2002/12/26
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「幼年時代」を読んだ時のように、自分の過去の記憶に悩まされることはなかった。私はロシア人でも貴族階級でもトルストイでもニコーレニカ・イルチェーニエフでもない。


 祖母の遺体が家の中にあるあいだずっと、わたしは死の恐怖の重苦しい気持ちを味わいつづけていた。つまり、死体がわたしもいつかは死なねばならぬ身であることを、不快にまざまざと思い起させるのだった。なぜか人々が悲しみと混同する習慣になっている、あの感情である。わたしは祖母の死を嘆かなかった。それに、だれかしら祖母の死の死を心から嘆いた人がはたしてあっただろうか。家じゅう弔問客でいっぱいだったにもかかわらず、だれも祖母の死を悲しんではいなかった。


 祖父の死以来、死の記述に自然と心が向く。小説の中ではなにがしかの死について書かれることは非常に多い。死はそれ自体が物語を孕んでいるから、話になりやすいというのは当然として、葬儀という、あの、表向きはともかく、だらだらとした空間の中では、ものを考えることが多いからというのも理由の一つにあると思う。自分が死んだ時家族はどんな顔をするか? 友達の誰々が死んだ時、自分はどんな感情を抱くか? 誰も死なない世の中になったら、悲しみや喜びはどこへ行くか? 埒もないことにのんべんだらりと頭を巡らせながら、親戚一同の中で少しの酒に饒舌になりやかましくなった父親を宥めたり、祖父の思い出話の取っかかりを探したり。それらは死者を悼む心からどんどん離れていいくように思える。やがて自分達もああなる、と心の底では脅えている。気が付いていない振りをするというより、当然のことすぎて意識に昇らせるのも馬鹿らしいと、誰も表向きには口に出さない。しかし数年前の祖母の時よりも全員確実に歳を取り、死に近づいていた。


 読者よ、あなた方も人生のある時期に、さながらそれまで見なれていたあらゆるものが突然まだ知らなかった別の顔を示したかのように、ものの見方がまったく変ってくることにふと気づいたことがあるだろう。その種の精神的変化が、この旅のあいだにはじめてわたしの内部に生じたので、わたしはこのときを少年時代のはじまりと見なしているのだ。

 幼年時代なら甘美な思い出だけでも描ける。甘美な思い出のある者ならば。また、甘美に見えるように工夫した物語を創れるものならば。
 少年時代には幼年時代には思わなかった/思えなかったことを思うようになる。幼年時代の自分を鑑みるに、奇妙な気遣いはあるものの、その発想はやはり幼稚なものだった。「忍者になるには家出をしなければならない。しかしその時、この汽車のおもちゃはやはり置いていかなければならないんだろうか。修行の邪魔になるだけだろうが、でもこれを失うのはとてもつらい」などという類。これがもう少し経つと「現代の日本で忍者が修行出来るところは少ない。うちには庭がないので麻(成長が速いので、毎日跳躍の修行に使う植物)を植えることは出来ない。第一、今の時代忍者になってどうしようというのだろう」と変わる。「何故あの時さっさと忍者になってしまわなかったのだろう」という後悔に襲われたことはまだない。多分これからもない。
 共感出来る部分も多いが、「『僕が大人になったら』二階の自分の部屋に戻ってから、わたしはひとりで思案した。『ペトロフスコエ村は僕のものになるし、ワシーリイもマーシャも僕の農奴になる~」などという文章に出くわすとはっとする。自分が領主になった時、現在恋愛に悩む二人の召使に金と自由を与え結婚を許してやることを空想することが出来る人は限られている。こんなことは「幼年時代」でもあったはずだろうが、意識はしなかった。じっと、自分の思い出に浸るだけで精一杯だった。一冊の本に詰め込むことが出来るほど、思い出というやつは少なくはない。だが事実をありのまま長ったらしく書けばいいというものではない。「自伝的小説」としてトルストイは優れたものを残した。

トルストイ「少年時代」原卓也 訳(新潮文庫 この本は現在お取り扱いできません)
同岩波文庫版 藤沼貴 訳





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Last updated  2002/12/26 03:21:22 AM
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