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1月も今日でお終い。私は出産予定日一週間を切ったけど、まだ生まれる気配はなし。いや、気配はあるんだけど、本物の陣痛に行き着かないまま終わってしまう。もうすぐだ、もうすぐだ、なんて思うのだけど、でも、実際には一体いつ生まれる事やら・・・。昨日電話で母にそう言ったら、「あなたのことだからあんまり運動してないでしょう?」。さすがに母親だけあって、分かっていること。「そうだねぇ。寒くてしてないねぇ」「動かないと駄目よ」そのことを仕事から帰ってきた夫に言ったら、狭い家の中をグルグル歩いて往復させられた。何度も何度も・・・。猫がテーブルの下に隠れて、私の事を、「何してるんだろう?」という目で眺めていた。そんな目で見るんじゃない。「お腹が固くなってきたよう。痛いよう」と訴えると、夫、「頑張れ! あと少しだ」 ・・・ってあんた、陸上部のコーチみたい・・・。夫、すっかり私に運動をさせるつもり。土日は山に行って歩くぞ、なんて言う。「でもさ、土曜日はベビーベッドを取りに行かなきゃならないし、しかも、山はまだ雪だらけだよ? しかも、山で陣痛が来たりしたらどうするの? 病院まで最低でも1時間はかかるんだよ?」「大丈夫大丈夫。なんとかなるって」なんとかなるのか? 本当か? さて、1月も今日でお終いということで書きたかったのは、実はこんなことじゃない。国営放送の受信料の支払いが今日まで、ということを書きたかったんだ。イタリアには「RAI1」「RAI2」「RAI3」という3つの国営放送のチャンネルがある。1月も下旬という事で、最近、テレビを見るたびに「31日までに受信料を払って下さい」とアナウンサーが言っていたり、CMしていた。いつも思うのだけど、この受信料、おかしい。だって、日本の国営放送NHKは受信料がいくらか知らないけど、こちらのRAI受信料は、年97.10ユーロ。日本の生活感覚にすると、2万円くらい。高すぎる。その上、NHKは企業のCMを一切入れないじゃないか。なのに、RAIは民営放送と全く同じようにCMが入っている。民営放送と同じようにCMで稼いでいるんなら、受信料なんて国民からもらう必要ないだろうに。しかも、2万円って、高すぎる。誰が払うか、そんなもの。ということで、我が家は全く払うつもりなし。というか、国民の比重的に、払っている人の方が少ないみたい。だから、ますますお金が集まらなくて受信料は高くなる一方なのか?
Jan 31, 2003
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私の夫はイタリア人。すると、日本の方から、「やっぱりイタリア男性ってロマンティックなの?」みたいな質問を受ける。・・・って、言われても、「人によってなんじゃないの?」と思う。だって、本当に人によって、恐ろしいほど冷たかったり、吐き気をもよすほど情熱的だったりするから。でも、日本人でもやっぱりそういうのって人によってじゃないか?イタリアでは、日本以上に頻繁にナンパされる日本人の女の子って多いよう。山田邦子がイタリアにやってきてたくさんナンパされたため、「あたしってこんなにもてたんだ」と思ったそうだけど、日本人の女の子がそう思うのも無理もないと思うほどのナンパのされぶり・・・。基本的に、イタリア人って軽い気持ちで話し掛けてくることが多い。だから、男の子も、「お、あの女の子かわいい」と思うと、すぐに積極的に話し掛ける。それで、相手にされなければ、それはそれでいい。引っかかれば儲けもん。そのくらいにしか思ってない。そのくらいの軽ーい気持ちで挑むと、すごく饒舌になれるらしいし、無視されても別に傷つかない。繰り返すけど、そういう人って日本にももちろんいる。でも、イタリアは日本に比べて、そんな人口の割合が高い。そういう軽ーい気持ちで調子良く口を付いて出てくる言葉を、当然、本気に受け取ってなどはいけない。本気に取って泣かされる日本人の女の子がいるとか、日本人の女の子は大抵簡単に引っかかるとかいうような話を聞くと、やっぱり文化が違うとそういうことになるのかなぁ、と思う。調子の良い言葉を浴びせ掛けられることに慣れているイタリアの女の子はどんな感じかと言うと、これが、そういう言葉に慣れまくっているため、付け上がっていることが結構ある。「あたしがいちばん」「あたしは女王様」みたいに考えている節がある。これって、男の子が言葉や態度で甘やかしすぎたからだと思う。ほら、だって、天才に「お前は馬鹿だ」と言い続けると、天才の心中に「私は馬鹿なのか?」という疑問が生まれて、さらに馬鹿だと周りに言い続けられると、天才さえも本当に馬鹿になってしまえるという実証があるから。十人並みの普通の女の子が「美しい」とみんなから言い続けられると、そのうちその子も自分で美しいんだと自覚してしまって、当然じゃないか。そういう女の子を見て、私なんか、自分にそんなに自信を持っているって凄いよな、と思う。「キレイだ」と言われたら、当然のような顔をして「ありがとう」とは言う。日本人だったらそういうシチュエーションでは、ちょっと謙遜するじゃないか。でも、イタリアでは、そうやって謙遜すると、「どうして人の賞賛を素直に受け止めないわけ?」と不思議がられる。イタリアという国は南部と北部の人間では、天と地ほど外見も性格も変わってくる。基本的に南部の人間は開放的で明るくて、情熱的で・・・、世界が想像するようなイタリア人像。北部の人間はちょっと閉鎖的でクール。これって、元々人種も国も違ったんだから当然のこと。北部の人間と南部の人間の性格の違いをお金で現わす例があるのだけど、これが全く対照的で面白い。北部の人間はお金があっても貯蓄して、さらにケチな生活をして、お金があるということを世間に見せないのだけど、南部の人間はお金があればありったけの金で高級車を買ったり宝石を買ったりして世間に見せびらかせまくるものだそう。南部の人は、それはそれは情熱的。もちろん人にもよるけど、ロマンティックな言葉をいとも簡単に吐くのは、大抵南部人。従妹の彼氏が南部の人なのだけど、これがまた凄い! 彼女に甘い言葉言いまくって、真っ赤な薔薇の花束を贈りまくって。従妹は愛されていることを実感すると凄く喜んでいた。でもね、この男の子、表で甘い言葉をたくさん言っておきながら、裏で浮気していた(当然裏でも甘い言葉を吐きまくっていた)。こうなると、言葉や態度なんて所詮あてにならないもの。あんまりロマンティックすぎるのもどうかなと私は思う。だって、どこまでが本気なのか分からなくなってくるだろうから。自然体で飾り気がなく、思ったことをすぐに口にする夫が、私にはちょうど良い。
Jan 30, 2003
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こちらの人たちは、料理をする際、まな板というものをあんまり使わない。まったく使わないわけじゃないから多くの家にはあるんだけど、まな板って、大きな肉の塊を切るときとか、ニンニクを微塵切りにしたりするときとかにしか使わない。日本って、まな板、結構使うものだよね。野菜を切ったりするのにも。私にはまな板って、料理をする上において、必需品。こちらの人たちは、野菜、手の上で切ってしまう。いや、手の上で切ってしまうって言うと、ちょっと分かり難い表現だな。お豆腐を手の上で切るのとはわけが違うから。手の上というより、手の中で切ってしまう、だな。小ナイフを持って、まるでリンゴの皮を剥いて切り分けるみたいに、手中で全て済ませてしまう。ジャガイモを切るときも、玉ねぎを切るときも、にんじんを切るときも・・・。そんな様を見ていると、とっても器用だなと思う。私にはそんな真似できないから。私にはまな板が必要だから。手中で野菜を切ってしまう彼らは、当然、千切りというものができない。さすがにまな板なしで千切りはできないから。私は結構普通に千切りにした野菜を料理に使う。誰かを招待したときにそういう料理を出すと、「フードプロセッサー持ってるの?」と訊かれる。いや、持ってないよ、そんなもの、自分でやれば済むことじゃん、と答えると、「凄いわ」と言われる。いや、凄くないよ、千切りなんて日本では普通の事だから。こちらの人たち、包丁、というのもあんまり使わない。さっきも書いたけど、大抵、小さいナイフ、しかも、小さい果物包丁じゃなくて、大抵は食卓で使うあの普通のナイフで料理をしてしまう。私は駄目なんだ、包丁がないと。まな板がないと。そんなわけで、他人の家などに行って、料理の手伝いをすることになると、とっても厄介。普通の人はまな板も包丁も持っていないから、私は皿の上で、ナイフで野菜を切る。そんな私の行動を「危なっかしい」という目で見る人が、大抵。いや、私もこんな切り方って危ないと思うよ。でも、だからって、他人の家に行くのに包丁とまな板を持参するわけにもイカンだろう・・・。今更自分のやり方を変えるつもりもないし。
Jan 29, 2003
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もうすぐ私は出産を控えているわけなのだけど、子供が生まれたら、私、子供には日本語で喋るつもり。もちろん、周囲の人たちはイタリア語。義姉が、彼女の同僚にそのことを言ったそうなんだ。「こうやって母親が初めから日本語で話していれば、子供は自然に日本語もイタリア語も覚えられるわけじゃない?」って。まあ、私としてはそんなに簡単じゃないっていうのが現実だって思うけど・・・。義母の同僚、普段からアホな発言をしてくれるんだ。例えば、「彼氏の家には太陽が差し込まないから埃がない」って。これってどういうことかと思ったら、彼女の彼氏の家では埃が見当たらないらしい。別にこまめに掃除してないのに。それというのも、太陽が差し込まないから埃が見えないんだって。・・・それって、埃がないんじゃなくて、太陽が差し込まないから埃が目に見えにくいってだけでしょう?あと、外国人のイタリア語学習者がイタリア語で喋るとき、最初のうちは母国語で言いたい事を考え、それらの言葉に当てはまるイタリア語の単語を考え、文法を考え、組み立て、それでひとつのフレーズを口にするわけじゃないか。だから、最初のうちは当然時間もかかるし、頭をフルに働かせなきゃならない。ところが彼女、「イタリア語で喋るって言う事は当然イタリア語で考えてるってことでしょう? どうして母国語で考えてわざわざ翻訳しなきゃならないの? 私なんてイタリア語で喋るときイタリア語で考えるのが当たり前だと思うけど?」。義姉が「相手は外国で生まれ育った外国人なのよ? じゃあ、あなた、英語で喋るとき、英語で考えられる?」と言ったら、そういえばそうだな、と納得。そんな彼女なので、今回義姉が私の事を彼女に話したときも、「どうして? 子供はイタリア語を母国語として生まれて来るんじゃないの?」という発言。彼女の考えでは、イタリアで生まれてきた子供は、生まれたときからイタリア語を理解できるものだってことらしい。だからイタリアで生まれた自分も当然イタリア語を喋るようになったんだって・・・。じゃあ、生後3ヶ月でインドネシアからイタリアに養子に来た人とか、どうしてイタリア語を普通に喋れてインドネシア語をまったく知らないわけ?アホすぎる・・・。義姉はこんな同僚と話をするのはとっても疲れると言っていたけど、その通りだろうな・・・。
Jan 28, 2003
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兄が15年前から付き合っている友達がいる。彼はもちろん私たちの家に遊びに来たし、私も皆で一緒に出かけたことが何度かあるので、大体の性格は分かっている。まず、わがままなんだ。多数決で何をしよう、と皆で決めても、それでもなお、最後まで自分の要求を通したがってブツブツ言う。どうしてもって言うんならお前は来なくていい、とたまりかねた誰かが言うと、ブツブツ言いながらも結局は皆について来る。かといって、最初にあらかじめ彼に意見を求めると、優柔不断で何も出てこない。でも、最後には、話し合いの途中で思い浮かんだ自分の意見を通したい。何度か一緒に出かけただけの私がこんなシーンを何度か見ているくらいだから、友達な兄なんか、彼の扱いに相当苦労したと思う。私だったらこういう友達とは、徐々に距離を置くようになりそうなものだけど・・・彼も含めた兄たち元同じ部活仲間たちは、いつまでも、何かと一緒に行動していた。実は私、彼が嫌いだったりする。だって、わがままだとはすでに書いたけど、礼儀も悪くて、人の家で自分のやりたい放題にしていた。だから、私にとって彼は、第一印象からして悪かった。「何だコイツは?」って。他の人たちが礼儀正しくしていただけに、余計に浮いていたっけな。更に、彼はかなり太っている。太りすぎで膝が悪くなったほど。これも私にとっては辛い。ぶよぶよに太っている人って、生理的に受け付けにくい。容姿で人を判断するつもりはないのだけど、太っているということで、すでにあまり好感は持てなかったのは事実。「この間、久々にあいつと一緒に出かけたんだけど、あいつ、15歳のときに比べて確実に今の方がわがまま度と自己中心度が増している」と、兄がメールして来たところをみると、ますます酷い事になっているんだろうな、彼・・・。しかし、歳を重ねるごとに、人間丸くなるものだって言うけど、彼の場合は、逆だな。そんな彼は彼女いない暦30年(今30歳)。「いい女がいない。紹介してくれ」と、兄など周囲に言うらしいのだけど、でも、彼に紹介できる女の子を探すのも結構大変だと思う。だって、彼がせめて普通の人格の持ち主だったら、まあ、空いている女の子を紹介しても、その女の子に悪くはないけど、何せ、彼だから・・・。夫の友達にも、いるんだな、彼女が欲しいってずーっと言ってる人が。でも、彼ってば、とってもマニアックで、マニアックな音楽の話でしか盛り上がれない。その方面では詳しい方な私たちならばまだしも、普通の女の子は、そんな話を永遠とされても、かなり引いちゃうと思う。彼は基本的に無口。内気。無気力。相手を喜ばせるような気のきいた事って言わないし、自分から話を持ち掛けるなんてこと、ほとんどない。お酒が入るとちょっとは陽気になるのだけど。やっぱり容姿もあまりよろしくない。太ってて、ヌボーっとしてて、夫曰く、怪物。夫曰く、「彼らは、自分の容姿がある程度悪くてすでにその部分で損しているから、せめて女の子に受けるような明るくて楽しい性格になることを心がけた方が良い」。確かに、夫の親友なんて、決してカッコ良くはない。背が物凄く低くて、コンプレックスを感じているそうだけど、それを笑い飛ばしてしまうくらいの陽気さがある。とにかく面白くて、いつも人を笑わせているし、気前も人も良い。彼なんかは、女の子に困った事はないって。私だって、無口で全然喋ってくれない人よりは、楽しく時を過ごさせてくれる人と出かけたい。容姿って、実は人の性格形成に反映して来る。一般に、外見的魅力が高い人間の方が好印象を持たれやすいもの。例えば、タレントなんてそうじゃないか。私たちは彼らの実態を知らないわけだけど、外見を見ただけで好感を持つことってある。それで、何となくその人の活動が気になってしまったりして。それから、外見的魅力だけじゃなくて、際立った長所がある人もなのだけど、そういう人は他の特徴もみんな良いように見られやすい。例えば、上に挙げたタレント。私たちがその人に好感を持ったとき、きっと相当性格が悪いんだろうな、とは思わないと思う。その人の実態を知らないわけだけど、何となく全体的に良い印象を抱いてしまうもの。このように日ごろから好感を持たれやすい人は、たいてい誰もが快く接してくれるものだから、自分も自然なかたちで快く接する事ができる。結果、社交的になって、人と自信を持って付き合えるようになる。逆に、容姿をからかわれたりするような、本人にとって不快な経験が度重なると、人との交流に不快な思いをすることが多くなり、うまくコミュニケーションができない、自分だけの世界に入り込んでしまう、という行動パターンが出来上がってしまう。こういう傾向を見ると、美人っていうのはどんなときも得をするように出来てるんだな。でも、「自分はどうせ美人じゃないし」と僻んでいるだけじゃ、人間お終い。美人じゃない、と思い込む事によって、美しくなろうという努力を怠るようになり、悪循環。夫の親友なんか、カッコ良くなくても、背が低くても、性格で得るものを得ている。デブでわがままな兄の友人や、怪物で無気力なもうひとりの夫の友達、「彼女がいない」って言う前に、自分自身のどこがいけないか、よーく見詰め直してみた方が良いんじゃないか? ・・・まあ、周りがいくらそう言っても自覚してくれないみたいだけど。
Jan 27, 2003
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近所のスーパーでばったり会ってしまった、アンナリータに。アンナリータは夫の友人の奥さん。彼ら、1年半前に結婚して、うちの近所で暮らしている。1年半も経ったのに、私、一度も彼らの家に行った事がないんだよね、実は。彼らは結婚前と結婚後、合わせて2度うちに来たのだけど。うちの夫や昔ながらの友達は、彼、結婚して変わったって嘆いている。昔はもっと生き生きしていたのに、今じゃすっかり奥さんに押さえ付けられていて、屍みたいだって。アンナリータは私と同い年。去年とうとう大学を卒業した。彼女、あんまり友達がいないらしい。別に、悪い人じゃないんだけど、分かるような気もする。というのも、彼女と話していると、どうもムカつくことを言われる事が多いらしい。私はあんまり親しくしていないし、喋るときも突っ込まないで表面的な事しか話題にしないようにしているから、「何だコイツは?」と思うような事はあんまり言われたことがないのだけど。アンナリータ、相手の意見を認めないっていうのがまずあるんだけど、まあ、それは彼女にも彼女の意見があるわけで、それを主張するのは分かる。でも、主張しすぎ。相手をけなしてでも、徹底的に自分が正しいんだということを認めさせようとする。それもそれで、彼女が自分が絶対に正しいんだと信じていれば別にいいけど、でも、やっぱり、相手としては嫌じゃないか、そういう人間。第二に、北部イタリアの人間は「南部はOOだから嫌だ」とか「駄目だ」みたいに言うあるのだけど、北部で暮らす南部出身の彼女、北部の人間に対してコンプレックスを抱いていて、北部の人間をけなしまくる。それぞれに長所短所があるのは当たり前の事なんだからそんなに敵視しなくても良いじゃないか、と私など思うのだけど、いけないらしい。あとは、自分が大学を卒業したという事にプライドを感じている。イタリアでは大学卒業率が日本よりもかなり低いわけなのだけど、でも、世間一般を見ると、イタリアでは大学を卒業したからって威張る人間ってあんまり見かけない。だいたい、子供を26歳くらいまで学校に行かせるお金に余裕のある家庭出身の人は大学に行っている、という感じ。私の見解では。一度、彼女と話していたときに、私が、2年間と短期だけど一応大学を出ているという話になった。そしたら、何を勉強したか訊ねてきて、その後、短大で勉強した事を仕事に生かしていないなんて勿体無い、と言われた。それだけなら結構言われる事がある。事情を知らない人としては、そういう考えに行き着くでしょう。でも、私としては、短大で勉強した事が好きだったし、その道で生きて行ければ良かったけど、結局別の種類の仕事を見つけて、最終的にそちらが面白くてそちらに興味を持ったから、別にそれはそれで良かった。それに、私にとって仕事とはまず第一に、生き甲斐でもなんでもなく、お金のため、生きるためにするもの。ある程度面白いと思える仕事をしてお金が稼げればそれで良かった。ところが彼女は、私が短大で勉強した事をイタリアで生かすべきだ、と助言してきた。「でも、法律も関わって来るんだよ? 当然国が違えば法律も違って来るから、イタリアの法律を一から勉強しろって?」と私が言うと、大学に通えば良い、卒業して良い仕事を見つけるべきだ、って返事。何か、何かと自分の考えを人に押し付けてくる。そんな彼女が大学で勉強した事は、心理学。彼女、精神科医になりたいらしい。でもさ、精神科医が彼女のいつもの調子で患者に「こうしろ」と彼女の考えを押し付けたら、それは、精神科医として失格じゃないのか? 彼女の事、あんまり深くは知らないけど、でも、精神科医にだけは向いていないと思う。だって、多くの人が彼女と話していると一方的に押さえ付けられているような気になるって言うから。アンナリータ、大学を卒業してから、精神科医になるための研修として、施設でボランティアをしながら、生活のためにピザ屋でパートをしていたって聞いた。この間、共通の友達の彼女・アンジェラが言っていたけど、アンナリータ、秋頃、施設でボランティアしていたとき、患者と言い合いになって、患者に「あなたは精神科医には向いていない」と言われて、頭に来てボランティア辞めちゃったって・・・。アンナリータが嫌いなアンジェラ、「彼女、自分は大学で勉強してるからとか、大卒だからとか、精神科医になるからとか、いつも澄ました顔して言ってたけど、結局今じゃ単なるピザ屋の店員じゃないの。中卒の私と同じような仕事して、同じような給料稼いでるじゃない」。・・・って考えるような人は、アンナリータのこと、そりゃ嫌いになるだろうな。凄いんだ、アンジェラ。アンナリータの悪口をはっきり言いまくり。本人の前でも。「精神科医になるとか言ってる自分が精神科医に診てもらう必要ありでしょう?」とか。私は一流大学を出ているわけじゃなくて、単なるその辺の短大を出ているわけだけど、別に学歴に対するコンプレックスなんて感じないし、イタリア人じゃないから北部人がどうした、南部人がどうしたって言われても全く関係ないから、アンナリータのことを嫌な女だとは思わない。ちょっと意見を激しく言いすぎな人だな、と思うくらいで。決して仲良くなりたいとは思うタイプじゃないけどさ。アンナリータに鉢合わせたけど、「聞いたよー。ボランティア辞めちゃったんだってね」というようなことは一切言わず、触れず。その話題は彼女のプライドが傷つくだろうから。普通に当たり障りのない話題をして、別れた。天気の話をするみたいに。私って日本人なんだなぁ。
Jan 24, 2003
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テレカの有効期限なんてものがある猫も杓子も携帯電話を持っている時代。いや、うちの猫は実際に携帯なんて持ってないけど。私、実はこっちで携帯を持っていない。最初、買おうかと思ったんだ。イタリア国内でもしばらく夫と(当時はまだ付き合っていただけだったけど)離れて暮らしていたことがあったから。同じ国に居ながらも、彼とは遠距離だった、実は。でも、当時、私のアパート、電話あったし、携帯は必要ないかなと思って、結局買わなかった。その後、彼と暮らすようになって、携帯を買おうかと思ったのだけど、ネットに繋げるために家に電話回線引いてもらったし、どうせ出かけるときはいつも彼と一緒だから、あんまり使わなくて勿体無いな、携帯、値段が高いし、じゃあ、別にいらないな、ということに。日本では携帯のない暮らしなんて考えられない、と思っていたのだけど、今は、なければないでいいや、という感じ。PCなしの生活は考えられないけど。私は持っていないけど、とにかく、携帯って、現代人の必需品でしょう。そうすると、当然、公衆電話の出番がなくなってくる。10年くらい前は、駅で公衆電話待ちで並んだりした覚えがあるけど、今じゃ並んでる人なんていないでしょう? 公衆電話の数自体も減ってると思う。テレカを最後に買ったのなんて、いったいいつのことやら、って感じじゃないか。私は昨日、物凄い久々にテレカを買いに行った。2月に母が日本からやって来るわけなのだけど、その時、空港に着いて会えなかったときの連絡手段として、母は公衆電話を使わなきゃならない。まあ、出口で待ってればまず会えないってことはないのだけど、一応、念のため。どうせ使わないだろうと踏んで、いちばん安い2,50ユーロのテレカを購入。封筒に入れて送ろうと思ったその前に、ふと、テレカの有効期限を見てみた。あるんだ、有効期限が。以前、それを知らないで、まだあんまり使っていなかったテレカを捨てるはめになったことがあるから、ふと思い出して、念のため確認。そしたら、「有効期限 31/01/2003」って書いてある。自分の目を疑った。これって、今月末日じゃないか。テレカを買った日が22日、有効期限が31日って、そんな、期限が迫りすぎ。生ものじゃあるまいし。だいたい、すぐに使うならまだしも、母が来るのは2月。有効期限の切れたテレカを送っても、当然使えない。意味がなさ過ぎる。良かった、確認しておいて。早速そのテレカを買った近所のタバコ屋に行って、テレカの有効期限が今月の31日で、使うのは2月だから、取り替えてくれと頼んだ。そしたら、おばちゃん、「あら、テレカに有効期限なんてものがあるの? ごめんなさいね、うちにはこれしかないの」とお金を返してくれた。違うタバコ屋に行くと、おばちゃん、さっき返品したばかりのテレカと同じデザインのテレカを私にくれようとした。「すみません、さっき、違うタバコ屋でそれと同じデザインのテレカを買おうと思ったら、有効期限が今月の31日になっていたんですけど、もしかして、それも同じ有効期限じゃないですか? 私は2月に日本からやって来る母にそれを送らないとならないので、今月いっぱいが有効期限じゃ意味がないんです・・・」と告げると、おばちゃん、「有効期限なんてあるの? どこに書いてあるの?」。表の下の方に小さく書いてあると言うと、確認してくれた。やっぱり、「有効期限 31/01/2003」と記されている。3件目のタバコ屋で、ようやく有効期限が来年のテレカを入手。無事、母に送った。あとは、イタリアの郵便は信用ならないから、この封書が母の元に無事着くことを願うだけ。母が日本を出発してから届いたって、全然意味ないもんね。しかし、有効期限の迫ったテレカが平気で売られていて、しかも、売っている方も有効期限が差し迫っているということどころか、有効期限があるということさえ知らないなんて・・・。今更公衆電話を使う人なんてあんまりいないから、テレカも有効期限が差し迫ったものが売れずにいつまでも残っているってことだろうけど・・・。まあ、何にせよ、日本人らしく、念のため有効期限をしっかり確認しておいて良かった。だいたい、落とし穴の多い国だからね、この国は。念に念を重ねないとならないことが多い。念に念を重ねても、落とし穴に落とされることもあるし・・・。2003/01/23 22:50:292月14日2月14日はヴァレンタインデイ。ヴァレンタインデイ、てものは、この国では、当然、女の子が男の子にチョコレートを贈る日ではない。好き同士な男女がお互いに愛を込めてプレゼントを贈る日。うちの夫、「ヴァレンタインデイなんて下らん」、とオヤジみたいなことを言う。「この時期になると、同僚とか、周りが皆、『ヴァレンタインデイ、今年は何を贈る?』って話になるんだけど、どうしてわざわざ誰かが勝手に決めた日に皆で揃って贈り物をしなきゃならないんだ? 誰かに決めてもらわないと贈り物をしようって気にならないのか? それでもって、皆が贈るからってその波に乗って贈らなきゃならない義務みたいなものを感じて贈ったものが本当の贈り物と言えるか? 愛がこもった贈り物ってのは、誰かが決めた日に贈るものじゃなくて、贈りたいと思ったときに贈るものだろうが」ヴァレンタインデイにプレゼントをもらえない男のヒガミみたいに聞えるかもしれないけど、夫は別にもてない男なわけではなかったので、ヒガミではない。単なるへ理屈オヤジみたいなことを言っているけど、でも、言ってることは間違ってない。確かにその通りなんだよね。でも、まあ、私としては、ヴァレンタインデイを機会にプレゼントをするというの、別に、それはそれで良いんじゃないかと思う。普段何となく恥ずかしくてそういう行動に出られない人がバレンタインを機にプレゼントをしたりとか、「あ、もうすぐバレンタインだから彼女にあれを贈ろう」とか思う、そういう『機会』となれば、それはそれで良いんじゃないかな。まあ、イタリア人て、記念日とかに関係なく、普段何にもなくてもプレゼントを持って来るような人たちだから、別にヴァレンタインデイなんてなくても良いとも思うけど。私なんて、日本でヴァレンタイン頃に、チョコレートをたくさん食べることが出来て嬉しかったっけなぁ。チョコレート嫌いな父がもらった義理チョコは全て母と私で分けていたし。私自身、自分が誰かにあげたものも、結局分けてもらって食べてたもんなぁ。ヴァレンタインデイというイベント自体はどうでも良いのだけど、チョコレートをたんまり食べられる時期、として、私は嬉しかった。ヴァレンタインがどうでも良いと言うなんて、かわいくないけど。事実。かわいくないけど、「ヴァレンタインなんて下らん」と言う夫には私みたいなのがちょうど良いでしょう。でもねぇ、せっかくだから日本的にチョコレートは食べたいと思うんだ、私。そういうわけで、ヴァレンタインの時期になると、チョコレートケーキやチョコレートのお菓子を毎年作るようにしている。「ヴァレンタインなんて下らん」と言う夫だけど、お菓子は好きなので、喜んで食べる。彼には日本のヴァレンタインの方が合っていたかも。だって、こちらでは彼自身も彼女にプレゼントをするのがヴァレンタインデイだけど、日本では女の子が男の子にチョコレート(+α)をあげるもの、だもんね。お菓子が好きな彼としては、チョコレートをもらえて、きっと、嬉しかったと思う。2003/01/23 18:57:34
Jan 23, 2003
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厳しい親夫の従妹アンナは21歳。高校を卒業して、今は歯科医の助手として働いている。そのアンナ、昨日お父さんと激しい言い合いになって、家を飛び出したんだそう。家にはもう帰りたくないって。アンナのお父さん、つまり、夫の叔父に当たる人なのだけど、この人がまた、人は良いのだけど、父親として持つには厄介な人なんだ。子供は自分の持ち物、みたいな考えがあるらしくて、子供は自分の言いなりになるもの、子供のものは自分のもの、という言動が目立つ。娘がお昼に帰ってくる時間が遅かったとか、夕食の時間に帰ってこなかったとか、叔父さんはいつも愚痴っている。しかも、娘が買った車の方が自分の車より燃費が低いからって、勝手に娘の車に乗って行ったりしてしまう。我が家の別荘の隣にアンナのお兄さんの別荘があるのだけど、そこが自分の別荘とばかりに、叔父さん、いつもはびこっているし。自分の別荘が3kmほど先にあるのに。おかげでお兄さんの奥さんは大迷惑。リラックスするために別荘に来るのに、舅がいつもいるおかげで気を使って、ちっともリラックスできないって。しかも、叔父さん、ひとりとか、夫婦だけで来れば良いものを、なぜか自分の別荘に招待した客を一緒に連れてくる。だから、お兄さんの奥さんは余計に怒る。今回は、お昼ご飯に遅れて帰ってきたから、ということで激しい言い合いに発展してしまったらしい。そんな、良いじゃないか、お昼ご飯にちょっと遅れて帰ってくるぐらい。アンナだって社会人なんだし、患者が遅れて来たおかげで勤務時間が長引いてしまったってことだってあるわけで。私の父も、たとえ私が社会人になっても独り立ちするまでは(一緒に住んでいる限りは)、父の言うこと、この家のルールに従わなきゃいけない、ということは言っていた。だから、私の帰りがちょっとでも遅かったりすると、ブツブツ言っていた。でも、私だって遊び歩いていたわけじゃなく、仕事で遅くなったわけで、父も別にそれ以上あんまり言わなかったし、ましてや言い合いになるなんてことはなかった。もちろん学生時代には門限の問題でちょっと言い合いになったけど。一昨年の夏、アンナは彼氏と一緒に旅行したのだけど、その時、アンナの両親、「子供はどんどん親から離れていくものなんだ」と言っていた。って言っても、アンナ、当時もう20歳だったから、「だって、もうアンナも20歳なんだからこのくらい普通でしょう? 今更親から離れるって歳でもないでしょう?」と思って夫に言ったら、何でも、それがアンナにとって初めての両親抜きでの旅行だったそう。それまでは、19歳の夏まで、毎年両親と一緒にバカンスを過ごしていたそう。イタリアって、日本以上に親が厳しい。特に娘に対しては、異常だと思えるほど。高校生の女の子が両親と一緒にバカンスを過ごすのはあたりまえ。高校生の娘の門限が、普段は夕方7時とか、結構当たり前。門限を破ったら学校に行く以外一週間家から出さないとかいう刑罰を与える親もいるみたい。高校生の娘に。よっぽど娘を信用していないと見える。自分の手元において観察して安心してるみたい。でもさ、子供っていうのはその点賢いもので、例え親に監視されていられても、見えないところで何かしらはしているものなんだよね・・・。あんまり放任っていうのもいけないかもしれないけど、あんまり縛りすぎっていうのもどうかと思う。子供は余計に反発するものだから。夫の家は男3人兄弟で、女の子がいなかったせいもあるんだろうけど、お母さんは息子たちを信用していたから、小言を言うようなことはなかったとか。親として、常識から外れるようなことはもちろん許さなかったけど、おおらかに子供の成長を見つめてたって。貧しくて酒乱暴力オヤジがいるという普通じゃない状態で育ったけど、夫兄弟は3人とも良識のあるまっすぐな人間に育っている。これは、お母さんがおおらかに子供を育てたからなんだろうな。子供たちはお母さんに嘘を言うようなこともなく、困ったことがあれば真っ先にお母さんに相談したそう。こういう親子関係って良いな、と思う。アンナはお父さんには何にも相談できないし、お母さんにも恐くて言えないと言っていた。お母さんに相談すると、お父さんに筒抜けなことがあるからって。彼氏の両親と喧嘩したとき、彼氏が浮気をして別れたとき、その事実を両親に言えなくて悩んだものだから、相談に来たのは、従兄のところ。娘が自分に何も言ってくれないっていうのも、親としては悲しいものなんじゃないだろうか?アンナ、結局家には帰ったみたいだけど、きっと気まずいんだろうなぁ・・・。2003/01/22 17:11:46RE:愛人前に書いた社長の話。結果的に、妻と別れて彼は幸せだと言う。妻のことは愛していたけど、セックスが良くないからどうしようもなくて、自分も妻も苦しんでいたから。でもね、二股っていうのは良くないと私は思う。自分が二股かけられたときの苦しみを考えてみたら・・・。夫も私も、前付き合っていた人に二股をかけられた同士。夫の場合は、元彼女、その後、二股をかけた新しい彼氏よりも夫の方が良いと分かって、どうにか復縁しようとしたけど、夫は裏切りを許さない人間だから、後の祭り。彼女、友達でも良いから夫の側にいたいと懇願したのだけど、夫はそれも拒否。結果、彼女、ストーカーとなって、何年も経ったいまだに一生懸命自分の存在をアピールしてる。私の元彼氏は、私と別れたらもうほとんど私に見向きもしなかったっけな・・・。あんまり想われてなかったってことだな・・・。夫と私の意見としては、今現在付き合っている人との間に疑問があるのを知っていて、それで違う人を捜し求めるようなことは間違っている。疑問を晴らすべく、距離を置くなり別れるなりして、それで他の人とも付き合って、疑問を晴らすようにしなきゃいけない。それが、付き合っている人に対しての最低限の敬意じゃないか。もちろん、彼氏なり彼女なりとは違う人と偶然出会って、この人も好きになってしまって、どちらも選べない、とか、どうしようもなく浮気性、という人にはそんなことを言っても通じないけど。私、夫には、「浮気してみろ。地の果てまでも追って行って、人生目茶苦茶にしてやるから」と言われている。私は、「薬を盛って縛り付けて、切れないナイフで少しづつ去勢してやるから」。危ない夫婦だな・・・。気が付けば、前の彼氏に二股されたときは、彼、遠くに住んでいたのだけど、押しかけて行って殴ってやろうとか、あんまり思わなかったな。裏切られたっていう悲しみと憎しみみたいなものがあっただけで。私ってば、あんまり好きじゃなかったんだな、彼のこと。社長の場合、結果としては浮気をして妻を苦しめるという形になってしまったけど、妻の性格からいって、話し合いだけじゃ絶対に解決できなかったんじゃないかって。確かに、他に女がいるんだ、別れたい、って社長が奥さんに告げたとき、奥さん、最初こそショックで家を出たけど、3日後に家に戻ってきて、私が悪かった、改めるからやり直そう、って一生懸命彼に食い下がったそう。熱心なカトリック信者だからね。神の前で永遠の愛を誓ったものだから、しばらく食い下がっていたみたい。そういう状態が余計に社長を苦しめた様子。彼としては、妻のことはまだ愛しているけど、捨てなきゃならなかったから、それが苦しくて、出来れば彼女が「あんたなんて最低!!」ってキッパリ見切りを付けてくれた方が楽だったんだよね。実際に、何度か問題について話し合ったらしいけど、どうしようもなくてそのままになっていたみたいだし。結果的に、今は、二人とも別れたことに後悔はないみたいで、それはそれで良かったんだよね。2003/01/22 17:06:48愛人夫の会社の社長が(って言っても小さな会社なのだけど)、愛人作って奥さんと別れたら心労がかさんで、精神科医のところに通ったけどどうしようもなくて愛人のススメでドラッグ始めて、頭がおかしくなって仕事どころじゃなかったという話は前に書いた。彼、最近、すっかりドラッグをやめた。年末くらいに別れた奥さんに新しい恋人が出来たということを知って、それで罪悪感から逃れられたみたいで、心労がかなり減って、彼、ようやく普通の状態に戻ったらしい。仕事、ちゃんとしてるみたいで、一時は本気で転職を考えた夫、とりあえずこの会社に留まることにした。この愛人っていうのが、凄いんだ。私と同い年なのだけど、男という男を渡り歩いたらしい。彼女は夫の会社の取引先の会社の工場に勤めているのだけど、そこの男性従業員の半分くらいは食ったんだって。あるとき、夫の会社の社長がその会社の人と冗談で「どこかにいい女いないかなぁ」と話していたとき、その会社の人が、「彼女誘ってみたら? 誘えばすぐにやらせてくれるよ」と言った。当時この社長というのは、妻との性生活に悩んでいて、どこかで鬱憤を晴らしたかったらしい。妻は完璧な妻で愛しているけど、セックスがどうしようもなく合わない、どんなにお互い努力してもどうしようもなくセックスに対する感覚が違うから、どうしようもない、これから先どうして良いか悩む、子供でも出来れば性生活の不満さから気が紛れるのかもしれないけど、妻に問題があっていくら努力しても子供が出来ない、とうちの夫に語っていた。この取引先の会社の工場で、現在の愛人がその同僚と、夫の会社の社長に向かって、「ここにやって来る人たちは皆結婚していたり彼女がいたりして、誘ってくれる人がいてつまらない。どこかに私たちを誘ってくれるいい男いないんですかねぇ?」と言ったとき、社長、「俺なんてどう? 結婚はしてるけど」と冗談交じりで言った。そしたら現愛人、少し考えて、「悪くないかも」とOK。そんな感じで出かけることになった二人。噂通り、すぐにやらせてくれたそう。っていうか、彼女が積極的に迫ったそう。しかもかなり激しくて、社長、すっかり喜んでしまった。そして、すっかり彼女の虜に。社長、盲目状態で周りが見えていないみたいだけど、彼女、社長→うちの夫経由で話を聞く限りは、かなり悪い女だなぁと思う。早く奥さんと別れさせたいがために言ったとしか思えないようなフレーズとか言うんだ。セックスが上手いがばっかりに、今じゃすっかり、社長、彼女の言いなり、下部って感じ。それも手腕ってものだけどね、ある種。最近は、落ち着いてきた社長、そのことに気付いているみたいだけど、今更他の女を探すのも面倒なので、そのままにしているんだって。この愛人っていうのがきっかけで、社長、友達に「もう一緒に出かけたくない」って言われてしまったとこの間嘆いていた。「彼女のどこが悪いんだ?」って。皆、この愛人のことを嫌っているらしいんだ。会社の従業員まで。夫に、どういう感じの女の子なのか訊ねると、「一言にすると、ヘビのような女」という回答。それで、会社では「ヘビ女」って呼ばれているんだって。性格が悪いって言うより、まず、顔がいかにも悪そうな顔だそうで、しかもいつも(仕事してても)襟元から胸を覗かせてて、これでもかってほどのミニスカートを履いていて、男という男に流し目を送っているそうで、何て言うか、見かけと態度からして、印象がかなり悪いらしい。しかも、喋ると自己中心的だという。社長にすると、素直な普通の女の子らしいのだけど。物は言いようだな。ま、周りがどう思おうと、本人たちが幸せなら良いよね。2003/01/22 0:01:05
Jan 22, 2003
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義母、結婚したのは17歳。最初の子供を産んだのは18歳。自分で言っていたのだけど、「18歳の小娘が子育てなんてどうしていいか分からないでしょう? だから、お母さんのところに行って、『お母さん、子供なんて初めてでどうしたら良いか分からない。どうしたらいいか手本を見せて』って頼んだのよ」。そしたら、おばあちゃん、子供を細長い布でグルグル巻きにしたんだって。ミイラみたいに。1ヶ月検診のとき、グルグル巻きにした子供を医者のところに持っていたら(「連れて行った」という表現よりこの方がピンと来る)、義母、医者に怒られたんだそう。今時こんなことを子供にする人はいないって。おばあちゃん、昔は皆そうしていたんだ、お前だって生まれたときはこうしていたんだ、今どうするかなんて、私は知らない、と義母に言ったんだそう。今から30年前の話。昨日夫の叔父の家に行ったとき、その「子供をグルグル巻きにする」という話になった。叔父曰く、「50年くらい前までは、これが全世界で行われていたはずだ」。そうか? 日本ではそんな話、聞いたことがない。生まれたばかりの子供をミイラみたいにグルグル巻きにするなんて。纏足の話なら聞いたことがあるけど。誰かそんな話を聞いたことがある人がいたら、ぜひ教えて下さい。グルグル巻きにする理由、なのだけど、ふにゃふにゃの子供を真っ直ぐな姿勢に固定することで、子供の骨格が真っ直ぐになるから。つまり、骨折したときにギブスするのと同じ考え。グルグルの度合いなのだけど、相当なものらしい。何重にもグルグル巻くものだから、ホント、ミイラみたいになるんだって。直立不動状態。子供は真っ直ぐ。そんな小さいミイラみたいな子供を抱いたとき、子供は真っ直ぐなまま硬直。不思議な光景・・・。オムツを替えるときは布を外して、替えたらまたグルグル巻きにしていたんだって。後日、それは子供の骨格の形成には意味がないし、むしろ良くないこととして、誰もしなくなったらしいのだけど、少なくとも現在49歳の義母なんかは、そうされて育っているわけで、それを思うと、そんなに遠い過去のことではない・・・。「グルグル巻きのおかげで、私は死にそうになった」と叔母。彼女が生まれたのは、予定日より20日前。当時彼女の生まれたシチリアでは、助産婦が妊婦の家に行って出産を助けるというのが普通だった。ところが、予定日よりまだ20日も早いからまだ安心ということで、助産婦、違う地方に行ってしまったんだそう。そんなわけで叔母のお母さんが産気付いたとき、村の助産婦は留守にしていて、それでも出産を待つわけにはいかないから、家族が医者を探しに。連れてこられたのは、外科医。無事出産。ただし、臍の緒の結び方が悪かったらしい。それで、出産は9人目の産婦が、先生に「それはいつもと結び方が違う。良くないんじゃないか?」と言ったら、医者、「患者は黙っていなさい。安心しなさい」。グルグル巻きに寝かされている叔母を見に来た彼女の叔母(お母さんのお姉さん)、「この子は元気がないけどどうしたんだろう?」と思って、グルグル巻きを解きたいと言ったんだそう。お母さんは、医者に明日までグルグル巻きを取るなと言われたから、どうしようかと思ったけど、自分の姉がどうしても見たいと言うので、解くことに。解きだしてみたら、お腹の辺りに小さな赤いシミが・・・。解いて子供に近づけば近づくほど、解けば解くほど、シミが大きく・・・。臍の緒がうまく結ばれていなかったため、そこから出血。慌てて医者を探しに出かけた家族。もし翌日までグルグル巻きを解いていなかったら、叔母は出血多量で死んでいたってことだ。50年前の習慣が今じゃ意味のない不思議なものに思えるんだから、私たちが普段普通にしていることも、50年後には相当滑稽なものとして捉えられるんだろうな・・・。
Jan 21, 2003
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「アジアの人は貧乏だから米を食べている」という発言をしたイタリア人がいたという話を聞かされた。これって思いっきり反発したくなる発言!! 私はイタリアの米を食べていると、無性に日本の米が恋しくなる。だって、不味いんだもん、イタリアの米。日本で言う「刑務所の臭い米」ってこんな感じなんだろうな、と思うほど。古古米(なんて食べた覚えはないけど)でもここまで不味くないよ、ってほど臭いんだもん。イタリアでは、米を日本のように白米として食べたりしない。必ずリゾットにしたり、白米の上にソースをかけて食べたり(パスタみたいに)。その白米は、炊く、なんてことはしない。茹でる。茹で方は、パスタと同じ。沸騰したたっぷりの湯に、塩を入れて、米を入れて、アルデンテに茹でてザルにあげる。私もカレーライスを食べるときなんかは、そうして米を茹でるわけなのだけど、やっぱり味が違うんだな、日本のカレーライスとは。そういうわけで、この間贅沢をして日本米でカレーライスを作った。美味いこと美味いこと・・・。臭い米のカレーライスはもう嫌になった。イタリアの米は臭いから、もちろん白米向きじゃない。リゾットにしたりして食べるからこそ食べられる。イタリア至上主義な人に、「イタリアの米は美味しいでしょう?」と言われると、最初のうちこそ相づちを打っていた私だけど、最近ではすっかりきっぱり否定する。「日本の米に勝てる米はありません」って。だいたい、値段的に、イタリアの米は安い。日本の米はもっとずっと高い。それを、米を食べる=貧乏と片付けられても困ってしまう。アジアって言うけど、中華料理屋の米もイタリアの米よりはずっと美味しいよ。「イタリア人は貧乏だからパスタを食べている」というフレーズの方が合っているんじゃないか?
Jan 20, 2003
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たまーに夫に日本語を教えている。私が出産するとき、日本から母が3週間手伝いにやって来てくれるので、少しは意志の疎通ができるように、と。母はイタリア語なんてもちろん分からないし、ましてや英語も分からない。例え母が英語を分かったとしても、どうせ夫も英語なんて分からないので、どうしようもない。だから、日本語を覚えようと努力をしている。簡単で比較的使う名詞、形容詞、動詞を教えているわけなのだけど、夫は脳を使う肉体労働をしているので、仕事から帰ってくると疲れきっていて、なかなか教える機会がない。無理矢理教え込んでも、疲れていて覚えてくれない。継続的に反復させて、教えられないと、それだけ忘れる度合いも高くなる。最近ようやく覚えてくれたのが、「開ける」と「閉める」。最初の頃、「閉める」のことをいつも「しける」と間違えていた。その度私は、「だからー、それはビスケットが湿気を含んだとき」。彼が良く覚えている単語は、大抵日本にいたときに習ったもの。2週間という短期の滞在だったけど、反復して使う機会があったため、2年半経ったいまだに良く覚えている。くだらない日本語を覚えているんだ、これが・・・。 国際結婚をして、相手の国に相手の言葉で生活している人にはありがちな話だと思うけど、とっさのときに母国語の日本語が出てくるという事がある。私がよく口にするのが、「あちっ」「いたっ」「ビックリした」「よっこらしょっと」といった言葉。そういうのって、何度か聞いているうちに、相手も覚えてしまうものなんだな。夫もそういう状況で真似をする。「あちち」とか「いたた」とか、言う。何か全然合ってないよ・・・。当然、その意味を知らないイタリア人は、その意味を知りたがるわけなのだけど、意味を教えると、日本語って、「痛い」とか「熱い」とか「冷たい」というのを、直接間投詞的に使っていて不思議、と言われる。確かにイタリア語とか英語ではそういうの、直接言わないなぁ。感嘆文っていうのはあるけど、感嘆文を叫ぶ前に、何らかの間投詞をまず付けるもんね。 母が来たら、大丈夫なのかなぁ・・・と思ってしまう節がある。特にミラノの空港までの迎えは夫ひとりで行くことになるから。ちゃんと会えるんだろうか、とか、家までの長距離を二人きりでどう過ごすんだろう、とか。言葉のことはもちろんなのだけど、習慣が違うから、夫にも母にも、逐一違いを教えないと。母が来たら、きっと、なかなか日本語を覚えてくれない夫も日本語を覚えてくれるんだろうな、と思う。私は母と絶えず日本語で会話するわけなので、毎日日本語を聞かされていれば、嫌でも覚えるだろう。だいたい、夫は、私が話している日本語はほとんど聞き取れないけど、母が話す日本語は聞き取れることもあるって言ってたから。私たち日本人も、外国人が話しているのを聴いていると、話していることが凄く分かりやすい人と凄く分かり難い人といる。私は、後者な外国人。凄く分かり難い人。基本的に早口なんだ。日本人と話していると、凄く早口でハキハキ喋るのだけど、イタリア語で喋っているときは、普通のイタリア人よりもゆっくりおっとり喋る。これは、当然、頭の発達の問題で、日本語で考えて喋るときは、母国語なので、さっさと言いたいことを言えるものだから、口が自在に回る。イタリア語で喋るときは、基本的にイタリア語で考えていて、難しい単語やあんまり普段使わない単語は日本語で考えてそのイタリア語訳を求めるため、その分時間がかかる。当然、口が回るのも遅くなる。そんな風に喋っているから、イタリアでは、「あなたってかなり落ち着いた人ね」みたいに言われるのだけど、私が日本語で弾丸のように喋っているのを聞いたら、ビックリするんだろうなぁ。
Jan 17, 2003
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昨日、母から電話が来た。布オムツをたくさん用意したそうで、それを送るから、とのこと。布オムツ、見当たらないんだよなぁ、こっちって。でもね、夫曰く、オムツカバーはあるとのこと。私は見たことがないんだけど。オムツカバーがあったら、当然、布オムツも売ってるものなんじゃないのか? それがないってことは、いったいどういう事なんだろう? 布オムツっていうのは、それとも、イタリアでは手作りするものなの?この間ベビーカーを注文したときに、店の人がおまけでくれた育児雑誌にオムツの話が載っていたのだけど、とりあえず、髪オムツのことしか書いてない。義母に布オムツのことを訊ねたときも、布オムツはやめた方がいい、機能が優れている紙オムツの方がいい、って。それでも食い下がって、布オムツはないのか、と訊ねたら、今の時代、誰も使ってないから知らない、って言われてしまった。ずっと前に、子供は数年後にと考えている32歳主婦、子作り検討中の30歳主婦な友達と、布オムツについて話したことがある。彼女たちは、出来れば布オムツを使いたいと言っていた。紙オムツは経済的にかなり高くつくから、と。ただ、布オムツについての知識というものが全くなく、布のタイプはどういうもので、どのくらいの大きさで、どのように使えばいいか、どのように洗濯すればいいかなどが全く分からないと言っていた。当時は私もオムツに関しての知識なんてなかったけど、そんなの育児書とか見れば載ってるでしょう? と私が言うと、育児書にそんなことは書いてないでしょう? 母親の年代くらいの人に聞けば、教えてくれると思うけど、と返ってきた。だから、その後で義母に訊ねたのだけど、布オムツはやめた方がいい、って。母に、布オムツ、何枚くらい用意してくれたのか訊ねると、35枚くらいあるとのこと。そんなに縫ってくれたのか、ご苦労なことで、と思いきや、会社の同僚にもらったんだとか。というのも、会社の同僚には2人の小さい子供がいるそうなのだけど、その奥さんのお母さんが子供が生まれたときに縫ってくれたオムツを結局一度も使わないまま、夫婦は紙オムツで全て済ましてしまったため、もったいないから、うちの母にくれたんだって。母、来月こちらにやってくるときに、従姉が使ったタオル地にメッシュの布を乗せて使うオムツも持ってくるって。それから、兄の会社の同僚が使わなかった新生児用オムツカバーをくれるというから、それも持って来るって・・・。すごいなぁ、わざわざ買わないでも集まるものなんだなぁ、と感心して、そのことを夫に告げて、「どうして日本ではちょっと声をかけるだけでいろんな人からこんなに集まるものなのに、こっちでは集まらないんだろうね?」と言うと、「だって、俺の周りは、親戚も友達も、誰にも子供がいないから」。ほんと、誰もいないんだ。こうまで周りに子供がいない環境っていうのも凄いな、と改めて思ってしまった・・・。周りの人たちは何をしているかというと、大抵が夫婦だけの時間をもっと楽しんで、それからお金が貯まったら子供を作ろうという計画らしい。だけど、ある人は夫婦だけの時間を楽しんでいすぎて一向にお金が貯まるどころじゃないし、ある人は子作り計画を開始したけどなかなかできなくて困っているし・・・。そんなわけでうちが最初になってしまった。こうまで子供がいない環境にいると、周りの人の理解力というのが欠けるような気がする。だって、私が悪阻で具合が悪いときにどこかへ行こうと誘われても一緒に行けなかったり、外食しに行こうと誘われても行けなかったりしたことがあるのだけど、付き合いが悪くなった、面白くない、みたいに言われた。それから、私が行けないと分かっているようなところに行くけど、一緒に来ないかと、以前と同じように誘ってくる。そのたび夫が、だから無理だって断ると、何だか気まずさを残されたりする。何か、何度言っても分かってくれないんだな、と思う。私たちとしては、無理をして自分の楽しみを決行して子供に何かあったりしたら、嫌なのに・・・。
Jan 16, 2003
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昼の連ドラと漢字夫の会社の取引先のエンジニアが付き合っている女性、800年代の邸宅を持っているそうなのだけど、たまたまその家がある小さな町が連続テレビドラマの舞台となり、彼女は家を撮影に貸すことに。そのまま撮影に使えるほどの800年代の家を持っているくらいなので、彼女はすでにお金持ち。その上撮影に家を貸したものだから、何もしなくても更にお金が入ってくるという。この世はお金持ちが更に得をするように出来ているんだろうか?? 庶民としては、そんなことを思ってしまう。 その家が舞台になっているという、昼の連ドラを観てみた。そしたら、肩に思いっきり「安」という刺青を入れた俳優がいた。安、ってどういう意味合いで入れたの? 安いの? ちょうど、その男の子は野菜市場のようなところで果物を積み荷をしていたので、「安いよ、安いよー」と売っているシーンまで勝手に連想してしまった。全然違うって。漢字が書かれた服とか、漢字の刺青というの、3年くらい前からよく見かける。2年前に夫が彫り師のところで彫ってもらっていた際、暇だった私は刺青カタログを見ていたのだけど、結構あるものなんだ、漢字の見本が。干支が主だったんだけど、でもさー、「鼠」とか「兎」とかいう刺青を見ても、あんまりカッコイイとは思わないんじゃないか? 「風林火山」とか書いてあった方が、本格的で私はカッコイイと思う。長すぎるか・・・。っていうか、イタリア人のくせにマニアックすぎるか。前に夫の従妹が、「寅」って書いてあるタトゥーシールを貼っていたのだけど、それを見て「寅さんかぁ。下町だねぇ」なんて思ってしまった。そういうこと思うのは、私くらいなんだろうか? こういうのって、意味が皆に分からないからこそ良いんだろうね。日本で売っている服とかでも、ワンポイントとして、英語やフランス語が入っているものってあるもんな。ずっと前に、日本で買ったTシャツをイタリアで着ていたら、友達に思いっきり読まれた覚えがある。ワンポイントがフランス語で「10分後」って書いてあったんだとか。そう言われるまでそこにフランス語が書いてあったなんて気付かなかった。良かった、フランスに旅行したときそれを着ないで、と思った。あやうく馬鹿にされるところだった。まあ、書いてあったことがその程度なら良かったかもしれないけど。昨日、夫と出かけたときに、車のフロントガラスの上の部分に日本語の、カタカナらしき文字で何か書いてあった車を見掛けた。先に気付いた夫に「あれ、カタカナみたいだけど、なんて書いてあるんだ?」と訊ねられたのだけど、目の悪い私は一瞬にして通り過ぎたその車に書いてあることが見えず、分からず終い。きったない字で、「カ」と書いてあったのだけ見えたのだけど・・・。いったい何が書いてあったんだろう・・・。8文字くらいあったけど。2003/01/15 22:08:28夫が生まれた日夫の父親のことは前にも書いたけど、あの人はろくでなし。給料を家庭に入れないで、タバコと酒と車と、外での女遊びに費やしていたため、家庭は貧乏のどん底。子供たちはろくな学校にも行けなかったどころか、食べるものにも着るものにも不自由したとか。父親は家にいるとき、酒乱で母親や子供たちに無意味に暴力を振るっていた。子供には最悪な環境。夫は父親と一緒に暮らしていたのに、父親から父親らしい愛情を受け取ったことがないから、父親という存在を知らないって。先日、夫が生まれたときのエピソードを義母から聞いたのだけど、それは酷いものだったらしい。夜中に産気付いた義母、彼に「お腹が痛い。陣痛が来た」と言ったら、その日の昼間すっかり酒を飲んで酔っ払って眠りたかった彼、「こんな夜中に迷惑な奴だな!」と怒り出す。それを聞いただけでも酷いなと思った私は甘かった。「そんなの単なる腹痛だ。トイレに行ってスッキリしてしまえ」って義母に言って、ベッドから動こうとしなかったんだって。「トイレに行けばスッキリするってものじゃないのよ。これは陣痛よ。もう3人目だから私も陣痛がどんなものか分かってるわ。早く病院に連れて行ってちょうだい」と義母が頼むと、渋々起きだして、病院に行く準備。車に乗り込んで出発しようとしたら、エンジンがかからない。何と、こんなときにガス欠。いざというときにそういうことがないよう、義母はいつも彼にガソリンをきちんと入れておくよう言っておいたのに・・・。イタリアのガソリンスタンドって、昼間はスタンドのおじちゃんがガソリンを入れてくれるのだけど、夜間はオートマティックになっていて、運転手が自分でガソリンを入れる。70年代に、そんなオートマティック・サービスがあるはずもなく、夜間に開いているガソリンスタンドはない。夫婦は家に帰って、近所に住む親戚に電話。親戚の到着を待っている間に、起きていなければならないはめになった彼は酒を飲み出す。親戚が到着した頃には、千鳥足状態(もともとその日は酔っ払っていたから・・・)。そんな状態で病院に行ったものだから、彼、産婦人科の先生に「あなたには父親になる自覚があるのか!?」と怒られたんだそうな。・・・ないんでしょうね。 義母は、どうしても女の子が欲しくて、いつも妊娠したたびに女の子の名前と男の子の名前の両方を考えていたそうなのだけど、夫の前にすでに2人も男の子が生まれていたから、3人目の夫のときは、今度こそ女の子、とタカをくくっていたらしい。しかも、周りの人たちも皆で口を揃えて、「お尻に肉が付いてきたから、今回は女の子ね」と言っていたそうなんだ。何でも、イタリアでは、妊婦の腹が突き出ていたら男の子、腹が丸っこくてお尻に肉がついたら女の子、といういわれがあるらしい。これ、あながち嘘じゃない。男の子出産予定の私の腹は思いっきり突き出ているから。義母は子供の名前を、「i」で始まる名前で統一したかった。それで、女の子だったら、絶対に「イレーニア」という名前を付けたかったんだそう。上の2人に「i」で始まる男の子の名前を付けてしまって、もう名前のストックのなかった、しかも3人目は女の子とタカをくくっていた義母、いざ、3人目も男の子が生まれてみたら、すっかり名づけに困ってしまって、出生届提出期限ぎりぎりまで夫の名前を決められなかった。そんなとき、父親は何をしたかというと、酔っていて、ちっとも考えてくれなかったそう。酔っているだけなら良いのだけど、妻とセックスできないものだから、売春婦のところへ通っていたんだとか。素晴らしい父親すぎる・・・。そんな父親、妻に子供の名前を考えてくれと言われるのが面倒くさくなって、たまたま読んでいた雑誌のフランス人ジャーナリストの名前を上げて、それで良いじゃないか、と言い出す。「j」で始まるのだけど、「j」は「i」が長くなった形なんだからどうせ同じだ、ってことで。そういうわけで、夫の名が決まった。 生まれるときも名づけも適当。いかに父親に大切にされていたかが覗える。こんな父親と一緒に暮らしていて、夫、よく間違った道に走ったりせず、素直に成長できたよな、と思う。それというのも、母親が父親役も買って出て一生懸命愛情を注いで育てたからなんだろう。2003/01/15 22:06:56
Jan 15, 2003
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年末のテレビニュースで、2003年に入ったら公共料金や物価の値上げに伴い、イタリアの家庭の平均出費額は月あたり300ユーロ高くなるだろうと言っていた。300ユーロといえば、円にすれば36,000円くらい。まあ、大した事ないと思うかもしれないけど、この国の物価は日本とは違うということを分かってもらわないと行けない。この国は日本より給料も物価も安いので、300ユーロっていったら、日本の生活感覚の60,000円ほど。その上、最近景気がかなり悪いから、給料は据え置き。それを考えると、月に300ユーロも出費が上回るって、かなりの額。まあ、うちみたいにビンボーだったら、300ユーロも余計に出費はしないけどさ。年が明けて、まず、ビタミン剤を買いに行って、値上がり、を感じた。30粒入りのものが12ユーロ。1ヶ月前に同じ物を買いに行ったときは、確か、そんなに払った覚えがなくて、家に帰ってから家計簿を調べたら、案の定、12月には10,80ユーロ。1,2ユーロ(日本生活感覚約240円)も値上がりしたってことになる。電気代の振り込みのため、郵便局に行ったら、振り込み手数料が1ユーロに、これも値上がりしていた。12月までは77セントだったのに。33セント(日本生活感覚約66円)の値上がり。郵便料金とか公共料金って、ほとんど毎年値上がりする。それも、結構な額。今は1ユーロの郵便振り込み手数料、2000年には1.200リラだったな、そういえば。日本生活感覚にすると、2000年には120円だったものが、今じゃ200円ってこと。去年ヨーロッパではユーロが共通の通貨として出現したのだけど、去年はユーロ便乗値上げというのがかなり騒がれた。私の友達なんて、デモ行進にも参加していたな。だって、2001年に比べて、物価が平均20%高くなったっていうんだから、消費者にとってはたまらない。いちばん酷いなと思ったのが、スーパーとかにある、硬貨を入れて動く子供の乗り物。2001年まで500リラだったのが、50セントになっている。1ユーロが1936.27リラ、私なんかは面倒くさいので、1ユーロは約2,000リラ、と考えることにしているのだけど、50セントというのは、すなわち1ユーロの半分、リラにすると1,000リラ。考えてみると、硬貨を入れて動く乗り物は、前の年に比べて倍額! 500リラだったのが、1,000リラになったんだから。実際にスーパーに行ったときに金額を見てみたのだけど、確かに、どれもこれも50セントとなっている。いくらなんでも、これって酷い値上げだと思う。50円だったものが突然100円になったら、嫌でしょう。酷い値上げといえば、去年の年末のクリスマス用の飾りも、前の年に比べて値段が倍になっていたって。これって、庶民にとっては苦しいなぁ。
Jan 14, 2003
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土曜日の午後、ベビーカーを注文してきた。一応、1月15日に37週目に突入するため、それ以降はいつ生まれてもおかしくない状態なので、今更、なんだけど。本当は、義母がプレゼントしたい、と言っていて、彼女は年末、イーペルビンボという子供用品専用のお店にベビーカーを見に行ったそうなのだけど、いいなぁと思ったものは在庫がなくて、注文してから1ヶ月後に届くと言われたそう。一ヶ月先じゃもう生まれている可能性があるし、私たちがそのベビーカーを気に入るかどうか分からないので、買わなかったけど、お金をあげるから買いに行ってね、と彼女はそのとき言っていた。でも、その値段が398ユーロ。日本の生活感覚からすると、8万円くらいする。そんな高いものを生活状態の苦しい義母に買ってもらうわけには行かない・・・。たしかに、ベビーカー2種類と車用の普通のチャイルドシートと長旅用シート、などなど、全部セットになった物だから、高いのは分かるけど。先週、夫の会社の社長が、子供が生まれるお祝いに、300ユーロくれると言ったので、じゃあ、そのお金で買いに行こう、ということで土曜日、早速、その社長のお兄さんの子供が生まれたときに物を買い揃えたというプルチーノ・ドーロというお店に出かけて行くことに。行きがけに、おばあちゃんの家にパンを届けに行ったのだけど(おばあちゃんはうちの近所のパンがお気に入りだから)、その時にベビーカーを買いに行くと言ったら、彼女、「まだ早いでしょう? もう少し待った方が良いよ」。いや、もう待ちすぎたほどだと思うのだけど・・・。「誰かがプレゼントしてくれるかもしれないし・・・」とおばあちゃん。いや、だから、夫の会社の社長がベビーカー用に300ユーロをプレゼントしてくれたんだよ。プルチーノ・ドーロ(金のヒヨコ)というお店は、かなり大きなお店で、ベビーカーがこれでもかというほど並んでいた。たくさんありすぎてわけが分からないほど。ちょうど冬のバーゲンの時期に入ったところなので、物によっては25%OFFとなっていた。 一応私たちが欲しいのは、義母が見た、3歳までずっと使える全部セットになっているもの。200ユーロ代くらいで、あればな、と思って店員さんに相談。200ユーロ代のものは、どれも折りたたんでも大きくて重たくて、私は好きじゃなかった。だいたい、うちの車、小さいから、折りたたんでも車の後ろに入らないんじゃないかと思うくらいの大きさ。結局、店員さん一押しのものが、機能的にもデザイン的にも気に入ったので、それを購入することに。値段的にも、309ユーロとお手ごろだし。全部揃っていて、その値段、しかも、義母が気に入ったというキッコというメーカーの398ユーロの同じような機能のようなものよりも、更に保温力に優れていて(寒い地域なので、その辺気になる)、キッコのには雨の日用カバーがないのだけど(だから出費はもっとかさむ)、これにはあらかじめちゃんとセットになっている。ちなみに、義母がイーペルビンボで見たときは398ユーロだったベビーカーが、プルチーノ・ドーロでは348ユーロだった。ってことは、店的にも、プルチーノ・ドーロの方が、同じ物が安く手に入るってことなんだよね。何だか得をした気分。在庫を聞いたら、ダークブルーとボルドーのものか、ダークブルーとイエローのものしかないって。すぐに欲しかったのだけど、ちょっと、その色は嫌だなぁ、ということで、取り寄せ注文。イエローは絶対に嫌にしても、ボルドーだったらボルドーで別に良いんだけど、どうせだったら気に入ったのにしたいもんなぁ。色を決める際、夫、「選択はお前に任せる」と言ったのに、私が、「別にボルドーでも良いよ」みたいなことを言ったら、「いや、俺が嫌だ。子供には暗すぎる色だ。俺はこのダークブルーとチェック地のが良いんだ」と、結局、夫が選択したような状態に・・・。取り寄せ注文には2週間かかるとのこと。2週間後というと、25日くらい。早めに生まれると産婦人科の先生が言っていたから、もう生まれていてもおかしくはない時期かもしれない。退院時に車用のチャイルドシートが絶対にないといけないので、それまでに間に合えばいいのだけど、早くに生まれたら、間に合わない。だいたい、この国では、「2週間後に取り寄せOKです」と言ったくせに、納品が遅れて1ヶ月後とかになることもあるし、信用ならないんだよね。その辺、店員さんにはっきりと告げると、「いつも決まって2週間後に納品されますし、大丈夫だと思います。万が一、出産が早まってどうしても必要なのにまだ納品されていないということになりましたら、代理品をお貸しします。絶対にベビーカーがないという状態にはさせませんので、ご安心を」。今日、月曜日に、メーカーに正確な納品日を訊ねてからうちに電話をくれるとのことだった。イタリアにありがちなことが、あちらからは電話が来なくて、待ちくたびれたこちらが電話をしなきゃならなくなるということなのだけど、ちゃんと電話が来た。今日、メーカーに問い合わせたけど、メーカーからはっきりとした返事がもらえないので、明日はっきりとした返事を差し上げます、との報告の電話。凄い。普通、メーカーからはっきりとした返事をもらえるまでお客に電話報告なんてしてこないイタリアなのに、何て行き届いた会社なんだ、日本みたいだ、と感激してしまった。日本では普通だと思っていたことが、この国じゃ普通じゃないので・・・。
Jan 13, 2003
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ベビー服や育児書をたくさん送ってくれた従姉に、年末、お礼として、こちらの食べ物をいろいろ送った。その荷物が着いたというメールが入っていたのだけど、「送ってくれたオリーブの実って、どうやって食べるものなの?」という質問が。送ったオリーヴの実はすでに漬けられていて、そのまま食べたり、あとは料理に使ったりもするもの。黒いオリーヴの実を、従姉の子供のまりあちゃん、プルーンみたいだな、と思って食べたそう。・・・あれは、プルーンとはかなり違う味だね、まりあちゃん。オリーヴを口にしたときのまりあちゃんの表情が思い浮かぶようだわ。 同じ事で、以前、夫も騙された。梅干しで。私が、美味しいんだよ、健康に良いんだよ、と言って日本から持ってきた梅干し。見た目は何かの果物のよう。「美味しくて健康に良い」という私の言葉を鵜呑みにして(っていうと詐欺みたいだけど、本当のことでしょう?)、口の中に放り込んだ。すぐに、苦悩に歪んだ顔(笑)。吐き出して、「こんなもん食えるか!! すっぱくて、塩辛くて・・・、妙な味がする!!」と。いやぁ、あの時の表情の変わり方、面白かったなぁ。よっぽど嫌いだったと見えて、物凄い渋い顔をしていた。他のものはとりあえず何でも食べる夫だけど、梅干しだけは受け付けられないって。あんなに不味いものは口にしたことがないって・・・(大袈裟だなぁ)。私はとりあえず、こちらで食べたもので、「これは絶対にだめ」というもの、ない。
Jan 11, 2003
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テレビのニュースで、最新年のデータでのイタリア女性の初産平均年齢は、30歳、1988年には、その平均が24歳だったと言っていた。10年間で、ずいぶん平均年齢が上がったものだ。いくら医学が発達してきているとはいえ、10年ちょっとで6歳も平均が上がるって凄いと思う。このまま行ったら、10年後には36歳が初産の平均年齢になってもおかしくはない。36歳っていったら、高齢出産の域じゃないか。実は、私が住む州の平均初産年齢は32歳から33歳くらいと、すでにかなり高い。というのも、多分、南部の州に比べて、この州には仕事があるからなんだろう。仕事があるから、学校を出たあと、女性が仕事を見つけやすくて、それで結婚までにお金をしっかり貯めるんだろう。それから結婚して、子供はといえば、30歳くらいになってから、なのだろう。だから、20代前半の子供連れのお母さんってまず滅多に見かけないんだよね。いつも不思議に思うのが、イタリア人の平均婚姻年齢。私ってば、日本人なせいか、平均を知るのが好きなんだ。ほら、日本って何事に付けても、いつも平均がどのくらい、って発表されるじゃないか。そういう生活に慣れていたものだから、大体のイメージを抱くに当たって、平均を知りたい。ところが、イタリアでは平均ってあんまり興味を持たれていないらしくて、「平均って言われても、そんなの知らないよ」という答えが返ってくることが多い。そういうわけで、イタリア人の平均婚姻年齢は、私にとっては、謎。夫は23歳で結婚したのだけど、誰からも早すぎると言われていた。女性の平均初産年齢が30歳の国だからねぇ。23歳の男性が結婚するって、確かに早すぎだよな。だいたい、イタリアの大学生って、26歳くらいに大学を卒業するのが普通だから、それから就職先を探して、就職して、お金を貯めて結婚するのは、やっぱり30歳くらいってことになるんだろうな。できちゃった結婚が結構多い日本だと、つまり、妊娠がきっかけになって結婚に踏み切るというパターンが多いわけだけど、ピル服用が普通のイタリアでは、妊娠がきっかけで結婚に踏み切るというパターンも当然ほとんどないわけで、その分、ますます結婚平均年齢も上がるし、初産平均年齢も上がるってことなんだろうな。
Jan 10, 2003
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この国にはお正月という言葉があんまり合わない気がする。だって、1月1日は元旦で祭日だけど、1月2日からは普通に仕事が始まってしまったりするから。日本だったら、最低でも3日までは休みでしょう、普通の会社。しかも、日本みたいに新年の挨拶廻りっていうものがない様子・・・。だから、お正月って感じがしない。「新年をどのように迎えたか?」がこの時期の会話のテーマだったりする。別に、特別何かしなきゃ行けないってものでもないんだけど。ほら、日本だったら、初日の出、初詣、といった伝統のイベントがあるじゃないか。なのに、こっちにはそういう特別なイベントがないものだから、各自好き好き、そこいらで開催される年越しイベントに参加したりするのが関の山。でも、そういうイベントって大抵ぼったくられるだけで、つまんないんだよね。でも、「何をしたか?」がこの時期のテーマ。私は、別に特別なことはしていない。いつもと同じように、義兄イーゴルの家へ行って、食べ物を摘まみながらワインを飲んで(私は水・・・)、音楽を聴いて、DVDを観て過ごした。彼らは魚介のスープ、ベイクドポテト、タイのカルトッチョとワインを2本、スプマンテを1本用意。私たちは、餃子、高野豆腐の煮物、ワイン2本とスプマンテ1本を用意。10時半くらいから、携帯電話に大量の「良いお年を!」のメッセージが届く。皆でメッセージを送りまくり、電話しまくった。最初に開けたワインが結構強かったため、皆、その頃にはすでに酔っていた(私は水を飲んだのだけど・・・)。24日の夜にロンゴの家で会うはずだったムーザに電話をした夫、「もうすぐ子供が生まれるんだ! 父親になるんだ! 俺は今物凄い嬉しい!」と何度も叫んでいた・・・。完全に酔いが入っている・・・。恥ずかしい奴だな・・・。新年を迎えるに当たって、あと2分で新年というときに、私、トイレに行きたくなった。それで、トイレに行ったら、窓の外、遠くから花火や爆竹の音が聞えた・・・。多分、市が開催していた市の広場でのお祝いのための花火なんだと思う。ってことは、正確な時間では、もう新年が開けて、祝ってるってことじゃないか? あと2分あったのに? 義兄の家の時計、遅れてるってことだよね?トイレを出て、外ではもうお祝いしているということを告げようとすると、義兄夫婦と夫の酔っ払いたちはカウントダウンを始めるところだった。知らない振りをしていよう。どうせ、お祝いするのがちょっとぐらい遅れていてもどうってことないだろう。何せ時間にルーズな国イタリアだから・・・。しかも、相手は酔っ払いだし。でも、真実は、私、トイレで新年を迎えたということになるんだな・・・。何か、不思議な新年の迎え方だな・・・。ちょっと嫌だなぁ・・・。新年のお祝いのために開けたスプマンテが、物凄く甘くてコクがあって美味かった。スプマンテって、普通、白いのだけど、これは赤かった。名前を覚えていないけど、これは、何かの機会に絶対に買いたい。乾杯に続いて、おめでとうのキス。お腹の子供にもキスしてもらった。この「挨拶のキス」って、国によって違うんだよね? イタリア人では両側の頬にキスするのが普通なのだけど(だから2回)、ブラジル人は3回していた気がする。それからは、話したり、DVDを観たり。途中、義姉のお姉さん夫婦と夫のもうひとりの兄イヴァン夫婦が訪ねてきて、皆で3時くらいまでイーゴル宅にいた。翌日は昼まで寝て・・・。去年と全く同じパターン。その前もそんな感じの新年だったな。ただ、今年は夫の会社、6日のエピファニアまで休みだったけど、去年と一昨年は2日から早速仕事だった。だから、今年はもっとゆっくり過ごせて良かったなぁ、と思う。来年はどうなるんだろう? 子供が加わっての新年になるだろうから、いつもとは変わるのかなぁ?
Jan 9, 2003
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一昨日で夫の冬休みが終わったので、久々に日記復活。今回の冬休みはずいぶんのんびり過ごしたなぁ、という感じ。特別なことは何にもしなかったけど、おかげで夫はすっかりリラックスした様子。少しは有効に過ごせたってことかな。夫が冬休みに入った12月23日は、義母の誕生日。彼女とパートナーのミケーレを夕食に招いて、この地方の鍋会のようなものをした。その後、おばあちゃんの家で親戚を集めてパーティ。みんなが集まったのは10時半くらいだったか・・・。それから12時半くらいまでケーキやお菓子を食べて飲んで。久々の親戚の集まりに、私はちょっと気分が悪くなってしまった。だってね、イタリア人て声が大きすぎ。沢山の人が集まると、声も余計に大きくなる。しかも、あのおばあちゃんの家は暑い。彼女はシチリア人(暑いところで育った)なものだから、冬の間も家の中の温度を26度くらいに保っている。それって、暑すぎる。うちの夫なんて、夏でさえ、家の中の気温が26度もあったら、暑くて寝付けないのに。お開きのとき、翌日24日は夕食後、また親戚同士、おばあちゃんの家に集まるという話になった。毎年のことだから分かっていたけど、またなのか・・・という感じ。集まって何をするってわけでもなく、また、その日の夜と同じように、お菓子を食べて飲むだけなんだ。「あなたたちも明日来るでしょう?」という親戚の誘いに、夫、私の具合があんまり良くないから、分からないと答える。せっかく熱心に誘ってくれているし、毎年のことだし、どうせすることないし、「いや、私のことなら別に心配しなくても・・・」と私が濁すと、夫、小声で「黙ってろ」。なるほど、夫は私の具合が優れないことを理由に、来たくないってわけだ。・・・夫が誰かに何かを断るときって、いつも私が理由だよな。「妻に聞いてみないと分からないから」とか、「妻がそれは嫌だって言うから」とか。私は嫌だとは言ってなくても。それってズルイと私が抗議すると、それがいちばん円満な断り方なんだって。確かにそうだけどさ、勝手に断る理由とされるこっちにとってはあんまり良い話ではない。24日のクリスマスイブは、普通に家でいつも通りの夕食。午後に、夫の友達(というか、正確には夫の兄の友達で、夫の兄弟皆がこの人と友達付き合いをしている)から電話があって、この日の夜、昔の遊び仲間皆と彼の家に集まるという計画があるから来ないかと誘われて、行くことにした。もうずいぶん長いこと彼には会っていないし、他の友達にもめったに会わないから、良い機会だということで・・・。夫の兄たちは、二人とも、奥さんの実家で夕食を取って、12時になったら時間が出来るとのことで、私たちはそれまで待つことに。私はすっかり眠くて、ソファで寝てしまった。12時に、義兄イーゴルから電話が。今、奥さんの実家にいるから、こっちに来いよ、とのこと。この奥さんの実家のお父さんお母さん、私たちにとっても良くしてくれていて、何度もご飯に招かれているし、結婚のお祝いも頂いているし、私が妊娠したときに真っ先にまだ生まれてもいない子供にプレゼントをくれたのも彼ら。今は、お母さんがうちの子供のため、多量のオリジナル涎掛けを縫っているところだとかで・・・。至れり尽くせり。そんな風に良くしてもらっている人の家に行くのに、ちょっと挨拶する程度で退散するのは失礼だし、どうせ行くなら何か手土産を持っていきたいので、今回は何だかんだ言い訳を付けて、断る。12時半に夫のおばあちゃんの家で待ち合わせということで話がまとまった。眠い目をこすりながらおばあちゃんの家に行くと、おばあちゃんと叔母さんと、義母とそのパートナー、それからイーゴル夫婦がいた。他の親戚たちは、12時のミサに出かけて行ったそう。もうひとりの夫の兄の姿が見当たらない・・・。何でも、疲れていたため、今夜は私たちと一緒には行かないとのこと。何だ、私だって寝ていたところを起きてきたのに・・・。友達ロンゴの家へは、初めて行った。彼、2年くらい前だったか、彼女と一緒に家を買ったんだ。彼は30歳、彼女は36歳なのだけど、彼女には、3人の子供がいる。上から、20歳、17歳、15歳と、もうかなり大きい子供たち。彼女アンジェラはもうずいぶん前に旦那さんとは離婚していて、ずっと女手ひとつで3人の子供を育ててきた。そんなアンジェラと付き合い、同棲することになったロンゴは、突然、大きい子供たちのパパになってしまったわけだ。結婚はしていないにしても、ほのぼのしているんだ、この家族。ロンゴにとっても、子供たちにとっても、一緒に生活をするに当たって、お互いを受け入れるのは楽じゃなかったんじゃないかと思うけど、見た目、凄くほのぼのしてる。いちばん上の20歳の男の子だけは、お母さんとロンゴに遠慮しているらしくて、皆で一緒に暮らしはじめた頃、兵役に行き、その後そのまま海軍に入ってしまった。兵役が終わって海軍としての仕事が始まる前にも、家にはほとんど帰らないで、しばらくロンドンの実の父親のところに行っていた。彼には2年前に会って喋ったことがあるのだけど、18歳ながらしっかりした考えを持った子だったから、きっと、彼なりの考えがあってそういう人生を選んだんだろうと思う。ロンゴの家に着くと、私たち以外誰も来ていなかった。すれ違いでひとり、帰ってしまったところだとか・・・。3時くらいまでいたのだけど、結局私たち以外誰も来なくて、昔だったらこんなことはなかった、誘えば皆真っ先に来たのに、これは、奥さんやら彼女やらがいるおかげで、やっぱり皆人生が変わってしまったんだな、とロンゴ。私たちとすれ違いで帰って行ったペッピーノ、個人的に、彼には会いたかったなぁ。変だけど、面白い人なんだ、彼。1年半前、奥さんと別れて、今はアルバニア人の女の子と付き合っているとか。会いたかったなぁ、彼女にも。25日のクリスマスのお昼には、おばあちゃんの家で親戚一同集まっての食事会。義母に12時に来てねと言われたので、12時ぴったりに行くと、夫の一番上の兄イヴァンとその奥さん以外、まだ誰もいない・・・。何てイタリアらしいんだか・・・。料理はまだ運ばれてきてないし(各自家で作ってくるから)、他にやることもないので、おばあちゃんと義姉と共にテーブルセッティング。テーブルセッティングなんて言っても、テーブルを広げて、テーブルクロスをかけて、皿とグラスとフォークとナイフとスプーンとナプキンと椅子を人数分用意して並べるだけなので、すぐに終わってしまう。でも、まだ誰も来ない・・・。12時半になっても、まだ来ない。おいおい、皆どうしてるんだ? おばあちゃんが義母に電話をすると、義母、「まだ肉が焼き上がらないから、とりあえず息子たちにテーブルセッティングさせておいて」。息子たちがのんびりテレビを観ている間に、おばあちゃんと嫁とでテーブルセッティングはしてしまったんだけど・・・。結局、皆が集まったのは、1時20分くらい。誰だ、12時とか言ったのは。凄い料理を前にして、アンティパストを頂いていたら、私、何だか気分が悪くなってきた。まただわ。大勢が騒いでいるところっていうのは妊娠中の私にはやっぱり駄目なんだ。しかも、前日の夜、かなり夜更かししたからなぁ。アンティパストだけ平らげて、ベッドルームに横になりに行く。せっかくのクリスマスのご馳走なのに・・・。キリストが生まれた日なんてどうでもいい私には、美味しい料理だけがクリスマスの楽しみなのに・・・。気分が悪くてそれどころじゃない。復活した頃には、すっかり皆食べ尽くされていた。アンティパストしか食べていない私はお腹が空いていたので、仕方なくクリスマスのケーキのパネットーネとフルーツでお腹を満たす・・・。悲しい・・・。ちょっと遅いけど、クリスマスの報告ということで・・・。次回は元旦の話でも書きましょう。
Jan 8, 2003
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