1999年7の月



結局何も起こらずに過ぎ、事ある毎に真顔でこれを論じていたオカルト愛好者達は、その後すっかり鳴りをを潜めてしまいましたね。そう、ノストラダムスの大予言です。「天から恐怖の大王が舞い降り~」ってやつですね。実は小生も(<母>も)半分以上何かが起こる方に賭けてました。小学生時代(まだ‘70年代)に何かの本でこれを読んだときは、そりゃあ怖い思いをして、自分の命はあと何年なんだ、と真剣に数えていたものです。

御存知の方も多いでしょうか、ノストラダムスは200年だか300年前(良く覚えてません)のフランス人で、その「予言」と言われるのは彼の書き綴った詩集の中の不可解な詞が、後の人達の解釈によって世界の重大事件や戦争と結び付けられ、「これは予言集だ!」との説が有名になったのがきっかけだったわけで、その中の一節にこの、「1999年7の月~」というのがあって、それが世紀末という事もあり「世界の終末の予言だ」とまことしやかに言われるようになった訳です。

そもそも、「大予言」に疑問を持つ人達は、その詩集がフランスの古語で書かれており、翻訳から翻訳へと変わる内に意訳が重なり、本来の意味から外れていった、つまりある事件に結びつくように無理矢理訳されたようなものもあった事を指摘していましたし、占いがそうですが、どうとでも解釈できる事を都合良く(あるいは面白おかしく)解釈するのは人間の性でもあり、結局彼が予言者であったかどうかは、すでに彼の影響の及ばない所で勝手に議論されているので、ある意味ノストラダムスも可愛そうではあります。だって、こうして「外れた」って言えば非難や軽蔑の対象にさえなっている訳ですから。

・・・と、予言が外れたとお思いの方も多かった事でしょうが、あながち外れてもいなかったのかなと、ある事件の後に思いました。そう、ピンと来る方もいるでしょう、2001年9月11日の、アメリカ同時多発テロです。

まず、彼の予言集(?)に肯定的な研究者が言うには、「何百年も先の事を何時の何時、という事まで正確に当てられる訳が無い。むしろ数年~10年ぐらいの誤差はあって当然だ。」と。なるほど、そうですよね。どこの場所で、なんていうのも、自分が行った事も見た事もない場所がどこかなんて、分かる方がおかしいです。という、誤差の大きさを考慮して見るならば、あの同時多発テロの事を指した内容だったと解釈しても、恐らく当たらずも遠からずでしょう。

しかも、ラテン系の言語を少し勉強した方ならピンと来る方もいらっしゃるでしょうが、「7の月」って、「9月」そのものなんです。どういう事かというと、英語では9月は「September」ですが、英語の先祖であるラテン語に最も近い言語のひとつであるイタリア語の9月は「Settembre」です。「sette」はイタリア語の数字の「7」、つまり正に「7の月」の事なのです。ノストラダムスの生きていた時代の言語体型は知りませんが、フランスもラテン民族ですし、ラテン語を使っていたなら何も不思議はないです。もし彼が9月のあの日の事を予言してその詩を作ったなら寒気がしますよね。

逆に、あの程度で済んで良かった(というと語弊がありますが)との見方もできますね。予言が人類滅亡、地球の破滅ではなかったのは、彼の予言集にその後の時代の予言も書き綴られている事からも、落ち着いて考えれば分かった事だったかもしれません。

平成15年1月21日

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