2002/11/03
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 初見ほどの衝撃はなかったこと。そして以前は何に驚いたかというと、最初の「私」パートの方にであり、真実の告白であり、真実であるだけに残酷なまでに酷い妻の描写であった。あまり慣れていないので面食らった、「田紳有楽」の次に気楽に読み始めたところ不意打ちを食らわされたという感じだった。


 二十代の終わりごろ、瀧井孝作氏を訪問すると二、三百枚の本郷松屋製の原稿用紙を私の前に置いて「これに小説を書いてみよ」と云われたことがあった。そして「小説というものは、自分のことをありのままに、少しも歪めず書けばそれでよい。嘘なんか必要ない」と云われた。私は有難いと思ったが、もちろん書かなかった。そのころの私には、書くべき「自分」などどこにもなかったから、書きようがなかったのである。


 書くほどのものではない「自分」をただ真実であるからというだけで安易に書く人達・・・・・・そしてそれを「私小説」だと言えば芸術を創った気になる人達・・・
は、ともかく。

 一度目に受けた衝撃は何だったか。この、露わ過ぎる告白の後、全く事実であるはずがない、しかしそこには確かに「自分」のある部分が露骨に語られていると感じる、もう一つの「私」パートの出現にある。
 精力をつけんが為に、女を見返して征服したいが為に人糞を精力剤として加工して飲み、精を出す。静謐ながらえげつない内容だった前半とはがらりと変わって滑稽味を帯びたですます調、妻は過去に死んだ者。
 正直今回はこちらの方をそれほど面白いとは感じなかった。が、先程の「真実の告白」の後にいけしゃあしゃあと、このようなものを書き記せる、平気で嘘っぱちを並べておきながらやはり「自分」をその中に書き込んでいる、書き込めている。それが恐ろしかった。
 紛れもなく私小説で始めておきながら、私小説ではないようなものを挿入しておいて、しかしそれも確かに私小説である。では私小説とはなんだ、という気になる。そもそも私小説と呼ばれるようなものはあまり好きではないはずだ。しかし衝撃を受けた、受けてしまったという事実には変わりはなく、そう呼ばれているものにはもっと恐ろしいものがあるのではないか、と不安になってしまう。
 が、今はそんなにいろいろ手をつける気分でもない。

藤枝静男「田紳有楽・空気頭」(講談社文芸文庫 現在お取り扱いできません)





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Last updated  2002/11/03 02:55:02 PM
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