗教を信ずることは決して悪いわけではない。宗教を厳しい現実に立ち向かっていくときの支えとすること、手段としてはよいであろう。しかし厳しい現実から逃げていくところとして、人は宗教を選んではならないであろう。厳しい現実をより強く生きていくためにこそ宗教はあるのであって、自らの弱さをその弱いままにして生きていくために宗教はあるのではない。【行動してみることで人生は開ける】加藤諦三著/PHP文庫信心で生きる底力を発揮人生には、断崖絶壁に立たされるような試練が何度もある。しかし、その時こそ、自分自身がいまだかつてない底力を発揮できる。ゆえに、何があっても、嘆かず、あきらめず、腐らず、今できることを、一つまた一つ、勇敢に誠実に忍耐強く、全身全霊でやりきっていく。そこから、必ずや反転攻勢して、信頼と勝利の上げ潮を起こしていける。【池田名誉会長「光の言葉 幸福の曲」】聖教新聞2015.3.29
March 30, 2015
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「冬は必ず春となる」と信じて 忍耐の今日 希望の明日 そこに 栄光の未来が生まれる *最後の勝利者が 真の勝利者というならば 君の今日の労苦は 栄光の第一歩と思うことだ *いかなる憂いがあっても 僕は 己身の中に 正義と向上の実証の 潮騒が渦巻いているから 安心してくれ と いえる人間であってくれ給え *僕は 本当の信仰をする 嘘の教養を排する ゆえに至難のなかを 誰よりも前へ進む *僕は いま人生道の 途中を歩いているのだ 途中の批判には 無頓着でありたい 最後の到着に振る旗を見てから 云々してくれといいたいのだ *人間誰しも 悩みは一生にわたってあるものだ ただ その悩みをいかに転換させ 人生をして 向上に向かわしめてゆくかが 大事な起点であるといってよい *所詮 敗者の歌ではなく 勝者の歌を 歌うために 今日も 忍耐と建設の日々たれ *厳寒の冬 皚々たる白雪の彼方 陽春の到来を堅く信じ 今 私は忍の一字の旗を 胸中に掲げて前に進む (『池田大作全集』所収、『わが友へ』「忍耐と実践より」) 【池田名誉会長 桂冠詩人の世界】聖教新聞2014.1.19
February 13, 2014
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希望は 努力と忍耐に咲く花である。 希望は 陰徳を積みゆく人の 誇り高き陽報なのである。 希望に 生き抜く人には 堕落はない。 惰性もない。 悩める友に 希望を贈りゆく 貢献の日々には 成長がある。 充実がある。 向学がある。 創造がある。 連帯がある。 創価の父・ 牧口常三郎先生と 交友を結んだ 東北の偉人・ 新渡戸稲造博士が 断言した如く 最も暗い悲哀の中でさえ 希望は見出せる。 その希望は 「信仰」と「勇気」の 心眼によってこそ 見えるというのだ。 ああ 希望! 希望! 希望! 希望は人生の宝なり。 新しき一年も 新しき一日も 我らは 元初の太陽を胸に 明るい希望に燃えて 出発する! いかに深き乱世の混迷も 決然と打ち破って みずから希望を創りゆくのだ! あの友にも この友にも 絶対勝利の希望を贈りながら 我らは勝ち進むのだ! 君よ 貴女よ 決して負けるな! いかなる 艱難辛苦があろうとも 金色に輝く希望の光を 断じて忘るるな! おお 君たちよ 私が心から信頼し 愛する君たちよ 希望に生き抜くのだ! 断固と勝ち抜くのだ! (「希望は人生の宝なり」より)【名誉会長 桂冠詩人の世界】聖教新聞2013.9.15
February 8, 2014
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人生に幻滅があってはならない。あらゆる苦悩も素晴らしい人生を磨き鍛錬しゆく劇として捉えるべきだ。 人間に精密なる空想などいらない。虚栄に走って幸福を掴もうとする必要も全くない。 汝は汝自身らしく全生涯を通して魂の無限の広がりを望みながら生き抜いていくのだ。 (「勇敢に堂々と歩みゆけ! わが人生の大道を」より)聖教新聞2014.01.01
January 3, 2014
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牧口先生は法難の獄中であっても「心一つで地獄にも楽しみがあります」と悠然と綴っておられた。 この殉教の師に対して弟子である戸田城聖先生は「あなたの慈悲の広大無辺は私を牢獄までつれていってくださいました」と感謝を捧げられたのである。 第三代の私はあまりにも峻厳なこの不惜身命の師弟の大道をまっしぐらに走り通してきた。 師匠が思い抱かれた希望はすべて命を賭して実現した。晴れ晴れと一点の悔いもない。 御聖訓には仰せである。「大闇をば日輪やぶる」と。勇気ある信仰こそが大いなる希望の太陽なのだ。 正義に徹する師弟は試練の逆境を下に見て生命の究極の光を永遠に放ちゆくに違いない。 無限の希望!これが妙法である。無限の境涯!これが信心である。 法華経には心広々と説かれている。「願わくは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及ぼし我れ等と衆生とは 皆な共に仏道を成ぜん」と。広宣流布こそ全人類を平和と幸福の大境涯に高めゆかんとする無常にして壮大なる希望なのだ。 ああ希望! 希望! 希望!希望は人生の宝なり。 新しき一年も新しき一日も我らは元初の太陽を胸に明るい希望に燃えて出発する! いかに深き乱世の混迷も決然と打ち破ってみずから希望を創りゆくのだ! あの友にもこの友にも絶対勝利の希望を贈りながら我らは勝ち進むのだ! フランスの行動する知性ロマン・ロランは言った。「今日の最後の希望は青年たちにある」 今、私は高らかに宣言したい。「未来の最強の希望は創価の青年たちにある」と。 君よ貴女よ決して負けるな! いかなる艱難辛苦があろうとも金色(こんじき)に輝く希望の光を断じて忘るるな! おお 君たちよ私が心から信頼し愛する君たちよ希望に生き抜くのだ!断固と勝ち抜くのだ! 二〇一二年一月二日 八十四歳の誕生日に 世界平和詩人
February 13, 2012
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希望は人生の宝なり 池田大作 希望は人生の宝なり。 常に希望を持てる人は幸いなり。 どんな財宝を持ちどんな権勢を持ちどんな名声を持とうとも希望を見失った人生は早々と挫折していくに違いない。 古代ローマの哲人キケロは言った。「重要なのは、金銭よりも希望だ。希望が潰(つい)えれば、残りのものも、いくら積み上げてもいずれ失われることになるだろう」 希望の人を侮る傲慢はやがて後悔の落伍者として落ちてしまうであろう。 希望に輝くこの一生を台無しにしては絶対にならない! 希望は人生を励ます宝石である。希望のある限り人間には行き詰まりがない。 そこには常に勝利が待ち喜びの笑顔が広がっている。 私と妻の忘れえぬ友である気高きアフリカの環境の母マータイ博士は語った。「希望は花のようである。どんな状況においても誰が見ていようがいまいが花は精一杯、咲き誇る。人間もまた同じである」と。 希望は努力と忍耐に咲く花である。希望は陰徳を積みゆく人の誇り高き陽報である。 希望に生き抜く人には堕落がない。惰性がない。 悩める友に希望を贈りゆく貢献の日々には成長がある。充実がある。向学がある。創造がある。連帯がある。 「闇が深いほど光が明るくなるように、苦しみが募るほど強くなるのがほんとうの希望」とはスペインの大作家セルバンデスの叫びであった。 希望には何ものにも負けない不屈の旗である。人生は戦いだ。来る年また来る年をどのように強く朗らかに生き抜くかである。 創価の父・牧口常三郎先生と友好を結んだ東北の偉人・新渡戸稲造博士が断言した如く最も暗い悲哀の中でさえ希望は見出せる。 その希望は「信仰」と「勇気」の心眼によってこそ見えるというのだ。 (つづく)
February 11, 2012
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