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NHKのEテレで火曜夜10時45分から5分ほど「ヨーコさんの言葉」という番組が放送されています。たまたま見かけてなかなか面白いことを言っていましたので、再放送はないかなと探したですがその時のものは見つかりませんでした。 本になっていないかなと図書館の本を検索したら5冊ありました。そこでそのうちの4冊を予約してすぐに読んでみました。私がテレビで見て面白いと思ったのは昨年1月に発行された4巻目の8番目に掲載されている語りでした。犬と猫の違いを面白い角度で描いているのです。 あっという間に4巻を読んでしまいました。文章とともにそこに描かれている絵もざっくりさっぱりとしていて味があるのです。北村裕花さんという方が描いているようです。私の家内も久しぶりに面白い本だったと感心していました。女性のというよりおばさんの考え方がストレートに表現されているのです。 作者は佐野洋子さんといって1938年(昭和13年)生まれの方で、2010年に72歳で亡くなられていました。「100万回生きたねこ」というロングセラーを書いた方だとのこと。急いでその本を読もうと思って再び図書館に予約するとともに、エッセイ集を出版していらしゃるようなので、入手できそうな本を注文しました。 ヨーコさんの言葉で第1巻の1番目の話「才能ってものね」にも感心しました。子供をスイミングスクールに連れて行って感じたこと。そこで抜きんでて才能のある子が一人、そして特別に才能に恵まれない子供が一人か二人いる。その間に凡庸という集団がいる。なるほどそういう見方があるのかと感心してしまいました。 この文章はそれだけでは終わらないのです。突然私は英会話はやめようという話になるのです。この展開も面白い。 面白かった本ではなく、嫌になった本もちょっとだけ・・。某テレビのプレバト才能ありという番組で俳句の添削をするその仕方があまりに爽快で分かりやすく、その添削をされている夏井いつきさんの本を購入し、そこで薦められていた俳句の初歩の本を図書館から借りて読みました。 その本があまりに傲岸だったのです。藤田湘子という人が書いた「20週俳句入門」。そこで書かれていたのは、季語をいれろ切れ字を入れという事が主でした。湘子というので女性が書いた本かと思っていたのですが、それにしてはずいぶん乱暴なものの言い方でした。読み進んでいくと男性ということが分かり、水原秋櫻子に師事したところで子という俳号を付けたとか。 私もこれまでいろいろ本を読んでいますがこれほど腹の立った本はありませんでした。前からなんで俳句はあんなに気取っているのかと思っていたのですが、これで俳句は嫌いになりました。せっかく夏井いつきさんの解説に感心していたところなのに・・。同じことを説明しているのでしょうが、説明の仕方が違うと受け取り方がこんなに違うのですね。 「ヨーコさんの言葉」の本はとても素敵です。
2019.03.18
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風邪を引いたらしくここのところ喉が痛いです。なんとなく元気が出ないので、月曜日に通っているレースドール教室も今日は休みました。 ここのところ毎日何もする気が起こらないのです。外に出かけても寒くて風邪をこじらせそうですので出かけません。それで、買い溜めた古本を精力的に読んでいます。その中で、ためになった本をご紹介します。 日野原重明さんが書かれた「生き方上手」と「人生百年私の工夫」という本です。日野原さんは御存知のように聖路加国際病院の理事長で名誉院長だった方で100歳を超えるまで現役で働いている方でした。その方が今から17年前の2001年と2002年に90歳のときに書いた本です。 人生百年の時代、その本の中で日野原さんは新しい老人の呼び方を提唱していました。 75歳からを「新老人」85歳からを「真老人」と。そして60歳以上で老人になる前は中年だと。 厚生労働省はこのころ、老年に変えて「実年」、85歳以上を「熟年」という言葉を提唱していたようです。 最近は65歳から74歳までを前期高齢者。75歳以上を後期高齢者と呼んで医療保険などが適用されるようになり、この年齢近くになるととたんに老けてしまう気がしていたのですが。85歳以上が真老人で60~70代なんてまだまだ若くてひよひよしていられないという気になってきます。壮年期が過ぎ老人期への準備期間、それが中年で60代だともおっしゃっているのですが、確かに60代から70代前半はまだまだ元気ですよね。 ではこの人生百年時代の老年期をどのように生きるか。それには、ああいう人になりたいとモデルを選ぶことだと書いています。しかもその生き方を追体験すること。「漠然と思っているだけでは月を仰ぎ見てほえるだけのオオカミと同じです。」と書かれていてなるほどと思いました。 それと、退職して新しい人生を始めたら、「何でもいいから新しい習慣を身につけて、それを励みにしていくようにする。」とも書かれています。「若いうちに身につけた習慣に従うだけなら、それがたとえよい習慣であっても、結局は惰性になってしまう。老いを防ぐことは出来ません。」ふーむ、なにか新しいことを始める。これなら私はいつもやっている気がします。 「体をいたわることと体を甘やかすこととはちがう」病気のときは体を充分いたわる必要があるが、ある程度回復したら、甘やかしていると体が動かなくなってしまう。脳も体も無理をしない範囲で出来るだけ使うことが、老化を防ぐ。これはやっていない、注意しなければ・・。 この本を読んで、まだまだくたびれたなんていっていられないなと思いました。だってまだまだ老人ではないのですから。
2018.02.19
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ここのところ気になっていた本を次々と古本で購入して、テーブルの上にあふれ始めています。その上図書館からも本を借りてきているので、目を通すのに忙しくなっています。 一番気になっていた本は、図書館からシリーズで借りてきている児童書、で「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」という本です。一度全巻を借りて読みあらすじを記録しておいたのですが、もう少し詳しく記録したいとおもい再度借りてきて読んでいます。願いがかなう駄菓子を食べた子供や大人が幸せになったり、トラブルを起こしたりする心温まるためになるお話です。これは孫娘も家族も面白がって読んでいます。おすすめです。 次にシリーズで揃えたいと思って少しづつ購入しているのが「弁護士のくず」というマンガ本です。このシリーズのもとはビックコミックオリジナルに連載されていたマンガで、この数年前の雑誌を3年分入手できたので、通しで読んで面白くなり、単行本を探して見始めたものです。人の話をいろいろ聞いて印象からでは見つからない事実を掴んで弁護するお話です。 最近近所の散歩先の古本屋で購入して参考になっているのが「ほっとする禅語70」とその続編です。ここに紹介されている禅語を筆ペンでメモに書いて、書の練習もかねて読んでいます。 送料無料にするため、いろいろなジャンルの本もついでに購入し、ついでに気になっていた本が入手できてもいます。最近では金子みすずの童謡集「わたしと小鳥とすずと」、相田みつをの「にんげんだもの」などが入りました。定価では購入する気にはなれませんが安く入手できましたので手元においておいてちょっと見るのにいいかもしれないなと思っています。 作家への興味も次々と変わっていって、柳田邦男の「気づきの力」「活力の構造」「事実の素顔」、小関智弘の「町工場ス^パーなものづくり」「働きながら書く人の文章教室」、日野原重明の「人生百年私の工夫」「生き方上手」を手元において、最近では 群ようこに興味を持って「人生勉強」「びんぼう草」「よれよれ肉体百科」「でも女」などを購入しました。 今年に入って古本を購入したのは6回に及び、総数は70冊を超えた。その中で一読して直ぐに処分したものもあるが、考えてみれば昨年は阿刀田高の分りやすい文章にひかれて「コーランを知っていますか」などの「〇〇を知っていますか」シリーズを次々と購入、その前は世界史のシリーズ物を購入していました。 うーんこれはまずいです。出来るだけ早く目を通して、蔵書数を減らさなければ。最近は図書館に持っていけば、リサイクル棚においてもらえるので、単にごみとして廃棄してしまうより、心の痛みは少なくて済むので助かります。 本の種類って多いのですよね。これからどれだけすばらしい本にめぐり合えるのか。まだまだ楽しみです。
2018.02.13
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ここのところ毎日、エッセイ集を読んでいます。ベストエッセイ集という本で、日本エッセイストクラブが前年いろいろな機関紙や雑誌などに発表されたエッセイの中から選んだものを文芸春秋が1983年から毎年発行しているものです。実にいろいろな人が書いていて、様々なエピソードがつづられています。多くは作家のエッセイが収められているのですが、中には主婦の方のエッセイも掲載されています。 このエッセイを読んで、私もなにかエッセイ風のものを書いてみたいなと思いました。題は私の好きな花を題材にして『思い出の花』にして見よう。これまでかかわった仕事のこととか、思ったことなど題材はいくらでもありそうですが、選ばれたエッセイの内容の共通点を探して見ると、身近な人や有名な人の思い出やエピソードをつづっているものが多くあることに気づきました。 エッセイはそれを読んでくださる人が、感動までは行かなくても共感するとか、へエーそうなのか、そうだったのかと感心してくれる内容でなければいけないようです。そういう点で、作家の方の人付き合いの幅の広さや、表現力が優れているので作家の方のエッセイが多く選ばれるのでしょう。(発表の機会もおおいこともありますね) それで課題として「思い出の花」と設定して、さて私の思い出の花は何だろうと考えました。好きな花とか美しい花ならいくらでも出てきます。子供の頃、遊び場だった荒川土手で咲き誇っていたシロツメクサの花の香りや、4つ葉のクローバーを探した思い出、借地していたお庭のフジ棚にフジの花がたわわに垂れ下がり、蜜を求めてクマンバチがぶんぶん飛び回っていたこととか・・。 でもそれだけで花にまつわる人の思い出もエピソードもありません。さて困りました。無理に掲げるとすれば、初めて私が栽培した栽培バラのクローネンブルクでしょうか。とても古い品種で今では見かけることがなくなりましたが、表弁が深紅で裏弁が白い高芯剣弁のすばらしいバラでした。 栽培していたのは昭和30年代後半で、私が中学生のころか、高校に入学したころだと思います。その苗をどこで入手したのか思い出せません。当時、バラの栽培をしている人は少なく、苗も普通の園芸店では売っていませんでした。タキイ種苗の通信販売か、または当時とどろきバラ園というバラ苗屋さんが世田谷区にあって、そこに買いに行ったときに入手したものかもしれません。(とどろきバラ園はその後バラの世界で世界的に有名になった鈴木 省三さんが経営していたお店だということをかなり後で知りました) このバラを鉢栽培で初めて咲かせたとき、花好きだった母がとても喜んでくれたことを思い出しました。喜ばれたのだからその場で切り花にして母に上げればよかったのですが、その当時はそんなことは思いもよらず、花が散るまで茎につけていた気がします。(この鈴木省三さんには数十年後、仕事の関係でお会いすることが出来、縁があったのかなと思いました。) 私が小さなころから花好きになったのは、この母の影響が大きかったようです。小学生のころ、理科の教科書に載っていた事柄で、お皿に脱脂綿を敷き詰めて水を入れ、その上に朝顔の種を乗せておくと水を吸って芽を出してくるのです。お皿の実験という名でした。それを母と一緒に試して見て、実際に芽が出てきたことを二人で喜びました。 借地の庭にホウセンカの種を蒔いて花を咲かせたときも誉められました。その実が出来るころ触るとはじけることを教わってびっくりするとともに握った手の中ではじける感触を楽しんでいました。 終戦後、暮らしていくだけで大変な時期に一生懸命育ててくれ、小学校の教科書に載っている花の絵を見て、きれいだねと一緒に花の名前を教えてくれたあの行動が、今の私に大きな影響を与えていたのだなとつくづく思います。好きな人が喜んでくれる、感心してくれる、それが子供の心を育てるのですね。
2016.03.10
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毎日暑い中、またエッセイ随筆集を読み出しました。 今日は池波正太郎の事を書いた川本三郎さんの随筆のなかで、面白い言葉を見つけました。 父親文化、母親文化と言う言葉です。そのくだりを原文のまま抜書きします。 「一般に明治以降の東京の子どもは、父親文化と母親文化に引き裂かれる。父親文化は、子の立身出世を願うから、役に立たないものを嫌う。あくまで実学尊重である。それに対して母親文化は、明治的な上昇志向の論理とは違う。芝居や小説や映画といった、役に立たない軟派文化を大いに楽しんでしまう。永井荷風の場合も、文学に目ざめるのは父親文化ではなく、母親文化の回路を通してである。」 この考え方は、明治時代の軍国主義、立身出世主義と、芝居や映画がはやった頃の話でしょう。とはいうものの今でも芝居や映画を見に行くのは多くが女性の気がします。男性は今でも仕事をするか時間があれば居酒屋で酒を飲むのが娯楽のようですから。あっつ、今の若ものには通用しませんね。大体ゲーム三昧のようです。 今回は、その過ごし方ではなく、父親文化、母親文化と言うものが、子どもの生育に今でも影響を与えているのではないかと思うことです。 私の事を顧みると、植物好きになったのは母親の影響がとても大きいです。私が育ったころは父親は病気であまり活発な動きはしていませんでした。生活の切りまわしは主に母親がしていた記憶があります。だから母親文化の影響を受けて育ったのでしょうね。 さて、現在ですが、我が家の子どもたちはいったいどちらの文化の影響を受けて育ったのかなと、考えてしまいます。子供は親の背を見て育つと言いますが、子育てにどれだけ関与したかと思いなおしてみるとあまり関与していない気もします。 それに我が家で母親文化と父親文化にそれほど大きな差があるかどうか。疑問な点もあります。みなさんのご家庭では差があるのですかね。 先日、久しぶりにコレクションの明治の絵葉書をホームページにアップしました。その中で1枚変わったものに気が付きました。31浅草公園観音放生鳩s この写真ですが、何が東京名所なのか最初は判りませんでした。写真の題名から、周りにハトがいる様子を紹介しているのかなと思っていました。でも良く見ると、写真の中央に箱が3つ置いてあることに気が付きました。 これは中に鳩が入れてあって、参拝人がお金を出してその鳩を逃がしてやるのですね。昔、カメを買って池に逃がしてやる放生池というのがありましたが、その鳩版なのです。江戸の名残を見せる浅草寺観音堂も明治の初期にはこういう商売がされていたということが判ります。
2013.07.11
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土曜日は孫の運動会と町会の防災訓練が重なり、私は町会に、家内は運動会とそれに次ぐ向こうの御両親との食事懇談に忙しい一日でした。そのときは張り切って動き回ったのですが、疲れが翌日に持ち越し昨日は一日静かに過ごしていました。 今日はミニバラの写真も撮ったのですが、かねてから気になっていたことがエッセイ集を読んでいてわかりましたので、その話題をアップします。 ん十年前の中学生の俳句の授業のときでしょうか、先生が俳句はいくら読んでも同じものにはならないと話されました。たかが5,7,5の文字の組み合わせでは、いつかは同じものになってしまうのかと思っていたのですが、日本人がどんなに作ってもその組み合わせは無限に近いというのです。そこで私は世界の人が作ればすぐに無くなってしまうのではないかと質問した覚えがあります。その時にはっきりした答は無かった気がします。 富山高校校長の木下周一氏も同じ疑問を持ったようで、エッセイに書かれていました。日本のかな文字はいろは47文字ありそれで、5,7,5の17文字で出来る組み合わせは47の17乗だそうです。 47×47で2209。それに47をかけると103823。わずか4回かけるだけで約488万通りになってしまいます。これを17回かけるとどれくらいの数字になるのでしょうか。 同じ疑問を江戸時代に持った人がいて、それを和算で問題を出して神社に奉納(算額)したのだそうです。富山県の和算の門人折橋雄川という人。実際に計算して答を出しているとか。みなさん答が想像がつきますか。 この校長先生は県の総合教育センターのコンピューターで計算して確かめたそうです。その答は29桁の数字。2穣6647じょ9365がい0696京2193兆4393億2219万2687 この数字は、日本の人口を1億人として、毎日一人が1万句ずつ、意味の無い17文字の羅列を含めて作り続けても、約73兆年かかるのだそうです。こんな計算12桁の表示しかない卓上計算機ではする気も起こりません。 そしてこの計算の答を奉納した結果と、コンピューターの計算と照らし合わせると最後の一桁までぴたりと一致していたとか。計算機の無い時代、どうやって計算したのでしょうね。 まあ、その算額にも驚きますが、我々が勝手に5.7.5を並べてもまったく同じ俳句が出来る確立はほぼないということなのでしょうね。私が中学生のときに抱いた疑問、世界中の人間が1人数句作ったとしても作りつくされることは無いということなんですね。もっとも人間の発想なんて似通っていますから、似たような句はいくらでも出来てしまうでしょうけれど。
2012.10.08
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久し振りにエッセイ集から面白い話題を見つけました。元のエッセイは東京工業大学教授・我妻洋氏の「異文化の理解」という文章です。 その中で居心地の良い距離と言う部分に興味を覚えました。 我々日本人が立ち話で他人と話をする時に自然にとる距離と言うものは、おおむねどなたも同じくらいだと思います。まあ80cmから近くても60cmくらいでしょうか。 これが欧米だともっと近くなるのだそうです。体が大きい欧米人に近寄られると背の低い日本人はなんとなく威圧感を感じてしまうことがあるとの事。 その距離が、南米の人はさらに近くなり、立食パーティの時に親しく話そうと近寄ると、欧米人は自分の居心地の良い距離を保とうと後ろに下がるため、南米の人は避けられてと感じてしまうそうです。 この距離が最も近いのはアラブ人だそうで、アラブの人は相手の膝に手が掛けられるほど近寄って腰かけ、相手の眼をのぞきこんで話し、それでないと「落ち着いて」話が出来ないのだとか。ところがこの距離に慣れていない他文化の人は逆にこれでは居心地がよく話が出来ないとか。 こうした居心地の良い距離と言うのは、それぞれの文化からいつの間にか出来あがると思うのですが、日本人の距離は世界の中ではやや離れているのですね。この距離が違うので日本人は欧米の人の話の輪になかなか入り込めないということがあったのかもしれませんね。この「快適な話す距離」ということ一つとっても文化が違えば違うと言うことは面白い視点でした。皆さんの距離はどれくらいでしょうか。 今晩は気が付けば珍しく無風。なんとなく農薬散布におっくうになっていたのですが、ProArgi9Plusさんからサジェスチョンをいただき、久し振りに行いました。使用薬剤はジマンダイセンとサプロール、それにカルホスを混ぜました。黒点病は出てもかまわずに消毒すると言うお話でしたので私もそう神経質にならずに定期的に消毒する事にしました。 黒点病はどんなに消毒していても出るものは出る。そんな心境に変わりました。まあバラの葉に薬害さえ出なければいいのですがね。それと自分の身体に薬害がでないように用心しなければいけませんが。簡単な防毒マスクでもそれをしないで散布するとなんとなく身体がだるくなることがありますから。
2012.10.04
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ここのところ、文芸春秋が刊行しているベストエッセイ集というものを古い本から順に読んでいます。 今4冊目だと思います。1983年から毎年発行され1冊に50から60のエッセイが収められています。選者は日本エッセイストクラブの選者たち。 これまで読んできた感想は、作家が書いたエッセイはやはり面白いなと言うことと、取り上げる材料が、作者がかかわった人のすばらしい点について書いているものが多いということでした。 そして何より、皆さんがお酒を飲んでその交友を広げていると言うことでした。ほとんど酒を飲まず、あまり人付き合いが好きでなかった私としては、人生の幅がそれだけで狭まったかなと思います。でも嫌いなことを無理に付き合っても所詮は楽しくありません。私なりの人生で後悔しなければいいのですから。 このエッセイ集に取り上げられている文は、発行される年に何らかの雑誌や新聞などに掲載されたものという前提ですから、ほとんど有名人、あるいは社会生活の成功者の文章が多いです。それは仕方が無いことですね。でも中には肩書きが主婦と言うのもありました。それも何かに掲載されていたのでしょう。 今日読んだエッセイで、ちょっと感銘を受けた言葉が載っていましたのでそれを忘れないように載せておきたいと思います。 文章は森繁久彌さんの「時は巡り 友は去り」というエッセイの中に出てきます。多くの友人が亡くなって行く中での思い出と心境を記載していく中で、最後に95歳のかくしゃくとした老実業家の言葉を紹介していました。「君ね、死におびえていては何も出来んよ。死は予期せぬ時に来るものだ。その時は終わりです。でもその前までは生きているんです。一切、死ぬなどと考えて仕事をしてはいけません。」 なかなか含蓄のある言葉だなと思いました。歳をとればとるほどこの言葉は生きてくるのだろうなと思います。
2012.08.26
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昨日も今日もひたすら暑いです。ミニバラも水切れを起こさないよう晩と朝、忘れないで水をやる日が続いています。朝、時間が遅くなっても、日中の強い日差しを浴び続けるバラを思えば、土の中に水を補充しておく朝の水やりと、夜中にバラの体に十分水を蓄える夕方の水やりはかかせません。 その作業が終わるとあとは何もする気が失せます。クレイバラを少し作り始めましたが、本格的に作る気にはなれません。こんな暑さで何が出来るかー・・・・。 という中で娘や孫たちは豊島園のプールに先日行ってきました。この日差しで倒れないかと心配したのですが、丸一日遊んで元気に帰ってきました。やはり若さですねー。そういえば、昨日のオリンッピックの凱旋パレード、すごい人出でしたね。テレビのニュースで見ましたがかなりな年配の方も出かけられていました。お元気なんですね。 我が家はと言えば、軽食用にと買ってきたパンを見て、家内がハンバーガーを作ろうとバーガー用のハンバーグや野菜を切って、作ってくれました。5個作っただけですが結構美味しそうでしょう。昨日の昼食です。自家製ハンバーガー 私もそういつまでもグダグダしてばかりいられないので、昨日の昼、クルミとクランベリー入りの食パンを作りました。最近はその中にひまわりの種を入れ、パンをしっとりさせるためにトレハロースを加えています。 今日、朝食で食べたのですが、やはり美味しかったです。以前、クランベリーが品切れになり、干しブドウで代用して作ったのですが、美味しさは格段に違いました。それとグアバ茶。頂き物ですが面白い味と香りがします。夏にはすっきりしていいかもしれません。 さあて、これから何をしようかな。今読んでいるエッセイ集の中に、「おだやかに繰り返される生活の支えなしに、幸福というものはありえない。」という清岡卓行氏の文章が紹介されていました。うん、これが幸せと言うのだろうなと、今、思っています。
2012.08.21
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長年疑問だった疑問がエッセイ集を読んでいて2つ解けました。一つは花札の絵でそれぞれの季節に会った花がその月ごとに会わせられているのに、なぜ6月に咲く桐の花が12月にあてはめられているのか。 もう一つは5月人形のよろいびつの箱の前面に前と書いてあることが多いのですが、これは前と後ろを間違えないように書いてあるとばかり思っていたのです。 エッセイは作家の戸板康二さんが書かれた「耳ぶくろ」と題された文章です。ちなみに耳ぶくろというというのは根岸守信という幕臣が書きとめた雑学の随筆とのこと。 それで最初の花札の件ですが、1月が松、それから梅、桜、藤、菖蒲、牡丹、萩、ススキ、菊、紅葉、柳、桐と続きます。なぜ6月に咲く桐が12月なのか、それはピンキリのキリ、つまり洒落だというのです。何となくそうなのかと合点がいきました。昔はシャレでものを決めることが多かったようです。 それなら柳がなぜ11月なのでしょう。今は小野道風と傘が描かれていますが、昔は忠臣蔵の悪役斧定九郎と番傘が描かれていたそうです。忠臣蔵なら12月に近い11月に持ってきても違和感はないかもしれません。 よろいびつの箱の前に書かれている前と言う文字。これにも深い意味があったそうです。よろいかぶとは戦の時に着ていくもの。良く忍者物語に臨兵闘者皆陣列在前という言葉が出てきます。これは九字の真言と言われるもので、意味は兵が戦いに望むとき、守護の神仏は、すべて陣列の前にあって敵を追い払うとのことです。 すなわち、九字真言の最後の言葉を武具の箱に書いて神仏に祈ったものとのこと。知りませんでした。 ついでに、このエッセイには書かれていませんでしたが、ヘチマの語源で、元は糸瓜と陽ばれていたそうです。それが江戸ッ子がまどろっこしいので縮めて「トウリ」と呼んでしたそうです。「と」という文字はいろはにほへとちりぬるおわか、の「へ」と「ち」の間にあるのでシャレでヘチマになったとか。 こんなところにもシャレが登場していたのですね。
2011.11.24
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前畑ガンバレ、前畑ガンバレ。このフレーズを聞いてすぐにわかる方はかなりご年配の方ですね。そうです昭和11年8月11日ベルリンオリンピックの女子200メートル決勝のラジオ実況放送です。 この時のことをご本人兵頭秀子さんの「前畑ガンバレのプレッシャー」というエッセイに書かれていました。85年版ベストエッセイ集に収録されています。 その中でとても面白いなと感じた部分があります。今日のようにテレビなどの情報網が発達していない時代は当然としても、ラジオも感度が悪くしっかり聞けないという時代だったようです。 前畑さんの実家ではこの日のために珍しかったラジオを買い、近所の人々が部屋一杯に集まって固唾をのんで聞き入りました。しかし肝心のゴールのところがほとんど聴取不可能で結果が判らなかったのだそうです。 その勝利を知らせたのは大砲の音でした。和歌山の第68連隊が町内の甲子山に大砲を据え、勝ったら号砲を5発鳴らすことになっていたのです。この号砲を合図に街中が提灯行列の波でうずまったとか。軍まで関心を示していたのですね。 このオリンピックで金メダルを期待されたプレッシャーは大変なことのようでした。その辺は本文を読んでください。私が感心したのはこの最後の部分でした。 「勝ったか負けたかは、自分ではわからなかった。全力を出し切ったために、ロープに手をかけていても、体が沈んでいく。私が勝利を知ったのは、監督に助けられて水から上がり、スタンドで日章旗がしきりに揺れ、バンザイの声を耳にしてからだった。」 泳ぎ終わって沈んでしまうまで全力を尽くす。そんな体験が自分にあっただろうかと、思ってしまいます。 でも、マラソンの試合を見ると1位で入ってきた選手が悠々とウィニングランを続ける中、あとからゴールする選手が倒れるように入ってくる。その様子を見ると、人間の体力の差を歴然と見せつけられるような気がします。 精神論で頑張れと言われてひたすら走るのと、持ち前のしなやかさと体力で走るのとどちらが称賛されるべきことなのか、考えてしまいます。日本では精神論の方が支持されるのでしょうね。
2011.11.23
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将棋の元名人、升田幸三さんが書いたエッセイに、「引退五年」というものがあります。升田さんが生きた仕事は、最善の手を追及して、頂点に上り詰めるという世界でした。好い加減の手と言うものは許されない。そういう世界だったと述懐されています。 エッセイ全体の流れは自然の雲や、季節の移り変わりなど自然現象には人の手は尽くせない。人事は別だと言われているが人事も大きな自然の一部ではないかと思う眼が自分の中に居るというのです。とはいえ人は花と違って狂い咲きもすると。 そこで面白かったのは、これだけ人生で真剣勝負してきた人が、面白いことを言っているのです。 「私は人にあがめられるほどの地位と言うのは、資質を磨き研鑽を重ねて、それでその地位に昇るのだと思っていた。ところがこれもそうではないらしいことが判った。あの出鱈目がと思う者が高い地位につくことはいくらでもあるのだ。(中略)それもこれも自然なのかもしれない。」 升田氏がどの世界の人を言っているのか判りませんが、そう感じることもあった私は升田さんほどの人でもそう感じることがあるのかと、なにか共感を覚えたものでした。人事も自然と同じということはなにかほっとさせられます。 エッセイの表題にもあるように引退して五年経過した後に感じたことを書かれたのでしょう。私も完全退職して自分の人生と職歴をかえりみると、きっとこれが自然だったのだとおもいます。 素晴らしい能力をもち、そこまで気を使うのかと思うほどの努力をされて、将来は相応の地位につくだろうと思っていた方も、その時の情勢で、普通に退職されました。まあそれでも一般の人より好い所に再就職されたのですが。別の能力のある方もいろいろのところからのお誘いを断って、今は孫育てにいそしんでいるということを聞きました。 わが身を振り返ってみれば、人が聞けばもうらやむような仕事を歴任することができて、幸せだったなと思います。世の中にはこの道30年40年と、同じ仕事を続けて有名になる方が多いです。私の場合この道と言うのを狭く解釈していましたが、広く解釈すれば同じ事が言えるかなと思いました。 これからの人生、何にかけるか。気の多い私に目標を一つに絞ることは家内は無理だというのですが、少なくともミニバラ栽培を続ければそれくらいのことは言えるようになるかもしれません。これだって植物の栽培と広く考えれば、すでに50年近くにはなるのですが、万年青やサボテン、盆栽、菊など多くの寄り道をしてきましたから、なかなかこれ一筋と言えるようにはならないでしょうね。でもこれからの人生に目標ができただけ張り合いがあります。
2011.11.22
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エッセイ集の続きです。神津カンナさんのエッセイに万年筆というのがあって、おじいちゃんとの思い出が書いてあります。 その中に小さいころのカンナさんがおじいちゃんに「夕焼けってどうして空が赤くなるの?」と尋ねると、「あれはね。空がはにかんでいるからです」と答えたという。 夕焼けが赤いのは科学的には空気中の水蒸気やチリによって青い光が散乱し、長波長の赤い光だけが眼に届くから赤く見えるのですけれども、まさか「はにかんでいるから」とは思いませんでした。おじいちゃんは科学的なことを知っていて、あえてこういう回答をしたのでしょうかね。 もうひとつ煙突について質問した時、風呂屋の煙突や工場の煙突、最後には汽船の煙突を見せに行って、最後にこう言ったそうです。 「煙突はねえ、新しい何かのために古い何かを燃やす時に出る涙を、空に逃がしてやる道なんですぞ」 こういう説明を子供のころから聞いていれば、子どもの感性は独特の育ち方をするでしょうね。 私は子供のころには古本屋で子供の科学という本を見つけてはそれを読んでいるような過ごし方をしてきましたから、こんなロマンあふれる解釈など思いもしませんでした。 最近、小説家やシナリオ作家の頭の構造はどうなっているのだろうと思うことがありますが、こんな同じような生い立ちを過ごした方々だったんでしょうかね。 ふと考えました。もし今度、孫娘からお空はなぜ赤いのときかれたら何と答えようか。 「あれはね、お日様が明日も元気で○○ちゃんに会おうねってご挨拶しているんだよ。」 きっとこれでもふーんそうなのかと思ってくれるでしょうね。
2011.11.21
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