ジョニーの桜最前線!

No.1 インディズム

  ジョニーのコラム
 ~~ 宇宙に行かずして宇宙を語る人々 ~~
    No.1 インディズム
 ここ最近のニュースといえば、テロ問題やアメリカの攻撃など
 考えさせられることが多かった。
 ブルース・リー先生は「考えるな!感じろ!」とおしゃってましたが、
 少しくらい考えてみることにしました。
 お暇ある方は、少しお付き合い願いたい。

 私も含めていわゆる現代人という奴は、
 ビックリ箱をあけた子供ように目の前にある科学を楽しむばかりで、
 散らかしたオモチャを片付けるようなことはしなかった。

 ときには核爆弾のような取り返しのつかないもので、
 カメの甲羅の中に花火を詰めるような、子供の悪戯の中でも最低ともいえる
 行いをしてきた。
 私達現代人は、みっともない子供であり、叱られるべきなのである。

 しかし、人間は叱られて成長することもあると知りつつも叱られたくない。
 私もどうせ叱られるなら、
 自分が好意を寄せている対象に叱られたいと考えた。
 そこで数あるジョニーランキングの中から、
 今回は叱られたいランキング1位のアメリカンインディアン(以下、インディアン)についてお話したい。
 (ちなみにランキング2位はシャア。)

 私はインディアンの考え方が好きであります。
 考え方というよりも「教え」という方がピッタリくるかもしれません。
 現代人の幼稚な言動に対し、それは人として大人な考え方であり、
 ある意味では当たり前ともとれる考え方でもあります。

  ここで少しインディアンの教えをご紹介したいと思います。

 ~~~インディアンの教え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、
 あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。
 お聞きください。

 わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、 
 今、立っています。
 わたしは小さくて弱く、
 あなたの力と智恵とを必要としています。

 どうかわたしを、美のなかに歩ませ、
 なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。
 この両手が、
 あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。
 この耳を、
 あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。
 そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、
 一枚一枚の木の葉や、
 ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、
 このわたしも、理解するかもしれません。
 父よ、わたしは力を求めています。

 偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、
 その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、
 わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

 もしそれがかなうのなら、
 日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、
 いささかも恥いることなく、
 わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ここで紹介しました「教え」には「スピリット」という言葉が出てきます。
 日本語にするならば、「魂」が一番近い表現でしょうか。
 スピリットという表現の中には人種的差別や
 「人間こそがこの世で一番尊い存在である。」といった
 考えすらも無いことが伺えます。

 インディアンを含めて私が尊敬する人たちには、共通した考えを持っています。
 その一つとして、「宇宙と自分」というものが言葉の表現に出てくることです。
 先に述べたインディアンの教えでは、「宇宙」という言葉は出てきませんが、
 「宇宙」を感じさせるものかあります。

 ジョニー風に解釈するのであれば、石や木々ひいては星に自分を
 ネットワークでつなぐといった発想です。
 仏教でいうところの「悟りを開く」というのも同種のものと考えます。

  身近な表現をすると、サッカーのワールドカップなどで
 日本チームが負けると悔しかったり、勝つと嬉しかったりしますよね。
 それは何処から何処までが自分であるという意識(以下、自我意識)が、
 自分自身の体というタン白質のつながりを通り越し、
 「日本」というところにあるからです。

 その自我意識の範囲が更に広がり全てに至るとどうなるのか、
 私自身が到達していないので推測の域を越えませんが、
 「悟りを開く」という事なのでしょうか。

 石や木や隣を歩いてる人も自分なのですから、
 少なくとも思いやりなどの感情も変わってくるはずです。
 そういった意識が広がれば戦争もなくなるかもしれませんね。

 その昔、アメリカ人は「山奥へと追いやられたインディアンが、
 アメリカ人に反撃する為に集会を開いている。」と思い込み、
 集会所に集まっているインディアンを一網打尽にしたそうです。

 その時、集会所では長老が「我々の兄弟を殺したアメリカ人さえも
 憎んではいけない。」と平和の心を話していたそうです。

 アメリカ人は、キリスト教を信仰している人が多く、
 教会に足を運ぶ方も多いと聞いていますが、
 残念なことに平和につながってはいないようです。
 自我意識が狭ければ、ラブ&ピースも狭い範囲になるからです。

 現代は科学が進み便利になり、色んな情報が遠くから届くようになりました。
 今では事象を捉える時に、科学的根拠はどうかという事がついてまわります。
 人間の心理まで論理的に解釈しようとしています。
 もちろん、それが正解に結びつく事もあるでしょうが、
 一人歩きした説得力が仇となり、取り返しがきかないことになることもある
 という事です。

 例をあげるならば、原子爆弾や農薬などが良い例でしょう。
 坂本竜馬が今の時代を見たら、どう思うでしょう。やっぱり悲しむかなぁ・・・

 所詮、科学もソクラテスが哲学者だったように「1+1=2」と
 人間が決めたところから始まった一つの哲学でしかありません。
 ロジックを考えるのは、そろそろコンピュータにまかせて、
 人は人らしく感性を使い、インディアンの様に生き物として
 生きた方が清々しいのではないでしょうか。

 いろいろと考えてみましたが、結局のところブルース・リー先生の
 「考えるな!感じろ!」という言葉に戻ってしまいました。
 ブルース・リー先生は「考えるな!感じろ!」の言葉のあとに、
 こう続けています。

 「でなければ、我々の目指すところへは到底たどり着けないぞ。」

 アメリカの大学で、哲学の講師をされていたブルース・リー先生の
 言葉は非常に奥深いです。
 私なりに解釈するのであれば、虫眼鏡で物事を見ていてはリンゴ1つ
 見終わるのに日が暮れてしまうから、買い物なんてしようものなら
 目的の物を買うまえに死んでしまうといったところでしょうか。

 武道を極めた人の中には、自我意識の拡大と
 同じ意味にとれる言葉を残す人も多いです。
 中国では八極拳を極めた伝説の拳士「李書文」という方もそうですし、
 日本でも合気道の創始者である「植芝盛平」という方は
 「我は即ち宇宙なり」という言葉を残されたそうです。

 またの機会が御座いましたら、
 ジョニーのコラム「宇宙に行かずして宇宙を語る人々」は
 植芝盛平翁についてお話したいと思います。
 ではでは失礼・・・




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