綺麗な石達

綺麗な石達

現代の勾玉について


勾玉の形は、不思議な形をしています。
三日月を模したと考える人、胎児を模したと考える人、あるいは巨獣の牙であると考える人、また、鮫の歯であると思い付く人、勾玉のもつ美しい曲線に様々な想像を交えた考え方がありますが、現実に古代から、このような形で不思議な魅力を保ちながら現存しているのです。「遠い神代の昔から」という語源のとおり古代人達は、「何かを信じ」、「何かに縋って」生きることの安心感を保つために、勾玉を身に付けたのではないでしょうか。
現代の我々も同様に、老いたる者も、若い者も、何かを信ずるという気持ちは、常に持っているものです。
それが、神であれ、仏であれ、或いは、他の宗教であれ、何かしら心のより所としての進行となっていることは古代人の人たちと全く変わりありません。
日本人は12月24日にはクリスマスを祝い、正月には初詣ということで神を念じ、神に祈り、人が死ねば、大抵は寺院に行き仏教で葬儀を行い、たちまちにして瞬間的な仏教徒になってしまうのです。
そんなことに少しも矛盾を感ずることなく、あたかも大河の流れのように、それらの流れの中で、何の抵抗もなく過ごしてゆくのです。祈りとは何か、宗教とは何か、進行とは何か、神とは何か、それらはまだまだ我々の理解を超えた世界であります。
古代からある「勾玉(本翡翠)」も古代人達の長い長い経験から得られた、不思議な力のある美しい石即ち、「玉」としての信仰に他なりません。
それを我々は素直に信じ、まず身に付けてみることこそが大切なのではないでしょうか。

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