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2005年03月04日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
さて、「教育改革とはなんなのか」後編です。

前編では、英国との比較も交えながら
日本の教育制度が常に「平等性」を志向してきたこと、
現在においても「教育における格差」について
政治家や評論家が言及することが
ほとんどないことを書いた。

そして最後に、
そうは言っても政府は
国民にあんまりはっきり言わないで

進めてるんじゃないのと書いた。

それで後編に入るのだが、
今日はいつもとちょっとスタイルが違って、
ある種の「書評」のようなものになる。

最初にある論文を要約して紹介し、
それについての自分の見解を述べることにする。

「かみぽこぽこ」では
かつてないスタイルなので、
あれなのだけれども、
気になるのは著作権の関係であるが、
通常の学術雑誌における書評論文と

何がそのへん問題があるようならご指摘願いたい。

今日まず紹介する論文は渡辺治氏が
「ポリティーク」第5号
(2002年12月発売、旬報社)
に掲載した、



という論文である。
最初に内容を要約したい。

『教育基本法改正については、
2002年11月14日に中教審の中間報告が出され、
政治日程に上がってきた。

しかし、教育基本法改正については、
戦後何度か、保守勢力の一部や右翼勢力から
改正の意欲が表明されながらも、
これまで一度も政治日程に上がったことはなかった。

その教育基本法改正が
初めて台頭してきた背景には、
1980年以降の日本企業のグローバル化に端を発する
2つの改革の動き、

(1)グローバル化した日本企業の権益維持のための
  軍事大国化を求める動き
(2)グローバル企業の競争力を回復し強化するための
   新自由主義改革

がある。

つまり、この90年代の教育改革をリードしてきたのは、
実は「財界」だったのである。

財界は80年代までは日本の教育制度に
おおむね満足していたが、
日本企業のグローバル化と競争力低下が
あらわになるにつれて、
従来のようなほとんどの子供を巻き込んだ
「横並び」の競争による
大量の労働力養成体制は
企業にとって非効率で過剰なものになったからだ。

そこで財界が求めたことは、

(1)公教育の縮減による教育費の節減。
(2)先端産業の技術開発やエリート教育への
   重点投資の体制作り。

つまり、産業競争力の強化を図るための
「構造改革」の一環として
教育改革を行うことだった。

文部省の推進した教育改革、
学習指導要領の3割削減、
学校選択の自由化や学校統廃合、
財界の要請を受けて始まったものだった。

ただ、この改革は
学習指導要領の削減、
いわゆる「ゆとり教育」については、
顕著な学力低下という形で
見事に成果を上げたが、
エリート教育の実現に関しては、
成果が上がらなかった。

財界はこの現状に不満を持ち、
すでに起こっていた教育改革への批判を後押しし、
「ゆとり教育批判」は一種の流行となった。

そして教育改革は第二局面に入り、
2000年3月に「教育改革国民会議」が作られた。
ここで教育基本法の改正が取り上げられていくことになる。

その背景には
1990年代後半に古めかしい諸団体から発した
教育基本法改正論キャンペーンがあった。
現代日本社会の安定の崩壊や
教育崩壊の元凶として
基本法をやり玉に上げたのである。

しかし国民会議は、
単純に文部省の教育改革を否定したわけではなく、
2つのグループに分かれていた。

(1)改革路線を堅持し、それを徹底することで
 事態を打開しようとする新自由主義派グループ。

彼らの問題意識は、
教育改革のスピードが上がっていないので、
エリートも先端科学技術の開発能力も育っていない、
教育の格差化をもっと徹底すべきだというものであった。

(2)現在の教育荒廃を克服するために、
  教育改革の権威的修正を求めるグループ。

彼らが教育基本法改正推進派であった。

この2つのグループは、
教育の格差化ということでは、
実は一致していた。
(それは国民にはほとんど
知らされることはなかったが。。。)

後者のグループの主張は、
実は教育の格差化からの脱落者に対処することで、
そこから教育における権威の再確立、
基礎・基本の徹底、しつけ教育や道徳教育の徹底、
奉仕活動の導入などが主張された。

ここで注目すべきは、
国民会議の多数派は前者・新自由主義者だったことだ。
前者にとって、教育基本法改正は
優先順位が低いものだったが、
ではなぜ、教育基本法改正は推進されることになったのか。

それは教育基本法改正が、
教育改革の推進に非常に都合がよかったからだ。

2000年12月に出された国民会議の最終答申では、
「個性教育」の名の下で、
習熟度別学習、学習達成度試験の実施、
中高一貫教育校の設置、飛び入学などの施策が、
「公立学校再編」の名の下で、
公立学校の多様化、学校への外部評価の導入、
学校選択の自由化、学校評議員の設置が、
「新タイプの学校設置」ということで、
私立学校設置基準の緩和、研究開発学校の設置、
コミュニティースクールの設立、などが提言された。

これらは前者のグループの構想であり、
いずれも子供たちのふるいわけと
学校の格差化を図るものである。

そして同時に
家庭教育の重視、道徳教育の強化、奉仕の義務化、
教育の権威回復策としての問題児の排除、出席停止
など後者のグループの構想も盛り込まれたのである。

そして教育基本法はこの改革の推進による
社会構造の変化に対応するためのものとして
新たな役割を期待されることになったのである。

それは、公教育のスリム化と格差化が引き起こす、
社会の階層化を容認する意識を国民に植え付ける、
という役割である。

つまり、教育基本法は子供たちに、
特に私立学校にいけない下層の子供たちに対する
しつけと秩序への服従の意識を植え付けるもの。

同時に、教育基本法は、
エリート層に対して、
「国家社会の形成に主体的に参加する」
「新しい公共」
「わが国の伝統・文化の理解と尊重、
郷土や国を愛する心」
などの徳目を植えつけるためのもの。

この2つの役割を同時に果たすものとして、
教育基本法改正は期待されているのだ。

教育基本法改正は
一見、法案の中身が
右翼や保守派が伝統的に主張してきたものの
焼き直し、再来に見えるという特徴がある。

したがって、法案に対する批判も
言い古された伝統的な、復古的な主張に対する批判
というかたちをとっている。

例えば、「伝統」「愛国心」「公への貢献」
などは、それこそ1950年代初頭の
教育基本法改正論者の定番であったわけだから。

しかし今、教育基本法改正が
政治日程に上がった理由は、
財界の要請に端を発した
構造改革の推進を
教育分野で行うためなのである。』

なるほどね。。。

「教育基本法改正は構造改革である」

とでも言おうか。

この議論は大変興味深い。
ただ、この議論は一般には
あまり知られてないように思うんだよね。

「ポリティーク」という雑誌、
そんなに一般的に読まれてないだろうし、
読まれてもやや左寄りの方が読むのだと思う。

だから、1日1200-1500アクセスがあって、
どちらかというと保守系の読者が多い、
この「かみぽこぽこ」でこの議論を紹介するのは、
意味があるかなと思いました。

私はこの議論は当たっていると思っていて、
「かみぽこ政治学」的にも、
教育改革の過程における
財界や政治家、官僚の動きは
理解できるものだ。

私はここから更に問題提起をしてみたいと思う。

まあ要するに、教育基本法改正とは
かみぽこ的に言えば、

「これまで日本にたくさんいた
適当に賢い労働者みんなに
高い賃金を払っていたら
会社はもうやってられない。

だから教育制度を変えて
人為的に少しの天才と大量のバカを作る。

そして、ここで改正・教育基本法を登場させる。

改正・教育基本法は、

少しの天才に対しては
国を敬い、国のために働く精神を植え付けるため、

逆に大量のバカに対しては、
単純労働で安月給しかもらえなくても、
ふざけんなーっと不満を持って犯罪に走ったりせず、
国の言うことを聞いて大人しくするようにするため、

必要なのである。」

ということになるだろうか。(笑)

要は前編の最後に書いた、
政府は国民には黙ったまま
実は着々と「将来の教育」について
手を打ってきているんじゃないかと
いうことなのだが、つまり

「みんなが知らない間に
国に忠誠心を持つ少数のエリートと、
国に逆らわない大量のバカを作る」

ことを政府は静かにやっているのだ
ということになる。

まあ国民がはっきり聞かされたわけじゃないので、
これは本当かどうかわからないけど、
もし本当だとするならば
問題はないのか考えてみたい。

最初の考えないといけないのは、

「人為的に天才とバカを作れるのか?」

ということだろう。
この21世紀の時代に。。。。

もう少し突き詰めると、
天才はエリート教育をやれば作れるだろうが、
バカはバカのままでいてくれるのだろうか、
ということだ。

これだけインターネットが普及して、
個人が情報をいくらでも入手できる時代である。
(現に国が国民に黙っていようとしても、
私がここで「教育基本法改正は構造改革」と
教えてしまっているわけで=笑)

移動手段も発達し海外との距離が縮まり、
日本が駄目なら海外の学校に子供を通わせる
ということも難しくはなくなっている。

日本の親も子も、政府が考えるよりも
すでにもっともっと賢くなってんじゃないだろうか。

よしんばバカが作れたとしても
(すでにたくさんできたという説もあるし。。。)
国に従順なバカが作れるのか?

無理じゃないか。
上に書いた通りこれだけ情報化が進んで、
その上これだけ価値観が多様化した時代に、
国が価値観を押し付けられるわけがない。

要は財界や政治家のじいさんが考える以上に
世の中はずっと先を進んでいるのだ。

次に思うのは、

「本当にバカを大量に作っていいのか?」

ということ。
日本の唯一にして最大の武器は

「良質の労働力」

だということに
異論がある人は少ないだろう。

これを企業経営者たちの都合で、
つまり、自分の会社の短期的利益が
出るかどうかということだけで、
あっさり捨てちゃっていいのか?

日本は「ものづくり」へのこだわりを捨てて、
米国や英国のような金融やサービスで
食っていく国になるのか?
しかし金融やサービスで
米英に伍していけるのか?

そのへんの議論が、つまり

「日本の将来の国のあり方」

が国民の間で一切議論させてされていない状況である。
(何度も書くが、教育の格差化自体、
政府は曖昧にしたままなのだから。。。)

それでこんな改革を静かに進めていいのか?

そして、最後に今日言いたいことは、
今、子供を持つ方は教育にお金を
惜しんではいけませんよということ。

今、お金を惜しんだら、
自分の子々孫々は
永遠に浮かばれることがない、
そんな教育制度を国は
導入しようとしてるのかもしれませんよ。

別に子供の海外留学に
お父様方・お母様方は
しっかりお金を使いましょう!
と言いたいわけではないのだが。。。(笑)

自分の趣味か子供の教育か
どっちにお金を使うのかとなったら、
絶対に子供の教育費を優先したほうがいいですよ
ということだ。

「教育基本法改正は構造改革」

伝統的な、復古調の主張に隠された
改正の真意に気がつかないでいると、
大変な目に遭うのかもしれないのだ。



<参考文献>

渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」『ポリティーク』第5号2002年12月(旬報社)





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最終更新日  2005年03月05日 17時58分00秒


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