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著者の山内氏、佐藤氏共に保守の論客ですが、現在厄介な独裁者とされる指導者について、宗教、思想、パラダイム原理に基づいて、その行動形態を冷静に分析していて、一読の価値がありそうです。特に、佐藤氏は神学研究科卒業ですから、宗教基盤について論じるのですが、普通の論客には見られない観点からの分析は、正鵠を得ている様な気がします。取り上げられ分析される5人の指導者は、米国のトランプ氏、北朝鮮の金正恩、ロシアのプーチン氏、トルコのエルドアン氏、イランのハメネイ氏ですが、否定的見解は見られず、現在悪の権化とされ国際社会から強い制裁を受けている北朝鮮の金正恩についても、客観的にその行動基盤を分析するのです。米国のトランプ氏については、近頃批判の的とされているエルサレム首都問題では、プロテスタント長老派の彼として当然の帰結で、アラブ諸国の支援を受けて、イランとの対決姿勢を強めるだろうと、事前に分析しているのです。とりわけ、ロシアのプーチン氏については絶賛、教養や知識の広がりや深さは、他の指導者とは較べるべくも無いとしています。ロシアには、悲劇的や様々なマイナスの歴史はあるが、それらも含めてロシアであり、それぞれの時代の中で解決すべき点は解決して行こうとする姿勢は妥当と評価するのです。韓国の様に、日本に依る朝鮮戦略の史実を無限遡及的に、「悪無限」として、現代日本を常に批判するのは、生産的でないと処断分析しています。しかし、悪の指導者の代表格とされる中国の習近平氏は本書に含まれないのは不思議に思われますが、最終章で記載されている「少し時間を置きたい」と言うのです。何故ならば、習近平氏は中華覇権主義を奉じ、2016年10月には別格の指導者「核心」に位置づけられ、益々その体制が強化されて行きますが、現状は比較的に安定していて変化は無く、任期10年を延長する様な事態を見守りたいのと趣旨の様でした。
2017.12.14
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近頃は、社会保障制度予算の急拡大と共に、「搾取する」老人階級vs「搾り取られる」若者階級・勤労者階級という構図が問題となって来ました。世代間の闘争とも見える切実な課題ですが、人間不信と自己嫌悪を克服することで、それを打開出来るのではないかと言うのが著者の主張です。老人階級の生き方としては、「孤独を楽しむ」ことを、次の様に推奨します。人生は、青春、朱夏、白秋、玄冬と、4つの季節が巡って行くのが自然の摂理です。玄冬なのに青春の様な生き方をしろと言っても、それは無理です。老いにさし掛かるにつれ、体も思うように動かず、外出もままならず、訪ねて来る人もおらず、何もすることが無く無聊を託つ日々、世の中から取り残されてしまった様で、寂しいし不安だ。孤独な生活の友となるのが、例えば読書で、外出が出来なくなっても、誰にも邪魔されず、古今東西の人と対話が出来る。視力が衰えて、本を読む力が失われても、回想する力は残っている。残された記憶を元に空想の翼を羽ばたかせたら、無辺の世界が広がって行く。歳を重ねるごとに、孤独に強くなり、孤独の素晴らしさを知る。孤独を楽しむのは、人生後半の充実した生き方の一つだと思うのです。現状、日本が抱える難問を逃避する傾向にあると懸念し、思考停止を警告しています。日本人の様に、知識水準の高い国民がどうやって難問に立ち向かうのか、世界中の人々が固唾を飲んで見守っている問題があります。一つは、使用済み核燃料の処理で、他の一つが、超高齢社会の行方で、どちらも戦後の日本で素晴らしい成果を上げながら、時間の経過と共に、その存在が社会の重荷になっている。しかし、それらから目をそらし、とりあえず棚上げにして、「充実した毎日」を過ごせれば良いと現実から逃避し、美味なパンを求め、日々サーカスに興じることになります。老人階級としての生き方を、日本のあるべき姿を模索しつつ、次の様に提唱するのです。超高齢社会を生き抜くには、どうも「高齢者産業」も拡充で、「日本と言えば、高齢者をケアする製品やサービスで右に出るものが無い国」と言うブランドを確立したら、世界中が日本を見る目をガラリと変えるのでは無いでしょうか?そうした働きかけが、「嫌老社会から賢老社会」へのターニングポイントとなる時代に私たちは立っているのかも知れません。
2017.09.29
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米国家安全保障局(NSA)による大規模な個人情報収集を告発し、ロシアに亡命中の米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン氏に2016年6月に行われた独占インタビューと、同月東大で行われた4人のパネリストによる討論シンポジウムを纏めたものですが、もう時宜を逸している感もありました。しかし、世界各国で自国益第一主義が蔓延り、国を導くべきリーダーが、「自分にとって良いか否かが全て、自分が何をやりたいかが全て」と、その論理国民の為では無く、自己正当化する我欲の論理が甚だしくなって来ています。彼が慎ましくも言う「私達は皆人生の何処かで、易きに流れる道と正しい道の何れかを選ばなければならない場面に出会います。小さなリスクを取ることで社会をより良くすることが出来る機会がある筈です」は傾聴に値する気がします。又、マスコミにも警鐘を鳴らし、「自由な報道は政府の言いなりではなく、政府による情報独占に対抗する必要があります。政府の動きを調査し、企業の動きを調査し、判明した結果を人々に伝えることがジャーナリストの役目なのです」、と近々政府広報にも達しているマスコミにも苦言を呈しているのも、少なからず正論と見えました。時宜を逸していると思われるのは、6月2日付けのインタビューで少し進んだ警告を発しているからです。日本政府が個人のメールや通話などの大量監視を行える状態にあることを指摘する証言。参院で審議中の「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が、個人情報の大規模収集を公認することになると警鐘を鳴らした。NSAは「XKEYSCORE(エックスキースコア)」と呼ばれるメールや通話などの大規模監視システムを日本側に供与、世界中のほぼ全ての通信情報を収集出来るもので、NSA要員が日本での訓練実施を上層部に求めた2013年4月付の文書を公開した。今年5月29日の参院本会議で、安倍首相は文書を「出所不明」としてコメントを拒否したが、元職員は「供与を示す文書は本物だ。米政府も本物と認めている。日本政府が認めないことは馬鹿げている」と語り、欧米だけでなく日本等で個人監視が強まっていると憂い、「世界は歴史的転換点に差し掛かっている」と指摘し、現状を放置すればテロ対策を名目にした「暗い」監視社会が待っていると、口調を強めて警告した。
2017.06.05
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結論としては、生前退位は歴史上多数あり、又平安時代の院政の図式は考えられず、今上天皇の譲位(生前退位)を認めるべきだと言うのです。しかし、定説から外れた著者特有の「関史観」と言う独特の歴史観から明かされる謎解きを展開し、藤原氏は百済王族の末裔と推断し、律令制度導入の混乱に乗じて、不安定となった天皇制度を我が物として「日本書紀」「続日本紀」を都合の良い様に編纂して、400年近い混乱を招いてしまったと断ずるのです。細かい史実も網羅していて、邪馬台国は畿内の奈良盆地に大和朝廷なのだが、北部九州の「女酋」が朝鮮半島に進出して来たばかりの魏に対し「我々が邪馬台国」と偽りの報告をして、「親魏倭王」の称号を獲得したと言う本居宣長説が正解だとします。天武天皇は天智天皇よりも4才年上で、蘇我系豪族の支えがあって、皇位に近い存在であったのだが、蘇我入鹿暗殺でその芽を摘んだと言うのです。壬申の乱で、天武天皇が即位して藤原氏は遠ざけられるのですが、崩御後は持統天皇に阿り「持統朝は天智と藤原鎌足政権の再来」として復帰し、遂に外戚として栄華を奮う様になり、それ以前に天皇を補佐して来た蘇我氏や物部氏を悪者として扱った「日本書紀」を編纂して、歴史の真実を消し去ってしまったと言うのです。歴史の碩学井上光貞氏の説も引用し、皇位継承の困難に際して、6世紀中葉から7世紀末まで譲位が多く、中継ぎとして6女帝が選ばれているのではと言うのです。著者の藤原氏嫌いは徹底していて、そんな著書が多数ある様で、中には又同じ展開かと言う批判もあるようですが、政党歴史学界とはかけ離れた内容の展開は、古代史のエンターテナーとしては惹きつけるものがあり、近頃話題となっている所謂アルトファクト(Alternative Facts)として読むには面白い書籍だと思われます。
2017.03.12
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米国の歴代政権の国防政策を40年に亘って担当し、親中派として好意的に中国支援をしていたのですが、中国は好意を無にして米国に取って代わって世界覇権を目論んでいることを知り、その長期戦略に警鐘を鳴らす様になりました。ビルズベリー氏の分析については、出典引用も多く妥当で見事とは、思うのですが、結論が至極甘いものと思わざるを得ませんのが残念です。日本は既に中国の100年マラソンに巻き込まれて、苦い後塵を拝していると思うのです。1972年の日中友好はソ連からの圧力対抗に利用され、ソ連がロシアに替わってその役割を終えて、GDPが日本を凌駕することが確実となった2000年の江沢民からは、中華覇権を称えて、小日本と揶揄して愛国反日を原則としたのです。反日プロパガンダの激しさは近年影を潜めてはいますが、友好的ではありません。次は、中国は米国のGDPを凌駕する2049年には、米国も役割を終えて揶揄し、世界覇権を制覇することになると言う戦略を読み取ることが出来ました。中国の戦略は、西洋の歴史的成功と古代中国の盛衰を学ぶことに基づき、態勢を整えておいて、好機が訪れたらそれを逃さないと言うのが本質だ。100年計画で世界制覇を樹立する為の9要素があって、1. 敵の自己満足を引き出し、警戒態勢を取らせない2. 敵の助言者を利用する3. 勝利の為には、数十年或いはそれ以上我慢する4. 敵の考えや技術を盗む5. 軍事力は決定的な要因ではない6. 覇権国は、極端で無謀な行動を取る7. 勢いを失わない8. ライバルの相対的な力を測る尺度を確立する9. 他国に包囲され、騙されないしない様にする100年計画の途中経過として、世界は次の危機に晒される1. 中国の価値観がアメリカの価値観に取って替わる2. 中国はインターネットの反対意見を検閲する3. 中国は民主化に反対する4. 中国はアメリカの敵と同盟を結ぶ5. 中国は大気汚染に依る世界終末を輸出する6. 成長戦略は水の枯渇と汚染を引き起こす7. 発癌性物質を使用する食品も輸出する8. 欺く窃盗のチャンピオンを野放しにする9. 国連と世界貿易機関を弱体化させる10. 営利目的で兵器を量産する結論として、中国政府は今後数十年に亘って、戦争や領土侵略ではなく、経済、貿易、通貨、資源、地政学的協力を巡る攻防を展開する。それと張り合うには、野望を見極め、国際基準の境界を踏み越えそうになったら、その動きを非難し警告することが必須となる。
2017.02.20
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23年間に亘って、NHK「クローズアップ現代」のキャスターを務めた国谷裕子女史の半生の内省回顧録で、キャスターという仕事のあるべき姿を提示していて興味深いものがありました。アメリカの大学を卒業、帰国子女で小学校の数年を除いて、海外の大学やインターナショナルで教育を受けたことでNHKからの依頼もあって国際報道を担当しますが、日本のことを知らず、日本語の「てにをは」がおかしく、辛酸を嘗めてしまいます。NHK職員ではなく、契約社員であったこともあって、業務に縛られずに、降板と言う失敗を克服すべく自己研鑽を重ねます。そしてノウハウを積み重ねる研鑽と臥薪嘗胆が功を奏して、遂に1993年、「クローズアップ現代」と言う、政治、経済、事件、災害、社会、文化、スポーツと幅広いテーマを扱う番組のキャスターに抜擢されたのです。それから23年間、3800件に近くキャスターとして、個人が組織、社会に抗って生きるのは難しいと、企業不祥事が起きると法令順守、リスク管理を喚起したのですが、社会全体に「不寛容な空気」が浸透して行くのを感じて、公共放送の公平さに則り、企業のみならず政府にも直言を呈する様になります。安倍政権が望んだ政府に従順なNHK会長が就任することで、政府に直言する傾向のある「ニュース9」キャスターの大越氏の降板に続き、やらせ番組を報道したとして「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子女史の契約解除と言う事態となりました。「あとがき」には、「トランプ大統領がメディアは余計なフィルターとしてTwitterを使って情報発信をして「Post-Truth(脱真理)」の世界が広がりつつある。しかし、人々の生活に大きな影響を及ぼす立場にある人に対して、発言の真意と根拠を丁寧に確かめなくてはならない。ジャーナリズムがその姿勢を貫くことが、民主主義を脅かす「脱真理」の世界を覆すことに繋がると信じたい」と結ぶのです。将に民主主義の危機と警告しているのが感じられる書籍でした!
2017.02.05
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マンションも築30年以上が当たり前になり、問われるのがマンション毎の格差で、既存マンションによる激しい大競争時代が始まっていると言うのです。講談社現代新書「マンション格差」では、東京圏中心で、東海道線、中央線、私鉄では小田急線沿線で、マンションの格差を論じ、購入時の心得や整備法を示し、資産価値をどの様な保持するのかを示唆します。私は日本住宅公団(現 UR都市機構)が、1980年代に「多摩ニュータウン」に造成したマンション群の一つに、1985年に入居しました。この団地は1984年完成で、最寄り駅から徒歩15~18分の位置にあり、当時は住宅公団の住宅は「遠くて不便で高い」と言う評価が一般的で、完成から1年経過しても、空き家があったのです。連棟式低層タウンハウスと中層5階建てマンションの混在する186戸の中規模団地、主契約者は大手の大成建設で、複数の下請け業者が建立、仕様は大成建設が設定していますので、彼等が手掛けていてよく観掛ける郵便局建屋に見えないこともありません。建物は躯体鉄筋コンクリートに、5cm程のシンダーと言いますか化粧コンクリートを被せ、表面にはシリコーン塗装をしてありますので、メンテナンスは施工しやすいのです。12年毎の大規模修繕が行われ、シリコーン塗装塗り直しも丁寧な刷毛塗りを指示したことで、半永久的に鉄筋コンクリートの劣化が無いのだろうと思われます。資産価値は、購入当時は平均3400~3600万円でしたが、メンテナンス整備が良いこともあって、駅から遠いハンデにも拘わらず、半値は確保している様ですし、期待しています。現状、大都市圏では「ニュータウン」を拡大する必要が無くなっている。嘗て猛烈な勢いで開発された「多摩ニュータウン」では一部の過疎化が進行している。日本全体では800万戸以上も余っている。そんな状況の中、新築マンション供給は徐々に細って行き、10%未満にまで減り、アメリカやイギリスと同様に、中古住宅が住宅市場の主役となる。その場合、マンションに問われるのは立地の評価で、次に建物の管理状態となり、資産価値が決められて来る。これまで大量に建設された分譲マンションは、その出口戦略を構築することが迫られるし、今の区分所有法では恐らく処理しきれないだろうが、マンション価値をしっかりと保持し、「格差競争」の中で有利なポジションを維持することが求められる。
2017.01.22
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安倍首相はある宗教団体の影響を大きく受けていると、週刊誌などでは報じられてはいましたが、大手の新聞・TV既存メディアでは根拠が薄弱なのか報じられることはありませんでした。本書は、1年間の緻密な調査報告書として、安倍政権の“黒幕”と噂される右派団体・日本会議とは何かと言う疑問に応えてくれています。「安倍政権の暴走が止まらない。特定秘密保護法、集団的自衛権、安保法制の強行採決、傍若無人な政権運営は留まる処を知らない。この幼稚さと野蛮さ目立つ自民党の背後には、必ずと言って良いほど、日本会議と日本青年協議会を始めとする「一群の人々」の影があるのだ。70年安保の時代から、安藤巌、椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史郎、伊藤哲夫と言った「一群の人々」は、休むことなく運動を続け、今、安倍政権を支えながら、明治憲法復活と言う悲願達成に王手を掛けた。デモ・陳情・署名・集会・勉強会と言った「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。このまま行けば、「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう、何たる皮肉、これでは悲喜劇ではないか!」と告発するのです。名指しされた椛島有三氏は、6箇所の表現修正が為されなければ名誉毀損と、出版差し止めを求めて提訴、1ヶ所は該当するとして出版差し止めが認められました。私が拝読した限りでは、全編告発の書でもあり、その1ヶ所は特定出来ませんでした。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、新憲法制定を求める1000万人署名をめざす団体で、単純明快な方法で解説する。会の共同代表3人のうち2人は日本会議の名誉会長や会長。会の事務局長も日本会議事務総長で、その他の役員もほとんど重複している。日本会議は歴史教科書の採択など個別のテーマごとに別働団体を作り、草の根の運動のような形をとって政治に働きかけ、目的を達成してきたからだ。彼らが勝負をかける「改憲」では、前述の「国民の会」のほか「新憲法研究会」や「『二十一世紀の日本と憲法』有識者懇談会」(通称「民間憲法臨調」)が作られている。これらの団体は特段、日本会議系団体であることを隠しもしない。あくまでも別働部隊として、個別にシンポジウムを開催したり署名活動を行ったり、街頭演説を行ったりと実にさまざまなチャンネルで、自分たちの主張を繰り返し展開していると著者は言う。
2017.01.15
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1月6日、扶桑社「日本会議の研究」について、東京地裁が原告の申し立てを認めて、出版差し止めの仮処分命令を出しました。話題となっている書籍、ネット購入出来ないものかと検索していましたら、流石に出版差し止めの仮処分命令を受けて、新刊としてはネット本体では販売されていなかったのですが、其処に出店している関連サイトで古書として販売されているのです。送料込みで1342円、早速購入することにしました。マスコミは、憲法で保障された表現・報道の自由および読者の「知る権利」を守るのが原則ですが、TV局等はすっかり牙を抜かれて、残念ながら問題を提起していません。世の中は確実に右傾化している様で、マスコミには頑張って貰いたいものですが・・日本を戦前に戻すような歴史修正主義と憲法改正の運動を展開、安倍政権に影響を与えている極右組織・日本会議。その存在を広く世に知らしめたのは、『日本会議の研究』(扶桑社)で、昨年春の発売から高い評価を受け、約15万部のベストセラーとなった。同書をめぐって、宗教法人「生長の家」の元幹部である安東巖氏が記述が名誉毀損に当たるとして出版差し止めの仮処分を申し立てていたのだが、6日、東京地裁が安東氏の申し立てを認めて、出版差し止めの仮処分命令を出したのだ。同書は、日本会議のルーツとして、70年安保当時、元生長の家の信者が右翼運動に関与しつつ、日本会議に発展させたかを詳細に記述していた。日本会議事務総長である椛島有三氏や、「安倍首相のブレーン」といわれる伊藤哲夫・日本政策研究センター所長も、元生長の家信者だったことが明かされている。同書の発売前には、椛島日本会議事務総長名義で、版元の扶桑社に出版差し止めを要求する文書が送られるという圧力事件が起きていた。同書が、元生長の家人脈を束ねる「リーダー格」としたのは、差し止め仮処分の申立人である安東氏だった。裁判で安東氏は、『日本会議の研究』の記述の6箇所について真実ではないと主張、裁判所は5箇所については訴えを退けたが、1箇所について真実ではない蓋然性があるとして、「販売を継続することで男性は回復困難な損害を被る。問題の部分を削除しない限り販売してはならない」としたのだ。多寡が一箇所、真実性が証明できない記述があるだけで、出版物の販売を差し止めるとするのは、憲法で保障された表現・報道の自由および読者の「知る権利」を著しく損ねるもので、あきらかに行き過ぎである。
2017.01.10
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日本と中国は、漢字文化、食文化、黄色人種等の共通性から、一般に「同文同種」「一衣帯水」との間柄と言った表現が用いられますが、現在は躍進した中国が反日と覇権主義を展開する中、日中関係はお互いへの感情が悪く、歴史上最悪の時代を迎えています。著者の陳舜臣氏は日本生まれの中国人、喫緊の時事問題を避けて、永い歴史を振り返りつつ、日本人と中国人の違いを解説していて、今日の最悪な日中関係を改善する様な議論も多い様で、その洞察力には感心させられる処が多いと思われます。著書の初版は1972年で、日中国交正常化がなって、中国ブームが起こっている時期であった。しかし、交流が深まるにつれてお互いの国への感情は悪化したが、初版執筆から30数年、訂正すべき箇所は殆ど無いと分かり、時事を避けたことは正解だと安堵している。(2005年度版)例えば、文学や文学者に関しても、考え方の隔たりは大きく、違いを理解しつつ、付き合うことが必要だと言うのです。日本人は、文学が拘わりを持つのは、「もののあわれ」であって、政治はその反対物として切り離された方が良い。中国人にとっては、文学者が政治の渦に巻き込まれる、しごく当たり前のことで、弾圧を受けても、当然のことと受け止めているに違いない。もし、近づくつもりがあるのなら、最低の条件として、相手がこちらと違うと言う点を理解すべきだと言うのである。20~21世紀でとかく言われる経済的な資本主義・共産主義の違いが大きいと言う前に、お互いの永い国情から培われた本質的な政治体制の違いを認めるべきだと言うのです。日本では機構或いはしきたりは上の権力2重構造で自己を制御し、中国では理念の2重性と皇帝の交代で蘇生を繰り返した。機構は「実」であり、理念が「名」であることは言うまでも無い。このように長短相補う様な国家を、互いに隣国として存在させているのは、摂理の様な気がする。どちらが優れ、どちらが劣るかと言う問題ではない。一方が一方を倣って同化してしまっては、その摂理に対する冒涜であろう。
2016.12.06
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イギリスのEU離脱(Brexit)に対して、著者であるフランス人のトッド氏は肯定的で、ドイツ支配のEUは瓦解すると言うのです。イギリスがEUを離脱した最大の動機は、移民問題ではなく、英国の主権回復だったことが明らかになっています。即ち、EU本部が置かれている官僚の跋扈するブリュッセル、或いはEUの支配的リーダーとなっているドイツからの独立だったのです。その背景にあるのは、グローバリゼーションへの反発で、経済格差が拡大の一途に対して旧来的なナショナルな方向へバランスを戻したのであり、イギリスに続く目覚めが、フランス、そして欧州各国で起きることで、ドイツによる強圧的支配から「諸国民のヨーロッパ」を取り戻すことで、欧州に平和をもたらす理性的な解決策であると確信しています。そして、日本に相応しいのは、覇権膨張主義の中国への対抗を考えれば、アメリカとロシアだと進言するのです。安定した対外関係は、安定に向かう国との関係から得られ、日本に相応しいパートナーはアメリカとロシアです。英米系の地政学者は「海洋勢力(日米英)」と「大陸勢力(中露)」と区別しますが、この2分法に陥るべきではありません。ロシアとの関係構築は、中国の存在を考えると、地政学的に理に適っています。しかし、アメリカには最早「世界の警察官」を独力で担える力は無く、その意味で日本は自主的な防衛力を整えつつ、アメリカを助けるべく、これまで以上に軍事的、技術的に貢献すべきで、70年以上に亘って維持して来た平和な歴史をアピールしながら、1隻か2隻、空母を造るべきです。日本国内では、安保法制は憲法違反との声も大きいのですが、安全保障はプラグマティックに考えるべきだと言うのです。その軍備強化進言は兎も角、安全保障パートナーとして、反日が国是の中国ではなく、アメリカとロシアと言う意見は妥当であろうと判断しています。
2016.10.01
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榎津の空き家には、読書家の義母が残した多くの単行本や雑誌があります。新上五島町には本屋が無くなって、晩年どの様に手に入れていたのかは分かりませんが、村上春樹の著書も残っていますので、単行本はそのままにして置きました。しかし、雑誌類は将来とも読むことは無いだろうと思い、「暮らしの手帖」以外は廃棄処分にすることにしました。堆く積まれていた何百冊と言う雑誌を捨てましたので、部屋が少し広く見える様になりました。「暮らしの手帖」は1968年以前は、A4でなく少し小さいB5版、発行番号も1969年から新しく付けられていたことが分かります。義母は、1994年に圧迫骨折で一人暮らしが出来なくなって、我が家で最後の1年を過ごしたのですが、その直前まで購読していましたので、残された冊数は200冊を超えていました。義母の思い出にと保存しておくのが、その記念となりましょう!そんな義母の薫陶を得た娘の家内もかなりの読書家であったことが思い出されます。
2016.08.02
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啓文堂書店2016雑学文庫大賞第1位と言うことで、本多時生氏著「考えすぎない」を読んでみました。著者は「考えすぎないと言うのは、自分の限られた時間とエネルギーを、問題解決に使うのと、幸せになる為に使うのと、どちらが良いかと言う選択であります」と言い、当世の処世訓として提示するのですが、全く賛成し兼ねるのです。軽すぎる自分の思いを掘り下げることもなく、全て現状肯定することで思考停止を助長するのではないかと懸念するからなのです。処世訓としては、古くから貝原益軒の「養生訓」が知られていますが、自己節制と努力を要求していますが、この本にはその様な節制は全くないのです。著者が新興宗教の宣伝塔では無いかと思いつつ、検索してみますと「一切宗教とは関係ありません」との記述もありましたが、一切を信用すると言う宗教的見地無しに、これほど論拠に欠け楽観的見方になれるのか、大いに疑問を感じざるを得ません。やはり「人間は考える葦」であり、小林秀雄の言う如く「考えると言うこと」が必須要件で、ショーペンハウエルの託宣通り「読書は他人に考えて貰うことである」と、その論実をフィードバックして自己形成に努めることが基本だと思うのです。何故、啓文堂と言う書店が、このような論実の軽い書籍を雑学文庫大賞第1位として大々的に宣伝しているのか疑問ですし、出版不況を勝ち抜き若い世代の読書離れを止める為には仕方が無いと判断したのかも知れませんが、よく言われる出版不況の闇の深さを感じざるを得ませんでした。
2016.05.10
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竹島は日本固有の領土として歴史教科書にも明確に記載される様になりましたが、韓国でも固有領土として軍事基地を設定占拠して譲りません。朴槿恵(パク・クネ)の父である朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、日韓条約締結に際して竹島問題を難物と慨嘆したのが妥当で、李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸して反日ナショナリズムを鼓舞したのは如何にも浅薄な行為で、パンドラの箱を開ける愚を犯したのです。著者は、日韓のパンフレットを元に検証し、16世紀の江戸幕府による領有権放棄、1905年の日本領編入、敗戦後の李承晩ラインの設定、サンフランシスコ平和条約での日本領確定、等現在迄の両国の主張につき新書版としては異常な程多くの出典データを豊富に使って史実を検証確定させて行き、「竹島問題が一気に解決させることは極めて困難である」と結論つけます。そして、国際司法裁判所(ICJ)へ提訴して解決を委ねると言うのも一案であるとするのですが、ICJへの提訴には日韓両国の合意が必要であり、現状では韓国が提訴に応じると考えにくいとします。それでも、仮にICJへの提訴が実現すれば日本が勝つと素朴に感じている人達も少なくないが、争いごとの調停には何らかな形での譲歩を受容する覚悟も必要とし、ややもすれば加熱しがちな議論に冷静さを取り戻すこと、日本人・韓国人を問わず互いに譲歩へ向けて勇気を奮うことが今求められることだと提言するのです。
2016.03.06
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6~7年程前までは、衣類はデパートで購入していましたが、今ではオープンシャツ・セーター類、ジンーズ等は近郊のアウトレット街にて購入する様になりました。やはり其処の30%ディカウント戦略は、デパートの定価販売に比べて大きな魅力なのです。スーツは今でもデパートで購入しますが、OBとなっては買い換える、買い増すと言う必要が無くなって、デパートへはデパ地下での食料品調達が殆どとなりました。それでも、お中元やお歳暮の購入発送はデパートを利用しますが、インターネットを介してのeコマースですからデパートに行く必要はありません。このような需要変動に対して、やはり「eコマース」への傾斜無くしては売り上げ増加を図ることは出来ないでしょうし、その際には従業員の雇用確保は難しいだろうと思いつつ、来店を促すレストラン街や遊び場の充実等の来店キャンペーン企画力が無いので、この書籍は社内報の延長でしかなく、著者が提唱する現場力のみにて難局を乗り越えるのは至難の業だと思うのです。百貨店業界の売り上げは6.2兆円、小売業界全体の僅か4.4%に過ぎません。2013年度の三越伊勢丹ホールディングの売り上げは1兆3215億円、営業利益は346億円です。2018年度に500億円の営業利益達成を目指していますが、これはキャッシュフローを潤沢にし、全てを上手く回す為の最低基準なのです。業績を伸ばすこと、社会貢献の実現、或いは将来、三越伊勢丹が10年、30年、50年と成長を続けて行く為の手を打って行くには、最も大切なのは人と現場力です。どうやって人を育成し、現場力を高めて行くのか、三越伊勢丹と言うブランドを永遠に守り続けて行く為にも、それが目下の大きな課題です。
2016.02.21
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ヒラリー・クリントン女史は2016年の大統領選の民主党候補として最有力とされていますが、格差是正を掲げるサンダース氏に苦戦の様相を呈しています。8年前にも最有力だったのですが、人種差別撤廃を掲げるオバマ候補に、集金力不足と女性差別撤廃キャンペーンの選択違いもあり敗れたのです。やはり、「人種差別主義者と見られるくらいなら、女性差別主義者と見られた方が益しだ」と言うアメリカの伝統は根強かった様です。しかし、捲土重来、今回も健全で強いアメリカの回復を目指して立候補しているのですから、イギリスのサッチャー女史以上に「鉄の女」と言えるかも知れません。あとがきを見ますと、二部構成の様で、ヒラリー・クリントンがファーストレディとして鮮烈な登場を遂げて以来「こう言う女性類型は世界史に登場したことは無かった」と感激し、半分は2008年民主党予備選でヒラリーが勝つと思い込んで書き終えたが、マイノリティ融和を主張するオバマに一敗地に塗れた後、国務長官に就任して2016年次期大統領を担う運命を引き受けたと述懐しています。彼女の座右の銘は「現実を楽観的にではなく悲観的に捉え、最悪のシナリオを想定せよ。にも拘わらず希望を失わずに現実に対処し、パワーの行使によって打開せよ」であり、交渉のテーブルに引き出すには敵を追い詰め、一方では利を食らわせる古典的手法を執る「リアル・ポリティーク」を主手順とするらしい。イスラム圏の厄介さはイスラム教の中核を女性に対する束縛が占めていることにあり、「女性の解放こそが安全保障と深く関わる」と彼女の外交の射程が相手国の貧困、環境、教育、家族計画にまで拡大されていることになる。中東だけでなく、北朝鮮、中・露に対しても、ヒラリー路線がオバマ外交の基調となった。対中国政策では、オバマ時代と異なり、強硬路線に変貌するのは間違い無さそうです。第1次オバマ政権からクリントンが離脱し、第2次オバマ政権は中国に対し「誤解された友邦」として太平洋に緊張がない様に振舞う「リバランス(再均衡)政策」は、中国の覇権膨張主義は度合いを増して、限界を迎えている。ヒラリーは国務長官就任早々の訪問にて柔軟路線で効果がないと知るや、対決路線に切り替えた。尖閣や南シナ海への中国の膨張政策を真っ向から批判、オバマ以前の大統領の対中政策をガラリと入れ替えた。これはアメリカ開拓時代の米国西部同様、法の支配を無視した弱肉強食の場として切り捨てたのだ。
2016.02.16
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著者はフランスの歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏、日本では、覇権主義の国と言えば中国を思い起こさせるのですが、EU圏内でのドイツの力は圧倒的でドイツ帝国として君臨しつつあると言う。パックスアメリカーナとして君臨したアメリカの国力が落ちて、世界中でシステムにひびが入り、アジアでは韓国が日本に対する恨み辛みの故に、アメリカのライバルである中国と共謀し始めていますし、ヨーロッパに於いては国力とヘゲモニーからドイツ帝国の体を為しつつある。戦後のアメリカの戦略は、ユーラシア大陸の二つの大きな産業の国の極、即ち日本とドイツをコントロールすることで成立して来たことが言われています。日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も似ており、経済面でも酷似、産業力が逞しく、貿易収支が黒字だと言うことですが、日本文化が他人を傷つけないで遠慮するのに対して、ドイツ文化は剥き出しの率直さを価値付けます。ヨーロッパには発展の余地のある低賃金ゾーンを利してドイツ産業が発展、それ以外の国々の産業システムが壊滅して、ドイツだけが得をするシステムとなっている。ドイツが頑固に緊縮財政を押し付け、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかない状況を見ると、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸ではないかと懸念するのです。「ドイツ帝国」は最初もっぱら経済的だったが、今日では既に政治的になっていて、弱体化して来たアメリカに対抗すべく「ヘゲモニー」を掛けて、アメリカと同盟を強化する日本ではなく、もう一つの世界的輸出大国である「中華帝国」と意思疎通を通じ合わせ始めているのは見逃せないとしています。
2015.10.28
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専門書の書棚を見ていますと、昔日の勉強が思い出されます。会社に入って配属された部署には、東大工学部機械学科出身の先輩が5人おられました。私の卒業した工学部航空原動機コースは、航空力学や原動機理論は航空学科で講義を受けましたが、基礎工学については機械学科に出かけて講義を受けることが多かったので、年齢が近い機械学科出身の先輩と共通する教授陣が多かったと思っています。材料力学 鵜戸口教授執筆の上下巻が教科書機構学 渡辺教授執筆の上下巻が教科書機械製作 菊池教授執筆の書籍が教科書振動学 藤井教授の「デン・ハルトック 振動学」訳本が教科書、機械力学が参考書自動制御 藤井教授で参考書は思い出せませんが、名講義でした応用数学 理学部犬井教授の出張講義 教科書は「特殊函数」、多数の数学参考書を購入会社に入ってからは、提携先のスイス国BBC技術資料は工学を志すエンジニアにとって、学ぶべき応用数学の宝庫でもありました。戦前の機械学科卒業で海軍出身の大先輩が殆どを翻訳して、大学などでは得られない日本語の素晴らしい資料になっておりましたので、それに触発され、図書を購入してよく勉強しました。寺澤寛一 応用数学増補版と応用編スミルノフ 高等数学教程 12巻全巻ランダウ 流れ学上下巻妹沢克惟 振動学Shapiro Comressive Fluid FlowLamb HydrodynamicsSchlichting Boundary Layer TheoryCampbell Gas Conditionig and Processing熱力学サイクルでの、Sahlberg線図に至る応用数学展開が見事で、エントロピー差を圧力比に変換する手法も素晴らしく、中間冷却サイクルの最適解を論ずる未定乗数法等は大学では学んでいないものでしたので、参考書が必要だったのでした。優れたBBC技術資料で、大先輩は全て日本語の資料にした筈ですが、失われているのでは思いますと残念です。
2015.10.16
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近頃、戦後レジームの脱却を叫ぶ政治制度を含めて、世の中全て自己の情熱(Pathos)を語ることが多く、論理(Logos)が欠如しているので、説明を求められると、その都度説明が違って説得力がありません。安保法制を憲法違反とする立場の著者ですが、戦後日本を代表する知識人である加藤周一と丸山眞男へのオマージュを呈しつつ、論理(Logos)の大切さを説いていることで、一読に値する書籍と思われます。アリストテレスは説得のあり方について、3つの側面から考察する。logos(ロゴス、言論):理屈による説得pathos(パトス、感情):聞き手の感情への訴えかけによる説得ethos(エートス、人柄):話し手の人柄による説得logos(言論)を中心に据え、最も多くの記述を費やし、pathos(感情)やethos(人柄)の側面についても、それなりの記述を費やしている。近代社会学の父であるマックス・ヴェーバーによって提示された社会支配の三形態、「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」とも重なる。加藤周一は、「民主主義」は「個人の尊厳と平等の原則の上に考えられる制度」と定義し、1955年の「雑種文化論」にて、「持続・伝統と言う「型」の思考の枠組みの中に、「段階」思考の実質的問題意識を埋め込んだと主張する。「型」と「段階」思考は、松尾芭蕉の言う「不易」と「流行」に等しく、働きかけの余地を無くす「型」でなく、進歩を追う「段階」でもなく、伝統の中に「変化」を促すと言う緊張関係に自分を置き、知識階級の広い層が闘うだけの質量を蓄える必要があり、「9条の会」に対する肩入れは、それを目指していたのだ。丸山眞男は、「個人は国家を媒介としのみ具体的鼎立定立を得つつ、しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持する如き関係に立たねばならぬ」とし、「弁証法的な全体主義」を必須として、「弁証法的な」と言う形容詞の無い「全体主義、有機体国家、権威国家、単一政党国家、等族国家等、一様に均された(Gleichschaltung)国民大衆の上に成立する権威的な体制国家は全て否定する」のです。丸山は自由の質を問題にして「規範創造的自由」を「人欲の解放」としての自由に対置し、加藤は知識人の孤立を繰り返さない為に「雑種文化」の可能性を模索したのだ。憲法に対する立場は改憲、加憲、保持と様々で、著者の考え方に賛同は要しませんが、パトス的な意思表明だけではなく、納得できるロゴス的議論が為されなければ、丸山の警戒する全体主義勃興が懸念されることになります。将に「言葉ありき」が本質です。
2015.10.08
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戦後を代表する知識人である加藤周一氏は、文化、芸術、政治について、時には見識の転回を重ねつつ啓蒙的活動をして来た稀有の存在で、その見識は近頃の「反知性主義」による安易な右翼的傾向に棹差すアンチテーゼとして見直す必要があるのでしょう。文化的な解釈では、1970年代、例えば「もののあはれ」を表すとされた「源氏物語」は日本文学の正典中の正典とされていますが、仏教の影響を考察し、時間意識を読み取り、「源氏物語が我々に啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れと言う日常的で根本的な人間の条件である」と新解釈を披露します。政治的な解釈では、既に1980年代に次のように喝破しています。「国民の生命財産を守るだけでなく、基本的人権、そして権力の民主的統御を守ることが求められ、その為には超大国との緊張関係を緩和する以外に有効な手段はない。 日本の軍国化が嘗てそうであった様に将来も又日本国民に不幸をもたらすだろう。殊に軍国化が、超大国間の争いの先棒を担ぐ形で行われる時はなお更である。昨日は遠くて今日近きものは、教科書の書き直し強制、首相の靖国公式参拝、憲法9条空文化ですし、今日遠くて明日近きものは、自衛隊核武装、国際的な海外派兵、愛国の為の徴兵制度、平和の名目での局地戦となります。」現状は、教科書検定の書き直し強制、憲法9条空文化、国際的な海外派兵、平和の名目での局地戦等が混在して到来しつつあるのでしょう!著者は本書につき、下記のようにコメントしています。加藤周一は、状況との緊張関係をもち、絶えず自らの知をつくり替えていった。「戦後思想」から出発し、フランス留学後の「雑種文化」によって「転回」をとげ、その後、60年安保を経てさらなる「転回」をなし、パリ五月革命、中国文化大革命など「68年」の状況に向き合う。そして晩年の「九条の会」参加に至るまで、5つの局面を経ている。こうした加藤の「転回の軌跡を明らかにすることは、その時々の「知」の検証―「戦後」の内在的な検証となり、「戦後知」の新たな形を示す作業となる。更に安易になされている「戦後レジームからの脱却」への批判となるであろう。「啓蒙の知」は現状への処方となり得るはずである。「反知性主義」への対抗として、啓蒙主義の放棄ではなく、啓蒙主義の蜂起へと至るものとして。
2015.06.05
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函数論は高等数学の入口ともされ、複素平面上にて正則函数の挙動を研究する分野で、多項式函数、 指数函数、三角函数、対数函数等を含むもので、大学では犬井鉄郎教授の講義を受けて、面白さに惹かれたものでした。社会に出た後、地中管からの熱放出による温度分布解析には、等角写像を用いた図形変換で簡単に解決出来た際には、応用数学の有用さを実感したものです。正則函数とは、複素函数(複素数を変数とする函数)の内で、定義域にて微分可能な函数のことである。領域内の全てで微分可能であることは正則性と言われ、多項式函数、 指数函数、三角関数、対数函数、ガンマ関数など、複素解析において中心的な役割を演じる函数の多くはこの性質を持っている。z = x + iy とし、複素函数 f)は実 2 変数函数 u(x,y), v(x,y) を用いてf(x,y) = u(x,y) + iv(x,y)と表すことができる。f(z) = f(x, y) が正則函数であれば、u, v はコーシー・リーマンの方程式と呼ばれる偏微分方程式を満たす。教養学部での解析学の教科書「解析概論」の著者である高木貞治氏は、1933年に「近世数学史談」を刊行、近世数学の巨人達の様子を紹介していますが、これがロマンチックな物語となっていて、倦むことがありません。函数論の章では、コーシーを先駆者、リーマンを発展者として次の様に紹介しています。コーシーの業績で最も顕著なのは函数論の創設であろう。しかしコーシーは創設を意識していたのではなく、ラプラース、ルジャンドル等が遭遇した特殊な定積分を計算することが要因だったのである。それらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的な方法で計算されることを看破し、1825年「虚数限界内の定積分の論」なる論文を発表、その成果は今日で言う「極点(pole)に関する留数の定理」であった。1851年に至って、今日の解析函数全てが函数論の対象として確認され、30年の歳月を経てコーシーの函数論に目鼻がついたのである。1851年と言えばリーマンの学士論文「複素変数の函数の理論基礎」が出た年である。「微分商dw/dzが微分dzに関係無き一定の値を有する時に、wを複素変数zの函数」とし、コーシーが30年の歳月を経て辛くも達し得た立脚点を、平気で占有したのであった。理論の進歩とはそう言うもので、ロゴス(知性論理)には適正な先人の業績を受け継ぐ伝統が必要なのでしょう!
2015.04.27
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私たちは何時も大小取り混ぜて何らかの選択をしていますが、この何事も不確定で「思うままにならない」時代にどの様に対応して良いのか不安を覚えることも多い筈です。著者は学校教師の家庭に生まれるも、生後まもなく朝鮮に渡り、敗戦による引き揚げでの生活苦、何とか大学入学するが貧困による大学中退、売血による生活維持しつつ、生来の活字好きから編集の仕事にあり付き、ルポライターを経て作家に転身と言う激動の人生を送った体験が詳らかに綴られています。選ぶ、選ばれるは人生の一大事だ。しかも最近の世相は、「選ぶ」幅が激減して、やれリストラだ、非正規雇用だと、「選ばれる」リスクが大きくのしかかって来ている。一方で私たちの目の前には、自ら「選ばざるを得ない」状況が次々と巡って来る。私自身は敗戦以来、一度の健康診断も検査も受けずに今日まで来た。いくつかの健康上の問題を抱えつつも、放置して暮らしている。しかし、それも私自身が選んだ道であり、そのことに関しては後悔が無い。著者は近年、仏教への思いを募らせた著作が多く、本書でも始祖である仏陀の言葉や、法然・親鸞の著作が引用されて、選ぶ・選ばれる際の参考にすべきとしている。仏陀「自分自身を頼りとして生きよ。そして真理を見失うな」法然「阿弥陀仏一仏信仰は相互選択的なもの、選ぶ力が大切」親鸞「分からないままに闇を彷徨い嘆くなら、何かを信じるしかない」「思うままにならない」世の中では、巧みな言葉だけで励まされる様な時代は。もう終わったのだ。私たちに必要なのは、大声で送られるエールではなく、すれ違う際の一瞬の目配せの様なものではあるまいか。私が述べたことは、私自身の正直な体験に過ぎない。それが迷いつつ生きる人々の何らかの一助になれば、と密かに願っている。若い世代には嫌われる老人の昔話物語についても、回想療法と言うアルツハイマー対策での一番の治療法と述べていることにも納得出来る処がありました。
2015.04.13
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中国の民主化運動に傾倒し、日本での著作活動に転じた後、遂には日本国籍を取得した著者の出自から鑑み、覇権主義を標榜する中国共産党政権には厳しい。日米同盟を強化し、近隣諸国を属国化を図る中国の囲い込みに奔走する安倍政権は正しいとして、それにエールを送る著作となっている。習金平の目指す処は、嘗ての中国を頂点とした中華秩序の再建を目指すことで、毛沢東による中華秩序の再建が失敗に終わって40数年、トウ小平路線による富国強兵が達成された今、中華帝国の新皇帝となった習近平は、アジアを支配すると言う中華帝国の復権を目指し、その為には近代史においてその中華秩序をひっくり返した日本と言う国をねじ伏せておくことを必須案件として、その出足から日本に対して高圧・威嚇的態度に出た。それを察知した安倍政権は、日本の安全保障を脅かす最大の脅威が即ち中国の覇権主義と軍拡と捉え、連携すべき相手ではなく、寧ろ警戒すべき潜在的脅威としたことは明らかだ。米国の外交評論家キッシンジャーも「中国は平等な国家からなる世界システムに馴染めず、自国をトップ、唯一の主権国家と考え、外交は交渉よりも世界階層秩序で各国の位置づけを決めると考えている」と、警鐘を鳴らしている。日本は今後どうするべきなのか。先ずは米国との同盟関係が何より重要で、日本にとって最大の安全保障となっていることは論を俟たない。米国が提唱する「航海の自由を守る法秩序」は誰が見ても、覇権主義的な中華秩序よりも遥かに公正で正義に適ったものだ。法に基づく平和秩序を守り、中華帝国の野望を封じ込める中核的存在として、中国共産党政権の海洋制覇を阻止して中華秩序の亡霊を葬り去ることが、戦前の歴史を超克してアジアの民主主義先進国となった日本の背負うべき使命であり、生きる道なのだ。世界制覇を悪戯に追及する悪意に満ちた隣国に、善隣友好外交を続けるのはつけ込まれるだけで、距離を置いて付き合う必要があると言うことなのでしょう!
2015.03.21
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TVニュース解説で活躍中の元NHKアナウンサーと評論文書多数で知られる元外務官僚で評論家との対談を新書版で纏めたもので、TVや新聞等のマスコミでは得られない評論がありましたが、新書版の悲しさで出典・根拠と言うバックアップに欠ける様に思われました。名指しはしませんが、領土拡張を画策する中国、自国利益を他国に押し付けるTPPを画策する米国、等を念頭にした下記の分析は納得が出来ます。新帝国主義とはコストの掛かる植民地を持たず、局地戦に限っての戦争に止めて、資本の投資対象を国外に求めて利益を追求して行く国々のことである。外交面では、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化して行く。他方。相手国が必死に抵抗し国際社会も干渉する場合には譲歩する。それは心を入れ替えたからではなく、譲歩した方が結果として極大化出来ると言う判断に依るものである。韓国朝鮮問題では、韓国人と朝鮮人は別と言う見方もあると論じます。中国にとっては北朝鮮の労働力と地下資源は魅力で、韓国も中国寄りになって来るので朝鮮半島が丸ごと属国にあると言う戦略を描いていたが、北は離反する動きを見せ、南が属国になりつつあると言う南北が入れ替わる様相となって来た。これは、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることが出来、あるいは北朝鮮が渤海だとも考えられる。新羅は中国に朝貢していたが、渤海は日本に朝貢していたのだ。北朝鮮としては、同じ朝鮮半島の国とは言え、三国の時代から元々違うと言いたいのかも知れない。韓国は歴史上、中国の臣となることで生き延びて来たので、経済力と軍事力の増強の著しい中国の方に抱かれている方が、劣化の目立つ米国よりも、心地よいのだろう。善隣友好と言い、遠交近攻策と言い、自国民を守ると言うのは一筋縄ではいかないことが分かる書籍でした。
2015.03.09
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僅か77頁で内容も薄弱、本の帯には「サブテキストとして最適」とキャッチコピーされていますが、何故ベストセラーになるのか分からない書籍とも思えましたが、出版物を読まない風潮で軽いテキストが好まれる様です。「21世紀の資本」が英訳されるや、世界中でベストセラーとなり注目されたのは、21世紀に暴走して来ている資本主義に不安を感じていることの現れなのでしょう。資本主義のアンチテーゼであった共産主義は、労働者への幸福をもたらすこと無く、幹部官僚独裁国家に変貌してしまっているのは、よく知られることとなりました。宗主国ソ連は崩壊し、中国は党エリート独裁の国家資本主義に変貌し格差は資本主義以上に拡大させる始末、北朝鮮では基本的な人権を認めない蹂躙国家と成り果てました。ピケティはマルクスと同様に、資本主義では格差が拡大するのが普通だと分析するのですが、アンチテーゼの共産主義はあり得ず、資本主義より効率の高い経済システムは無いと結論付けるのです。解決策として、グローバルな発展で利益を貪る資本主義の暴走を抑えるには、累進課税を強化し、グローバルな資本課税を提案するのです。「21世紀の資本」は著名な学者・経済人が絶賛するのですが、従来には無い資本主義の矛盾を突く経済書としながらも、マルクスとは違う結論に至る理論的考証も未だこれからであり、一般人には難解な本ですので、このような薄いガイドブックを読むことで少し判った気になるのも良いのですが、何かQ&AのWebアプリを見ているだけの軽薄な著書と感じられないでもありません。
2015.01.09
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本来は人との付き合いを出来るだけ避け、理工学の道を追求するのが目標でしたが、企業に入ると集団の一員でしかなく、況して海外駐在を命じられて「セールス・エンジニアとして活動して来い」との業務命令を受けるとそんなことも言っていられなくなりました。そんな経緯もあって、企業人の生き方を学ぶため、城山三郎と清水一行の企業小説をよく読むようになりましたし、駐在生活の糧ともなりました。特に城山三郎氏の伝記小説、石田礼助、石坂泰三、本田宗一郎編等には、企業人以上の人間の生き方として傾倒出来るものがありました。しかし、昨年末に我が家の書棚からは1000冊以上の書籍をBook-Offに売却整理してしまいましたので、もう残っていません。城山三郎(1927年 - 2007年3月)は、経済小説の開拓者であり、伝記小説、歴史小説も多く著している。愛知県生まれ。愛知県立工業専門学校(現:名古屋工業大学)に入学。理工系学生であったため徴兵猶予になるも海軍に志願入隊。特攻隊である伏龍部隊に配属になり訓練中に終戦を迎えた。1946年、東京産業大学(現:一橋大学)予科入学、1952年、一橋大学を卒業。1957年3月、名古屋市の城山八幡宮付近に転居、同12月神奈川県茅ヶ崎に転居。1963年、日本作家代表団)参加による訪中を機に、作家業に専念、ペンネームの“城山三郎”は、城山八幡宮に3月に引っ越して来たことから付けた、と本人は語っている。晩年は治安維持法が悪用された経緯から佐高信らと共に個人情報保護法の成立に反対する等の活動をした。2007年(平成19年)3月、間質性肺炎のため、茅ケ崎市内の病院で死去。城山三郎氏は人生の相棒と死別してから、7年クリスチャンとして相棒への愛を忘れずに貫き、ストーリーテラー業にも邁進していたことも、人生の生き方として参考になります。今回の「特攻」をテーマに描いた晩年の作品の取材メモや創作ノート展示は、特攻予備軍として過ごした青年時代を想い起こす特別な資料である気がします。7年前、79歳で亡くなった作家の城山三郎氏が晩年の作品、「指揮官たちの特攻」を執筆する際につけていた自筆の取材メモや創作ノート等で、資料寄贈を受けた横浜市の神奈川近代文学館が資料を整理するなかで見つけ、一般公開されている。城山氏が特攻隊の基地があった大分県を訪ね、出撃前の隊員が切りつけた柱の刀傷を目にした時のメモには、「どうして死ななくちゃいかんのだ.なぜ.なぜ.」、「痛々しくてもう何も言えない.ただ撫でるだけ.ごめんね」等と、怒りや悲しみが率直に書き留められていて、多くは、そのまま作品に生かされ小説の核心の一つになっている。
2014.12.01
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五島滞在中にTVが見られなくなりましたので、義母の書棚から遠藤周作氏の「沈黙」を取り出して読んでいました。この書籍は発売と同時に購入して感銘を受けましたので、五島出身の友人に読む様に勧めて貸し出したつもりでしたが返却されず我が家の書棚には無く、再読するのは48年ぶりのことでした。遠藤周作氏は、グレアム・グリーン氏にも多大な影響を受けており、「沈黙」はグリーン氏の「権力と栄光」の切支丹迫害日本版との感触もありましたが、内外のキリスト教団体・信者などの原理主義者から批判にも晒された様です。遠藤周作は、1966年長編小説「沈黙」を上梓し、同年谷崎潤一郎賞を受賞しましたが、この作品は、内外のキリスト教団体・信者などから批判されました。・基督はユダさえも救おうとされていたのである(4 ロドリゴの書簡)批判:背教者であるユダをイエス・キリストが救おうとする訳がない。・主よ。こんな人生にも頑なに黙っていられる(8 ロドリゴの心中)・神は何もせぬではないか(8 フェレイラのセリフ)批判:神の声が聞こえなかったと言うことは、信仰がなかったと言うことだ。 ・ロドリゴが踏絵をしようとした瞬間、基督が「踏むがいい」と言った(8の最後)批判:キリストが棄教して良いなどと言う訳がない。「沈黙」が翻訳されて海外での評価が高まり、グレアム・グリーン氏が、この作品を絶賛したのは有名です。著者の「弱いイエス」は多くの共感を得たのでしょう。神の子であるイエスでさえ、磔刑にされる直前に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と神の沈黙に対して疑問を投げかけたのですから、ロドリゴ神父が信徒を救うべく棄教すると言う人道的行為は許されることであって、一概に人間的弱さとは言えないと思うのです。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とは - 磔にされたイエス・キリストが言った最後の言葉。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言う意(マタイによる福音書 第27章)。 旧約聖書「詩篇」第22篇からの引用とされるが、イエス受難書(福音書)は全体として、イエスをこの「苦難の義人」と並行関係に置こうとしている傾向が見て取れる。例えば、イエスを責める人々の行動を描いた部分にも、「詩篇」第22篇で「苦難の義人」を苛む人々の行動そのままの箇所が複数ある。しかも十字架上のイエスはすぐその後で「大声を放って息絶えた」と記されている。このイエスの絶叫に祈りの言葉を与えたのが受難物語の記載者ではないかと考えられる。
2014.08.27
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昨日、NHKプレミアムアーカイブス HV特集「天才画家の肖像 雪舟 画聖と呼ばれた男」を見ていました。日本美術史の中で唯一“画聖”と讃えられる水墨画の巨人、雪舟。16mに及ぶ究極の絵巻物『山水長巻』、リアルな実景図『天橋立図』など国宝に指定されている代表作5点を選び、模写再現に挑んだり、真贋鑑定をしたり、絵の中を旅する画中紀行を試みたりして、読み解いていく。山水長巻の中に旅人が擬人的に入って、山水風景を楽しみつつ、中国の詩人「李白」などに出会い、漢詩を吟じていく設定は、なかなか感心させられるものがありました。そんな中、ふと吟じられた「江南の春」、杜牧の「江南絶句」は高校1年生の漢文授業で出て来て初めて覚えた漢詩だったので、良く記憶していたのです。千里鶯啼緑映紅 千里鶯啼いて緑紅に映ず水村山郭酒旗風 水村山郭酒旗の風南朝四百八十寺 南朝四百八十寺多少楼台煙雨中 多少の楼台煙雨の中現代語訳そこらじゅうで鶯が啼き木々の緑が花の紅色と映しあっている。水際の村でも山沿いの村でも酒屋ののぼりがたなびいている。古都金稜には南朝以来のたくさんの寺々が立ち並び、その楼台が春雨の中に煙っている。近頃は、頭脳の記憶回路が支障を来たしつつあり、なかなか覚えることが出来なくなりましたが、57年前に記憶した漢詩はすらすらと出て来るのです。アルツハイマーの初期現象なのかも知れません!
2014.05.28
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暑いくらいの晴天が続き乾燥していた空気が、今朝からの雨模様で湿っています。少し肌寒い感じもしますが偶には気持ちも引き締まって良いもので、もう5月下旬ですから、2週間もすれば梅雨に入るのかも知れません。日本人は農耕中心の民族で、梅雨が田植えのイメージと重なり、収穫をもたらす恵みと考えますのか、雨が嫌いではない様です。1960年頃フランスのマルロー文化相が来日した際、雨天だった空港で出迎えた日本人が「生憎の雨で・・」と挨拶した処、共産主義政権の崩壊を描いた小説「人間の条件」で知られるアンドレ・マルロー氏は「日本人は雨が好きでしょう!」と応じたと言われています。彼は日本文化に造詣が深く、雨が主題の浮世絵、文学が多くあることを知っていたのです。フランス象徴派の詩人ベルレーヌの「言葉無き恋歌」が雨を優しく歌い上げたものとして知られています。言葉無き恋歌-金子光晴訳巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる。かくも心ににじみ入るこのかなしみは何やらん?やるせなき心のためにおお、雨の歌よ!やさしき雨の響きは地上にも屋上にも!消えも入りなん心の奥にゆえなきに雨に涙す。何事ぞ!裏切りもなきにあらずや?この喪そのゆえの知られず。ゆえしれぬかなしみぞげにこよなくも堪えがたし。恋もなく恨みもなきにわが心かくもかなし。Romances sans paroles -Paul Verlaine Il pleure dans mon coeurComme il pleut sur la ville,Quelle est cette langueurQui pénètre mon coeur ?O bruit doux de la pluiePar terre et sur les toits!Pour un coeur qui s'ennuieO le chant de la pluie!Il pleure sans raisonDans ce coeur qui s'écoeure.Quoi! nulle trahison?Ce deuil est sans raison.C'est bien la pire peineDe ne savoir pourquoi,Sans amour et sans haine,Mon coeur a tant de peine!
2014.05.21
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昨日は太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃の日、あるTV局で戦争回避に努力した日本大使館員寺崎英成のことを紹介し、その娘マリコさんをワイオミング州に訪問しインタビューした際の、「自国の政府を良く見て、必要ならば行動を起こさねばならない」との助言は日米両国の右傾化が進みつつある現在に警鐘を鳴らしている気がしました。此の本をカリフォルニア州のポート・ワイネメ市の古本屋で購入したのは1988年の頃であったのだろうと思います。前言には次の様に書かれています。執筆を始めたのは日本から帰国してから直ぐのことでした。書くことが、サンフランシスコに上陸し大陸を横断して旅を重ね、太平洋と日本列島から遠く離れて行く深い寂しさを慰めることにもなったからです。3年後、私達の娘マリコが結婚して新しく家族一員となった義理の息子メイン・ミラー(Mayne Miller)が、私の書いていることを読んでくれ、物語を信じてくれ、過去を思い起こす為の継続ともなり、出版するべきだと力づけてくれたのです。彼に励まされて改訂を重ね、漸く脱稿となりました。私の夫は、娘マリコが米国で“やるべきことをする”を実践していくことに誇りにしていましたし、彼が知ることの無かった義理の息子が彼を理解してくれたことも、非常に大きな幸福となっていることでしょう。テネシー州 ジョンソン・シティ 1956年12月10日1931年、アメリカ人女性グエン・ハロルドはワシントン駐在の日本大使館員寺崎英成と恋に落ち、やがて結ばれる。二人は日本とアメリカをつなぐ〈太平洋のかけ橋〉となることを願い、一人娘マリコの名は日米開戦直前の暗号電報にも使われた。開戦後も、あえて家族とともに日本に渡る道を選んだグエン。困難な時代を生き抜いた日米人夫妻と娘の家族愛を描き、平和の尊さを教示する。
2013.12.09
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江戸の研究家としても知られる著者が、写真家と共に東京に残る江戸の名残を紹介したものでありますが、東京と言う近代に押しつぶされた江戸のうめき声が聞こえる様で、一読に値するものと思われます。私は東京を見て来て、所謂観光地ではなく、あまり人の行かない密やかな処に楽天地があるのだと知った。何時までもいたくなる良い場所を探したいと言う気持ちにさせてくれる。こうなると東京も満更ではないのだ。江戸は周到に作られた都市であったが、閉じられた都市ではなかった。人はここを出ては入り、入っては出て、自らを新たにした。私にとって東京に暮らすと言うことは、その様な人々に再び出会うことである。湯島界隈では、次の様に解説していて現在に警鐘を鳴らしているにも思われます。江戸時代の学問のエッセンスは論語に言う「故きを温めて新しきを知れば、以て師為るべし」で、古典を学び、歴史を学び、深く理解していることである。しかしそれだけでは人を指導することが出来ない。「学びて思わざれば則ち罔し、思ひて学ざれば則ち殆し」-これも学問の神髄で、知識をため込んでも思想がなければ何にもならない。両方なければ知性と言えないのである。人になるとはどう言うことなのか。哲学を欠いた学問は学問とは言えない。著者の田中優子女史は、法政大学総長に選出されることが報じられていますが、人格識見は卓越しているのだろうとおもわれます。法政大学の総長に同大社会学部長の田中優子氏(61)を選んだと発表、来月4日の理事会で正式に決める。女性総長は同大で初めて。東大を含む「東京六大学」でも、総長、学長に女性が就任するのは初めてとなる。田中氏は同大文学部卒で、日本近世の文化を研究。同大第一教養部教授などを経て2012年から現職。2009~11年度に芸術選奨選考審査員。
2013.11.24
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反戦社会派小説家として知られる山崎豊子女史が88才で逝去されました。山崎文学の主人公は、権力への飽くなき欲望の持主([白い巨塔])であったり、又職業上の使命感の貫徹者(「沈まぬ太陽」「不毛地帯」)であったりする。医学界、航空業界、貿易業界並びに、その先に結びつく国との深いかかわり合いを鋭く追及することにより、矛盾や病根をえぐり出していくのが山崎文学の手法で、この様な壮大な構図を展開する作家は現代の日本にあっては稀有の存在でした。推理小説家であった松本清張氏も、米軍による占領時代を中心に政治の闇を鋭く突いた社会派小説を展開しましたが、今回山崎豊子女史が逝去されたことにより、社会の矛盾や病根をえぐり出す作家が消えて、世の中が右翼の時代となって行ってしまう懸念が大きくなりました。二つの祖国:日系2世でロスアンゼルスの日本語新聞社の記者を主人公に、太平洋戦争によって日米二つの祖国の間で身を切り裂かれながらも、アイデンティティを探し求めた在米日系人たちの悲劇を描いた作品である。東京裁判でモニターの仕事を終えた主人公は、原爆病で死んだ恋人の後を追って、ピストル自殺、実在人物である伊丹明とハリー・K・フクハラをモデルにした。1984年、この小説を原作としてNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」が放送された。
2013.11.20
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近年、19~20世紀に於ける植民地からの文化財持ち出しの返還運動、植民地主義(コロニアリズム)の清算が盛んになっていて、文化財ナショナリズムがエスカレートしています。文化財に関しては1970年のユネスコ条約が根幹な規定ではありますが、1980年代までは「国際主義」と「ナショナリズム」と言う2方向の考え方があり、「危険な状態の遺物を安全な場所に輸出する方が原産国で粗末にされ壊されるより望ましい」とし、他方では「不適切な管理による文化財の破損は残念だが輸出による喪失よりも益し」とするのだが、私はバーミヤンの大仏爆破等を考えると「国際主義」に与したいのです。永く植民地支配責任を究明しつつ、衆議院外務委員会で文化財に関する日韓協定の審議に参加した著者が、広く私的見解を発信すべく、結果として公的発言を問うたものです。コロニアリズムと文化財-荒井信一著(岩波新書1376)1970年のユネスコ条約は、文化財を「宗教的理由によるかどうかを問わず、各国が考古学上、先史学上、歴史上、文学上、美術上又は科学上重要なものとして特に指定した物件」と定義し、文化財の不法な輸出入や所蔵権譲渡を取り締まることを目的としている。植民地支配の清算に直接拘わるのは「外国による国土占領に直接又は間接に起因する強制的な輸出及び所有権譲渡は不法であると見做す」と規定するのだが、文化財の返還・回復は締結国が外交機関を通じて要請するものとするだけなのである。そこで、1995年にユニドロワ(UNIDROIT)条約「盗取され又は不法輸出された文化財に関する条約」として、「善意の第3者として所有していた個人・団体に対する補償をどうするべきか法的基準」を明らかにし、50年間の時効を定めつつ原産国への復帰を容易にした。最近の返還交渉では、原産国での劣悪な環境は著しい改善が見られ、公共物として大きな注意が払われるようになり、文化財返還とポストコロニアルな和解の緊密な関係を示唆するものとして注目しなければならない。大英博物館でエルジンマーブル、ロゼッタストーンを、ルーブル美術館でミロのヴィーナスを、シカゴ美術館で源氏物語絵巻を、ボストン美術館で種々日本美術品を、見るにつけ文化財は人類共有のもので過去の経緯は兎に角、大事に維持保管されて展示されることで「国際主義」で良いのではと思っています。
2013.04.03
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著者は前書きで、「コンサートから引退するまでのグールドの軌跡を追い、20世紀の文化・芸術におけるグールドの位置を確認する。具体的には、同世代の著名人と対比させながら、グールドのポジションを見て行きたい」とするのだが、論実が皮相的でその意図は成功していない。著者が選んだ同世代の著名人は、僅か3作の出演で夭折した映画俳優のジェームス・ディーン、ロックを世界に広めた歌手のエルヴィス・プレスリー、観点は良いのだが、その2人が悩み苦しんだ記述が少なく又皮相的なのだ。母と死に別れ父からは捨てられたジェームス・ディーン、両親は揃っていたものの先ず叱ったエルヴィス・プレスリー、この2人に較べればグレン・グールドは遥かに恵まれていた。グールドはディーンやプレスリーの様な労働者階級の出身ではなく、裕福な事業家の父と声楽家の母の間に生まれた恵まれた子供であった。音楽院に通いながら普通高校を送る中で、11才でトロントのキワニス音楽祭で優勝して有名となり、14才でトロント交響楽団の定期演奏会でベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏し、有名人となる。伝説のピアニストであるディヌ・リパッティが1950年に白血病で病死し、コロンビア・レコードは新しいピアニストを求める中、「一人いるよ、トロントに住んでいて、少し変人だけどね」とグールドに白羽の矢が当てられた。其処で、23才でニューヨークでの伝説になった衝撃のゴルトベルク変奏曲録音となるのであるが、此処から先の記述分は良く知られている逸話が並べられているに過ぎません。結局、著者が意図した、「1950年代、世の中を突き動かした“怒れる若者”の物語」は、ディーンやプレスリーへの紹介解説に対して推敲が足りず空回りしているのだと思われてなりません。
2012.11.25
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共産主義独裁の国家真本主義で発展の一途を辿って来た中国も、官僚腐敗等の制度矛盾により陰りが見えて来たように思われます。日中国交回復から40年、日本主導の互恵関係から、中国主導の競争関係となり、江沢民時代の反日教育が功を奏して、潜在していた反日暴動も顕在化してもう日中友好時代に後戻りすることはありません。トウ小平から胡錦涛までの30余年、中国共産党の3代指導者は政治に於いて前例踏襲に終始し、其処に進歩と言う文字は無かった。トウ小平は天安門事件の遺恨を残し、江沢民は宗教団体の法輪功を弾圧し、胡錦濤は非暴力改革派学者の劉曉波を牢獄に送り込んだ。民衆の憤懣と言う火山が間もなく爆発しようとしているのが、現在の中国の姿である。妥当な分析だと思われるのだが、言論自由が無く、政府批判の許されない中国本土では即発禁処分になるだろうと思われます。現在、中国には約500の強大な権力と財産を持つ家柄があると言われている。江沢民家族、曾慶紅家族はその華麗なる豪族であり、13億人強の中国人民の頂点に立つ億万長者であり、当然、これら巨大な財産は超特権階級の立場を利用して根こそぎ奪い取って来たものだ。江沢民と曾慶紅が手を組んで習近平をトップに仕立てた理由も理解できる。習近平に恩を着せ、引き続き自らの利益集団を守らせる-これが江沢民と曾慶紅が仕組んで習近平を引き上げた真の狙いだろう。胡錦濤の意を汲む李克強が後継者争いで習近平に負けたのは、胡錦濤の策略が江沢民のしたたかさが無かったからだと言えるだろう。しかしながら、習近平政権の中国は破綻すること無く改革を成し遂げ、中華覇権主義を成功させ世界トップの経済国となって君臨することとなり、日本は中国には単独で対抗出来ないと結論付けていることには、疑念を抱かざるを得ません。日本は東アジア自由貿易協定にも、TPP協定にも加入することが出来る。更に南に下がって東アジアとインドの巨大市場にも参入することが出来、日本は2大経済圏を左右する大きな鍵となる。21世紀は、日本にとって挑戦とチャンスの時代で、適切に生かせば、必ず収穫のある世紀となる筈である。反対に、どちらにも付かず決断がはっきりしない場合は、黄金期を逸し、スペインの様な2等国へと陥落し、世界的な経済大国から外れる可能性もあるのだ。
2012.11.23
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私達が仏教の宗派を気にするのは葬儀を営む時であり、私の場合もそうでした。家内の葬儀には、葬儀社から「何宗ですか?」と聞かれ、祖父母が臨済宗の寺に埋葬されていることもあり、「臨済宗!」と答えたことから、その諸式で行われました。しかし、私の父は次男だったので、母と相談して家の近くにあった同じ禅宗である曹洞宗の寺に墓を購入し其処に眠っているのです。私も次男ですから、新しく墓を設えなければなりませんでしたが、菩提寺の無い冨士霊園の墓所を購入して、家内に眠って貰っています。浄土真宗は何故日本で一番多いのか(島田裕巳 著)-幻冬舎新書日本の主な宗派としては、奈良時代からの南都六宗を始め、天台宗、天台宗から派生した浄土系(浄土宗、浄土真宗)、禅系(臨済宗、曹洞宗)、法華系の日蓮宗等があり、その「宗」の下にはいくつもの「派」が存在する。浄土真宗では、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)が、その勢力を二分し、共に大教団となっている。それら宗派及び新宗教(創価学会)の成り立ちと特徴・現状を分かりやすく紹介してくれているのは有り難く、宗派への理解が少し出来る様になりました。信徒数は曹洞宗が700万人強、真宗本願寺派が700万人弱と続き、真宗大谷派、浄土宗、日蓮宗の順番になるらしい。しかし、新宗教の創価学会は信徒1700万人とされる最大の宗教集団であり、その他の新宗教集団も相当数の信徒を抱えているが、日蓮宗から派生しつつも、決別して在家仏教を目指して性格を鮮明にして独立方向にあるらしい。現在の葬式仏教は、曹洞宗の発案で、死者を一旦僧侶にするべく、戒律を授け、戒名を授けると言う仏教の伝統的考え方から外れる儀式を行うのだが、定着して他の宗派にも伝わって行く。編み出された葬儀方法を通して、故人の供養と言う領域にも進出して、宗派の経済的基盤を充実させたことは大きい。民間の霊園が多くなり、其処に墓を求めても、檀家関係を結ばないケースが増えている。檀家は本来、寺を支えるスポンサーとしての役割を果たすものであり、檀家離れは寺の経済基盤を失わせることに結びついて行く。団塊の世代が消滅した後からは、死亡者数は減り、葬儀の簡略化は一層進み、檀家離れも加速されていることだろう。その時点で、本格的な葬式仏教の危機が訪れる筈だ。しかし、新宗教を含め多様な仏教宗派が産まれ、それが現代にまで受け継がれていると言うことは、それだけ日本人が仏教に多くを期待して来た証でもあるのだ。我が家でも、葬儀・49日法要は、葬儀社が紹介してくれた青梅市の和尚にお願いしましたが、納骨式、1周忌法要、3回忌法要は、霊園で近郊の和尚を紹介して貰ってことで、寺との檀家関係は無いのです。
2012.06.02
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現代の制御・通信理論の原点となって、名著とされるウィーナーの「サイバネティクス」が岩波文庫として復刊されていましたので購入して来ましたが、とても読みにくいのです。雑音の解析・合成には、非線形装置に無作為入力を与え、その出力をエルミート多項式と密接に関係した直交函数系の明確に定義された級数に展開することであり、非線形回路の解析は、多項式の係数を入力信号のあるパラメータの函数として、平均操作により決定することに帰着する。曲線の予測を行う装置では、変分法の問題から導き出されるある型の積分方程式は、導波管の問題や、その他多くの応用数学の面白い問題にも出て来ることが示された。大学時代は工学部ではありましたが、応用数学は好きな講義の一つで多少は勉強もし、直交函数系によるフーリエ変換、ラプラス変換、変分法は成程と習ったものでした。しかし、会社に就職してからは、行列、全微分法、偏微分方程式を適用させることはあっても、積分方程式展開に至ることは無く、何時しか知識は忘却の彼方となっていたのです。ギブズの統計力学には、時間平均と位相平均が出て来て、これら2種類の平均がある意味同じであることを示そうとした点では正しかったが、その関係の示し方に於いては完全に間違っていた。それにはルベーク積分の知識が不可欠なのだが、やっとアメリカに伝わって来たばかりで、30年後になって初めてフォン・ノイマン等の数学者達が、遂にギブズの統計力学に正しい基礎を与えたのである。ギブズは同時代のヘヴィサイドと同じ様に、物理数学的な勘が論理に先行し、一般には正しい理論に達するけれども、何故正しいのかと言う説明が出来なかった学者の一人である。ギブズは熱機関工学者にとって、自由エネルギーで知られる著名学者なのですが、応用数学講義ではルベーク積分の習得も無かったので何とも理解し兼ねる処があります。又、ヘヴィサイドはフィードバック理論に不可欠なラプラス変換を使って、実質的に制御フィードバック理論を展開させたのですが、厳密な数学理論を基礎づけたラプラスにその名を譲ることになったのです。実用を重んずる工学の世界では理論より応用が重視されますので仕方が無いのですが、工学者の一員として寂しいものがあります。何れにせよ、サイバネティクスを読破出来るか否か、甚だ疑問の状態です!
2012.05.09
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日本では大乗仏教しか流入しておらず、その大乗仏教が最大の論的とした「外道」一派の思想研究を専門とした著者の論述は非常に興味あるものとなっている。釈尊が創始した初期仏教は、道徳論に近いもので、難解では無かったとするのである。因果応報の法則に基づいて生類は輪廻しつつ生きていると言う考えの下では、生類が自ら積んだ善悪の所産である。この教えを代表するものとしては七仏通戒偈で、漢訳では次の通りである。諸悪莫作 諸の悪を作すことなかれ衆善奉行 衆くの善を奉行せよ自浄其意 自ら其の意を浄めよ是諸仏教 是れ諸の仏の教えなり成道を得た釈尊その人には善悪は全く存在しない。ただ、釈尊は、窮極の目標に達していない人に向かっては、善をなし悪を止める様に勧めたのである。仏教を広めるべく、大衆化路線が執られ、釈尊を超人的な仏として崇拝、祈念することによって、その無限の慈悲のお蔭で救われると言う救済思想を生みだしたとし、空海が持ち込んだ密教思想も初期仏教からの変質が激しいとするのである。しかし、絶対的救済神を奉ずるヒンドゥー教の刺激を受け、西暦紀元前後に興った大乗仏教は、民衆化の名の下に超越的な仏、無辺の慈悲による菩薩救済と言うテーマを打ち出し、禅定と言う名の瞑想も極めて神秘主義的となり、心作用が停止する三昧体験を窮極の目標たる解脱であるとした。密教に至っては手段が目的とされ、悟りとは三昧体験だと言う瞑想と智慧との区別が全く出来ていない根本的な誤解に貫かれた解釈だと言わざるを得ない。又、苦行修行による覚り開眼も、禅宗の祖とされる道元をも、釈尊への誤解ではないかと具申するのです。釈尊は説法を始めてから死に至るまで、苦楽中道の生き方を貫いた。既に釈尊は窮極の目的を達成していたのであるから、この生き方が修行であったとは言えない。我が国の道元禅師は、「釈尊は生涯に亘って修行生活を送った、覚り(証)は修行(修)の中のみに現れる」と解釈しているが、これは彼独自の美しい誤解である。結局は、祈祷仏教と葬式仏教に陥ってしまった我が国の仏教は、変革する余地があるのではないかと提言するのです。わが国で、智慧の生まれ無い処に僅かに生き残ったのが祈祷仏教と葬式仏教だけと言うのも、当然の成り行きだったのであろう。アジアに仏教と名のつく宗教が数ある中で、日本仏教ほど生のニヒリズムに縁遠い仏教は無かったのである。既存仏教に飽き足らず数多くの新興宗教が興りつつある現在、著者の提言は仏教界のプロテスタント運動なのか知れないと思われてなりません。
2012.04.18
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老いの超え方-朝日文庫本書は身体、社会、思想、死の4部構成となっており、全てが対談内容をそのまま文章化して纏めたものである。又各部には、著者が過去に述べた対話が、語録集として追加されることになっている。しかし、どうしてこの様な手を抜いた書籍を発行したのか、対話形式の文章化は編集者に任せ、自分では怠惰に徹して推敲を重ねる労力を惜しんだとしか考えられない。戦後の日本を代表する詩人で思想家とされる著者も、老いて怠惰となり愚者に還ったのだと考えると合点が行きますが、侘しさが募って仕方が無い。結局、本書は各部の語録集とあとがきを読めば、良いのでは思われるのだ。「“もう良いことなんか何もねえよ”と言う軌道に入ったら、希望を小刻みに持つことしかない。今日は孫と遊んで楽しかった、面白かったと言う状態に持っていける様にするしか防ぎようが無い」と「家族の中で死ぬ」ことを強調するだけとするのも何とも情けない。孤立死は避けて通れないことにつき、発信して欲しいものなのに・・死については、高村光太郎の「死ねば死に切り」と親鸞の「生死は不定である」が良いのではないかと結論付けるのだが、釈迦入滅に際して「後有(ごう)を受けず-即ち来世は無い」と喝破していることから考えると、考察不足では無いかとも疑いたくなってしまう。本書のせめてもの救いは、書き下ろしの「あとがき」で、ゲーテの色彩論についての解釈で、ニュートンの科学的色彩論に較べて惨敗にも見えるのだが、ゲーテは四季折々の自然の豊富な色彩で「自然は際立っている」と感じる、その生態の謎が認知したい処だったのではなかろうかと述べていることにありそうだ。理屈を超える大切なものがあるのだと言うことなのだろう。詩人・思想家と言うならば、死ぬ直前まで意識のある限り、感銘を与える様な文章を発信し続けて貰いたいものだ。
2012.04.10
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吉本隆明氏は「東日本大震災後も原発を止めるのではなく、その危険性防御策を完璧に近づけていくべきだ」と主張し、脱原発に傾く世論に一石を投じました。科学の進歩は人類の発展そのものという持論は一貫しており、原発を石油・石炭から核エネルギーへの技術革新と位置付け、大江健三郎氏の反核運動につき政治や倫理を無用に持ち込んでいると批判。東京電力福島第1原発事故後も、週刊新潮のインタビューに応え、「原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることです。それでもまた新たな危険が出てきたら更なる防護策を考え完璧に近づけていく。その繰り返ししかない」と指摘していた。彼の主張はマスコミに大分叩かれた様ですが、現実的に考えると原発の世界的推進の潮流は変わることが無い状況で、日本が果たす役割は放射線量の多い地域での除染対策と防護安全システムの構築、其処にあるのだと思っているからです。本書は2008年12月発行なので、原発問題は語られることは無いのですが、社会経済思想から政治体制、文学、宗教と多岐に亘り示唆に富んだ論理が展開されています。但し、殆どがインタビュー形式の語り下ろし文であり、論理展開に推敲が足りない様な不満が残ります。貧困問題では次の様に論じますし、グローバリゼーションの終焉も近いので、用意をしておくことが必要だとするのです。日本が「第2の敗戦期」に入って、ロストジェネレーションが増え、働いても働いても暮らしが楽にならず、過労とかリストラされて職場を転々とするとか、ワーキングプアが増え、うつ病等の精神病が増えて来た。格差も広がり、この社会に生きることの何処に良い処があるのかと言われたら、何処にも無いよと答えるより仕方が無い。もっと良い方向を探しだそうとするなら、変化の兆候をよく見極めることが重要で、いい加減に考えていると見誤ります。20年あまり欧米中心に世界を席巻したグローバル資本主義は、リーマンショックを契機に行き詰まりを見せている現在、安直な対症療法に頼るのではなく、自分の頭で考え、自分の意志や判断で行動するのに、本書を示唆発端と出来るのではないかと思われます。近頃顧みられなくなったマルクス主義に対しても、面白い見方を披露するのが秀逸とも思われます。私はレーニンもスターリンにも反対です。社会主義を奉じても、自由・平等・博愛と言うフランス革命以来の理想主義を途中で止めてしまったのです。また、マルクスは、私の知る限り、社会問題はちっとも解決していない。ただ、マルクスは家庭の問題は家庭の問題、家庭の境遇は家庭の境遇、公の問題と逃げ口無しに切り離している。思想も凄いが、人間としても「こういう人はいないね」と言う稀な人なのだと思います。
2012.04.05
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著者の堤未果女史は現在では少なくなった左派のジャーナリストであり、希少価値があるかも知れません。分析には鋭いものがあるのですが、自己変革に向けての啓蒙活動という方策しか示されていないのは残念に思われます。しかし、現在問題とされる記者クラブを通じて政官と癒着してしまったマスコミに対してメスを入れたことは読んでみる価値があると思われます。原発を推進して来た自民党と原発事故を隠蔽する民主党の根っこは同じだった。官僚と企業の癒着が安全神話を撒き続け、マスコミも学者も支配下に置いていた原子力村の存在は、海外メディアにも大きく取り上げられている。巨大な資金力を持つ経済界が政治と癒着する“コーポラティズム”が支配を進める程に、選挙も又消費活動の一環としてマーケティング戦略に組み込まれて行き、“資本独裁国家”と化して、国民の選択肢は限りなく一党独裁に近いのだ。対話形式の論理展開が多いので、雑駁の感は否めないが、ナオミ・クライン(Naomi Klein)の「ショック・ドクトリン」の日本版と言えないこともありません。豊かな国有資源を持つイラクが、フセイン転覆後に大資本の特売場と化したように、リビアの富も又、市場に並べられるのだろうか。ナオミ・クラインが指摘した“戦争と債権の民営化モデル”が、此処にも見え隠れしている。TPPへの参加協議を迎える日本も例外で無く、東日本大震災被災地における外資への税制優遇が「特区構想」や、「グローバル化」を掲げるだけでその実態は説明されないままだ。5大紙の社説はこうしたワンフレーズを含む推進内容になっており、「漁協」「農協」が旧体制のシンボルとして成長を阻む敵の様に描かれている。TPP全加盟国の中でアメリカだけが、自国内法と異なるルールが検討事項に挙がった際、議会の承認が得られないことを理由に拒否できるのだ。これはTPPが自由貿易ではなく、アメリカ政府が要求するルールに支配されるものであることを示している。これらショック・ドクトリンへの対抗策は、FacebookもTwitterも“コーポラティズム”範疇にあるので、自己変革が必要だと結論づけるのには竜頭蛇尾と残念に思われて仕方がありません。原発も放射能汚染も、TPPも金融危機も、医療も教育も第一次産業も、様々な立場からの声が上がるだろう。大切なのは一つの情報を鵜呑みにせず、多角的に集めて比較し、過去を紐解き、自分自身で結論を出すことだ。マルクスが喝破した「99%を占めるプロレタリアートよ、団結せよ!」は、資本独裁主義へのアンチテーゼとして復権されるべきなのでしょう!
2012.03.25
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寺田寅彦氏は、悲惨な自然災害には、過去の教訓を無視した人災が大きく影響する結果となり、それが2千年来繰り返されていると断じています。昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかった様である。それは実際いくらか考え映えがする世の中であったからかも知れない。これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細い様な気がする。2千年来伝わった日本人の魂でさえも、打ち砕いて夷狄の犬に喰わせようと言う人も少ない世の中である。一代前の言い置き等を歯牙にかける人はありそうもない。しかし地震や津波は新思想の流行等には委細構わず、頑固に保守的に執念深くやって来るのである。科学の法則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。それだからこそ、20世紀の文明と言う空虚な名を恃んで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は1923年の地震で焼き払われたのである。解説者の畑村洋太郎氏は、その寅彦氏の述懐を反映して、福島第一原発の深刻な事故について次の様に解説しています。日本全国には原発反対運動と言う大きな縛りがある。電力会社は反対派に対抗する為に「原発は絶対に安全」と言う建前を貫き、その根拠を国の定める外部基準に求め、盾にする様なことをして来た。しかし原子力を運用する組織がこれを前提に動いていたら、これ程危険なことは無い。福島第一原発の深刻な事故に結びついたとすると当然の成り行きとしか言いようが無い。安全対策と言うのは危ないことを前提に動いているから効果があるのである。想定外の問題が起こった時に正しく対処するには、進むべき道を自分で考える為の内部基準が必要となる。内部基準が無い場合は、想定外の門題が起きると大抵は思考停止状態に陥る。福島第一原発で全ての電源が喪失すると言う想定外の事故が起きた時、何も手を打たず、当然予想できた水素爆発が起こるのを許してしまった。そうすると、この事故は想定外の問題に対して対処出来る内部基準を備えることを怠った組織不良によるものであることは間違い無いのである。災難であれ失敗であれ、辛い厭なものだが、これらは使い様によって人間を成長させる糧にすることも出来る。自然災害による試練は、地球に住む限り避けては通れない宿命である。そうであるなら、寺田の言う通り、寧ろこれらと向き合って、多くの知恵を授かる様にした方が良いだろう、それが賢い生き方と言うものである。従来の想定内の事故に対する「制御安全」に拘泥することなく、他国からのミサイル攻撃に耐え得る「本質安全」を目指して聖域なき奮闘努力をして頂きたいものだと思っております。畑村氏とはどうも大学同期生で、私が学んだ航空学科では、鵜戸口英善氏の材料力学講義、藤井澄二氏の振動学講義には機械学科建屋に出向いて講義を受けていましたので、机を並べて学んでいたと思われますが、学科の違いもあり覚えていませんのは残念です!
2012.02.11
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「天災は忘れた頃にやって来る」とは物理学者である寺田寅彦の警言として良く知られています。東大教授として理化学研究所主任研究員として、ノーベル賞になるべき種々の科学業績を残しつつ、随筆家としても文筆家として類稀なる足跡を残しています。彼は興味の視点が多岐に亘っていて、理学博士の学位論文が「尺八の音響学的研究」と一風変わった学位論文で、イギリスのノーベル物理学者レーリー卿の「音響理論」に触発されて研究されたものでした。その論文選択には、熊本第五高等学校からの恩師であった夏目漱石の文学的影響に加えて、科学への係わり方、人生観への影響も少なからずあったのだと推断出来ます。しかし其処で、著者は寺田寅彦には二人の師がいたとし、それは夏目漱石とレーリー卿だと断ずるのですが、著者の勝手な思い入れと解釈で、真実は違うのではないかと思わざるを得ません。寅彦には夏目が人生の師であり私淑したことは確かでしたが、彼を通して“高等遊民”的な人生感を学び、感化された「音響理論」を上程したレーリー卿が偶々“高等遊民”的な生き方していたことに憧れたのかも知れないと考えるのが妥当だと思うからです。しかし、著者の寅彦に対する判断は以下の点では納得出来るものがありました。20世紀初頭は物理学の“疾風怒涛”の時代で、こうした嵐の吹き荒れる時代に身を置いた寅彦は、古典物理学の世界に専心し、科学解説サイエンス・コミュニケーションと言う試みを行い、新しい潮流にも力を入れると言う“棲み分け”をしながら、物理学全体を視野に収めた稀有な存在であった。アインシュタインの「相対性理論」が発表された際に、その素晴らしさを認識した世界でも数少ない物理学者の一人とされていることから、そのことが分かります。彼が研究視点を分散せず、新しい物理学研究に専心することがあったら日本人初のノーベル物理学受賞者になったことだと思われてなりません!
2012.02.10
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NHKの大河ドラマ、今年は平清盛が主人公として展開されるらしい。平家物語では、稀代の悪人とされた平清盛ですが、その歴史観は勝者の見方でしかありませんし、公正な歴史考証から再判断されますと、最終的には武家同士の戦いに敗れながらも、それまで既成権力の砦であった貴族世界に風穴を開けた稀代の英雄として覆されるのかも知れません。高校時代の古文授業は、東大文学部卒の森幸蔵教諭の担当、教科書の一部として習った平家物語には、有名な書き出しに加えて台頭する平氏への貴族の嫉妬の章を読まされた記憶があります。鳥羽上皇に昇殿を許された平忠盛に対して、他の殿上人である貴族が身分の低い新参者として嫌がらせを行ったことが描かれます。貴族にしてみれば、桓武天皇の子孫ながらも、都とは縁遠い地下人になり下がっていた平氏が今頃になって殿上してきた事を疎ましかったのでしょう。忠盛御前のめしにまはれければ、人々拍子をかへて、「伊勢平氏はすがめなりけり」とぞはやされける。此人々はかけまくもかたじけなく、柏原天皇の御末とは申ながら、中比は都のすまゐもうとうとしく、地下にのみ振舞なて、伊勢国に住国ふかかりしかば、其国のうつは物に事よせて、伊勢平氏とぞ申ける。其うへ忠盛目のすがまれたりければ、かようにははやされけり。(平家物語による)「伊勢平氏はすがめなりけり」と言いますのは、伊勢国の特産であった焼物にかけて“伊勢平氏”=“瓶子”は、“すがめ”=“酢瓶”とし、“伊勢出身の平忠盛が眇(すがめ=やぶにらみ)である”とからかうのですから、底意地の悪いこと限りがありません。何時の世でも、既得権益を持った既成勢力とはいやらしいもので、貴族の下人として蔑んでいた武家の台頭は許し難いのですが、時流には逆らい難しとしながらも底意地の悪さを示すのです。
2012.01.13
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手塚治虫は、少年・少女向けの健康的で肯定的なストーリー漫画から、青年向けの「人間の業」「国家権力の横暴」を暴き出すストーリーテラーに転じたのは1968年から以降のことでありました。市民運動的な安保闘争の屈辱から、青年は既成体制の打破を目指し先鋭的な東大闘争を展開しますが、結局は国民の支持を得るに至らず虚無的になって集結に至ります。不安な時代を反映して白戸三平、さいとうたかを、小池一夫等、権力に対抗する劇画が台頭し、手塚治虫の「鉄腕アトム」に代表される健全なストーリー漫画は否定されてしまったことで、手塚治虫は既成システムからの逸脱を図って行くのですが、本書はそのクロニクルが時系列に掲載されています。畢生の傑作とされる「火の鳥」は1969年40才で執筆開始、逸脱直後であることが分かります。掲載されていますのは鳳凰編、「政治の為に使われる宗教など・・お前には縁が無いものだ」と上人が我王を諭す場面は、現代のイスラム国家建設へのアンチテーゼに通じるものがあるとも思えるのです。未完の作となった「ネオ・ファウスト」は、死の前年1988年の作品、東大闘争を模した処で絶筆、その後の展開は一部がスケッチだけしか残されていないのですが、あとがき解説ではゲーテ原作のキリスト教的な愛に救われると言う結末では無く、地球を破壊して終わると言う結末を用意していたとされています。各々の作品を時に応じて接し、手塚治虫の「人間の業と死」を中心とする後半生ストーリーテラー的世界に遊ぶのには、このクロニクルを契機にするのが適切では無いかとも思われるのです。
2011.12.06
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田中角栄には金権政治のイメージがあり、その亜流たる小沢一郎もマスコミで叩かれ放題の状況にあります。しかし、懸案の日中国交正常化を、日米安保体制と両立させ、台湾との民間交流を続けつつ、一気呵成に成し遂げた功績は、日本の国益を考えるとやはり認めなければなりません。その際の日中共同声明は前文と9項目の本文からなり、両国にとって国情を反映した妥当な声明であると思われるのです。本文第7項目:日中両国の国交正常化は、第3国に対するものでない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域に於いて覇権を求めるべきでなく、この様な覇権を確立しようとする他の如何なる国或いは国の集団による試みにも反対する。しかしながら、近年中国の覇権主義が台頭して、その精神に悖る海洋権益拡大の動きが出て来ていることには残念な思いがしてなりません。著者は次の様に自分の思いを述べていて、自分の論理に陶酔している感もするが、私の息子世代である若さも、その探求心故にそれなりに評価してあげたいと思うのです。田中と大平の個性が共振する姿を外交交渉を描きつつ、あり得べき政治指導の姿を探し求めた。政治指導のあり方は、少なからず官僚の使い方に現れるもので、彼らの果たした役割も、インタビューを通じて正当に評価しようと心掛けた。近年、政治家が官僚との対決を標榜する傾向が見られるものの、少なくとも外交に関する限り未熟な方法と言わねばなるまい。本文第3項目:中華人民共和国は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する。近頃、マスコミも中国政府の宣伝に乗せられて、台湾は中国の一部であることが既成事実の様な論調も目立つのだが、共同声明では、両国の主張併記で、日米安保体制にも抵触させない配慮がなされていることに、改めて確認したいと思うのです。又、尖閣諸島については、周恩来首相は、日本が実効支配する領土について自国から発議するのは外交上得策では無いと認識し「尖閣諸島について話すのは良くない。石油が出るから問題になった」と話を打ち切ったと言う。そして、対ソ戦略を重視する百戦錬磨の周首相は、日中共同声明の調印を急ぎつつ、日本外交の不慣れさを救ったのだとの逸話が載せられているのは、日本国民として感謝・留意したいものです。近年の中国外交には覇権主義が横溢して、周恩来の様な偉大なステーツマンが皆無となりましたので、付き合い方に注意しなければなりません。個人にせよ主義にせよ、長期独裁政権は必然的に腐敗し、覇権を目標とする軍部の発言力が増大し、結果として先軍政治になるのが常なのだと思われます。
2011.10.23
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著者ステファン・エッセルは93才、第2次世界大戦のレジスタンス闘士で、ユダヤ人であるにもかかわらず、イスラエルを糾弾する積極的な活動を続けている稀有な人物の様です。世界的に若者の抗議運動が熱を帯びていますが、フランスではベストセラーとなって、若者たちのバイブルにもなっていると報じられています。僅か20ページ程の小冊子で、この年末にも邦訳が出版されるとのことですが、フランス語の再学習を込めて、Amazonで購入予約をしました。1 "Indignez-Vous!(憤激せよ)"Stephane Hessel; ペーパーバック; ¥ 3852 "Time for Outrage!(怒りの時)"Charles Glass; パンフレット; ¥ 485どうも在庫は無いらしく、入手は11月4~13日と4週間程度掛るとのことです。配送料を含めて1000円程度と考えています。インターネットで“Indignez-vous”検索しますと、著者に対するインタビューが多数見つかりましたが、93才と言う高齢にも拘わらず、矍鑠たるものがありました。indignez-vous--de-stephane-hessel-quand-un-ancien-resistant-parle-d_engagementステファン・エッセルは、1917年ベルリンで生まれ、1925年にフランスに移住。両親はユダヤ人。父親はプルーストをドイツ語訳した人で、母親は画家。1937年にフランス国籍を取得。第二次大戦でドイツ軍の捕虜になるが、脱走してロンドンのドゴール将軍の指揮下に入る。1944年フランスの戦線に戻るが捕えられ、ドイツの強制収容所に移送される。脱走に成功するも再び逮捕、またまた列車から飛び降りて逃亡し、アメリカ軍に加わる。戦後は国際連合事務局に入り、世界人権宣言の起草に寄与。アルジェリア戦争当時は、アルジェリア独立運動を支持。1981年ミッテラン大統領によって、フランスの国連大使に任命される。現在、ユダヤ人であるにもかかわらず、パレスチナ人の側に立ってイスラエル商品ボイコットのキャンペーンを行うなど、積極的な活動を続けている。90才を超えて、尚至極全うな発言を発信する力量は大したものです!
2011.10.15
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著者の浜矩子(はま のりこ)女史は、度々TVに出演しているが、なかなか説得力のある解説者だとコメントを傾聴しています。一橋大学は、哲学的な方向付けよりも、実務的な経済学者を輩出していることで知られていますが、彼女もそうした基本方針で育てられた人材の一人の様に思われます。基軸通貨の米ドルが危うくなり、後継とも目された欧州ユーロも先行きが不安視される中、著者の定義は納得出来るものがあります。「その国にとって良いことが世界にとっても良いことであると言う関係が成り立っている国の通貨」が、国際的基軸通貨と呼ぶに価する。大英帝国が世界の富を一手に握った「パックス・ブリタニカ」の時代のポンドがそうであり、第2次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ」の時代のドルもそうであった。それを踏まえた現状分析は、甚だ厳しいものがあります。2000年代も後半になり、通貨を取り巻く状況を大きく変えた二つの「まさか」が起きた。2008年のリーマン・ショック、及び2009年のギリシャ金融危機である。前者は、既に実質的には基軸通貨の座を降りたにも拘わらず、それを認めようとしないアメリカへの退場勧告とも言うべきものであり、後者は、ドルに替る基軸通貨として期待されたユーロが、その役割を果たせないこと、更に、その存在すら危ぶまれるものだと言うことを示す警戒シグナルであった。円高圧力の強い日本の現状分析には、円を裏基軸通貨として展開するのが良いとし、日本人を鼓舞させようとする意図が強い。今回の東日本大震災で、地球的なサプライチェーンがどれだけ大きな影響を受けたかを考えても、グローバルな次元での日本の社会的責任は大きい。円が動けば世界が揺れる、日本の物作りが揺らげば世界が倒れる。成熟債権国は、自らの行動や降りかかる命運の波及効果を常に意識しておかなければいけない。明らかに、子供じみた振る舞いとの決別の時が来ている。大人の国の大人の通貨を大人らしく管理する覚悟が求められている。強い通貨と豊富な債権、そして知恵と工夫を用いて、如何に豊かな国を築いて行くかが問われていて、日本が前人未到の大人の世界を自力で開拓することは、日本型ジャスミン革命となるのではないか。大きな政治的課題であるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には、基本的には反対の様で、21世紀食糧自力調達が問われている現状を踏まえてかは不明ですが、納得出来るものがあります。TPPは、環太平洋の国々が協定を結んで自由貿易圏を作ろうと言うものであるが、要は特定地域の囲い込み政策で、いわば集団的鎖国主義である。基本的に閉鎖主義的な対応である。通貨と通商の世界における自己防衛的囲い込みが、地球経済をズタズタに分断して行くのが最悪のシナリオで、其処に向かわない様に、債権大国の誠意ある大人の外交が問われる処だ。実務型経済学者の戯言と読むか、或る提言として読むのかは、読者に任されていると解釈して良さそうです。
2011.10.06
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先日本屋に行って、気軽に読める新書本ではなく、偶にはじっくりと読める図書を探していましたら、ゲーデル著「不完全定理」と言う岩波文庫がありましたので、買って帰りました。51年昔、教養学部での数学の講義は、高校時代での問題を解くことを主にする授業と違い、定義を大切にする意味合いが強く、興味深いものでした。解析学では、当時微分幾何学の気鋭学者である長野正氏が講師で、参考書は高木貞治著「解析概論」と言う名著でした。代数学では、講師は森繁雄氏で、受験参考書で知られていた人で、スミルノフ著「高等数学教程」を参考書として勧められました。その後、工学部に進みましたので、数学講義も純粋数学から応用数学へ転換し、犬井鉄郎氏の講義となりましたが、やはり興味をそそるものがあったのです。企業に入り、応用数学適用の命題が多く、寺沢寛一著「数学概論」を参考にすることも多くなり、業務上の難問解決の為、微分方程式の構築、行列知識の適用・応用等には心血を注いだものでした。しかし50年を過ぎて、頭もすっかり硬くなり、純粋数学書では、なかなか読み進めることが出来ません。やはり、工学者の弱点でもあるのでしょうか、物理的意味合いの無い命題を、数学的に理解する意気が続かないのです。1.形式系と呼ばれる論理学の人工言語で記述された数学は、その表現力が十分豊かならば、完全且つ無矛盾であることはない。(第一不完全性定理)2.形式系が無矛盾であると言う事実は、その事実が本当である限り、その形式系自身の中では証明出来ない。(第二不完全性定理)20世紀最大の数学者ヒルベルトは、数学における合理性を究極の形で確立すると言う、極めて近代ヨーロッパ的な目的を担っていたが、上記ゲーデルの不完全性定理が結果的に合理性に対する素朴な信頼性に否を突き付ける形になった。その為、数学の定理でありながら、西洋哲学、心理学、思想、情報学等の研究者を引き付け、様々な影響を与える結果となっている。解説が面白いので、もう少し読み進めますが、読破する自信は全くありません!我が家の本棚には、永らく使われたことが無いまま、高木貞治著「解析概論」、寺沢寛一著「数学概論」、スミルノフ著「高等数学教程」12巻は、寂しく眠っています。
2011.09.29
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財務省と並んで、キャリア組のエリートが集まる省ともされる経産省生え抜きの改革派キャリアの内部告発なのですが、今話題となっている松下政経塾と関係の深いPHP新書であるのが気に掛ります。彼の名は古賀茂明、仙石由人の彼に対する脅しは、2010年7月に辞任を、9月にイジメ出張を強要、10月の覚悟を決めて古賀審議官が国会参考人発言したことに、意味の無い公開恫喝を行ったことで、一躍知られることとなりました。彼は、次の様に分析していて、正鵠を得ている様に思われます。日本の官僚は優秀でも公正でも中立でも無い。「官僚組織は最高の頭脳集団」は単なる幻想に過ぎなかった。「世界一」と我々が信じ、拠り所にして来た日本の技術力の高さが、原発事故の対応の拙さから、実は幻想に過ぎなかったと言う現実が明らかになったと同じ様に、日本の官僚も、専門知識に乏しく、判断も決断も出来ず、自分では責任を取ろうとしない、素人集団であることを、広く国民の前に露呈してしまった。原子力の分野に留まらず、財政悪化させたことから明らかな様に、財務官僚のレベルもお粗末なもので、あらゆる分野で日本の官僚は世界標準に較べて相当遅れていると言わざるを得ない。それどころか、今や危機的状況にある国を食い潰し、崩壊させかねない存在になっていると言っても過言では無くなっている。しかし、実務経験に乏しい学校秀才の出自による限界なのか、本書後半の提言で「官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人達が集まれば、未だ何とかなる」との認識には大きな違和感を持たざるを得ません。「東大法科卒エリートが国を動かす」と言う永らく是認されて来た方針は、東京電力、保安院やエネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性の無さは、失敗だったことを示しています。其処で、政治家や官僚の思惑で何かを決めるのではなく、国民の強い意志を反映させた産学政官共通基盤で国民を導く体制を構築すること、後世の検証に耐え得る組織が要求されているのです。従前のキャリア組主導方式では上手く行かないのですから・・上記の如く、起承転結の「転」部分には肯ずる訳には行かない処がありますが、「結」部分には納得出来るものがあります。消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうでは無く、既得権益グループと戦える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費増税を小さくしても大丈夫な道筋をつけることに命を賭けて欲しい。そして公務員改革を断行して官僚が真の政治家を全力で支える、それが理想だ。
2011.09.08
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