こまた☆たまこのジュネーヴ通信

たまおさんの想い/たまこさんの出来ること


平均よりもかなり長い恋愛適齢期を過ごしたわたしが、どういうわけだかスイスに移り住むことになった。

20歳台でバブル経済の終焉を経験し、30歳台になった時には、もはや右肩上がりの明るい未来予想図は描けないことを知った。

わたしは、一体どのような人生を送りたいのか?本当の望みは何なのか?
自問自答する毎日の中で、「自分が本当に望む人生」を手に入れるためにはどうしたら良いのか漠然と考えるようになっていった。



例えば、有名大学出身であることや、誰もが知っているような会社に勤務したり、社会的に評価の高い職業に就いたり、ファッションセンスやユーモアのセンスを磨いたり、CDのアイシャドー効果による魅惑的な目元で見詰めたり、ウエストを一センチ縮めたりすることが、魅力的な男性に選ばれる手段だと信じていた時代もあった。(笑)

20歳台は、とにかく自分を認めてもらいたいがために、つまらぬ見栄を張ったり、人と比較して勝手に落ち込んだり、間違った方向に突っ走ったりして周囲をハラハラさせたりしたことも多かったように思う。


それというのも、確固とした自分の価値観というものを持っていなかったから、常に何らかの価値観に振り回されていたせいだ。

また、自信の無さから、無意味に人を傷付けたりもしたし、自分自身も無防備に傷付いたりした。

この頃、細木数子の六星占術をむさぼるように読み返しては、既に破綻している恋愛関係そのものを直視せずに、上手くいかない現実のみを嘆いていた日々だったように思う。

あのころ、わたしは確かに辛かったのだ。でも、若さとは本当に何事にも変えがたいものであった事も事実だ。何しろ今とは回復力が格段に違う。

あの時代に恋愛に対して免疫力を付けたおかげで30歳台になってからのわたしは、恋愛関係にグッと余裕が持てるようになった。


その理由は、「わたしの男を見る目が養われたから」だとずーっと思っていたが、たまおさんと出会ってから、どうやらそうではないらしいことに気付いた。

わたしがたまおさんとのリレーションシップ(恋愛関係)を順調に育むことが出来た本当の理由は、 「相手選びが正しかったから」 だ。

それまでのわたしの恋愛は、 「相手選びが間違っていた」 ことにようやく気付いたという訳だ。



誰もが現在のご主人と出会った時に「運命の人」だと感じたというような言い方をしたりするが、たまおさんはわたしにとって 「好みが直感的に分かる人」 だった。

つまり、あれこれ考えたり、あらゆる手練手管を駆使しなくても(笑)、わたしは彼を喜ばせる手段を既に知っている人だったのだ。これには驚きだった。

わたしのとる行動は、ことごとく彼のハートにジャスト・ミートしたし、彼の自然な振る舞いもわたしの気に入った。あなたが彼に愛されたければ、「彼の好みを一番知り尽くしている人」に成れば良い。

そして、わたしのこれまでの恋愛が上手くいかなかった本当の理由は、わたしの努力や思いやりが足りないからでも、ウエストが2センチ増えたからでもなくて、 「相手が間違っていた」 からだと気付いた。


それからのわたしは、「相手の好みに無理に自分を合わせること」を止めた。また、たまおさんに向かって「NO」と云うこともためらわなかった。ようやく自分の存在そのものを自分自身で認めることが出来たのだ。

互いに「正しい相手同士」であれば、この関係は簡単に終わったりすることはない。全ては正しい方向に導かれるはずだから、(いつものように)意地を張ったりすることをせずに、大切に関係を育てていけば良い、結果は後から付いてくるものだと思った。

たまおさんの相手選びが正解だったのかは多少疑問の残るところですが、どうやら今までのところ正しい選択だったようです。(笑)



そんな縁あって一緒に暮らし始めて二ヶ月になろうとしているわたし達であるが、二人で暮らすようになってから現在の問題や将来の展望などを話すにつれ、わたしの考えは少しばかりズレがあるような気がしてきた。

これまでのわたしは、ガンガン仕事をして経済的に貢献したり、苦手な家事を頑張り部屋を快適な状態に保ったり、彼の友人達から「素敵な奥さん/パートナー」という評判を勝ち取ったり(笑)することが、二人の良い関係を維持するための秘訣だと考えていた。

ところが、最近そうでも無いらしいということが解り始めてきた。どうやら 「たまこさんが幸せであること」 が、たまおさんの真なる願いであるらしいのだ。


今後、わたしが仕事を再開するにしても、しばらくフランス語習得に専念するにしても、「わたしがハッピーであること」が彼にとっての最重要課題なのだ。

幸せなわたしと一緒にいることは、つまり、彼にとっても満ち足りた関係の継続を意味するからだ。たまこさんの『ご機嫌』は、そのまま二人の関係に多大な影響を与えることを身をもって体験した、たまおさんの『生活の知恵』とも云える。(笑)

「あらまっ!そんなことで宜しいんですの?」っとは思ってみたものの、実は幸せな状態で居続けることは、それ程簡単な事ではない。パートナーの幸せを願うこと、それは健全な二人の関係を築くことでもある。



そして、たまこさんフト考えた。わたしの出来ること・・・それは、「あまり早死せんとこ」です。スイマセン、あまりに基本的欲求過ぎて・・・・・汗。いやぁ~冗談抜きで、可能な限り生き続け寄り添うことは、わたしに唯一出来る、愛情に関する責任の取り方なのです。


随分前に流行ったテレビドラマシリーズ「101回目のプロポーズ」は、武田鉄矢扮する99回お見合い連敗記録更新中のイケてない中年男性が、浅野温子扮する若い美人チェリストと100回目にお見合いをすることから始まる純愛ストーリーです。

幾度の失恋にもめげず、死んだ元婚約者を忘れられずにいる彼女にアプローチし続け、101回目のプロポーズになんとダンプカーの前に飛び出し、鼻水ジュルジュルさせながら「僕は死にましぇ~ん」っと云ったシーンは記憶に新しいですが・・・・スイマセン、古い話で(1991年フジテレビ系放映)

あのシーンを見て、「うっげぇ~、くさすぎ・・・でも、なんか、ちょっと感動した・・・・」っと思ってしまった女性たちは、「死なないこと」が基本的な愛情責任だということを無意識に知っていたのかもしれません。


この世に死なない人などいません。お金持ちでも貧乏人でも美男でも醜男でも短足でも、誰にでも平等に与えられているのが「生の限界=死」です。

わたしは、これまでに「自殺」を考えたことが無いようなお気楽人間ですが、たまおさんと知り合ってからというもの、いずれ訪れる死というものがとても怖く思うようになりました。

夕食後、お腹をさすりながら、「アイ・アム・フル♪」と言っているたまおさんの幸せそうな顔を見るに付け、わたしがもしも明日いきなりあの世に行ってしまったら、彼はどうやって生きていけるのだろうと想像しただけで泣けてくるのです。

あぁ~、でもこれ、もしかしたら更年期障害の始まりかもしれません。急に涙もろくなるっていいますからぁ~。(汗)


・・・・・っと、何はともあれぇ、(トッホッホ・・・・)

二人で生きる意味を考えてみると、そこには「自分が本当に望む人生」を真剣に考えていた当時の想いが確実に反映されていることに気付くのです。悩んだ日々は、決して無駄ではなかった・・・笑。

今晩あたり、たまおさんにマッサージ♪でもしてやろうかねぇ~???(ふっふっふ・・・・)


記)2005年2月10日





© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: