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風のように♪<第二章>
吉田拓郎『YOKOSO』に小田さん出演♪
NHK BSプレミアム 吉田拓郎『YOKOSO』に小田さん出演されました♪October 18、2013オンエア
語りの高見沢さんの言葉<>
拓郎さんの言葉「」
小田さんの言葉『』
NHKBS『吉田拓郎YOKOSO』に小田さんが出演されました♪
語りはTHE ALFEEの高見沢俊彦さんです♪
<今夜のゲストは凄いです!!>って仰ると
高見沢さんはまだ小田さんに会ってないんですって。
対談の場所までごく普通に町中を歩いてくる小田さん(*^^*)
ギターを弾きながら出迎える拓郎さんに
『歌で出迎えてくれたの?』
っていう小田さん♪
どこか赤坂のお店のようです。
打ち合わせもなくぶっつけ本番にということで番組は進行します♪
<吉田拓郎1946年生まれ
小田和正1947年生まれ
一つ違い、
同じ時代を生きてきました。
レコードデビューは同じ年
拓郎さんはすぐに若者たちのカリスマになりました。
一方
オフコースは
長く売れない時代を経て
「さよなら」で大ブレイク
以来60歳を超えた今でも現役アーチストとして大活躍するお二人です。
テレビで対談するのは初めて
日本の音楽史に残る対談のはじまりです。>
(ピアノメロディーは「言葉にできない」)
「こういうことは初めて
ラジオではあるけど
テレビでは非常緊張する」という拓郎さん
「こういうね、カメラがあまりにも近くにあるっていうのがね。
70年代何がイヤだったといえば
テレビの体質っていうか本当はカメラがこわかった」
『歌わないでよけりゃわりと平気だけどね。
自分はどちらかといえば向こう側の人間だから
ちゃんと撮れてるかな・・・あんまり寄らなきゃいいのにな・・・・』って小田さん
『三人いれば楽だけどな。『そうだよな』ってそうそうって言う(相槌を打ってくれる)人がいるから(^^)』
「僕は小田和正とちゃんと話したことないからさ
すれ違ってばっかりだから
特に君はお酒のまないから
話す機会がなかったからね」
「何をはなそうかと考えてなかったんだけど
前にラジオでさ
憧れの女優がさナタリーウッドって言ったけど・・ナタリーウッド好きだった?」
『ナタリーウッドかわいかったよね』
「そこを俺はねすごく違うと思うんだよね
ナタリーウッドってそんな対象じゃないと思う」
『ただ、かわいいなって思ってただけじゃない』
(Yes-NOの曲で)
「『君を抱いていいの』みたいな
そんなことよく言えるなって当時思った
とんでもない大胆な発言だよね」
『歌だから
だから女々しいなって言われても歌だから関係ないよ』
「女々しくないよ
君のラブソングなんて、男のわがままな
君を抱いていいのなんてそんなことほざく男は男の風上にもおけないよ
小田和正君っていうのはどちらかといえばそう思われがちなんだよね。
でも、話をしたり、きいてると
どっちかというえば体育会系のさ
男くさいっていうか
どっちかというと女々しくないよね」
『自分で言うのもないけど
義理とか礼儀とかそいういうことは大事にしたいなって
古い人だよね
裏切ったりとかはできない
期待されたら応えたい
偏屈かもしれないけど
自分のやりかたで結果的には通してこられた
あいつめんどくさいっておもわれてるかもしれないけど』
「小田和正流ってあるかもしれない。
俺って遠くから見てるけどかなり多くの人が納得してるよね
小田さんがやるんだったらいいよねっていう言い分はよく聞くよね。
俺だったら小田だって間違いはあるよっていいたい」
(*^o^)/ (^-^*)アハハハハ
(小田さんの横顔のそのカメラアングルが素敵です♪)
『吉田拓郎 YOKOSO』
『さよなら』のジャケット
『YES-NO』のジャケット
『言葉にできない』
『ラブ・突のジャケット』
次々にCDジャケットの写真が出てきます♪
<ソロになっても大ヒットを連発
まさに日本を代表するシンガーソングライターです
いつしか人は彼をラブソングの神様と呼びました>
<60歳を超えてこの躍動感
高く美しい声
いったいなぜ!!、どうして!!
わたしは愛と尊敬をこめてこう言わせていただきます。
小田和正さんは怪物です>
(o(^0^o)ワォ♪ あの東京ドームDVDの小田さんの「ラブ突」の映像だ♪♪
ウフッ(*^^*) 高見沢さんおもしろい~~~~♪)
<同じ時代を生きてきた二人ですが
接点は少なかったようです。
まずはオフコースの頃の話からはじまりました。>
「オフコースの話なんだけど
オフコースが大ヒット飛ばすことによって
それまでがさ、まわりが変わってくるじゃない
そういう時って自分で露骨に変わった?
客席が変わった?」
『若い人が増えた
小学生とか キャーキャー言われた』
「これは気持ちがいいもんですか?」
『それはどこかでヨッシャみたいなものがあるかもしれないけど
すごくイヤだった
今はとっても嬉しいんだけど(← 嬉しかったo(^0^o))
どっかに同級生とか見てたらどう思うだろうっていう意識が常にあった
みんなで勉強してた中なのに、「あいつ なんなの」
なんて思われてるかもしれないって
自分の中ではアイドルっていうのはテレビの中のそういう人たちだと思っていたから
ブレイクしたのはのは30代だけど
当時は30近くなってキヤーキャー言われてるところじゃないだろうっていう
すごくイヤだったね』
「もったいないことだね (^^;)」
『できればキャーキャー言わないでって
街なんか歩いていたら特にそうだね。。』
<わたしも武道館のライブに行きましたが
オフコースの人気はたしかにすごかったです。>
(武道館の1982年6月30日の「さよなら」の小田さんの映像が流れました
♪p(*・ ・*)q武道館だ♪
アゴから汗のしずくがこぼれるその横顔
まぶしい光とともに小田さんのフェイスラインをくっきりと映し出していました。
メチャくちゃカッコイイp(#・・#)qこ。。。こんなにかっこよかったんだ)
「すごいなんか。。スターになったなあっていう感じ?」
『イヤ、スターになったなんてそんなのはなかった
テレビにも出なかったし、
一生懸命ライブすることだったから』
「ヒットすると歌番組からオファーくるじゃない?
いいじゃん出れば
『僕らは出ない』っていうのがウリだったから
僕らの歌を聞きたかったらコンサート会場に来てくださいっていう
オフコースの時代になるとテレビで歌ってもいいじゃない
テレビにでるのは少しは抵抗あった?」
『根本的にはアマチュアだかプロだかわからないとき
朝のちょっとした番組に出たんだよ
行くたびにイヤな想いをした
すごくバカにされた屈辱的な
それがずっと尾をひいたよね
ラジオは一生懸命一緒に作ってくれる
ラジオは味方 テレビは敵みたいな
テレビはニーズがないのに出さしてやってる
イヤだったら出なくていいんだよっていう感じ。
マイク一本で全部うたえって
あと、クチパクはイヤでね。
口パクは甚だ音楽じゃないから。。』
「そのころにその屈辱的っていうのは
どのへんまでうらみに続いていて
いつごろから許せるようになった?テレビ。。。」
『出る必要もなかったし
そのあと、やるようになったのは
なんかミュージシャンもそうだけど
世代が変わった』
「テレビ局もかわったよね」
『たまたまオーケストラの人がスタジオ来てる
そういう人たちと接触するのはとてもつらかった
冷や汗ぴっしょりでお願いしますみたいな
ちょっとした音をまちがっていたらいたたまれないような
それがだんだん世代交代していったとき
ようするに自分よりも若い人たちがスタッフになりはじめてきて
テレビのスタッフもみんな年上だったのが、だんだんだんだん
みんなでいいものをつくろうという時代になってって
それで変わったんだよね』
「時代とともに変わっていったことに関してはさ
そのニューミュージックとか小田和正がやってることとか、
俺たちがやってることってさ
俺たち貢献してるじゃない?」
『俺たち?』
「うん、貢献度かなり高いと思うんだよね
彼らの意識を多少は変えさせたわけだから
そんな歌わせてやるからとか
取材に来る雑誌社とか取材してやるんだからという時代に比べたら
ふつうになったような気がするんだけどね。俺たちがブーブー言ってる間に。。。」
『今思えば、ブーブー言ってた時代過ごせて
幸せだったと思う。レールのないところでいくつまでやるのかイメージの全くないところで走り出して
今の若い連中はいつまで歌ってって俺たちみたいに考えてないよね
今の若い連中は 俺たちの話を聞いたら目をキラキラするよね。
『すごいすね、先輩たち
おもしろそうだな』
みたいな』
<小田和正さんは1947年横浜の薬局の二男として生まれました。
そして、高校時代にバンドを組み音楽にのめりこみます。
建築をめざして大学に入学したあとも音楽活動を続けていました。
そしてどちらの道に進むか悩みに悩みます。
大学院に進んだ小田さんはついに音楽の夢を追い求めることを決意します。
しかしおよそ9年間売れない時代が続きました。>
「小田和正っていう人も吉田というおっさんもさ
60代越えちゃって半ばを越えちゃって
こんなふうになるはずじゃなかったとかこんなふうになる予定だったとか
俺もう少し違う人生があったんじゃないかとか
あんときやめときゃよかったとか考えることない?」
「君の場合大学で建築学んでてそちらの方向っていうのもあったんでしょ?」
『むしろそこんとこだよな
よくこっちへ踏み出したよな 凄い好きだったから音楽をやめる選択はなかったから
消去法でこっちに進んだという
なんの教育もなく、後ろ盾もなく
そういうジャンルもあったわけもなく
なんのレールもないところにむかって
あそこに踏み出したという理由は今だにわかんないけどね。
そこが。。自分ながらよくそっちへ行ったなって思うんだよね。
そのあとは惨憺たるもんだったしね
君なんてスターどころかカリスマだったからね。』
「そうね僕は早くからスターになったよね
君たち結構時間かかったもんね」
『かかりましたよ。
俺の中ではオフコースっていうバンドもブレイクっていうそういう気持ちはなかった
拓郎はかっこよかったけどね(^^)』
「うん(・・)」
(相槌を打つ人がいないねって小田さんと拓郎さんが話して)
「たぶん俺はかっこよかったはずよ(^-^)」
『わかってたんだ?(^^)』
「自分でわかってた。
そういっちゃなんだけど俺以外にかっこいいやつはいなかった
フォークソングとかニューミージックで
そんなにかっこいいやつがいるとは申し訳ないけど思わなかった」
『それいい話だね。どこがかっこいいと思ってたわけ?(^^)』
「顔?」
キャハハ(*^o^)/\(^-^*)キャハハハ
「顔も説得力あったよな。。。。
着てるファションもね
何となく人とは違っていて、自分なりに先端行ってたんだ
自分なりに個性的だった
音楽がフォークソングといってる人たちの
なんとなくひとつのパターンがあるとしたら
そこに入りきってない、絶対俺のとは違うな
歌謡曲でもないし、フォークソングでもないし
って自分で感じていたから
自分は浮いてるっていうか
こんなかでは一味違う男なんだなって感じてたよね
だから肩でかぜきってたからイヤな男だったわけですよ。(^-^)/」
<イヤな男ではなくですね。スゴイ存在がかっこよかったわけですよね。
僕らの時代はみんな拓郎にあこがれてましたよ>
(「春だったね」という曲を歌う拓郎さんは長髪で、なんかヒッピー族みたいヘアスタイル
29歳の拓郎さんを初めてみました。)
『ちょっといけてるやつもポツンポツンといたよね』
「いたと思わない
井上陽水のアルバムがすごいらしいって聞いたけど
彼もそんなほどなかった
これはいいなこのやろうって思って
すごいやつだなって思わなかった
こういうの好きなんだ。。。俺にたいしてキャーキャー言ってる人以外の人は
こういうのがいいんだと思った
他の人が売れたり、人気が出たりするのは
先行してる俺としては
しゃくにさわりながらも
へえーこんなのがいいのかと思っていた
内心はヘだなって思っていた」
『時がたつにつれて、だんだんと薄れていったわけ?
圧倒的な存在はどういうふうに消えていった?』
「やっぱり後輩たちに抜かれていって・・・」
『どういう後輩?』
「君たちとかやっぱりオフコースが大ヒット飛ばして
武道館のオフコースの歌を聞いたりしてさ
ああ。何かついにこういう時がきちゃって
俺の一人の天下じゃなくなってるな
ライバルっていうんじゃなくって違うところから来てるみたいな
グループサウンズじゃなくてオリジナルのバンドって
オリジナやるバンドに相当な憧れがあるんですよ。
君たちの登場は非常に不快な。。 (^^;)」
『それは全然今日の今まで知らなかったね
それもいい話だね(^^)』
<拓郎さんを不快にさせたオフコースの登場
その曲づくりの貴重な映像が残っています。
よく詩が先とかメロディーが先とかいいますが
オフコースは違っていました。>
(1981年8月16日の「若い広場」の映像が出ます
リズムを決め、コード進行をきめて、徐々に肉付きされて曲が仕上がっていきます。
そして最後に歌詞が書かれるのです。
(哀しいくらいを歌う小田さんのスタジオの姿 33歳ぐらいのときの映像)
<800時間 完全主義の小田さんはそれも満足していませんでした。
そうした制作への姿勢はソロになってからも変わりません。
自分で徹底的に音を作り上げレコーディングにのぞみます>
(映像は1991年 プライペートスタジオでの小田さんのエレピに向かう姿と望月さん)
♪あなたを見つめて
の曲を何度も何度も繰り返す小田さんの姿
<これこそ小田三流の曲のつくりかたなんですね。>
「適当にできないの?
スタジオ行って、ミュージシャンあつめてて」
『オフコースのときは考えを相手にゆだねるという
とりあえずやってみてという楽な感じ
あーでもないこーでもないって
それは、はなから頭の中で構築してのぞむものはちょっと違うよね』
「違う、全然違う」
『両方大事だろうな』
「構築していく方っていうのは100%、120%構築していかなくちゃいけないわけ?」
「イヤ80%ぐらいかな
逆に最後に生で差し替えてみたり
生に差し替えていくときの醍醐味は優秀なミュージシャンほどすごいよね』
「アルバム一枚あげるのって何か月ぐらいかかってるの?」
『若いときは5曲ぐらいこうやっておいといて歌詞をこういうふうにできたけど』
今はもう、何かのタイアップみたいに書くじゃない
たまってくれるからそれをたよりっていうのが多いね』
「アルバムとかって10日間ぐらいでやりたい
合宿みたいにして朝から晩までバンドあつめといて
あーでもないこーでもないっていううちにできる
一か月もしたら飽きちゃうんだよ。」
『人生を語るって書いたときはめんどくさいからパット書けちゃったの?』
「パットかけたの!!今だから本当に思うんだけど
最初の頃の何枚かアルバムに入ってる曲っていうのは
全然曲作りに苦労とか苦しみとか皆無だった
なんかすっとできてるわけ
詩も曲も
天才ぶるのもイヤだけど
俺は天才じゃないかと思うほどスイスイいけたわけ
昨今は頭を悩ませ、足をからませ
ぐずぐずあーでもない、こーでもないってやっても
あのころのワンフレーズにも出てこない
いかがですか?小田さん(*^^)/」
『僕は最初から足や手を・・・・
すっとかけたことははじめからないからね。』
「それはウソついてると思う
『さよなら』とか『YES-NO』とかね、
あそこらの一連の曲はすっといけてるように感じるんだ
あそこらへんの曲って小田は何をやってもかけたような」
『言われてみると自分が思ってるよりかけてたのかもしれない(^^)』
「いわゆる曲のほうがおりてきてる。君がどうであれ曲のほうから降りてきてる
神様がYES-NOをかかせてる曲のようにおもう(*^^)/
そういう曲っていうのは不滅でいいんだ。いつ聴いてもいいんだよ何年たってもいいんだ
みんなそうなんじゃないかミュージシャン。
そういうことからすると最近はかなり七転八倒してるって感じが強いんだよね自分でも(^-^)」
<神様がYES-NOを小田さんに書かせた。拓郎さん、まったく同感です。俺にも降りてこないかな>
(v(≧∇≦)vキャハハ 高見沢さんておもしろい!! 1982年6月30日の武道館の映像『YES-NO』です
キーボードに囲まれた小田さん メチャかっこいなp(#・・#)q まっ白なジャケットはやっぱり小田さんにとっても似合う。
いつ見ても後ろ姿ス・テ・キp(#・・#)q♪♪♪
「何か月前に小田和正からのメールにひとことかいてあってすごく同感だったんだけど
なんかしらないけど最近億劫なんだよって書いてあったんだけどね。
億劫とかいうのがどっかにあるんだ。
なんかしらないけど億劫なんだ」
『そうだね・・・・。
そういうことテレビで話してるのも寂しいけど
『億劫なんだよね』っていうのは誰も聴いてても楽しくないものね。
あの年になっても精力的にがんばってるねってすばらしいなって
みんなそういうことろを見たがってるわけだから。」
拓郎は億劫で押しきれちゃうシチュエーションでいるのがいけないじゃない?
あのころのことを取り戻すんじゃなくて
今だからこそできること
前向きな言い方すれば
飽きちゃうんだって言わないで
いわゆるやればいいんじゃないかな
そういうのを見たい』
「たぶんこの番組をうちのかみさん見ると思うんだけど
小田さんいいこと言うねって言うと思うんだ
絶対おこられるな俺(^_^;)」
『やっぱり億劫はだめだね』
「ちょっと点数をあげてもらいたからいうけど
最近ボイストレーニングに通ってるんだ(*^^)/」
『おおそれいいじゃん
誰かがなんか習い始めたとかすごくいいなあって思うよね(^-^)』
すっげえ恥ずかしいんだ
この歳にして吉田拓郎がボイトレかって思われるんだけど
億劫なんだよ」
キャハハハo(^0^o))(*^o^*)
『昔の歌うたってみたりしてるんだろう ?どうなの?』
「人生を語らずってね
一番高いところがGシャープなんだよ
近いものが出始めてるんだ
うちで恥ずかしげもなく♪♪♪♪って
やってみるわけGは軽くでるようになった
上がぎりぎりさけんでFだったんだけど
この効果が出てるっていうのは嬉しいね
だから人生を語らずをキーを半音さげずに歌えるっていうのを考えると(o^^o)ワクワクする
それを君に言いたかった(*^^)/」
『ああそう♪いい話だね。
今日、いい話がいっぱいあったね(^^)』
<小田和正さんは体調管理を徹底します
リハーサルではあの高い声をだしません。>
(ドーム会場?花道を歩きながらリハーサル風景の映像がでます。
そして
フィットネスジムで走ってる映像)
<いつものどを徹底てきにケアしてる小田さん
激しいライブをもちこたえられるようにジムに行くことをかかさないようです。
その姿はアーチストというよりアスリート
そのストイックの姿がいつまでもかわらぬ秘密なんですね。>
(以前NHKで小田さんの特集したときのニット帽をかぶりながら外を走る姿の映像が出てきます)
そして
(2011年東京ドームのDVDの映像です)
「言葉にできない」
「60過ぎて以前として20代、30代からひとつのテーマに思い悩んだりしてることがあるんだけどさ
20代のころにさ、坂本九の『スキヤキ』っていう歌がビルフォードで一位になったとき万歳って言う感じだった
上京してきて音楽活動して、自分の曲を書いて発表するようになって
いずれこの楽曲がビルフォードの一位になるときが来るんだっていう想いが正直あった
40年という月日が流れて自分の曲どころか 日本の曲が一曲もベストにはいらない
小田君、どうして日本の音楽はだめかね。」
『やっぱり必要とされてないんだよね。簡単に言うとね・・。
日本でいい音楽をつくろうとして
「世界のなんとか」っておっかけるようなものをつくろうとするんだけど
アメリカに限っていえば、
それのよりすぐれたものが五万とあるわけで
そこで切り込んでいくためには亜流じゃないものなんだけど
それを積極的に誰かがやってないよね』
「何でさ、若い人はそこに対してオリコン一位じゃなくて、
ビルフォードの一位っていうとこに情熱を燃やさないんかな?」
『そこはみてないよね。。どう?』
「チャンスはあると思うんだよな
これまで何度かチャンスはあって、ミュージシャンもいたんだと思うんだけど
俺なんかは正直いってここ10年、20年の若い人は
そんなことはどうでもいいと思ってるような気がするんだよね。
僕らにとってどうでもいいっていうより、
ダメだよ世界を目指さなきゃっていうのが僕らの時代にはあった。
時々夢みたいな話だけど
俺が作った曲をロッドスチュワートが歌ったらいいのいなとか
ボブディランに一曲歌わせたかったなとか思うんだよね。」
『お前がそう思うのなら、なんかの行動を起こすべきだと思うし
やってほしいよな(^-^)』
「小田和正は自分の作った曲がむこうのチャートに
この曲は入ったっていいんじゃないと思ったことはないの?」
『やっぱり日本の人が喜んでくれる曲を書きたいな
っていう。。。。。こそくかい?(^^;)』
「いえいえ、それでいいとおもいますがね(^^)」
『ただ、これをあいつが歌ってくんないかなっていう想いはなかなかいいなって思うよね(^^)』
(ピアノ曲さよならが流れます)
「それで話してると結局そこに行き着くんだけど
これからさ
もちろん、音楽を作っていくんだし
それで多くの人にたくさん聴いてもらえるよな歌をつくりたい
と思って曲づくりにはげむと思うんだけど
それを僕なんかの考えかたからするとちょっと考え方固いけど
あと三年ぐらいすると70になるからそれまでアルバムを何枚とかね。。
ステージ何本やりたいなって
そういうのは70すぎても永遠にやっていこうと思うってる?」
『そういうことは考えてないね。
君みたいに・・・・」
結構そのとき、そのときだな
来年ぐらいツアーやろうとかそのぐらいのこと考えないと
まわりのスタッフに急にやるっていっても。。
だからギリギリこうしようかということぐらいあっても
そのフェードアウトっていうかバッドの置きかたは難しいよね』
「難しいね」
『でも、なんかちょっとあそこ行って
ポロポロとやったら喜んでくれたとか
最後はそんなのがいいなあってって思うし
貢献できることはしなくちゃいけないなっていう義務みたいなものも感じるし、
そういうのが今バラバラあるかな
音楽的なことを言えば
自分は本当はこういう音楽が昔好きだったんだよな
っていうスタート地点のバンドやったり
おいてきたものを全く自分だけの、まったくっていうと大げさだけど
そういう曲をなんかこうやってみたいなって、そんなね。。』
「たしかなこと」
(2011年東京ドームDVDの映像です)
『やっぱり残された時間をどう使うかっていうね
70過ぎて今の状態をキープできるかどうかっていう
それが難しい』
「それは難しい 今しかないよね。」
『そうだろ、今しかないっていうのをもう少し考えるべきだね
今しかないっていうのをもうすぐ前向きに考えたほうがいい
今でしょ♪っていう(^^)』
という小田さんの言葉で終わりました♪
そして
最後はお二人の(*^o^)ー*ー(^-^*)アクシュです
(映像ではお二人の握手する腕の映像で終わりました)
やっぱり 小田さんの映像を見てると
小田さんにこの時代に会えて本当に良かったと思うのでした。
♪
o(^0^o)オダサンカッコイイ!!ステキ!!ダイスキ~~♪♪♪
どんなに言葉を並べてみても
この想いは伝わらないけど
でも、きっときっと小田さんはファンの気持ちはわかってくれてると
そう願っています。
ああ♪今夜はこんなにもたっぷりと今現在の小田さんの姿を見ることができて
とっても嬉しかったp(#・・#)q
こんなにたくさん、
こんなに濃く
こんなに素敵な小田さんをたくさんたくさん見せてもらってすごくすごく嬉しかったですp(*・ ・*)q
それにカリスマって言われてきた拓郎さんが
オフコースというグループの出現が脅威だったなんて
あの時代、数あるアーチストの中で、
オフコースにそれを感じた拓郎さんはやっぱり凄い人なんだって思いました。
ウフッ(*^^*)拓郎さんは想像したよりも若くてびっくりしましたが
なんかフランクでおもしろくって自由人みたいなかただなって思いました。
吉田拓郎さん♪♪♪
小田さんを番組に呼んで下さって本当にありがとうございますo(^0^o)
そしてNHKに感謝です(*^o^)/Thanks :,。*:.*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:*:..。o○☆
―THE END―
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