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2006年09月12日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
さて、「英国留学回想録」です。


「ソフィアからの『ありがとう!』」。

前回は、修士論文の仮タイトル決定に関して
コースダイレクターの
アラン・レイトン=スミス教授から
研究室に呼び出しを受けて、

「ソフィアに会うように」

とアドバイスを受けたことを書いた。


大した話じゃないと思って、
スルーした方が多いんじゃないだろうか。

それは甘い。(笑)

この話には重要な教訓がたくさんある。
重要だからこそ、
その重要さがじっくりと
後から沁みてくるように
淡々と書いたということなので。

それでは、続きの話、
いってみましょう。

アラン・レイトン=スミスのおじいちゃんの言う通りに、

そ~っとメールを入れてみた。(苦笑)

修士論文の仮タイトル決めに関して相談したいこと。
一応テーマは「日本の首相公選制」であること。

日本の首相公選制は40年前から議論があって、
うんぬんと簡単に説明した。


先生方にコンタクトを取ってはいけないと
事務所に言われているのは承知しているけど、
コースダイレクターから貴方に相談しなさいと言われました、
ということも丁寧に書いておいた。

そうしたら。。。

「来なさい。」

即答で、わずか一言だけの短い返事が来た。(苦笑)

(面倒くさいとか、思われてるのかなあ~。
ううううう、こわいいいいいいい。)

ご存知の通り気の小さい私は
怯えながらそ~っとソフィアの研究室を訪ね、
そ~っとノックしてみた。

「カム・イン!」

甲高いイタリアン・アクセントの
ソフィアの声が部屋の中から聞こえてきた。

(うわっ!いる。。。)

そりゃ、いるのは当たり前なのだが、
できれば時間にルーズなイタリア人が
約束を忘れて来てないとかないかな、
とか妙な期待(?)をしている自分がいた。

おかしな話だ。。。。

ここから先は、実は以前書いたことがある話だ。
( 修士論文(1):指導教官が決まるまで )

恐る恐るドアを開けてみた。
すると、ソフィアが立ち上がって
私に向かって歩いてきたわけだ。

(うわっ、なんか俺、悪いことしたっけ。。。)

とか思いながら後ずさりしていると、
ソフィアがいきなり握手してきた。

「かみぽこ。メール読みました。
『日本の首相公選制』

ベリー・インテレスティング!
よくこんな興味深いテーマを見つけてきたわね。

ありがとう!

指導教官はやらせてもらうわ。」

ものすごい握力で両手を
ぶんぶん振り回された。

(い、い、いや、あの。。。。
貴方は怖いから指導教官は。。。。
今日は、話を聞きにきただけで。。。。)

と言い掛けたが、このイタリアおばさんは
話が止まらない。

自分が、今イスラエルの首相公選制を
非常に興味を持ってウォッチしていること。

自分の母国のイタリアでもかつて首相公選制導入論があったこと。

日本で首相公選導入論が
40年前からあったことを知らなかったこと。
それを知ることができて非常にうれしいということ。

などなどを一方的に
機関銃をぶっ放すように話し続けたわけだ。

ははは。。。。

ということで、学部の規則では
学生が個人的に修士論文の指導教官の依頼を
先生にしてはいけないことになっているのだが、
ソフィアが私の指導教官を引き受けてくれることに
内々決まってしまった(?)わけだ。

さて、この修士論文の仮タイトル決めに関しての
レイトン=スミス教授、デラ=ロッサ博士との
ミーティングから得られた教訓とは何であろうか。

まずもって言えることは
こういうミーティングを持てたこと自体だろう。
だって、学部は先生に連絡するなと言っていたのだから。

ミーティングを持てた理由というのは、
私の属していた政治学研究科修士課程が
少人数のコースだったからだ。

うちの学部の大学院修士課程は
3つのコースがあって(当時)、
政治学研究科7人、
国際関係論研究科30人、
国際政治経済学研究科70人、
という人数構成だった。

何度も書いていることだけれども、
政治学研究科というのは、
「国内政治」を研究するコースで、
学生は私を除き全員英国人。

一方他の2つのコースは、
英国人が100人中5人だけで、
95人が留学生だった。

つまり少人数のコースで、
留学生が1人だけだったために、
保守党とのケンカに忙しい
コースダイレクターのおじいちゃんも
私のことを気に掛けてくれたし、
同じく忙しい他の教授陣も
個人的に私の事を認識してくれた。

だから、学部に禁止されたミーティングを
内々で教授との間に持てたし、
ソフィアに内々指導教官を
引き受けてもらうことまで
決められたわけだ。

他の大人数のコースでは
こうはいかない。

実際、官僚N子さんもU美子も
教授とのミーティングを持てなかったし、
指導教官を自分で決められなかった。

つまり私が言いたいことは、
私が教授陣と親密な関係を持てたのは、
ひとえに少人数コースだったということに
尽きるということだと思うのだ。

当時の私は英語力、特に会話力は
学生の中で標準以下もいいところ、
下の下というレベルだった。

大人数のコースにいたら、
間違いなく大勢の中で
埋もれてしまっただろう。

そして、この教授陣とのミーティングこそが、
今思えば、私が博士課程に進む
本当の第一歩目であったということ、
これは強調しておいていいだろう。

なぜなら、ソフィア・デラ=ロッサ博士が
この修士論文の指導教官の延長線上で
私の博士論文の指導教官になったからである

実に自然な形で。。。。

私が前回、
アラン・レイトン=スミス教授とのミーティングを
さらっと書いたのは、
実はこんなに教授に気に掛けてもらえるのは、
簡単には得がたい幸運な状況だったのだということ、
そして私が当時そのことに無自覚であったことを
描写するためであった。

私はただの幸運だったけれども、
これから留学する方や留学中の方が、
こういう自分にとっていい状況を
意識的に作り出していく、
ということも留学を成功させるには
必要なことなんだろうなと思う。

ということで、
続きはまた来週。

それでは、またね。





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最終更新日  2006年10月31日 03時09分42秒


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