ココ の ブログ

タイトル変更(3)

タイトル変更(3)

 ココは躾を直ぐに覚え、糞トレーに大小の用弁便をするようになった。賢い猫だと思った。余り手間が掛からずペットに慣れない家人も直ぐに馴染むだろうと想われた。ところが、ある日、ミルクをやると暫くして下痢をしてトレーで無い場所で用便をしてしまった。我慢が出来なかったのだろう。トレーにまで行きつく前にドアの前でやってしまったのだった。其処は息子の部屋の前でもあったので最初に息子が見つけて大騒ぎとなった。「こんな猫、捨ててしまえ!」と息まく息子に、ペットの一つも飼えない心の余裕がない息子が哀れに想えるのだった。日頃は優しく撫でたり餌を与えたりしているのに、いざこういうことがあると豹変して激しい気性を出してしまうこらえ性の無さに誰の遺伝なのかと訝かってしまうのだ。

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我が家に来て間がない頃のココ 1(門扉の内側で外の様子を覗っている)。

 その性格は、ボクの父や妻の父に似ていた。戦争経験者は気性が激しいと想っていたが、それが隔世遺伝で出たのだろうかと想った。困ったものだと頭痛の種に成った。生き物に対する優しさが無い訳ではないのに、カッと頭に血が上ると我を失って感情の趣くままの行動をとる。自制心が無い性格は社会生活で失敗するだろう。それは親が幾ら注意しても直るものではない。自分でコントロールするしかないのだ。意外にもペットのことで性格が分かるとは想わなかった。この先が思いやられる。何時までも子供のままでは困ったものだ。妻はそれをどう想っているのだろう。当然ながらボクよりも多く接しているのだから分かっている筈だ。それを相談する訳でもないのだ。


 それだけが原因ではなかったが、ココを外へ出せば余所の家へも行くだろうし其処でそそうをしてくれても困るという心配から、最初は家から外には出さなかった。庭に出しても余所へ行かないように見張っていた。それがひと月かふた月程続いた頃からココは家の中を走り回って暴れ出した。終いに妻に飛びかかって行く始末だった。家に閉じ込めっぱなしでフラストレーションが溜まってヒステリー状態になっているのだった。それを観て家人はココを元の飼い主に戻せと言いだした。ボクが出かけている時は二階のココの部屋に閉じ込めているので更にココはヒステリー状態になって行った。


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我が家に来て間がない頃のココ 2(庭で様子を覗うココ)。


 ココのことで家の中が暗い雰囲気になってしまって、仕方なくボクは元の飼い主に電話をして相談した。「適当に外に出すだけで直ぐに戻って来るから心配しなくても大丈夫ヨ。戻って来ないことは無いから」という返事に少しは安心したが、和猫と違い、洋猫は取り扱いが難しいと想った。しかし、高が猫のことだとボクは内心ではそれほど心配もしていなかった。成るようになるだろうという腹で、ボクが家に居る間はココを外にだしてやった。するとココの興奮も収まって大人しくなって普通のペットとしての立場に戻ったかのように観えた。そして家人も次第に最初の頃のように可愛がり始めた。家人もココも慣れないからこそ過剰な反応を示していたのだった。


 そうこうする内に数か月が経ち、そろそろ避妊手術とワクチンを処方しなければならない時期になった。近所の動物医院に連れて行き一泊させて手術を受けさせた。ワクチンは術後の回復を待ってからにしましょうと言われた。人間の勝手な思惑で避妊手術を受けさせるのは可哀想な気がしたが、処置をせずに置いたままにすれば雑種が生まれ、もらい手も無く、猫が増えて行く姿を想像するだけでトラブルが発生するのは目に見えていたからやむを得ない処置だった。ココが可愛いならそうするしかなかった。翌日、貰い受けに行くと心細かったココはニャ~ニャ~と啼いて待合室を走り回った。他の客が連れているのは全部仔犬ばかりだったからココが珍しかったのだ。


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我が家に来て間がない頃のココ 3(ガレージまで来たぞ)。


 吠えこそしなかったが全部の仔犬までがココに注目した。椅子の下に逃げ込んだココをやっと捕まえて籐籠に入れると大人しくなった。動物医師は女性で、まるで赤ん坊をあやすような話し方でココに接し、今後のスケジュールを説明した。年末のことだったので子供達も仔犬に付いて来ていたから見慣れない猫に興味を持ったようだった。当然ながら健康保険は効かないから医療費は人間並みに数万円取られた。ペットも金が掛るものだと知った。ちなみにラグドールの価格をネットで調べてみれば、安いのでも8万円ぐらいから高いのでは20万円ぐらいで販売されていた。日本では珍しい種なのか毛並みの綺麗なものほど高いようだった。


 動物を売買するのは当たり前にしても、ボクはそれが命の売買に想えるだけに嫌な気がするから買ってまで飼いたいとは想わない。人間の場合でも臓器手術は相当な金額が要る。が、表向きは売買は禁止されている。ボランティア提供に限られている。昔の奴隷制度ではないが命の尊厳が金額に換算されることが民主主義に反するからそうなっているのだろうが、裏社会で実際に売買されているというからそれを連想するのだ。そういうことなら食肉なら良いのかという議論が出るだろう。魚なら気にしないのか。野菜には命は無いのかという議論にまで発展すればボクには何とも言えない。


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我が家に来て間がない頃のココ 4(ガレージの次は隣家が気に掛かる)。


 難しい議論は止そう。言ったところでせん無いことなのだ。人間の歴史が、食物を自然界から取ることから始まって、文明が発達し、栽培や養殖という技術が生まれ、無暗に殺生をしない時代になったと言っても動物性タンパク質は摂っているのだ。それも合成タンパク質ではなく自然界のだ。先日なぞ、美味いフランス料理の店に妻と行ってフォアグラを旨いと言って食べているのだ。人間とは、わざわざ過食させてパンパンに晴れ上がったガチョウの肝臓を美味いと言って食べる残酷な生き物なのだ。それを批判なぞボクには出来ない。事実、旨いと想ったし亦食べたいと想っているのだ。(つづく)




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