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ブッシュのことだから、きっと早くにやるに違いないと思っていたけど、やっぱり始まった。昨日はイタリア各地で戦争反対のデモの嵐。テレビで映像を見た限りでは、ほとんどが学生だったな。ついでに組合のデモもやっていて、もう凄いことになっていた。デモだらけの国だからな、イタリアって。外に出ると、至るベランダに「PACE(平和)」と書かれた旗が下がっているのが見える。皆あんな同じ旗をどこで手に入れるんだか・・・。あればうちのベランダにも下げたい、と夫に提案すると、「俺はむしろ、『ブッシュに反対』って旗でも作るべきだと思う」。確かにそうかもしれない。例えばクリントンならこんなにさっさと戦争を決めることはなかっただろうに・・・。テレビで戦車の中の様子を映していたのだけど、見ていて唖然とした。だって、兵士が、まるで、毒物処理班みたいな格好してる。すっかりマスクで覆って。もちろん化学爆弾なんかを使っているからっていうのは分かっているんだけど、我々人類の戦争というのはここまで酷いものになってしまったんだな、と唖然。技術が進めば進むほど、人間は酷いことが簡単に出来るようになるんだな、って。昔の戦記なんか読んでいると、そこでは刀や弓や槍で質素に戦っている。なんだかそういう戦い方がかわいらしく思えてしまう。っていうか、本来はそういう戦い方がいちばん本来の人間の戦いらしいんじゃないか。進化するにつれて、戦争はますます酷いものになっている。イタリア首相ベルルスコーニはブッシュの友達。なので、アメリカ支援。でも、国民自体は猛反対。これじゃ、イラクのフセインと国民の状態みたいじゃないか・・・。アメリカを公に支援している国はどこでもそうなんだろうけど。この間の国会で「戦争、武力行進、力で押さえ付けるということは決して正しいことではない。イタリアはアメリカの友達と言うけれど、アメリカのしようとしていることが間違っていることだと助言してやるのが本当の友達というものじゃないか?」と発言している議員がいた。その通りだと思う。日本については、時間がなくて日本のニュースを追えなくて、日本がどういう姿勢を取っているのか、よく分からない。日本人なのに恥ずかしいことだけど。ただ、兄のメールによると、北朝鮮の問題があって、アメリカ支持という形になっているようで・・・。メールの中で、兄が、イタリアでは北朝鮮が日本海に向けてミサイルを試射していることが報道されているかどうか、と訊いてきたけど、私はそんな事知らない。またテポドン? まあ、これって要するに、何かあったら日本にミサイル打ち込むという威嚇なわけでしょう? 北朝鮮については、こちらではあんまり知られていない。4年くらい前だったか、日本海に漁船を装った北朝鮮の船がいて、自衛隊が追ったけど追いつかなかったっていう事件があったとき、イタリアの友達に、北朝鮮では日本人を拉致して、日本の情報を得て、スパイを育てたり、日本の様子を探りに来たりするんだという話をしたら、「今時そんな馬鹿なことをする奴がいるか?」と全然信じてもらえなかった。笑い話と思われたみたい。そんなわけで、北朝鮮が日本海にミサイルを試射しているなんて話、全然知りません。報道されないから。イラクといって思い出すのが、4年前に出会ったイラクの男の子。知られていないイラクという国の文化を伝えるためにイタリアにやってきたと言っていた。彼は自分の祖国に本当の平和が来ることを願っていたっけ。今、彼はどこでどんな想いをしていることやら・・・。
Mar 21, 2003
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私たちが今住んでいる家を出て行った後に、ここに暮らすことになっているマッサンテ(名字)は今27歳。25歳にしておじいさんになってしまったという、経歴の持ち主。どういう事なのかと思うでしょう? それが、こういうこと。25歳にして、マッサンテ、結婚。相手は36歳の女性。子持ち。彼女の連れ子の女の子、14歳にして妊娠、出産。そういうわけで、マッサンテ、血が繋がってないにしても、おじいさんになってしまったわけ。あるんだな、そういうことって。確かに考えられないことじゃないよな。その結婚も、結局1年ちょっとしか続かなく、マッサンテ、今、離別裁判中。離別裁判中に、何と、職までなくしてしまったという、かわいそうな状態。職については、たまたま友達であるうちの夫の兄の会社でちょうど欠員があったため、義兄がそこに誘って、今、彼のところで働き始めた。家についても(今のところ母親と住んでいる)、たまたまうちの横のワンルームがちょうど開いたということを聞きけた。それで、うちに電話して来たら、ちょうどその日は私たちが家を買うことにした日で、狭いワンルームよりも私たちが今住んでいるところの方が良いんじゃないかと状況を説明したら、うちに来たいって。そういうわけで、家も見付かった。マッサンテ、何か、相当大変な人生を送っているみたいだけど、棚からボタモチ状態で、そうやって簡単に探しているものが手に入ることもあるんだな。人生って分からないものだわ・・・。
Mar 19, 2003
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子供が生後一ヶ月を過ぎた。生まれたときは体重2900gで、病院を退院するときには2680gだったのだけど、一ヶ月が過ぎて、昨日は3980g。何だかとっても重たくなった・・・。子供を支える腕が辛くなって来た。これからもっと成長するっていうのに、大丈夫なんだろうか、私。かなり鍛えられそうだな、腕。さて、子育てが大変な中、何をやっているんだという感じだけど、実は家を買ってしまった。いや、正確にはまだ買っていなくて、まだ手付け金を渡しただけで、来週仮契約なのだけど。家、前から欲しかったんだ。今住んでいるところは借家で、毎月家賃を払っているのって勿体無いな、と思っていたから。結婚当初は、2001年中には家を買いたい、という話だったのだけど、2001年は、夏に突然セカンドハウス購入の良い話が降って来て、そっちを買ってしまった。そのとき私は、ここでお金を使ってしまったら、マイホーム購入が長引くことになるから、半分反対していたのだけど、マイホーム購入のときにそちらの不動産を売って、まとまったお金を得ることもできるということで、納得。実際私もその家が好きだったし、何よりも、値段がとても安くて、そんな値段で不動産を買うなんてこと、絶対にできないし、その家はその値段よりもずっと高く売れるはずだから、まあ、安心して買った。2年も経たないうちに、今度はマイホーム購入。というのも、夫が今住んでいる家にいるのはもう嫌だ、こんな家のために金を捨てるのは(家賃を払うのは)勿体無い、と言ったから。しばらく前から少しづつ住宅情報誌をチェックしたり、不動産屋に行ったり。結局購入することになった家は、1月の中旬頃、住宅情報誌に載っていたもの。「中心街、半独立型、1階:キッチン、リビング、2階:2ベッドルーム、バスルーム、広々としたプライベートな庭、140.000.000リラ」とのこと。まず、場所、私たちが探していた市の、しかも中心。私は車どころか、車の免許も持っていないので、中心であることは大切。家の形態。半独立型というのは、完璧な一軒家よりは値段も安くて探しやすい。イタリアの一軒家って、普通はお屋敷みたいな感じだから、とてもじゃないけど手がでない。あとは、昔農家として使われていたところだったら、一軒家として見つかるけど、リフォームしまくらないとならない場合が多くて、どうしようもない。私が住んでいる地域は田舎なため、昔の長屋を切り分けたような家は結構ある。母が「そういうの、テラスハウスって言うんでしょう?」と言っていたけど、そんなたいそうなものでもない。長屋って感じだ。広告には、しかも、広々としたプライベートな庭付きと書いてある。こういう長屋の場合って、庭(というか敷地)は他の住人と共同とか、あとはプライベートであっても車が一台入るくらいの広さだったりするものなのだけど、ここでは「広々」と言われていた。更に気になるのが、値段。140.000.000リラって(物の価値を計るのにいまだにリラを使うイタリア)、いくら田舎とはいえ、安すぎ。今まで見て来た安い家の、更に20.000.000リラくらいは安い。この値段なら、頭金を問題無く支払うことが出来る。そういうわけで、即刻不動産屋に電話。「その家なら昨日売れちゃいました」と、寂しい回答。一ヶ月ちょっと前にそこの不動産屋に行くと、まだその家の広告が外に張り出してあった。そうそう、前に書いた、カッコイイ男の子のいる不動産屋ね。そこで、まだ広告があるのはどういう事なのか訊ねると、ローン組み待ちだとのこと。そこで、夫が、万が一、買い手のローンの目処が立たなかったりとかして、また家が売りに出たりしたら、連絡をくれと、彼に頼んでおいた。2月に入って、4日の日、一ヶ月検診のため、子供を小児科に連れて行ったら、一時間待ちとのこと。待合室でずっと待っているのもなんだから、外に出たら、不動産屋があった。ちょうど良いから、待っている間にリクエストを残して来てしまおうということに。リクエストを残して、ついでに住宅情報誌をもらって来た。それを後でゆっくりと見ていたら、また、例の140.000.000リラの家の広告が。どういう事かと思って、早速、不動産屋に電話。彼曰く、「再度売りに出ることになったから5日前に電話したんだけど誰も出なかった」。再度電話してくれてもいいものを・・・。とにかく、7日に家を見に行くアポを取る。140.000.000リラって言うくらいだから、この家には絶対に何かあると分かっていた。まず、日当たりが悪いのは確実。実際に見に行くと、家はやっぱり北向き。窓は北側と、それから東側にある。だから、太陽は朝しか入らない。中は、小ぢんまり。60㎡か65㎡くらい。一階は良いとしても、二階は本当に小ぢんまり。ベッドルームはベッドでほとんどのスペースを取ってしまうだろうし、今家にある大きなクローゼットは絶対に置けない。子供部屋の方は、子供が自分のスペースを持つのにちょうど良いくらいの大きさ。日本で言う、4畳半くらい。バスルームは、小さくて脚を伸ばせる大きなバスタブが置けない。小さいバスタブと便器と洗面台でいっぱいいっぱいで、これではビデも置けない。窓も壁も、住むには問題なさそう。むしろ、今住んでいる家よりもコンディションは良さそう。北向きで山に近いということで、心配なのは、寒さ。暖房。大した暖房が付いていなかったから、余計に・・・。冬のためには、かなり考えなくてはならないだろうな。といっても、前々から、ガス暖房は高くつくから、薪を使って暖を取ろうと思っていたのだけど。庭があるから、好きなだけ薪を置いておける。だから、きっと、管が渡ったところに温風を送るという暖炉を買うことになるだろう。これは、管が部屋を温めるという仕組み。庭は、思っていた以上に広い。ワゴン車が2台は軽々入る。場所は、とっても静かな区域。横には大きな農家があって、葡萄畑が広がる。でも、中心には1kmくらいのところ。あんまり考えてもしょうがないので、その日のうちに契約することにした。どうせその値段で、そのコンディションで、他には絶対に見つからないのだから。心配だったのが、ローン。私たちも前の購入者みたいにローンが組めなかったら、お笑いだから。家の値段の他に必要なのは、公証人やら登録やら税金やらに6.000.000リラほど、不動産屋に4.000.000リラ、ローンを組むのに5.000.000リラ、全部で15.000.000リラ。それだけで、家の10%以上はかかるって事なんだな。前の購入者はローンを組むに当たって、勤続3年未満だったため、ローンを断られたんだって。夫は勤続約6年。その辺の問題はない。ローンを組むに当たって、場所によっては頭金が不動産の金額の25%は必要だそうだけど、うちはその問題もクリアしている。購入に当たって、138.000.000リラに値切ってみた。不動産屋には、「最初のあちらの言い値が165.000.000リラで、うちが150に値切って、結局更に140に値切ったから、もう無理だと思います」と言われたけど、試しに値切ってみたら、それでOKだって。結局、138で話が付いた。購入者にとっては、安いに越したことはない。ローンは、月々340ユーロ。リラにして、650。000リラくらい。この辺の普通の家の家賃程度。もう、毎月家のためのお金を貯めなくていいし、20年後には家が自分のものになるんだから、それを考えたら安いものだ。そういうわけで、このものすごい忙しいときに引越しをしないとならない。この家とももうすぐお別れ、なのだけど、私たちの後に夫の友達が来ることになった様子。ちょうど家を探しているとかで。じゃあ、今度は住人としてじゃなく、訪ねて来る側としてこの家に来ることになるんだ。何か不思議・・・。
Mar 12, 2003
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昨日、日本から手伝いにやって来ていた母が帰国した。いろいろ手伝ってもらっていたから、今日からはほとんどひとりでこなさないとならなくて、大変。夫に助けを求めはするけど、彼はやっぱり昼間働いているから、ほとんど頼めないし・・・。まあ、ボチボチやっていくことにしよう。夫が働いている、といえば、酷いんだ。普通、夫も産休をしばらくもらえることが出来るものなんだけど、彼は1日半しか産休がもらえなかった。日曜日に子供が生まれて、次の日は一日中仕事。火曜日も一日中仕事。しかも、残業させられたものだから、病院の面会時間にほとんど間に合わなくて、ほんの少ししか面会に来られなかった。翌日の水曜日、私が退院する日、午前中、病院で出生証明証をもらって、それを持って私たちが住んでいる市の役所へ出生届を出しに行って、それで病院まで私を迎えに来た。午後から仕事に行ったのだけど、その日は夜10時まで仕事。翌日の朝、税務署に子供の税金番号を取得しに行って、その足で保険局に行って子供の健康保険証も取得。午後からまた仕事に行かないとならない、とか言っていた。でも、私の具合が悪かったので、さすがに仕事に行くのはやめてくれた。会社に電話したら、「どうにか来れないのか?」って。夫にしかできない仕事が溜まってしまっているからって。ここのところ、毎日のように残業続き。休みのはずの土曜日も一日中出勤。だから、夫、子供とはちっとも時間を持てないでいる。酷い話。子供が生まれたときくらい、ちょっとはそっとしておいてくれてもいいものを。そういえば、私たちが結婚したときも、本来なら15日間の休暇が与えられるものなんだけど、やっぱり同じような状況で、結局その15日間の休みを取る事なんてできなくて、全部お金として払ってもらった。今、これを書いている途中、義姉から電話があった。「タイキ(子供の名前)は寝てるの?」と訊ねられて、そうだと答えると、「おめでとう」だって。「ほんとに、今の時間だけがゆっくり出来る時間だからねぇ」と言うと、「そうじゃなくて、今日、誕生日でしょう?」。そういえば、そうだっけ。今日はもう3日だった。20代ももう最後の年となると、誕生日を迎える嬉しさみたいなものなんてすっかり忘れちゃうものだわ・・・。歳を感じてしまう・・・。
Mar 3, 2003
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