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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠 このコラムも最終回。「世代を超えて考えたい」というタイトル通り、おばあちゃんや高校生が読んでも、ご納得いただけるように話してきたつもりですが、いかがだったでしょうか。 日本社会は、信じられないほど豊かになりました。同時に、飽食の時代において、かつての「欠食児童」のような子がいるという現実も、やはりなかなか想像しにくい。 「せっかく生まれてきてんから、はらいっぱい食べて大きくなりたい」と大阪の男の子が書いたのは、戦後すぐではなく「いま」の話ですが、この時代にどうしてそうなるのか、すぐには理解しがたいと思います。 それを受け入れるには、勇気と時間がかかります。「そんなわけない」と否定する方が、労力も少なくて済みます。ですが「はらいっぱい食べて大きくなりたい」と言った子は、消えてなくならない。この社会で育ち、私たちの老後を支える担い手になります。だから私は、その子に元気に、前向きに、生きてほしい。 私たちにできることはなんだろう、と考えてきました。このコラムでは、その一端をご紹介しました。「これならできそうだ」と感じられることが一つでもあったのなら、とてもうれしく思います。私たちの社会は、私たちの手で変えていける。皆さんと共にそう信じたいという願いを記して、このコラムを終えます。ありがとうございました。 最後に、現在、こども食堂を、より多くの子どもたちが立ち寄れる安心・安全な居場所にするための募金をインターネット上で行っています。ご協力いただければ幸いです。 (おわり) 【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<15>】公明新聞2018.4.24
August 25, 2018
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加藤 彰彦■深刻な人間関係の喪失6人に1人の子どもが貧困状態にある————2012年のデータから日本の子どもの貧困状況が明らかにされていますが、これは「相対的貧困(平均的所得の半分未満)」にある世帯が占める率を基に導かれたものです。しかし、現在、子どもを取り巻く貧困には、いわゆる経済的貧しさに限らない側面があります。経済的貧しさが引き金となり、可能性や希望、生きる意欲を失うという貧困があります。さらに最も深刻なのが、人間関係の貧困です。本来、支え合うべき地域、人々との関係が乏しく孤独状態にある貧困です。経済的貧しさ、生きる意欲を失う貧困、そして人間関係の貧困が重なることで、現在の貧困は子どもたちに、よりつらく重くのしかかるものとなっています。こうした貧困の背景には、労働現場における非正規雇用が増大し、低賃金で不安定な就労形態が拡大することで、生活の安定しない家庭が増えたことがあったと思います。安心して働き続けられる現場もない社会では大人たちのゆとりも少なくなり、個々の家庭は不安定な暮らしを強いられ、一人親家庭も増加しました。また、経済構造が変化したことで、地域の経済基盤であった中小企業や地元商店は生き延びることが困難になり、支え合う力も低下していったと思います。家庭が崩壊し、その家庭を支えてきた地域も衰退することで、現代の貧困は、子どもたちに暗い影を落としているのです。しかし、20年、30年後には、現在の子どもたちも、社会の主要な構成員となります。子どもの貧困をこのまま放置すれば、日本社会が疲弊し、崩壊してしまうことになるでしょう。15年に日本財団が発表した「子どもの貧困の社会的損失推計」レポートによれば、子どもの貧困を放置した場合、現在15歳の子ども1学年だけでも、社会が被る経済的損失は約2・9兆円に達し、政府の財政負担は1・1兆円増加することが明らかになっています。子どもの貧困は、日本社会そのものが貧困化する危険をはらんでいるのです。■実態調査から支援活動が冒頭に挙げた貧困の実態が明らかになって以降、各自治体でも、市民や民間団体で、できることに取り組もうと、さまざまな対策が行われるようになりました。沖縄では、12年以前は、県全体を挙げた取り組みには至っていませんでしたが、13年の「子どもの貧困対策の推進に関する法律」の成立を受け、翌年、子どもの貧困対策室を設置。「子どもの貧困実態調査」の実施も決定しました。こうした調査の実務と分析を担当したのが、「沖縄県子ども総合研究所」で、私もその研究所の一員として参加しました。そして、県全体を挙げて取り組み、明らかになった沖縄県の子どもの貧困率は29・9%という驚くべき数字でした。国が17年に発表した全国データ(13・9%)の2倍に達していたのです。また、同時に行った小中学生と保護者への調査では、就学支援も、対象となる困窮世帯の約半数が利用していなかったことも分かりました。県は、ただちに対策のためにの基金30億円を積み立て、子どもの居場所づくりや就学援助の周知を進める広報活動を実施していきました。調査当初、県担当者3人から始まった「子どもの未来応援チーム」は「子ども未来政策課」に格上げされ、給付型奨学金制度の導入など、新たな支援策に着手し、「30年までに貧困率10%」を目標に取り組んでいます。さらに、民間における活動も盛んになりました。その典型が「子ども食堂」です。15年に、最初の子ども食堂が沖縄市に開設され、現在、子ども食堂や学習支援などの子どもの居場所の数は100カ所を超えました。お米や食材など寄付する人も多く、小中学校、地域の自治会、子ども会、大学生との協力関係も生まれ始めています。沖縄は、七十数年前の戦争によって、大きな犠牲を払い、多くの尊い命が奪われました。しかし、その中で、生活はいかに貧しくても一緒に力を合わせ、支え合い、助け合って生き続けてきた長い歴史があります。いま、子どもの生きる権利が奪われている現実を目の当たりにし、互いに支え合う積極的な行動が生まれていったのだと思います。■「信頼の貯金」を積み上げる子どもの貧困からの脱出——そのスタートは、私たちの身近にある「子どもの貧困」にまず気付き、そこからできることは何かを考え、関わろうとする気もちを持って行動することだと思います。子どもに関心を持ち、寄り添うこと。そうすることで、子どもは信頼できる人と出会えたと感じます。それを私は「信頼の貯金」と呼んでいますが、「信頼の貯金」を積み上げることが、失われていた人間関係を取り戻すきっかけになるのではないか。そして、子どもたちもいつか必ず、その「信頼の貯金」を社会に返してくれるだろうと思うのです。また、皆が子どもを大切にする意識を高めることで、地域がまとまっていくことも期待されます。これまでは血縁、地縁が人々のつながりのかたちだったけれども、そこに“子縁”というかたちで人々のつながりを形成し、子どもを軸にした新しい地域づくりを目指すことで、子どもの貧困対策は、地域の再生につながると考えています。(沖縄大学名誉教授)【文化】聖教新聞2018.3.29
August 6, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠食事をきっかけに集まるが、食事だけでなく、食卓を囲んでだんらんを提供する。話を聞いてあげる時間や、読み聞かせなどの体験も提供する————それがこども食堂だといいました。以前、このような役割は「自治会の子ども会」が担っていました。保育園のママ友でも、学校やPTAのつながりでもない、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが、地域の子どもたちと知り合う場です。今でもそのような地域はたくさんあると思います。が、「かつてほど活発じゃない」という話もよく聞きます。先日、私は新潟市の北部に伺いました。周囲に見渡す限りの田んぼが広がる場所で、「都会」とはとても言えない所でした。しかしそこでも「子ども会は年に数回のイベントを開くのが精いっぱい」だということでした。「今は両親共働きが普通だから、お父さんお母さんも忙しい。子ども会の感じもなかなか、なり手がいなくてね」とその地区の方は話していました。地域の人たち同士が知り合う機会が減っています。加えて、今は子どもの安心・安全にとても敏感にならざるを得ない雰囲気があります。子どもたちは学校で「知らない人から声を掛けられたら逃げましょう」と教わっています。うかつに声も掛けられません。でも、そうした状況が進みすぎると、逆に「周りに人はいっぱいいるのに、誰もがその子のことを知らない。その子に何があっても、誰も気付けない」という状況が生まれてしまいます。どこかで知り合っておく必要があります。知り合っておけば、声を掛けられます。そうした場所を多くの人が求めています。そこに「はまった」のがこども食堂です。ですから、こども食堂は、地域の多様な人たちの交流の場所として育っています。自治会の子ども会の現代版————そう考えたほうが、こども食堂が担っている役割を理解しやすい。私は全国のこども食堂を見ていてそう思います。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<11>】公明新聞2018.3.27
August 2, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠■育ちの担い手(下)貧困とは、お金、つながり、自信のないことを、そして行政の一番の役割はお金のこと、と書きました。逆から言えば、つながりや自信をつくるのは、行政は得意ではありません。役所の人に「仲良くしなさい」と言われても……という感じがします。ここは、私たち民間の出番です。そもそもお金があっても孤立していたらさみしいし、つながりから得られる情報や自信には、お金では買えない価値があります。そもそも私たちの社会には「お互いさま」の精神が根付いていました。この数十年間、怒涛の都市文化の流れの中で忘れがちになっていたとはいえ、子どもの貧困問題を巡るさまざまな人たちの奮闘を見ていると、私たちの社会はまだ完全にそれを捨て去ったわけではない、と意を強くします。まだまだ自治会の子ども会などが活発で、多くの子どもがそこで大人たちと出会い、学んでいくことのできる地域があります。また、自治会の力が弱まってしまったところでは、子ども広場(プレイパーク)やキャンプ、無料の学習支援や子ども食堂など、自分たちで新たなつながりを創り出していこうという試みが見られます。核家族化や働く親たちの増加で、子どもが一人でいる時間は増えています。さまざまな人たちと接点があることは、単に「地域で見守る目」が増えるというだけではありません。多様な大人と出会うことは、子どもの価値観を増やすことにつながります。それが人生の選択肢を増やします。プロの世界でスターが生まれると、そのスポーツの競技人口は増えますが、それと同じです。調理師さんや大工さんと一緒に作業して「カッコいい!」と感じること、大学生と出会って「自分も大学に行ってみたい!」と思うこと。そんな出会いが子どもの人生を豊かにしています。私たちにできることはたくさんある————まずはそのことを心に刻みたいですね。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<8>】公明新聞2018.3.6
July 10, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠育ちの担い手(上)子育ての主たる責任は親にある。これを否定できる人はいないでしょう。まだ言葉もしゃべれないときから、子どもは親の言葉かけから言葉を学び、親のしぐさを見て振る舞いを学び、社会性を身に付けていきます。小さい子どもにとっては、親が世界のほぼ全てであり、親が全ての大人を代表します。私にとってもそうでした。ある年齢までは、わが家の習慣がきっと他の家の習慣でもあるだろう、と勝手に思いこんでいた覚えがあります。したがって、勉強や友達付き合い、街中や電車の中でのマナーも含めて、親の影響は圧倒的に大きい。責任重大と言わざるを得ません。他方、現実を見ると、その責任を十全に果たしている親ばかりではないことも、認めないわけにはいきません。日々のニュースには「これが親のやることか」とあぜんとしてしまうような事件が流れています。また、気持ちはあっても実際に手が回っていない親もいます。「母さんが仕事を二つ掛け持ちしているので、話をする時間があまりありません」という子どもの声を聞いたことがあります。その母親も、できればもっと子どもとの時間を持ちたいことでしょう。しかし生活のためにはそれもままならい、という家族はいます。気合の問題としては「できるかできないかじゃない。やるんだ」と言いたくなりますが、気合で片付けば苦労はないということも、私たちは大人として知ってしまっています。子どもの育ちは早く、周囲が親がなんとかできないものかと思っているうちに、もう大人になってしまっているという問題もあります。子どもに対して、安全な親代わりはできなくても、できる限りのことはしたいものです。「親がしっかりしていたからラッキー、そうでなければアンラッキー」で終わらせないだけの知恵を、人類は蓄積してきているし、豊かな日本はそれだけの力がある、と私は思っています。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<6>】公明新聞2018.2.20
June 23, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠問題の広がり(下)それにしても、飢え死にするほどでもないのに「貧困」とは奇妙な感じがします。実はこれ、アフリカなどの貧困とは別の概念で「相対的貧困」と言います。先進国だけで通用している考え方です。一体誰が、何のために考え出したのでしょうか。政府は「7人に1人の子どもが相対的貧困」と言っています。これは(1)所得の低い世帯から高い世帯までを一列に並べ、(2)その真ん中にいる世帯の所得を出して、(3)その真ん中の半分に満たない所得しかない世帯————で暮らす子どもの数を出しています。母1人、子2人の3人世帯で、月だいたい17・5万円です。子どもにはお金がかかりますが、それでもこれだけあれば飢え死にしません。政府は、どうしてこれが問題だと考えるのでしょうか。実は、この出し方を決めているのは日本政府ではありません。OECDという国際機関です。これが決めた出し方を採用しているから、日本と米国、フランス、英国などの比較が可能になっています。各国がバラバラの方法で出していたら、比べられませんから。OECDは正式名称を「経済協力開発機構」と言い、経済成長の推進を第一の使命としています。貧困の問題は人権問題だと思われがちですが、「元締」は経済成長に関する国際問題なんですね。なぜ経済に関する国際機関が貧困を調べているかと言えば、それが各国の経済成長に関係すると考えているからです。飢え死にするほどではないにしても、相対的貧困が広がる国は、将来の経済発展に疑問符が付くということです。昔、江戸時代のえらい人が「農民は生かさぬよう殺さぬよう」と言ったという話がありました。人は死なないためだけに生きているのではないし、子どもたちには夢を持って前向きに生きてほしい。それは、世の中の発展のためでもあるとしてことです。これが国際社会が「死ななきゃいいじゃん」で済ましていない理由です。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<5>】公明新聞2018.2.13
June 14, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠年金などの支え手が減る可能性ずいぶん前から、日本は「少子高齢化」が問題になっています。私は今48歳で、あと17年で年金受給年齢になります。そのとき、今10歳の子が27祭です。日本の年金は「現役世代からの仕送り」ですから、その子たちが保険料を納めてくれないと、私の年金は不安定になります。ただでさえ現役世代は減っていますから、その人たちが支払う保険料は上がり続けてきました。そして「これ以上は上げない」と政府が約束した上限に達しました。支払われる保険料がこれ以上増えないのですから、支払えない若者増えていけば、受け取る側に影響が出ます。年金額が減ったり、支給年齢が遅れたり。それでは私は困ってしまいます。加えて、経済のグローバル化や人工知能などの技術革新が盛んです。国内の工場は最盛期の6分の1まで減っており、しかも今の工場は人より機械の方が多い。コツコツとねじを締め続けるような仕事はだいぶ減り、高価で難しい機械の操作や管理、プログラミングの知識など、頭脳労働が増えています。しかもそれさえも、人工知能がどんどんできるようになっていくと言われています。若い人たちも大変です。ただでさえ子どもが減る中で、さらにその中の貧困の子の割合が増えていけば、私たちの老後生活は大きな影響を受けます。その子がたとえ赤の他人でもつながってしまっている。そして私たちは、この国で老い、死んでいきます。できることなら、幸せに死にたい。だから私は「子どもの貧困」を「あの子たち」のことを考えたい。血はつながっていなくても、社会としてつながっていますから。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<4>】公明新聞2018.2.6
June 5, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠関わりたい“黄信号”の子前回、現代の貧困は見えないと言いました。昔のように継ぎはぎだらけの服を着ている子は、少なくなりました。でも「7人に1人の子が貧困」という政府の数字もちゃんとした調査に基づいています。「見えなけど、いないわけではない」ということです。これに関して、私はある校長先生の言葉を思い出します。その校長は、学校に気になる子がいたことから、外部のNPOと連携して、夏休みの中家庭が食料支援を申し込めるよう、情報提供しました。校長はとても熱心な方で、自らを気になる家庭の訪問なども行い、課題を抱えた家庭は把握しているつもりでいた。しかし、実際の申込件数は、校長の想定の6倍に上りました。「見ているつもりで、みえていなかったんだなあ」と、校長先生は私に述懐されました。赤信号もバンバンともっているような子は、それなりに目立つし、実はみんな気付きます。地域でもそうでしょう。「大変なことになっている」とはた目で分かるような家は、口の出さなくてもみんな知っているものです。しかし、その手前には黄信号の子たちは「何とかできると言えば、何とかできている」し、自分から言わないし、はたから見ても分かりません。でも「苦しいか苦しくないかといえば、苦しい」のです。その子たち、親たちが「これはありがたい」と応募してきた結果が、想定の6倍という数でした。赤信号がともっている状態を放っておくわけにはいきません。しかし、それほど目立たなくても黄信号の子はいて、何かのきっかけで赤信号に変わっていきます。そうなる前に関われるといい、と私は思います。校長先生は私に言いました。「私も見えていなかったけど、全国の校長先生もそうなんじゃないか。まさか、ここまでとは思っていないんじゃないか」と。まじめな方だけに、思い言葉だと私は感じました。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<2>】公明新聞2018.1.16
April 28, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠私が子どものときは、「貧乏」を絵にかいたような同級生がいました。体が細くて小さくて、学生服はこすれてテカって、ワイシャツの袖は黒ずんでいました。家は古くて痛みの目立つ平屋で、祖母に育てられているようでした。最近は、こういう子どもを見る機会が減りました。先日、私はある小学校に併設された学童保育に行きましたが、子どもたちはみな「小ぎれい」でした。子どもたちの中には、経済的に厳しい家庭の子もいれば、ひとり親家庭の子もいるという話でしたが、継ぎはぎだらけの服を着ているような子は一人もいません。痩せている子も小柄な子もいましたが、かつての私の「貧乏」のイメージとは違ったものでした。大人の私たちがかつての「貧乏」のイメージで目の前の子どもたちを見ると、そこに「貧困の子」は見つかりません。しかし政府は「7人に1人の子どもが貧困(正確には13・9%)」と言っています。これはどういうことでしょうか? たいしたことないのに大騒ぎしているのか、「私たちの地域」にいないだけで他の地域にはたくさんいるということなのか、今の「貧困」はかつての「貧乏」とは違うのか……。おそらく、どれも部分的にはその通りです。お米がなく、芋のつるを食べて飢えをしのいだという経験を持つ方から見れば、今の貧困はたいしたことはありません。地域によっては「お金はないが、十分に生きていける」という所もあるでしょう。そして「貧困」と「貧乏」は違います。でも国は、全会一致で子どもの「貧困対策の推進に関する法律」を作りました。昔ほどではなくても、それでも「だからといって放っておけばいいともいえない」と考えたのです。なぜ放っておけないのでしょう? なぜ「子どもは勝手に育つ」ですまされないのでしょう?そのことを、この連載で、みなさんとご一緒に考えていければと思います。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<1>】公明新聞2018.1.9
April 21, 2018
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大阪子どもの貧困アクショングループ代表 徳丸ゆき子 教育の公的支出低い日本 負の連鎖の固定化に「大学に行かな仕事ないって聞くし、ぼくも行きたいけど、高校卒業したら、とび職か何かで働くと思う」と言う中学2年生のそうたくん。お米や食料をお宅に持参した際に話してくれました。そうたくんは母親と小学5年生の弟、2歳の妹と四人暮らし。母親は中学2年までしか学校に行っておらず、子どもには大学まで行ってほしいと思っていますが、会社から契約を打ち切られ失業中。職業訓練学校に通い、月額10万円の給付金と子ども手当で生活していますが「勉強にもついていけへんし、先がどうなるか怖い」とたびたび連絡があります。 ◆家計に占める負担2010年時点で、4歳児が就学前教育(幼稚園・保育園)を受けるのは97・2%で、OECD(経済協力開発機構)加盟国7番目に高い水準。しかし、就学前教育に対する公的支出は低く、家計の負担は大きい。高等教育(大学、専門学校)では家庭からの支出が約65・6%を占め、OECD平均の2倍以上になっている。 ◆法律が施行今年1月、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が施行された。環境によって子どもの将来が左右されることのないよう、教育の機会均等などの対策を国や地方自治体の責務で行うことが義務付けられている。政府は具体的な支援策を盛り込んだ大綱をまとめ、都道府県は大綱に沿った貧困対策計画の作成をすることになっている。しかし、法律は努力義務とされ、地域間での格差が生じるのではないかと心配されている。負の連鎖の固定化や貧困層での格差を増長させることにつながるという意見もある。 ◇子どもを学校や保育園にも通わせられないといった、生活が不安定なシングルマザーからの悲鳴のような相談が次々とやってきます。その先には不安定な親のもとに暮らす、子どもたちがいます。子どもたちが将来を考え、落ち着いて勉強できるには、まず親子の生活を安定させるための生活支援という視点は、はずせません。社会はもっと子どもたちに投資し、子どもたちの「今」を支えていくことが必要です。 聖教新聞2014.7.3
July 13, 2014
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大阪では、1人暮らしの高齢者の割合が、全国平均の24・8%を上回り、41・1%と高い。また、世帯の高齢化とともに、認知症を伴う高齢者数の増加も顕著である(2010年国勢調査)。「何かし続けないと、人の絆は切れてしまう。つながりは多いほどいい」と、今田さんは力を込めた。日々、地域の無事と安穏を祈り、励ましの声を掛ける。"無縁"から"有縁(うえん)"、そして"多縁"へ、希望と安心のメッセージを送り続ける--それが「地域の灯台」団地部の実践だ。高齢者だけでなく、母子家庭、ワーキングプアなどを取り巻く「無縁社会化」を越えていくために、創価学会には何ができるのか。「大阪子ども貧困アクショングループ」の徳丸ゆき子代表が、話してくれた。「今は、"助けて"と気軽に言えない社会です。では、いざ困った時に、どうすれば声を上げやすいか。日々、何もない時から接していくことです。親しくもないのに、困った時だけ"助けて"とは言ってくれません。付き合いがあるから"実は......"となれる。その意味で、私は、地域の人々と積極的に関わる創価学会の皆さんに期待したい。学会の皆さんこそ、地域コミュニティーを再生する力だと思っています」 【無縁社会に挑む】聖教新聞2014.6.22
June 27, 2014
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大阪子どもの貧困アクショングループ代表 徳丸ゆき子 放置されてきた問題 私たち社会が問われているホワイトソースがかかったエビ入りオムライスのリクエスト。久しぶりの外食に目を輝かせる小学4年生のたいちくん。一気に食べてしまい、退屈そうに手遊びをしながら、母親が席を離れた時、話してくれました。「子ども会、休んでんねん。祭りの練習も始まってるんやけど、見に行ったらあかんってお母さんに言われてる。お母さんもがんばってるし、我慢せなあかんと思ってる」両親は半年前に離婚しました。現在は母親と小学1年生の妹と3人暮らし。母親はスーパーで働き、手取りは12~13万円。たいちくんは毎日のようにケンカする両親、暴力のなかで育ってきました。大きい声でケンカするのを聞くと身体が震え、学校も休みがちです。母親は離婚後、食事を我慢して1カ月に体重が6キロ落ちたといいます。たいちくんも、お代りはできません。友だちが学校で祭りの話で盛り上がっていても、練習に参加していないので話に入れず、さびしい気分になる。でも親子3人でがんばっていこうと話しているそうです。これは逆境に耐える子どもや気丈なお母さんの美談なのでしょうか? たいちくんは、そういう家庭に生まれたのだから、我慢するしかないのでしょうか? ◇◆6人に1人厚労省が公表した2009年の子どもの相対的貧困率は15・7%、約6人に1人。相対的貧困率とは、最も標準的な手取りの世帯所得の半分以下で生活している状態をいう。 ◆年々、悪化を続ける日本の子どもの貧困率はOECD(経済協力開発機構)加盟国の平均を上回っている。それは日本が好景気でバブル時代だった1980年代からすでに始まっていたが、政府は何も対策をせず放置してきた。その結果、子どもの貧困は年々悪化し続けている。 ◇貧困は子どもの発達に影響し、十分な教育機会が得られないと、負の連鎖につながる可能性も高く、ひいては社会全体に影響を及ぼします。「日本は子どもが入らないんだったら、早く言ってほしかった」あるシングルマザーのつぶやきです。私たち社会の子ども観が問われています。 聖教新聞2014.6.19
June 26, 2014
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