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きょうだい関係のこと



 ある日重松の兄の自転車にひっかけられて怪我をしたと金を出せと恐喝した男に父は、転んだけど自転車は触れてないという息子の言葉を信じ、数日にわたるいやがらせに断固として屈することのなかった、と重信は伝えている。

 小学校三、四年生頃にきょうだいたちと父の営む食料品店の軒下で小遣い稼ぎのために金魚掬いをした思い出を語られている。兄は小学校の高学年か中学一年生。姉はその一つ下で、弟は学校に上がるか上がらないかの時である。金魚の仕入れから始めて苦労して、夏の終わりには当時としては多額のニ、三千円の収入を得た。

 一番家族思いの兄は、こういった。

「儲かったら、そのお金は全部お父さんたちにあげようね。うちは貧乏だからね」

 各自買いたいと思っていたものがあったはずだがこの兄の言葉に納得し、父にこのお金を渡すことにした。

 父と母はいった。

「それはお前たちが働いてつくったお金だから、自分のものを買いなさい。気持だけは嬉しいし、誇りだ」

 夏の終わり頃、重信きょうだいは自分たちで稼いだお金を握り締めてデパートへ向かう。めいめいが自分の欲しいものを買いたいと思っていたが、一番下の弟がシネコルトというピストル型の幻灯機に魅了される。そしてこれがほしいといいだしたが、それはちょうど金魚掬いで稼いだ額に等しかった。

 兄はこういった。

「一番ちいさい子が、これが欲しいと言うのなら、買ってあげよう。僕たち三人が我慢すればいいじゃないか」

 重信は自分がほしかった百人一首が手に入らなくて心残りで、おそらくふてくされたというが、シネコルトを買った顛末を語ると、母親は、

「兄弟とは、そうして助け合うものだよ。おまえたちはいい選択をした。大人になったら、そうしたことの貴重さもまたもっとわかるよ」

といった。

 このエピソードは第一子が仕切り、末っ子が甘えたら自分の思いが通り、その間にいる中間子がくやしい思いをするというきょうだい関係を示していて僕には興味深い。中間子の重信が「公正・正義の友」でありたかったというのもその後の人生を暗示しているようでおもしろい。

 親としてはよほど気をつけないと容易にきょうだいの間に激しい競争関係を作り上げてしまう。

 テレビで十一歳の脳に障害があって話すことができない男の子のドキュメンタリー番組を見た。文字盤を使って母親を介して語る彼の言葉はこの年齢の子どものものとは思われない。

 その彼が本の執筆をしている場面をテレビカメラはとらえていた。締切りが近づき、昼間のリハビリの時間をも執筆に割かなければならなかった。母親は子どもが文字盤を目にも止まらぬ早さで指す文字を追って言葉にし、父親がそれをコンピュータに入力する。

 傍らに去年生まれたというまだ年端もいかない妹がいた。妹は間に入って母親の邪魔をしようとする。兄を叩こうとする。すると、母親は、そうする約束を子どもとしている、と九十秒間隣の部屋に泣き叫ぶ娘を閉じ込めた。

 僕は息子が幼かった頃、保育園で担任の保育士さんにきつく叱られ、そんなことをするようなら赤ちゃん組に行ってもらいますからね、といわれ実際しばらく自分の教室を追放され、赤ちゃん組に行かされた話を後で聞いて胸をいためたことをふと思い出した。

 僕には罰としか思えなかった。

 幼くして奇跡の詩人として兄の妹として生まれた彼女はこれからどんな人生を選び取るのか気にかかった。

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