brog

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2024.05.20
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四天王寺の縁起にこのような記述があります。

崇仏派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋が仏教の受容をめぐって合戦が起こりました。
当時16歳のお太子さまは物部守屋討伐軍に従われました。
このときお太子さまは白膠木(ぬるで)の木で作った四天王像を頭に挿して、
この乱に勝利した暁には、四天王を祀る寺を建立しその生涯をかけて衆生救済に務めることをお誓いなされました。

前も話しましたが、ここで問題としているのが
木で作った四天王像を頭に挿したという記述なのです。

よく見られる、その時の聖徳太子の絵画にはこの場面はみえません。

つまり頭の周りに四天王像をおそらく、ひもか何かで頭に固定して人々の前に


そして、一本の矢を与えてそれで物部守屋を撃たせたのです。

これが何を意味しているかです。
四天王で囲まれたその中央にあるものが、聖徳太子と同一であるという教えなのです。

曼荼羅をご覧ください。その中央には仏が存在しており
自らがその仏になったという意味を表しています。
これは化身ともいえる行動です。

その矢は一撃にて高所で指揮を執っていた物部守屋を打ち倒し、物部軍は総崩れになり
劣勢であった蘇我軍は勝利することになったと伝えれています。

日本で仏教が受容された初期において、仏教(大乗仏教)がどのように捉えられてきたかが
わかる事例と思います。





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Last updated  2024.05.20 17:03:05
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