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シアトルからこんにちは
2002年9月後半の日記
おばあちゃんのグループでポットラックがありました。
おばあちゃんとおじいちゃんの集まり(Grandparents’ potluck)
がありました。
Kさんの家は、雰囲気が「おばあちゃん。」という感じでした。
私のようにもう子供達が出たからさっさと、使わないものは片付けてしまおうなんて
思っているタイプとは全くちがい、何でも取ってあるという感じです。
「やっぱりおばあちゃんの家というのはもっと歴史を感じさせる家のほうがいいかな?
」と考えさせられました。
何せ私は全然女らしくないので人形を集めたり、ビーニーベイビーやテイーカップを
集めたりしません。
方針を変えようかな?
心温まる、おばあちゃんの家というのはどんな家なのだろう?
この家を売ってもっと田舎の古い家に引っ越して鶏でも飼ってみようか?
ふっと自分のおばあちゃんのことを考えてみた。
山口県の田舎だった。バスで3時間かけていったのを覚えている。
ところが大人になっていったときは30分でいけた。あまりにも近いことに気付いてが
っかりしたのを覚えている。
馬、牛、にわとりがいて、野菜や果物を育てていた。毎年母は私と姉を連れて行って
くれた。トイレが外にあって、大きな穴に落ちそうで怖かったのを覚えている。水道
水がなくて、水溜があった。
家の真中に薪を燃やして、真っ黒なやかんでお湯を沸かしていた。ご飯を炊くのに、
火の加減を調節するのが大変だった。
自然にあふれた生活だった。
皆さんにはどんなおじいさんやおばあさんの思い出がありますか?
仲の良い家庭で育った方、いろいろお話聞かせてください...
ここまで書いて主は私が間違っていることを示された。
子供達が生まれたときも私は家庭作りに励んだ。ところが私の努力は外観作りだった
。
子供達にとって必要な家族は立派な家でもなければ、立派な服を着せてもらうことで
もなかった。
「私が孫に与えることのできるものは金で買えるものではない。」
と主は私に思い出させてくださった。
感謝
---
9月 29日 日曜日 のち
「うつ病」がなおった人たち---全ての癒しは神から
20年前私の川島(仮名)さんの姪、恵さん(仮名)さんは、うつ病のため精神病院に
入院していた。
あの頃の日本の精神病院は刑務所のようだったそうだ。
鉄の柵があって、人権が完全無視された場所だった。
精神病院をおとずれ、刑務所のような状況に置かれている恵さんがあまりにもかわい
そうに思えて、当時新婚夫婦だった川島さんと妻は、恵さんを退院させて、自分達で
面倒を見ることにした。
髪は降り乱れ、口をとざし、生きているのか死んでいるのかわからなかった恵さんを
家につれて帰ったものの、面倒を見るのは大変だった。何をするか予想も出来ない恵
さんを一人で留守番させるわけにいかないので、川島さんの奥さんは自転車の後ろに
恵ちゃんを縛って毎日買い物に行ったり聖書研究に行ったりしたそうだ。川島夫婦は
毎朝賛美歌をうたい、聖書を読み、すべてのことに恵さんを含めた。
数ヶ月たったとき、突然恵さんは「あー。あー」と声を出した。
それから2日ほどたって、恵さんは、ぽつぽつとゆっくり罪の告白をし始めた。
義理のお姉さんの髪飾りをぬすんだこと、お金を盗んだこと。(たしかたったの10円
)
罪の告白をして涙を流した跡、川島さんは恵さんと一緒に神様から罪を赦していただく
祈りをした。
恵さんは、奇跡的に正常に戻った。
現在恵さんは愛する人と結婚して、2人の子供をもってクリスチャン生活を送っている
。川島さんは別に彼女をクリスチャンにしようと思って自分の家につれてきたわけで
はなかった。あまりにも悲惨な精神病院にいれられている姪子が不憫だっただけだ。
ところが神様は、奇跡を起こしてくださった。
もう一人の話。
日本に宣教師としていったCathy(仮名)さんはうつ病でアメリカの精神病院に入れら
れた。彼女は3人姉妹の真中で、仕事中毒のような人だった。日本語を学び牧師の妻と
してそれは素晴らしい働きをした。しかしうつがひどくなり、ミッションから引き上
げてアメリカに戻った。
3人兄弟の真中に生まれたCathyさんには特にこれという特技も何もなかった。お姉さ
んは美貌に恵まれ弟は運動能力に優れていた。
Cathyさんは、「自分が親から、愛されるには、一生懸命働くしかない。」と心の中で思
った。一生懸命努力し、成績はいつも優秀で、立派なクリスチャンだった。心の奥で「
努力しないと愛されない。」と思い込んでいたそうだ。
精神病院で入院させられ、いろいろな人と会ったころ、はじめてCathyさんは、主を心
から賛美することを覚えた。
毎朝主を賛美し、感謝し、Cathyさんは、「うつ」から解放された。
現在退職して30分離れたエベレット市に住んでおられる。
彼女は「どのようにして鬱に打ち勝つか?」という本を書いた。
私はその本を読み、感動した。
鬱の治療のためにSSRを飲みなさいといわれる。
それは確かに効く。
でも心から主を賛美するとき脳からセラトニンが自然に出て来るんだと思う。チョコ
レートを食べたときのように。
人間の体は化学。つまり人工的でもなんでもとにかくセラトニンが出てくれば、「うつ
」はなおせる。
聖書にもあるように
毎朝主を賛美しよう。
「主は素晴らしい」と歌おう。
感謝しよう。
イエス様は私達にそれを望んでおられるような気がする。
P.S.誤解されると困るのですが、私は精神病の治療に薬を使うことに反対していませ
ん。むしろ、鬱だと思ったら、すぐ病院に行くことをオススメします。神経の場合は
カウンセリングのほうが良いと聞いていますが、精神病は、糖尿病のようなもので初
期発見が大切です。気長にお薬で治療すると良いかと思います。それぞれ個々が自分
にあった治療を見つけてください。
主は色々な方法で私達を癒してくださる方です。なにも一つの方法に決めてかかるこ
とはありません。
私は看護婦でもなければ医者でもありません。専門のかた、うつ病にかかった方やご
家族でうつのために苦しんだ方々、是非ご意見を聞かせてください。
---
9月 28日 土曜日 のち
神にとって不可能なことは1つもありません(ルカによる福音書1章37節)
困難な状況の中になって絶望的な気持ちになっていた私に主は上の聖句を与えてくだ
さった。
私の家族にとって、今日の日は最高の日だった。
娘の家族崩壊危機に面して、主人は生まれて始めてカウンセリングに行く決心をした
。賢いカウンセラー(牧師)は主人にどのようにして感情レベルでコミュニケートす
るかを教えてくれた。今までエンジニア的に全てをロジックで解決して来た主人は自
分の感情がどこにあるのか何を感じているのかもわからなかっただろう。
主人は夕べ娘のところにバラの花とチョコレートを持っていった。娘は夜学に行って
留守だったので婿にことづけておいた。
今朝、娘から「チョコレートありがとう。」と電話があったとき主人は娘に「今まで感情
的に不在であったことを赦して欲しい。」と泣きながら謝った。
堰がきったように押し流れる感情...
そばで聞いていた私も涙がポロポロ出て止まなかった。
主人は、父なしで、極貧の家族で、恵まれない環境で育った。仕事はというとハイテ
クの厳しい競争環境の中で、感情を隠し、コントロールしてこれまで生きてきた人だ
。生き延びるにはそれしか方法がなかったのかもしれない。
娘もおそらくむこうの電話口で泣いていただろう。
主人は、「孫には自分のように感情を押し殺す人にはなって欲しくない。」と言った。
30分くらい電話で話した後、主人は嬉しそうに「娘と、絆ができた気がする。」と言っ
た。涙と鼻水でくしゃくしゃの顔をした主人を見て私は「この人と結婚して本当によか
った」と思った。
プライドを捨ててカウンセリングに行って、自分の非を、認めて娘に赦しをこう。
これほど男らしいことがあるだろうか?
今日の日は私の家族の歴史の新しいページをひらいた。
神様ありがとう!
---
9月 27日 金曜日 のち
新しく生まれ変わった私。
BSFでヨハネ1章一節から18節を学びました。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
光は闇の中で輝いているのに、暗闇は光を理解しなかった。
ヨハネは光ではなく光について証をし、人々が光を信じる手助けをするために生まれ
た人だ。言はそれを信じる人に神の子としての資格を与えた。これは地によってでは
なく、肉の欲によってでもなく、人の欲によってでもなく、生まれた。言葉は私達の間
に宿られ、私達はその栄光を見た。私達はこの方から、豊かな恵みと真理を受けた。
なんて素晴らしいのだろう。
親から生まれたときはいろいろ問題のある遺伝子を受け継いでいるが、霊で生まれ変
わるとき、私達は素晴らしく新しいものに創造される。全ての古い自分は忘れられ、
神の子として新しい人生が始まった。心の中がイエスの恵みによって満たされ、神の
栄光が私達の中にある。メリーが聖霊によってイエスを受け入れたように、私の中に
イエス様が住んでおられる。
self-esteemがどうこういっている場合ではない。全知全能の神さまが私の心の中に存
在していてくださる。私を受け入れてくださって、私を神の子としてくださった。
ハレルヤ。
BSFリーダーの孫の話、
孫「パパ胸がいたい」
父「どうしたの、大丈夫?息できる?」
孫「イエス様と神様が僕の心に大きく占めてるからだよ。」
思えば私が救われたとき、全てを終えたいとまで考えていた。落胆と絶望とで心はす
さみ、こんな人生生きている意味があるのだろうかと思っていた。
そのときイエス様は牧師を通して神の愛を語ってくださった。
私は生まれて初めて自分が愛されていたことを知った。
ありのままの私を主は受け入れてくださり、罪を赦してくださった。あれから私の新
しい人生は始まった。
一人ポッチでなくなった。
いつも主が一緒に歩いてくださった。
喜びが倍増し悲しみが半減した。
主は私に一緒に歩く信仰の友を与えてくださり、励ましてくださった。
素晴らしい主人にもめぐり合え結婚した。
生まれて初めて自分に満足感を感じられるようになった。
自分を神様の目で見れるようになった。
以前の私は鏡を見て「ここがもう少しこうなっていたらよいのに。」と自己批判ばかり
していたが、今では鏡を見て「可愛いよ。愛してるよ」と自分にささやきかける。(人
がみたらこの人ちょっとおかしいと思うかもしれない。)
変な話だよね。若かった頃肌もつるつるできれいだったころ自己批判ばかりしていて
今中年の自分が心から可愛いと思えるなんて...
ときどき、自分の腕にキスする。そして、「愛してるよ」と自分に言い聞かせる。
でも本当に愛しい。顔にあるしわ一本一本に歴史がきざリこまれていて、笑うと目が消
えてしまうところがなんとも言えず可愛い。
顔だけではない。中年太りのこの体も可愛いと思えるようになった。
奇跡としか言いようがない。
律法から恵みへ。
自分に厳しく批判的な娘が光を理解し、罪を告白し、イエス様を心に受け入れますよう
に。そして神さまがいかに彼女を愛してくださっているかを確信を持って知ることが
できますように。
心から湧き上がる愛を彼女と分かち合うことが出来ますように。
9月 26日 木曜日 のち
とてもいい天気なのに...
空は秋晴れで、鳥がさえずりなんと美しい日和だろう。
心が重い。悲しくて感覚が麻痺している。
今日主人は生まれて初めてカウンセリングを受けに行った。
26年間私が「カウンセリング受けたら?」と言っても絶対に行かなかった人が、娘との
ことがあって、早速昔の牧師に電話して、予約を取ったらしい。かなり苦しんでいる
。
聖書の中に出てくる、父の愛と掟を拒否し出て行った放蕩息子の親のような気持ちか
も知れない。
私達が神様にそむくとき、最も傷つくのは私達を最も愛してくれる周囲の人々だ。石
ころを池に投げると、輪が広がっていくように私達の罪の影響は広がっていく。
娘が幼かった頃生活苦のため彼女を保育所に入れて働いた。
毎日疲れて帰ってきた私はお世辞にも良い母親だったとはいえない。主人は学生で時
間に融通が利いたのでほとんど彼が子供達の世話をしてくれた。
もし、あのころ、1歳から3歳までの教育がこれほど大切だと確信をもっていたら私は
どうにかして専業主婦になっていたと思う。
愚かだった。
成人した娘の問題が浮上するたび後悔の気持ちで一杯になる。
「あの時私があの選択をしなかったらこんな結果にならなかったのでは?」と思う。タ
イムマシンがあって、あの頃に戻れるならやり直したい。
でもそれは悪魔が私を責めているだけだ。
確かに私は子育てで多くの失敗をした。
でも聖霊は一人一人に語りかけてくださる方だ。
私も主人もクリスチャンの家庭に生まれなかったけど主の道を選んだ。
選択は個人の問題だ。
娘は福音を聞いた。
主を一度は愛していたこともある。
しかし残念なことに主から離れ自己中心の生き方をする選択をした。
私は母としてではなく平等の大人として彼女のために祈る。何故なら彼女は私のもの
ではなく、神様がおつくりになった神様に属するものだからだ。私の愛など神様の愛
に比べたらどんなにちっぽけなことか...
どうか彼女が愛してくださる主の胸元に戻りますように。
そして家族に主の豊かな祝福が与えられますように。
彼女に神様の素晴らしい祝福に満ちた人生を送って欲しいと願っている。
これは罪の告白だが、正直言うと結婚当時私は婿に対して「もうちょっといい人と結婚
してくれれば良かったのに...」と思った。でも今では全く逆だ。
自分の息子のように婿を愛し、感謝の気持ちで一杯だ。
私の大好きな婿に神様の豊かな恵みが与えられますように...
いろんな人に祈っていただいたり神様の御言葉を読んで少しずつ
励まされてきました。
娘の名前は、エルサレムに孤児院をたてた素晴らしいクリスチャンの名前からとって
、授けました。その上生まれてからずっと「娘が主を愛する人になりますように。」と
祈ってきました。
神様は私の祈りを全て覚えていてくださり、どんなに小さなことでも決してお忘れに
なることはありません。
「神様のなさることは時にかなって美しい。」と聖書に書いてあります。
神様は仰ったことを守る方です。
ありがとう。
感謝します。
主は素晴らしい。
9月 25日 水曜日 のち
主人をそのまま受け入れること
夕べ主人と娘はすごい口論をした。
というか主人はぽつぽつと穏やかに対応したので娘は一人大声で叫んでいた。主人は
感情を表さないので彼女はますます怒った。
主人の心も娘の心もかなり傷ついていることだろう。
楽天ホームページにも書いたが「男である。」イクオール「コントロールする。」という
ことらしい。そのため自分の感情をもコントロールするらしい。
女と全然違う。
わたしの主人にはお兄さん3人お姉さん1人妹2人がいるが、年が近かったのは妹2人だ
けだ。
結婚してからは私と娘2人の女性3人に囲まれて暮らしてきた。毎月ホルモンの上昇と
下降にまかせ感情がゆれゆごく間をよく生き延びてきた。お月様症というのは、一緒
に生活していると、同時になってくる。つまり私の主人はPMSを経験している3人の
女性達の真っ只中にいたというわけである。(おっそろし~い。)
孫が男でよかった。
昔私も主人を変えようと努力した。でも今では彼をそのまま受け入れている。短所も
長所も全て彼なのだから。
長女にはまだそれが出来ない。父親のある点がいやでどうにかしてそれを変えようと
している。これは婿にも当てはまる。一生懸命婿を変えようとしている。
そもそも私の意見では男性には頑固な人が多い。これは生存のためだと思う。POW
は頑固な人ほど生き延びると聞いた。男社会で生き延びるためには頑固でないといけ
ないのかもしれない。
とにかく奥さんがだんなさんを変えようとしてもうまくいかないのは事実。変わるの
は本人が主に委ねたときだけだ。
このレッスンを私は結婚して10年立ったとき学んだ。(カウンセリングに行ってまし
た。)
神様
どうか娘が「人を変えることは出来ない。変えられるのは自分だけだ。」というレッス
ンを学びますように。
感情が揺れ動く家庭の中にいる孫の心を守ってください。
イエス様の御名によって、
アーメン
ふっと結婚して間もなく大喧嘩したことを思い出した。(というか私一人叫んでいた
。)
何が理由だったか全然覚えていないが、彼の顔を見ているとすごく腹が立ってきた。
眉毛がぼうぼうに生えて眉と眉がくっつきそうだった。
大声で私は、「何よ。その眉は。眉がくっついているのは母親から精神的に独立してな
い証拠よ。」とかなんとかいってどなりつけた。
15分ほどして主人がでてくると、眉と眉の間は真っ赤だった。一生懸命tweezerで中間
の眉毛を抜いたらしい。痛々しい跡をみて、つい笑ってしまった。
主人の家族はイギリス系の家族で絶対に大きな声をあげない。いつも静かだ。私の育
った家庭はなんとうるさい家庭だったことか...
結婚後私がヒステリーを起こすたび、彼は内心すごく怖かったらしい...
私もかなり未熟だった...
娘を見ていると昔の自分を見ているようで恥ずかしい...
9月 24日 火曜日 のち
母親教育
イリノイ州で4歳の娘を激しくたたいているところが警備カメラに写って若い母親が逮
捕された。
http://www.msnbc.com/news/810533.asp?pne=msn
なんでも現金返済してもらおうとモールに行ったがうまくいかなかった後の出来事だ
そうだ。子供を車に乗せようと娘をひっぱたいている様子が全米のテレビに流された
。
この若いお母さんは泣きながら「私が悪いのであって、その罰を娘が負うのはおかしい
。よその家族に連れて行かれたら子供は混乱してしまう。どうか娘を私に返してくだ
さい。私はモンスターではありません。ごめんなさい。」と懇願していた。
昔の私ならこのようなお母さんを責めたかもしれないが、今の私は責める気持ちは全
然ない。自分がひどい母親であることはおそらく本人が一番よく知っていることだろ
う。さぞ苦しんでおられることだろう。
「自分がしたくないことをする。」とパウロも書いているように最大の敵は自分だ。
心が痛む。
母親になるのは運転免許を持つより簡単。
何の教育も訓練もなく突然親になる。
わたしの次女はバーンズアンドノーベルに勤めていると前に書いたが、もし親が子供
に暴力を振ったりちゃんと見ていない場合はすぐ「child protective service」に連絡
するように指示されているそうだ。
そういえば藤井先生の本を読んでいて感激したのは彼女のお母さんの娘を受け入れる
態度だった。藤井先生が20歳後半のときやっと医者になって、そろそろ結婚してくれる
かなと親が思っていた頃彼女は出家し尼僧になる決心をした。親はかなりの悲しんだ
らしい。
そして、仏教に真実がなかったと気付いて、家に戻ってきたとき。母は藤井先生を受
け入れてくれた。
ご主人と結婚した後彼の冷たさに絶えられなくなって実家に戻ったとき、母は賛成し
てくれたそうだ。気持ちを変えてご主人との離婚の考えを捨てたとき、母は「それはい
いことね」と喜んでくれた。イエスキリストを救い主として受け入れたとき話を聞いて
くれた。
数年後は母は自分もイエスを受け入れた。
母親になるには一生かかる。
あのお母さんに必要なのは刑務所ではなく、サポートグループと母親教育だと思う。お
そらくどのようにして子供を育てていいかわからないのだろう。周りに相談できる人
や助けてくれる人が居なくて疲れ果てているのかもしれない。
子供をたたいたのがテープに撮影されたから、よその家庭に子供をあげる。というの
はいかにも単純な解決法のような気がする。子供の一生を変える決意をいとも簡単に
なされているようだ。
色々な組織がある。教会でも小さな子供を持ったお母さんのグループもあるし、(M
OPS)母とちびっこの会などもある。
あの若いお母さんが子供は一人で育てられないことを理解して、サポートを求めるよ
うに願ってやまない。
幼児虐待は親の助けを求める叫び声に聞こえる。
9月 23日 月曜日 のち
最も大切なこと
きょうは予定していたことが全然出来なかった。
夕方、娘達、孫、長女のご主人と次女のボーイフレンドが集まった。
皆でわいわいがやがやしているのを見て、「私と主人が死んだ後も娘達は仲良く力を合
わせていくだろうな。」と思って嬉しかった。
親としてなすべきことの多くが果たせなかったと後悔はいろいろあるけど、娘達の絆
が強いことは本当に感謝だと思う。
きょうもまたある人が離婚した話を聞く。アメリカの家族は本当に悪魔に攻撃を受け
て砕かれている。もし牧師が離婚に反対する説教したら。教会員が居なくなるのでは
?と言われるほど離婚が多い。特に私の年代の人の間に多い。
この間友達が同窓会に行って、「離婚していないのは自分と主人だけだった。」と驚い
ていた。
現代社会で家族の絆夫婦の絆を強めるのは並大抵のことではない。
あまりにもすることが多すぎてゆっくりお互いを知り合ったり、励ましあったりする
時間がないからだ。
親友を亡くして私の人生観は180度かわった。
今日確かにリストにあった仕事を果たせなかった。しかし娘達や孫や婿やボーイフレ
ンドと少し絆を強めることが出来た。
私にとって神様との絆を強めること以外にこれ以上大切なことはない。
9月 22日 日曜日 のち
明日から秋
暦の上では明日から秋だそうです。
このごろシアトルではめずらしくいい天気が続いています。最高です。今日10km
くらい歩きました。最近コンピューターの前に座っていた時間が長く、運動不足でし
た。
さわやかでとっても楽しかったです。腰痛には歩くのが一番です。
実は悲しいことに長女は婿と喧嘩しています。次女が引越しした後Kさんと空巣ミニ
ストリーをしようと計画中だったのですが...
boomerangのミニストリーになるかもしれません。(いったん出てふたたび帰ってくる
ので。アメリカでは今世代のことをboomerang generationといいます。)
おととい長女が、「当分子供と私をここに泊めてくれない?」といいました。ご主人と
の間にすこしスペースを持ちたいそうです。
なんとも複雑な気持ちです。
今日婿に電話して、「私達は貴方のことを歓迎しているのよ。いつでもうちにいらっし
ゃいね」といいました。婿は若いのに一生懸命家族のために働いています。最近「上司
が大学でコンピューターのクラスを取りなさい。といってくれた。」と喜んでいました
。会社が授業料を払ってくれるそうです。
それなのに家庭がうまくいってなかったとは...
うすうす感じていたのですが、良い方向に向かっていると思っていただけにショック
でした。
私が主人と結婚したとき親に勘当されたので主人とけんかして実家に帰ったことは一
度もありません。というか出来ませんでした。
(主人が言うに、もし私が実家に変えれる状況だったらしょっちゅう帰っていただろ
うとのことです。)
世間ではこれは普通のことだと今日Kさんが励ましてくれました。
主人は自分の責任だとおもいこんで朝早く起きて祈ったり、聖書を読んだりしていま
す。でもね。神様は完璧な環境をあたえたのにアダムとイブは神様にさからったわけ
でしょ?
確かに私達は不完全な親だけど、でももう娘は大人なんだし...
自己責任ですよね...
といいながら主人の気持ちもなんとなくわかる...
正直言って私も責任感じて心が痛んでます。
神様が娘の心に赦す気持ちをあたえてくださり、ご主人に対する新しい愛が心の中に
湧いてきますように...また婿が主に心を開きますように...
どうか孫の心を守ってください
イエス様の御名によって
アーメン
9月 21日 土曜日 のち
日本クリスチャン婦人ランチョンは恵まれました。
素敵なゴルフコースの見えるクラブハウスでもようされた日本クリスチャン婦人ラン
チョンは天気と神様の豊かな祝福に恵まれました。
音楽賛美をしてくださったルサナ・メツガーさんとナンシー・ストランドンドさん、伴
奏をしてくださったドロシーアンダーソンさん達はオペラハウスで演奏なさったこと
もあるプロで、全米、カナダアフリカ・シンガポール・マレーシアやハイチで活躍なさ
っている。美しいソプラノの歌声で日本語の賛美歌を心をこめて歌って下さり感激だ
った。
私は一番奥の机に座ってイアホンとスピーカーをつけて逐次通訳した。
たかぼろさんからならったイチローの心構えをみならって、この一週間藤井先生の本
や原稿を読んで学んだので、心のゆとりもあった。
引用された聖書の一ヶ所一ヶ所を読んでいるうちに聖霊の力を感じ涙声になりそうな
ことが何度かあった。
聖書の第一ページに「光よ。あれ。」といわれたとき光が持たされたように、苦しんで
いた藤井先生の心の闇に光が与えられた。
また黙示録の、「見よ。神の幕やが人と共にある。神は彼らと共に住み、彼らはその民
となる。また神ご自身が彼らと共におられて彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくだ
さる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。何故なら、以前の物がもはや過
ぎ去ったからである。」も悲しむものにとってとても慰められる節だ。
イエスは死を超越して下さったので、私達は生きても死んでも神の深い愛の中に生き
ている。
英語しかわからない方は6人ほどしかおられなかったが終わった後で、「これまでの通
訳のなかで最高だった。」と言ってくださったそうだ。
終わって、藤井先生と話していたとき「おそらく私が最も恵みに預かったと思います。
」というと、「労するものはいつも最高に恵まれますね。」とおっしゃった。
神のために労するものでありたい。
ハレルヤ
9月 20日 金曜日 のち
家系の遺伝
アメリカの心理学はpendulum swingで急に右に振られたり左に振られたりする。
20年前は、「私達は白紙で生まれるという、スキナーなどのbehaviorismがさかんだっ
た。今はチョムスキーなどの遺伝説だ。」
「遺伝」を信じすぎると希望も夢もなくなる。
貴方はこんな家系出身とか私はこんな家系出身とか夫婦の間で言い始めたら喧嘩には
なっても解決にはならない。
今日ベセスダさんの日記を読んで感激した。
http://plaza.rakuten.co.jp/bethesda/diary/#2002-09-20
いろんな家系がある。
でも、神様を信じるとき、私達一人一人を新しい人間にしてくださるので家族も変わ
る。
たとえば主人の家系は会話の少なく感情をあらわさない家系。でも私と主人の間には
会話が多い。
私の家系には酒好きがたくさんいる。でもうちには酒をおいてない。
奇跡だと思う。
どの夫婦間も神様なしでは家系の下敷きになってしまうだろう。
しかしイエス様を信じるとき、お互いに対する愛を神様が毎日更新してくださり仲の
良い新しい家系が築ける。
こうやって私達は歴史を変えている。
ハレルヤ
9月 19日 木曜日 のち
明後日の同時通訳のためにアウトラインを頂いてきました。
いやー。なんだか急に忙しくなってきました。
大きな仕事が同時に2つも入ってきてあたふたしています。
でも神様は、「心をゆるがせてはならない。私はあなたとともに居る。」と仰っていま
す。
今日藤井先生から金曜日のランチョンの同時通訳のためのアウトラインを頂いたので
すが見事ですね。14ページきれいな字でびっしり書いてあります。
明日一日かけて準備しよう。
今回のランチョンでは「死」について話してくださるようです。小児科の藤井さんは子
供達が死ぬのも何度も見てこられています。クリスチャンになる前とクリスチャンに
なった後の死直前の子供達への対応の仕方がずいぶん変わったそうです。
次は「小児科診察から」という百万人の福音に掲載されて連載シリーズから引用。
ある白血病で死んだ少年は、「僕が死んでも解剖なんかしないでね.ああ手が冷たくな
ってきた。ああ、脈が触れなくなってきた...」
医師「...」(無言)
またクリスチャンの少年は、「イエス様ばんざい。イエス様ばんざい。」と満面に喜び
をみなぎらせ、微笑みながら息を引き取った。
この父親は医師でしたが息子の見事な勝利の姿に心打たれ、まもなくクリスチャンに
なったそうです。
私もこんな立派な死に方ができるのだろうか?
最後の言葉は何だろう? 私の死を見た人がクリスチャンになってくれるような最後の
言葉を残したいな。
何語の人が周りに居るかわからないから、
「ハレルヤ、ハレルヤ」といって死ぬのがいいかな?
それとも「イエス様ばんざい。」
といってみようかな?
あっという間で、何も言えないかもしれない。あるいはアルツサイマーで言葉が喋れ
なくなっているかもしれない。
全てを神様におまかせしよう。
「神は全てのことを働かせて益としてくださるのを私達は知っています。」
ローマ人への手紙8:28
さっさと下調べをはじめなくっちゃ。
「安心立命」って英語でなんていうんだっけ???
9月 18日 水曜日 のち
悲しみから立ち直る方法(夕べ雲焼来る空を見れば--続き)
藤井先生は息子さんの葬式の忙しさが終わって一人の生活に戻ったとき夜なかなか眠
れなかった。両親も他界し、ご主人も他界し、息子も他界した。娘は結婚して独立し
ている。
彼女は毎晩遅くまでにんじんを切ったりキャベツを切ったりして煮込み料理を作るこ
とによって、慰めを癒した。単純作業は精神療法にとてもよいそうだ。
医者なのでいくらでも薬は手に入れられるが、だんだん量がふえしまう薬を飲む気に
はなれなかったそうだ。私の知人の中にもご主人が亡くなった後アルコール中毒にな
った人がいる。
そんな時あるときラジオで聴いたモーツアルトのピアノ・ソナタ(演奏:へブラー女史
)で慰められ、やっと単純作業をせず、眠れるようになった。
私もモーツアルトが大好き。このHPのテーマ音楽もモーツアルトだ。彼を通して神
様は、神の素晴らしさを音楽で表されたと思うくらい。
まさに天才ピアニストであり、バイオリニストでもあり作曲家でもある。
悲しみから立ち上がる方法は人によって違う。10人居れば10種類ある。
ある人は、自然の中に慰めを見出すかもしれない。又ある人は、何かを作ることによ
るかもしれない。あるいは音楽の中に見出すかもしれない。
私にとって役立ったのはBSF(聖書研究)に行って賛美歌を歌うことだった。歌っ
ていると親友の暖かさを感じる。毎週木曜日教会に行くたび彼女の存在を感じる。
散歩も役立った。私と彼女はよく一緒に歩いた。
ご主人はいつも仕事で忙しく一度も一緒に歩いたことはなかったし、子供達も忙しか
った。
彼女は毎日犬と散歩した。そして時々私と散歩した。
彼女が亡くなった今、ご主人は毎日犬と散歩しているそうだ。
一人で散歩するとき彼女のことを思い出す。そんなとき私の頭に浮かぶのは死直前の
顔ではなく、元気だったときの顔だ。
神様に感謝。
「又私は新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もな
い。私は又、聖なる都、新しいエルサレムが夫のために飾られた花嫁のように整えられ
て神のみもとを出て天から下ってくるのを見た。そのとき私は御座から出る大きな声
がこういうのを聞いた。
「見よ。神の幕屋が人と共にある。神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。また神
ご自身が彼らと共におられて彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださる。もはや死
もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。何故なら以前の物がもはや過ぎ去ったからであ
る。」
(ヨハネの黙示録21・1-4)
9月 17日 火曜日 のち
共感すること
今回の日本婦人ランチョンではおもに「愛するものを亡くしたとき慰めてくださる主。
」 というテーマで話す予定と聞いたので、藤井先生の最新作「夕べ雲焼くる空を見れ
ば」を読み始めた。息子さんは医者インターン、26歳の若さで事故のため他界した。
仏教からキリスト教に変わった過程は「輝く日を仰ぐとき」に詳しく書かれてすばらし
いが、親友を去年突然亡くした私にとってこの最新作、「夕べ雲焼くる空を見れば」に
は心打たれる言葉が多く涙がポロポロ出てきて、何度も活字が読めなくなった。
彼女の息子さんの研太君は人の痛みを感じ取れる、とてもやさしい医者研修生だった
。
お姉さんが流産したとき
「お姉ちゃん、どうにもならなってことあるもんだよ。誰が悪いのでもないからね」と一
言いった。ちょうど、病室に居合わせた娘の夫は、その言葉を聞くと、顔をくしゃくし
ゃにして泣いた。娘夫婦は「何か自分が悪かったのではないか、もっと早く気付けば。」
などとそれぞれ自分を責めていたが息子の言葉に本当に慰められた様だった。
(p.31)
ある牧師の娘さんが自殺なさった。どんなに辛い出来事だったろう。その方がある本
の中で次のように書いておられる。
「多くの方が色々慰め励まして下さいました。しかし私が一番慰められたのはN老婦人
によってでした。Nさんは来るなり、私の
手を取って、「先生お辛いでしょうね。」と言って下さいました。いままでの慰めも励
ましもありがたいとは思っていました、気が張っていたのでしょう、この言葉を聞い
たと心が急に溶けていく感じがして涙があふれました。--中略--鈍い私には自分自身
の悲しみを通して初めて共感こそが慰めだということがわかったのです。」
ヨハネ11:35
イエスは涙を流された。
p45に研太くんが生まれて間もない姪を腕に抱いている写真がある。藤井先生は、
心の中で、「いつか彼にも愛する奥さんとこのようにして赤ちゃんを抱く日がくるのだ
ろうか。」と感慨深く思ったそうだ。悲しきや。この写真をとった3日後、息子さんは事
故のため天に召された。
夕べ私は次女の夢を見た。おっちょこちょいの娘がたわむれていて、大理石の床の上
を、踊ったりジャンプしてつるっとすべり転んで頭を打った。
私は驚いてかけつけ、「大丈夫?」と聴いた。照れくさそうに娘はにやっとした。藤井
先生の本を読んで寝たので娘に事故があるかもしれないという不安が夢の形となって
出てきたのかもしれない。
人の命は、神様のもの。いつどうなるかわからない。
人とのふれあいを大切にし、私の一言一言が、愛と共感に満ちたものであるように聖
霊様に舌を捧げる決心をした。
ハレルヤ
コリントの信徒への手紙二 / 1章 3節 ~5節
わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくだ
さる神がほめたたえられますように。
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神から
いただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたし
たちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
9月 16日 月曜日 のち
祈りに行動がともなうはず?
藤井恵子先生との打ち合わせがあった。
彼女の著書「輝く日を仰ぐとき 仏教からキリスト教へ」の中で、彼女が救われた後ご
両親、ご
主人、娘さんと息子さん等全家族が救われる話がある。
それについて私が尋ねると、先生は「私達は、家族のための祈りを義務のように思い、
本当にその人の救いを願って祈っていないのかもしれませんね。」と仰った。
「例えば、祈った後、ちょっとあの人に手紙を書いてみようとか電話をしてみようとか
聖霊が、気付かせてくれたら直ぐ従うのです。そうしないとあっという間に10年経
ってしまいますからね。」
と続けた。
まさにそうだ。私は自分の家族の救いのためにどれだけ真剣に祈ってきただろうか?
「神様どうか私の家族を救ってください。」と祈って、義務を終えたかのようにほった
らかしにしてきた。
今日の説教でも牧師先生が、「聖霊の導きというと受動態のように聞こえますが、これ
はそうではなく、能動態なのです。聖霊に参加して行くのです。」
神様、私は何を恐れているのでしょう?
積極的に貴方の話をするように力づけてください。
イエス様の御名によって
アーメン
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