『 グッドナイト & グッドラック 』
2005 米
監督 ジョージ・クルーニー
出演 デヴィッド・ストラザー ジョージ・クルーニー ロバート・ダウニー・Jr. パトリシア・クラークン
1940~50年代、“ 放送の良心 ” として支持された実在のCBSキャスター、エド・マローの生き様。
1953年、マローとプロデューサー、フランク・フレンドリーと彼らのチームは、報道番組 『 シー・イット・ナウ 』 で公然とマッカーシーを批判し、軍、政府、
スポンサー、新聞などの弾圧非難と戦う。
と、だいたいどの紹介記事にもこのように書いてあります。
つまり、マッカーシズムに対し敢然と戦いを挑んだ男達の物語である、と。
しかし、重要なのはそこではないでしょう。
1954年、マッカーシーは失脚しチームは快哉を叫びますが、次第に時代は変わり、1955年、『 シー・イット・ナウ 』 はそれまでの火曜夜の
定時枠をクイズ番組に明け渡し、日曜の不定期放送となります。
映画のラストでは冒頭の1958年の表彰式シーンに戻り、マローの受賞スピーチで終わります。
「 TVは人を教育し啓発し心を動かす。しかしあくまで使う者の自覚次第。
娯楽と逃避の為だけの物であれば、それはメカの詰まったただの箱 」
「 TVは人を欺き、現実を隠している。
このままでは、歴史( 未来 ) から手痛い報復を受けるだろう 」
とマローはスピーチで、TVのあり方に警鐘を鳴らします。
映画のテーマはこちらだと思いますね。そしてそれには全く以って同感です。
とはいえ、マッカーシズム。
映画では 、「 国への忠誠 」「 愛国心 」
という言葉が何度も出てきます。
マロー自身も放送で何度も自分の忠誠心、愛国心を強調します。
つまり、マローは番組で、共産主義者と疑われた者が法的検証を受けずに “ 汚名 ” を着せられることを批判しますが、
共産主義者=非愛国者 の図式自体を否定はしません
。
当時のアメリカで否定することは不可能だったのでは、という問題ではなく、この映画で見る限り、彼自身の思想がそれを否定して
いないという意味です。
“ 人権 ”“ 自由 ” を謳いますが、果たしてそれが真の人権、自由であるのかどうかは、甚だ疑問です。
それ故 “ 赤狩り ” を扱った、今まで読んだいくつかの小説、観たいくつかの映画と比べてこの映画には、狩られる恐怖や緊迫感や
絶望感はありません。
1953~4年には、マッカーシズム勢力も最早全盛ではありませんから、その時代背景もあるのかも知れません。
いずれにしろマローは、思想的自由のために戦ったのではなく、報道の自由のために戦ったということでしょう。
それはそれで尊いことと思いますが、この映画を、マッカーシズムと戦った男の物語と受け止めるのは間違いではないかな、と思いました。
“ 赤狩り ” は何もアメリカだけで起ったことではありません。
レッド・パージなる反共ヒステリーは日本でも起こり、多くの人が失職しました。
国旗・国歌を拒否した人たちが、即ち非愛国者として罰を受け、失職する今の日本と似ていませんか。
かつて行われた思想の弾圧を考えるにつけ、今、教育現場で言われる ” 愛国心教育 ”
に思いを馳せずにはいられません。
映画に話を戻します。
アナクロで雑然としていながらスピーディに的確に機能する番組制作現場シーンは活気と緊張感に満ちています。
( あ、ちょっと、『 ER 』 の現場シーンに共通するものがあるかも )
『 シー・イット・ナウ 』 でのマローの、カメラに向って斜めに構え、たばこをくゆらせながらの語りは、カッコ良すぎってくらい決まっています。
きっと、実際の番組がそっくりあんなふうだったのでしょうね。
そして、モノクロ画像がそれら、時代の 「 いかにも 」 感を盛り上げます。
戦うといっても、クルーニーもストラザーも激することはなくクールで、とても素敵です。
私の感覚でいうスタイリッシュとは違いますが、カッコいい映画ではありました。
そして、マッカーシズム、レッド・パージについてもう一度考える機会を得、観て良かったです。
” Good night and good luck ! ” というのは、番組 『 SEE IT NOW 』 の最後のマローの決め台詞でした。
『 ボビー 』
2006 米
監督 エミリオ・エステヴェス
出演 アンソニー・ホプキンス ウィリアム・H・メイシー フレディ・ロドリゲス シャロン・ストーン リンジー・ローハン イライジャ・ウッド エミリオ・エステヴェス
ローレンス・フィッシュバーン ヘザー・グレアム マーティン・シーン クリスチャン・スレイーター ハリー・ベラフォンテ
1968年、“ ボビー ” の愛称で親しまれた米大統領候補ロバート・F・ケネディ上院議員が暗殺されるその日。
現場となったアンバサダー・ホテルに居合わせた人々の人生を通して描く群像ドラマ。
人種平等主義を標榜するホテルの支配人、ホテル付きの美容師であるその妻、ホテルに人生を捧げたドアマン、野球観戦のチケットを
持っているのにダブルシフトを命じられ不満を募らせる厨房の見習いとその上司、ベトナムへの徴兵を避けるために偽装結婚する
カップル、うつ病に悩む裕福な中年夫婦、酒浸りの歌手とその夫、選挙運動のスタッフ ・・・・・・。
夜になってホテルに、カリフォルニア州予備選挙に勝利したロバート・F・ケネディ上院議員が現れる。
観衆は希望に満ちた演説に酔いしれる ・・・・。
米大統領選指名争いが白熱する中、ある意味タイムリーな映画でした。
ベトナム戦争の泥沼化や人種差別問題など、1968年当時のアメリカは危機的状況にあり、この映画の舞台となった日の2ヶ月前には
キング牧師が暗殺されました。
RFKは、ケネディ一家の一員であることに加え、ベトナムからの名誉ある撤退や人種差別撤退などリベラルな主張で人気と期待を集めて
いました。
・・・・ という時代背景ではありますが、この映画はRFKを描いた歴史ドラマでも、暗殺事件そのものを描いたミステリでもありません。
様々な境遇の中でその時代を生き、RFKに希望を託した人々の一日を切り取った人間ドラマです。
ホテルでの彼らの、早朝から “ その時 ” までが、RFKの実際の遊説や演説のニュース映像を交えながら描かれます。
暗殺以外は全てフィクションだそうですがかなりリアルです。
登場人物は多すぎるほど多いのですが、その何気なさが却ってリアルなんですね。
ハリー・ベラフォンテなんて全くなくていいような役なんですが、普通の一日ってこんなものですもの。
それでいて観る側はその夜何が起るかを知っているわけで、その何気なさの中に緊張感が高まります。
また、様々な立場の人を描くことでアメリカの縮図を浮き彫りにしようとした監督の意図も成功しているように思います。
ラスト、サイモン & ガーファンクル の 『 サウンド・オブ・サイレンス 』 をバックに、ボビーの
「 暴力は無益だ、共に生きるものは皆同胞である 」
という演説の実録が流れる場面はそれなり感動的です。
観る人はみな、この人が死なずに大統領になっていたら、世界は今とは違ったものになっていたのだろうかという思いにとらわれず
にはいられません。
演説は映画のシーンとしては少し長すぎると感じましたが、製作者の思い入れから削ることができなかったのでしょう。
もちろん、本当にそうだったのだろうか、RFKは本当にこんな聖人君主な英雄だったのだろうか、という疑問はお腹の中にあります。
調べてみると政治家としてそれなりに色々あったことが分かります。
ずっと以前に見た映画 『 ホッファ 』
には、また違った面から見たボビーが描かれていて、そのせいで私は彼に全く違ったイメージを
持っていましたし。
歴史の真実がどこにあるのかは ・・・・・ なかなか難しいものですね。
それはさておき、映画としてはとても楽しめました。
脚本ももちろんですが、何しろ名優ぞろいですし。
かつてのように美しくも色っぽくもないシャロン・ストーンが、自身の悩みを持ちながら人の境遇に思いを寄せる心優しい美容師を演じていて、
とても良かったです。
落ちぶれたアル中歌手デミ・ムーアも、うらぶれた中年になってしまったクリスチャン・スレイターも良かった。