英語は方言/日本語の起源



●日本における英語
 外人(白人)と見ると英語で話しかけ、子供たちは外人観光客にサインをねだるといった、ひと昔前の話ではないですが、外国語といえば英語、という通念が完全に定着している日本社会です。確かに国際社会において、あらゆる場面で共通語的に使われるのが、現在では英語ですから、それを使いこなせる事は非常に大きなメリットです。しかし、日本において英語といえば、中学校教育から始まる「受験科目」のひとつという位置付けが、多くの人々の中に固定するのみで、当然話せるようにはならないという結果だけが残り、社会人になって実際に必要となった人は「会話」を改めて習得し直さねばならない、というお寒い実態を、旧文部省の役人達や教育関係者がどう考えている(いた)のか、その無策振りには常々あきれるばかりでした。

●言語は文化の鏡
 小生が数回の海外旅行を経験したり、大学でドイツ語、個人的にイタリア語を勉強したり、あるいはF1、サッカー等のスポーツを通して、更にはメディアを通して、世界の色々な国の文化を知るにつれて(その狭い範囲ですら)分かって来たのが、「英語はイギリスという一つの国の文化の一断面でしかない」という事です。世界は実に多様であり、習慣、宗教、国民性、食事等、国ごとに独特の物があり、言語もその国の文化を映すひとつの鏡であるといえます。
 余談ですが、EUの通貨統合により、小生の大好きなイタリアも通貨が「EURO」になってしまった事が残念でなりません。通貨も、各国独自の文化のひとつで、ある国に行ってその国のお金に両替する事も、海外旅行の楽しみのひとつだと思うのですが、次回イタリアに行った時にはもう、「LILA」ではないと思うと、ひとつ楽しみが減った気がします。その意味では、イギリスがまだ独自の「POND」にこだわって統合に参加しないというのは、頑固とか偏屈というよりは、自国の文化を守ろうとする当然の動きでもあると思います。その点で、特に自国の文化を世界最高と思う傾向が世界中で最も強いと思われる(故、他国の文化を取り入れたがらない)フランスあたりが統合に参加したのが、逆に不思議です。
 さて、そうなってくると本来、英語を勉強するならイギリスの文化を多少なりとも理解し、その根源を垣間見てから始めると、非常に興味も湧くし、言語としての理解も早いと思うのです。例えば、イギリス人は普段何を食べてるとか、気候はどうで、どういう服装をしてるか、等でも良いのです。そういう小生も、イギリスにはあまり興味がありません。知っているのは以下ぐらいです。
・ティータイムを大切にする
・いつも傘を持って歩く(雨が多い)
・ロック・ポップ等、現代のポピュラー音楽の起源は殆どイギリス。昔のパンク、ニューウエーブ等の前衛的、ファッション的な音楽もそう。
・サッカー、ラグビー、テニス、ゴルフ等、多くのスポーツの母国
・モータースポーツの(ひとつの)母国
しかし、こんなもんで十分です。小生の場合はまず音楽の面、次にモータースポーツの面でイギリスには強い興味がありましたので、国民性やメンタリティーを垣間見る事は十分にできたと思います。

●世界共通語は帝国時代の名残り
 こと英語について言えば、何故(後述のような)あれだけ言語として不完全で習得が難しい物が、あらゆる場面で世界共通語なのか、という疑問を持った時、それが単に植民地時代に世界中に植民地を持ち、影響力を持っていた事の名残りであるというだけ、という話に、なるほどと思ったものです。更にその後、アメリカが超大国となり、経済的にも文化的にも世界中に影響力を持つようになった結果、それを追認する事になったのでしょう。
 日本においては、言うまでもなく戦後の占領時代からの影響が最大の要因ですが、もしソ連に占領されていたら、ロシア語教育が定着して、後に世界に出る日本には良い影響は無かったでしょうね。そういう意味でせっかくアメリカの占領によりアメリカ文化が濁流のように流れ込み、ついでに英語も入って来たのに、教育だけのせいで多くの日本人が英語での会話ができないという結果は、皮肉ですよね。世界の中では今や、日本人よりインド人の方が、英語教育きがちんとなされているため有利な状態ですものね。どうせやるなら、日本も英語を第二公用語にして、日本語と同じぐらい教育すべきです。といっても、日本語もおぼつかない人が増えている昨今、いっそ英語を公用語にしてしまえ、というのは少々乱暴でしょうか。

●「外人≒アメリカ人」はGHQの名残り
 ついでに言えば、日本で「外人」というとほぼ、アメリカ人のしかも白人の事を意味するのは、間違いなく戦後のアメリカによる占領時代の名残です。その当時から、アメリカの文化ばかりが宣伝され、完全にアメリカの植民地と化したのも事実です。それと共に日本の古き良き伝統や文化が急速に失われ、大衆はアメリカを憧れの的としてアメリカに追随する事ばかりを追い求めていました。アメリカ的なら格好良い、日本的は古くてダサい、という風潮が、かなり長い間続いていたはずです。近年、やっとそれが見直されて、日本の伝統を顧みる動きも湧き上がっているようですが、すでに99%アメリカナイズされた日本の文化は、取り返しのつかない状態になっています。
 話を戻すと、結果として、日本で「英語」といえば自動的に「アメリカ語」を指し、本来の「英国(イギリス」語」は無視されています。これが悪いとは言いませんが、何か違うように思えてなりません。一方で、アメリカ人もイギリス人の英語を古臭い、田舎臭い物という位置付けで見ているようなので、なおさらおかしいと思うのです。

●ヨーロッパの中では英語は方言
 前述のように、英語が世界で共通語化されたのは、植民地時代にイギリスが世界中の植民地に広めたのが発端であり、言語の機能として優れているからでは全くないのです。実際、ヨーロッパ系の言語の起源と伝播を調べてみれば良く分ります。即ち、ローマ帝国前後からのラテン語が共通の起源であるのは良く知られている事ですが、その体系と音を最も良く残しているのが、現在のイタリア語とスペイン語であり、次にスペイン語の方言とも言えるポルトガル語、更にはラテン系でありながら独自の色を強く持つのがフランス語です。ラテン語がヨーロッパ大陸内を北へ伝わる内に、ゲルマン民族は独自の変化を加えて今のドイツ語となり、それがドーバー海峡を渡ってやっと、島国のイギリスで英語が形成されたのです。
 いってみれば、最も中央に位置付けられるのがイタリア語、スペイン語であり、西の方言がポルトガル語、北の方言がドイツ語であり英語なのです。最北の島国であるイギリスの言葉など、中央から見れば田舎なまりが強くて全く垢抜けない、何を言っているのか分からないといった印象でしかなかった、というのが中世までの位置付けでしょう。実際、ヨーロッパの言葉は似通った単語や文法が多く、東京の人間が関西弁や東北弁を聞く状態よりもう少し分からない部分が多い程度の、非常に近い言語なのです。それが、産業革命と植民地時代を経て一番田舎のイギリスが、一躍世界の覇権を握ってしまったので、日本でいえばアイヌ語か琉球語が、いきなり全国の共通語になってしまったような状態が、現在の「英語が世界の共通語」の状態と言っても良いのです。

●実際に英語は方言的
 派生が進むにつれて法則性が崩れ、不規則性が増すのは何事にも共通していますが、ラテン系の言葉やドイツ語でさえ、かなり法則性があるのに、英語にはないという点を以下に列記してみましょう。
・同音でつづりの異なる言葉が多い(例:right/write)
・同じつづりでも言葉により発音が変わる(例:school/lookの「oo」)
・子音で終わる単語が多く、語尾が不明瞭(聞き取りづらい)
・動詞の不規則活用が多すぎる
・「あいまい母音」の存在(東北弁の「い」「え」と同様)
等々です。
 ラテン系言語やドイツ語は全て、発音とつづりは1対1で、読んだ通り発音(各々、独特のつづりはありますが)すれば良く、また聞いた通りのつづりに相当する単語しかないのです。また語尾が子音で終わってしまうのは、ドイツ語あたりから存在しますが、非常に聞き取りにくいですよね。ラテン系言語はほとんど必ず母音で終わる(スペイン語の複数形のs、等は除く。が、発音は分かり易い。)ため、聞き間違える事がありません。しかも母音の発音が決まっていない部分があり、何となく有音で言えば良いといった事も英語ならではです。ああ、やっぱり英語は難しい。聞くのも話すのも難しいです。その点、イタリア語なんか、相手の言ってる事もすぐ分かるし、自分が言った事もすぐ通じますから、簡単ですよ。 

●アメリカ英語は更になまりの強い方言
 となってくると、お察しのようにアメリカの英語は、ルーツであるイギリス人にしてみれば、どうにもなまりが強くて田舎臭い発音なのです。実際、例えばアメリカ英語の「R」の発音はイギリスのそれと比較すると極端に舌を丸めて不自然な発音をします。その他、母音についても特に「あいまい母音」といわれて日本人を悩ませる(例:アメリカ語ではwill、wellの区別がつかない)ようなのが、イギリス人の発音ではちゃんと区別できたり。
 ところが日本では、前述のようにアメリカ文化が是であると洗脳されているので、英語もアメリカ語を大前提とされています。それで、上述のような不自然な口の形や、あいまいな発音で悩まされ、英語はとっつきにくいというイメージを更に強める結果となっていると思うのです。イギリス語なら、発音からしてもっとシンプルですからね。で、話せる人でも、そうして教わったアメリカ語を堪能に話す日本人の方が圧倒的に多いという訳です。ちなみに小生は、十分に話せる訳ではないので、アメリカ式でも良いから早く、仕事で支障ない程度に話せるようになりたいのが本音ですが。

●ハングルと東北弁
 さて、視点を日本とその周辺に戻してみましょう。近年、北朝鮮情勢や韓国の話題が多くなり、ニュースでもハングル語を耳にする事が多くなっていますが、「あれ?」と思った経験を、かなりの人がしているはずです。何かと言うと、何の気なしにTVから聞こえてくる言葉を、始め日本語かと、しかも東北弁かなと思っていると、よくよく聞くと韓国の人がしゃべっている、といった類の。
 日本人は、一説には大陸と南北で陸続きだった何万年も前に、各々北と南から入って来て混血したと言われています。言語については、文字は当然朝鮮半島を経て大陸から渡って来たものですが、言葉自体はそのように、南北の物が融合した可能性があるのです。そもそも親戚のような関係の日本と朝鮮半島ですから、話し言葉のイントネーションやリズムが似ていても全く不思議はなく、音だけで聴いていると、本当に区別がつかない事があります。そんな中で特に、東北弁の口回しとハングルが似ているというのは、同じような言葉を持った人々が北からそれぞれ日本列島側と、朝鮮半島側に分かれて入っていったと考えても不思議ではないのです。そして、日本では単語や文字はほぼ共通化されても尚、東北地方では北から来た人々の口回しが残っているという仮説も成り立つと思います。

●日本語の起源は関西
 次に、そもそも現在の日本語の起源はどこだ、という視点では、縄文・弥生から大和時代の流れを見ても、やはり関西から九州であると考えるのが自然です。実際に、現在の日本語の発音だけ見ても、関西の方が体系的ではっきり発音する傾向があり、標準語を含めた関東弁と比べても、関東弁の方が方言である、言い換えれば方言の要素を含むという事がいえるのです。
 例えば、母音の省略。例を挙げれば、「北」「ツツジ」。さあ、皆さん何と発音しますか? 関西の方は「kita」「tsutsuji」と、母音まで全て発音しますね。関東の方、「k(i)ta」
「ts(u)tsuji」と、それぞれ母音を省略するでしょう。これについては標準語でも関東式を採用していますが、言葉の成り立ちからすれば明らかに、関西式が源流であると考えられます。
 当然関東の文化は本格的には江戸時代以降であり、文化の中心はずっと、関西だった訳ですから、関東弁を標準語と制定された頃の関西の人は、承服できなかったでしょうね。イタリアやスペインの人が、何でイギリス語が世界標準なんだ、と思うのと同様です。

●余談
 以前、江ノ電に乗っている際に、外国人観光客が長谷駅で降りて行くときに、「長谷だね」といった雰囲気で、「アシュ、アシュ」と言って去って行きました。こりゃ、フランス人だな、とピンと来ましたが、道々、何語ならどう発音する、とボーっと考えていました。こんな感じでしょう。
長谷(HASE)
・フランス人「アシュ」
・イタリア人、スペイン人「アセ」
・ドイツ人「ハーゼ」
・英語圏の人「ヘイス」(?)
※ラテン系の言語では、「H」を発音しません。


平成16年4月11日

父の独り言TOPへ

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: