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ベース電力となっていました原子力発電が疑問を持たれる様になって以来、東電も自信を持って宣伝していたスマートグリッドの話題はすっかり霞んでしまいました。太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーの導入に、スマートグリッドを構築する必要性は高い。太陽光や風力などは、その発電量が天候や気候に左右され、非常に不安定だ。更に、電力需要が少ない時に供給量が増加してしまうと、送電・配電線に大量の電力が送られ、負荷をかけることになってしまう。そのため、需要と供給のバランスを調整するなどの系統安定化策が不可欠。具体的には、大型の蓄電池を設置することで電力をプールする方法や、電気自動車の蓄電池としての代替利用、コージェネやガスエンジンといった機器の電力源としての利用など、他の設備に余剰分の電力を移す方法がある。 停電対策よりも再生可能エネルギーの導入のために推進される日本のスマートグリッドだが、その仕組みづくりには、関連する多くの分野からの協力体制が必要になる。次世代インターネットの経済学-依田高典2011年現在、日本のブロードバンド・インフラは有線も無線も世界一である。それでも、医療のデジタル・オンライン化は遅れ、中小企業のICT利用も課題が多い。他方で、インフラ整備で後れを取るアメリカでは、GoogleやAmazonなど時代の寵児が、Microsoftの牙城を脅かす迄に成長した。世界の最富国アメリカのことだ。インフラ整備の遅れは10年で取り戻すことだろう。その時、ガラパゴス化した日本に何のアドバンテージが残るのだろうか?そんな思いで、研究テーマをスマートグリッド・エコノミクスと決めた。スマートグリッドとは、ICTを有効利用し、電力系統の効率化を図り、環境に優しい分散型電源の導入を促進し、消費者の省エネ行動の変容を促すエネルギー産業のイノベーションである。ブロードバンド・エコノミクスと行動経済学の研究成果を一段高いレベルで統合するものと言って良い。近頃話題となっている「光の道」の根幹となるFTTH(Fiber to the Home)、固定・携帯電話の融合サービスFMC(Fixed-Mobile Convergence)にも識見に満ちた解説と提言があり、時宜を得たもので読んでおきたい書籍だと思われます。
2011.05.31
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我が家には復刻版の「古寺巡礼」があり、青年時の著作であることから情熱に溢れ、奈良大和路の紹介書として秀逸なものだと思っています。ただ1960年代には、政治精神は丸山真男がマックスウェーバーを標榜して活躍していたこともあり、彼は過去の人と片付られていた様で、彼の大著「倫理学」は読んだこともありませんでした。今日では、丸山真男も批判されて落ちた偶像となり、政治はポピュリズムに席巻されて路頭に迷い、「皆さん 如何ですか?」と迎合するだけで、国民を啓蒙リードする気概が欠落する哲学不在の政治事態となり、各々自分勝手に意見を言い、勝手に行動する無政府状態となっている気配です。主として「倫理学」を和辻哲郎の軌跡に寄り添いながら読む試みであり、「自叙伝の試み」に始まって、「古寺巡礼」に終わる構成となっている。著者は上記意図に基づいて、次の様に彼の著作を評価していますが、過評価と思われないこともありません。「倫理学」は、詩人的な直観と体系的な思考を目指す哲学者の論理が交錯する、やはり一つの傑作であった。其処には近代の哲学的思考の可能性と限界が、又避けて通ることの出来ない洞察の隘路との殆ど一切がある。それは、時代の中で思考を紡ぎあげて来た文人哲学者にとって、一個の栄光とみなすべき事柄である。しかし、和辻哲郎はカントからマルクスに至るまで、時代的制約はあるのですが、一定の評価をして、一派に与することは無いのは評価出来るのです。危機は「資本主義を打倒しようとする思想ではなく、将に資本主義の精神自身に存する」、資本主義の精神とは「ブルジョア精神」であり、「ブルジョア精神」とは将に「町人根性」である。今や日本は「町人根性」に支配されており、危機は将にこの点に存する。危険は取り除かれなくてはならず、町人根性の支配は打破せられなくてはならぬ。現在の混迷は、世の中すべて金権主義が蔓延し、ビジネス効率を最善とする資本主義パラダイムに堕していることは確かですし、政治も其処から抜け出す哲学が感じられません。今話題となっている持続可能な社会保障制度構築も頓挫しているのは、和辻が言う「町人根性」パラダイムの弊害と断じて間違いは無さそうで、彼の指摘は時宜を得ている様に思われるのです。この書籍、新書版ですが、これまで流布している既成概念・固定概念から離れ、ショーペンハウエル宜しく、自分から進んで現状への警鐘・難局打開のヒントを得るにはお勧め出来る本です。
2011.02.12
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この書籍は、先日56年振りの小学校同窓会で同級生から贈呈されたもの、純物語を読むのは久しぶりでした。小中と同級、同じクラスになったことは無いことから、親しく話をしたことが無かったのですが、彼の生き様を知って貰いたいと自分の著書をくれたのだろうと想像しています。水の惑星と呼ばれる地球も、遠い原始の時代には赤茶けた岩と砂漠しか無かったのだが、神のいたずら心から緑の園が造られることになった。しかし、神の単なるいたずら心では、その園も永続きがせず、太陽と月の支援を受けた森の妖精と三人の女神が、緑の園を生命感の溢れる森の姿に変貌させる物語となっています。著者は緑の森への深い想いが強烈で、擬人的な太陽と月、及び森の妖精と三人の女神との会話体で物語を展開して行くのです。そんな会話を読みながら、ふとボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」で女神達が集う様を思い浮かびますし、又勤しんで造り上げた森を大切に思う気持ちはサン・テグジュペリの「星の王子様」で残して来たバラを思う気持ちに通じるものがありました。造り上げられた森はものを言わないのですが、妖精が「生き物は自ら命を得たのです。試練の中で、何とか生きようとするのです」と森を代弁することが、著者の主張とも思えます。この本は、小説物語と言うより手塚漫画「火の鳥」の様に、絵とセリフで展開した方が余程迫力が出て来るのではないかと思われてなりません。地球も現在の姿である常温水と空気の環境は一瞬、将に“色即是空”、全球凍結の氷河時代から水の無い灼熱時代と輪廻変遷しつつあることも事実、現在の姿・環境無しには人間を含めて全ての生物は生きられないのだと、そんな悠久の歴史を考えながら読み進めるのも一興と思われました。
2010.11.03
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家内の1周忌に訪れてくれる人も絶え、供えてくれました供花も萎んで来て、又静かな独り暮らしに戻りました。2週間前の1周忌法要では和上が種々読経してくれたのですが、最後に「般若波羅蜜多」と唱えてくれたことしか覚えていませんし、「般若」は「悟りの智慧」・「波羅蜜多」は「完成」となるのですが、悟りを開いている訳でもなく、信心深くも無いので、普段通りに毎朝焼香しているに過ぎません。「誤解された仏教」では次の様に述べられていますが、衆生には納得出来るものがあります。「わが心の解脱は不動である。後有(ごう)を受けない」と釈尊は宣言した。これは「私は輪廻を解脱した。これが最後の生存で、もう何にも何処にも生まれ変わらない」と言う意味で、これが仏教本来の考え方である。しかし、愛妻の死が縁となり比叡山で回峰行に挑んだ阿闍利(あじゃり)は「心も肉体も空だから物心一如、一体何が残るのだろうか。私は“想いの深さ”が残ると敢えて言いたい。“想い”によって女房から色々なものを与えられた」と言うのである。私と当時日本最西端だった五島列島で知り合ったのは17才、結婚したのは27才の時で、1970年3月東大構内の赤門近くの学士会館別館でした。 それからは39年間の長きに亘って家族を愛し、静かに好きな読書をしつつ、時には義母と共に聴いたクラシック音楽を楽しむと言う平凡な人生を天命と受け止め、天寿を全うしたのです。葬式仏教の法要・供養を一概に否定するものではありませんが、「後有(ごう)を受けず」で死後の世界は存在せず、「想いが残る」として家族・親戚・知人の心の中に刻まれて残ると言うのが、現在の私としましては、最も納得出来る様に思われます。彼女の好きだった珈琲を独り啜りつつ、そんな風に考えました!
2010.10.31
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独り暮らしとなると、結構家事に割かれる時間が多く、ゆっくり音楽を聴いたり、本を読んだりする習慣が無くなりつつあります。以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。朝ゆっくりと食事を摂らせてくれ、珈琲を入れてくれて「後は家事があるから、ご自分の好きなように!」と言う、極めて快適な生活だったのです。閑話休題、下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。和辻哲郎「古寺巡礼」和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。九鬼周造随筆集50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。西田幾多郎-生きることと哲学久しぶりの新書、急がず閑に任せて、読み進んでいます。
2010.09.07
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著者の霜月十三星(しもつき とみほし)氏とお会いしたのは、唐木田駅前にある喫茶「友愛」、丁度店内にモーツアルトの音楽が種々流れている時に、話が始まりました。霜月氏は「ベートーヴェンは良いが、モーツアルトは分からない!」と言うので、私は「気分が落ち込んだ時は、ベートーヴェンは勇気づけてくれるが、モーツアルトは更に落ち込み、精神が充実している時で無いと聞けない。」と応じたのです。すると霜月氏は「画家モネも貧乏でたいへんでした」と話題を変えましたので、私は「ジヴェルニーでは、平安な生活をして晩年は裕福で幸福だったのではないでしょうか?」と言いましたら、上記の書籍をカバンから取り出して、「どうぞお読みください!」と贈呈してくれました。ブックカバーには「フランスの芸術家達に多大な影響を与えた、北斎や広重の描いた日本の美。そして、誰よりもその美しさを追求した画家モネと娘マリーが、情熱をかたむけた日本への憧憬を綴る」と紹介されています。冒頭に「ゲーテの色彩論」が述べられているのに先ず驚きました。これは、大学時代の独文学教科書で、難渋なドイツ語だったと記憶していたからで、遠き思い出を引き起こされたのです。読み進む内に、「モネの考えを言葉で表現し、理解するには手間は掛らない。彼にとっては、全てが現在形で、過去も無く、未来も無い。人間の無我があるがままの自然に吸い込まれていく。それが美の本質なのだ」と言う核心に近づきます。カントは「人は哲学を学ぶことは出来ない。ただ哲学することを学び得るに過ぎない」と言っている。この主張に従えば「人は美を創造することは出来ない。美を創り出す方法を模索し得るに過ぎない」モネの人生は、東洋の美を模索したひと時であったのか?人類は皆、限られた生命と寿命の範囲で、絶対への軌跡を描きなぐって行くのみなのか?そうエピローグで哲学することで結んでくれますので、読後爽快となりました。閑話休題:著者本名は平林治雄。1925年11月13日生まれを、そのまま「霜月十三星」と読み替えて、ペンネームとしたとのことです。処で、私のブログ・ニックネームは、米国で使っていたニックネームを流用したもので、「カーク」の発音が悪いので、クルト、キルク等と覚えられていたこともありました。人色々です!
2010.05.05
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筆者は1975~1988年に亘って、朝日新聞の「天声人語」を担当していた経歴を持っていることから、エスプリの利いた筆致で「近代化を見なおそう」と主張します。無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。唯、どうも「天声人語」をずっと連続して読んでいる様な気分にもなり、経歴は大事なものに違いありませんが、其の出所からは離れられないのかと残念な気持ちにもなりました。批評随筆から離れて、もう少し自分の考えを押し出して良いと思うのです!
2010.04.24
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龍星閣は、「智恵子抄」出版後に書かれた「智恵子抄その後」6篇の詩群に注目し、これを軸に出版を決意する。智恵子に関わりの薄い文章も含めて、1冊の詩文集を構成し、1950年に出版となった。6篇の詩では本にならないと出版に乗り気でなかった光太郎も、出版社の熱意に絆され、認めることにしたと言う逸話があとがきで紹介されている。メトロポオル智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。運命は生きた智恵子を都会に殺し、都会の子であるわたくしをここに置く。岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、わたくしを囲んで仮借しない。虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、ただ全裸を投げて前進する。智恵子は死んでよみがへり、かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。変幻きはまりない宇宙の現象、転変かぎりない世代の起伏、それをみんな智恵子がうけとめ、それをわたしくが触知する。わたくしの心は賑ひ、山林孤棲と人のいふ小さな生小屋の囲炉裏に居てここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。智恵子の死後、少なくとも7年以上経っていますのに、この心情はどうしたことでしょう!高村光太郎は1914年に長沼智恵子と結婚、1938年死別。1941年に詩集「智恵子抄」を出版。1945年10月、花巻市郊外に粗末な小屋を建て、7年間独居自炊の生活を送る。これは戦争中に多くの戦争協力詩を作ったことへの自省の念からだった。
2009.10.13
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この文庫本は、周囲が褐色に変色しています。発行年月は1970年ですから無理も無いのでしょう!その中で、アホウドリを題材にした、ボードレールの「信天翁(をきのたいふ)」が眼に止まりました。波路遙けき徒然の慰草(なぐさみぐさ)と船人は、八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ、楫(かじ)の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな、沖津潮騒すべりゆく舷(ふなばた)近くむれ集ふ。たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止の極なる。この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、あはれ、眞白き双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き痩姿、昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無には嘲けられ、しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行の空に憧るゝ。雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男(さつお)の弓をあざみしも、地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。七五調になっていて、日本語として響きが良いものですが、古い文語調でもあり、フリ仮名が添えてありませんと読み易くはありません。「海潮音」は上田敏が雑誌帝国文学や明星上で発表したイタリア・イギリス・ドイツ・フランス・プロヴァンスといった翻訳した海外詩を1905年に 取り纏めたもので、新潮文庫や「上田敏全訳詩集」岩波文庫(山内義雄・矢野峰人編)、初版復刻版「海潮音」もある。特に当時文壇の注目を集めていたフランス象徴主義に代表される詩人の作品を、象徴詩として紹介している点で有名であり、日本の象徴詩の隆盛の一端を担った。カール・ブッセの作品「Pipa Passe」を翻訳した「山のあなた」や、ポール・ヴェルレーヌの「Chanson d'Automne」の翻訳「落葉」は国語の教科書で採用されている。
2009.10.12
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家内に読んであげられる書籍は無いかと書棚を見ていましたら、ふとPascalのPenseesが眼に止まりました。結婚後は子供が直ぐ生まれ、設計エンジニアとして生活に埋没して来ましたので、手に取るのは40年ぶりのこととなります。第2外国語はドイツ語でしたし、フランス語を勉強しようと思ったのは、せめて「瞑想録パンセ(Pensees)」を原書で読みたいものだと、友人3人と週1回、喫茶店に集まって勉強会を始めたことに由来、読破せずに終わってしまいましたが、青春の思い出です。語学力もすっかり衰え、読解力は殆どありませんが、次の簡単な2文が眼につきました。La nature de l'homme n'est pas d'aller toujours: elle a ses allees et venues.L'homme n'est pas ange ni bete, et malheur veut que qui veut faire l'ange fait la bete.人間の本性は常に先に進むことでは無い。行きつ戻りつするものなのだ!人間は天使でも獣でも無い。唯不幸に遭遇すると、天使でありたいと願った者が往々にして獣的行動を採ることになるのだ!「パンセ」は、ブレーズ・パスカルが晩年に、書きつづった断片的なノートを、彼の死後に編纂して刊行した遺著。「パンセ」初版の正式題名の和訳は、「宗教および他のいくつかの問題に関するパスカル氏の諸考察; 氏の死後にその書類中より発見されたるもの」。 初版であるポール・ロワイヤル版は1669年に印刷され、1670年に発刊された。各版があり、現在でも新たな編集の試みが続けられている。 日本では、これまでに「瞑想録」などの和訳題名により紹介された。
2009.10.11
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今を時めく21世紀臨調共同代表である佐々木毅氏、元東大総長の肩書もあり、総選挙間近い時期、時宜を得たものとも思えますが、別の見方をすれば、一寸時流に阿り過ぎた不満もあります。著者は次の様に主張していますが、どんなものでしょうか?マニフェスト(政権公約)をツールとした政党政治改革提案は、余りにも肥大化した密教部分を可能な限り押さえ込み、顕教型体制の正当性を復活することによって、政治的統合機能を回復させるという基本構想に沿ったものである。言い換えれば、戦後自民党が作り上げて来た仕組みはもはや維持できないし、維持すべきでないと言うことである。政党間の競争と選択の内実を政権公約をツールとして質的に向上させることである。個々の問題を一つ一つ潰していくよりも、大きく全体を動かすことが肝要である。全体が動けば、一つ一つの厄介な問題も解決の目途が立つ。漫然となんとかなると言った感覚から脱出して、選挙に対する政党の態度や取り組みを冷静に判断する有権者の存在が、この質的向上には不可欠である。総選挙は「政党政治の精神」の最大のテストの場であり、政権公約はその中の不可欠な装置であると言うのが私の主張である。著者は、政治制度並びに体制理解を是とし、その制度並びに体制がもたらす処の脆弱でない政治的統合に於ける政治が肯定されると考えるのである。そこに民主主義の理念よりして問題あるものが出来したとしても、それが政治的統合の強さもたらすものであるならば、積極的に肯定される意義を有すると考えてしまうのだ。東大政治学の権威で総長であった人物が、その重責・権威の片鱗も無くして、あまりに時流に阿る曲学阿世の徒ではないかと思わざるを得ません。そんなに軽い時代の風潮なのでしょうか、東大政治学も説得力を持たなくなりました。
2009.08.16
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超優良企業であった自動車企業、電機総合企業各社が大幅赤字に陥って、失業者が町に溢れて不況の只中にいて出口が見えません。政府の経済活性化対策が不況克服の糸口になればと願うのですが、官僚主導の「靴の上から掻くような施策」ばかりで、どうも納得出来そうもありません。デパート業界に至っては、前年割れの状態が何年も続き、再生の道筋は無いのでは思われる程で、消費者離れ対策が欠落しているのではと思うばかりです。官民揃って何れも、昔のサクセスストーリに縋った洞察力不足(Lack of Insight)と言うか、経営陣の不徳の致す処では無いかと懸念するばかりです。そんな折、「経営者を跳ばなければならない」をキャプションとした、インタラクティブ指向を説く下記の書籍が参考となりました。ビジネス・インサイト-岩波新書1183(石井淳蔵 著)与えられた状況下でやるべきことを仮説、それを現実で確かめる検証、そうして経営指針を立てて実行する。それを繰り返すことで、経営の質が改善させる実証型経営を駆動するのはマネジメントの力である。現代資本主義を成り立たせる力であり、大企業を支える最も重要な力であるが、これは「強み伝いの経営」で激動する世情では破綻する。経営者は将来の事業についての洞察するインサイト、即ちビジネス・インサイトを保持し、跳ばなければ破綻は免れ得ない。そうした見方は、これまでの経営学の論理実証主義に対して異なった立場であることを自覚して、学んだり研究したりする技法、特にケース教育とケース・リサーチについても検討したい。そして、次の様なパラダイム・チェンジを提案するのですが、これは啓蒙型マーケティングに取りつかれた現経営陣の総入れ替えがなければその実現は叶いそうに無いと思われてなりません。製品(Product)、価格(Price)、販売(Promotion)、流通(Place)の4P分析を駆使し、開発物や企画のコンセプトを、消費者に強く絶えず打ち込んで行く啓蒙型マーケティングは、なかなか通用しなくなっている。これからの企業は「顧客との共同制作物を造る」と言う感覚が重要で、両者が相互依存し、影響し合う一つのシステムとして認識する姿勢が大事だと思われる。市場も技術も資源そして企業自体も、戦術判断の拠り所にならない世界、謂わば底が抜けた世界では「共同の意思」こそが、唯一残された判断の拠り所になるのだろう。
2009.05.14
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ユダヤ・エリート-中公新書1688(鈴木輝二 著)「亡命ユダヤ人による現代史」とのキャプションもありますが、この書籍は国家の無い時代のユダヤ人の苦難の歴史と果たして来た役割についての記述が中心でした。しかし、ドイツ語圏に多数いたユダヤ人はナチスドイツの大量虐殺(ホロコースト)計画で様変わり、西欧から脱出して米国へ移住しユダヤ人口は世界最大となり、シオニズム運動から生じたイスラエル建国以降は、世界のユダヤ人口は二分されています。アメリカでのユダヤ人の活躍は、西欧での科学・芸術分野に限らず、ユダヤ・エリートとして政治・経済分野に及び、国策となる傾向となりました。其処で、イスラム原理主義者は「アングロ・サクソンとユダヤは一体となって西欧文明を代表している」と断じ、中東イスラム教徒に双方への武力闘争を呼びかけることとなり、現在に至って解決の糸口が見えません。著者が最終章で述べている次の様な認識は傾聴に値するものがあります。ユダヤ人問題は、単に宗教的少数者、或いは特殊な社会階層の問題ではなく、20世紀の西欧文明の先端で、既にユダヤ・エリートが社会の指導的地位にあったと言う認識が重要である。迫害を逃れて移住したアメリカも、時として深刻な反ユダヤ主義が跋扈し犠牲となったユダヤ人もいた。しかしアメリカ社会には、社会変革の担い手たる人材を必要とするダイナミズムがあったのである。戦後、ドイツの知的世界は失った人材のスケールに慄然とした筈で、今後もその回復には膨大な時間を要することだろう。
2009.04.30
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村川堅太郎・江上波夫と言えば世界史の碩学と知られますが、下記の書籍は文庫本ながらも村川堅太郎氏の代表作かも知れません。ギリシャ・ローマの盛衰-講談社学術文庫(村川堅太郎他 著)この文庫本は読み応えのあるものですが、その10章は「新約聖書の世界」となっていて、キリスト教の本質を理解するのに手助けとなる様な気がします。非キリスト教者にとっては三位一体説は分かりにくいのですが、次の様に解説に接すると多少納得が出来るのです。ユダヤ人で無い者には、イエスと言う人が神の子キリストであると言うことは、とても「本当にそうだ(アーメン)」と言う訳にはいかないものである。しかしこの甚だ奇異な、しかも不確かに見える命題を、敢えて将に確かなものと前提する処に、一つの「生き方」が成り立つ。それは目に見えない絶対者への信頼と隣人との爽やかな交わりに生きようとするものである。パウロは言う「十字架につけられたキリストはユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召されたもの自身にとっては、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、神の力、神の知恵であるキリストなのである」(コリント人への手紙第一)。正典とされる「旧約聖書」と「新約聖書」の位置づけにおいても、分かりやすく解説されています。4つの福音書とパウロの書簡とその他の文書が教典として結集される様になったのは、2世紀後半で、それらは相寄って、イエスによって確立した「新しい契約」を伝えるものであった。この新しい契約は、ユダヤ人に与えられた契約を「旧い契約」としてしまうものであったが、旧い契約に示された神の義が新しく示された神の愛の前提であり、その関係から両者を「聖書」とするのがキリスト教者の態度である。新約聖書が現在の形で正典となったのは4世紀末であった。1993年第1刷発行ですので、アマゾン書籍でもインターネット検索されないのですが、読んで頂きたい1冊だと思われました。
2009.04.24
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こんな描写があり、小中高校と子供時代に徘徊した地域でしたので、気をそそられました。いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。「覆水盆に返らず」とも言われ、現在にある既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。
2009.04.20
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若者を中心に活字離れが加速し、出版不況のみならず、新聞離れも昂じて来ていますし、安易なテレビ視聴に替わって来て久しいものがあります。テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)新聞界のドンが与野党連立工作に介入、又権力との癒着が懸念されている、既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。
2009.04.08
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近頃は冠婚葬祭も洋風になり、家紋入りの和服を着る機会も殆ど無いことから、自分の家紋も知らない人が激増しているだと思われます。未だ墓石の多くには家紋が彫られている現状ですが、家より自分の想いを墓石に刻む例も増えて来ていますので、家紋の将来は風前の灯と言ったところでしょうか?各家に代々伝わるとされる家紋は、平安時代後期に貴族が装飾的目的で使用し始め、鎌倉時代に武家が敵味方を判別する必要性から広まり、江戸時代に庶民が「家を表す」意味で使うに至って、数および絵柄が著しく増え、現在では2万5000種以上となります。家紋と言うものは、先祖から受け継がれることに価値があるものですから、出来るだけ探してみるのが良いのです。「家紋を探る」ことは家の伝統を探ることそのもの、此処に家紋を持つロマンが感じられます。しかし手を尽くしても見つからない時は、新しく作ってしまうのも一つの手で、自分の好きな植物・動物や器具、星座や干支でも良く、自分に纏わるもので自由に作ってしまうことも出来るのです。外国の紋章が動物をモチーフにしたものが多いのに対し、日本では植物紋が目を引きます。これは日本人が農耕民族だからで、野山に咲く花を愛し、雑草でさえも美しく紋章化してしまう日本人の美意識には脱帽です。2時間程で気軽に読了してしまえるのは、著者が厳格な家紋専門家でなく、染色補正の職人として家紋を補正している内に洗練されたデザインに引き込まれた感動の結果が、文章に滲んでいるからなのかも知れません。
2009.01.29
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ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説-マルクス著 城塚登訳この本はマルクスの「既存の一切に対する仮借の無い批判」として出版されたものですが、文章が仮借なく晦渋で読みにくいことから、読み続けるには相当の忍耐力が必要とされますが、あとがきに該当する 30ページを超える城塚登氏の訳者解説が秀逸です。マルクスはユダヤ人であるが、「ユダヤ教の現世的基礎が私利私欲にあること、彼等の世俗的な神が貨幣であることを確認した上で、実際的欲望、利己主義が実は市民社会の原理である」とし、「貨幣はあらゆる神を貶め、それらを商品に変える。この疎遠な貨幣の存在が人間を支配し、人間はそれを崇拝するのである」と喝破するのである。青年ヘーゲル学派(Jung Hegeliana)として活躍しつつ、やがてヘーゲル法哲学を批判することとなります。ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが、民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。宗教が人間を創るのでは無く、人間が宗教を創るのであったように、体制が国民を創るのでは無く、国民が体制を創るのである。この若い時代に、既に官僚主義の弊害に論述しているのは注目に値します。ヘーゲルは「官僚には、国家の意識および卓越した教養が存在し、合法性と知性とについて国家の基柱をなす」とするが、官僚制の普遍的精神は、内部の位階秩序によって外に向かっては閉鎖的な職業団体と言う性格を持ち保護されている。それ故、公開的な国家精神も国家心情も、官僚にとっては、その組織への裏切りの様に思われる。個々の官吏について言えば、国家目的は彼の私的目的、より高い地位への狂奔、立身出世に転化しているのである。彼の思考した共産主義は、低開発国のロシアで実現、その後国際共産主義として中国等にも波及するのですが、全ての地で「国家主体とする官僚制」で硬直化、腐敗が蔓延して瓦解することになるのです。結局、「民主主義と公開的国家精神」を保持する現在の先進国群の方が、彼の意図した共産主義社会に近いのではと思えてなりません。
2009.01.15
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イギリスではオースティンの作品は「イギリス的ユーモア」があることで、200年に亘って人気があり、学校の教科書にも採用されているとのことです。尤も「学校で読まされる、上品で面白みの無い作家」との範疇になるのだそうですが・・しかし、1980年代にテレビドラマ化されると共に、魅力再発見となり空前のオースティン・ブームが続いているとも言うのですが、実感は湧きません。自負と偏見のイギリス文化(J・オースティンの世界)-岩波新書1149(新井潤美 著)ジェイン・オースティンは1775年生まれ、6点の小説を出版し1817年にアディソン病と言う難病に冒されて亡くなった女性作家。その頃は摂政(Regency)時代で、寛容でダイナミックな雰囲気に溢れ、自由な社会であった様です。日本でも田沼意次の時代ですから、国交も無い両国で時代背景は似ていることに驚かせられます。イギリスでは未だ階級制度が厳然として残っているのですが、彼女は貴族階級でも無く、庶民でもない「ジェントリー」と呼ばれる階級(現在ではアッパー・ミドル・クラス)に属していて、その階級内でのゴシック小説へのパロディ作品を書き続けたのです。ゴシック小説とは、恋愛・結婚をテーマとし、ヒーローとめでたく結ばれる前に、必ず悪党にさらわれ、何処かに幽閉されて、様々な危険を経て、ヒーローに助けられてハッピーエンドとなる小説を言うのですから現実味の無いもので、ジェイン・オースティンのパロディは時宜を得たものであったのでしょう。現在、再発見されたジェイン・オースティンを熱狂的に支持する人達は、「ジェイトナイト」(ジェインをもじった言葉で、日本語で言えばジェイン・オタクだろうか?)と呼ばれ、高学歴で、洗練されており、特別な感性を持つと自認する人々であるらしい。著者の新井潤美(あらい えみ)女史もイギリス生活を経て、「ジェイトナイト」を自認している様ですが、オタクの通例として主観的な自己陶酔が過ぎて、客観的な意味で「ゲーテ、セルバンテスと並び、シェイクスピア、モリエールの様な深み、繊細さを持って人物を描ける作家」とも言われるジェイン・オースティンの良さが伝わって来ません。
2008.12.14
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著者の主張は、「現在日本の骨格となっている一連の戦後改革は占領政策によるものとされているが、改革の原点は戦前の日本社会から継承したものの中にあったので、占領が無くても改革は行われた」となっているが、その主張は事後からのレトリック的考察に過ぎず、与することは出来ない。成程、大正デモクラシーから続く萌芽はあったのだが、徹底的に弾圧を受け瀕死の状態で育つことは恐らくあり得なかったと推断出来る。敗戦後であっても、国会は軍部に懐柔された大政翼賛会に牛耳られたままの状態で、連合国総司令部(GHQ)の強引な「公職追放」実施無しには、それらに属する議員が当選多数を占めて、一切の改革はなし得なかったと思われるからだ。しかし、著者・雨宮昭一氏の次の分析・予測は傾聴に値する。戦後体制は、国際的には戦勝国によるポツダム体制・サンフランシスコ冷戦体制、政治的には1955年の自民2/3・社会党1/3体制、経済的には民需中心の日本的経営体制、法的には日本国憲法体制からなる体制である。そして今、この体制が高度経済成長を経て揺らぎ、次の体制へ移行する処であろう。このまま放置すれば、その方向に行く体制をパート1、選択する体制をパート2と考えると、パート1は国際的にはアメリカ中心堅持、経済的には新自由主義、法的には憲法改正、社会的には市場主義の体制となろう。パート2は国際的には国家主権の相互制限、アジアにおける安全共同体、経済では非営利・非政府の協同主義と市場主義の混合体、社会的には個性化・多様化の基づく非営利・非政府領域と連帯の拡大となる。パート2移行となれば、保守も革新も分解を始めるだろう。現在与党の自公政権与党もパート1派が勢いを無くし、民主党を核とする野党もパート2を志向しつつ活動していることが窺われる情勢で、現実にも「ねじれ国会」となっている現時点に於いては、過去の離合集散から将来の政界再編を見据えると言う観点から、一読に値する本と思われます。読書評も70点余となりましたが、近頃は読書量が減っています!
2008.06.12
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著者は1935年生まれの後期高齢者直前、テレビ放送も無い時代、ラジオ寄席が娯楽番組として全盛を極めている時に青年期を過ごしたことで、落語の面白さを身に沁みて感じた経験も相俟って、過去を回想するのを佳いとする世代の様です。案の定、40余のタイトルには自分の人生経験と関連する落語が入り混じって紹介されています。そうは言っても、単なる愚痴と懐古趣味が蔓延していることは無く、新書版で気軽に読め、少しは世の中の情勢への対処法、楽しく人生を送る術を考えさせてくれる書籍です。近頃は、テレビ放送でも「お笑いブーム」が再燃していますが、視覚的動きで笑いを誘う傾向が強く、読み言葉として文章に耐えられるものは少ない様に思われますが、その点、落語は文章となっても十分面白さを満喫できる資質を備えた伝統文化であることが分かります。人生読本落語版-岩波新書1130(著者 矢野誠一)著者は「はじめに」章で次の様に述懐していて、その時流に阿らない姿勢は、傾聴に値するものだと思われます。古今亭志ん生がしばしば口にした「こんなこと学校じゃ教えない」の一言は、将に教育の妙諦で、あの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。決して世のため、人のためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送る術を学んで来た。昨今の地に堕ちた世情を見せられると、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁な不便でも心豊かな人生を、落語の世界から改めて学びなおしても良いのではあるまいか。この本、電車内でも気軽に読めるのですが、本を読みながらもにやにやとせざるを得ず、変な人と思われる危険性がありますので、要注意でしょう!
2008.05.27
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著者の堤未果女史は年齢不詳とされていますが、30才位の新進気鋭のジャーナリスト、マスコミ業界に阿ることも無く、ルポ報告での舌鋒鋭い指摘は新鮮そのものです。アメリカに倣って経済自由主義・格差是認のグローバル化を直走る日本の現状・近未来に対する警鐘だと見ても差し支えありません。「堤未果」でインターネット検索しますと、彼女自身もブログ発信していますので「何故鋭く書くのか?」は分かるかも知れません。ルポ貧困大国アメリカ-岩波新書(堤未果 著)嘗て「市場原理」は、バラ色の未来を運んで来るかの様に謳われた。競争によりサービスの質が上がり、国民生活がもっと便利で豊かになると言うイメージだ。政府が国際競争力を規制緩和や法人税の引き下げで大企業を優遇し、社会保障費を削減することで帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中に組み込まれてしまった。グローバル市場において効率良く利益を生み出すものの一つに弱者を食い物にする「貧困ビジネス」がある。「サブプライムローン問題」は単なる金融の話では無く、過激な「市場原理」が経済的弱者を食い物にした「貧困ビジネス」の一つだ。アメリカで中流階級の消費が飽和状態となった時、ビジネスが次のターゲットとして低所得者層を狙ったのが「サブプライムローン」、そこでは弱者が食い物にされ、使い捨てにされ生存権を奪われて行く現実がある。この世界を動かす大資本の力はあまりに大きく私たちの想像を超えているし、現状が辛いほど私たちは試される。しかし、現実を正確に伝えるべきメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されている状態に声を上げ、健全なメディアを立て直す。それも私たち国民の責任なのだ。新鮮な感じのするルポ報告とは言え、何か「アジテーション演説を聞いている様な錯覚に陥ることも無きにしも非ず」と言う処で、このルポに迎合して庶民の声を上げて行くには短絡すぎる気もしないではありません。その様な懸念を払拭するには、自分の頭の中で論理再構築することも考えなければなりません。
2008.03.15
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昔日、高校の古文教科書の冒頭には、次の万葉和歌が載せられていた記憶(それ程定かではありませんが・・)があります。わたつみの豊旗雲(とよはたくも)に入り日さし こよいの月夜あきらけくこそ(天智天皇)熟田津(にぎたづ)に舟乗りせむと月待てば 潮もかないぬ今は漕ぎ出でな(額田王)特に、天智天皇の和歌は雄大な自然の感動を歌い上げたものとして、万葉集随一の秀逸和歌との定評もある様です。私自身は豊旗雲(とよはたくも)がどのような雲なのかは分からないのですが、曇りがちだった西空の雲間からレンブラント光線の如く、斜め上から筋状に太陽光線が降り注いでいる光景なのだろうと勝手に思い込んでいます。しかし、「入り日さし」ですから、曇っていた西の空が開けて夕焼け空になった光景が本当の処かも知れません。その当時は、日本仮名も造られていませんで、中国から輸入された漢字を音を頼りに充てた万葉仮名の時代ですから、読み方も種々ありますのは仕方無く、末尾の一節は定まっていないのかも知れません。海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日さし 今夜の月夜(つくよ)さやけくありこそ海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたぐも)に入日さし 今夜の月夜(つくよ)さやけかりこそわたつみの豊旗雲に入日さし 今夜の月夜きよらけくこそ綿津見(わたつみ)の豊旗雲に入日さし 今夜の月夜清けくありこそ綿津見の豊旗雲に入日さし 今宵の月夜(つくよ)きよく照りこそ近頃は、格差是認・金権主義を標榜する経済史観が世の中を跋扈していますが、偶には栄華の巷を低く見ることも必要でしょうね!
2008.03.12
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日本語は常に変化しつつありますが、原則的には常用漢字2000字を主体として平仮名を使って送り仮名として読みやすい様にし、外来語は原則カタカナ(片仮名)とし表記され、各々の区別がつきやすい様に構成されています。近頃は漢字で表現出来ることも、英語をカタカナ表現にした日本語の方が恰好良いと言う風潮から、その様な会話・文章が幅を利かせるようになりましたが、1000年近く使われて来た漢字中心の日本語は今後も廃れることは無い様に思われます。中国古典は永く日本人の教養を形作って来ましたが、先人が考案した漢文訓読というユニークな読解法が日本語でも違和感無く理解出来ると言うことが大きな役割を果たし、又、それらの簡潔な表現は日本語の文章に影響を与えて、今でも一部は「4文字熟語」として脈々として受け継がれています。しかし、序章の冒頭に述べられている事実は目から鱗の様に感じられます。中国では、かなり早い時期から書き言葉の文体が話し言葉から独立して、独自の発達を遂げた。書き言葉によって綴られた文章を「文言」と言うが、その特徴は、口頭で話される言葉を逐一写すのではなく、言わんとする意の要所を摘んで、簡潔に掬い上げることにある。その「文言」も種々の変遷があるらしく、次の様に紹介しています。「文言」も「史記」で完成を見ますが、歴史を辿るに従って、六朝時代(3~6世紀)には形式を重んずる文体が発展して技巧を尊重することとなります。しかし、8世紀後半の中唐となって復古運動が推進され、形式に縛られず自由に表現出来る中国のルネッサンスともされる「古文運動」が起きて来ます。種々古典から選び抜いた名文は、孟子・荘子から宋代の蘇軾・李清照まで12人の文章家による内容・形式もさまざまな代表文、読みどころを押さえながら訓読し、白文も添えて、分かり易い解説がその味わいを伝えてくれます。新書版で僅か220ページ、選ばれた12名文で、気軽に中国古典を親しめる機会を提供してくれます。興味が出ましたら、各項目別に詳細な書籍を見つければ良さそうで、日本語ルネッサンスへの恰好な入門書に思えます。
2008.02.05
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どうも近頃、金権主義と享楽主義が蔓延り、「ハウツーが横行するだけ」の如何ともし難い状況に陥っている様です。「清貧」と言う言葉は死語と化して「金儲けと享楽のみが生き甲斐」となって久しく、強者は批判を封じ込めることに汲々とし、弱者を見つけると徹底的に批判して「その生き様」まで否定しようとするのですから、世の中は住みにくくなってしまい、とてもではありませんが一般大衆は堪りません。政治家の政治資金偽装、実業家の様々な偽装行為、マスコミの情報流用操作・インサイダー取引など頻発して「チャンスを生かす強者の論理」は留まることがありません。「パンとサーカスを生き甲斐」とする哲学不在の時代が、そうした生き様を肯定してしまったのだと言うことでしょうか?西田幾多郎-生きることと哲学 岩波新書(藤田正勝 著)西田幾多郎は、「善の研究」で一世を風靡し、純粋経験を標榜した西田哲学を確立した哲人として知られている。哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」でなくして深い人生の悲哀でなければならない。「功なり名遂げた」人生を予想するだが、絶筆にあたって全く違った眼で自らの生涯を見ていたことが分かった。私の論理は学界からは理解されず、一顧も与えられないと言っても良いのである。批評が無いではない。しかしそれは異なった立場から私の言う所を曲解しての批評に過ぎない。西田は、さまざまな思想家から批判を受けたが、その都度、批判を正面から受け止め、自らの思想を発展させる原動力にして行った。批判を自らの思想の中に取り込み、それを糧として新たな発展を遂げていく力強さ、エネルギーが西田の思索の中にはあった。西田は、家族全てを失うと言う家庭的不幸に遭遇しつつも、悲哀をじっと噛みしめて、図らずも弁証法的生き様を貫いたのかも知れません。ある命題(テーゼ=正)と、それを否定する命題(アンチテーゼ=反対命題)、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)として、サイクル化されているのである。全てのものは矛盾を含んでおり、必然的に己と対立するものを生み出す。生み出すものと生み出されたものは互いに対立しあうが、その対立によって互いに結びつき、最後には二つがアウフヘーベン(aufheben)される。
2008.01.20
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おおぐま座にあり、1200万光年の彼方に位置する銀河M82星雲の可視画像。大きく左右に伸びた白い星雲が星の集団で、上下に広がる赤い筋は中心部での星形成が引き起こす高温の水素ガス風だ。この銀河の中心部では太陽の10倍以上の巨星が一時に何万個と生まれるのだから、実に激しい爆発的星形成銀河(Starburst Galaxy)だ。此処までスケールが大きくなって来ますと、人生への屈託も無く、純粋にロマンと知識探究の楽しみのみで痛快の限りです。人類は太古の昔から、夜空の天体を観測し、星座を作っては神話と融合させる楽しみを育んで来ました。近世、ガリレオの屈折式望遠鏡、ニュートンの反射式望遠鏡の発明からは詳細な天文学も発達して、ロマンがより壮大なものになりました。すばる望遠鏡の宇宙-岩波新書(著者 海部宣男 写真 宮下暁彦)著者は、1999年400億円を掛けてハワイ島マウナケア山頂に設置した日本が誇る「8.2mすばる望遠鏡」のプロジェクト・リーダとして建設・運用を纏め上げた経過・結果を記述したもので、直接責任者としての思いが強く感じられる著作となっています。機器製作、現地建設、運用後の天体写真も、多数のカラー写真で説明されるので、読んでも眺めていても楽しいものがありました。「すばる望遠鏡」性能の素晴らしさから、数々の成果を得て、ビッグバンから宇宙が膨張し続けている様子、アインシュタイン相対性理論の重力による光の歪みも検証出来たことが平易に説明されています。著者は、技術論から科学論まで説得力があり、プロジェクト・リーダとしても、天体研究者として優秀なのだと実感させるものがありました。アルマは、日本の国立天文台、EUのヨーロッパ南天文台(ESO)、米国の国立電波天文台(NRAO)の3者が協力して建設、運営する大電波望遠鏡。南米チリ標高5000mのアタカマ高原に80基の高精度パラボラを10km以上の範囲に配置するプロジェクトは進行中で、精密なアンテナ搬入も始まっている。このロマンに満ちた分野でも国際学会での熾烈な競争があるのでしょう、「すばる望遠鏡」以降の新しい大型精密望遠鏡計画の紹介もあって、天体への知識欲・探究心は留まることが無い様です。
2007.12.01
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言論の自由が役立つ場面よりも、報道被害の方が目に付く中で、国民は「マスコミは知る権利に本当に応えているのか。寧ろ私権を侵害しているのではないか。マスコミに公共性があるとするなら、具体的に示して欲しい」と問いかけるようになった。実際、ワイドショーの中には自分で自分の首を絞めているとしか思えないものがあります。著者の河内孝氏は、毎日新聞の営業担当常務を務めた人物で、業界内でも語られない販売の裏側について、生々しく紹介しているのは珍しいかも知れません。「販売が大変だから改革せねばならない」ことには、全員賛成でした。改革案を役員会に提示し全員一致で決めたのです。身を切る改革に販売局、販売店主達から相当の反発、抵抗が起きることも当然覚悟していました。結果的には私には想定内の事態が、他の人達には予想外の深刻な事態になってしまい、改革は挫折し、私は退任・退社したのですが、誠に残念でした。ジャーナリズムを議論するのでなく、ビジネスとしての将来像を見つめることで、これまでの新聞批判本とは違う特異性はあります。3大新聞と呼ばれて来ましたが、圧倒的に読売、朝日のメガ新聞に差を開けられてしまった、毎日新聞の再生の為に採るべき方向を指し示しているのが本書の狙いの様でした。それは第三極構想とされ、毎日新聞を中心に産経新聞・中日新聞が業務提携するというもので、中部圏では非常に強固な地盤を持つ中日、首都圏では産経、九州地区では毎日が強い地盤なので、連携すれば全国紙の展望が開けると言うのです。しかし、毎日サイドの我田引水的な色彩が濃く、連携相手とされる産経・中日側には、危機に瀕した毎日と連携するメリットは少ないのでは懸念せざるを得ません。結局は、社内改革抗争に敗れた著者が、出版社の力を借りてその改革案を世に問うた著作ですが、読み進む内に社内文書を読まされている感じがして仕方がなく、何とも読み応えが無いのが如何にも残念でした。
2007.11.25
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8月日本でも14万円台で販売されているそうですが、米国での500~600ドルと比べますとあまりに高過ぎますし、しかも通信方式の違いで電話機能が利用できないのですから尚更で、何をか況やだと思っています。iPhone製品仕様画面 3.5インチ解像度 320x480ピクセルインプット方式 マルチタッチ方式基本OS Mac OSX記憶容量 4GB、8 GB通信方式 GSMクワッドバンドデータ通信 802.11b/g 無線LANカメラ 2メガピクセル寸法 115x61x12mm重量 135g「iPhone」に刺激され、日本の携帯も進化し、タッチパネル式のものが出て来ています。アップルに続き、Googleも携帯事業に参入すると言うことですが、果たして日本市場に受けられるのか甚だ疑問です。本屋で、タイトルに惹かれて購入して来ましたが、「2007年が良くも悪くもWindows Vistaと並んでiPhoneの年として記憶されるのは間違い無いだろう」との結論に違和感もあり、どうも買損だった気がしています。iPhone 衝撃のビジネスモデル-光文社新書(岡嶋裕史 著)携帯とPCの機能と操作性、無料・有料のせめぎ合いは、ITに限らず全ての産業にビジネスモデルの再考を促す。この混沌とした状況にアップルがiPodの成功を受けて、更に新しい一石を投じる。その製品がどのような思想で作られ、ユーザ新体験をもたらすのか、見て行こう。著者は中央大総合政策研究科出身、富士総合研究所を経て、関東学院大学準教授であることから、魅力ある技術解説に乏しく、ビジネスモデル紹介には難点がある様です。iPhoneはGSM方式で、日本固有のPDC方式をサポートしない為、設計変更には1年以上遅れるが、投入される時の影響は計り知れない。マルチタッチ方式を採用し、従来携帯のテンキーに捉われない柔軟なインターフェースではどんなキー配列も模倣出来ることから、日本の携帯市場にとっての黒船だ。2007年が良くも悪くもWindows Vistaと並んでiPhoneの年として記憶されるのは間違い無いだろう。日本の携帯にはPDA機能は無いが、音楽プレーヤとしても充実して来ているので、1年以上市場投入が遅れることで、陳腐化が避けられないのではと思っている。デメリットとして指摘されているテンキー方式はPC世代の私自身は馴染みにくいが、若い世代では驚くようなスピードで入力出来るテクニックを獲得しているので、違和感は無いだろうと推断せざるを得ない。著者は要するに時流評論家として「iPhoneの年」との結論を導きだすだけで、未来指向を示すことの出来るグランドデザイナー資質に問題があるのでは無いかと思っています。
2007.08.13
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社会保険庁が管理する年金保険料の内「宙に浮いた年金記録」が5095万件、更に93万件と1430万件もの不明年金が在ったことも発覚して、社会保険庁の杜撰さが指摘され、政府首脳のボーナス返納から社会保険庁職員のボーナス返上と、マスコミを賑わせている。「年金問題を政争の具にすべきでは無い」と言うのは正論であるが、政治家の発言行動は混迷を極め、マスコミの論調も相変わらず異常事態を騒ぐだけで何の見通しも無く、一刻も早い「短期的な救済策」から「長期的且つ建設的な制度提言」が何も見えて来ない状況は「不可解」の一言に尽きる。そこで、マスコミ情報に踊らされずに年金問題を考えてみたいと、下記の書籍を買って来ました。年金問題の正しい考え方-中公新書(盛山和夫 著)年金を巡る政治家の提言やマスコミの論調も、相変わらず混迷が続いている。元来、年金制度は人々に安心をもたらすものである筈なのだが、今ではそれ自体が不安の源となっている。年金制度は現代福祉国家の持続可能性に関わっている。公的年金は社会的弱者だけの福祉ではなく、全ての国民を対象に生活基盤を安定化することを目指した包括的制度であって、国家が果たすべき基幹的機能の一つである。今や社会保障費全体は毎年80兆円を超えて、ほぼ国家一般会計の予算規模に匹敵しているが、年金給付は半分の40兆円を超えており、GDP(国内総生産)の10%近くに達している。しかも、年金制度は、限られた世代を超えて異なる世代がお互いに協力し合いながら、永遠に続いて行くことを前提にした超長期的な社会的協働の制度である。2004年国会において「年金制度改訂2004スキーム」が提出され、政治家の年金未加入問題でもめて、実質的な議論が出来ずに通過させてしまった。100年安心とも与党が自賛した「改訂年金制度」は、結局、公平性の観点からは失格していると警告している。基本的な制度設計を、狭い範囲の官僚と専門学者と言った少数の人達だけに任せて来たのが、問題の根本解決を阻んできた最大の原因である。この状況を変えて、多くの人々が仕組みについての基本的知識を持った上で、積極的に議論参加出来る様にしなければならない。そして、「望ましい年金制度は次の4項目の基準が満足することが必要で、専門家だけでなく、多くの人々が積極的に議論参加出来る様にしなければならない」とし、将来世代に対する我々の重大な責任としているのには説得力があった。基準1 持続可能であること基準2 それぞれの世代内では、同一拠出に対して同一給付となること基準3 異なる世代間で、相対的年金水準が一定に保たれること 準則 現役世代の負担が一方的に上昇したり、高齢者世代の給付水準が一方的に削減されないこと。基準4 将来の拠出負担と給付水準は、人口変化と経済変化に左右されるが、どの様に決まるのか、明確な予測が提示されること
2007.06.28
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白洲次郎は「吉田茂の茶坊主」「ラスプーチン」と揶揄されながらも、黒子に徹していた為か、あまり知られていない。しかも政界での活躍のみならず、戦後日本復興の原動力となった通産省設立、9電力会社体制構築、東北電力社長就任と経済界での活躍も幅広い。白洲次郎の日本国憲法-(光文社知恵の森文庫 鶴見 紘 著)戦後日本の方向を決定した日本国憲法制定、対日講和条約に重要な役割を果たしたのだが、黒子に徹していた為か、記録上はおよそ知られていない。吉田茂の右腕としてGHQと対峙し、一方では自由党代議士連を牛耳り「白洲300人力」と囁かれつつ、日本国憲法制定に深く関わった。1989年に「隠された昭和史の巨人-白洲次郎の日本国憲法」として発行され、白洲ブームの先駆けとなった一作の2006年加筆修正版らしく、2007年1月初版となっていました。しかし、章の構成に問題があるのか、著者の熱い思いが伝わって来ないのです。加筆された最終章には「文庫化にあたって 白洲次郎が考えていたこと」として、白洲次郎に対する熱き思いが大いに感じられのだが・・考えてみると、取材をしつつ資料提供を受けた白洲正子夫人に敬意を表して、巻頭言を譲ったことにその原因があると見ました。この「特別寄稿 ソアラの縁」がこの書籍とベクトルがずれているのだ。随筆家として知られる白洲正子だが、その文体が軽すぎて、しかも変な先入観を読者に植え付けてしまうのが頂けない様に思われるのです。読了して、最終章と巻頭言を入れ替えることで、著者の熱い思いがストレートに伝わってくるのでは無いかと判断せざるを得ませんでした。夫唱婦随とは言いますが、夫亡き後の気軽な随筆婦唱となっていて、これはいけません!
2007.05.31
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創刊朝日新書の一つで、横帯には「何故日本人の心は隣人に伝わらない-卓越の日本文化論」となっていますので、購入し読了しました。この手のタイトル本には、私を含めて島国の住人である日本人は弱い様です。納得できる論点もありましたが、多様性国家の代表格である中国を儒教国家と単純に位置づけ、日本を感性主体の無宗教国家と位置づける拙速さが目立ち、結論的には性急で固定観念に満ちた漢民族から見た比較文化論だと思われます。日中2000年の不理解-朝日新書(王敏 著)小著は日本人・日本文化論の範疇に属するかも知れない。日本文化を感性文化と特色付けて輪郭だけを描くことに主眼をおいた。そして、この宿命的な感性文化のマイナスを克服して、日本は国際化を図らなければならない。一向に未熟から抜け出られない愚考であることを正直に告白し、多くの方のご叱正とご教示を受けたいと願っている。「日本は如何なる文化・宗教も受け入れるが、その過程で日本式に変容させてしまう」と喝破したことで知られていますのは、大正末期の芥川の小編「朱儒の言葉」ですが、それを念頭に散文的に敷衍させただけの様にみえて仕方がありません。「キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々から見て、日本文化は完全に異文化である」と指摘するに至っては、漢民族を普遍的とした中華思想を発露した傲慢さが感じられるとしか言い様がありません。山本七平氏がイザヤ・ペンダサンのペンネームで発表した「日本人とユダヤ人」と比べて、視点の低さは大きいものと感じざるを得ないものがあります。曰く「互いに交われば相互理解が出来ると単純に考える日本人が余りに多い。お互いに肩を触れ合い話す機会は益々多くなり、日常的なことなる。だが、それが相互理解に通ずる等と絶対に安直に考えてはならない。もしそうなら、ユダヤ人はもう二千年も、西欧人と肩を触れ合って生きているのである。」要は乱暴な国家論の観点から文化を論じるのでなく、また排他的宗教的見地でもなく、個人々としての主体性が真価を問われる時代に来ていると言うのが妥当な見方だと思っています。その点からみると、この新書は旧態依然としていて、飽き足らないものがあります。
2007.01.04
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深刻な出版不況の中で、売れ筋の新書版の巨人「岩波新書」新赤版が1000冊を超えたらしい。1970年代迄の青版では「教養・向学」と言う観点から出版されていたのですが、新赤版では「ハウ・ツー」ものが多くなり、極めて通俗的になって来たと思っています。岩波新書の歴史-岩波新書(鹿野政直 著)岩波新書は、「新書」と言う体裁の出版物では元祖の位置を占め、その歴史は半世紀を越えた。それを総括すると、次の様になる。赤版 1938~1946年 101冊青版 1949~1977年 1000冊黄版 1977~1987年 396冊新赤版 1988~2006年 1008冊日本現代史を専攻すると言う立場から、岩波新書と言う窓を通して戦中・戦後の思想史を眺めようとしたことになるかも知れない。こうした目標に向けて序章に「新書の誕生」を置き、1~4章は時期ごとの特徴づけを試みて、この本を構成した。著者は、出版不況・読書離れについては、編集長レポートを引用し「現代の読者は、テレビ・メディアを中心として形成された圧倒的なメディア支配の下で、書物と言うものを処遇している」、そして「大量で画一された情報の社会的強制によって、もはや“自分の人生の行き着く先が分かってしまっている”との運命論的現実認識が、若者に読書離れをもたらせている」と分析していますが、将に正論で、「近頃のテレビ・メディアは安易なお仕着せエンタメ放送が殆んどを占め、自分で考えない様に目隠し誘導している」と思わざるを得ません。「出版不況」とインターネット検索すると、次の様な記事がありましたが、読者だけで無く出版者もビジネス本位となり、使命感を失っている様です。書籍・雑誌の販売総額は今や2兆5千億円と低迷し、街中の本屋がどんどん少なくなり、経営基盤が脆弱な出版社の破産も多いらしい。金額だけが尺度かもしれないが、「本が危ない」のは何も売上げだけではない。出版界では柳の下にドジョウが30匹までいると言われる。編集者はベストセラーの追従が企画だと思い,類似書を本屋の店頭にうずたかく積み上げている。読者はベストセラーを図書館に予約して競って借りるが,数年後ブックオフなどの新古書店の店頭に1冊百円で並んでいても誰も手にとろうともしない。雑誌は読者ではなく広告主のために創刊され,広告収入に頼った雑誌が返品率を押し上げている。 既刊本が売れなければ勢い新刊依存になる。昨年の新刊は7万点に近づき過去最高となった。専門書にも売れ筋があり,売り上げ重視で,安易に寿命の短い新刊を作った自分の反省もある。つまり出版不況は売れないことだけが問題なのではない。類似の企画,雑な編集,安易な新雑誌の創刊。どれもこれも出版界の精神的不況の結果である。貧すれば鈍する。だから本が危ないのである。
2006.12.05
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この本は半世紀以上にわたるアメリカの心象風景をまとめたもので、体験した原風景を基調にしながら、エッセイ風に書き綴りました。私はブッシュ政権がイラク戦争を開始した直後、「アメリカよ!」と言う本を編纂し、末尾は「アメリカよ、美しく年をとれ」と言う短い一文で締めくくったので、それ以来同じタイトルで一冊にまとめてみようと考えていました。アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書(猿谷 要 著)こんな「あとがき」で終わっていますので、一般的なアメリカ礼賛書で、その紹介過程で一寸苦言を呈する程度の本だろうと読み進めました。しかし、「嘗てあれほど世界から愛され好かれていたのに、プラスの財産を使い果たし、マイナスのイメージが先行するようになってしまった」と書かれた如く、苦言と言うより批判の連続でした。特に「レーガンからブッシュ親子へと引き継がれた共和党政治」への痛烈な批判は、長すぎる一党継続政権が国を腐らせてしまうのだとの主張でもあり、日本の長すぎる自民党政治体制と酷似するのではと、そんなことまで考えさせられてしまいます。「西部開拓史」と言う表現は如何にも一方的で、アメリカ政府にとっては都合の良い表現で、今では私は「開拓」と言うより「侵略」とか「征服」と言った方が現実に近いと考えている。悪名高い「マッカーシズム」、アメリカ人は自分たちの自由民主主義を基調とする資本主義より、共産主義社会の方がもっと平等観念が進んだ社会に見え、コンプレックスがあったのでは無いか?黒人(アフリカ系アメリカ人)差別解消の「公民権法」、問題は解決されたのかと言うと決してそうでは無く、目に見える差別は見えなくなったが心理的な差別は消えていない。厳然として人種別居住地域が区分けされ、日中は同じオフィスで働いても夜は別々の社会に戻っていくのだ。今まで労働組合等が黒人を中産階級に押し上げたが、今では失業率が高まり、夢も消えようとしている。私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、重点を移行させるのが最善の方策であると信じる。世界の警察官を務める無益を悟り、自国内に未だ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。この結言、意識的か否かは分かりませんが、アメリカに向けられているようで日本の現状に向けられているのでは、と考えてしまいます。憲法改正論議から唐突に出て来た「核武装論」、美しい日本の名の下に推し進められる愛国教育推進、非正規社員の固定化構想、このような情勢では、文化力よりも経済力、経済力より軍事力、と最悪の逆コース方策が取られ始めていると感じざるを得ません。
2006.11.26
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近頃、中国は「北朝鮮核開発問題」6者協議の議長国として存在感を増し、米国からも「共通利害関係者(Stakeholder)」として謝意を受ける程となっているのは4千年歴史の重みでしょうか。又、ASEAN諸国の経済共同体構築外交、アフリカ諸国への資源獲得外交と「アジア盟主」を自認しての外交攻勢が続いています。一方、日本では「日米同盟一色で良い」との硬直した政府方針が国是となりつつあり、アジアの中で孤立してしまうのでは無いかと懸念を覚えつつあります。一方的史観は客観性に欠け破綻する危険性が大きいことは歴史が証明しています。100年以上も前に「脱亜入欧」を国是とした際、敢然と「アジアは一つ」と日本のあるべき姿を論じた岡倉天心の精神は何処に消えてしまったのでしょうか? 「中国・アジア・日本」-筑摩新書(天児 慧 著)中国には世界最古の文明国としての誇りがありながら、近代においては戦争で日本に痛めつけられたと言う大きな屈辱は今も疼いている。日本は明治維新以来アジアで近代化を成功させた唯一の国として、又第二次世界大戦後奇跡の復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったと言う誇りがある。双方とも相手に対する強い対抗心が盛り上がっている。台頭中国はまだ続き、「失われた10年」を乗り切った日本も元気を取り戻している。したがって、日中両雄がライバル意識を強めているのも無理からぬことであろう。日中がそれぞれ発展し、繁栄して行く為には、既にお互いが必要な存在になっている現実を認識することであり、その障害となっている相互信頼意識の欠如を解消することが急務である。そうすれば、大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる。現状分析については傾聴に値するものがありますが、結論は極めて楽観的に過ぎ、注意して付き合うべきだと警戒心の欠如が気にかかる所です。やはり実務に疎い評論家の宿命かも知れません。そこで、Amazonに投稿した書評は次の様になりました。江沢民政権の反日愛国教育を受けた世代が次の政権を握ることは間違い無いし、そうした思想は如何に取り繕うが変わることは無さそうに思える。本書では「両雄並び立たず」の確執を超克し、相互に安定的で協力し合う関係を創造することが、問題解決の要点としているが、反日DNA世代に対しての警戒心への対応が薄弱。「大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる」と論じているのだが、相互信頼が確立されて初めて生きて来る論理で、時期尚早と見る。現代中国は、民主化以前の共産党独裁政権、胡錦濤政権で是正されつつあるが、その変貌の様子を見つつ付き合うのが必要と考えるのが妥当。共産党独裁政権へ好意的であるのは、専攻が「中国政治、アジア現代史」と言うことで、実務に疎い大学教授としての限界を示している様な感がある。
2006.11.07
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安倍政権誕生と共に「美しい国日本-戦後レジームからの脱却」が掲げられ、国会論戦で「A級戦犯は日本国内では犯罪者では無い」と明言することで、東京裁判の位置づけ問題も再燃して来ています。どうも制定60年を過ぎた現憲法の「戦力放棄宣言」から「自虐史観」となり、中韓からの干渉を招いて国益を損ねているとの解釈から、教育基本法改正から憲法改正へと持って行きたいのが、安倍政権の方針と見えます。歴史観修正方式には次の3修正主義があるらしいのですが、国民的論議も殆んどされずコンセンサスを得てはいない様です。原理主義的歴史修正:先の大東亜戦争を欧米植民地主義に対抗する自衛戦争、又はアジア解放戦争とみなす。日本の戦争犯罪を否定して国民の物語をつくり出していく。国民主義的歴史修正:大東亜戦争を不正な侵略戦争と認めるが、戦後日本は二つの人格に分裂したことで、改めて国民的な日本の歴史主体を形成しようとするネオ・ナショナリズム。市場主義的歴史修正:歴史論争の中に倫理的判断や責任意識を導入することに否定的で、歴史論争では多元的な昔の物語があって良いとする。昨今、一部の教育委員会では「原理主義的歴史修正」を施した“新しい歴史教科書をつくる会”編纂の教科書を採用して来ている様ですが、未だ大勢を占めるには至っていません。この問題は、是非とも国民的対話・議論が冷静になされなければなりませんが、国会での短期的議論を経て多数決決着となってしまうのではと危惧されてなりません。そんな折、偶然読んだヤスパース「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリ)、既に60年を経過していますが、賛成意見より寧ろ反対意見を尊重しつつ対話から真の方向を学ぶ態度が大切と説いているのには、現在でも一読に値すると思われました。ヤスパースは戦争の罪を4つに分け、それぞれの罪の種別に応じて、取るべき責任・償いの仕方も異なり、その事実をしっかりと受け止めることに人間の使命があるとしています。政治的な罪:戦争を起こした戦争指導者たちの罪。法律上の罪:人道平和に対する罪、戦争犯罪。道徳的な罪:自分が戦争に参加したことによって相手を殺したりすることに対する罪。形而上的罪:共有した戦時における不法と不正に対する罪で、その審判者は神のみ。戦勝国の弾劾裁判ともされる「ニュルンベルク裁判」も、「敗戦国」の人間として転換の好機と捉えることで正当なものと判断し、それらの困難を乗り越えるものは、権力への渇望・迎合で無く「公正」な思考に於いて、 内面的な革新と生まれ変わりをもたらすのであり、そのことこそが「戦勝国」に、平和への「責任」を突きつけることになると説くのです。ヤスパースは冒頭次のように述べて対話の重要性を指摘しています。我々は語り合うと言うことを学びたいものである。つまり自分の意見を繰り返すばかりでなく、相手の考えている所も聞きたいものである。主張するだけでなく、理の在る所に耳を傾け、新たな洞察を得るだけの心構えを失いたくないものである。反対者は、真理に到達する上で、賛成者より大事である。反対論のうちに共通点を捉えることは、互いに相容れない立場を早急に固定させ、そう言う立場との話し合いを見込みの無いものとして打ち切ってしまうより重要である。戦争世代が生物学的にもどんどん亡くなって行き、戦後世代が今後どの様に動いていくのかも喫緊の課題で、被爆体験を含めて戦争体験を記憶として新しく作り上げていくのかと言う問題になりますが、現在提唱されつつある歴史修正主義は、その記憶を修正してしまうことが起こるような気もします。
2006.10.12
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近頃グーグル(Google)の検索エンジンの凄さを認識しています。楽天ブログのニックネーム“カーク船長4761”で検索すると455件が表示されるが、プロバイダ契約しているBiglobeサーチでは343件となりそれ程の差を感じません。それではと、楽天ブログのコード“kirkhanawa”で検索すると、Googleで2200件表示されるのに対し、Biglobeでは189件に過ぎず、マイクロソフトMSNサーチでは僅か20件で、圧倒的な検索結果の差となって出て来ます。グーグル(Google)では、他のポータルサイトよりもデータベースが多量で、しかも「ページランキングテクノロジ」と言う新しい手法で、検索エンジンを駆使しているらしいのですが、下記の書籍に次のように解説されています。「グーグル Google 既存ビジネスを破壊する」-佐々木俊尚(文春新書)グーグルの考えた手法は、リンク元がヤフーやMSN等のきちんとしたサイトで無いと評価しない。この手法は従来の悪辣なリンクファームで汚されていた検索機能を蘇生させ、「グーグルの検索結果は的確」と人々に評価される様になった。そして検索エンジンがインターネットの隅々まで浸透し、単なる情報収集の道具から「ナビゲーション」として使う様になった。著者の佐々木俊尚氏は1961年生まれで、毎日新聞社、アスキーを経てIT企業関連の取材フリージャーナリストとして活躍、最近その関係の著書が多数となっています。多くの人はグーグルを検索エンジン企業だと思っているが、今やその考え方は間違っているかも知れない。収益構造をみると「巨大な広告代理店」になりつつあるのだ。グーグルは次々と無料サービスを打ち出し、アドワーズ・アドセンス広告で莫大な収益を維持し、既存ビジネスを破壊している。グーグルニュースは新聞社・テレビ局等のマスメディアを破壊し、グーグルネットは通信企業を、グーグルオフィスはマイクロソフトの収益源を奪い取りつつある。しかし、民間企業であるが故に収益性を追求することで、政府権力に妥協する弱点も指摘する。アメリカ政府の圧力でGoogle Earthでは沖縄基地周辺の精密衛星写真は見られず、又、中国政府の要請で中国国内の検索エンジンでは「天安門事件」は結果表示無し、と改ざんした様で政治圧力への弱さには驚くしかない。あとがきでは、インターネット社会の光と影も指摘しています。グーグルは新しい秩序の中で、全てを司る強大な「司祭」になろうとしている。それは新たな権力の登場であり、人々がひれ伏さねばならなくかも知れない。しかしグーグルも単なる私企業でしかなく、何時買収され、或いは破綻するか分からない。インターネットが進化し、グーグルが退場することがあっても、恐らく他の企業がすぐさま「第二司祭」として君臨することになるだろう。日本の既存マスメディアがインターネット社会への無理解を晒しているが、グーグル的な権力は世界を覆いつつある認識を、我々はきちんと持たなければならない。新書版ですが、時宜を得た一冊でした。
2006.09.27
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吉村昭氏逝去の報に接して、ふと書棚にある短編集が目に付きました。明治以来日本の近代とは、故郷喪失の時代であったと言われます。更に軍事体制が君臨した昭和と言う時代は意識統制が世の中を席巻し、その時代を生きた日本人にとって最大の苦痛は有無を言わせぬ戦争参画でした。結果として、敗戦と言う苦痛を通過させることで、否応なく昭和と言う時代の苦痛を償ったのでありました。吉村昭氏はそうした人間の苦痛を知る人でもあり、その生きた世界を大切にする人でもあり、徹底した調査、取材を行ってそうした人間の世界に大胆に踏み込んで行ける人でもありました。新潮文庫 短編集「脱出」(昭和63年11月発行)昭和20年夏、敗戦へと雪崩落ちる日本の、辺境と言うべき地に生きる人々の生き様を通し、昭和の転換点を見つめた作品集。突然のソ連参戦で宗谷海峡を封鎖された南樺太の一漁村の村人の、危険な脱出行を描く表題作。撃沈された沖縄からの学童疎開船「対馬丸」に乗船していた一中学生の転変をたどる「他人の城」など5編が収められています。脱出、 焔髪、 鯛の島、 他人の城、 珊瑚礁解説 川西政明何か昭和と言う時代が遠ざかりつつある気配、中村草田男ではありませんが、夏雲や昭和は遠くなりにけりと言った気分となって来ました。
2006.08.03
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室町時代の高僧一休宗純和尚は元旦の生まれとされています。既成権力を決定的に忌避して仏教の権威や形骸化などに対する批判し、自由人としての奔放な生き様が世間の圧倒的支持を得たようです。足利義持の殺意を込めた意地悪い接待攻勢にも、当意即妙で応対したことが良く知られていますが、禅問答に熟達した彼には簡単なことだった様です。しかし、天皇のご落胤とされた出自の経緯もあって、既成権力の象徴であった足利将軍家体制維持よりも、弱体化した朝廷擁護と言う点では生涯変わることは無かった様です。一休純公後小松之皇子母藤氏有以産育民間因遺言出家・・・名を宗純、字を一休と言い、狂雲子等の別号あり。後小松の御宇、応永元年をもて生まる。実に足利義持が将軍職を襲いし年なり。母は藤氏にして、南朝経緯の女なり。故ありて宮を出て和尚を民間に生みぬ。6才にして具戒を受け出家となる。・・・彼の代表著作「狂雲集」は七言絶句の漢詩が多く、現代人には読みにくいのですが、その他著作の内、平明とされる「水鏡目無し用心抄」には、徒に信心すると言うことに警鐘を鳴らして、次の様な和歌が載せられています。行く水に数書くよりも儚きは 仏を頼む人の後の世釈迦といふ いたづらものが世に出でて 多くの人を迷わすかな仏法は鍋のさかやき 石の髭 絵にかく竹のともずれの声問へば言ふ 問はねば言はぬ達磨どの 心のうちになにかあるべき毒薬変じて薬となるなれば 罪の重きは仏にやならん又、闇夜に烏の鳴くのを聞いて、大悟したと言われる彼は次の様に達観していた様です。心とは如何なるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音本来も無き古の我なれば 死に行く方も何も無し我が家にあります一休和尚全集奥付は明治31年発行となっているもので、上記記述は全てこの書籍からの引用です。「釈迦」を「キリスト」なり「ムハンマド」なりに置き換えれば、同じことが言えそうに思われます。
2006.07.22
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西村貞二氏が逝去されてからどの位経過しているのかは分かりませんが、敬虔なクリスチャンであり西洋史学者でありました。第2次世界大戦後、東大総長は南原、矢内原とクリスチャンが2代続き、彼等に私淑して東大教養学部の助教授でしたが、彼等の退任から暫くして東北大に転出し、其処で教授、名誉教授となりました。ルネサンスと宗教改革-講談社学術文庫(西村貞二 著)嘗て燦然たるルネサンス文化を生み出した活力は何処へ行ってしまったのであろう。現代社会において人間は組織や管理で手かせ足かせをはめられている。画一主義が横行する中で個性の発揮は難しい。ヒューマニズムは単なる学識でなく、人間が生きる為の精神的土壌だった。しかし、万事に於いて実利主義が幅を利かす当節、古典教養が人間形成の具だ等と言うのはお笑い草だろう。古典知識は閑人の閑仕事とみなされ、大学か研究室で余喘を保っているに過ぎない。宗教改革はどういう結末をつげたか。ルターは形骸化したローマ教会の制度儀式に抗議したが、こうした抗議の姿勢は長くは維持出来なかった。ルター派が宗教改革を成功させる為には、否が応でも世俗権力と手を組まねばならなかった。その為、次第に俗権に対する抵抗力を弱め、現実政治に無関心になるか卑屈な隷属に陥り、単なる個人的信仰に逃避してしまった。昨今、「近代の終焉」をしきりに耳にする。だからこそ、もう一度初心に立ち帰ることが有意義なのではなかろうか。この書籍は元来1968年文藝春秋に発表されたものの復刊なのですが、1993年復刊に際しての「あとがき」として上記に様に述べているのです。西村貞二氏は歴史から学んだ事柄を現代に反映させ、政治社会体制にも警鐘を鳴らす人でもありました。ギリシャの歴史と政治について、「アテネが王政にはじまり、貴族政治・金権政治・僭主政治・民主政治をへて衆愚政治に堕落する経路は、まるで政治のひな型を見るようでありませんか」と記し、民主主義が最善でないことはもとより、その脆弱性・衆愚性・危険性を暗示していました。人々は富を求めて競争するのが当然とされ、結果として自己の利益を優先する「個人主義」、他者を蹴落とす術に長けた者のみを成功者とする「弱肉強食」の社会が構築されることへの警鐘でしたが、残念ながら省みられること無く、尚一層その傾向が加速してしまっている様です。此処数年改革と言う標題が吹き荒れましたが、問題はその後道義ある初心をどの様に展開するのかに掛かっているのだと思います。
2006.01.14
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訳者の尾崎秀樹は実兄である尾崎秀実が関わったゾルゲ事件を究明したことで知られ、大衆文学研究家としても活躍、1999年に71才で没している。先日、書店内をブラブラと散策していましたら、レジ横の棚に目立つ様に置かれている中公文庫「呉子」尾崎秀樹訳が目に付きましたので買ってみました。訳者尾崎秀樹(ほつき)が思いを述べた「呉子の世界」10ページ、訳文60ページ、書き下し文30ページに過ぎない薄い小冊子ですので、あっと言う間に読了してしまいました。呉子は戦国初期(2千数百年前)に、楚の国の宰相となった呉起の言葉を収録した兵書、孫子と共に広く読まれ、戦国末期には「家毎に孫呉の書を蔵す」(韓非子)と言われる程であった。司馬遷が史記列伝で「呉起は刻薄残暴、為に、我が身を亡う」と書きとめ、出世の為に妻を手にかけ、母の葬儀にも参列しない権力亡者の様に言われ、非情の兵家とみなされて来た。郭沫若は「十批判書」(邦訳名「中国古代の思想家たち」)の中で、呉起の業績にふれ、その不幸は楚の悼王の死があまりに早かったことにある。もし悼王の死が遅れて、5年或いは10年の期間が呉起に与えられていれば、全てが安泰となり、秦の基礎を築いた法家である商鞅にも劣らぬ功績を認められたかも知れない。呉起の覇業が楚国で成功していれば、中国統一と言う偉業も又秦人の手に帰することは無かったであろうと評価する。孫子と並んで呉子が、現代経営戦略の宝典とされる言われは、表面的には戦略・戦術を説いても、その基底には人間を見る普遍的な認識があり、多少の差はあれ戦争を罪悪とみる反省があって、その倫理的意識が平和への悲願を裏に秘めていたことも見落としてはなるまい。孫子・呉起列伝-「史記」司馬遷 日記はこちらです近頃、チルドレン議員を親衛隊化して政権強化を図り、議席前列から熱烈拍手を受ける小泉首相、抵抗勢力を除名処分として刻薄残暴とも揶揄されていますが、果たして議会制民主主義への普遍的な認識があり、政争を反省する倫理的意識があるのか甚だ疑問と思われます。
2005.10.23
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8月30日テレビ東京「レディス4」と言う番組で“新訳本出版で人気沸騰中の「星の王子さま」と作者サン=テグジュペリ特集!”が放映されていましたので、愉しく見ていました。レポータが何処かの川辺で、倉橋由美子訳「星の王子さま」の一節を次の様に読むのです。「ある日は日没を44回も見た!」、私の記憶では43回ですので気になり、原文をチェックしてみましたが、やはり43回なのです。Un jour, j’ai vu le soleil se coucher quarante-trois fois ! ・・ Tu sais ・・ quand on est tellement triste on aime les couchers de soleil「ある日、日が沈むのを43回も見た。おじちゃんも知っているだろうが、人は悲しくなると夕日が沈むのが好きになるんだ」仏語では43回“キャロント・トロア・フォア”と言ったほうが音律的に美しく響いて良いのです。訳者はこんな基本的なことで誤訳する筈がないと思い、「44回」を採用する方が日本語では音感的に良いのか読み比べてみましたが差は感じられません。よく親しまれている歌「おじいさんの大きな古時計」でも、原文は“90年動いていた時計”となっているのを、日本語歌詞では語呂が悪く“百年動いていた時計”と直したのは有名な話ですが、「星の王子さま」ではそんなことも感じられませんので倉橋由美子さんの完全な誤訳かも知れません。それにしましても、「星の王子さま」大人の為の新訳本は続々出版されている様です。8/26 「星の王子さま」池澤夏樹訳 集英社 定価:単行本1260円、文庫400円とても詩的な文体を持った作品であるということで少ない言葉に多くの含意がある。 それは理解するものではなく感得するものだ。 この点にこそ、強い魅力がある。8/24 「小さな王子さま」山崎庸一郎訳 みすず書房 定価:単行本2100円既刊「サン=テグジュペリ・コレクション」で、サン=テグジュペリの小説世界を品格ある日本語で読書へ届け、多くのファンをもつ山崎庸一郎による翻訳。6/27 「星の王子さま」倉橋由美子訳 宝島社 定価:単行本1575円内藤さんの訳はすばらしい。ただ、子どもの読者を意識して訳しておられるので、私は大人のために訳した。だから、これまでのイメージを裏切ってしまうかもしれません。6/25 「Le Petit Prince」小島俊明訳 中央公論新社 定価:単行本1575円含蓄ある美しいフランス語を、それに見合う日本語に置き換えるということです。そうすることによって、王子さまの素顔を読者の前に出現させたいと期しました。6/14 「星の王子さま」三野博司訳 論創社 定価:単行本1050円サン=テグジュペリの「遺書」ともいいうる作品にわずかなりとも新たな解明の光をあてることができたとしたら幸いである。名作朗読CDについてはこちらをご覧下さい。50年以上前のものですが、配役毎の声優が音楽効果と共に演ずる演劇です!原文と拙訳はこちらにあります!
2005.09.01
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今年はジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)生誕100年になるそうで、フランスでは3月から国立図書館で「サルトル展」が開かれ、6月にソルボンヌで生誕記念式典が行われている様ですが、日本では既に「過去の人」として位置付けられているのでしょうか、あまり話題になっていません。我が家の書棚にはカミュの「異邦人」、「ペスト」、「シジフォスの神話」等が散見されますが、サルトルに関しては僅か「革命家反抗か」と言う書籍位しか見つけることが出来ません。サルトルは第二次世界大戦後、実存主義の旗手として活躍し、評論や小説、劇作を通じて、実存主義思想は世界中を席巻することになり、日本でも大きな影響を与えました。しかしながら、1950年には一転マルクス主義に転向して実存主義作家カミュとの論争となりました。その後、ソ連の立場を概ね支持しながらも、ソ連による1956年のハンガリー侵攻、1968年のチェコスロヴァキア侵攻「プラハの春」に対する軍事介入には批判の声を上げ、対峙することとなりました。その間、1964年にはノーベル文学賞に選ばれましたが、「神格化されるには値しない」と言って、これを辞退したことは良く知られています。1980年4月に逝去してからは、これらの事例に対する一貫しない態度に誹謗と中傷が集まり、彼の著作への封殺が始まりましたが、1990年には逆に彼の訴えていた「一貫したヒューマニズム」の復権が始まり、今に至っている様です。サルトル-岩波新書(海老沢 武著)まえがきに次の様な著者の思いを綴っています。20世紀は、大量に人間が人間を殺し・監禁した世紀であり、サルトルは幸福で無かったこの20世紀の様々な出来事に対し、その都度自分の立場を明らかにし、精力的にメッセージを発信し続けた。意見を異にするにしても、同時代人には比類なき対話者だった。21世紀の人間にはどうだろう。21世紀は民族と宗教の時代とも言われるが、時代の提出する問題は大きく変わっていない。問題は生の意味であり、自由であり、人間的なものへの破壊にどう抵抗するかだからだ。サルトルの著作は残されているので、問いかけてみよう。私たちの問いを問い直させ、幅を広げ、深化させて、生きてゆく勇気を、時には与えてくれるからだ。購入してから1ヶ月になりますが、200頁しかない新書版にも拘わらず読了していませんが、その内違った思いが生まれましたら、別の日記に記載してみようかと思っています。
2005.08.14
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西日本中心に空梅雨でしたが、ここ数日記録的豪雨となり各地に被害をもたらしていますので、被災地での被害最少を祈らずにはいられません。何とか梅雨らしく、しとしとと優しく降って欲しいものです。日本人は農耕中心の民族で、梅雨が田植えのイメージと重なり、収穫をもたらす恵みと考えますのか、元来、雨が嫌いではない様です。1960年頃フランスのマルロー文化相が来日した際、雨天だった空港で出迎えた日本人が「生憎の雨で・・」と挨拶したところ、共産主義政権の崩壊を描いた小説「人間の条件」で知られるアンドレ・マルロー氏は「日本人は雨が好きでしょう!」と応じたと言われています。彼は日本文化に造詣が深く、雨を主題にした浮世絵、文学が多くあることを知っていたのです。フランス人が雨を好むか否かは定かでありませんが、ベルレーヌの「言葉無き恋歌」が雨を優しく歌い上げたものとして知られています。雨の日に、こんな歌を静かに読んでみるのも一興だと思います。原詩は脚韻を踏んでいて読みやすく、訳詩の方も日本伝統の和歌形式に則った七五調、双方とも朗読してみると出色の出来栄えです。言葉無き恋歌-金子光晴訳巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる。かくも心ににじみ入るこのかなしみは何やらん?やるせなき心のためにおお、雨の歌よ!やさしき雨の響きは地上にも屋上にも!消えも入りなん心の奥にゆえなきに雨に涙す。何事ぞ!裏切りもなきにあらずや?この喪そのゆえの知られず。ゆえしれぬかなしみぞげにこよなくも堪えがたし。恋もなく恨みもなきにわが心かくもかなし。Romances sans paroles -Paul Verlaine Il pleure dans mon coeurComme il pleut sur la ville,Quelle est cette langueurQui pénètre mon coeur?O bruit doux de la pluiePar terre et sur les toits!Pour un coeur qui s'ennuieO le chant de la pluie!Il pleure sans raisonDans ce coeur qui s'écoeure.Quoi! nulle trahison?Ce deuil est sans raison.C'est bien la pire peineDe ne savoir pourquoi,Sans amour et sans haine,Mon coeur a tant de peine!
2005.07.05
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都心に出掛ける電車の中で読もうと駅前の書店で購入した本でした。近頃年金改革で問題となって少子高齢化を論じた軽い読み物だと思っていたのです。論点が重複したり、主張の展開方法が雑だと思われる所も見受けられますが、新書版にしては割合読み応えのあるものでした。特にリサーチ・リテラシー(Research Literacy)を発揮して、公表少子化データの誤りを指摘している所は迫力がありました。結論的には、「少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず、年金制度設計は低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ」となるですが、従来公表されている「男女共同参画的な少子化対策が出生率は回復する」が夢想に過ぎないことを看破していること等は非常に興味がそそられることになりました。子供が減って何が悪いか-筑摩新書(赤川学 著)世に溢れる世論調査や統計的データの中には胡散臭いものが相当含まれている。そのようなデータ類を批判的に解読するリサーチ・リテラシー(Research Literacy)が提唱されている。リサーチ・リテラシーとは国や報道機関が公表したことなら事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階を超えて、データに対して疑いの目を向け、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目標としている実践教育である。男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは、マスコミとか政府関係者とかの言説であって、いくらその層を支援しても晩婚・非婚の解消には繋がらないし、夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しか無い。著者は社会学を専攻する大学助教授であり、少子化問題については素人であると告白していますが、その専門分野で使われるリサーチ・リテラシーを駆使して少子化問題についての公表データ・結論等が間違っていると指摘するのは小気味良いのです。その為か、アンチ・フェミニズムの保守派と詰られて一般公表するのも躊躇したらしいのですが、一石を投じる意義はあると出版に踏み切った経緯もあとがきに述べられています。この手の本は往々にして予見を持って読まれることが多いのですが、この本は虚心坦懐に読むことが求められそうです。著者の言うリサーチ・リテラシーの立場からすれば、この本自体を批判的に読むことも許されるのでしょうし、又逆に、無批判に受け入れること無く読み進めば多くの論点において一読に値する内容を備えた本だと思われました。
2005.06.16
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書店でふと目に付いた新書版、「奇人と異才・・」の題名が面白そうに見えましたでしたので購入して読んでみましたが、新書版ですので気軽に2時間程で読了してしまいました。色々な書評はあると思いますが、私には普段司馬遷の「史記列伝」(小川環樹訳)、「小説十八史略」(陳舜臣著)を愛読していますので、読み応えの無い人名事典と言った感じでした。春秋時代から近代まで異色の才能を持つとした56人を時代順に取り上げ、孔子から魯迅迄1人あたり3~4ページで紹介する司馬遷が確立した列伝形式に編纂したもので、明・清・近代の奇人・異才達は初めて読んだ気もしましたが、内容もありきたりで紹介も平凡なのです。奇人と異才の中国史-岩波新書(井波律子著)あとがきで次の様に述べています。56人の小伝を描く為に、彼らの伝記を記した正史は言うまでも無く、様々な歴史文献や資料にあたり、又、彼ら自身の著作、書画を見て、彼らの精髄を何とか簡潔に浮かび上がらせたいと書き進めてきた。本書は元々「中日新聞」「東京新聞」などに「中国異才列伝」として連載したもので、今回本として纏めるにあたり、対象とする人物自身の作品を紹介するなど、大幅な加筆・修正を施した。確かに巻末に記されている参考文献も多く人名事典としては使えますので、一寸中国の歴史を知ってみたいと言う人達には気軽に読める読み物になっているかも知れません。しかし、それ以上には著者の思い入れ・愛情等は感じられず、読み応えのある創造的著作ではありません。この著者は中国文学を専攻する学者と言うより、この分野での広報担当教育者を任じているのでしょうか?既述著書を見ても「・・楽しい中国史」、「・・を読む」、「・・愉しき世界」、「裏切り者も中国史」等々で、専門知識を披露するだけで、後世に伝えたい等の歴史観も垣間見えず、ただ、似て非なる出版を重ねるだけで、内容が重複していそうなものが多いように思います。而して、知識の切り売りを生業とする悲しい性の定めなのでしょう!このような出版を企画した岩波新書も元来は「豊かにして勁い人間性に基づく文化の創出」を謳っていたのですが、出版不況の影響で販売促進を狙った軽い読み物が増え、方向性が可笑しくなっているのかも知れません。
2005.06.07
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私達は氾濫する情報に振り回されている様に感じていますが、今から30年前に山本七平氏が次の様に解説しています。一つの現象を見た場合、それに対して印象的速断を下して一方的に断定してしまう、と言う態度は、結局は「怠け者」が自らの怠惰とそれに基づく無理解を隠すための便法に過ぎない。近頃はマスメディア報道に乗せられて、識見もそれ程無いような解説者の影響を受けてしまい、私達も自覚も無いまま印象的速断を駆使し「怠け者」になっている様な気がします。時間を掛けて読書すると言う習慣がなくなりつつあり、出版不況ともなり街中の書店がどんどん無くなって行ってしまい、散歩途中にふらりと本屋に立ち寄ってみると言う楽しみが奪われたのは寂しい限りで残念です。尤もショーペンハウエルは逆説的に「読書は他人にものを考えて貰うことである。一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。」と言っていますから、図書をデータベースとして自分で判断することは大切だと思うのですが・・日本教養全集第18巻(角川書店 1974年)には「菊と刀」、「日本人とユダヤ人」、「サクラと沈黙」の三作が編纂されていて、その解説を山本七平氏が担当しています。三つを並べてみると先ずこの三人に共通の視点が見出される。これはおそらく三人が「タ人種国家」「多民族国家」「多宗教国家」の人々であることが原因だろう。即ち、自国内の全ての人々を「同胞」とは呼べず、意思の疎通に非常な努力を要する国々の人である。そしてそういう状態で日本を見ているから、彼らの見方がそのまま彼の国の特殊性として見えてくる。それがそのまま各々の特色となって来ている訳で、それらは絶対に虚像ではあり得ない。ある一国について「書く」だけなら簡単なことかも知れぬが、「書かれた国」の国民にすら多くの読者を持ちうるだけの水準の書物を著すことは想像するより難しいことではないか、と言うことである。私も此処での日記を記す場合、マスメディア報道の劇場民主主義に惑わされない様に、又印象的速断を避けたいと、2日程考える時間を置く様にしていますが、僅かな時間的余裕では山本七平氏の指摘した「印象的速断と虚像」から逃れていないのではと反省しています。山本七平氏著作読書評日記は下記の通りです。ペンダサン「日本人とユダヤ人」再読の日記はこちらです 聖書の常識-講談社文庫はこちらです
2005.05.30
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J'ai vecu seul, sans personne avec qui parler veritablement, jusqu'a une panne dans le desert du Sahara, il y a six ans. Quelque chose s'etait casse dans mon moteur. Et comme je n'avais avec moi ni mecaniciens, ni passagers, je me preparais a essayer de reussir, tout seul, une reparation difficile. C'etait pour moi une question de vie ou de mort. J'avais a peine de l'eau a boir pour huit jours.サハラ砂漠での飛行機不時着事故に遭遇するまで、真に語り合える人もなく6年もの間、私は孤独に生きて来ました。ある時エンジンに何か故障が起こり、整備工も通行人も無いので、たった一人で難しい修理を行おうと準備を始めようとしていました。持っている水も8日分あるか否かでしたので将に生死の問題だったのです。王子は小さな星でバラの花と暮らしていたのですが、我が儘な態度にいたたまれず逃げ出して、種々の星を渡り歩き、地球に着きサハラ砂漠で作者(飛行士)に遭遇したのです。飛行士の他、其処に住むキツネとか毒蛇とか交流もあり、特に狐からはVoici mon secret. Il est tres simple: on ne voit bien avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux.「私の秘密は此れ。“心でなくては良く見えない。肝心なことは目には見えない。”と言うとても簡単なこと。」と言われ、我が儘な様に見える本当は自分を好いてくれるバラの花を守り暮らすことが大切だと悟るのです。星の王子は心の眼(Il voit bien avec le coeur)を開いて、飛行士が8日で飲料水(l'eau a boir pour huit jours)が無くなってしまうのを防ぐ為、飛行士の為に水井戸を発見してその命を救います。その上、自分は故郷の星に帰るには体の重さが邪魔となるので、砂漠に住む毒蛇に噛ませて魂だけとなり帰って行ったのです。Ca fait six ans deja..Si vous voyagez un jour en Afrique, dans le desert, et, s'il vous arrive de passer par cet endroit ou je tombais dans une panne, je vous en supplie, ne vous pressez pas, attendez un peu. Si alors un enfant vient a vous, s'il rit, s'il a des cheveux d'or, s'il ne repond quand on l'interroge, vous devinerez bien qu'il est. Alors soyez gentils! Ne me laissez pas tellement triste: ecrivez-moi qu'il est revenue..もう既に6年が経った。もしアフリカに旅行し、私が不時着した辺りに着いたら、そこで少しの間じっとお待ち下さい。金髪の少年が微笑しながら現れ、聞いても何も答えなかったら彼なのです。優しくしてあげて下さい、そして彼が帰って来たと便りを私に出して欲しいのです・・この朗読CDについてはこちらをご覧下さい。単なる朗読で無く、配役毎の声優が音楽効果と共に演ずる演劇そのものです!
2005.03.05
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西行法師は1190年2月16日(如月の望月)、73才で河内に没したと言われています。願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月のころ西行の和歌でも最も広く知られている一つで、「我が往生祈願」の歌とされていますが、死を目前にした辞世歌ではなく、おそらく60才代の半ばに詠じられた歌と推測されている様です。昔の太陰暦でも2月半ばには未だ桜の花は咲いていないのでしょうが、「己の死は、こうでありたいと情景、即ち仏陀と同じ入寂の日に桜の花咲く下で、と想像して願った」ことなのですから、季節の矛盾は別にして素直に読めば良いのでしょう!西行が出家したのは僅か23才の若さですが、その原因は「仏教に深く帰依する道心」とする説、友人の急死による「人生無常」が身にしみたとする説、恐れ多い高貴な女人への「悲恋」による説、等があるらしいのです。西行は多情の人で、「色好み」であっただろうことは首肯されるだろう。おもかげの忘らるまじき別れかな 名残を人の月にとどめて「名残惜しいその女人の面影を月に留めて見たものの、忘れようにも忘れられぬ別れなのだな」嘆けとて月やはものを思わする かこち顔なるわが涙かな「嘆くが良いと月が言っている。さては月はもの思いをさせようと言うのか。私の恨み顔からは涙が流れるばかりだ」時の人々が秘められた恋の諸訳を知りつつも、それを口外するのを憚った状態に行き着くだろう。出典: 西行(高橋英夫著 岩波新書277)現在では、この悲恋説が最有力とされているそうです。世を捨て旅漂白に明け暮れた隠遁詩人として、様々の逸話に彩られている西行も、その道に入る契機とは失恋だったのです。その時は西行には妻子もいたのですから、セレブ女性との浮気の末の失恋による出家、あまつさえ出家に際し纏わり付く娘を縁側から蹴落としたと言うのですから、神話が崩れて煩悩多き人間らしく見えて来ます。しかし、その後50年に亘る半生での真摯な生き方が日本第一の歌人としたのでしょう。
2005.02.17
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昨日は雪降りしきる現地での解放記念式典がテレビ放映されていました。1940~45年、ナチスによって600万人ものユダヤ人が捕らえられ、毒ガスによって殺戮され、死体から出た脂で石鹸を、骨からは肥料を、そして髪の毛からは布地を作られたと言う「ホロコースト(大虐殺)」。それを象徴するポーランドのアウシュビッツ収容所が解放されてから60年経過したのです。その「ホロコースト」が明らかになったのはフランクル教授著「夜と霧」が出版されてからだと思います。ビクトール・フランクル(Viktor E. Frankl 1905~97)は第二次世界大戦中、ユダヤ人であるという理由でアウシュビッツの強制収容所に送られ、自らは生還を果たしたものの、家族や多くの知人をガス室で失ったその極限体験を纏めたものが「夜と霧」です。この書籍、自宅では見つかりません。多分複数回の引越で紛れて無くなってしまいましたので、インターネット情報で記載しています。V.E.フランクル「夜と霧」(みすず書房)フランクルは、人間はしばしば実存的虚無に陥り、また様々な苦悩を経験しながらも、しかしそれに反発する力をもつのが人間存在の本質と定式化した。原題は「強制収容所における一心理学者の体験」(1947年出版)。「夜と霧」という邦題は、ユダヤ人やレジスタンス等 、非ドイツ国民の「犯罪」容疑者を捕縛して強制収容所に送る1941年ヒトラーの命令コードから取られていると言うことです。その中で、極限状態でも人間の尊厳を失わなかった一人としてコルベ神父が「アウシュビッツの聖者」として挙げられています。そのコルベ神父が日本で活動していたことは昨年迄知りませんでした。コルベ神父は、1930年来日、大浦天主堂隣の洋館で哲学を教え、日本語による『無原罪の聖母の騎士』誌を発行する等、1936年故国ポーランドに帰国する迄、布教活動しました。帰国後ユダヤ人をかくまった咎で、ナチスの強制収容所アウシュビッツに収容され、1941年妻子ある囚人の身代わりとなって餓死刑を受けましたが、信仰の力に寄るものか並はずれた体力の為か、死ななかったので薬物注射によって毒殺されたと記録されています。1982年来日したヨハネ・パウロ二世によって聖人の位に挙げられました。大浦天主堂に隣接する資料館の出口展示室にあるコルベ神父展示がとても印象的です。長崎訪問の際は立ち寄って見て下さい!
2005.01.29
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大晦日、東京地方に降った雪は意外に積もって、郊外の多摩丘陵では8cmの積雪となりましたが、翌朝元旦は快晴の空に雪が映えていました。午前8時半に撮影したものです。正月三が日は快晴で暖かい日が続きましたが、日陰では雪が凍り付き、アイスバーンとなった所も多く、歩くのに危険を感じる程でした。「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と喝破した、室町時代の高僧一休宗純和尚は元旦の生まれとされています。既成権力を決定的に忌避して仏教の権威や形骸化などに対する批判し、自由人としての奔放な生き様が世間の圧倒的支持を得たようです。足利義持の殺意を込めた意地悪い接待攻勢にも、当意即妙で応対したことが良く知られていますが、禅問答に熟達した彼には簡単なことだった様です。しかし、天皇のご落胤とされた出自の経緯もあって、既成権力の象徴であった足利将軍家体制維持よりも、弱体化した朝廷擁護と言う点では生涯変わることは無かった様です。彼の代表著作「狂雲集」は七言絶句の漢詩が多く、現代人には読みにくいのですが、その他著作の内、平明とされる「水鏡目無し用心抄」には、徒に信心すると言うことに警鐘を鳴らして、次の様な和歌が載せられています。行く水に数書くよりも儚きは 仏を頼む人の後の世釈迦といふ いたづらものが世に出でて 多くの人を迷わすかな仏法は鍋のさかやき 石の髭 絵にかく竹のともずれの声問へば言ふ 問はねば言はぬ達磨どの 心のうちになにかあるべき毒薬変じて薬となるなれば 罪の重きは仏にやならん又、闇夜に烏の鳴くのを聞いて、大悟したと言われる彼は次の様に達観していた様です。心とは如何なるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音本来も無き古の我なれば 死に行く方も何も無しこんなものを読んでしまいますと、年頭の抱負も消し飛んでしまいます!
2005.01.04
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