これはアメリカのスリップウェアです。イギリスのものとは技術も材料も違うのでやはりその結果としてのやきものの調子も違うわけですがやはりどちらもうつくしい。自分とやきものを決定的に結んだもののひとつは学生時分に見たスリップウェアで、スリップウェアに対する想いは親しくまたはるか高く、日々情愛を感じて過ごしています。 美術館のケースの中で見たスリップウェアも普段は東京駒場の日本民藝館や栃木の益子参考館に所蔵されている品々の写真を眺めては想いを込めて想像していたのですが、ある日1枚のスリップウェアが東京のとある道具屋さんの雑誌広告に出ていたのを見付けてしまいました。外国の古いやきものが実際に販売されているとは当時の自分にはずいぶん思い掛けないことで驚いたのですが、心を躍らせて取り急ぎすぐに問い合わせの電話を入れたのです。告げられた値段はその頃していたアルバイトの時給の1000時間近くの価格で、心底欲しく想いながらもなんともならなかった悔しさは今もありありと思い出されます。 ところがこの大鉢のことをぼくから聞いた当時の友人が思い切って買い求めました。苦学生の彼がこれを求めたことはどんなに大変だったろうと想像は付きます。思い出してもほんとうに立派なことだと感服するしかありません。受取りに行った東京からの帰りに彼がそのままぼくの家にきて二人で感激して遅くまでいつまでもその鉢を手に語りあったことは20年ほどもたった今でも忘れられません。それは大変立派なイギリスのスリップウェア角鉢でした。 機を逃すというのはほんとうにいけないことで、それから今に至るまで未だ結ばれないのがイギリスのスリップウェアとのご縁ですが、数年前に京都で催された「スリップウェアと流掛釉展」で分けて頂いたアメリカのスリップウェアが今日の写真のものです。これを日々眺めながら仕事が出来るということはなんともありがたく幸せなことだと想っています。アメリカのスリップウェアについてはまたあらためて書きたいと思っていますが、オランダからあるいはイギリスから新大陸にひとが渡った時にやはりやきものをはじめとする暮らしの道具が伝わり彼の地で作られるようになったのがアメリカのスリップウェアなのです。ヨーロッパからアメリカに沢山のひとが渡った開拓時代がちょうどスリップウェアの時代と重なっているのです。ひとが来るということはその暮らしと共に暮らしの道具も伝わるということなのです。渡航の経緯は同じとは言えませんが、新羅のやきものが日本で須恵器に、会寧が唐津に、朝鮮の甕器が黒薩摩や能野になったのと同じようなことではないでしょうか。 ともかく、この展覧会を企画された杉本さんは普段は京都寺町二条の角にある大吉というお店でご家族と共に伊万里や、欧米や日本の民窯物などを扱うお店をなさりながら、年に何度か見ごたえのあるものを集めてよい展覧会を企画されましたが、今月末から今度は東京で「american folk art - 米国工芸展」を開かれます。その案内状には「十八・十九世紀の米国工芸品は、欧州の華やかさとは違う日本的なたたずまいのある物が多々見受けられます。この度、米国スリップウェアを中心に開拓時代の慎ましくも美しい、生活より生み出された陶器や木工品、鉄器、布等々を展示販売させて戴きます。」とあるようにまた多くの素晴らしいものを集めた会を催されます。このブログを御覧のスリップウェアに関心のある方は是非当日会場へ行って御覧下さい。見るべきものはスリップウェアだけではないはずですが、まだまだ知られていない素晴らしいアメリカの工芸に出会えることと想います。