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ブログを続けていくのは難しいもので、ここで初めて書き始めたのが12年前。そのうち回数が減り、今回も約1年半ぶりにふらりと戻りたくなったのだ。私には面白い友人が何人もいるが、中でも最近もっとも気に入っているのが眞脩(マシュー)。気が向くと平日だろうが深夜だろうが大して飲めもしないのにバーボンを片手にやってくる。そして今宵も持参のDVDを観ながら、自分で持ってきたくせに誰より楽しそうに笑っている。微笑ましくもあるが、しかしどうも、何度となく自宅で観ているだろうに。料理の腕前もかなりのもので、私は残り物を使ってちゃっちゃと、というのが大の苦手であるのだがマシューはそこが料理の喜びなのだと言う。手さばきから味付けは勿論盛り付けまでとても美しく、腰に片手をあててフライパンを振る仕草などはちょっとかっこいい。そうして残り物撲滅週間には彼の存在が欠かせなくなった。マシューはNYにおいても日本においても優秀なビジネスマンであり、その上物語も書いている。つい先日も新しい物語を引っ提げて我が家を訪れた。マシュー「あ、そうだ。これ読んでみない?」彼がいつも持ち歩いているリーダーで新しい作品の概要を読ませてくれた。軽快なコメディと言ってよいだろうか、キーワードは「ふうん、こんな(織田)信長もいいね」。何を書くそう戦国時代が関わっている。マシュー、夫、私の3人ともにそろそろ酔いが回り始めた頃、マシューがふと笑いを殺すような顔で八つ折にしたコピー用紙をポケットから取り出しテーブルの上で広げた。そこには昔懐かしい阿弥陀くじが書いてあり、マシュー「はい、二人とも2か所ずつ選んで」夫「なんで2か所?」マシュー「当たりくじばっかりだから、ほら」何か悪い予感が漂いながらも言われるままに2か所ずつ選びマシューがはしごのようなくじを辿っていくと、夫は2と3、私は5と19という数字に行き着いた。マシュー「はい、大当たり~!こんなにたくさん悪いね。じゃよろしくー」つまり、夫は2冊+3冊=計5冊、私に至っては5冊+19冊=計24冊の彼の著書を買え、あるいは誰かに宣伝して買わせろと言う強引な販売メソッド。けれど内容がチープ。夫「哀しいねえおまえ、手売りかい?」マシュー「いいじゃん、読んでみなって」まずは夫と私が別々に1冊ずつ購入、そこから慣れない「バーチャル手売り作戦」が始まった。さて、私はどこまで売ることができるのか。皆さまの中にご興味をお持ちの方がいらしたら、是非お読みになってみてください。彼は今、自分のバーチャル手売りが終わったのを良いことに夫と二人Jack Blackの "School of Rock" を観て喜んでいる。ゲンキンだけれど憎めない、お茶目でかっこいい男である。 眞脩フライデー著「イタコのリリイ」
April 13, 2017
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毎年11月の第1日曜日にニューヨーク・シティ・マラソンが開催される。私の友人知人も多くが参加するのでもしやスクリーンにその雄姿が映し出されるのではとライブ中継にかじりつくも、まあ当然のことながら街並みばかりを楽しむ結果となった。すっかり北海道に夢中で忘れていたが、ずいぶんとニューヨークに帰っておらず、昨夜はランナーたちに流されていく景色をぼんやり見ながら久しぶりに胸がきゅんとした。普段はスーパードライな夫も「ああ、帰りたい」とつぶやいていた。けれどこの町に来て、ここで過ごす時間が長くなってホームシックに苦しんでいたかというと意外なほどにない。これはいつまでもNY気分の私自身にも問題があろうがそれだけでなく、どうやら北米や北欧などに似たところがいっぱいで違和感を感じることがないようなのだ。そのひとつは、やはり雄大なる景観だ。広い北米大陸の中にいると、ニューヨークでさえ30分もドライブすれば写真のような風景に出会うことができる。イギリスへ行った時に目にした野原も、まるでそのままここへ移してきたかのようにそっくりだ。雨の後に太陽が輝き始めると何度でも姿を現す二重の虹や、前後左右どこを見ても怒りを落としている激しい稲妻や、身体をすっぽりと埋め尽くす雪。新鮮なようで、実は馴染みのある景色が私をニューヨークを離れた寂しさから解き放ってくれていた。そして4度目の11月。ここを故郷にしてもいいかも、と思い始めている。あ、そういえば広くておおらかで優しい自然をさして気に留めない人々の心根も、なんだか欧米人のそれに似ているような気がする。
November 2, 2015
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今年も12月が来て、日本中が1年の終わりに向かって大忙しだ。私はと言えば、激動の2012年をさして振り返ることもなく、いやそれどころではなく、生まれて初めての北海道の冬を大いに楽しみ、今年はNYの家にいる時のようにとても愉快にクリスマスツリーを飾って毎朝毎晩、窓外の銀世界と交互に眺めてうっとりしている。かれこれ15年以上も前に買いNYから持ってきたこのクリスマスツリーを私はとても大切にしている。2m40cmのフェイクツリーであるが、ちょっとスレンダーで、でも密度の濃い良い木なのだ。NYの家では1200個のイルミネーションをささやかな自慢にしていたが、日本に来た年には800個に、東日本大震災が起きた昨年のクリスマスからは節電の声もあり400個に減らしたので少々寂しく、そのせいか、正直なところ若干気抜けしてライトの取り付けもいい加減になっているのだが、それでもやはり、クリスマスのイルミネーションは良いものだなあと見るたび思う。心が温かくなる。 NYにいれば友人知人が大勢いて12月はパーティやショッピングで忙しいものだけれど、今年は北の大地のゆったり感にすっかり魅了されているし、現実的な話をすれば東京にいる時に比べて格段に素材が揃わない環境、お気に入りのベイカリーもここにはないし、シュトーレンも手作りとか。周囲にさんざん「君のキャラクターには到底合わない」と言われた私のスローライフが一歩前進しそうである。自然ととても静かな穏やかなホリデイを迎えることになりそう。今年はターキーよりミートローフ?ゲストは一人か、二人か。それもまあ、なかなか素敵なのではないだろうか。 毎年私のクリスマスはこの曲から始まる。
December 3, 2012
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午前3時。仕事部屋の窓からは瞬く星たちとほんのり白く浮かぶ雲。気温8度、秋が深まりだんだんと冷え込むようになってきた。毎朝頬に冷たい風を受けるのが楽しみになっている。この前のCarole Kingにしてもそうだけど、秋はsoft rockだなあと思う。学生時代、学校帰りにUpper Westのコーヒーハウスに立ち寄り読みかけのタブッキなどを取り出して良い気分でページをめくっていると、Todd Rundgrenを聴きたいなあと思うことが多かった。少し疲れたような、センチメンタルな彼の声が私には、秋そのものなのだ。本当は夏にばかり曲を書いていたりして。でもまあ、音楽は主観で楽しむものなのだから良いのだ。窓の外を眺めると北風に黄色くなり始めた木の葉が揺れて、私はますます上機嫌になり店を出るとミッドタウンまで歩く。バッグが重たくても平気、耳の奥で音楽が鳴っている間は不思議と軽やかに歩けるもの。通りの右側に小さな花屋や照明の明るい家具屋を見ながら1時間、ゆっくりと。目的地はCOLONY RECORDS. 帰る前にTodd Rundgrenを探すつもり。
October 9, 2012
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お久し振りです。7月東京の家を引き払って北海道へ移り、8月2度目のリスボン旅行を計画するも急にNYへ帰りたくなり里帰り。9月に入ると予想外の猛暑に耐えながら新居の片付け。落ち着いた頃には長く暑い夏は終わっていて、その途端肌寒い。そしてまた今朝は台風の影響か朝から19℃。北海道の紅葉はニューヨークよりも、勿論東京よりもずっと早く少し山に入ると木々が色づき始めている。今年は冬が早いと言うから大急ぎで秋を楽しまなければならない。今朝は5時半までほぼ徹夜で締切ぎりぎりの仕事。寝足りないけれど台風が来て山の様子を変えてしまうといけないから、私はこれから車を飛ばして紅葉を見に行く。去年の今頃は東京の家で、リスボン旅行を前に準備を進めていた。1年で随分多くの出来事が、良いことも悪いこともたくさんあって今、新しい仕事部屋から青い山並みを眺めながら生まれて初めてのスローライフを選んだことを正しかったと肯く。このままずっと北海道にいようかな。それもいいかも。すごくいいかも。とは言え結局頭の中まではなかなか変わらないので、NYの家にいたらベア・マウンテンあたりに行くのに聴きたい曲でも選んでみる。今朝は、Carole King.
September 29, 2012
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前回の話の続きもしないまませわしい時間がやってきて、気がつけば7月も残り少ない。私の新しい町は今曇っていて気温は20℃である。ここに来て1週間ほどになるが今夜が一番夏らしく、また夕方の雨のせいか少し湿度がある。とうとう私は東京を離れ北海道にやって来た。これまでも移転の多い人生だったし新しい土地での暮らしはいつでも魅力的。これはきっと年齢に関係なく持ち続ける私の気質なのだろうと思うが、実は今回、自ら北海道を選んだにも関わらずここに来ることをまるで遠い外国にでも行くような違和感を持っていた。はっきりとした理由は見つからないが、とにかく少し尻ごみしていた。引越し屋さんが私の荷物をすべて運び出してからも、私の持ち物はひとつもなくなった東京の家から数時間去ることができなかった。家中に漂う思い出を、やがて訪れるハウスクリーニングに全て消し去られるのかと思うと寂しかった。日が暮れて、街の明かりだけが部屋をうっすらと照らす中で私は別れの時を悟り、およそ7年を過ごしたこの家のドアを閉めた。エレベーターがロビーに下りつくまで私は、あの部屋で作られた思い出をできるだけたくさん思い出そうとしていた。その夜は深夜まで、一泊したホテルルームからそのライトが消えるまで東京タワーを眺めていた。大好きなこれも、もう見られなくなるんだなと思いながら。そうして、私は翌朝向かう新しい町に思いを馳せる余裕もなく、土壇場で自分がどんなに東京を愛していたかを知り、切ない気持を抱いて眠りについたのだった。 #nowplaying
July 24, 2012
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天才と言える人に出会ったことはありますか?こんな私でも多くの人たちと接してきたし、その中には輝くような才能を持つ人もかなりの数いらっしゃる。そうした人たちと交わるたびに、その眩しさに恍惚感すら覚えるのだが、そういう感覚とは別に、明確に「尊敬」した天才を私は見た。DJKはDJKらしくもなく病気を抱えることとなり、つい2日前も全身麻酔による検査の為に病院を訪れていた。早朝からの検査でも、朝のまだ冷たい風に散歩気分で病院へ向かう。検査で全身麻酔、一体何の検査?まあ良いとして、問題は点滴だった。私は血管が細くて針が入らないのだそう。ナースが試みること4回、遂に救世主現る。私の主治医である。ドクターは私の左腕を見回しさすって、手首のすぐ上に狙いを定め、優しい声で「ごめんね」と呟き静かに針を入れた。腕の先の方は痛みが強いと聞いていたが、まったくと言っていいほど痛くはなかった。が、良い血管は見つからなかった。今度は右手の同じ場所に。チクリともせずに入り、彼がナースに薬を流すよう促すと、ナースはため息をつくようにドクターの手元をじっと見つめ、「さすが・・・」ドクターは穏やかに無言で姿勢を直しナースに指示を与えると、ナースはドクターに代わって私の前に立ち、右腕を乗せていた台に触れた瞬間、私の腕が動いた。「あ、はずれた!」その場を去ろうとしていたドクターは振り向き、「ほんと?」普段ドクターは私と英語で会話をしてくださるが、この時は私もさすがにしっかりと日本語で、「ごめんなさい」と何度も言った。「せっかく」周囲にそんな空気が流れた。彼はこちらを振り返り、再び私の両腕をさすりながらポイントを探してくださるも、なかなか見つからない。遂には「うーん、麻酔なしでやってみようか」その言葉に思わずビクッ!"One last try, pleeeeease..."本能むき出しの私。まったく何と面倒な患者かと、などとは、彼は立派な内科部長であるので思うはずもなかっただろうが既に6か所にテープが貼ってあり、「傷だらけだな」と憐れんでくれるように言いながら、傷のない場所はひとつ。左の手の甲にドクターは彼の指を当てて言う。「手背か。だけどここ、痛いんだよね」しかし「せっかく」を無駄にしたのは私である。それに私は痛みには強いのだ。多少のことなら。でもいつかママがそこに打つとすごく痛くて動かせないって言ってたな。でもこれ以上ドクターに迷惑はかけられない。何だかめちゃくちゃにいろいろなことを考えながら、ええい!「I'll be fine. 痛くてもいいです。Please?」「じゃ、手背でいきます」ドクターは再び腰をかがめ、ナースから針を受け取るとすっと私の肌に通した。やはり、チクリともしないのだった。痛いはずなのに、ちっとも。世に言う「ゴッド・ハンド」という言葉が浮かんだが、私が彼を天才と思ったのは他にも理由があった。ドクターはかなり長い間私の点滴に付き合ってくださったが、その間私はまるで痛みに対する恐怖を感じなかったのだった。勿論、知識も技術も最高級と言えるのであろうが、患者に彼を信頼させる、あれは何だろう、人間性か、それともプロ魂か、いや両方に違いない、名医とは何かを知り感激した。検査が終わって2日経つと、注射の後が青くなっている。まるでこれ、私が一生を通して知ることのない、知らない薬でも打ったかのような(と言ったって見たことがあるのは映画の中だけ)腕である。醜くて半袖など着られないが、私がこの傷を見るたびにまた改めて、一生懸命人生を歩いている人の素晴らしさに、自分自身の細胞を浄化してもらっているような気分になるのだった。余談だが、検査中私は夢を見ていた。美しいお花畑を眺める夢だ。とても幸せな気分で、麻酔が醒めてからドクターの診察があったが、その時彼のおっしゃったことは殆ど覚えていないのに、夢の中のお花畑や太陽の眩しさは今も鮮明に残っている。これは、麻酔マジックか?ちょっと怖い。 私にとって一番気持ちの良い曲。
May 10, 2012
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タイトルの通り、DJKは休暇を取り病も何のその、家探しに奔走していた。奔走なんて言ってしまったが実際には助けてくれる人がたくさんあったからこんなのんきなことを言っていられる。ようやく家が決まりそう。私は日本の所謂大人の世界を全く知らない。今も殆ど分かっていないと言って良い。それは生活レベルにおいても多くの点で肯定でき、お恥ずかしながら未だに日本で銀行やお役所に用事があるとなると事前に調べること、特に日本語の専門用語など新語のように詰め込むことしばしばなのである。ましてや住宅事情など知る訳もなく、またNYとは勝手がまるで違うのだから困ることばかり。不動産屋さんはとても不安に感じて私とお付き合いしてくださっているはずだ。とにかく、北海道の家が決まる。この私だもの、一軒家には住めるはずもない。今回もまたアパートメント(日本ではマンションね。どうしても言い慣れない)であるが、さすが北海道?とても広い3LDKで窓からは美しい山々。私はここでの生活を今からとても楽しみにしている。北海道の物件をあれこれインターネットで探している間に、ポルトガルのある会社からメイル。その中に何故だかスペインとポルトガルの主要都市にある分譲物件のリンクが貼られてあって、私はすぐさまそれらを開き、そこから2時間夢中になった。さいさんに渡ってお話しているので呆れられてしまいそうだが、私はとにかくNY郊外の家が好きなので、最後はあの家に戻ろうと思っている。けれど、それまではいろいろな町で暮らしてみたい。ポルトガルもそのひとつで、不動産屋のウェブサイトは私にとって、その夢をvirtualに実現してくれる楽しいものだ。写真の中では既に私がその家の中で生きている。そう言えば随分前にある友人から聞いていた話を忘れていた。ご存じでしたか、ポルトガルではbidetが別にあるって。今の日本では、と言うよりもとより日本では考え難い。なんてったって、ウォシュレット大国。それが、ポルトガルのみならずスペイン、イタリー、ギリシャなどでもbidetが別についている家が多いようで、要するにトイレットボウルが二つバスルームについている。これって、慣れるものなのだろうか。私はかなりのタフガイなので、ヒルの生息するようなジャングルを除いてはおそらくわりにどこででも生活できる自信がある。勿論生活を楽しむ自信もある。ゲテモノだって食べられるし。だけどあのbidetだけはどうかなぁ、と思った。美しいリビングルームや、テラスから臨むリスボンの真っ青な空の写真など見ながら、私は半ば真剣にそれについて考え、結論は「東京からウォシュレットを持っていく」。そしてリスボンのある物件をFavoriteに入れて何故だか早速ウォシュレットまで探し始めたが、当然その前に北海道生活が待っているのであった。意外に頑固な自分に気付き、夢のリスボンライフはどうやらまだまだ先のよう。 RIP Left Eye
April 26, 2012
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イイトシをして、と言われるかも?少しだけお許しを。21日は私の誕生日だったが、とにかく体調が悪いので街へ繰り出して豪遊だ!などと威勢の良いことも言えず、ましてや去年行くはずで流れてしまったMaldives旅行を誕生日にと思っていたがやはり今回も諦めるしかなくて、さすがに友人たちが、「ああ、あわれなケイト」と私の家に集まってくれた。ところが薬漬けでアルコール摂取をできない私を目の前に、まぁ彼らの飲むこと飲むこと。私の大好きなOpus Oneまであっという間に空けてしまい、なんとも切ないBirthday。でも酔いが入ると彼らは挙って私のおなかに手を当て、「腫瘍よ消えろ、消え失せろー!」と叫んで私を抱き締めてくれた。私は誕生日を、「感謝する日」と思って生きてきた。例えばその日に贅沢をしても、この世に生まれてきた幸福を家族、友人たち、またこの人生を与えてくれた運命、というものがあるのならそれにも「ありがとう」と言う日。そして今年は特に、癌を患ってもいつもいつも私の心配ばかりするこの世で一番優しい母に感謝し、また健康を失ったことによって温かい友情と、人生の重みを改めて知ることができたことにも感謝している。そうか、誕生日は「素」に戻る日なのかも知れない。エキストラの誕生日プレゼントがついてきた。北海道の家が決まりそうなのだ。体はとても辛いけど、新しい生活は何よりの楽しみである。アメリカ中西部に暮らす幼馴染が、体調の悪い時にそんな大きな変化は大丈夫なのかと心配してくれたのだが、変化自体はとても好きなものである。私はあまり怖がりでもないし、病気はしたが新しいスタートはいつでも大歓迎だ。彼女の優しい心は有難くもらって、私は北海道生活を幸せに始められそうである。今年もやはり、とても良い誕生日だった。 何故か毎年誕生日に聴く。きっと一生。
April 21, 2012
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今日の私はずっと微熱があり体調が悪かったので、終日ベッドの上で過ごした。故になかなか眠くならず、それなら仕事でもすればよいものを、気まぐれにtweetなどして遊んでいる。ついでに?ブログでおしゃべり。あるサイトで、ドーパミン(神経伝達物質、カテコラミンのひとつ)レベルの高い女性と低い男性は相性が悪い、高数値の人はアグレッシブで浮気性、低数値の人は落ち着いていて静かに燃えるタイプが多いのだと説明しており、かなり面白いと思ったのだが、そもそもどうしてこんなものに興味を持ったかと言うと、さっきまで自分自身の血液検査報告書を見ていたからだった。血液検査は、当然のことながら健康状態を教えてくれるもので様々な数値についてドクターから説明を受けるたび進歩した医学に感心してしまう。私は、病気を示すもの以外は至って正常だが、187センチ80キロのセバスチャンも185センチ77キロのドレイクも、スタイルは抜群に良いと思うが、コレステロールだの中性脂肪だのが上限値を超えているのだそうで、血は正直、「あんたは既におじちゃんだよ」とたしなめているのである。ドレイクは、年々健康診断が嫌いになるそう。さて、血はどこまで正直?ドーパミンの相性はホロスコープを超えるか。そのうちお見合いのプロフィールにドーパミンレベル記入欄が血液型の下に出現したりしたら、ちょっと面白い。ちなみに、あなたのドーパミンレベルは、おいくつ? #NowPlaying
April 16, 2012
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最近では、毎日のように医師の友人とチャットで私のおなかの中の腫瘍に関する知識を得ようとする時間が随分と増えた。少女時代に読んだ狐狸庵先生のエッセイに、「がんノロ」という言葉についてのお話があったのを思い出す。体調が悪くなると「がんではないか」とつい疑ってしまう、かわいらしいノイローゼもどきであるが、何となくその心理が理解できてしまう。尤も私の場合は悲しいかな、実際に腫瘍を持っているので彼等の「がんノロ」とは質が少し違うのであるが。そうして少なからず不安を抱える私を心配したセバスチャンがこちらに帰ってきて1日ドライブに連れ出してくれた。振り返ると様々な症状がくっきりと出ていたが、母の看病、私自身の仕事、そして北海道移転と私のキャパを超える出来事が重なって体を労わることを疎かにしていた。どこへ行きたいわけでもなく、また食欲も落ちている為食事のプランにも乗り気でない私の為に、彼は花を探しに走り回ってくれた。私は春生まれ(そう言えばもうすぐ誕生日だ)だから、と言えるのかは分からないが、子供の頃から花が大好きだ。以前このブログでもお話したかも知れない。まだ補助をつけた自転車のバスケットに花の図鑑を入れ、道端に咲く花を見つけると図鑑を広げてその花を知るのがとても楽しかった。何を隠そう、今も大好きである。セバスチャンにもそんな話を何度となくしていたから、気晴らしにと花を選んでくれたのだろう。NY郊外の家にいると、花壇に植えられた花以外にはまだ少し花の咲き乱れる季節には早い。そんな話をしながらドライブを楽しんでいたら、とても良い風景に出会った。電車がここを実際に走ることが想像できないくらいに長閑で、線路の両脇には延々と菜の花が続いていた。時折暖かい春風に菜の花たちは歌うように揺れ、つられてセバスチャンも歌っていた。私は病気であることを忘れて、華やいだ気持ちでこの1枚を撮った。良い一日。そこに「次に来る時は健康で」という思いをおいてきた。そうそう、ご存知の方も多いはずであるが、上記の遠藤周作著エッセイの中で、面白い箇所がもうひとつ。確か阿川弘之氏ではなかったか、「私は頭が痛いから『頭がん』(=ずがん)に違いない」とお仲間方に話されたという部分を私は当時何度も何度も笑いながら読んだものだが、頭がん。いつ思い出しても、ご当人の必死な本気をよそにこのセンス。たまらない。 セバスチャンは懐かしい良い歌を歌っていた。
April 10, 2012
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記憶を吹っ飛ばしてくれるものが欲しいような気分。けれどワインを飲むことができず、結局コーヒー2杯で今日が終わろうとしている。昨晩こそポルトガル紀行の続きを書こうと1日の予定に組み込んでいたのに、またしてもチャンスを逸してしまった。そして今晩こそ、がまた次回にずれこみそう。 Sorry.先週受けたCT検査の結果報告書とドクターからの話。私のおなかに3センチの腫瘍が見つかった。と言っても今のところは良性で、これが大きくなったり、悪性に転向した時には手術を受けることになるのだそうで、取り敢えずは経過観察。腫瘍。寝耳に水である。2か月前からおなかの鈍痛が気になっていたが、気にかける余裕がなかった。昨秋母が癌にかかり、以来今日までの私の日々は彼女の看病に充てられてきた。極めて優秀なドクターチームのおかげで彼女は快方に向かっていることが救い。けれど5ヶ月後に、今度は私?余計に心配したり、気を落としたりはしていない。確かに体調は悪いので書斎で横になって読書している時間が長いし、去年のポルトガル行きに続いて北海道移転さえ延期になりそうでつくづく人生は皮肉なものだと思うが、かえってそれが笑えてくる。"Oh, how beautiful my life is!!" なんていい気に生きてきたけれど、それは勿論いびつな面だってあって不思議はない。"Life is comedy." これも私の人生。とは言え対象物が腫瘍、癌だもの、何気に命、寿命について真剣に考えたりもするのでこの気分を飲み干す何かが必要になってくる。ワイン、は気分の良い時に飲みたいし、ならばウィスキーだ、といきたいところだが残念ながら薬を飲んでいるし、コーヒー。やっぱりコーヒーだ。 #NowPlaying
April 2, 2012
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ついさっき友人宅から帰宅。午前5時の東京。冷たい明け方の風の中に、確実に春のにおいがあった。NYの家にいると、特に郊外の家にいる時は、眼前に広がる池の氷が割れる音が私にとっての春の訪れなのだが、東京の春は風の中。これから暮らす北海道では何が春を教えてくれるのだろう。夢の国、ポルトガルでは?一度は行きたいタヒチでは?すると耳の奥でTodd Rundgrenが歌い始めた。大学2年のある3月の夜、男友達にドライブに誘われて岬に車を止め、話をしていた時にラジオから流れていた。とっくに忘れていたはずのある瞬間を人はいとも簡単に思い出せるものだ。記憶とは、なんて素敵なのだろう。とても仲の良い男の子で、確かその時、終わりかけていた彼の恋を相槌を打ちながら聞いていた。未練を浮かべた彼の笑顔は少し切なく、冗談を混ぜるとなんだか痛ましく、けれどその時間はとても心地良くて、哀れなような、それでいて清々しさも湛えているような、そう言えば春先は、青春時代の淡い恋みたいにぼんやりした甘さを持っているなと、電話の向こうのセバスチャンと話しながら家までの道を歩いてきた。もう一度聴いて寝よう。夢の中で思い出の続きを見られるかも知れない。
March 24, 2012
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"Lisboa - walk with pathos" 第6話を作るつもりが、今日はオフィスの整理整頓で一日が終わり仕事は帰宅してから。そして気がつけば翌日の午前3時を回っている。1日がもっと長ければ良いのに。そうすれば、帰ってきてからゆっくりお風呂に入り、上がると早速、先日知り合いから頂いた貴腐ワインを開け、のんびりと思い出に浸りながらブログを書くことができるのに、と思ったところで、いやどうせ24時間以上を手に入れられるなら映画の1本も観なければもったいない。先日河野太郎氏がtwitterで推薦していた本でも読もうか。不眠が続いたのだから寝溜めをするのも悪くない。そうして結局は貴重な24時間を無駄な、でも随分と楽しい妄想に費やしてしまうのだった。朝方にコーヒーブレイクもないものだが。私は旅をすることが多い。これは趣味でもあるし、仕事が絡むこともある。仕事は別として、個人旅行の行き先を決めるに当たって私が必ず念頭に置くのは、「いつかは住みたい町に行く」である。「ここで暮らしたら素敵だろうな、楽しいに決まってる」と思えそうな場所へ、半ばリサーチ気分で行くのが好きなのである。ポルトガルも然りで、計画当初は滞在1ヶ月半のはずが母の急病でほんの数日しかいられなかったわけだが、それでも美しい文化を持つあの国がとても気に入ったし、おかげさまで母が奇跡の復活を遂げた今、いったんは諦めかけた、「旅の終着点=リスボン」この果てしない夢をまた少し見てみても良いのではないかと思い始めた。 下見済み。北海道は既に大好き。 ところが、人生には思いもよらぬ方向へ進むことがあるものなのだ。いや、私の場合は自分自身の気まぐれが作り出す運命、なのかも知れないけれど。大げさに言い過ぎたが、リスボン云々の前に、去年訪れた軽井沢がとても気に入り、そのおかげでもう少し日本にいようかという気持ちになったのだった。あの町の清々しさと特有の雰囲気に、一時は高原暮らしを真剣に考えた。そして改めて「私が暮らしたい町」の条件を改めて考えた時思ったのだ。そう言えば私は日本の梅雨が苦手だし雪が大好きだ。なのに東京の雨季はジメジメであるし、今年は雪の多い冬ではあったがそれでも埋もれるほどの量は降らない。ニューヨークにいれば雪遊びはできるけれど、帰るのはもう少し先で良い。とは言えそろそろ雪が恋しいな、どこかまったく知らない場所でそんな暮らしができないかしら・・・で、これまでの人生と何のつながりも持たないのに決心したのが今回の北海道移転だった。今年はそういうわけで少し忙しい。夏前に北海道へ移り、おそらくNYへも何度か帰るのだろう。ホノルルは今年は無理だろう。ポルトガルは?ポルトガルへは、北海道からはどうやらとても遠そうだから、NYに里帰りした時に行くのが良いかも知れない。第一、私は絶対にリスボンへはもう一度行かなければならないのだ。大切なものをひとつ、置いてきてあるから。まあそれは次の話として、とにかく今年も気の向くままに旅をしよう、という他愛もない話。そろそろ寝よう。
March 6, 2012
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不眠の私はここ2日でざっと300回は "Happy Valentine's Day!!" と言っているはずだし、チョコレイトだって例年と同じくらいの36個をいただいた。が、今年は何だか気の抜けたValentine's Dayになっている。不眠が続きややもすると幻覚さえ見てしまいそうなのに加え、今日最後に "Happy Valentine's Day!!" と言ったのはセバスチャン、そして何故か私の傍らには、北海道へ移る前に東京を見るのだとやって来たドレイクがワイン2本目に突入しくだを巻いている。けれどもやっぱりこの日はとても良い。街を歩きながら老いも若きも?チョコレイトを選ぶ姿はとても平和で幸せそうだ。いくつになってもこういう日は大切にしなくちゃ。でも私はと言うと、今夜のこれは、学生時代の普通の週末と何ら変わりなく、それは勿論楽しいもので、同じ昔話で何十年も笑い合える仲間がいることは幸せなのだけど、2年連続?ドレイクと?御免こうむる。みなさんはromanticな夜を過ごしていますか?告白がうまくいったとか、プロポーズしてYESをもらったとか、Valentine's Dayはそういう日でなくちゃいけない。と言いながら、私は今、来年こそはどこかのカジノで過ごそうかと考えている。古くからのお仲間はご存じのことと思うが、私はカジノではちょっとプロであり、しかもValentine's Dayの勝率は100%なのだからそんな運の良い日を逃す手はあるまい。さてどこへ行こう。アメリカ国内か、マカオか、韓国か。あ、そういえばポルトガルにもカジノがあるではないの。どうやら来年も愛を語り合うValentine's Dayには縁がなさそうである。
February 14, 2012
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Este ano eu estou indo para Hokkaido. Que tamb?m seria ir para Lisboa...振り返ってみるとどうやら一昨年の秋あたりから、言わば「気の抜けたDJK」的であった。今更に気付いたわけでもないが、不眠が始まって1週間の今夜、久しぶりに目の前が少しクリアになっていて、どうしたことか自分を取り戻した気分になっている。ワインが入っているわけでも、ましてや幻覚みたいなものなど見てしまっているわけでもない。きっと、この白く冷たい冬の夜のせいだ。ここまで気温が下がって北風が強く湿度が低い日はニューヨークの家を思い出すのだ。郊外の家は、マンハッタンから北へ向かう電車でたった40分あまりで帰れるのだけれど、その寒さはビル風を除けば比較にならない。カナダからの寒気が下りてくると、マイナス20℃という日も珍しくない。駅から我が家までは歩いて6分、けれどそうした夜は一気に歩いて帰ることができなくて途中立ち並ぶアパートメントのロビーで風をよけながら10分もかかった辿り着く。深夜テラスで濡れたタオルを振り回すと、だいたい20秒で凍りつく。一晩バナナを放置すれば、翌朝勿論トンカチに変身しているし、間違ってハーブの鉢を外に出そうものなら、触れただけでパリンと散ってしまう。まだまだ思い出はたくさんあるけれど、とにかくこんな他愛もないことを思い出していたら、その冷たい冬を楽しんでいた自分に還っていたのだった。意外に簡単な自分が情けないが、今年は夏前に北海道へ移る予定もあるし、また楽しいブログ生活ができる気がしている。
February 2, 2012
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Eu nunca vou deix?-lo ir embora Etta deixou este planeta...ありがたいことに、人には感じる力が無限にあって、音楽に対しても様々に楽しみ、悲しみ、憎み、愛し。時にはその歌を聴くだけで思い出の時にタイムスリップすることもある。私達はそうして「好きな歌」と共に生きている。「この曲を聴くとロトが当たる」なんてこともあるかも知れない。Etta Jamesは私にとって特別なシンガーだった。今も彼女の"At Last"を聴くたびに大切な思い出が蘇り、その時味わったエモーションすべて、幸せや不安や欲望が混ざり合って胸に迫ると今夜のように寒い夜などは三度に一度、涙を拭ったりもする。この歌には魔力があった。夢の世界が目の前に広がるように始まるイントロ。それに恋をしない人なんていようか。一瞬にして私は解けない魔法の虜になり、その日の幸福や痛みをいつも胸のチャームのように抱いている。彼女の危篤が伝えられた時、魔法が解けて私の大切な思い出も薄らいでいくような頼りなさに囚われた。この歌の持つ空や香りや幸福感を彼女が根こそぎ連れて行ってしまうのではないかと。けれどそうではなかった。あれから何度も"At Last"を聴いた。彼女が亡くなった日も聴いた。でも魔法は解けなかった。彼女の歌声も、私の夢や思い出も、消える心配はもうないだろう。Ettaは天国へ旅立ったが、"At Last"は今日も私の人生の中で流れ続ける。朝のコーヒーに、友達との会話に、無造作に開いた文庫本に、それから携帯電話にも。
January 22, 2012
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本当は今夜、"Lisboa - walk with pathos (5)"でアップデイトするつもりだったのに、載せようと思っていたイラストが見つからないので、週末までにお話できればと思っている。ポルトガルは私にとって特別な国だから、今回の短い旅のみならず、可能であれば私は今年も行きたいし、長い連載のつもりでのんびり書いていきたい。あ、でも今年は北海道だしなぁ。「私は北海道へ行くかも知れないよ」とアメリカの友人たちに話したところ、どうせなら北海道にいる私を訪ねてくれば良いものを、東京にいるうちに一度、と早速母のお見舞いがてら?一昨日ニューヨークからやってきた。初めての日本は物珍しく、世界一になった東京スカイツリーを遠くから眺め、5月のGrand Openingには必ず再来日するのだと張り切っているが、その頃私の方がいるかどうか。今日は柴又(私はここが大好きです)を歩いた。友達も大喜びで300枚以上も写真を撮っていた。柴又は、「自慢できる日本」のひとつだ。今日はまた、お正月の空気が残っている上に成人式も重なって華やかな参道だった。東京散歩には絶好のお日和。そういえば、参道で冷たいきゅうりを食べている人を時折見かけるが、あれは?私自身の東京生活も残り少ないと思えば何だか切ない気持ちも入り混じった、素敵な休日であった。お土産のNapaがそろそろまわってきたので、今夜はここで。 #NowPlaying
January 9, 2012
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"Lisboa - walk with pathos (5)" will be posted by Jan. 9th. Thanks :)去年、もう去年の話か。初めてのポルトガル旅行をもっとのんびりと楽しめたなら、私にはやりたいことがいくつかあったが、そのうちのひとつがこれ。瞼の奥に残る風景を辿る旅。最初に白状してしまうが、私はせっかくリスボンに行きながら、楽しみに計画していたことは何一つ実現させることができなかった。けれど今振り返ってみると、成し遂げようと歩いた時間だけでも十分に愛しいものになっている。友人が時折私に見せてくれた何枚もの風景写真を、私は忘れられずに今もよく思い出す。そのうちの1枚が、黄金に輝く太陽と陽光にきらめく大西洋。日は傾いてはいたものの、サンセットまでにはまだ1時間はあっただろう。足元は岩肌で崖ではなかっただろうか。その場所がどこなのか、私は結局彼に尋ねることができなかったが、私はそれがロカ岬だろうと思っており、どうしても同じ海を見たくてニューヨークの友達とふたり、岬へ向かった。が、途中道に迷ったり、彼女が仕事に使う風景探しに時間を費やしたりして結局ロカ岬に到着したのは、私が見たかった写真の瞬間よりもだいぶ後だった。彼女は私に何度も謝ったけれど、私はなんとなく、写真の海はやはりロカ岬から撮ったものではなかったかと思えてならず、それだけで温かい達成感に微笑むことができたのだった。 翌日、時間の許す限り私達はもうひとつ、私の描いたイラストを頼りに少女のように無謀であどけない小旅行をする。 つづく
January 2, 2012
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Wishing All of You A Happy New Year!! "Lisboa - walk with pathos (3)" will be posted on Jan. 2nd, 2012. Thank you.クリスマス前、不覚にも風邪を引き熱にうなされながらurgentの仕事を片付け、そして大晦日、日本中から年越しそばをすする音が聞こえてこようというこの時間、私は小さなローカルペーパーの編集をしている。テーブルの上でシャンパンが1本こちらをじっと見ているが、無視無視。今年日本で生きてきた私たちがこの1年を忘れることは決してないだろう。無念の魂に祈りを捧げ、復旧・復興の進まない中厳寒の被災地に訪れる新年に幸せの輝きが満ちるよう心から願い、今思い切り手を振って今日までの日々を送り出し、2012年を迎えたい。個人的にも正直ハッピーな年とは言えなかったけれど、来年はもっと穏やかで幸せで楽しく、そして私らしい1年にしたいと思っている。家族を支え、仕事にやりがいを持ち、大笑いしながら遊んで、旅もたくさんしたい。ポルトガルへも、またゆっくり行きたい。約2カ月の滞在予定だった初めてのポルトガル旅行にと買ったオープンチケットを使い切れなかったので、次は余裕のある時に時間をたっぷりとって歩きたい。北海道移転は、早ければ夏前になろうか。一度しかない人生の中で、しかも海外生活の長い私にとって北海道で暮らすことはファンタジーこの上なく、夏のラベンダー畑など写真で見るだけで心が(激しく)踊り出す。なんだ、もうなかなか良さそうではないの、2012年は。今年はブログのアップデイトが思うようにできず、普段の旅の話、アメリカの話も少ないまま終わりました。それでも多くの方たちが毎日立ち寄ってくださってこと、とても嬉しく、感謝致します。みなさんのブログも楽しく拝見しました。知らない土地の街並みや田園風景を見るのがとても楽しく、目だけでなく心の栄養になりました。ありがとうございました。来年も、お変わりなくお付き合いください。みなさん、美しい新年をお迎えください。・・・さて、今年最後の仕事に戻りますか、早く飲みたいし。 #NowPlaying
December 31, 2011
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8日の聖母懐胎祭を見逃したのはたった二日間のポルトガル滞在における後悔のひとつだったが、代わりに短い時間の中でいくつかリスボンに残してきたものがある。 「ここに地終わり海始まる」ポルトガルが誇る詩人のルイス・ヴァス・デ・カモンイスによる"Os Lusiadas"の中の有名な一節。ここロカ岬に立つと様々な思いが日の傾き始めた大西洋に浮かびあがった。陸地の終わりには、眼には見えない海の向こうの夢がこちらに確かな気配を伝える。その昔、この地から大海原へ向かって行った勇敢な人達は数知れない世界中のミステリーに胸を躍らせていたのだろう。そして、純粋な好奇心が顔も言葉も違う人たちに絆をもたらしたのだろう。私が今、この最果ての地にいることもとても不思議に感じられた。私をここに呼び寄せたものは・・・?この時既に、私は父からニューヨークへ帰るよう言い渡されており、他ならぬ母の病気なのだもの、二つ返事で里帰りの飛行機を予約したものの、1年以上恋焦がれてようやくその思いが叶ったというのに、私の運命は少々いたずらが過ぎる。そう思わずにはいられなかった。恨めしい気持ちで水平線を眺めると、ふと1枚の写真を思い出した。以前私の友人が撮った、海に浮かぶ黄金の太陽が美しいサンセット。もしかしてあの写真は、ここで写したものなのではなかったか。そう思えて私は、ひと目あの夕陽を見るまでこの岬に立っていようと決めたのだった。 つづく
December 13, 2011
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初めてのリスボン滞在はほんの一瞬のもので、残念ながら思い出も写真も少ない。私には行きたい場所がたくさんあって、日本にいるうちにたくさんリストしていたのだが、結局そのうちの二か所にしか足を運ぶことができなかった。そのひとつがPast?is de Bel?m。ロイヤルブルーのシェイドは店のシンボルカラーで、目の覚めるような純白の店内にとてもよく似合った。ここには、ニューヨークからある撮影の仕事で来ていた友人に連れてきてもらって、ここに来た時には既に翌日ニューヨークへ戻ることが決まっていたので気分的には落ちていたが、そんな私の気持ちを和らげるように甘くて優しいお味が嬉しかった。ニューヨークにいると、エッグタルトはたいていチャイナタウンで食べるものと思うのだが、ポルトガルの伝統菓子はそれとは比較にならないほど愛らしく、この国の、無駄に華美な飾りのない、自然な美しさと国民の温かさが伝わるようだった。予め彼女から、「ポルトガルのお菓子はニューヨーク以上に甘いよ。あなたには無理だよ」と言われていた。実際、その日の夕方に街のカフェでコーヒーと一緒に頼んだナッツのパイも、彼女がオーダーしたアーモンドクリームのケーキも甘過ぎて困ったけれど、このpastel de natasだけは、できることなら日本に持ち帰りたいくらい素敵なお菓子だった。そういえば、最近KFCで似たようなエッグタルトを見つけて私は飛びついたが、残念、同じお菓子とは言えなかった。次にこの店の扉を開くことができるのはいつになるだろうか。
November 29, 2011
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Eu n?o sabia que ele me odiava tanto. Agora ? hora de desistir de encontrar o meu anel. E eu realmente n?o posso dizer a ele que eu vou voltar para Lisboa...その夏、私はペーパーウェイトを彼に贈ることに決めた。その時、彼と私の間には様々な障害物が転がっていたが、恐れを知らない私達の絆はどんどん強く深くなっていった。運命のペーパーウェイトは、彼と私に魔法をかけ、見たことのない美しい夢を見せてくれた。が、夏の太陽が傾く頃、ガラス玉に注ぐ光が弱まるように私達の夢も消えて、心には冷たい重たさだけが残った。私がそれを彼に手渡す前に。今、私のデスクの上にはペーパーウェイトを大切に包んだ箱がある。そしてその横にもうひとつ別の箱。その中には、私が彼の誕生日に選んだコーヒーカップが入っている。もうひとつの運命を期待しているわけではない。懺悔の為にというわけでもない。ただ、この季節が巡って来て、私は自然に彼の為に誕生日プレゼントを選んだのだ。それだけだ。私は彼に会える?その日によって予感も変わる。Yes. No. けれど、ペーパーウェイトが私にそうさせ続ける限り、私は彼との再会を信じて毎年贈り物を選ぶだろう。もし私に彼を忘れる時が来たらその時は、ペーパーウェイトもその輝きを失うのだろう。結局何が運命?遠くても、冷たくても、今まだ私が彼の心を慈しむことができるということ。
November 21, 2011
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Just insane enough for me to do the countdown of days to his big day here "again".And ridiculous that I couldn't tell him the other night that I visited his town.Another one for this year; How many presents will I get him in the end?2010年7月のある午後、私はミーティングを済ませた後、カフェに立ち寄ってコーヒーを飲みながらSakiの小説を読み、帰り道、街角の店でガラスのペーパーウェイトを見つけた。小さな球の中に広がる海が美しく、手の上に乗せて透明なその世界を覗き込むととても穏やかな気持ちになり、誰かにそれを贈りたくなって、プレゼントとして包んでもらった。きれいな贈り物を誰にプレゼントするかを決めていたわけでもなかったし、家に帰っても、「じゃあ、あの人に」と思い当たる人はいなかった。ただひとつ、ペーパーウェイトに出会った時と同じ気持ちにさせてくれる人に贈りたい、そう思った。その夜、私は彼と出会った。突然、彼は私の人生に登場した。何の接点もなかった二人が、前触れもなく無邪気な会話で知り合って、ほんの短い時間だったのに私はとても幸せな気分になり、なんとなく、本当になんとなく、「このペーパーウェイトを贈るのは・・・彼?」 つづく
November 15, 2011
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11-13-2011 11:31pm in my den. Hopefully, I'll see you tomorrow night. The title of the next blog entry should be..um... "Fateful Birthday Gift". 母を歩かせるとドクターに約束しながら、手術の傷口が痛んで顔をゆがめる母を見ていると、とても「歩いてみようか」などと言えるわけがなかった。珍しくはなのだそうだが、母は今日、熱を出して呼吸も乱れ、夢と現実の間を行き来しているように見えた。時折目を覚まし私を見つけると微笑むが、次の瞬間もう寝息を立てていた。そしてまた1分後には、「熱いの」と訴え、私は額のタオルを冷やしに部屋のバスルームに入った。今日は気温が低くて水が冷たかったが、予め冷蔵庫に入れておいた冷水にタオルを浸していると、ドアの外で話し声が聞こえる。「さぁ、起きて歩きましょう。今日が一番辛いんだから、明日はもっと楽だよ」聞き覚えのある声は、昨日の、母の執刀医のひとりだ。最初私には彼の背中しか見えず、顔も合わせずに挨拶を交わし横を通り過ぎると、それまで熱にうなされ、横になっていてもだるいと訴えた母がベッドの上に座っているではないか。私は驚き、彼に詰め寄った。「こんな手荒にしなくてもいいのではありませんか?とても痛いみたい」これだから僕は患者さんに嫌われるんだよね」苦しそうに座っている母を見て、私は徐に彼に言った。「患者よりもむしろ、私かも知れない、今あなたを嫌いなのは」「分かってますよ。大丈夫です」それから、母を抱えて歩いてくれる優しくてとても可愛らしいナースと父、地獄の使者、と言うのは冗談。優秀で、患者思いの若き外科医外科医と私で母の歩行訓練にフロアを歩いた。その時思った。人は何て強いのだろう。昨日、おなかを切り開かれ大きな腫瘍を取り除いた高齢の女性が、12時間後には自分の足で歩いたのだ(母は早朝の検査に自分で出向いた)。普段は全ての我が儘を平気で通してしまうあの母が、真剣な面持ちで、また痛みに耐え病気と闘う姿は、我が母ながらけなげで、とても美しかった。人には生に対する底力がある。順調に回復が進めば、明日はもっと楽になり、その分また歩かされるのだそうだ。けれどそれが母の為。医師も言っていたが、ここでたった一日怠惰に過ごすことがどんなに恐ろしく取り返しのつかない事態につながっていくか。が、ここで数分頑張れば確実に彼女の人生を強靭にしてくれるのだ。やはり私は明日、もっと彼女のお散歩を積極的にサポートしなければと思っている。最初の検査結果から今日まで、心に安らぎの時はなかった。誰かを頼りにしたいと思っても、母が私を必要とする限り、私が弱音を吐くことなどあってはならなかった。そんな中、医師の明るい笑顔と少しおどけた優しい言葉、そして母を支えるナースの愛らしい手に、私の緊張がどんどんほぐれていくのを感じた。私一人で母を守っているわけではない。それを知ることは、母にとっては一番の励ましであり、健康なくせに軟弱な私には何よりの救いなのだった。そう言えば今日、ドクターは母を歩かせる時こうも言った。「患者さんが治るなら、嫌われることくらい何でもない」私は、彼ともう一人の主治医が必ず母の病気を治してくれると信じている。昨夜は、「明日はどうかおしゃべりができますように」と祈ってベッドに入った。今夜は、「明日はどうか痛みが消えて、もっとずっと楽に歩けますように」
November 8, 2011
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母の手術が成功した。最初の検査結果を聞いてから1カ月、ポルトガル・ニューヨークへ行っていた時間を除いて私は殆ど休息を取っていない。昨日・今日はとうとうメリスロンという薬のお世話になった。「私は女の子に恵まれてよかったわ。最終的に、頼りになるのは絶対に娘。パパや息子はダメね、何の役にも立たないわ。今回ばかりはあなたが日本にいてくれて助かった」母にこんなことを言われたら、ケイトは何が何だって頑張ってしまうのだ。ポルトガルに着いた翌日ニューヨークへ帰り、多くの人に会って母の治療法など良いと思われる情報を入手し東京に戻ると、今度は入院した母の介護。手術までの準備が大変で、家に帰ると今後の母の食事療法などを調べまくり、気がつけば毎日、1,2時間の睡眠で今日まで過ごしてきた。毎日母の為に足しげく病院に通ってくれるセバスチャンのおかげも大いにあるが(母はセバスチャンが大好きなのだ)、とにかく何とか無事に手術が終わって、私達に笑顔が戻った。優秀な執刀医チームは、母のおなかの癌をきれいに取り除いてくださった。あとでドクターから母の癌を実際に見せてもらったが、写真で見るより遥かに大きなものだった。あんなものがおなかのなかで日々大きくなっていたかと思うと、腹痛に耐えながら毎日大勢の人達の為に働いていた母の姿が目に浮かんで切なくなった。何て我慢強く立派な母か。そして母は、明日早速歩行訓練を始めなければならない。元来とても我が儘な人なので、傷が新しいうちに歩くなどもってのほかだと難癖つけるに決まっている。おかしいのが、その母の性格を、ほんの短い時間しか付き合いのない執刀医が見事に読み取っていることだった。きっと体がだるくておなかが痛くて歩きたがらないだろうけれど、先のことを考えて、どうしても歩いてもらわなければなりません。その意味が、よく分かった。私はドクターに言った。「私はきっと彼女を歩かせます!」すると彼も私に言った。「僕も歩かせます!」明るい彼の声に、私は久し振りに笑った。まずは、一安心。さて、明日母は歩くのか。そして、ドクターと私、どちらが先に母を歩かせるのか。勿論それは、娘である私でなければならないが、母はかなりの面食いである。ハンサムな外科医の優しい笑顔を想像し、娘は早くも敗北を認めざるを得ない。 今朝病室へ行くと、母はこれを聴いていた。
November 7, 2011
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I wish he could understand how come I couldn't tell him about my visit. November 1st. 今年ももう、十一月になりました。今年はブログの更新があまり頻繁にできなかった。一年を振り返るにはまだ少し早いけれど、突発的な旅の多い年であったことは間違いない。あと2カ月、私にまだ旅はあるのか?"Back to the Future"ではないけれど、私はタイムマシンにでも乗っていたのではないだろうか。本当なら、今月の半ばから10日間の予定でポルトガルへ行く予定だったのが、1年ぶりにメイルのやり取りをした友達からリスボン行きに誘われ、何故か2日後には同行して、疲れた体で夢現の中約1日を掛けて降り立ったのは、夢にまで見たポルトガルの首都リスボン。日本で旅行ガイドを読んでいた間は小さな町を想像していたけれど、とてものびのびとした、けれど伝統の重厚感が実に神秘的で、坂道が多く冷たい肌をした高層ビルなど見当たらない、温かみのある、そして実に空の美しい場所だった。最初の計画では、私はリスボンの友人が勧めてくれたホテルに宿泊したかったのだが、急な話で予約が取れず、彼女が予約してくれた、全く違うタイプの大きなホテルに泊まった。それでも、初めてのリスボンをホテルの部屋から見下ろしながら、なんて素敵な町かしら。そして私は、走り去って行く車やバイクを眺めて、その友人が乗っているような気がしていた。初日はゆっくり友人と、美味しいポートワインでも飲みながら私達の学生時代を楽しく語り合うつもりで、二日目は彼女が仕事なので私は一人でリスボンを歩き、三日目からは彼女とポルトガルを周遊しようかなどと話していた。私にはMission 2もあって、それをどうするかも考える必要があった。去年会う約束をしていたその人への贈り物をどのように渡そうか、方法を私は考えあぐねていた。ただ、最低でも1週間はいられるかと思っていたので、それこそゆっくりリスボンの町を知りながら、Mission 1,リスボンは私の町になるだろうか、そんなことを追い求めながら良いアイデアも浮かぶだろうと楽観的になっていた。けれど、今年の私は二転三転が多いみたいだ。まさかその夜父に呼び戻されるとは夢にも思わなかった。夢なら、もっと楽しい場面ばかりを一人浮かれて見ていた。 また明日。
November 1, 2011
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Regretfully, Mission 2 was incomplete this time, he doesn't know anything anyway, tho...上の写真は、確かに私がリスボンで撮って来た、「発見のモニュメント」。実は、実際には空が快晴でなく、リスボンで私を迎えてくれたニューヨークの友人が晴天に加工したものであるが、とても美しく雄々しい記念碑だった。一番先頭で大西洋を臨むのはエンリケ航海王子、三番目の紳士は、日本では最も有名なポルトガル人のひとり、ヴァスコ・ダ・ガマである。父の誕生日からの8日間を、私は自分の足で歩いていたのだろうか。あまりに多くのことがあり過ぎて全てが夢の中で起き、跡形もなく消えていったように思えてならない。今日の私は、日本で父と一緒に母の入院手続きをしているのだもの。それさえ現実離れしている。今夜、疲労困憊&酩酊気味の私に言えることは3つ。1.一週間前、私は初めてのポルトガル旅行へ出かけた。2.父からの突然の言いつけで、翌日ニューヨークへ帰った。3.リスボンは私の町になるだろう。詳しいお話は次回に。 甘口のポートとこの曲と・・・まだ足りない。 I need more sugar.
October 28, 2011
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Happy Birthday, Daddy! Get Well tomorrow, Mommy! Thank you all for coming for Dad's party, Friends! Wish you were here with me tonight, Darling!10月20日は父の誕生日。彼は70を超えているが、先日のゴルフコンペで3位に入賞、まだまだ家族の誰よりも元気で、仕事と料理が大好きな愛すべき私達の父である。が、その料理。私の家では、家族が誕生日というと外へ食事に出ることが多いが、父は美食家で美味しい食事のできる場所を数多く知っているにも関わらず、毎年自分の誕生日には必ず自らパーティに集まった家族や友人達に料理を振る舞う。父にとって最高の楽しみだ。ゴルフもそうだが、私の父は多趣味で何でもとても上手だ。絵を描けばセザンヌのようなタッチで心地良く、馬に乗れば野生に帰り、家庭菜園では見事な野菜を作る。が、父の一番の趣味である料理。これだけは不可解なほどに不得手なのだ。いや、父自身は「完璧」とまで言う。ここが困る。彼の味覚は確かなのに、なんであんな妙チクリンなものを作れてしまうのか。見た目は美しい。が、完璧だった試しがない。完璧どころか20点もあげられないことが多い、落第クックなのである。家族としては、できることなら父の料理を目の前にして、「わぁ、パパすごい!」と褒めちぎり、そこで終わりにしたいと本気で思う。弟などは「パパのB'Day」を「X-DAY」と密かに言って、毎年本当に胃薬持参でやって来る。今年は母の体調が良くないので少しは気にかけて作っていたようだが、結局は例年とあまり変わりがなかった。特に、「ラムの香草焼き」はサイアクで、必死にワインで流し込んだら、今になってX-DAYである。そんな風に犠牲者が続出する中で、父のパーティでただ一人ひたすらに食べ続けられるのが、四年生の甥っ子なのである。不思議でならない。何故父の作るものがそんなに美味しいのか。けれど、この子のおかげでここ数年、父のパーティは(迷惑にも)とても盛り上がる。母と私は、長いまつげがとても可愛いこの男の子に「生まれてくれてありがとう」とピンクの頬を撫でる。食事が終わると、弟がギターを持ち出して歌の競演である。今年も2時間、みんなで楽しく歌って笑って、最後に父が恒例のPerry Comoを歌ってお開きとなった。家族の笑顔を見渡せる幸せが何より嬉しい夜。 料理は下手だけど、私は父の歌がとても好きだ。
October 20, 2011
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((I wish I could tell you every single bit of my heart...))今朝、私はニューヨークへ帰るつもりでいた。ところが、エアポートで搭乗時間を待っていると友人からの電話。彼は私の母の主治医で、母の健康に関する注意を聞かされた。どうやら少し悪いところがあるようで、私は里帰りを取り止めすぐに都内へ戻った。年内の計画は、実はできていた。11月の半ばにポルトガルへ行き10日間ほど滞在、12月はクリスマス前にニューヨークへ里帰りし、お正月は日本に戻ってくる。でも多少の再考が必要になってきた。まず、12月のニューヨークはやめた。年末年始は日本にいることに決めた。クリスマスはニューヨークが好きだけれど、お正月は日本が最高。日本のお正月って独特だ。厳かに始まって、朝が来るととても賑やかで幸せがいっぱい。そして食べ物が美味しい。11月のポルトガル行きはまだ視野に入ったままだが、計画に変更があるかも知れない。 need someone who makes me laugh right now... Mission 1: 私とポルトガルの関係を知る。これは私にとって壮大なる不変の課題なので、必ず遂行しなくてはならない。いつになっても、時間が掛かっても、探究できるところまでしてみたいと思っている。何か発見できたら、いつかそれを本に書こうと考えている。Mission 2: 友人の誕生日であるが、正直これは心配だ。彼へのお祝いは用意してある、が、彼を喜ばせることは難しいかも知れない。本来私達はとても良い関係であるべきだったのに、それを私の身勝手で壊してしまったので今の私には自信がない。でも、感謝だけは伝えたいと思っていて、それを私らしくできたらいいのだけれど。なんだかよく分からなくなってきた。Mission 3: これは100%私の趣味に関することなので、私にポルトガルで暮らすチャンスがあるならば、その時でも良いと思っている。母の体も心配だから、例えばもし私が引越したとしても、一か月に一度は日本に戻るとか、そんな生活になるだろう。Mission 4: 本当は昨日お話するつもりだった四つめのミッションは、Portoという町。ここはポルトガルが誇るワイン処だから、未来のSommeli?reとしては大きな研究課題。大いにワインに親しんで、ポルトガルの良き仲間になりたいと思っていた。が、これも宿題。母のこともあるし、昨日の話ではないが、実際行ってみると、「ポルトガルは汝の面倒をみられるほど暇ではないわい。NYへお帰り!」とまざまざと拒絶され、肩を落として日本へ帰って来るかも知れない。先のことは神のみぞ知る。けれどやっぱり、1年後、3年後、5年後の自分が読み返して懐かしむ為に、こうして日々のシミュレーションを記さずにはいられないのである。人の一生にあるチャンスの数って、決まっているのだろうか。私は健康な人よりも少し心臓がヘタレなので、私の人生の時間は長寿大国日本の平均寿命、女性の86歳よりもだいぶ短いだろうけど、「これだ!」というチャンスがあと何回あるのだろう。ちょっと知りたい。秋はやはり、人にじっくり物事を考える余裕を与えてくれる季節のようだ。
October 18, 2011
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DJK of the Day: 「今更Missionsを撤回などできないが・・・何?この不安は」すぐ前のブログポストに対して友人から、「あれは何?夜逃げでもするの?」釈明。確かにそう受け取れてしまう。さすがに夜逃げではないけれど、ケイトお得意の現実逃避病が発症し突発的に飛行機のチケットを取ってしまった。私を知る人の殆どが私を「糸の切れた凧」と言うが将にそのとおりで、不意に何かを思い立つとそのままふらっと消える。月初めからほぼ二週間を高原で過ごしたが、それには三つの理由があった。1.温泉のある町で新しい住居を探す。2.今後の人生(主にポルトガル行き)についての計画を練る。3.青春小説の執筆。1.に関しては、今回の旅では結果を得られず戻って来たがダメージはゼロ。いくつかリゾートマンションを見せてもらい、例えば数カ月などの短期ステイならどうにかなるか、と思えたので急ぐつもりはない。日本にいるのだから、毎日温泉に入るという贅沢を一度はしてみたいものだ。3.私は目下ニューヨークが舞台の長編小説を書いているが、この本以外の原稿でも、思うように頭が働かなくなると失踪したくなる。決して悲観的になるのではなく、むしろ周囲はこれを「ただの我が儘病」だと言う。私は根っからの空想家なのだ。否定はしない。 問題は、2.である。昨日もお話したけれど、私の頭の中は今、「大ポルトガルフェア」開催中である。寝ても覚めてもポルトガルへ行くことばかり考えている。そもそもの理由は先日お話したMission 1であるけれど、とにかく知ろうとすればするほどに彼の国をとても好きになる。が、人生の何においてもそうであろうが、motivationも上がってエンジン全開で前へ進んでいる時に、突然に「これは何かのサインではないか?」と思う出来事に遭遇することがある。かわいそうなことに、今日私はそのようなものを見つけてしまって久々にテンションが急降下中なのである。ただ単純に、初めて見る国へ女一人で足を踏み入れる、一体私は何をしようとしているのか、という不安の表れなのかも知れないし、そうであって欲しいとも思う。が、今かすかに、「ポルトガルは汝を暗に拒絶している」こんな声が聞こえてくるのだ。被害妄想に相違ない。若い頃とは違って「無」に対する闘争心が萎えてきているとも言えよう。更には、今日の私に吹く風が東向きのようで、友人達の中でひたすらに私のポルトガル行きを反対するグループが誘惑する。「ニューヨークに帰っておいでよ、また楽しくやろう」半ば私を甘く見ている彼等の言葉も今夜は優しく響き、私らしくもなく、「新しい土地で孤独に耐えられるのだろうか」「何も見つけられなかったら行った意味がない」など少々後ろ向きなことを考えているのだった。昨日のあの勢いはどこへ消えたのやら?おかしなものだ。とは言え、私は必ずポルトガルへ行くし、何か良いものを見つけてこようという思いは消えてはいない。何も見つからなければ「チャンチャン」で東京なりニューヨークなりに帰れば良いのだし、ものすごく大きな発見ができたなら、それは私にとってこの上ない幸せになるはずだ。何かに立ち向かう前には、誰もがこんな気持ちになるのかも知れない。あまりに穏やかで幸福に生きて来た為に縁のない感情となっていたとしたら、今のこの気持ちはかえってとても貴重なのだろう。一年後、三年後に私はどんな人生を送り、どんな気持ちでこれを読むのか、想像すると楽しみだったり、やっぱり不安だったり。いや、こう言う時に余計な心配はやめよう。週末にはお目にかかります。是非またいらしてください。
October 17, 2011
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Dear Friends, 二、三日留守にします。 戻りましたら、また宜しくお付き合いください。 ケイト
October 17, 2011
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↑I'm so in love with Portuguese porcelain... this one's actually made in Italy, though :Pここ半年間、私の世界は空前のポルトガルブームである。厳密には一年半前なのだが、去年は仕事に忙殺されて自分の為に費やすべき大切な時間を作ることができなかった。今日でも大きな後悔の一つ。限られた人生の時間配分に無駄をなくすことほど難しい問題はない。上の写真は私のもので、直径35センチの陶器皿。だいぶ前にニューヨークで買ったイタリア製。残念ながらポルトガルで作られたものではないが、ポルトガル陶器は以前からとても好きだった。と言うよりも、気に入って手に取ったものがポルトガル製ということが多かった。下の写真は、10年程前だと思うが、ニューヨークのティファニーで購入したものだが、アメリカにはこうした厚めで温かみのあるポルトガル食器が多い。ティファニーも良いところに目を付けたな、と唸ったものである。美しい食器を見つけると、最高の恋人に出会えたような気分になる。素敵だわ、欲しいわ、ずっとそばに置いておきたいわ。手に入ったら、いつまでも大切にしたいもの。生涯の相棒。 価値のあるものではないだろうが、普段使いにとても心地良い。 写真が暗いけれど・・・ ね? Made in Portugal. 藍色の美しいタイルアズレージョ、国内最大のローマ遺跡コニンブリガから出土し、当時の絵柄を受け継いだコニンブリガ焼き。ポルトガルにはこの国の歴史を華やかに映した伝統工芸が数多くある。それらを是非巡ってみたいと思っており、私は目下手元にあるポルトガル陶器に関する本で勉強中である。ただ、今回の旅行だけでは全てを知ることなど到底無理だろうし、私には、もしかすると私自身のルーツを知るMission 1があるのだから、この国のあらゆることに時間を掛けて臨む必要がある。やはり暮らしてみないと、かも。それに、きっと欲しいものがあとからあとから現れて大変なことになるのは目に見えている。今度の旅はあくまでもリサーチ。私の中のマテリアル・ガールを必死に押し込んで、ショッピングは二の次ということにしなくては。でも、果たしてそんなこと、私にできるの?というわけで、Mission 3はこれ。「ポルトガル陶器を知る」 これはおまけ。お隣SpainのTalavera焼き。ソープディッシュ。 私はバスルームの壁に飾って楽しんでいる。 さて、次なるMissionは・・・。 wedding songだって聴きたくなっちゃう。
October 16, 2011
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Sweetest Day=Wine Day 量だけで言えば私は楽々ソムリエ。Happy Sweetest Day, pumpkins!今日アメリカは"Sweetest Day"という、まぁちょっと商業的なホリデイである。勿論、恋人達だけのものではなく、夫婦、親子、友達同士、大切な人達の為に優しい一日を過ごそうという、なかなか良い日。私も友人達にグリーティングカードを送ったり、彼等からもカードが届いたりと楽しく過ごした。お昼からは友人とランチ、ディナーを。実は今夜の私はかなりワインが入っている。友人の一人がカリフォルニアから東京に出張で来ており、お土産に美味しいSonomaのワインを持って来てくれたのだ。ここ二週間でワインを飲まなかったのは、私の記憶では二日だけ。明日はさすがにお茶だけにしよう…と一応決めておこう。さて、下の写真は今日の午後。知人から頂いたケーキで、両方ともカボチャが使われている。P?tisserie Potagerのケーキはお野菜で作られた優しいお味。アメリカでは、愛しい人を"pumpkin"と呼ぶ。今日のこの日にぴったりだ。誰も私をそう呼んではくれなかったけど。このケーキをシェアして食べながら、壮大なる私の旅行&移転計画について大いに盛り上がった。ただ、「相変わらずケイトは夢ばかり見ている」とは言われた。そもそもMission 1は本当に私の夢を追う為のものだし。Mission 2に関しては、友人達は私をばかにして笑っていた。「リスボンの駅にチョークボードがなかったらどうするの?」「せっかくメッセージを書いても、彼が見る前に消されてしまったらどうするの?」「あなたのメッセージにいたずら書きされちゃうかも知れないよ」「私ならするね、いたずら書き」← こんな失礼な友達もいる。とにかく土地勘がゼロなので、行ってみないと分からない。直前の作戦変更も有り得るのだから、次なる計画を練っておかねばならない。もうこうなると、相手がどうこうというよりも、ただの一人遊びである。でもいいわ、それでも。こんなに楽しいのだから。 coffee cupsは古いMinton。昔からのお気に入り。 So So Romantic.
October 15, 2011
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旅をする目的も、その楽しみ方も人それぞれ。私も旅をすることが多いが、初めての土地へ行く時は、慌ただしく名所巡りなどするよりもまずゆっくりその町で過ごすことにしている。その場所に漂う空気や空の青さ、人々の笑顔、自然に感じられるものをまず体に取り入れてから歴史や文化を辿りたいのだ。勿論、旅行前のリサーチは入念にし、旅先で困ることのないように心掛けている。語学に関しては、私がまともに話せるのは英語と日本語だけだが読み書きに関しては数ヶ国語がOKなので、まぁ何とかなるだろう。ただ、今回訪れるポルトガルに関しては、ニューヨークにいればポルトガル語やポルトガル料理なら触れる機会が多いにもかかわらず、これまであまり馴染みがなかった、私のあの夢を除いては。この国との間にどんな関係を築けるか楽しみ。ポルトガル語は、意味は分からないけれど聞いていてうっとりとする。英語は通じるだろうけど、もう少し話せるようになってから行くべきかしら。そんなことより、Portugal: Mission 2私は今回の旅行で、知人男性に、ある小さないたずらをしようと目下策を練っている。いたずらとは言っても勿論彼を怒らせるものではない。もしも間に合えば、彼へのバースデイ・メッセージを、間に合わなければクリスマス・メッセージを、町のどこかに書いて、そのままひっそりと日本に帰って来るのだ。その後何らかのかたちで彼がそれを知るように仕向け、「ええ?なんだ、ケイトはポルトガルに来てたのか!」と驚かせたいのである。これ、大したイベントではないとお思いでしょうけれど、考えてみて、いるはずのない友達がいつの間にかに近くにいて、内緒であなたへのメッセージを残していったらびっくりするでしょう?おしゃれないたずらでしょう?私はこれを何とか実行したいのだ。 Hehe--- ケイトは行きますわよ、いたずらしに。 以前彼に、「そのうちにポルトガルへ行くつもりよ」と話したことがあったのだが、おそらく今では彼もその言葉を忘れているだろう。正直に言うと、彼へのお誕生日プレゼントも用意してあるのだが、渡すタイミングを想像できない。彼はとても忙しい人だし、実は私は彼を怒らせている。だったら素直に謝るべきなのだが、ひねくれ者のケイトが選んだのは、これ。「わざわざあなたのお誕生日をお祝いしにポルトガルへ来ちゃったわ」と軽く駅のチョークボードかどこかに書いて、もしそれを彼が読んでくれたら笑って許してくれるかも?と都合良く考えていたりする。愚かな。私がポルトガルへ移ろうと思っているなど、彼はまったく知らない。話せば相当に驚くだろうが、全部いっぺんに話してはつまらないので、今は素振りすら見せないように注意を払う。そして、実際にリスボンで暮らし始めたある日、町のどこかでばったり出会ったりしたら、あるいは突然、私がtwitpicかどこかに「新しい私の町」とか言ってフェルナンド・ペソアの像を載せたりしたらどうだろう?これもかなり面白いイベントになるのではなかろうか。これもまだ夢見心地で企てていることだが、わくわくする。大学時代、学生寮でいたずらブームがあった。どれもおなかを抱えて笑ったり、クスッと小さく笑ったりできるものばかりでとても楽しかった。毎日必ずどこかで何かが起きていて、非日常満載の日常だった。旅にも人生にも、そういうハプニングがなくちゃ。そしてそれが起こるのをただ待つのではなく、自分で作ってみる。これ必ず「ささやかな幸せ」を生む材料になる。このミッションが成功したら、たとえできなくても、「大人にしかできないいたずら」というチャプターを組み入れて、一冊書いてみようか。よし、これからまた作戦を立てようっと。 Friday nightで美味しいワインがあって恋しい人を思うなら、この歌。
October 14, 2011
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DJK of the Day: ? made-in-Portugal souvenir list ? coffee @ my fav cafe in Tokyo今日、午後から帰って来た。今回の旅の収穫は、美しい景色、ひんやりとした空気、秋の気配、新鮮なお野菜や果物。これだけで十分と私は言うべきなのだろうけれど、あの町にいるうちに新しい住処を見つけられたらという期待を持って出かけただけに、結果気に入った物件に出会えず多少の不完全燃焼を感じ、今、その後悔をワインで流し込んでいるところ。いっそ明日にでもポルトガルへ飛んでしまおうかと、ふと思ったりする。無理だと分かっているから余計に駆り立てられる。新しい町はおいおい見つけるとして、部屋に戻ると、私が出かける前に散らかしていったヨーロッパの地図やガイドブック、写真集などがダイニングテーブルにドカッと置いてあり、それらを持ってベッドの上に広げて、私は改めて旅行の計画を始めた。旅は、場合によってはプランを立てている時が一番楽しかったりする。勿論、今回は二番目であって欲しいけど。二週間も高原にいた為少しの間は仕事をしなければならないが、準備が整い次第、第一回目のポルトガル旅行へ出発したいと思っている。あー楽しみ。何度夢見たことか。ただ楽しみで行くだけでなく、私にはいくつかポルトガルへ行く理由がある。Mission 1: 子供の頃から周期的に見る夢の謎を解く。夢の全貌。この夢を見るのは、おそらくまだ私が幼稚園にいた頃からだ。場所はNYで、Macy'sのあるHerald Squareだと思っていた。私は大きなビルディングのロビー、天井の高い、金色のエレベーターに乗っている。壁三方とドアもガラスでできている。そこから、目の前に大きな時計台が見えるが、時計が地上にある。落ちているような気もする。やがて、エレベーターは上へ上へと進み、屋上に辿り着くと、ドアが開く。空は青々とし、太陽が輝いている。大きくてきれいなプールがあって、プールの前に白いパネルが立っており、そこに"PORTUGAL"と書いてあるのだ。 軽井沢でもHalloweenの準備? 当時、私はまだポルトガルという国を知らなかったし、「ポルトガル」という言葉自体にも聞き覚えがなかったはずだ。ずっと不思議で、両親にもよく尋ねたのだが、彼等からも謎解きのヒントひとつもらえなかった。ポルトガルは、私の心の中にいつもずっとあった言葉なのだ。「秘数学」という占いを専門にしている占い師にこの話をしたことがあるが、彼女は、ポルトガルと私の間には、私が生まれるずっと前からの、私は実はあまりこういうものを信用しないのだが一応彼女の言葉のまま説明すると、「前世やその前の世界から、ポルトガルとあなたには運命づけられた絆がある」もしもこの謎が解けたら、どんなに素敵だろう。不思議なことに、悪い予感は何一つない。占い師もそうした「悪い影」はないと言う。もしかして、私は昔ポルトガル人だった?フランシスコ・ザビエルの弟子だった?ヴァスコ・ダ・ガマの乗った船に私も同乗していた?つたない世界史の知識からあれこれ考えてみるだけでも相当に楽しいのだから、これは一度確かめに行かなければ。これが、私がポルトガルへ行く理由の一つである。面白いでしょう?まさか、あの国にHerald Squareがあるはずもないけれど、似たような場所を見つけたりしたらどんなに驚くことだろう。ひとりでできるだけ多くのスポットを歩いてみて、何か掴んで帰りたいと思う。Mission 2は、また次回。
October 13, 2011
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↑DJKs of the Day: 1.call travel agent 4 Pt. 2.work 3.work 4.online TV midnight 5.wine 6.Zzzz...昨日の答えです。この日は、Mariaと私、カウアイ島での女子大生二人旅第2日。朝食前にプールで泳ぎ、ホテルのレストラントで美味しいフルーツをもりもり食べて旅に出た。車の運転をMariaが、私は横で地図を見ながら慣れないルートを誘導することになっていた。前日の夕方この島に降り立ちホテルへ直行した私達は翌日になって苦笑い。ここは、私達の住むホノルルと比べて格段に「何もない」のだった。繁華街と言われる通りを過ぎると、1.道路に車が、ない。走っているのは私達だけ。2.信号がない。3.道の両脇は赤土。その赤さにびっくり。そして突然、ここに出くわす。Lihueという町のひっそりとした山の中に、少し肌寒さすら感じさせる神秘的な池、Alekoko Menehune Fishpond - アレココ メネフネ養魚池(in English)。 DJK 自慢の1枚 Alekoko Menehune Fishpond Kaua'i, Hawai'i 西暦500年頃、この地に住みついたメネフネという名の小人族。彼等は昼間ひっそりと森の中で寝ており、深夜になると人目を避けて働き始める。持ち前の巧みな技を使って村に様々な施設をつくり、王の命を受けたこの養魚池も一晩で造り上げたという。ただ、気まぐれな彼等は途中でこの池の一部を途中で放り出し、あとから作業し直したという話と共に、その形跡が見て取れる場所も残っているのだという話だが、私達はそれを発見することは残念ながらできなかった。この写真を最初に撮ろうとした時、実はあまり感じるものがなかった。「こんなものか」彼女とそう言いそのまま立ち去ろうとした時、突然スコールが来て私達はずぶ濡れになったが、何故だか足が動かずにその場に立ち尽くした。そして、数分後に雨が止み、雲間から陽光が降り注ぐと、それまでぼんやりとして見えたこの池がくっきりと浮き上がり水面が輝き始めた。「きれいだね・・・」小娘二人にはこれしか言えなかったが、あの時の感激は今も忘れない。一見何の変哲もない池。けれどやはりこれは伝説の池。そしてその伝説の池には、確かに人には理解しきれない趣と文明人など決して踏み入れさせない神聖とも言える領域が感じられるのだった。この旅は大学時代の友人、マリアと私の二人旅で他にも面白いエピソードがいくつかある。それらのお話は、また改めて。そろそろ仕事もしっかりしなければならないし、旅行の計画も立てなければならない。今日、母からメイルで、「お荷物が届いたわよ。」この荷物、私がポルトガル旅行に着て行こうと思って注文した、ちょっとsaudadeな洋服だ。高原を離れたくはないけれど、週末には帰ろうか。明日はまた違うことを言っているかも知れないけれど。何しろメネフネに負けないくらい私は気まぐれ。 simply love it...
October 11, 2011
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↑DJKは高原のホテルにて執筆中。「仕事は時に夢見を悪くする。欧州生活は私にとって本当に幸せなのか?」ふと弱気になる。高原にやって来て10日、非日常を味わってリフレッシュはできたものの、さすがに仕事もしなければ。昨日と今日は完全にホテルに缶詰めでいささか疲れ気味、目もしょぼしょぼ。でも温泉のおかげでごはんがとても美味しいという愚かなほどに嬉しい矛盾。温泉地で暮らす人は温泉のない町の人達よりも元気なのではないかと思う。「温泉のある町に住みたい!」魔法のお湯の虜となった私は今、欲望の塊である。今夜、ホテルから遠く離れたコンビニへ行く途中、森の仲間達と出会った。まずは、信号待ちをしている時。気配を感じて左を見ると、車の窓に鼻先がくっつくほどの距離で一等の鹿が私を見ていた。目が合うとお互いにビクッ!けれど彼女(鹿はおそらく女の子だ)は逃げもせず、そのまま立っている。私ももう10日もひとりでここにいるし、彼女に対して人恋しさを感じ思わず「寒いわね」などと声を掛けてみた。信号が変わり彼女に手を振って先へ進むと、山道でキツネに出会った。彼(キツネはおそらく男の子だ)は臆病で、道路を素早く横切ると、ガードレールの向こうから私が通り過ぎるのをじっと見ていた。こんな風に動物達が普通に生きているこの環境を、私は改めて好きになった。本当に、私のNYの町にいるようだ。やっぱり引越して来ちゃおうかな。いよいよ私は本気だ。もう少しおしゃべりしたいところだけれど今夜はまだ仕事をするので、お話の代わりに、インスピレーションの種に持ち込んだ私の古いアルバムから、ある年の今日私が撮影した風景をご紹介。幻想的でしょう?ここには小さな小さな伝説もある。Q. さて、ここはどこでしょう?答えは明日。
October 9, 2011
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↑Ms. Fearless Heart believing home will always be there for her when nothing's found in Pt.母の旧友夫妻がこの近くに住んでいて、一昨日・昨日と彼等の山荘で過ごしていた。私がこの辺りで暮らしてみたいと言うと、日中不動産屋さんへ連れて行ってくださり、残念ながら今回は好みの物件には出会えなかったが、まるでNY郊外の家を思わせる環境に心が華やいだ。そのほかは、夜も昼もなくワインを勧められてさすがに二日酔い、三日酔い、なんて言葉があるならそんな気分で、私は今、ひとりホテルルームにいるのだが、さすがのwine loverもどこを見渡せどワインボトルのない静寂と、家から持ってきたハト麦茶が嬉しくてたまらないのだった。ちなみにこのお茶、ハト麦だけでなくどくだみとか柿の葉とか?母の、別の友人が調合してくれたお茶のパックで、これを飲んでいると体の調子が良いみたい。私はお茶も大好きなのである。私がお泊まりさせて頂いたお宅のご夫妻は旅行好きで、既に高齢ではあるが世界各国を巡っており旅のお話がとても楽しかったのだが、ご主人がひとつ面白いことを仰った。海外で暮らす人たち - 私もその一人らしいが - の心臓には特別引力の強いコンパスがついていて、それが一旦ある場所へ向かって触れたら意志(頭)がどう指令しようが何か使命感すら持ってそこへ赴かずにはいられないという気迫を彼等は持っているのだと。私の母なら、きっとそれを「気迫」ではなく「狂気」とさえ呼ぶのだろうが、私の欧州行きも、つまりは私の心臓にもコンパスがついているから仕方がないのだと慰めてくれたのだった。ただ、私のコンパスは気迫や狂気だけで動くのではないと思っている。私は、ポルトガルへ行こうと思っている。理由は様々あるが、一番大きく私を動かすのは、私がまだ幼い頃、ポルトガルなんて国を知らないうちから「ポルトガル」という言葉を知っていて、周期的に見る夢の中で最後に辿り着く場所というのが出てくるのだが、そこが「ポルトガル」なのだった。それを長い間漠然と「何故だろう」と思ってきたが、たった一度の人生の中に魅力的なミステリーがあるのなら、それを解き明かす時間を作っても良いのではないかと思い立ったのだった。ポルトガルに行ったところで私の求めていた答えなどないかも知れない。何もなく、ただ「あら、素敵な国じゃないの」だけで終わるのかも知れない。子供の頃から覚えのあるその国の名は、どこかで両親が話しているのを聞いていたとか、近所にポルトガル人が住んでいたとか、そんな簡単な理由だったのかも知れなくて、実はこれと言った理由など存在しないのかも知れないが、それならそれでも良い気がする。また、もしかしたら、「これだ!」という理由を見つけてしまうかも知れない。そういう夢を追う愚かしさを「昔のことよ」と笑って済ませられるほど私の精神は成熟していないのだろう。確かに、そんなちっぽけな夢を真剣に突き止めようなんて、子供染みているのだろうし。もっとも、いくら私がこの世の中で浮遊して生きていても現実から全く目を背けることはできないし、どこかで何か起きて、あるいは諦めざるを得ない理由に出会ってしまう可能性もあるわけだし、焦らず暴走せず、コンパスの針をよく見ながら楽しく計画を立てていこう。そうそう、彼等のお宅でいただいたワインの中で、国産の、COCO FARM & WINERYのスパークリングがとても美味しかった。国産というとウィスキーの方が美味しい?と勝手に思っていたが、勉強不足が露呈して、楽しい課題がひとつできた。でもここ二、三日は要らないけど。 秋空に映える浅間山。さすがだわ、てっぺんが焦げてる。
October 8, 2011
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↑ DJK of the Day: 物件探しに夢中。1)高原の家 2)リスボン辺りのアパートメント東京から比べれば、まるで晩秋のような肌寒さに私はやられた。どうも今日は熱っぽい。でもやっぱり朝から青空の下、露天風呂に浸かり、朝っぱらからご飯をたらふく食べて機嫌はすこぶる良いなどと、極めて単純且つ幸福なここでの時間。止められないぞこれは。困った。軽井沢は、年に4,5回訪れる。理由のひとつは、ここのメンチ。冷たくても美味しい。今回も既に2度食べているが、今日は寒気がしてさすがに気持ちが傾かず、そそくさとホテルに戻る。どうしてもこの辺りで暮らしてみたい気持ちになっていて、思わず家探しなどしてみている。ヨーロッパへは一日も早く行きたいけれど、その前に高原暮らしもしてみたくなってきた・・・。 メンチの写真を撮ってもな、と思ってお店の看板に決めた。見て、この空! Tonight's Japanesque - 軽井沢の愛らしい秋。この柔らかさが日本。 「あ~いい気持ち~♪」って感じ。
October 6, 2011
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↑DJK: "Onde ele est? agora? Eu quero chorar... guess I'm gettin' better at this language. "昨日は深夜1時過ぎからオンラインTVを観て、その後午前5時まで映画を観て、寝ずに朝を迎えた。空も私の頭もどんよりとしていい感じ。雨の高原は雲が低く垂れ込めて穏やかに横たわるも、人が踏み込むのを拒むように感じられる。楽しい旅行の計画をひと休み、静かに過ごす。朝食後きっちり6時間原稿を書いたら、温泉。ランチはフレンチ。私は普段夕方6時以降食事をしない。午後、時間を忘れて読書に耽ってしまったので夕食はパス。代わりにシングルモルトを少し。せっかくだから、日本らしさを強調して Suntory Hibiki 17yrs old を常温の水割りで。夜7時前後、20分くらいの間に3回の揺れを感じた。ここでの地震は頭になかったので驚いた。夏の終わり、友人達に"Hurrikate"と呼ばれたのを思い出す。 今夜のJapanesqueは、アケビア・フルーツ。日本の秋の果物には風情がある。 もう少し季節がすすんで、枯葉が落ちる頃の柿の木も楽しみ。
October 5, 2011
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↑日本全国の温泉を制覇したいDJK...カレンダーをめくって家を出てから三日。私は高原での休暇にすっかり夢中、温泉にも夢中。朝は5時半に起きて森の中をお散歩。ホテルに戻ったらお風呂に浸かって、朝ごはん。日中はドライブをしたりカフェで読書をしたり、部屋で原稿書きもしている。そして、残りの時間は全て、西欧での新しい生活を夢見ている。初めての国での一人暮らしは心も躍るけれど、不安も小さくはない。だからこそ、心に勇気という弾力性があるうちに、後に悔いを残してその時の私が今の私を責めないように一度は手に入れたいものなのだ。とは言えまだ青写真、憧れの域を超えず。そうした私の夢を温めてくれる露天風呂の素晴らしさ。特に、午後11時半頃の静かな温泉はたまらない。広くて温かいお風呂も星空も、近くで聞こえる虫の声も全部私のものだと思える贅沢。一瞬、ヨーロッパにも行かずニューヨークへも帰らず、ずっとここに居ようか、そんな気持ちになってしまう。日本で最後に住む場所は、高原の町にしようか、そうは半ば本気で考えている。 "Japanesque"は、私の見た素敵な日本のone scene. 今夜は・・・。 最初の夜は、「日本三大名湯」のひとつ、ここ。翌朝、お肌がツルツル。Yay! What am I waiting for?
October 4, 2011
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DJK supports Breast Cancer Awareness Month 10月は予想外の展開で始まった。昨日引越しが済んで、友人達の計画してくれているパーティを延期して温泉地に来たのは、長年暮らした東京の家に大切な思い出を残して出て来たような、そんな切なさをなるべく感じないようにする為であったのだが、その前に母の仕事場へ行くと父がニューヨークから帰っていた。「久し振りにパパが腕を振るおう」と迷惑なことを言い出す父を制し、青山へ出た。父は料理が大好きでよく私達にごちそうしてくれるが、美味しかった試しがない。自他共に認める美食家でありながら何故自分で作るとあんなことになってしまうのか、今もって一家の七不思議である。 本当に引越しちゃった。 三人ではとても食べ切れない量のお料理を、今回はワイン無しで楽しみながら、話は私の今後に終始した。彼等の結論は、「ケイトはヨーロッパへ行きなさい」であった。私はてっきり「ニューヨークへ帰りなさい」と言われるものと思い込んでいたので意外だった、と言うより拍子抜けした。新しいことをするには少なからず勇気が必要で、その勇気は年齢とともにしぼんでいくものだから、行くならなるべく早いうちにしろというアドバイスだった。会話は食事中の3時間続き、カフェで美味しいコーヒーを飲んで銀座で別れた。彼等はそのまま箱根へ遊びに行き、私は北へ向かった。爽やかな秋風のような親子の再会だった。というわけで、短い休暇ではあるけれど、美味しいお食事を頂き、思う存分夜空を見上げて温泉に浸かり、私は今、旅行としての欧州行きを超えて、「移住」を視野に入れたシミュレーションをし始めたところである。取り敢えず、年内に一度行くつもりだが、さて、どう事を運べば良いか、現実味を帯びてくるとかえって戸惑う。実際、どのくらいの時間を要することになるのだろう。仕事との兼ね合いもあるしなぁ・・・。まずは、お風呂に入ってのんびり考えるとするか。 New York, you're my home. 母は別れ際「でも最後はニューヨークへ帰ってね」と笑った。自分は日本にいるつもりなのに。「住めば都」と言うし私は順応性には自信がある。また後々の状況にもよるだろうが、ニューヨークは私にとって故郷で、何より "I ? NY"、これは一生変わらない。母には無言で肯いた。でも「どうしてヨーロッパなの?」という父の問いに答えるのは忘れてしまった。 DJK、 この週末軽井沢に出没中。 She's Jo?o Gilberto's daughter, and a New Yorker.
October 1, 2011
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DJK: Vinto tinto, por favor. Te amo. Ele n?o me ama. Eu sinto saudades. WTH, I'm just a 101.昨日の空は・・・ Los Angeles! ・・・違います。 見えるけど。 夜が明けたら、こう。あら、日本? 「月の砂漠」 歌も大好き。 Princess: "Honey, where are we heading?" Prince: "To the moon." ...Awwww "Costa de la Luna Onjuku" とウェブサイトに書いてある。Cool! というわけで、答えは千葉県夷隅郡御宿町です。 母のサマーハウスがある御宿には、毎年秋風が吹く頃に家族で訪れる。旬の時季にアジやイワシを食べに来るのも好き。特にあじフライがとても好き。夏の終わりから秋にかけては観光客もなく、早朝や夕方のお散歩がとても良い気持ちなのだ。大きなアトラクションのあるようなテーマパークもなく、時間が静かに流れる。潮の香りと波の音はあじフライに負けないくらいの贅沢だ。 貴重な千葉県のHistoric Site. Japan, Spain, Mexico 三国友好の証。 外国語の説明もあるけれど、画像を縮小したら読みにくくなっちゃった。 同じ海でも、日本は独特。この日本らしさが好き。 "Take my hand. I wanna walk with you." とか言ってみる。ここは、大東崎灯台にある、「恋人岬」。恋人岬というと西伊豆が有名だが、ここにも同じ名称が付けられている。私はこれまでに訪れた約50回のうち恋人達を見かけたことが殆どないのだけれど、それってとてももったいないと思うのだ。大切な誰かと愛を語り合うなら、是非こちらへ。ちなみに私は誰もいないのを良いことに、ここから海の彼方へ向かって"I LOVE YOUUUU!!" と叫んだ。 「房総半島の東端で愛をさけぶ」 Kさんぽ、でした。 秋の海には甘くて切ない懐メロがいい。人気のない海岸で。 Because I Love You ♪
September 29, 2011
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DJK of the Day: "Estou cansada. Eu quero ir para o spa." ← 合ってるのかな~引越しまでのカウントダウンが始まったが、今日は仕事も忙しくて私は今夜ガス欠。もう引っ越しも仕事も投げ出して明日あたり飛行機に乗っていたい気分。そういえば、私はもう1年以上も前からこう思っている。午後10時を過ぎるとGlenlivetとチョコレートをセットしてガイドブックを開く怠惰なDJK。というわけで、今夜はkate's cam night. シルエットがなかなか良いでしょう?ヤシの木は真っ青な空の下がよく似合うけれど、夕暮れ時もなかなか素敵だ。ちょっとEaglesが聞こえてきそう。さてみなさん、ここはどこでしょう?答えは、明日の夜。 好きな歌だけど、この画像はどうなの?
September 28, 2011
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DJK's learning: Onde est? o meu hotel? Eu estou aqui. Ele ? bom. Eu n?o falam Portugu?s.周辺はにわかに騒がしくなる。長く暮らしていてもクマに対するここまでの注意は初めてだった。不安は徐々に過剰なデマを飛散させ、地域住民、特に子供たちにクマ恐怖症が蔓延した。「歌を歌いながら歩いてはいけない」「目を合わせると襲ってくるので肌と同じ色のサングラスをかける」「黒や茶色のバルーンをたくさん持って歩くとクマより大きく見える為、クマが逃げる」「甘い香りでクマが寄ってくるので朝食にパンケーキやドーナツを食べない」「Hey!と言うと襲ってくるので、Hello,と優しく声を掛けると襲われない」「"What A Friend We Have in Jesus" を歌うとクマは寝てしまうようだ」こんな、有り得ないことを本気で思いこんでいる子供もいた。ある土曜日、ゴルフに行く途中のパークウェイでこんな車を見かけた。 BEAR SECURITY クマ専用の駆除業者など見るのは初めてだ。その日、私達はゴルフへ行くのを止めた。最初は身近でなかったクマ出没だが、この車を見る機会が増えるにつれ、心なしか外に出ている間、またテラスから外を眺めながら、動物園以外では見たこともないクマを探すようになっていた。近くの学校では屋外での体育も中止となり、子供達の学校生活を中心に、町から日常風景が消えたようになった。「クマは暗い場所が好きだから、パーキングは気を付けた方がいいよ」と友人に言われ、自宅の地下駐車場に入るのさえ躊躇ってしまう。こうして、張りつめた空気のまま1カ月が過ぎ、ある日の午後、犯罪など、スピード違反しかないような静かな町に警察のサイレンが鳴り響いたが、私はそれがクマの捕獲だとは露ほども思っていなかった。クマは我が家から歩いて3分ほどの場所にある、大通りに面した書店裏の森から出て来て、麻酔銃で捕獲された。全長2メートルの大きなクマだったとその夜のローカルニュースで知った。クマが本当に近くにいたことと、もしかしたら私達が、あるいは友人知人が出くわしていたかも知れないと思ったら、捕まった後で初めて恐ろしくなったのだった。翌朝の新聞に捉えられたクマの写真が載っていた。「森のくまさん」という可愛い歌があるが、「あら、くまさん」なんて笑えるような顔つきでは到底なく、また大きな手を見て絶句した。これ以降クマ騒動はないが、私はブームに取り残されたように未だクマ恐怖症が取れないでいる。 「森のくまさん」の代わり…でもないか。
September 27, 2011
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四日前の台風でブロードバンドが落ちた為に、私のおりこうなPCは勝手に操作設定を変えて日本語の専門用語を読めない私をさんざん困らせ、午後ようやく通常状態に戻った。アメリカ東海岸では昨日一昨日午前5時4分に秋の到来を発表した。日本ではあまり聞いたことがないが、春と秋は毎年こうして宣言されて新しい季節を迎える。心が躍る。その前日、私は友人達とのチャットと引っ越しの準備、旅行の計画で夜を明かしたが、ようやく空が白んできた朝4時頃にリビングルームの窓を開けると、スーッと心地良い冷気が入って全身の肌が引き締まる。裸足でテラスに出たらキンと冷たい。しばらく忘れていた感覚。「秋が来たんだな」と思えることはけっこうな贅沢だと思った。日本は運良く三連休だし、素敵な秋のスタートに、一昨日だけは引っ越しの準備など慌ただしい時間の送り方はせず、秋らしくのんびりと読書やお茶を楽しもうと決めていたのに。お昼過ぎ、海外赴任で東京に来ている友人からキャリオキ→Kyarioki→Karaokeに誘われ、夕方から翌朝5時まで、日本の歌を歌えないオール・アメリカン総勢8人によるカラオケ大会となった。私達のカラオケは少し異質なのだと思う。誰かが歌っていてもそれを聴いている殊勝な人物はまずおらず殆どがおしゃべりに興じ、間違って日本語の歌など入れてしまうと9割がハミングあるいは笑いでごまかし、みんなが歌いたい洋楽は奪い合いでサイアク二度も三度も同じ歌を聴くはめになる。カラオケ慣れしている日本では到底有り得ない「無駄遣い」な、でも私達にとっては「お約束」なカラオケの夜だった。前日も徹夜の私を除いては長時間のカラオケにも少しの疲労を見せない彼等とレストラントで朝食を摂り、最初は今年のクリスマスをどう過ごすかと話し、最後にはみんなが私に引っ越すなと言ってくれて、遊び過ぎと涙で化粧の落ちた顔のまま朝9時頃別れた。家に帰ってPCを開きメイルチェックをしていると、ドレイクから1通メイルが入っており、「話があるからなるべく早く電話して」と書いてあるので何事かと思い、眠い目をこすりながら彼の自宅に電話をした。ドレイクは不在で、私も眠たいし、留守番電話にメッセージを残してベッドに入ると午後2時、彼の電話で起こされた。一大事かと心配したと言ったけれども「そんなんじゃないよ」と笑うし、それなら釣りの話でも聞かされるのかと思えばいっこうに釣りの話も出てこない。なので私の方で、今度の引越しとヨーロッパ旅行の話をすると、「ヨーロッパへは行くな」と言うのだ。それから彼は、もっとおかしなことも言い出した。私には対処しきれないようなおかしなことを。眠れない夜は続く。景気付けに?何か面白い話でも探そう。・・・クマ。クマの話なんてどうだろう?
September 24, 2011
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↑DJK: "24 hours without internet... Cozy, sleepy, something's missing."今回の台風は大きいぞ、という報道に昨日私は早くから母の仕事場にいたのだが、それが失敗だった。雨風が強くなり始めた頃、このビルディングごとブロードバンドが故障し、インターネットを24時間使うことができなかった。仕事もブログもできず手持無沙汰。文明人は頼りない。それにしても昨日の台風は、私が日本に来て以来一番大きなものだと思う。この部屋は11階だが、雨風が強くなり始めてから4時間くらいの間ずっとゆらゆらと小さく揺れていた。仕事で二日徹夜をしたら、「ケイトのブラッドはピンク病」(=単なる貧血)を発症し、再びぼんやりモード。昨夜から今日にかけてはゆっくり休み静かに一日を過ごした。差し迫った原稿もなく、たまっている雑誌に目を通したり、母の為にクッキーを焼いたり、昨日、注文していた数冊の旅行ガイドが届いたので胸を弾ませながらそれらを読んだり、手帳に旅行プランを書き込んだりした。 Homemade Pineapple & Macadamia Nut Cookies 私ってホントは天才パティシェなのだ~ 日本の旅行ガイドは世界一だ。きれいな写真における情報量が素晴らしい。アメリカで旅行ガイドを買うとその殆どが文字ばかり。「読んで想像しろ」と言われているような気分。こうなるともう、旅行も研究だ。一方、日本のガイドブックは臨場感抜群、瞬時に旅気分を味わえる。そしてまた、この本が私を触発するのは旅の夢のみならず、食欲、購買意欲も然り。美味しそうなシーフードやスウィーツ、そして色鮮やかな伝統工芸品。写真の全てが私を危険ゾーンへと誘う。私"Material Girl"なDNAがとても活発になってきちゃったのである。Shopping!いや、グッとガマンだ、目的を見失うな、ケイト。そう。私は今回あまりお買い物をしないだろう。この旅は単なる観光旅行ではなく、近い将来私が暮らす町の下見なのだ。欲しいものがあるなら、引っ越してからにすればいい。まだこの町に決めたということではないのだが、実はその町と私には、私の少女時代からの深い関わりがある。その意味を知る為にも一度訪れなければならない場所なのだ。大袈裟だが、「人生の謎解き」を秘めた旅行。あ、ちなみに私は海外旅行でブランド品を買わない。大きな荷物になるし、そういうお買い物は、TokyoかNew Yorkで。素敵なガイドブックをとっかえひっかえ見ていたら、その町でフレッシュなフルーツを市場で買う私の姿が目に浮かんだ。やはり既に、半分くらいは暮らしに行くつもりになっている。私の妄想をここまで見事に膨らませてくれるこの本。スゴイ。あ、そうでした、忘れるところだった。一昨日の奇妙なスクラップの正体は?あの写真は、ニューメキシコ州ロズウェルのインターナショナルUFO博物館にて撮ったもので、私のような凡人が見ると単なるアルミニウム片なのだが、どうも「UFOのかけら」なのだそうだ。1947年のロズウェル事件に関する資料等を展示した博物館の展示品の一つ。信じます?信じてみます?…というわけで、答えは二つ。ひとつは、インターナショナルUFO博物館とUFOフリーク、じゃなかった研究者達に敬意を払って「UFOのかけら」。そしてふたつめの答えは「分からないもの」。もしもこの地球上にあのかけらを作った人がいるなら一度尋ねてみたい。「UFOに見せる為のご苦労は?」 Boa noite.
September 22, 2011
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DJK: "1:45am. I should go to bed by now but... yawn" 今日は仕事に忙殺され、深夜になってから引っ越しの荷造り。 詳しい旅行の計画を立てなければならないのに、仕事どころではない!? 気ままなドライブの旅か、旅チャンネルではないけれど、「ちょっと贅沢欧州列車旅行」か。 日本だったら、電車の旅行が好きなのですが・・・。 今夜もkatecamです。 これ、何だかお分かりになりますか? 答えは、明日。明日…台風が直撃しそうですね。 お気を付けて。おやすみなさい。
September 20, 2011
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* DJK of the Day: "Oh, great. My passport....."今週の休みを「シルバーウィーク」と言い、今日の祝日は「敬老の日」であることを、お恥ずかしいことに今さっき知った。私の両親には孫がいるが(私の弟の子供達)、姪っ子、甥っ子は何故だか両親を「ケイトママ」「ケイトパパ」と呼び、彼等の意向で敬老の日は事実上存在しない。また、カレンダー通りに働いていない私は只今急ぎの仕事にノックアウト寸前。徹夜もあって疲れているが、そんな時、よくハワイに帰りたくなる。完全に現実逃避である。波と風の音意外に何も聞こえない静かな裏オアフのパークへミネラルウォーターのボトルを1本持って行き、友達が一緒にいればのんびりとおしゃべりを楽しみ、ひとりでいれば海にぽっかりと浮かんでいるChinaman's Hatなど眺める時間が大好きだ。あの島は、干潮の時間帯には歩いて行くことができるらしいが、町のギャラリーやモールでよく見かけるあの絵(下の絵)を想像すると入っていはいけない領域に踏み込むようで躊躇われ、ハワイとの付き合いも長くなったが、チャレンジすることはないのだろうと思う。そっとしておきたいものというのも、時にはあるものだ。さて、良い気分になったところで、仕事仕事。 つい時々ご紹介してしまう my favorite spot "Chinaman's Hat" (Keali'i ReichelのHawaiian songと一緒に眺めてみると、ちょっと良い :) おじゃまになってはいけないけど、ちょっと寂し気・・・。 makes me smile all the time...
September 19, 2011
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