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君が居た場所~前編~
「やっぱりマズイって。」
「う~~~~ん。」
リビングのソファー。
二人並んで腰掛ける。
それはいつものこと。
違っているのは・・・
キラの腕の中で、可愛い赤ちゃんが天使のような笑顔を振りまいていること。
俺がちらりと目を向けると、何の疑いも持たない笑顔がこぼれる。
可愛いっ!
いや、けどこのまま俺たちがどこの子供かも判らないこの子を預かるわけにはいかない。
それを今、キラに話しているところだ。
「警察に行こう、キラ。もしかして母親が探しているかもしれないだろう?」
「だけど・・・。」
俺の説得にキラはなかなか応じない。
「だって、探すならとっくにここに連絡来てるはずでしょ?あそこで、一時間も待ったんだよ?それに張り紙までしてきたし。」
「でもな、キラ・・・。」
俺は小さなため息をこぼした。
キラの話はこうだった。
買い物の帰り道、あんまり天気がいいのでいつもは通らない公園を抜けて家路を辿ろうとしていた。
すると、綺麗に咲き始めた藤棚の下のベンチ横にベビーカーが停まっていた。
立ち止まって覗き込むと、可愛いらしい赤ちゃんがそれはそれは愛らしい笑顔を向けたそうだ。
それでキラは墜ちた。
周りをきょろきょろ見回したけど、他に人影は無い。
ひょっとしたら、お母さんはトイレにでも行っているのかと思い、母親が帰るまで傍に居てやろうとキラは思った。
「こんな可愛い子を一人にしておくなんて、イケナイお母さんですね~。」
と、指先で頬をそっと撫でると、キャッキャと声を上げて笑った。
その余りの可愛さと頬のプニプニした柔らかさに、思わず抱きしめたい衝動に駆られたそうだ・・・。
そうして、母親の帰りを待つこと1時間。
一向に姿を現す気配は無かった。
遠くでは子供たちが遊ぶ声が聞こえるけど、こちらに人が向かってくることは無かったのだ。
そこでキラは買出しのために持って行った売出しの広告の裏に、ペンで赤ちゃんを預かっていること、我が家の電話番号を記して、そのベンチに石の重しを乗せて置いてきたのだと言う。
そして、今に至るのだ。
「なぁ、キラ。警察に・・・。」
「ヤダっ!」
さっきからこの繰り返しだ。
埒が明かない。
「じゃあさ、キラ。この子が誘拐されていたとしたらどうする?」
「誘拐・・・?」
「あぁ。」
キラの表情が不安げに揺れる。
そんな顔させたくないけど、ちゃんと現実を見なきゃ。
この子の為にも。
「だったら、警察だって捜査してるんじゃ・・。ニュースでもそんなこと全然・・。」
「誘拐なら人質の命が掛かってるんだ。公にするわけ無いだろ?」
「うぅ・・・。それは・・・そう・・だけど・・。」
「現実的に見てみろよ。このまま俺たちがこの子を育てて、この子が本当に幸せになれるのか?本当の親を知らないまま大きくなるんだぞ?」
「・・・・・・。」
とうとう、黙り込んで俯いてしまった。
こんな時、どうすればキラが笑顔になるのか、俺は知っている。
『分かった。キラの思う通りにしていいよ。』
そう一言、言えばいいんだ。
だけど、今回ばかりはそうは行かない。
人一人の命と人生が掛かってるんだから。
「このまま手元には置いておけないって、キラだって分かってるんだろう?」
しばらくの沈黙の後、キラはやっと口を開いた。
「・・・・・分かってる・・。」
「え?」
「分かってるよ、そんなこと。僕にだって。」
「だったら・・。」
「でもっ!」
キラは真剣な目で、俺を見据えた。
「キラ・・・。」
「ずっと、待ってたんだよ?お母さんが迎えに来るのを、ずっと・・・。」
そこまで喋ると、堪えきれなかった涙がキラの頬を伝った。
「キラ・・・。泣くなよ。」
「待ってた・・・のに・・。来なかった。誰も来なかったんだ・・。お母さん、きっとこの子を捨てたんだ。なのに、なのにそんな人にこの子を返して幸せになれるの!?」
核心だ。
きっとそうなんだ。
この子は親に捨てられたんだ。
それは最初からたやすく予想できたことだ。
ただ俺はあえてそれを口にしなかっただけ。
だって、そんなことを言ったらキラは
『じゃあ、僕が育てる!』
なんて言い出しかねない。
「捨てられたんなら、僕が育てる!僕がお母さんで、アスラン、君がお父さんだよ。」
ほらね。
「キラ・・・・。子犬を拾ってきたんじゃないんだから。」
半ば呆れて俺が言うと、
「何でそんなこと言うの?アスランって冷たい。じゃあ、いいよ。僕が一人で育てるから。エッチだってもうしてあげないんだから!」
そうくるわけね?
ったく、ワガママもいい加減にしろよ?
俺が真剣に言ってるって言うのに。
「キラっ!いい加減にしろ!人一人の人生を俺たちが簡単に決めていい訳ないだろ!」
「ア・・・スラン・・。」
「・・・ふっ・・・うぇ・・うぇぇぇぇぇぇぇ。」
俺の怒鳴り声に驚いて、キラの腕に抱かれてまどろんでいた赤ちゃんが泣き出した。
ま、マズイ・・・。
「アスランが大声出すから!バカっ!よしよし。大丈夫だよ。怖くないからね。僕が守ってあげるから・・・。」
キラは立ち上がると、宥める様に赤ちゃんの背中を優しくなで、体でリズムを取りながら頬をそっと寄せた。
「キ・・・ラ・・?」
リビングに差し込む日差しに淡く照らされ、慈しむように微笑むキラの姿はまるで・・
「聖母マリア・・・・。」
思わず口を突いて出た、その名前。
今のキラの姿は、まさしく聖母そのものだった。
マリアの腕に抱かれた赤子は、安らかな寝息を立て始めた。
それを確認し、キラもホッとした表情になる。
キラも不安なんだ。
それでも育てたいなんて、きっと勇気のいる言葉だったに違いない。
それならばやっぱり、
「キラ、警察に行こう?」
「ヤダっ。」
「キラ、俺の話を聞いて?ね?」
出来る限り優しく言ってみる。
キラはためらいがちに俺と視線を合わせた。
「やっぱりこういうことはきちんと手順を踏まなきゃダメだ。」
「手順?」
「そう。まず警察に届ける。状況を説明して親を探してもらうんだ。」
そこでキラはまた俯いた。
「でもね、キラ。きっとすぐには親は見つからないよ。だから、それまで、本当の親が見つかるまで、俺たちが預かるって言うのはどうかな?」
「え?」
キラは俺の言葉に顔を上げた。
「警察ですぐOKをもらえるかどうか分からない。俺もお願いするから。だから、ね?警察に行こう?このままじゃ、俺たちが誘拐犯にされかねない。」
何を言うでもなく俺を見ていたキラが、そっと口を開いた。
「・・・うん。そうだね。そうだよね。ちゃんとしなきゃね。」
「キラ・・。」
やっと納得してくれたキラに、安堵のため息が出た。
「アスラン。」
「ん?なに?キ・・」
呼ぼうとしたキラの名前は途中で途切れた。
それは、突然のキラからのキスによって。
「きっ、キラ?」
「アスラン、さっきはごめんね。やっぱアスランは優しいや。・・・好き・・だよ?」
ほんのりと頬を染め、チラリと俺を見やる。
あ~、ダメだ。
そんな顔されちゃ、なんだって許したくなっちゃうだろ~?
「俺も好きだよ。キラ。」
結局俺はキラに甘い。
そして、キラには勝てないんだ。
「えっと、ミルクとオムツでしょ?肌着にソックスに服・・・・。ねぇ、靴って要るかな?」
「・・・・まだ早いんじゃないか?」
あれから俺たちはすぐに警察に向かった。
もちろん、赤ちゃんとベビーカーも一緒に。
状況を説明し、俺たちの身分証明書を見せてコンピューターで照会してもらった。
もちろん犯罪歴も無ければ、やましいことも何も無い。
その上で、本当の親が見つかるまでの里親を願い出ると、以外にもあっさりと許可が出た。
と言うよりは、警察もこの子を預かってもらう施設等の手配もしなくていいし、手間が省けてちょうど良かったのだろう。
『いいですよ。そのかわり責任を持って面倒看てくださいね。』
警察の人がそう言った時のキラの笑顔といえば、本当に太陽の下で大きく開いたひまわりのようだった。
赤ちゃんを預かる条件としては、一日に必ず一度は警察へ赤ちゃんの様子を連絡すること。
いつでも俺たち二人に連絡が取れるようにしておくこと。
後は、きちんと責任を持ってこの子を育てること。
そんなことはたやすいことだ。
きっと今のキラにはどんな条件も、難しいと感じることは無いんだ。
この子と一緒に居られるのならば。
なんか・・・・・・・
ちょっと、面白くないかも。
今だって何とも楽しそうに買い物を進めていく。
「ねぇ、アスラン。これくらいの時期なら、もう離乳食だよね?」
ブックコーナーで【おいしい離乳食・簡単レシピ】なんていうタイトルの本を手に、俺に問いかけてくる。
「あ~・・・・、そうなんじゃない?」
俺が曖昧に答えると、キラは頬を膨らませて
「もー、アスランってば頼りにならないなぁ。」
なんて文句を言ってくる。
そんな事言われたって子供育てたことなんて無いのに、分かるわけないだろ?
ってか、なんでキラはそんなに詳しいんだよ!?
「なぁ?」
と、俺の腕の中でおとなしくしているその子に問いかけると
「あ~、あぶ・・。」
と声を出し、にっこりと笑った。
本当に可愛い。
なんか、ちょっとでも嫉妬した俺がバカみたいだ。
無条件の愛を注ぐ。
そんな親の気持ちが少し判った気がした。
そっとその柔らかい頬に俺の頬を摺り寄せると
「キャッ、キャッ」
と声を上げて笑った。
くすぐったいのかな?
「・・ラン、アスラン!」
キラの呼ぶ声にハッと我に帰った。
「あ、ごめん、キラ。何?」
「もう、アスランってばシンに夢中なんだから。何度も呼んでるのにさ。」
「ごめん、可愛くってさ、つい。」
「だよね?お母さんが迎えに来るまで、僕たちがパパとママだよ。ね?シン。」
キラが指先で頬をくすぐると、シンはまた声を上げて笑った。
シン・・・と言うのはおそらくこの男の子の名前で、置き去りにされた時に来ていたベビー服のタグに書かれていたんだ。
しかし【シン】という名前は、ちょっと生意気な後輩と同じ名前で、さっきのようにキラに『シンに夢中』とか言われたり、キラが『シン可愛いvシン大好き』とか言ってるのは、少しばかり複雑な心境なんだ。
でもまぁ、この子の名前なんだし・・な。
気にしない、気にしない。
「アスラン、買い物終わったよ。帰ろう?」
「あ?あぁ。そうだな。荷物は俺が持つから。ほら、キラはシンを。」
「はーい。ママのところにおいで?シン。」
「あー、あー。あぶぅ。」
キラが手を差し伸べると、シンも嬉しそうに手を伸ばす。
落とさないように気をつけながらシンをキラに渡すと、足元に置かれた荷物を持ち上げた。
「重くない?アスラン。大丈夫?」
「あぁ、平気だよ。これくらい。」
「そぅ?じゃあ、パパに任せちゃおうかな?」
「パ・・・・。キラ、人前でなんて呼び方・・。」
パパと呼ばれるのはさすがに照れくさくて、キラにやめろと言ってみても、キラは言うことを聞いてくれそうに無い。
「だって・・・・・・、今しか呼べないじゃない?『パパ』なんて・・・。」
そう言ったキラは、少し寂しそうに笑った。
「それは・・・・、まぁ・・な。」
確かにそうなんだ。
俺たちがいくら愛し合っていても、子供だけはどうやったって無理だ。
二人の愛の結晶など、この手に抱くことは無いのだ。
「ま・・・・いっか。」
諦めたように小さくつぶやいた言葉は、キラに聞こえたらしく俺を見て嬉しそうに笑った。
「じゃ、帰ろ?パパ?」
「あぁ、帰ろう。」
傾き始めた太陽に目を細めながら、俺たちは家路についた。
それからと言うもの、キラの生活の中心はものの見事に俺からシンへと移行していた。
「はい、シン。あ~んして?」
「あ~。」
シンが小さい口を開けて、キラが差し出す離乳食をパクッと食べる。
「おいしい?」
「あ~~。」
シンは次をねだるように、また大きく口を開けた。
「はいはい。あ~ん。」
あ~あ、幸せそうな顔しちゃって。
けど・・・
「あ、アスラン。もう時間無いよ。急がなきゃ。」
「あ、あぁ。」
「ちょっと待っててね?シン。」
シンを赤ちゃん用の椅子に残して、俺のカバンや上着を持ってきてくれる。
「はい、アスラン。気をつけてね。」
「うん。」
俺のこともちゃんと考えてくれてる。
「行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」
ちゅっ
行ってらっしゃいのキスも欠かさない。
「あっ!」
けど、唇が離れるや否や、キラは部屋の奥へと消えていった。
「キラ?」
まさか、見送りしてくれないとか?
諦めてドアを開けようとすると、
「ほら、シンもパパに行ってらっしゃいしようね。」
キラがシンを抱いて戻ってきた。
「あぶー。」
シンは俺に向かって笑いながら、抱っこをせがむように手足をばたつかせた。
「あ、駄目だよシン。パパはお仕事だからね。バイバイしようね。」
「いい子にしてるんだよ?シン。パ・・・・・コホン。パ、パパはお仕事に行ってくるからね。ママを困らせちゃ駄目だよ?」
優しく頭を撫でると、シンは嬉しそうに笑った。
もし、俺たちに子供ができるなら、こんな日常があるんだろうな・・・。
「じゃあ、早く帰ってきてね?お仕事頑張って?ほら、シン。パパいってらっしゃーい。」
キラはシンの小さな手をとって、左右に振って見せた。
俺もそれに応えて、小さく手を振り
「行ってきます。」
と笑って家を出た。
パパも・・・・・・・・悪くない。
パシャッ
シンはお風呂が大好きらしい。
ちゃんと言葉を理解しているのか、毎日の繰り返しを覚えているのか、俺が着替えを持ってシンの方へ行くと、途端にはしゃぎだす。
「シンはお風呂大好きなんだよね?じゃあ、パパにお風呂に入れてもらおうね?」
一足先にフロに入って待っていると、キラが裸ん坊のシンをつれてくる。
最初は本当におっかなびっくりで、キラに手伝ってもらってやっとの思いでシンの身体を洗い、その後ようやく一緒に湯船に浸かったんだ。
だけど、慣れるもんだな。
あれから2週間経った今では、何の苦も無く一人でできる。
「はい、アスラン。シンをよろしくね。」
「ほら、シンおいで。」
手足をバタバタさせながらはしゃぐシンを受け取り、少しぬる目のお湯をゆっくりとかけてやる。
俺がシンをお風呂に入れている間に、キラは夕食の用意をする。
本当にもう、普通の3人家族のようだな。
こうやって繰り返される、俺たちには無かったはずの日常に、幸せを感じている俺がいる。
このまま、手放したくない。
そんな気にさえなりそうだ。
「おーい、キラ。上がったよ。シンを迎えに来て。」
脱衣場から声をかけると、「はーい」と返事が聞こえて、直ぐにバスタオルを広げたキラが入ってくる。
「今日も気持ちよかったかな?シン。きれいになりましたね~。」
バスタオルでシンを包み、キラは脱衣場を後にする。
キラも、凄く幸せそうだ。
できるなら、このままこの幸せを俺たちに・・・。
だけど・・・・
俺には一つだけ不満があった。
それは・・・・。
ギシ・・・
「キラ・・・。」
「あっ・・・、ダメ、アスラン。シンが起きちゃう。」
ベッドの中、シンを間に挟んで眠る俺たち。
当のシンはすやすやと安らかな寝息を立てているのだけど・・・。
俺がちょっとでもキラに触れようと手を伸ばすものなら、キラはさっきみたいに「ダメ」と頑なに拒否する。
それならば
「シンを端っこにして、キラが真ん中で眠ればいいじゃない?」
と提案してみるも
「ダメだよ。もしシンが落っこちちゃったらどうするの?」
と却下。
だったら
「シンもぐっすり眠ってるし、今のうちにリビングで。」
「ダーメ。リビングに行ってる間にシンが起きちゃったら、泣いちゃうでしょ?」
これも却下。
そろそろ我慢も限界が近い。
確かにシンは可愛いし、凄く大事だ。
けど、だからと言って俺を完全拒否とはどういうことなんだ?
最近ではキスさえしようとしない。
俺、キレそうだ・・・・。
「キラ・・・。」
俺は夕食の準備をしているキラの背後からそっと腕を回し、抱きしめた。
「ア、アスランっ。ダメっ・・。」
「なんで?シンは今寝てるじゃないか。大丈夫だよ。」
キラの弱い耳を甘噛みして、胸の突起を探る。
「だって・・。ダメ・・だって・・ばぁ・・・。んぁ・・・。イヤ・・だ。」
「どうしてだよ!いつまで待てばいいんだ!?俺、もう限界・・だよ・・。」
キラの細い体をきつく抱きしめて、首筋に所有の刻印を刻んだ。
「つっ・・。アスラ・・ン。ごめ・・・ん。お願い・・・。もう少し、待って・・。」
「なんで!?理由くらい言えよ!」
力任せにキラを俺の方へ向けさせて、その細い肩を強く掴んだ。
「痛っ、アスラン。放して。」
「放さない!キラっ!」
痛いのなんて分かってる。
でも、放してやれない。
「お前の生活はシンを中心に動いてるんだろ?俺は・・・なんなんだよ?俺なんか、もう要らないのか?」
「違う!そんな訳、ないじゃない・・・。」
「じゃあ、なんで触れさせてもくれない?キスすら・・・・。もう・・気が変になりそうだ。キラぁ・・。」
縋りつくようにキラを抱きしめると、キラはやんわりと俺の手を解き、俺を見上げて小さく呟いた。
「アスラン・・・・。ごめん。ごめんね?」
キラの瞳には透明な雫がたまっていて、悲しそうに揺らいだ。
「ごめんって・・・・ごめんってなんなんだよ!!」
「っふ・・ふあぁぁぁぁぁぁぁん!」
「シンっ!」
俺の怒鳴り声に驚いて、シンが泣き出してしまった。
キラは俺の横をすり抜け、リビングのソファーに寝かしたシンの元へ駆け寄った。
居たたまれなかった。
黒く渦巻く感情が、今にもあふれ出しそうだった。
このままここに居たら、俺はキラを無理やりにでも・・・・・。
「くそっ!」
俺は車のキーを掴み家を飛び出した。
「アスランっ!」
呼び止めるキラの声が聞こえたけど、俺は構わず車に乗り込み走り出した。
俺は、何をやってるんだろう。
気がつくと海辺の道を走っていて、少し冷静になった俺は広くなった路肩に車を止め、エンジンを切った。
「キラ・・・。」
何度も何度もポケットの中の携帯が着信を告げた。
キラからだった。
俺はそれに一度も出ることなく、履歴には不在着信でキラのナンバーが並んでいた。
「俺は、バカだ・・。」
ハンドルにもたれかかり、一人ごちる。
その時、キラからとは違うメロディが携帯から流れた。
「カガリ・・?」
ピッ
「はい、もしも・・。」
「こんの、バカっ!どこほっつき歩いてやがる!!」
俺の言葉を遮って車内に響き渡るのは、耳を劈くようなカガリの怒鳴り声だった。
「カガリ、いきなりどうした・・?」
「何でもいいから、キラに電話しろ!」
「キラに?」
「あぁ。お前、キラからの電話シカトしてただろ?」
「う・・・それ・・は。」
キラの奴、俺が電話に出ないからカガリに助けを求めたな?
「どうせシン君にくだらないヤキモチでも妬いたんだろ?」
ギクっ!
思いっきりばれてる。
さすがカガリと言うべきか。
「とにかく、直ぐ電話しろよ!あいつ切羽詰ってたみたいだから。それに・・。」
一旦言葉を切ったカガリの話の続きを、俺は黙って待った。
「キラにも色々と思うことがあるんだ。ただ無意味にお前を避けてたんじゃない。」
「カガリ・・・、なんで・・?」
「まぁ、いいじゃないか。そんなことは。それより、ちゃんとあいつの話を聞いてやれ。ゆっくりと落ち着いてな。あぁ!じゃなくて、今はとにかくキラに電話入れろ!いいな?直ぐにだぞ!じゃあな。」
プッ
「おい、ちょっとカガリ!・・・いきなり切るなよ。」
切羽詰ってる・・・って・・。
何があったんだ?
・・・・意地、張ってる場合じゃないか。
ピ、ピッ
プルルル
「アスラン!!」
「キラ?どうした?」
キラはほんの僅かな呼び出しで電話に出た。
俺を呼ぶその声は、本当に切羽詰っていて・・。
「アスラっ、早く、早く帰ってきて・・。シンが・・シンが・・・・。」
「キラ?」
泣いてる?
シンに何が?
「どうしたんだ?シンに何かあったのか?キラっ!」
「シンが、凄い熱で・・・。早く病院に連れて行かなきゃ。シンがっ・・。」
「シンが!?判った!直ぐ帰るから。シンが寒くないようにして、荷物用意して。直ぐ出られるように!判ったな?」
「うん。アスラン。早く・・。」
「あぁ、待ってろ!」
俺はすぐさまカガリに電話をかけた。
事情を説明すると、
「判った、病院には連絡して直ぐに見てもらえるように手配しておく。病院に着いたら私の名前を出せ。いいな?」
と頼もしい言葉をくれた。
「ありがとう、カガリ。」
本当に、心から感謝するよ。
カガリ。
俺はすぐさま車を走らせ、キラとシンの待つ自宅へと向かった。
「キラっ!」
「アスラン!」
「早く乗って。」
「うん。」
毛布に包まれたシンを抱え、キラは後部座席に乗り込んだ。
「病院は?」
「大丈夫だ。カガリが手配してくれている。」
「カガリが・・・。良かった。」
キラの声に少しだけ安堵の色が混じる。
一人で俺の帰りを待つ間、辛そうなシンを抱いて心細かったに違いない。
きっと俺への電話も、シンの異変を知らせるためだったのだろう。
それなのに、俺は・・・。
「ごめんね?ごめんね、シン。気付かなくてごめんね。辛いよね?もうちょっとだからね。頑張って、シン・・。」
浅く短い呼吸を繰り返すシンの上気した頬を、キラが優しく撫でている。
こんな小さな子供を育てるのなんて、もちろん初めてで。
親でもないし。
気付かなくても当然なんだ。
それでもキラは自分を責める。
どうしてもっと早く気付いてやれなかったのかと。
「やっぱ・・・ダメだな、僕は。シンのお母さんにはなれそうに・・ないね・・?」
涙交じりの声で小さく呟く声は、今にも消え入りそうで・・。
「キラ・・。」
お前がそんなに自分を責める必要なんて無いのに・・。
「キラ、大丈夫だから。お前がそんなだとシンだって不安になるぞ。シンは俺たち二人で守ってやらなきゃいけないんだから。」
キラを置き去りにして家を飛び出した俺が言う台詞じゃないって、わかってるんだけど。
今のキラにはきっと、そんな強い言葉が必要なんだ。
「アスラン・・・。そう・・・だね。僕が泣いてちゃシンだって不安だよね。ごめんね?シン。大丈夫だからね。僕たちが守るからね。シン・・。」
いまだ苦しそうな呼吸のシンを、キラは優しく抱きしめなおした。
とにかく今は、一刻も早く病院へ。
時間外の入り口から病院へ入り、受付でカガリの名を出すとすんなりと診察室に通された。
カガリの力は偉大だ。
「どうでしょうか?先生。」
診察台の上に寝転ばされたシンの胸に聴診器を当てる先生に、キラが不安げに尋ねる。
「う~ん。」
曖昧な先生の返事に、キラが戸惑ったように俺に視線を向ける。
「大丈夫だ、キラ。」
俺の言葉にキラはゆっくり頷いた。
「はい、もういいですよ。お母さん服を着させてあげてください。」
「え?・・あ、はい。」
先生の『お母さん』という言葉に、キラは一瞬目を丸くして、その直後には頬を真っ赤に染めてシンに服を着させていった。
「熱が出始めたのはいつ頃ですか?」
パソコンに何か打ち込みながら、先生が質問してくる。
「夕方からウトウトし始めて、ちょっと物音にびっくりして目を覚ましたので、抱き上げてみると凄く熱かったんです。」
「咳とか鼻水とかは?」
「いえ、ありません。」
「ふむ。じゃあ、最近この子の周りで変わったこととかは?環境とか。」
「変わったこと・・。」
俺とキラは顔を見合わせた。
この子にとっては、凄い環境の変化だったんだろうな。
俺たちにとっては天使が舞い降りたような気がしていたけれど。
「あ、お母さん。この子の生年月日は?」
「生年・・・月日・・・。」
俺たちはまた顔を見合わせるしかなかった。
何も知らない。
『シン』と言う名前以外は。
「あの、先生。実は・・・。」
「キラ、いいよ。俺が話す。」
キラを制して、俺は先生に話し始めた。
今までのいきさつの全てを。
「そうですか。分かりました。今はあなたたちご夫婦が面倒を看られているわけですね?」
「ごふっ!」
「ふっ、夫婦!?」
キラは思いっきり顔を紅くして、俺は突然の先生の言葉に息を吸い込みすぎて咽てしまった。
「おや?違いましたか?確かカガリ様がそのように仰られていたのですが。」
「カガリが?」
あいつこの先生に何を吹き込んだんだ?
「カガリ様は『そっちにバカップルな夫婦が可愛い男の子連れて行くから、よろしく頼む』と・・・。」
「カガリ・・・。」
「あいつ・・。」
「それはさておき、シン君ですが・・。」
二人してため息をついていると、先生が本来の目的の話へと方向修正した。
「はい。」
「特に心配は要りません。成長期の子供には良くある事です。いわゆる“知恵熱”と言われているものですね。頭や内面的な成長に体が付いていってないんです。機械が使いすぎてオーバーヒートするのと同じです。それとこの子の場合、環境が大きく変わったのも影響しているんでしょうね。」
「そうですか・・。」
先生から『心配ない』という言葉を聞いて、キラは心底安堵したように呟いた。
俺も体から力が抜けるのが分かる。
「点滴しましょうか?少し楽になるはずですよ。」
「はい、お願いします。」
小さく細い腕にいくら乳児用とはいえ、針を刺すのはかわいそうだった。
それでも、点滴が半分近くまで減った頃には、シンは安らかな寝息を立てていた。
「ありがとうございました。先生。」
「いえ、大したことでなくて良かったですね。」
「はい。」
先生に肩をポンポンと叩かれ、キラは安堵の表情を見せる。
「実は私はアスハ家付きの医師でして、お二人のことはカガリ様から良く伺っております。」
「そうなんですか?」
キラは素直に驚いた表情を見せていたが、俺はどんなことをカガリが話しているのか気になって仕方なかった。
そんな俺の表情を読み取ったのか、先生はフッと笑みをこぼして俺たちを交互に見た。
「キラ・ヤマトさん。カガリ様の弟君ですね?」
「え?あ、はい。そうです。」
「カガリ様が将軍の地位を用意されていたのを蹴られたとか?」
「あ・・・、そう・・ですね。蹴ったというか、僕なんかがそんな地位にいても意味無いでしょう?もっと相応しい人が居るはずだし、それに・・。」
「アスラン・ザラ氏と一緒に居たい?」
「えっ!?せ、先生!」
キラは真っ赤になって俺に視線を投げた。
カガリの奴、そんなことまで・・。
「いいじゃないですか。私は男同士だからとかそんな偏見は持っていないつもりです。人と人が愛し合うのは本当に素晴らしいことじゃないですか。」
「はい・・。」
照れくさそうに頷くキラが、凄く可愛い。
こんな場所じゃなければ、抱きしめたいくらいだ。
「常々カガリ様は、あなた方のことを私に話してくれていました。」
『私の用意した椅子を蹴って、キラはアスランを選んだんだ。キラは優しくて結構強くて、私の自慢の弟だ。そんなキラが選んだアスランは、しっかりしているけどちょっと鈍くて。でもキラを大事にしてくれる、守り抜いてくれる。私の大事な友人なんだ。あの二人の邪魔は誰にもさせない。お前にもいつか会わせたいんだ。』
「カガリ・・・。」
「お会いできて、光栄です。キラさん、アスランさん。」
先生はそう言って俺たちに握手を求めてきた。
「こちらこそ。」
俺たちは先生の手を握り返し、改めて皆に支えられながら今を生きていることを実感した。
「終わったようですね。」
奥の処置室から看護師さんに抱かれてシンが診察室に戻ってきた。
おとなしく抱かれていたシンも、俺たち、特にキラを見つけると早く抱っこしてと、暴れ出した。
「やっぱりお母さんがいいみたいですね?」
「先生。」
キラは照れくさそうにシンを受け取った。
「ママが大好きなんだよな?シンは。」
キラに抱かれるシンの頭を撫でてやると、嬉しそうに声を上げて笑った。
「熱、少し下がったみたい。良かったね、シン。」
キラはシンに頬ずりをして、微笑んだ。
本当に母親の顔なんだ。
今のキラは。
「ありがとうございました。」
「本当にお世話になりました。時間外だったのに、本当にすいません。」
「いえ、医師は助けを求める患者に手を差し伸べるのが仕事です。何も気にされることはありません。子育てのことでも何でも、困ったことがあればいつでも相談に乗りますよ。」
深々と頭を下げた俺たちに、先生は笑顔で手を振ってくれた。
ほんとうにありがとう。
先生、そしてカガリ。
「ね、アスラン。」
「ん?何?」
帰りの車の中、不意にキラが話しかけた。
シンはキラの腕の中で気持ち良さそうに眠っている。
「今日はごめんね。色々と。電話掛けてきてくれてありがとう。僕一人じゃ、何も出来なかったから。」
キーッ
キラの言葉に俺は車を路肩に止め、後部座席のキラを振り返った。
「お前が謝ることなんて無いだろう?悪いのは俺なんだから。」
「ううん。僕だって悪いんだ。アスランが僕を抱きたがってるの分かってた。けど、ずっと気付かない振りしてたんだ。だから今日みたいに喧嘩しちゃうかもって、予感もしてた。ほんとにごめん。」
俺はカガリの言葉を思い出していた。
『キラにも色々と思うことがあるんだ。ただ無意味にお前を避けてたんじゃない。』
『ちゃんとあいつの話を聞いてやれ。ゆっくりと落ち着いてな。』
「キラ、何か理由が有るんだろう?聞かせてくれないか?」
「・・・うん・・。」
「よし、じゃあ帰ってからゆっくり話そう。早く帰ってシンを寝かせてやらなきゃ。」
「そうだね。」
俺は車を発進させ、家へと急いだ。
家に帰ると汗をかいているシンの体を拭いてやり、着替えをさせてミルクを飲ませた。
シンが眠ったのを確認すると、俺たちは少し遅い食事を取った。
キラが夕食の後片付けを終えると、リビングのソファーでいつものように隣同士で腰掛けた。
「キラ。」
「今日は色々とごめんね。アスラン。」
「もう謝るなって言っただろ?」
「うん・・・・。あのね、アスラン。」
俺を覗き込むように視線を合わせるキラを、俺は腕に閉じ込めた。
こんな風にゆったりした気持ちでキラを抱きしめるのは、いったい何日ぶりなんだろう?
「アスラン?」
「今だけ、お前の話を聞く間だけ・・。」
「・・・・・うん。」
キラは体の力を抜いて、俺に身を委ねた。
そして、呟くように話し始めた。
「シンがうちに来て、僕たち凄く幸せだよね?」
「あぁ、そうだな。」
「なんだか、本当の家族みたいで。子供の出来ない僕たちの為に、神様が連れてきてくれたんじゃないかって思ったくらい。」
キラは小さく笑って、また話を続けた。
「けど、シンにとっては幸せなのかな?僕にはアスランがいてシンがいて。毎日が楽しくてキラキラしてる。でも、シンは?本当のお母さんに会えなくて寂しくないのかな?」
「キラ・・・。」
「アスランとシンに囲まれて僕は凄く幸せで、この上アスランに抱かれちゃったら、僕ばっかりが幸せでシンには少しも幸せをあげられてない気がして・・。だから、君の事拒んできたんだ。君も巻き込んじゃって申し訳ないとは思ってたんだけど・・。ごめんね。」
「キラ、お前・・・。」
なんでこいつはいつもいつも、自分を一番に考えられないんだろう?
どんな時だって【誰か】が優先。
それは時に俺だったり、カガリだったり、ラクスだったり・・・。
今回はシンが優先。
シンが持つ幸せ以上のものを、自分は持ってはいけないと、キラは俺を遠ざけたんだ。
「笑われるかもしれないけど・・・・。願掛け、のつもりもあって。シンの本当のお母さんが迎えに来るまでは、アスランには抱かれないって。」
「願掛け・・・。」
お前、そんなことまで考えて・・。
「やっぱ、おかしいかな?そんなのでシンが早くお母さんに会えるわけないもんね。笑っちゃうよね?」
俺は自嘲気味に笑うキラを強く抱きしめた。
「あ、アスラン?」
「笑うわけないだろ!お前がそんなに深く考えてたなんて、俺っ。ごめん、キラ。ごめん・・。」
キラの肩口に顔をうずめた俺に、キラが焦ったように言葉を返す。
「え?え?なんで?どうして君が謝るの?」
キラの言葉には返事をせず、キラの背に回す腕に力を込めた。
「アスラ・・・ン・・?」
俺はお前の想いに気付かなかった。
お前はシンをこのまま傍に置いておきたいと願っているんだと・・・。
そう思っていた。
でも、お前は自分の幸せよりシンの幸せを願っている。
早く本当の両親に会えればいいと。
その為にお前は自分の幸せを削ってきたんだな?
キラが自分よりも自分じゃない【誰か】の方を大事に考えるなんて、判っていたはずなのに・・・・。
俺は自分の事しか見えてなかった。
悪いのは、バカなのは俺だ。
「キラ。」
「ん?」
「愛してるよ。」
「・・・・・僕もだよ。アスラン。」
そっとその柔らかな髪を撫でると、キラは甘えるように俺の胸に頬を摺り寄せた。
「俺も、願掛けするよ。シンが早く本当の両親の元へ帰れるように。」
「アスラン!ありがとう。ごめんね。最初からちゃんと話しておけば良かったね。」
俺を見上げたキラは、少しばつが悪そうに微笑んだ。
「ほんとだな。なんで言わなかったんだ?」
「何となく・・・。アスランを怒らせちゃうかと思ったら、怖くて・・。」
「けど、それでさっきみたいに喧嘩になっちゃったら、本末転倒だろ?ちゃんと話せば俺たちは必ず分かり合える。そりゃちょっとは機嫌悪くなったかもしれないけど、喧嘩になるより、ずっといいだろ?」
「だね。・・・・ごめん。」
肩をすくめて舌をペロッと出したキラが可愛くて、その赤い舌がいなくならないうちに柔らかな唇を塞ぎ舌を絡め取った。
「んっ!・・・・・ん・・ふ・・・・。」
一瞬強張ったキラの体は、ちゅっちゅっと俺たちの口元から濡れた音が聞こえるたびに力が抜け、俺に応えるように舌を絡ませてきた。
乾ききった大地がいくらでも水を吸い込むように、俺たちは飽きることなく長い口付けを交わした。
そうしてやっと離れた俺たちの間を、銀の糸がつっと伝って切れた。
頬を上気させたキラが、うっとりした瞳で俺を見上げる。
「気持ちよかった?キラ。」
「うん・・・・。って、あぁ!キス!何でキスするんだよー!アスランのばかぁ。」
「え?やっぱキスもダメなの?」
正気を取り戻したキラに睨まれてしまった。
「だって、だって・・・。キスしちゃったら、なし崩しに君を求めちゃいそうなんだもん!今だって・・・。」
キラの言葉に視線を下に移せば、キラの中心がその存在を主張し始めていた。
かく言う俺も、キラのことは言えないのだが・・・。
「じゃ、じゃあ・・これが、シンの親が見つかるまでの最後のキスってことで・・・・。あはは・・。」
俺の苦し紛れの言い訳に、キラはぷぅっと頬を膨らませた後淡く微笑んだ。
「じゃ、一緒に頑張ろう?」
「そう・・・だな。」
キラのためなら何でも頑張れそうな俺だけど、キラを我慢することを頑張るのは、俺にとっては拷問に近い試練なのかもしれない。
☆
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