2002/03/21
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 猫を引っかけた。自転車で横断歩道を渡っている時だった。暗かった。狭い道だが、信号が変わればすぐに走り出す、簡単に人を殺せる車という乗り物が待ち構えていたから、横断歩道の上に蹲っていたわけではあるまい。あまり下を見ていなかったが、何かあれば目の端にとまるはず。だから猫は突然飛び出したのである。理由は知らない。前輪にぶつかった猫は、何事かと私が見た時には元気に走る後ろ姿だけを残して路地に消えていった。どのようにぶつかったのだろう。車輪には血も付いておらず、走れていたのだから怪我があっても大したことはなかったのだろう。でも何故わざわざ走っている自転車に飛び込んだのか。
 しばらくして、レンタルビデオ屋の前に通りかかった時、二階にある塾への階段を昇る中学生くらいの男が、躓いて転んだ。彼は階段から器用に私の自転車の前へ突然飛び出したわけではないので私には一切責任がない。猫の時だって、もし私がじっと地面を注視していたにしろ、あの敏捷さをよけることが出来ただろうか。
 またしばらく行ったところで、道路を走る原付のお姉さんの原付から何かが落ちてガランと音がした。あるいは道路に落ちていた、そのカウルのようなものを踏んだだけかもしれない。
 そもそも今日は何か悪い予感がしていて、家を出た瞬間から火の元や炊飯器や何やらで、取返しの付かない忘れ事をしているのではないかと不安だった。それと同時に、これまで災難が起こった時は、今日のように不吉なことが続いた時ではなく、一度も信号に引っ掛からず、駅に着けばすぐに電車が現れ、あらゆることが自分に都合よく運んだ時であった。だからかえって悪い予感は取り除かれ、タイ旅行に行っていた兄も夜無事に帰ってきた。ハンドクリームの蓋が開けっ放しだった。無理にでも猫を追いかけて様子を見ればよかったと思った。
 オースターのニューヨーク三部作最後の作品。
 付箋が一番多いです。の割に、いつも通り、本を閉じた途端スコンと頭から消え去ってしまうのですが。
 フランスの田舎にて、アメリカではまだ西部劇の世界が残っているんだと信じている男が出てくる。日本にはまだ武士がいて腹切りしたりちょんまげ結ってたり富士山眺めたりしている、というのと同じ類の偏見である。ところが私にはあまり笑えなくて、もちろんそんな世界はないことは承知しながらも、アメリカ西部には、まだあの、カウボーイ姿で馬に乗ってならず者と保安官がしょっちゅう撃ち合っているところがあるんじゃないかと、あってほしいと、思っているところがある。西部という空間は終わるものではなく、西部劇が作られる度に創造されて拡がっていくものだと。ただ私にとっては、西部に実際に生きた素朴な人々や、西部劇に出演した幾多の俳優たちのいる西部ではなく、あくまで「荒野の七人」に出た七人と何人かの女優が造り出す「終わらない西部」という世界です。高橋源一郎「ゴーストバスターズ」に引きずられている気がしないでもありませんが。そこではビリー・ザ・キッドとワイアット・アープが毎日追っかけっこをしていて、罪のない人々も罪のある人々も、ただ西部にいるといういうだけで不条理な殺戮にあい、いくらか時が経てば生き返って西部を続けます。ジェイムズ・コバーンだけが車に乗って走り回ります。
 関係ありません。
 深沢七郎との出会いは「楢山節考」であったが、彼の天才に心底うちのめされたのは、初期の習作群の一つ「狂鬼茄子」の中の次の文章であった。状況は、主人公が急な痛みを覚えている時に、外で二人の男が喧嘩していて、彼は知り合いを呼ぼうとするのだが、その知り合いは、少しおかしい人である。



 ふと、彼は恐ろしい予感がした。それは、
「性病ではないだろうか!」
 と、気づいた。そう思ったら身ぶるいがするような悪寒でふるえるようだった。
 彼は飯田に相談しよう、と、窓の上に向って叫んだ。
「飯田、一寸来てくれッ」
 飯田は相変わらず黙々としているのだ。大塚は第三回目の苦痛に見舞われた。彼はもう立っていることができない程、たまらなくなったので、窓に凭れたまま地に蹲ってしまった。
 その時、二階の窓から飯田のあの怪しい呪文の朗読が流れだしたのだ。
「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給うところにぞある」
 それは、軍国の教書が、自暴のどら声で高らかに暗誦されだしたのだった。
「昔、神武天皇、大伴物部のまつろわぬ者共を打ち平らげ給いしより凡そ二千有余年を経たりき」
 大塚は、飯田が世を笑い、己を笑ってとなえるこの呪文を、じーっと聞いていた。彼はあの女・・・・・・敏子が性病の保菌者で、それが感染ったのかも知れないと気づいた。そう思うと狂わしい程、口惜しくなってくるのだった。



 何が怖ろしいといって、大塚の性病発見と、飯田の叫びと、二人の喧嘩が、一切関係のないところだ。関係のないまま物語は続く。私はただむしょうにこの偶然が怖ろしかった。


 見ず知らずの女性に対して突発的な恋に墜ちる一方で、サリンジャーがたま
たま同じバスに乗り合わせていること──こういう経験はめったにない──
  エンリーケ・ビラ=マタス「バートルビーと仲間たち」木村榮一訳 より


というような偶然も、たまにはあるかもしれない。しかしその偶然には多少なりとも意味が見え、展開に関係するのが普通であり、まあ奇を衒うなら敢えて無意味のままに置くのもいいだろうが、深沢七郎にはそんな意図はないように感じたところが、怖ろしかったのだ。

 主人公──「幽霊たち」「シティ・オヴ・グラス」の作者と自分で言っているのだから、当然モデルはオースター自身として、そんなわけはないのだが──に手渡される、元親友の書いた小説・詩群を、出版に値するかどうかというところから物語は転がる。
主人公は「シティ・オヴ・グラス」「幽霊たち」と本書は同じものであると言っている。そんなことは「幽霊たち」を読んだ後「シティ~」を手に取って数ページ読んだ時から分かっている。そして作者はこの世界から早く卒業したいと、けりをつけてしまいたいと思っているのを、「幽霊たち」の時から私は感じていた。 2002/02/24(日) シティ・オブ・グラス/ポール・オースター/山本楡美子・郷原宏 訳 にも書いたように、本書のラストで、新たに物語を始められる可能性の充分あるノートを破いてしまったように、この人は物語を放擲することに執着しているように見える。そしてそこが私には魅力的に映る。だから、ニューヨーク三部作を卒業した彼のこれ以降の作品にあまり興味が持てないでいる。だけど三部作以前の「孤独の発明」は原書で買っていたりする。しばらく読まないだろうけど。

ポール・オースター「鍵のかかった部屋」(白水Uブックス)





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Last updated  2002/10/24 07:41:56 PM
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