ココ の ブログ

運転(6)

運転(6)

 この先、幾つまで車の運転を続けられるか分からないが、少なくともあと10年は続けるつもりで居る。免許の更新が75歳から医師の診断書を提出しないと受けられなくなって面倒になったと先輩達が話して居るのを聞いて自分には関係の無い他人事のように想って居たのだが、今年68歳で更新したから次の次の更新で高齢者運転の講習を受ける事になるのだ。高齢者の事故が多くなっているから何処かで歯止めを掛けないと社会に支障を来たす以上、やむを得ない処置と解釈しているが、自分では85歳でも平気で運転出来そうな気がしている。尤も、その歳で車を運転する必要があるのかどうかという問題がある。例えばゴルフに行くにしても誰かと一緒に行くとするなら乗せて貰えば済む事だ。

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 スーパーへの買い物も車で行かなくても生協が食材を配達してくれる時代である。それよりも夫婦共に高齢者になるのだから食べる量も減って行くだろうし、外食も考えればスーパーの買い物に拘る必要も無い訳だ。街中に住んで冷蔵庫の要らない生活(つまり、近所に新鮮な食材屋や料理屋がある便利な生活)も考えて居るから、余り先の事で心を煩わす事も無い。成るように成るだけの事だ。大方の人がそのような生活をしているのだから不便だとか公共の乗り物が嫌だとか言って車ばかり運転する事もない。唯、趣味で乗るなら話は別だが、その頃には今のような健康状態では無いだろうから考える必要があるという事だけである。だから健康に留意しながら自分の限界を知っておく必要がある。次の次の免許の更新の時にでも考えれば良いだろう。未だ先は長いのだ。

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 とは言いながら10年なんてあっという間に過ぎてしまう。今こそ真剣に残りの人生の生活設計をしておく必要がある。将来とも車社会が続くと仮定して、運転を人に任せるか、それとも自分で何処まで出来るかの判別をしておかないと、それこそ老後の心配の種になってしまう。足腰が弱って杖をつくようになれば車が必需品に成るだろうが、それよりも動態反応や反射神経も落ちるから自分で運転するのは考えものかも知れない。決して無理をする訳ではないが車の利便性を知っている以上、簡単には手放せないのもある。尤も、利便性に振り廻され過ぎてしまっては本来の人間性を失う事にも成り兼ねない。行動半径も狭まるから車も高性能のものは要らなくなる。と言って玩具のようなものでは危ないし嫌だが、国道や高速道路とは別の処で乗り回す事で生活に潤いを持たせられるなら良い。 

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 しかし、それがある為に生活に支障を来たす様では逆効果だ。地域社会のコミュニティーが叫ばれて久しいが、逆に人々は人に無関心で孤立感を高めながら歳をとって行くのが普通なのだ。それに個性というものもあるから、群れて和気あいあいで行ける人は良いとしても、それが嫌だとか自分から進んで行けない人は矢張り自分で自分なりに行動できる手段を持つしかないのだ。そういう人の為の、そこそこの機能性を持たせた格好の良い車を発売すれば高齢者用として売れるのではないだろうか。丁度、高齢者用の簡単携帯が好評であるように。ボクの妻も最近、そんな携帯に替えてからCメールをよくやるようになって、逆にボクの方がそれに追いかけられる羽目になってしまった。年齢に応じた文明の利器である。文字は馬鹿でかくて見易く、機能は簡単で使い易く、故障も少ないらしい。

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 そもそも乗り物は、昔は専用の運転手が居て、彼等は時代のエリートだった。ところが車に運転手が付き物だったのは、開発された当初は馬車が基本だったから御者が必要だったのだ。まさか乗客が御者の代わりをする訳には行かなかった。しかし、車が乗り合いではなく個人用になると運転手はお抱え運転手として、今で言うところのパイロットのような高給取りになった。やがて雇い主は自分で運転したいという欲望が出だし男も女も乗馬の経験から車に乗る事をドライブするという意識に変わって行く。そして、車を持てる社会的地位と共に車を運転出来るというエリート意識が出来上がって行く。飛行機も船もそうだ。大きさこそ違うが、自家用として自分で操縦(運転)する事がステイタスになるのである。それは時代がそうさせるのである。電話の交換手が不要になったように。

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 SFではないが、今に、宇宙ロケットは個人が操縦する時代になるかも知れない。現に、国家や公共でなく宇宙旅行の為のロケットを開発している企業や個人が居る。時代の先端を行く人は人よりも先の事ばかりを考えるから当然そういう事を考える。時代の先を行き過ぎて社会から抹殺される人も居るが、それは既成の組織や社会を解体する存在に成るだけに恐れられ、既成組織の権力者達の自己保身の意味からも疎外されるのだ。そういう深い読みが出来ない凡人や世間は、単純にマスコミに踊らされて権力者達の言う事を信じる。政治もそういう面が多々ある。時代の先を行く人は何時の時代にも受難が待ち受けている事を覚悟せねばならない。本人はそう意識せずとも、それも一種の権力闘争であるからである。権力者は如何にして権力を持続出来るか夜も寝ないで考えているのである。(つづく)

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