こ い こ う じ

月夜の約束

月夜の約束





「もうじき満月か…」

お祖母さまの服喪期間が明けて、半月。
喪が明けてからは、毎日のように瑠璃さんに求婚の歌を贈ってきたのだけれど
もともと歌を詠むのが苦手なぼくは、頭を悩ませている訳で…
すっかり煮詰まってしまった頭を気分転換させる為
簀子縁まで降りて、夜の庭を眺めていた。

秋独特のひんやりと澄んだ空気に包まれて
今夜の小望月は、その姿を一層輝かせているように見える。

白梅院の庭に咲く白桔梗の花が、冴え渡った月の姿を背負い
凛とした美しい姿を浮かび上がらせていた。


そんな幻想的な風景に…
ぼくはあの時の約束と、恋しい人の笑顔を思い出していた。





―6年前―

吉野から帰ってきたばかりの小さな瑠璃さんは、毎日のように泣いていた。

母上とお祖母さま、そして仲良くしていた子が立て続けに亡くなり
突然、今まで住んでいた吉野を離れて
全く環境の違う京で暮らさなくてはいけなくなったのだ。
まだ幼い少女なら、当たり前のことだったのかもしれないけれど…。

階に座って泣いてばかりいる瑠璃さんを見ていると
ぼくも、なんだか悲しくなってしまい…
なんとかして瑠璃さんの笑顔を見たいと思うようになっていた。

どうしたら元気付けてあげれるのかは、解らなかったのだけれども
ある日、ぼくは泣いている瑠璃さんに声を掛けた。

「ねぇ。君は融の姉さまなんだよね? ぼくたちと一緒に遊ぼうよ」

「……グスン…ヒック…」

「…ねっ」

「……ヒック…あんた、融の友達でしょ?どうして…」

「…だって…すごく悲しそうにしているから…元気出して欲しいと思って…」

今から思えば、もっと気の効いた事は言えなかったのか…と思うけれど
この時はどうにかして瑠璃さんを元気づけようと、自分なりに必死だった。

「…どうして…あんたが…泣いてるのよ」

「えっ!?」

瑠璃さんにそう言われて、ぼくは知らないうちに自分が涙をこぼしていた事を知る。

「あれ?…なんでだろ?」

答えは解っていたけど…なんだか恥ずかしくなって、咄嗟にそう答えていた。

「…くすっ。あんた、変な子ね」

『変な子ね』って言われてしまったけれど
泣いてばかりいた瑠璃さんが、笑ってくれた事がすごく嬉しくて…
もっともっと笑って欲しいと思ったぼくは
毎日のように三条邸に行っては、瑠璃さんと一緒に遊ぶようになった。

あんなに泣いてばかりで、大人しそうに見えた瑠璃さんは
元気いっぱいに笑いながら、邸内を飛んだり跳ねたりして暴れ回る
とんでもないお転婆姫だったけれど
ぼくにはそれが、かえって嬉しかった。

そしてぼくは、この時から…瑠璃さんの
天真爛漫に笑う屈託のない笑顔と
人の目を真っ直ぐに見詰める意思の強い大きな焦香色の瞳に
今でもずっと惹かれている。

幼いぼくが、これが『初恋』というものだと自覚したのは、それからもう少し月日が経った秋の日の事だった。




その日は、三条邸で融と一緒に蹴鞠をして遊んでいたのだけれど
融の蹴った鞠が、庭に入り込んでしまって見つからず
二人で夢中になって探していたら、帰るのがすっかり遅くなってしまった。

辺りが薄暗くなった中を、急いで車宿まで向かって渡殿を歩いている途中
東の対屋の階に座っている瑠璃さんの姿を見つけた。

「おーい、るーり……」

渡殿から手を振って、瑠璃さんの名前を呼ぼうとしたのだけれど…
瑠璃さんが、薄暗くなった空を見上げながら
しくしくと泣いているのを目にしてしまい…ぼくは声を掛けるのを止めてしまった。

(昼間は笑いながら、ぼくたちが蹴鞠をする姿を見ていたのに…)

そう言えば…その後、新しく三条邸に来たって女房が
瑠璃さんを無理矢理…部屋に連れて帰ったんだったっけ…?
でも、そんな事で…瑠璃さんが、今までずっと泣いていたとも思えないし…。

なんだか…瑠璃さんの悲しそうに泣いている姿が、頭から離れない。
今日だけじゃなく、昨日も一昨日も…もしかしたらずっと前から…夜になると泣いていたのかな?
瑠璃さんの事が気にかかったまま、ぼくは三条邸を後にした。



白梅院に帰って来るなり、夕餉も食べずに部屋に籠もってしまったぼくの様子を心配したのか
乳母の按察使が声をかけてきた。

「若君、夕餉を召しあがり……? どうかなされたのですか!?」

ぼくが部屋で泣いていたのを見て、按察使は驚いたように声をあげた。

「ばあや…今日、瑠璃さんが…グス…瑠璃さんが…」

「瑠璃姫さまと喧嘩なされたから、泣いておられるのですか?」

按察使は膝を屈めて、ぼくと同じ目線になって優しく尋ねる。
ぼくは泣きながら首を横に振り、これまでの経緯を按察使に話した。
普段は勉強の事で口うるさい位の乳母なのだけれど…
今日は、ぼくの話を相槌を打ちながら静かに聞いてくれていた。

「ふふふっ。やはり若君は、瑠璃姫さまの事がお好きなのですね。
 それならここで泣いていないで、今からでも瑠璃姫さまに…自分の気持ちをお伝えしてきたらいかがですか?」

「ぼくの気持ち?」

「そうです。若君が思っていることを、そのままお伝えすればいいのです。
そうすれば瑠璃姫さまも、きっと…もう泣く事はなくなりますよ」

「…うん。ぼく、瑠璃さんのところへ行ってくるっ!」

「ふふっ。それでは、急いで車の用意をいたしますね」

按察使はそう言ってにっこりと微笑むと
車の用意を言いつけに、部屋を出て行った。


その後、車宿で牛車に乗り込もうとしたぼくのところに

「若君、こちらは車の中でお召し上がりください。あと、こちらを瑠璃姫さまに…」

と言いながら、息を切らした按察使がやってきて
竹の皮で包まれた頓食と一緒に庭に咲いていたのを急いで束ねてきたのだろうか?
白桔梗の花束をぼくに手渡してくれた。

「これ…いいの?ばあやが父上に怒られるんじゃない?」

確か…この桔梗、何年か前に父上が庭に植えて大切に育てていたものじゃなかったっけ?

「若君の気持ちを、瑠璃姫さまのところにお届けするお力添えが出来るのであれば
殿に叱られることくらいお安い御用ですよ。頑張って、いってらっしゃいませっ!」

按察使は悪戯っぽく笑いながら、車に乗り込んだぼくを見送ってくれた。



時刻は戌の刻くらいになったのだろうか。
ぼくが三条邸に着いた頃には、綺麗な満月が姿を現していた。
普段と違う真っ暗な三条邸に、少し戸惑ってしまったけれど
桔梗の花束をぎゅっと握り締め

(ぼくの思っていることを、瑠璃さんにそのまま伝えなきゃ!)

意を決して、ぼくは庭の中を東の対屋まで走っていった。
階には、あれからずっとそこにいたのだろうか…
瑠璃さんが座っている姿が、月の明かりに照らされていた。

「…瑠璃さん…」

「だっ、誰よっ…て…高彬ぁ!? どうしたのよ、こんな時間に!ひとりなの?」

階に座っていた瑠璃さんが、立ち上がってぼくのところまでやって来た。

「…ずっと、泣いてたの?」

「……うん…。新しくうちに来た女房が、瑠璃は変だっていうの。早く京風になれって…。
お祖母さまは、そんなことおっしゃらなかったのに…。もういやだ…吉野に帰りたいよ…」

と言って、また泣き始めた。

「瑠璃さんが遠くに行っちゃうなんて、ぼくは絶対いやだよ。…吉野に帰りたいだなんて言わないでよ!」

思わず口から出たぼくの言葉に反応するかのように、瑠璃さんが顔を上げる。

按察使の託してくれた桔梗の花束には、不思議な力が宿っていたのだろうか?
ぼくの想いが、堰を切ったかのように溢れだしていく。

「もう泣かないでよ、瑠璃さん。寂しくないよ、ぼくがそばにいるよ。ぼくがずっと一緒にいてあげるから」

「ほんと?」

「ほんとだよ!だから泣かないで、瑠璃さん」

ぼくは、花束を瑠璃さんに差し出した。

「……」

花束まで伸びた瑠璃さんの手が、躊躇するかのように止まった。
そして、ぼくの目を真っ直ぐに見詰めて問いかけた。

「高彬は…流行病で死んじゃったりしない?」

「うん、しないよ。そんなこと、あるわけないよ!」

ぼくは瑠璃さんに吉野に帰って欲しくなくて、必死だった。

「ほんとね、ほんとにお約束よ。ずっと一緒ね、瑠璃を残して死んだりしないでね」

「うん、約束するよ」

ぼくの手を包み込むようにして、瑠璃さんが花束を受け取る。
瑠璃さんの手の温もりに、ぼくは思わずドキドキしてしまう。

「これ、約束の記念のお品なの?」

「…う、うん…。」

「とっても綺麗ね。ありがとう、高彬!」

瑠璃さんはこう言いながら、心底嬉しそうな笑顔をぼくに向けてくれた。
ぼくの中では今でも…この時の小さな瑠璃さんの笑顔が目に焼きついている。




月の光に包まれた瑠璃さんの笑顔は、それまでに見た中で一番可愛いなって思ったんだっけ……!

不意に歌が閃いて、ぼくは慌てて文台に向かう。



      【小望月 清く照りたる きちかう(桔梗)に 君が笑まひし 面影に見ゆ】

  『小望月の澄んだ月の光に照らされた桔梗の花を見て、

               (交わした約束と)恋しいあなたの笑顔を思い浮かべました』



…高度なテクニックも裏の意味もないし
まだまだ瑠璃さんにOKを貰える様な歌ではないかもしれないけれど…。


『若君が思っていることを、そのままお伝えすればいいのです。

そうすれば瑠璃姫さまも、きっと…』


あの時の按察使の言葉が、不意にぼくの脳裏に蘇る。


瑠璃さんは、あの日の事…覚えてくれているのだろうか?
面影ではなく、リアルな瑠璃さんの笑顔が見たい…。
今すぐにでも…瑠璃さんに会いたい…。

この恋歌に願いを託し、白桔梗の花に結わえて恋しい人のところへと贈る。


素直な気持ちをそのままに、瑠璃さんに伝わりますように…。
ぼくの想いをそのままに、瑠璃さんまで届きますように…。

『この桔梗の花のようにずっと変わらぬ優しい愛で、あなたの傍に寄り添える日を夢に見ていますよ』と…。


(この続きは「月夜の誓い」にて)



tukiyono-yakusoku




◇あとがき◇

『その昔、ヨーロッパでは男性がプロポーズをする時に野の花を束ね花束(ブーケ)にして贈り、
  愛する女性に結婚を申し込んだといいます。』
 ↑この『ブーケの由来』を是非!白桔梗のブーケで高彬にやってもらいたかったのですが…
『プロポーズ』→『例の約束』→『子供の頃の話』と言う事になってしまいました。
 らぶらぶどころか、気がつけば瑠璃さん登場してなかったりして…ご、ごめんなさい(汗) 

 いろいろなところで、お詫び満載の作品に仕上がってしまいました(滝汗)
 創作とはいえ、子供の頃のエピソードを原作とちょっと変えてしまったところと
 守弥の母上である按察使をこんなキャラにしてしまったこと
 (大江の母でもあるので、アリかなって思ったのですが…)
 あと、適当すぎる何のヒネりもない和歌(ごめんなさい、これで精一杯でした…)と
相変わらず長い後書き(苦笑)を皆サマに受け入れていただけるのか?
 …とかなり心配しておりますが、如何だったでしょうか?(滝汗)

イメージソングは、KATSUMIさんの『瞳を閉じて』(今回は、イメージして書いたというよりは後から降りて来たって感じですが…)
↓こちらから曲を聴くことが出来ます。もしよろしければどうぞv(別窓になります)
瞳を閉じて by KATSUMI


 ― 黒駒 ―

2009.10.06 脱 稿
2009.11.15 一部改正


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