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このブログは開設から7671日(開設日:2003/06/19)だと今気付いた。もう、21年も続けているって自分でもビックリ。最初は「マイペース50代」だったけど、今では70代半ばになってしまった。月日の経つのは本当に早いものだ。日記記入率も44.6%で、これも自分では大したものだと思う(自画自賛)。間違いなくボケ防止には役立っていると思うので、これからもマイペースで続けることにします。
2024年06月19日
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昨夜、自分の「よく読まれている記事」に次のブログを見つけた。2019年06月14日 札幌学院大学コミュニティカレッジ「愛国心と道徳教育を考える」 2019年06月14日この時の講座名は「愛国心と道徳教育を考える」だったのだが、内容についてはほとんど忘れていた。😢でもブログに書いてあり、かつそれを一昨日読んで下さった方のおかげで思い出すことができた。読んで下さった方、ありがとうございます。さて、そこに安岡先生のレジメからの転載がある。【愛国者】 少数の利益の方が、全体の利益よりも大事なように思える人間。政治家にバカみたいにだまされ、征服者には手もなく利用される人間。【愛国心】自分の名声を輝かせようとする野心家なら誰でもたいまつを近づけるとすぐに火がつくがらくた。ジョンソン博士(イギリスの文豪、1755年に英語辞典を完成。1709~1789)の著名な辞典によると、愛国心は悪漢の最後の拠り所と定義されている。教養深い、しかしながら二流どころのこの辞書編纂者に対して、まことにはばかりながら、小生は最後の拠り所とし愚考することを許されたい。アメリカの大統領選挙の様子や、日本の政治家たちの裏金問題、ロシアやイスラエルのあの顔この顔が浮かぶ。そのような似非愛国者たちに煽られる庶民が沢山いるから、今の状態がある。エスノセントリズム(自己の文化に最大の価値をおき、どこよりも優れているとする考え方)も、悲しいかな忘れてしまっていた。これも似非愛国心とセットですね。どうとしてこのような人たちが増加しているのか。それも聞いたような気がするが、私の脳細胞は短期記憶が長期記憶にならない性質のようです。ブログを書いていて良かったと思うのはこんな時です。
2024年01月24日
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久しぶりに小山内さんのブログを読んで、ああ、今もお元気だとホッとした。彼女は私と同世代。彼女を知ったのは、多分47年前。つまり、いちご会がスタートした年だと思う。あの時代に、重度の障碍を持つ女性が、施設を出て地域で自立しようとするなんて、周囲からはきっと奇異の目で見られただろうし、わがままとも思われたであろう。私は障害幼児に関わる仕事をしていたので、他者に依存せず自分の意志で生きたいの思いには共感したが、さて、この勇気とチャレンジが挫折したらどうなるのだろうと危惧もした。しかし彼女の意志の強さと志は正真正銘の本物だった。その後の彼女の生きざまには、私は変わらず尊敬し続けている。とはいえども、私は彼女の隠れ応援団であるが、彼女にとって私はその他大勢だし、彼女を具体的に支援したこともないはずだ。時々、自分のブログや話の中で、小山内さんのことを話したりする程度なのだけど、応援しているつもりの私が、いつも励まされたり活を入れられたりしている。 このブログにも活を入れられた。彼女にとってもだけど、同世代の私達にとっても「生きるためにはダイエット」なのだ。食べたものが無駄なく蓄積する性質の私にとって、多少の努力なしでは現状維持すらままならない。私は誰かの応援団でいたいと思っているのだが、それも健康があってこその部分も多い。もちろん、小山内さんを見ていると、たとえ誰かに介助されるようになってもできることはあるし、ましてや人を応援することはブクブク太ってもできるとわかってはいるけれど、自分の怠惰によって人の世話になるようなことにはなりたくない。高齢化によって次第にそれは避けられないとしても、努力で健康をキープできるならしなくちゃと、小山内さんのブログで自分に活を入れる朝でした。生きるためにはダイエット!心臓がグキっと痛い 2024年1月1日は穏やかな日であった。ヘルパーの大浦さんと、テレビを観てゆったりと過ごしていた。地方に居る友達に、電話をかけてどうでもいいことを語り合っていた。「ところで美智子さん、今年はいちご会なにをするの?」と訊かれ、私の心臓はグキっと鳴った手足が緊張し、今この内容を話したくない。と思っていた。 本当は、だいぶ前から頭の中で何をしたらいいか、考えていた。いちご会47年目である。あと3年は生きているから、50周年には何かやらなくてはいけないだろうか。と心臓がまたグキっと痛む。 これから、障がい者問題は施設解体とインクルーシブ教育である。2つの目標はもっともな事だが、実現に向けてどのようにしたらいいのか、考えるとまた心臓が痛む、大きな大きな課題である。ペットボトル水の光で 1月1日目から夕方まで、穏やかであったがテレビを観ると石川県周辺が震度7.6の地震があった。東日本大震災のことを思い出した。私は、5年前の北海道で起きた地震の際3日間マンションの中に閉じこもり、電気の無い生活をしていた。電気が付かないのでラジオと電気が一緒になったものがあり、それを付けペットボトルに水を入れ、その水を電気の前に置くと、茶の間は明るくなる。 ヘルパーさん達は、1階のある場所にカギを置き階段で上り下りしてケアに来て下さった。夜になると、不安であったが必ずヘルパーさんが来て下さったので心強かった。生き残るためにはダイエット! 1月2日夕方に日本航空と海保の飛行機が衝突して飛行機に火が付いた。日本航空の機内には379人が乗っていた、その人たちはキャビンアテンダントの誘導で90秒で全員飛行機から降りられたという。 元パイロットは「奇跡だ!」と言っていた。歩けない私が居たとしたら90秒は伸びてしまうのではないか、降りることを諦めてしまうのではないか。と考えてしまった。ヘルパーの大浦さんは私を担いで降りると言って下さったが、だったらもっとダイエットしなければいけないのではないか。と考えてしまった。 本当に恐ろしい事である。テレビの画面いっぱいに飛行機が燃えていく光景は映画のようであった。これが嘘であったら良いのだが。と私は強く思ってしまった。今日は1月3日何も起きないで欲しいと、このnoteを書きながら願っている。人間は弱いものだ 私は、障がいが重くなってきてトイレが近くなってきたので、あまり遠出は避けている。でも、やはり飛行機に乗って講演会などに行きたい!先日DPIでイタリアとスウェーデンの障がい者達が日本に来て「日本も早く施設を解体して下さい!」と言っていた。施設がまだたくさんあることは、私達にとって恥ずかしいことかもしれない。 私の生きている限りこの問題について解決していくためには、何が効果的なのか考えている。生きている時には間に合わないかもしれない。幽霊になっても厚労省の前に座り込んで、叫ぼうか!施設があることは恥ずかしいことです。健康な人達に施設に入って過ごしてみて下さい。と言わなければいけないのか。そこまで覚悟しないとならないと思っている。 でも、今は私の家には24時間ヘルパーが来て下さるようになった自分の生活は安心できるようになった。困った時のように腹が立たなくなってきている。これは困った障がいだ!自分だけは安心して生きられるようになったら叫ぶ声が小さくなってしまう。あぁ~困った困った!人間は弱いものだ、この課題を一生抱えて生きて行かなければいけない。がんばるぞ~!!
2024年01月13日
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今見たら、今まででは経験のないアクセス数!どうなっているんでしょう。少し不安になってしまった。
2023年11月27日
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このブログを書き始めてから、20年が経っている。あらためて確認して、ビックリである。こんなに長く続くとは…。開設日は2003年6月19日。3646件書いて 44.5%の記入率だから大したものだ(自画自賛)。さて、当時は50代だった私も今は70代で高齢者の仲間入り。書き始めた頃のブログを見ると、結構活動的だったなと思う。40代で仕事を辞めて慶應の通信課程での学び始め、その頃は日々がテキストを読みレポート提出→科目試験、夏はスクーリングの傍ら主に町内会や関連する女性団体や児童委員活動でいつも予定が詰まっていた。仕事をしている頃よりは時間的なゆとりはあったと思うが、私の意識では報酬を得ない仕事をしている感じだったので、常に緊張感はあったと思う。そういえば、その頃からブックスタートや不登校関係のボランティア活動もしていたな。20年後の今、それらの活動もほぼ卒業し、現在はそれらの後方支援活動、息子たちのブドウ畑やワイナリーの手伝いといった日々である。その間に、父をはじめとして親戚の叔父叔母を何人も見送ってきた。今日もその一人のご法事にこれから出かけるのだが、一歩一歩それがわが身に近づいていることを感じる。幸いにして夫はまだ健康で元気だが、82歳という年齢を考えるといつどうなるかわからない。さてこのブログ、あと何年続くことでしょうか。ブログを書いてよくわかったのは、私はこのような作業が好きだということ。あらたなチャレンジをする意欲はないけれど、続ける意欲だけはまだある。ボケない限り、あと5年を目標にしようかな。
2023年07月16日
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時々この方のブログを拝見しているが、この内容にはとても納得した。私は武道にはまったく縁がないが、なるほど…と目から鱗である。内田樹のブログ「被査定マインドについて」 合気道という武道を教えている。稽古を始めて半世紀、教えるようになってから30年経った。数百人の門人を育てて分かったことは、今の日本社会が「非武道的な人間」を量産するための仕組みだということである。 誤解している人が多いが、武道は勝敗強弱巧拙を競うものではない。ふつうの人は武道というのは、競技場にいて、ライバルと対峙し、勝敗を争ったり、技量を査定されるものだと思っている。たしかに、サッカーやボクシングやフィギュアスケートはそうである。でも、武道は本来はそういうものではない。というのは、「査定」されるというのは「後手に回る」ことだからである。「後手に回る」ということは武道的には「遅れる」ということであり、それは勝敗を競う以前に「すでに敗けている」ということである。 武道修業の目標は「場を主宰する」ことである。柳生宗矩の『兵法家伝書』には「座を見る 機を見る」という言い方があるけれど、要するに「いるべき時に、いるべき処にいて、なすべきことをなす」ことである。いつどこにいて何をするのかについて、あらかじめ誰かが「正解」を知っていて、それに沿うように生きるということではない。正解はない。自分にとって最も自然で、最も合理的で、最も必然性のある生き方を過たず生きるということであり、それを決めるのは私である。誰かが「お前の生き方はそれで正しい」と永代保証してくれるということはないし、逆に誰かに「お前の生き方は間違っている」と言われてもおいそれと従うわけにはゆかない。 武道的な生き方というのは、誰かが作問した難問に答えて、その適否について誰かに点数をつけられるということではない。だから、人が「正解」を求めている限り、つまりどこかに「作問者」がいて、その人が「採点」をするという前提に場にある限り、私たちは「後手に回り」続け、永遠に「場を主宰する」ことができない。 しかし、私たちの社会では、人々は決して場を主宰することができないように育てられる。 生まれてからずっと子どもたちは相対的な優劣を競い、査定されることに慣らされている。学校では成績をつけられ、部活では勝敗を競わされ、会社では勤務考課される。ずっとそうやって育ってきた。だから、問題に答えて、採点されて、その点数に基づいて資源の傾斜配分に与るという生き方以外の生き方がこの世にあることを知らない。ほとんどの人は「査定に基づく配分」を地球誕生以来の自然界のルールであるかのように信じ込んでいる。でも、それはごく限られた条件下においてなら役に立つこともあるという「ローカルルール」に過ぎない。 合気道の稽古ではまずこの「被査定マインド」を解除することから始める。これがまことに難しい。発想の根本的な切り替えを要求するからである。 例えば、初心者は技をかける時に、相手の反応をつい気にしてしまう。「僕の技、効いてますか?」と相手に訊ねる心地になってしまう。「5段階評価でいったら何点ぐらいですか?」と相手に気前よく「査定者」の立場を譲り渡して、相手の「採点」を待ってしまう。相手が「試験官」で自分が「受験生」であるという決定的に不利な立場を当然のように自ら進んで採用してしまう。それほどまでに彼らは「査定されること」に慣らされているのである。本当を言えば、「技がかかっているかどうか」なんてどうでもよいのである。 考えてみて欲しい。目の前にドアがあるときに「私の動線を塞いでいる敵がいる」と考える人間がいるだろうか? 壁の向こうにたどりつくためにどういう技を使えばいいか思案する人間がいるだろうか? 私たちはそんなことはしない。ただすたすた歩いてドアノブを回すだけである。 稽古の時もそれと同じである。「僕の技、ちゃんと効いていますか?」と相手の反応を窺う者は「ドアノブの回し方」の巧拙についてドアノブに向かって「今の回し方、何点ですか?」と訊いているようなものである。 要は壁の向こう側に行けばよいのである。庭に出て回り込んでもいいし、壁を破ってもいいし、「壁抜け」の秘術を使ってもよい。好きにすればいい。それが「先手をとる/場を主宰する」ということである。そう説明しても、なかなか分かってもらえない。 誰も君を査定しない。他の門人との相対的な強弱や巧拙を論うものはここにはいない。自分の身体が適切に機能しているかどうか判断できるのは君の身体だけである。訊くなら自分の身体に訊きなさい。 私はそう教えるのだが、そういうことをほとんどの入門者は生まれてから一度も言われたことがないのである。日本社会の病は深いのである。(2022年7月7日)
2023年01月11日
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msk222さんのブログ「なぜこの国はこんなに人を粗末に扱うのだろうか? 」を読み、とても共感・納得したので、私も転載させていただきます。多分、元記事はこれ「山崎雅弘氏×内田樹氏が対談。なぜこの国はこんなに人を粗末に扱うのだろうか?」だと思います。コロナ・パンデミックで日本政府の後手後手の対応に怒りを覚えた人は多いだろう。失政により多数の死亡者を出しても、為政者が責任を取ることもなく、政策の見直しを迫られることもない。コロナに限らず、長時間労働に長引く低賃金、外国人技能実習生への冷酷な仕打ちなど、この国では、人の命があまりにも軽んじられていないか──? そうした思いから、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏が『未完の敗戦』(集英社新書)を上梓。思想家の内田樹氏と対談を行った。(本対談は、2022年7月9日に大阪・隆祥館書店にて行われた『未完の敗戦』刊行イベントの内容を一部抜粋して構成しています)■ここまでおかしな国は他にない!?山崎 日本の組織は、支配層や上層部の利益が全体の利益になると思わせて、都合のいいように人々を従わせていると思います。例えばSNSでも、職場環境や雇用の問題に関心が集まった時、自分は会社に雇われている側の一人なのに、なぜか経営者の目線で思考し語る人が少なくない。支配層の利益に沿うことが自分の利益にもなるんだと思い込まされている感じがするんですね。原発にしても、エネルギー資源の乏しい日本で脱原発は無理などと言われますが、福島第一原発よりさらにひどい最悪の事故が起きれば、国民の生活そのものが成立しなくなる。また、外国からミサイルが飛んできた時、原子炉そのものは衝撃に耐えたとしても、外部電源が破壊されれば原発は爆発するという事実を、我々は福島の事故で学んだはずです。なのに、この国の支配層は原発が攻撃される可能性から目を背け、外国との戦争に備えて敵基地攻撃能力が必要だなどと言う。彼らの言うことを聞いていたら、我々はまた何回でも犠牲になっていくでしょう。内田 自分にとって利益よりも損害の多い政策を支持するという、どう考えても不合理なふるまいをしている人が日本人の過半になっています。大阪はコロナで多数の死者を出しました。行政の不適切な感染症対策のせいで、死ななくてもいい人が死んだ。雇用環境も劣化している。教育に至っては日本最低レベルまで下がった。現に深刻な実害を被っているはずの大阪の市民たちが、にもかかわらず自分たちにリアルな損害を与え続けている当の政治勢力に圧倒的な支持を与えている。このタイプの倒錯が全国的な規模でも起きていると思います。なぜ、このような不条理なことが起きるのか? それは、「自分にとって本当にたいせつなことは何なのか? 自分の心と体が本当に求めているものは何なのか?」を問うてはならないと日本人が子どもの頃からずっと教え込まれているからだと思います。「自分は何をしたいのか?」よりも「自分が何をすればほめてもらえるのか」の方を優先的に考えるように仕込まれている。自分の中から湧き上がる内発的な感情や思念を抑圧して、外部評価で高いスコアをつけられるように感じ、行動することが「正しい生き方だ」と教え込まれている。学校では先生がまず問題を出して、子どもたちが答えを書いて、それに対して先生が採点をして、その評点に基づいて資源の傾斜配分が行われます。それがすべての教育活動で行われている。ですから、子どもたちは「問いに答えてよい点をもらうことが唯一の自己実現の方法だ」と信じている。武道ではそういう構えのことを「後手に回る」と言います。「後手に回る」と必ず敗ける。それは禁忌なんです。ですから、武道ではいかにして「後手に回らないか」を教える。僕が道場で教えているのは、学校で骨身にしみこむまで教わった「査定されて高いスコアを取る」ことをめざすマインドを解除することなんです。相手が問題を出して、自分がそれに答えて、採点されるのを待つというのは、典型的に権力的な関係です。ですから、相手に対していきなり優位に立とうと思う人間は、必ず相手に質問します。どんな質問でも構わない。相手が正解を知らないような問いであれば、何でもいい。「あなた、...を知ってますか?」と切り出して、いきなり「試験官と受験生」の関係に持ち込む。これにうっかり応じた瞬間に、そこには権力的に非対称な関係が出来上がる。だって、何を答えようと、相手が採点者で、自分はその採点を待つだけという非対称的な関係がもう出来上がっているから。どうして「私が出題し、お前が答える。その答を私が採点する」というような圧倒的に不平等な関係を無抵抗に受け入れてしまうのか。そういう関係を子どもの頃から刷り込まれているからですね。「後手に回る」ことに習熟しているから、あっさり「先手を取られて」しまう。出題されて、答えて、採点されて、評点が高ければほめられ、低ければ罰される。それが社会的なフェアネスだと信じ切っている。「後手に回る」というのは「支配される」ということです。日本の学校教育は「支配される」マインドを子どもたちに刷り込んでいる。でも、生きる上で、最も大事なことは、他人に査定されて、点数をつけられることではなく、自分自身の生きる知恵と力を高めてゆくことなんです。言葉にしてみると簡単なことなんですけれども、これが現代日本では常識になっていない。■なぜ日本の組織は「非効率」で「非倫理的」なのか?山崎 本当にその通りだと思います。学校教育がその要因になっているという面もありますが、それはやはり社会の価値観の反映だと思います。外国に行くと、みんな本当にしたたかで、図太く自由に生きているなと感じます。自分の自由や権利が政府や雇用主に侵害されたと感じたら「自分の権利をちゃんと保障しろ」という主張を、誰もがやっている。それは、「わがまま」ではない。人間として、正当な主張なんです。それによって議論が生じることもありますが、それは相手と自分は対等であるという考えに基づくものです。お店に行っても、客と店員、みんな対等です。でも日本では、なぜか上下の序列が作られる。客は自分が店員より偉いと思い込み、店員に横柄な態度を取る。上下関係があると、お互い尊重し合うという関係が生まれない。上の者は下の者をないがしろにしても許されると思ってしまう。こうした身近なところから少しずつ変えていかないと、人を大事にするという意識改革はできないのかなという気がします。内田 この前、感染症内科が専門の岩田健太郎先生とお話ししたときに、似たような話を伺いました。日本社会においては、どこでも「どっちが上か」ということがまず配慮される、と。岩田先生はエボラ出血熱のとき、シエラレオネで医療チームのメンバーとして参加されたのですが、そこには「国境なき医師団」とかWHOとか、世界中からさまざまな組織が来ていて、その混成チームが指定された場所に集まって、さあ今から治療を始めるというとき、まず問われるのが「おまえは何できるんだ?」ということだそうです。自分は隔離病室を作れる、自分は発電機を操作できる、自分は自動車を直せる、自分は感染症の手順を知っている...、そういう自己申告に従ってジョブ型の集団を作って、治療が始まる。ところが、日本で被災地や感染症の発生現場に行くと、最初に聞かれるのが「おまえは何者だ」ということなんだそうです。まず医師か看護師か薬剤師かという職能を聞かれ、次に出身大学を訊かれ、医局を訊かれ、卒後年数を訊かれる。何のためにそんなことを訊くのかというと、誰に対しては敬語を使い、誰に対してはため口をきき、誰に対しては偉そうにしてよいのか、その上下関係をまず確認するために(笑)。岩田先生が、コロナウイルスによるクラスター感染が発生した「ダイヤモンド・プリンセス号」に入ったときも、誰も「あなたは何ができるのか」を問わなかった。何よりも優先されたのは「ここでは誰が一番偉いのか」ということで、それは橋本岳という当時の厚生労働副大臣だった。でも、この人は政治家ですから、感染症のことは何も知らない。でも、その人が感染爆発の現場で決定権を握っている。感染症の専門家として岩田先生は「これじゃ駄目。やり方が間違っているから、やり直しなさい」と当然アドバイスするわけです。でも、日本ではこのふるまいは「専門家が非専門家に指示を出す」ふるまいではなく、「下の人間が上の人間に指示を出す」ふるまいと解釈される。これは日本では絶対の禁忌ですから、ただちに「出て行け」と言われる。感染症の現場なんですから、感染症の専門家の指示が最優先的に聞かれるべきであることは明らかですけれども、日本の場合は「上位者の指示に従えないやつは出て行け」ということになる。これが日本の組織を徹底的に非効率で非倫理的なものにしていると思います。■結果よりも「頑張っている」という印象が大事山崎 そうですね。日本の組織では序列の上下のほかに、精神論も重視されます。先の戦時中の日本軍がまさにそうで、戦争初期のうちは、軍事的な合理性もある程度考慮して戦っていましたが、1942年6月にミッドウェー海戦が起き、日本海軍は主力空母4隻を失って、アメリカに勝てる望みを事実上失った。そして、同年の後半以降、どんどん戦況が悪化していきました。そうした中で日本軍は、どうやってアメリカに勝つかということよりも、「いかに頑張っている姿勢を示すか」という精神論に判断基準がシフトしてった。その考え方が行き着いた究極の姿が「特攻」です。もう戦争でアメリカに勝てないとわかった時から、勝つために頑張って命まで捧げる姿勢をアピールすることが目的化した。なぜそのような思考法が出てきたかというと、人の命を大事だと思わない精神文化に思考を支配されていたからだと思います。日本の場合、天皇という特別な存在があるので、国民の命の価値も、天皇と比べてどうかという話になってしまう。そのバランスが極端におかしくなったのが昭和の大日本帝国時代です。当時、国民は「臣民」と呼ばれていました。つまり「天皇のために尽くして奉仕するための存在」だと。天皇のために何をするかという基準でしか存在価値が評価されない。そういうエキセントリックな思考になってしまった。明治時代や大正時代は、まだそこまで極端ではなかったんです。特に大正時代は、軍人であっても自分の権利は認められるはずだという認識はあった。それが昭和に入って全くなくなり、本当に人の命が使い捨てのように扱われた。恐ろしいのは、悪意があってそんな精神文化になったというよりも、当時の価値観の中で、みんなお国のために役立つ、いいことをしているつもりだった。おかしいと思っていた人もいたはずですが、それを口に出しては言えない。言うと、「おまえは国や社会よりも自分のほうが大事なのか!」と罵られてしまうので、それが怖いから言えなかった。その同調圧力が極端に高かったのが昭和の大日本帝国時代で、敗戦を経て、それが無くなったと思っていました。でも、気がつくとこの10年ぐらいでそれが社会に戻ってきた感じがします。内田 どうして日本人がこんなふうなゆがんだ人権意識を持つようになったのか、それについてはやはり歴史的経緯を見てゆく必要があると思います。幕末から明治初年にかけて、それまで存在した幕藩体制が解体されて、300の藩がなくなり、建前上は「一人の天皇が全国民を統治する」というかたちになりましたね。この「一君万民」という思想はそれまで300人の殿様がいて、武士や役人たちに人間扱いされてこなかった民衆にとっては衝撃的なものだった。少し前まで「殿様」として雲の上にいた藩主も、威張り散らしていた武士も、百姓と同格の「万民」の一人だとされたわけですから。「一君万民」の思想というのは、幕末から明治初年にかけての時期においては、それなりにデモクラティックな思想だったわけです。天皇をはるか高みに祭り上げることによって、それ以外のすべての日本人が同格のものになる。そういうやり方で幕末まで無権利状態に置かれた人々が、幻想的なしかたではあれ、人権を回復する道筋が示された。世界史を見ればわかるように、民衆の政治的なエネルギーが爆発的に高揚するのは、国家意思と民衆の個別意思が中間的で媒介機構抜きで直接に繋がるという「幻想」が活性化したときです。日本の場合は、天皇が国家意思を人格的に表象しています。ですから、「中間的な媒介物である統治機構を抜かして民衆の個別意思と天皇の国家意思が無媒介に繋がる」という「幻想」がリアリティをもつと日本人は政治的にはげしく高揚する。明治以降、大衆の政治的エネルギーを功利的に利用しようとした人たちが例外なく「天皇と国民個人が統治機構の媒介抜きで直接繋がる政体」という政治的幻想をレバレッジに用いたのはそのせいです。統帥権というのは、帝国の軍隊を統御しているのは政府ではなく、天皇であるという特異なものです。「上御一人」が単身で全軍を支配している。そういう話にまずはしておいて、その上で、帷幄上奏権(いあくじょうそうけん:君主制国家において軍部が軍事に関する事を君主に対して上奏する権利)を持つ陸海軍大臣、参謀総長、軍令部総長、教育総監らが「天皇の国家意思」なるものを代弁して、彼らの集団的な欲望を実現する。「軍部の暴走」なる事態が可能になったのは、天皇が軍のすべてを統帥しているという日本国民の可憐な夢想がそれを支えたからです。「日本軍国主義」と言われますけれど、あれは語の本来の意味での「ミリタリズム」ではありません。「ミリタリズム」というのは「軍事優先」ということですから本来は徹底的に計量的で非情緒的な思考を要求するはずです。でも、日本の「軍国主義」はそういうものではなかった。それは「軍隊にあるものはすべて天皇の所有物であり、兵士たちは全員天皇から直接雇用されている」という妄想のことだった。■人の命が軽んじられるきっかけとなった昭和の事件山崎 以前、『「天皇機関説」事件』という本を書いたのですが、これは昭和の大日本帝国時代、日中戦争が始まる2年前の1935年に起きた事件です。「天皇機関説」というのは、天皇は一応、神の子孫ということにはなっているけれども、少なくとも近代国家としての大日本帝国の中では、憲法を超越する存在ではないよ、と。当時の憲法学者は、あくまで天皇は一つの国家の最高の機関、一機関として、憲法の枠内でのみいろいろな権能を行使できるという憲法解釈をしていたんですね。それが主流でした。ところが、軍人や右翼団体が、「天皇は絶対的に崇高な存在なんだから、国の一つの機関などと言うのは不敬だ」と言って弾圧した。帝国議会まで巻き込む形の大騒動になって、最終的には当時の岡田啓介首相が、「天皇機関説」は認めないという声明(国体明徴声明)を出してしまった。それ以降、本当にたがが外れたかのように、天皇を神格化する政治運動や主張がどんどん高まっていきましたが、それで何が起きたかというと、一般国民の命の価値が下がっていったんです。天皇という存在が天に昇れば昇るほど、一般市民の命の値打ちは下がり、虫とか砂粒とか、そんなものでしかないという形になってしまった。そんな冷酷な認識に至る出発点が、僕はあの事件だったと思うんです。今の日本で、天皇の名前を居丈高に持ち出す人間とはどんな人間かと見れば、例えば「あいちトリエンナーレ」のとき、展示物に乱暴な言いがかりをつけた名古屋市長の河村たかし氏や整形外科医の高須克弥氏などがいます。彼らは、慰安婦問題や南京虐殺などの大日本帝国時代の負の歴史を否認し、当時の日本軍の行いを肯定的に捉えている。つまり大日本帝国時代の精神を今も継承しているわけです。一方で、戦後の民主主義にはほとんど関心を示さない。今の社会にある人権軽視の状況を一つ一つ見ていくと、結局、根っこはあの時代の精神に行き着くのではないかと思います。厳密には、もっと昔の封建時代にも遡りますが、少なくとも今の日本社会における人を粗末にする考え方の直接の出発点は、昭和の大日本帝国時代に形成された世界観だと思います。■天皇制と立憲デモクラシーをいかに両立させるか内田 そういうことが可能になるだけ天皇制には力があるということだと思います。天皇制という太古的な制度と立憲デモクラシーという近代的な制度が並立しているというような奇妙な国は世界で日本しかありません。だから、他国の民主制の成功事例を日本に適用しようとしてもどうしても無理がある。スウェーデンではこうやっている、デンマークではこうやっている、アメリカではこうだ、だから、日本でも...という議論は無理なんです。それらの国々には天皇制がないんですから。天皇制というアクターが政治的幻想のすみずみにまで入り込んでいて、その機能を熟知していないと政治過程を適切にコントロールできないなんていう国は日本にしかない。そうである以上、日本の政治をどうやって統御するかという仕事は僕たち日本人が自分の頭で考えて、自分の手で実行するしかない。誰も僕たちに代わって考えてくれないんですから。僕は上皇陛下や天皇陛下に対しては個人的には非常に親しみを持っています。日本の国家としての道徳的なインテグリティー(誠実さ)を守っているのはこの方たちではないかとも思っています。僕のこの「尊皇」感情はかなり自然発生的なものです。僕のように久しく欧米の哲学思想に親しんできた人間になぜこのような不合理な感情が生まれてくるのか。そこからもう一回掘り下げて考える必要がある。天皇制と立憲デモクラシーを両立させることはもちろん原理的には不可能です。でも、原理的には折り合いのつかないものを、実践的には折り合いをつかせるということはできる。なにしろ僕たちの手持ちの政治資源としてはこれしかないんですから。これをなんとか折り合わせて、権力が適切に制約され、市民の人権が十分に守られる仕組みをどうやって作り上げたらいいのか。誰もあらかじめ正解を知っているわけじゃない。自力で考えるしかない。山崎 そこで重要なのは、自分たちには一人一人に独立した価値があるという事実をみんなが認識することだと思います。学校教育はもちろん、社会全体でそういう認識を持つ必要があります。国や省庁、企業、チームなどの集団に属して、そこに何かで貢献したから自分には価値があるのだ、ということでなく、自分たちはありのままで政府や集団から大事にされるべき存在なんだ、と。それが本物の「民主主義」です。大日本帝国時代の精神を肯定する人間がよく主張するのが、「子どもが自己肯定感を持てる歴史教育の必要性」です。こういう大義名分で、南京虐殺や慰安婦問題を学校で教えることを禁じようとする。でも、これは完全に欺瞞です。何が欺瞞かというと、「おまえはこんな立派な日本という国の一人なんだ」という形で自尊心や自己肯定感を持たせようとしているところ。一見もっともらしいですが、個人としてではなく、日本という国につながる者として自尊心を持たせようとしている。そして、国に奉仕や貢献をしない人間は存在を軽んじて、自尊心や自己肯定感を持てないようにする。この詐術にうっかりだまされてしまうと、行き着く先は昭和の大日本帝国時代のような、国や集団への献身奉仕という美談的な大義名分で人を極限まで粗末にした精神文化です。こうした「情緒的な美談」にだまされないようにしないといけない。なんとなく「仕方ない」と思って我慢している自分の境遇が、実は「人権侵害の不当な扱い」ではないか、自分は「私たちを粗末に扱うな」と、国の支配層にもっと怒ってもいいのではないか、と気付くことが大事だと思います。●山崎雅弘(やまざき・まさひろ)1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。主な著書に、『日本会議 戦前回帰への情念』『「天皇機関説」事件』『歴史戦と思想戦 歴史問題の読み解き方』(以上、集英社新書)、『中国共産党と人民解放軍』『第二次世界大戦秘史 独ソ英仏の知られざる暗闘』(以上、朝日新書)、『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)ほか多数。●内田樹(うちだ・たつる)1950年、東京生れ。神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授、凱風館館長。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞、著作活動全般に対して伊丹十三賞受賞。近著に『レヴィナスの時間論』、『撤退論』、『武道論』など。共著に『新世界秩序と日本の未来 米中の狭間でどう生きるか』(集英社新書)など。
2022年08月23日
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私がこのブログを書き始めたのは、2003年06月19日だった。以来18年半も続くとは、始めた頃には考えもしなかった。日記らしきものは小学生の頃からとぎれとぎれに書いてはいたけれど、それは私の「毒吐き日記」みたいなものであり、自分で読み返すのもイヤな代物。だから、もうほとんど処分してしまった。それに比べたらこの楽天ブログは、その都度のニュースも簡単にコピペできるし、個人的なことを書いていても公開ブログである以上押さえた書き方になり、読み返しても辛くはない。だから今まで続いているのだろう。個人名は書かないようにしているし、個人的に付き合っている人が見る可能性もあるので、多少ぼかして書くことが多い。それでも自分の体験だから、自分では今のところわかるし、読み返したら「ああ、そなこともあった」と蘇る。だから、私の衰えゆく記憶を補完するためにも、とても便利なツールになっている。しかしそれでも、読み返しても誰のことか思い出せないこともある。我ながら情けないけれど、それは忘却してもよいことの証しと思うことにする。一番楽しいのは、やはり家族、特に孫の成長に関わることだ。私は子育て中はとても忙しく過ごしていたので、息子たちの様々な思い出もあまり記憶にない。ふるいアルバムを見て懐かしくは思えるけれど、その時のリアルな思い出や感情が足りない気がする。きっと息子たちはやんちゃだけれどとても可愛くて、その時々に様々な感動や学びを私に与えてくれたはずだ。それが霞のようにぼんやりしているのが、ちょっと申し訳ないし残念に思う。昨日、お餅つきのことを書いていて、以前のブログで確認したこともある。ブログを続けていて本当に良かったと思うので、今年もマイペースで綴っていこう。
2022年01月07日
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なるほどなあと思うので、全文コピー。一年後に検証かねて見直したい。「2021年の予言」『GQ』の先月号に2021年について予測を書いた。その前編。 こういう時は「いいニュースと悪いニュースがあるけれど、どちらから聞きたい?」というのがハリウッド映画の定番ですよね。とりあえす悪い方の予言から。 その1。東京五輪は開催されません。これはもうみんな思っているから「予言」にはなりませんけどね。日本国内でもコロナの感染者は増え続けていますけれど、アメリカは感染者数が2500万人、死者数も40万人を超えました。選手選考もできない状況です。考えてみてください、アメリカの選手団がこない東京五輪を。そんなものをNBCが放映するわけがない。アメリカがモスクワ五輪をボイコットした時もNBCは放映しませんでした。支払い済みの放映権料は保険でカバーできたから、今度もそうなると思います。 五輪中止はもう組織委内部では既決事項だと思います。でも、誰も自分からは言い出せない。言った人間が袋叩きにされることが分かっているから。だから、IOCかあるいはWHOから開催中止要請があったら、それを受けて「外圧に屈してやむを得ず」と唇を噛んで中止を発表する。外圧の「被害者」という設定だから、五輪関係者は誰も責任を取らないで済む。メディアも一緒になって悔し涙にかきくれてみせる。一億総切歯扼腕というわけです。「捲土重来。もう一度東京で五輪を!」キャンペーンの企画書は電通がもう書き上げていると思います。これが予言の第一。 悪い予測その二は天変地異。感染症専門医の岩田健太郎さんと対談したとき、コロナ禍でいちばん怖いのはなんですか? と聞いたら自然災害と重なることだということでした。台風とか地震とか火山の噴火とか天変地異があると被災者は避難所に集められます。狭い空間に大人数が詰め込まれる。衛生状態も悪いし、栄養も足りないし、ストレスもたまる。クラスター発生の条件が揃ってしまう。だから、いちばん怖いのは自然災害だということでした。 自然災害はいつ起きるか予測不能です。僕が怖いのは富士山の噴火です。富士山、年末に冠雪してなかったでしょう? 山頂の地肌が出ていた。地熱が高くて雪が溶けているんだそうです。マグマが溜まっているらしい。 コロナが終息しない段階で大きな自然災害が起こるというのが「最悪のシナリオ」ですけれども、いまの日本政府はそれに備えてリスクヘッジをしているでしょうか? 僕は何もしていないと思いますね。 小松左京のSF小説『日本沈没』がいま読まれているそうですけれど、あの小説の読みどころは日本が沈没するというところじゃなくて、日本が沈没した場合にどうやって日本国民を救い、政体としての継続性を保つかの工夫に官民一体となって知恵を絞るところだったと思います。日本人にはそれができるだけの知力があるということが物語の前提になっていた。いま『日本沈没2021年』を出しても誰も読みませんよ。だって、政治家も役人も学者もみんながどうしていいかわからずにおろおろしているうちになすところなく日本は沈みましたという終わり方しかあり得ないんですから。金持ちと権力者だけは飛行機に乗って逃げ出しましたが、残りの金のない日本人はみな溺死しました、おしまい。そんなつまらない話、誰も読まないですよ。 もう先進国ではコロナワクチンの接種が始まっていますけれど、日本はいつになるかわからない。年内にはなんとかなりそう・・・というようなニュースを見ても、もう誰も驚かないし、誰も怒らない。「先進国最下位」が日本の定位置だということにもうみんな慣れてきてしまったからです。政治家も官僚も先進国最低レベルだということにもう慣れてしまった。 最近の若い人たちは自己肯定感が低いとよく言われますけれど、実は日本人全部がそうなんです。自己評価が信じられないくらいに下がっている。だから怒らない。怒れない。 不出来な内閣がたった8年続いただけでこれだけ国民の自己評価は下がった。ものを創り出すのはたいへんですけれど、壊すのは簡単なんです。日本の国力がV字回復することは当分ないでしょう。というのが悪い予言のその三です。 良い予測をします。その1は、学校教育でオンラインと対面がハイブリッドで併用されるようになるという予測です。朝起きて、「あ、寝坊して学校に間に合わないや」という時とか、なんか熱っぽくて学校に行く気力はないけれど、授業を聴くくらいはできるという場合には、ベッドに寝たままで携帯やiPadで聴講する。先生も朝起きて寝不足でつらいとか風邪気味とかいうときは「今日は体調が悪いのでうちからやらせてもらいます」とパジャマの上から掻い巻き羽織って授業をやる。そういうことができるようになったら授業がずいぶんカジュアルになって、教える方も教わる方もすごく楽になると思いますよ。 凱風館の「寺子屋ゼミ」でも今季は対面とオンラインのハイブリッドです。聴講生はZOOM参加のほうが圧倒的に多い。凱風館まで来て受講するのはもう10人以下になりました。30人ぐらいは自宅からの聴講です。遠隔地の人もいるし、家で晩ご飯つくりながらとか、アイロンかけながらとか、「ながら」聴講の人もいる。体の弱い人、感染が怖い人、うちから出られない人でも、オンラインなら聴講できるし、発言できるし、ゼミ発表もできる。ゼミに参加するハードルがオンラインで一気に下がった。これは端的によいことだったと思います。海外の人も聴講できます。 いままでは「海外に向けて学術情報を発信する」というとほぼ自動的に英語で発信というふうに考えられていましたが、京都精華大学の学長のウスビ・サコ先生に「そんなの日本語でやればいいじゃないの」と言われて、はっとしました。そうなんです。日本語でやればいいんです。日本語で大学レベルの授業が聞きたいという日本語話者・日本語学習者が世界中にいるんですから。 マンガとかアニメとか音楽とか、日本の文化に興味を持ち、それがきっかけで日本語を習い出したという人は世界中にいます。でも、彼らには日本まで留学するだけの資金も時間的余裕もない。あるいは海外に長期留学や駐在していて、日本語で発信される質の高い学術的コンテンツに飢えている日本人もいる。そういう人たちのために、海外からでも簡単に受講できるシステムを設計すればずいぶんたくさん聴講生が集まると思うんです。そうやって日本の学術情報を世界に向けて発信することができたら、それこそ本当の意味での「グローバル化」ということだと思います。 そうなると日本の言論の質も変わるかも知れません。いま韓国や中国のことをあしざまに罵る論客は日本にたくさんいますけれど、彼らは自分の書いていることは日本人だけしか読まないという前提で書いている。だから、あれだけ適当なことを断言できる。でも、「あなたの発言はすぐに自動翻訳されて、英語や中国語やハングルの字幕付きで同時配信されますけれどそれでもいいですね。話した内容について先方から名誉毀損で訴えられても知りませんよ」と念押しされたらどうするでしょうか。たぶん彼らの多くは「国内限定」の道を選ぶでしょう。自分の言説に国際共通性がないことを本人が知っているからです。 言説の国際性というのは単に外国語で発信するということではありません。日本語で構わないんです。ただし、その代わりに世界中のどの言語圏の人が聴いても、理解できて得心してくれるように、きちんと論拠を示し、適切に推論し、情理を尽くして語らなければならない。それが国際共通性のある言説の条件です。そういう条件を課した場合、いま日本のメディアで発言している人の相当数は「国際共通性なし」と判定されることになるんじゃないかと思います。 世界に向けて発信できる環境が整ったおかげでこれからは国際共通性のある知見を語る人とそうでない人の違いがはっきりと可視化される。それは日本国内の言論の質を向上させる上ではよいことだと思います。 よく外国の事例をさも知ったような顔で紹介する「出羽守」というタイプの知識人がいますね。あの人たちもグローバル化によって淘汰されることになるでしょう。彼らもまた自分の言葉が論じられている当人には届かないことを前提で語っているからです。「中国人というのは、あれはね・・・」と断定的に言うけれど、それは中国人が読む可能性を勘定に入れていないからできることです。だから、私見をさも一般論のようにことごとしく語れる。そういうことができなくなる。 この1年間で、日本人のコンピューター・リテラシーはずいぶん向上したと思います。1年前には考えられなかったくらいに自在にネットを利用して仕事をしている。 僕だって、オンラインで授業して、会議して、対談して、インタビュー受けて、飲み会して・・・ということをしている。オンラインがデフォルトになったので、「みんなが集れる時間と場所」を調整する手間が省けました。時間だけ決めておけば、メンバーがどこにいても短時間だけミーティングして、情報共有して、決めることを決めて、即解散というやり方が可能になった。 コロナのせいで、友だちと顔を合わせて、わいわい飲んで騒ぐという楽しみ方はできなくなりましたけれど、ものごとにはダークサイドもあればサニーサイドもあります。せっかくだからサニーサイドを探し出すようにしましょう。 もうひとつ、よいニュースを予言しておきたいのですが、それについては次号で。(2021-03-25 06:18)
2021年03月31日
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楽天ブログの管理画面には、毎日のアクセスグラフがあって最初に目に入る。今朝は、そのグラフが通常の倍近くに飛び上がっていてビックリした。私のブログは、どなたが見てくれているのかわからないが、こんなに跳ね上がるのは珍しい。でも、なんだか嬉しくなるのはなぜなのだろう。読んで下さった方に、ありがとうございますとお伝えするためにこれを書いている。本当にありがとうございました。ところで、私がこのブログを始めたのは2003年の6月。早いもので今年の6月で18年が経過する。こんなに続くとは自分でもビックリなのだが、あと18年経つと私は88歳だ。生きているかどうかもわからないし、生きていてもブログを続けているかどうかはさらに怪しい。そう思うと、今日、こうして書けることがありがたいと思う。17年前から、何人もの方とブログでのお知り合いになった。お気に入りに登録した人は、ほとんどそのまま残しているのだが、随分更新されていない人が何人もいる。個人的なつきあいは殆どないので、その人たちがご健在なのかどうかもわからない。時々確認して、すでにそのブログが消えている人は削除するのだが、そのままの人はそのうち再開されるかと期待している。もしも私が突然死したら、そのまま更新されずに放置されるのだなと思い、その時のために誰かに頼もうとは思っている。しかし、突然死となればそれも間に合わないかもしれない。そんなことを現実的に考えてしまった。このブログを始めるきっかけになった人は、慶應通信生の後輩だったがどうされているだろう。子育てと学業との両立に大変な状態だったと思うが、卒業されただろうか。そんなことを思う朝でした。
2021年02月05日
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今日、以前書いた「山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」」を確認したら、以前はYahoo!のブログだったようで終了していた。慌てて新しいブログを探したら、ありました!「山と土と樹を好きな漁師」ー18年目のブログうーん、痛快。その通り!臆病な私が心の中で呟いていることを書いてくれているような感じさえする。もちろん、今日から読者になります。
2020年12月11日
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このブログを始めたのが2003/06/19ですから、ブログ年齢は17歳です。しかし、ブログ名は「マイページ70代」となってしまいました。書いた件数3066件、記入率は44.3%。我ながらよく続いたものです。今までに延べ134万7388人が、このブログを覗いてくださったのですね。その方たちに励まされて、今日まで続けてこれたような気がします。あらためてそのことに感謝するばかりです。いつまで続くかわかりませんが、今まで通りにマイペースに続けるつもりです。続ける理由は、とにかく記録として便利なこと。「あれはいつのことだったかな」なんて調べたり、「この本は読んだことあったかも」と思うとき、よくチェックします。また、息子や孫たちの成長を具体的に思い出せるのもありがたい。でも、最初の頃に書いたことが、書いてあるにもかかわらず思い出せない時もある。個人的なことはイニシャルで書いているのですが、「ん? これは誰のことだ?」と思うことも。つまり、思い出すきっかけがなければ完全に忘れていることが多いということ。50代から始まったこのブログ、とうとう70代に突入。でも、過ぎてみれば早かった。この時間感覚であれば、あと10年も早く過ぎるのだろうけれど、いつまで書けるかは別の問題。今後の自分の変化を楽しみにすることにします。(もちろん、怖さもあるけれど)
2020年06月19日
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ブログリンクしているぼちぼちさんの記事で、下記のことを知った。早速私も協力した。何かできないものかと思っていたので、ちょっとだけでも故人の遺志に報いたい。このような仕組みがあり、誰でも参加できるということがありがたい。森友事件で自死 財務局職員の妻がネットで再調査求める署名活動開始庶民の思いと力をあなどるなかれ!ちなみにこのサイトでは、次々とキャンペーンが行われており、私も賛同することにはクリックのみ参加はよくやっている。時々、「これはカンパもしよう」と思ったら、一回分のランチ程度の協力をする。しかし、しばらくはこのサイトを見ていなかったので、ぼちぼちさん、ありがとうございます。彼の人の耳が、ちょっとでも聞こえるようになりますように。
2020年03月28日
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このところ、息子の畑の手伝いや自宅の庭仕事などに追われ、その間に管理している某団体のHPの作業などでこちらのブログまで手が回らない状況です。でも、そのような感じで忙しくしております。更新していないにも関わらず見に来てくださる人がいらっしゃるのは、ありがたい限りです。書きたいことや気になることなどは沢山あるのですが、書かないうちに多分忘れてしまうのでしょうね。とりあえず近況報告です。
2019年06月09日
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今、パソコンでブログ管理画面を見てビックリ!昨日のアクセス数がビョーンと飛び上がっている。昨日はブログを書いていないのになぜ?いったい、どなたが読んで下さったのでしょうか。まったく想像もできませんが、お読みいただきありがとうございました。
2019年03月29日
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今、パソコンを開いたら、1,000,251アクセスになってました。1,000,000番目に来てくださったのは、どなたかしら。今日は開設から5691日目で、日記記入率は43.2%。我ながら良く続いているなあ。これからもマイペースで気が向くままに書いていこうと思います。
2019年01月16日
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久しぶりに内田氏のブログを覗くと、「死刑について」があった。さっと流し読みしたら、私の問題意識とつながるものがあるようだ。全文をコピーしておこう。「死刑について」 2018.07.08オウム真理教の死刑囚たち7人が死刑執行された。解説記事を読むと、改元や五輪の日程に合わせて「このタイミングしかない」ということで執行されたと書いてあった。死刑については、いくつものレベルの問題があり、軽々に適否を論じることはできない。「国家が人を殺す死刑という制度そのものの存否」にかかわる原理的な問いがあり、「死刑は犯罪の予防に有効なのか」という統計的な問いがあり、「被害者遺族の怒りや悲しみはどうすれば癒されるのか」という感情の問題があり、それらが入り組んでいる。死刑の存否について、「どちらか」に与して、断定的に語る人を私はどうしても信用することができない。死刑は人類の歴史が始まってからずっと人間に取り憑いている「難問」だからである。世の中には、答えを出して「一件落着」するよりも、「これは答えることの難しい問いである」とアンダーラインを引いて、ペンディングにしておくことの方が人間社会にとって益することの多いことがある。同意してくれる人が少ないが、「答えを求めていつまでも居心地の悪い思いをしている」方が、「答えを得てすっきりする」よりも、知性的にも、感情的にも生産的であるような問いが存在するのである。そういう問いは「喉に刺さった小骨」のように、刺さったままにしておく。そうしているうちに、いつのまにか「小骨」は溶けて、喉を含む身体そのものの滋養となる(ことがある)。あらゆる制度は人間が共同的に生きることを支援するために存在する。私はそう考えている。それ以外の説明を思いつかない。もちろん司法制度もそうである。その制度をどう運用すれば、人間たちが共同的に生き延びてゆくために有効か。それを思量するためには、ことの理非をためらいなく、截然と決するタイプの知性よりもむしろ理非の決断に思い迷う、「計量的な知性」、「ためらう知性」が必要である。「計量的知性」ということばを私が知ったのはアルベール・カミュの書き物からである。どうふるまうべきか決定し難い難問を前にしたときは、そのつど、ゼロから根源的に吟味する知的な態度のことを指してカミュはこのことばを選んだ。「この種のことについては、これまでずっとこう対応してきたから、今回もそれを適用する。細部の異同については考慮しない」という原理主義的な態度に対抗するものとして、このことばを選んだのだ。原則に揺るぎがないのは、経験的には「善いこと」である。そうでなければ日常生活は営めない。あらゆる問題について、いちいち細部の異同を言い立てて、そのつど判断を変える人とはいっしょに仕事をすることはできない。「予測」ができないからである。人間は「あの人はこれまでこういう時にはこうしてきたから、今度もこうするだろう」という他者からの「期待の地平」の中で行動するものである。そうしないと共同作業はできない。とりあえず私は社会生活上、できるだけ「期待の地平」の内側で行動するようにしている。けれども、死刑はふだん私たちがしている「仕事」とは水準の違うことである。もっと「重たい」ことである。だから、人を死刑にすべきかどうかの判断には、人間関係のもつれやビジネス上のトラブルを解決する時のような効率や速度を求めるべきではない。カミュにとって、死刑は久しく「死刑に処せられる側」から見た制度であった。アルジェリアの経験豊かな法廷記者であった時代、カミュは「死刑宣告を受ける側」の立場から死刑という制度を観察してきた。『異邦人』はその時の実体験を踏まえた「死刑小説」である(実際の事件に取材している)。人は「こんなことをしたら死刑になるかもしれない」という予測をしながらも罪を犯すことがある、なぜそんなことをするのか。裁判官は殺人者をあるときは死刑に処し、あるときは有期刑で済ませるが、その量刑の根拠は何なのか。死刑を宣告された人間はそれにどう対応すべきなのか、不当だと告発すべきなのか、「それが正義だ」と受け入れるべきなのか。無数の問いが『異邦人』を構成している。『異邦人』をガリマール書店から刊行したとき、カミュ自身はレジスタンスの地下活動にコミットしていた。それはゲシュタポに逮捕されれば高い確率で死刑に処せられる活動だった。法廷記者としては「捕まって死刑にされる人たち」の横から死刑を考察していたカミュは、このとき「捕まれば死刑にされる人」として、それと同時に「ドイツ兵を殺すことを本務の一部とするレジスタンスの活動家」として死刑とテロルについて考察していた。その時、カミュが定式化した原則は「自分が殺されることを覚悟している人間は人を殺すことができる」というものだった。レジスタンスのテロ活動はドイツ兵たちを殺していた。政治的理由でそれを合理化することはできる。けれども、レジスタンスの闘士たちは軍服を着てそうしていたわけではない。私服で、市民生活のかたわらにサボタージュを行い、ドイツ兵を殺していたのである。その行動を合理化するためには、政治的理由のほかに、個人的な、倫理的な理由づけがどうしても必要だった。それが「殺される覚悟があれば、殺すことができる」という「トレードオフの倫理」「相称性の倫理」だったのである。いわばこういうことだ。私は自分の命をあらかじめ公的な境位に「供託」しておく。「あなた」が私を捕らえたら、「あなた」には私の命を奪う倫理的権利がある。それを認めた上で、私はあなたを殺す倫理的権利を手元にとどめておく。そういうロジックである。その「相称性の倫理」をカミュはレジスタンスの活動の中で書き綴った『ドイツの一友人への手紙』を通じて基礎づけようとしていた。その時点でカミュはいくぶんか「すっきり」していた。しかし、「解放後」はそうはゆかなくなった。レジスタンスの勝利のあと、今度は「対独協力者」たちの処刑が始まったからである。カミュは最初は彼らの死刑に賛成した。まさに彼らとの戦いの中で多くの仲間が殺されたのである。死者たちの無念を思えば、「私には彼らを赦す権利がない」とカミュが書くのも当然である。しかし、対独協力派の旗頭であったロベール・ブラジャッックの死刑について助命嘆願を求められたカミュは寝苦しい一夜を過ごしたあと、嘆願書に署名することになる。その理由についてカミュが書いていることはわかりやすい話ではない。それはおそらくカミュがその「寝苦しい一夜」の間に「死刑を待つブラジャックの側」に立って、想像力を用いてしまったからだろうと私は思う。かつて法廷記者として死刑囚の思いを想像した時のように、レジスタンスの活動家として自分自身の銃殺の場面を想像した時のように、このときは「殺されるブラジャック」の思いを想像してしまったのである。ナチス占領下のパリでは、ブラジャックはカミュたちを捕え、殺す側にいた。「解放後」のパリではカミュには「ブラジャックに殺される」可能性はゼロである。相称性の倫理はここでは働かない。カミュは「私は原理的な非暴力主義者ではない」と書いている。「ある場合には暴力は必要だし、私は必要な場合に暴力をふるうことをためらわない。」しかし、カミュはブラジャックの助命嘆願書に署名した。権利上ブラジャックがカミュを殺すことが「できる」なら、カミュはそれに暴力をもって立ち向かうことを辞さない。けれども、無抵抗の「罪人」を殺すことには「ためらい」がある。カミュはその「ためらい」を最後の足がかりにして、死刑に反対したのである。論理的な根拠があったわけではない。「そういう気分にならない」から反対したのである。私はこのカミュの判断を「人間的」なものだと思う。私たちは生きている限り、さまざまな非道や邪悪さに出会う。時には信じられないほどの残酷さや無慈悲に出会う。それに相応の処罰が与えられるべきだと思うのは人性の自然である。けれども、その非道なものたちが捕えられ、死刑を宣告された時には、そこに一抹の「ためらい」はあって然るべきだろうと思う。人が正義を求めるのは、正義が行われた方が「人間社会が住み良いものになる」と信じるからである。ことの適否の判断はつねに「それによって人間社会がより住みやすいものになるかどうか」によってなされるべきだと私は思っている。オウム真理教の死刑囚たちは非道で邪悪な行いをした。そのことに議論の余地はない。けれども、彼らの死刑執行にはつよい違和感を覚える。「それで、ほんとうによかったのか」という黒々とした疑念を拭うことができない。「制度がある限り、ルールに沿って制度は粛々と運用されるべき」だという形式的な議論に私は説得されない。それは「そもそもどうしてこの制度があるのか」という根源的な問いのために知的リソースを割く気のない人間の言い訳に過ぎないからだ。そんな言い訳からは何一つ「よきもの」は生まれない。世の中には効率よりも原則よりも、ずっと大切なものがある。死刑の存否についても、今回の死刑の妥当性についても、国民的な合意はない。けれども、国民的合意を求める努力は必要だ。努力すれば国民的合意がいつか形成されると期待するほど私はナイーブな人間ではない。そうではなくて、「国民的合意がなくては済まされない」という切実な願いだけが、国民国家という冷たい制度に、政治的擬制に「人間的な手触り」を吹き込むからだ。そこでしか人間は生きられない。そこからしか人間的なものは生まれない。死刑執行の前夜、上川法務大臣や安倍首相は若手議員と楽しく会食をしていたという。自分が次の日に7人の人間を処刑する前の日に…。それを知った時に私は、彼らがどのような神経をしているのかと信じられない思いであった。当然、安倍首相だって次の日に死刑執行するということは知っていただろう。この内田氏の文章を読みながら、私はそのことを思い出していた。テレビのワイドショーでの伝え方も同様である。私は、「人の命は地球より重い」とか「誰の命も平等に尊い」など、心から思える気持ちにはなれないことが多い。それでも、一人の命の消滅は一人の人生の終わりである。ルール(法律)で決まっているとはいえ、別の人がその命を奪う(殺す)となれば、それは間違いなく殺人である。現行の日本の法律ではやむをえない死刑執行とは思っているが、パソコンゲームでキャラクターを消滅させるのとはわけが違う。いずれにせよ、今の政権には死刑の国民的合意を得ようという意志はなさそうだ。そして、どこか人として大切なものを失ってしまった「人非人」に近いのではと感じてしまう。
2018年07月09日
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気軽な気持ちでこのブログを始めてから、今日で15年となった。本当に早いものだと、自分でも驚いてしまう。書いた文章は2597件となっている。もちろんこの中には簡単な備忘録もあるのだが、三日坊主傾向の強い私がこれほど続いているということは、私は書くことが好きなようだ。トータルのアクセス数は891937人。日記記入率は43%。(これも我ながらすごい)今後の目標は特にないけれど、今まで通りボケ防止と、物忘れ対策としてマイペースに続けようかと思っている。時々、10年前の今頃はどうしていたかと見てみると、完全に忘れていることも結構ある。自分自身のことでもそうなのだから、ニュースなどについては言わずもがなである。その時、その時で強い関心を抱いたり、怒ったり感動していたはずなのに、人間(いや私だけ)って本当に忘れっぽい生き物だと思う。今、ブログを開設した年の6月の記事を見たら、2003年06月25日 の「50代を味わおう」という記事があった。その中に梅原猛氏のことに触れ彼は日本の基層文化は「縄文時代」にあって、その縄文人(つまり、原日本人)の思想や宗教観を継承してきたのが「アイヌ人」であり「琉球人」という考え方をしています。と書いている。実は二日ほど前に、友人とのメールでこのことについて書いていたのだが、つまりは15年以上も前に聞いたってことだ。そんなに経っているのだけれど、この話はとても印象深かったのか、今でも講演会の様子を思い出すことが出来る。本当に記憶って不思議である。あの時の梅原猛さんは78歳。とても意欲的で、まだまだやることがあるというような話をされていた。私はその年までまだ10年もあるぞ。ブログくらい続けられないことはないかな。現在は93歳だ。お元気なのだろうか。
2018年06月19日
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ゴールデンウィークもすでに終わった。連休前から、息子の農作業の手伝いや妹一家の久しぶりの帰省と1歳半の姪の子どもとの初めてのご対面など、色々と慌ただしい日々が続いた。それでも、隙間時間にブログ更新くらいはできるのだけど、しばらく書かないと怠け癖がついてしまったようだ。ニュースでは気になることが次々起きるのだが、それについて書こうとするなら時間が足りない。我が家の構造上の事情で夜にはこのパソコンが使いにくいので、結局「今日も書けなかったな…」が続いている。いつの間にか桜やエゾムラサキツツジも散り、今は梅が花盛り。もう少しでボケも咲きそうなのだが、このところの寒さでつぼみも停滞中。そんな中でも、雑草と言われる草たちは元気で勢いを増している。そろそろ花壇の苗植えもしたいのだが、この寒さが通り過ぎないと心配だ。毎年、「そろそろ大丈夫だろう」と花を植えて、寒さでこじれてしまうことを繰り返しているので、今年は失敗したくない。これからもしばらくは外仕事の日々が続きそうなので、「ブログ更新停滞中」も続くかもしれない。
2018年05月09日
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2018年となりました。やはり「あけまして おめでとうございます」と言うべきなのでしょうね。なんだか不穏なニュースが続いた昨年のような気がしますが、今年は少しは明るい兆しを感じられる年であってほしいものです。世界や日本がどのような状況であろうと、個人としては幸せを感じることのできる感性を大切にしたいものです。今年がみなさまにとって、幸せや感謝を感じることができる日々でありますように。今年もブログを書くことで、記憶力や思考力低下にブレーキをかけながら、マイペースに過ごしていきたいと思います。このブログを覗きに来てくださる皆様がいるから、励みになっていることは間違いありません。本当にありがとうございます。そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2018年01月03日
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2003/06/19に開設してから、今日で5309日のようです。書いたブログは2498件となっているようです。我ながら本当によく続いたし、よく書いてきたなと思います。今では、その時々のニュースや我が家や私の出来事の「備忘録」がわりです。自分でノートに書く日記とは違い、誰かの目に留まることを意識しますし、読んでくださる人の存在が励みになって続いているのだろうと思います。来年もまたこのペースで続けるつもりですが、突然更新がストップしたりしても気になさらないでくださいね。こちらに来てくださった見知らぬ人たちや少数のお知り合いにとって、来年が良い年でありますように。
2017年12月31日
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結局、すべて「総理のご意向」どおりに! 加計学園獣医学部が認可の見通し、疑惑は何ひとつ晴れていないのに2017.11.02 選挙が終わるや否や、これである。本日、文科省の大学設置審議会が判断を保留してきた加計学園の獣医学部新設について課題に改善が見られると評価し、10日の答申において来年4月開学で認可される見通しだといっせいに報道されたのだ。 しかし、驚きはまったくない。認可が下りることは最初から既定路線だったからだ。あらためて、疑惑の発端となった内部文書と、昨年10月21日に当時の官房副長官である萩生田光一氏が文科省の常盤豊高等教育局長に伝えた内容がまとめられた文面を確認したい。「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」「(設置の時期は)これは総理のご意向だと聞いている」「総理は『平成30(2018)年4月開学』とおしりを切っていた。工期は24ヶ月でやる。今年(2016年)11月には方針を決めたいとのことだった」 これらの内部文書が作成されたのは、加計学園が今年3月に文科省に開学を申請する以前のことであり、設置審が検討に入るずっと前から2018年開学は決定していたことを示している。 つまり、この期に及んでも、すべては「総理のご意向」通りに、「加計ありき」で進んでいるのである。今回の選挙にしても、選挙後に答申発表となるように日程が組まれたことは想像に難くない。 しかし、安倍首相に向けられている疑惑は、いまだ何ひとつ晴れてはいないのだ。安倍首相「プロセスに一点の曇りもない」は大嘘、議事録は改竄されていた まず、今治市と愛媛県が国家戦略特区に獣医学部新設を提案する2カ月も前に今治市の職員と加計学園の事務局長が官邸で安倍首相に近い柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と対面していた事実を皮切りに、文科省の事務次官だった前川喜平氏に対して和泉洋人首相補佐官が獣医学部新設の対応を急ぐことを要請した際に「総理が自分の口から言えないから私が代わって言う」と述べたことや、やはり前川氏に内閣官房参与で加計学園理事の木曽功氏が「早く進めてほしい」と“圧力”をかけていたことなど、安倍首相の意向のもと、官邸が獣医学部新設に向けて積極的に関与してきたことは明々白々だ。 だが、これらの疑惑に対して、安倍首相は「岩盤規制にドリルで穴を開けた」という、何も説明になっていない台詞を繰り返すばかり。逆に、加戸守行・前愛媛県知事や国家戦略特区ワーキンググループ座長の八田達夫氏の証言が報道されていなかったとメディア批判に矛先を向け、「国会審議をすべて見た人は納得した人も多かったのではないか」などと宣っている。 しかし、本サイトでは何度も指摘してきたが、いま問題となっているのは「国家戦略特区において獣医学部新設が加計学園に選ばれた、その決定にかかるプロセスの不透明さ」であって、現役官僚だった前川氏とは違って加戸氏はそうしたプロセスにまったくタッチしていない。いくら加戸前知事が「歪められてきた行政が正された」と主張しても、そもそも加戸氏は「行政が歪められたのか否か」など知る由もない立場なのだ。 その上、安倍首相や八田氏は、議事録はオープンになっていると強調し「プロセスに一点の曇りもない」と断言してきたが、これもすでに大嘘だったことが発覚。2016年6月に国家戦略特区ワーキンググループが愛媛県と今治市からヒアリングをおこなった際には加計学園の幹部3名が同席していたにもかかわらず公開されている議事要旨にそのことが伏せられており、発言内容を一部削除することで発言主旨を真逆に書き換えるという議事録の改竄までおこなわれていたことまで判明しているのだ。国会開催要求無視、突然の解散、野党の質問時間削減…追及から逃げまくる安倍首相 しかも問題は、このように雪だるま式に膨らんでいく「加計ありき」への疑惑だけではない。加計学園の獣医学部が新設される今治市のキャンパスについては、病原体を封じ込めることができないのではないかという疑問が噴出し、高病原性鳥インフルエンザの検査や実験・研究をおこなうのは難しいという見方も出ている。さらに、加計学園が高額な補助金を得るために建設費を水増ししているのではないかという疑惑までもち上がっているのである。 こうしたさまざまな角度から不正の疑いがありながら、安倍首相は野党からの臨時国会招集要求を3カ月も無視し続け、ようやく国会を開いたと思ったら冒頭解散するという解散権の濫用によって追及から逃亡。挙げ句、「丁寧に説明する」と言いながら昨日からはじまった特別国会では当初、質疑に応じない姿勢まで見せた。この態度が反感を買ったことで、結局、国会を12月9日まで開くことにしたが、実際は安倍首相にはトランプ大統領の来日や外遊日程が詰め込まれており、所信表明演説は今月17日。実質審議はたったの1週間程度しかないのではという見方も広まっている。 そして、安倍首相はついには、議院内閣制を完全に無視して野党の質問時間を削減するとまで言い出した。この暴挙もまた、森友・加計学園の追及を受けたくないという理由であることは明らかだ。 だが、繰り返すが、これだけの大問題になりながらも、2018年4月開学という「総理のご意向」は、今回の設置審判断によって完遂されたのである。国民からあがる疑問の声には耳も傾けず、いまなお、安倍首相はお友だちしか見ていないのだ。 森友・加計問題がこのまま有耶無耶になれば、安倍首相による政治の私物化を許したことになる。これは異常なことだという民意をいまこそ叩きつけなければならないだろう。これからどうなるのかは確定はしていないが、多分認可はされるのだろう。あれだけ工事が進んでいて、多分開学の準備も進めているのだろうから、認可してもしなくても大変な事態だとは理解できる。本当に必要な大学であるのならそれでもやむをえないとは思うが、一番心配なのはこの大学に入学する学生のことだ。私が親なら、このような大学に高額の学費を出して入学させようとは思わない。「あの加計学園の獣医学部」と言われることが、わが子の将来にとってどうだろうと思うだろう。それでも入学したい、あるいはそこしか入学できないとなれば、何のために農獣医学部に進学したいのかとことん話し合い、「行きたいなら、自分の力で行きなさい」と言うだろう。私の孫たちも大学と高校の進学を控える受験生だ。自分がなぜ大学に高校に進学したいのか、よく考えて受験先を考えなさいと時々おしゃべりがてら話しているところである。
2017年11月04日
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パソコンが古くなり、さらにサポート期間も過ぎてインターネットにつなぐと危ないと言われながら、変えることの面倒さを思いそのままにしていた。しかし、いよいよネット上で使えないことが増えてしまい、思い切って知り合いのつてで買い替えたのだ。個人でパソコン修理等をしている人だったので、私の使っている内容などを聞き取り、今までのデーターや使っているソフトを使えるようにしてくれた。昨日その作業が終わり、今日は新しい状態で使い始めた。いやー、本当に快調快調とにかく速度が速くてサックサク❕それと、いままでできなかったこのブログのフリーページ編集ができるようになった。ということで、今までのブログ記事の中から、フリーページにいくつか載せてみた。実は一番困ってしまったのが、所属する団体のホームページ管理ができなくなっていたこと。これからその作業にかかります。
2017年08月21日
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10年前の今頃は何をやっていたかな…と、2007年の四月の過去記事を見てみた。すると「父のお伴で山口、広島の旅」2007年4月15日 の記事があった。そうか、あの頃の父は、まだ一緒に旅行ができたのだなと思う。読んでみると、その時のことがつい数年前のように思い出せる。秋芳洞では、目が悪くて足もとがよく見えない父の腕をしっかり支えて歩いたっけ。萩で上田豊治さんとお母さんに再会したのも、その時だった。豊治さんお元気かなと、最近の画像がないか探したら、見つかったのがこのブログ。すっかり白髪になってしまったけれど、あの笑顔は最初にあった頃のままだ。あの時も、ほぼ20年ぶりくらいに再会したのだけれど、私のことをちゃんと覚えていてくれた。きっと今でも「切り絵の仕事、楽しいです」と、毎日仕事をしているのだろう。毎年年賀状のやり取りだけは続いていて、彼の作品が年賀状になっているので楽しみである。父が脳梗塞になったため、何年もヘルパーとして父と旅行をすることができたことは、今となってはとてもありがたかった。成人するころまでは、父は仕事に夢中で私達のことにはあまり関心がないように感じていた。特に、おとなしく甘えベタの私は、幼少期に父に抱っこされたり一緒に歩いた記憶はない。妹達はもう少し甘え上手だったようで、父との子どもの頃の思い出があるようだ。私はその分、脳梗塞になった父と十分埋め合わせたように思う。だから多分、今は私が一番父との思い出を持っているのではないだろうか。そういえば、先日母方の従兄弟たちと会ったとき、「お父さんにそっくりになったね」と言われた。今まで、母に似ているとはよく言われたけれど、父にそっくりと言われたことはなかったので驚いた。正直なところ、それはとっても嬉しい言葉だ。これからの老年期、その言葉を励みに生きていこうとすら思った。この年の4月2日には、父がらみで「父が戦争後に受けた心の傷」というのも書いている。 時々過去記事を見直すのも面白いな。それにしても、もしも私が突然死したら、このブログどうなるんだろう。一定の期間が過ぎたら自動的に消えるのだろうか。
2017年04月17日
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先日ブログに書いたジェネレーションギャップは、私の子供世代とのギャップ・エピソードであった。今日書こうとしているのは、私より少し上の世代とのギャップである。その人は、図書館や子育て支援に関係するボランテイア活動・地域活動を通して出会った人。年齢は正確には知らないが、多分70代前期。子どもへの読み聞かせ活動や読書活動等について、長年熱心に活動している方なので、私も先輩として敬意を持ちながら、深くも浅くもないお付き合いをしてきた方である。話の中で、今のお母さんたちはスマホに夢中で抱いている赤ちゃんに目もくれないように見える時があるという話になった。それは私もちょっと心配な現象だと感じているので、当然共感。そして、「やはり本を読まなければ知性は育たない」ということをおっしゃる。それも、基本的には同感。そして、「いくら私たちが子どもたちに読み聞かせ活動などをしても、親が変わらなければ…」という流れとなってきた。うん、乳幼児が一番影響を受けるのは保護者や家庭だから、それもそうですね。ただ、次からが引っかかった。「図書館などでも電子図書などを紹介したり、インターネットが使えるようにしたり、私は反対」とおっしゃる。「え? どうしてですか。私は電子図書やインターネットは、このような時代だからこそ、図書館できちんと正しい選択眼や利用方法など、積極的に伝える役割があると思いますけど」。すると、急に彼女の表情が気色ばんできた。どうも、読書の重要性という価値観を共有してると思っていた私が、ネットメディアの支持者と思ったらしい。しかし、その時の私は、あまり彼女の表情を気にすることもなかった。(というより、気にしてもしょうがないし…)彼女は語気を強めて主張する。「正しい情報は、本から得るのが一番だし、そうでなくては教養にはならない」。ε=(・д・`*)ハァ…、そこまで言われたら私も反論せずにはいられない。「私は、スマホは持っていませんが、インターネットは好きですよ。 必要があれば色々な情報を瞬時に得られますし、比較検討もできます。 このような道具がある時代に、それを利用するのは当たり前ですし、大切なのは正しい使い方だと思います」。次の瞬間、彼女が放った言葉には、私はビックリ。「貴女がインターネットが好きだなんて、ちょっと頭に来る」どうしちゃったんでしょう、彼女は。私はそんな反応をされるなんて想像もしていなかったので、一瞬絶句。うーん、何が彼女の怒りに火をつけてしまったのか。頭の中でパチパチと火花が散った。ここで火花を散らしながら反論したら、さらに炎上しそうな気もする。明らかに、私の言葉は彼女の中に抑えられていた不満や怒りに点火したようだ。それは、私自身を元々嫌いだからだったせいなのか、別の体験での怒りが想起された反応なのか。私は後者のせいだと決めることにして、ゴニョゴニョと「パソコン初心者なので、まだよく分かっていないけど」なんて言いながら、別の話題に転換して火消しをすることに務めた。後から色々と考えた。私以上に若いお母さんたちと接する機会があるであろう彼女は、きっと現代のスマホやパソコン、ネットに夢中になる若い世代に、苛立っていたのだろう。年齢的にも、そして話しぶりからも、パソコンを操りインターネットを活用してはいないだろう。私と同じようにガラケーしか使っていないようだから、日々ジェネレーションギャップを感じながらも、「読書は人生に大切」という信念で、読書好きの子どもを育てようと頑張っているのだろう。パソコンを使えるか使えないかは、大きなジェネレーション・ギャップにつながるような気がする。年配者でもパソコンを使いこなしている人は多いし(男性に多いような気がする)これからの時代、電子メディアに抵抗がない方が、高齢者も色々なサービスを受けやすくなるのは間違いない。彼女も、足腰の不自由がなく、頭脳が明晰な今のうちに、少しずつインターネットに親しんだほうが老後のためになると思うけど、正直なところ、私はそれを言うことができません。これを書きながら、さほど使いこなしてはいないけれど、パソコンを使えて良かったなと改めて思いました。
2016年03月29日
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先日、諏訪清隆医師(旭川赤十字病院 第一小児科部長)の講演を聞く機会があった。現在は、好むと好まざるに関わらず、私たちの生活環境はデジタル機器に囲まれている。テレビやDVD、ケータイ、スマートフォン、パソコン、ゲーム機器等々私たちの生活から電子機器をなくしてしまったら、江戸時代の生活にもどることになるだろう。しかし、人間という動物の体は、原始時代からの環境に適応するようにできており、急速なデジタル化環境にはついていけない部分がある。はっきり言って、この私自身がついていけない部分が多いし、肉体的な面では、高校生の頃までは2.0という視力を持っていた私が、パソコンを使うようになってから近視になってしまった。時を同じくして、ひどい肩こりにも悩まされるようになり、これは絶対にパソコン使用のせいだと思っていた。長男が小学校四年生の頃にテレビゲームが出現し、大人も子供も夢中になった。それまでは息子を含めて近所の子供たちは、放課後は公園で遊ぶのが当たり前だったが、各家庭にテレビゲームが普及すると、あっという間に公園から子供たちの姿は消えてしまった。そんな子どもたちは大人になり、今では子育て年齢である。私は乳幼児健診会場でのボランティア(赤ちゃんと絵本を見たり遊んだり)をしているのだが、その会場でもスマートフォンを気にするお母さんたちは多い。さらには、泣いている赤ちゃんにスマートフォンを見せてあやす人さえもいる。(それには本当にビックリした)聞けば、赤ちゃんが泣き止む動画(アプリ?)というのがあるらしい。時代はここまで来たのかと、びっくりするやら、それでいいのかと心配になるやらの思いが膨らんでいたので、今回の講演会はとても期待していた。さて、その講演内容は想像通りというか、想像以上に子どもたちは大変な環境にあるということを痛感するものであった。諏訪先生は「子どもとメディア北海道」での「子どもとメディア公式インストラクター」をされており、その紹介には下記のように書かれている。 諏訪は、子ども達の生活にゲーム機やケータイが深く入り込んできたことが原因で、直接、相手に言葉で思いを伝えることができなかったり、人との関わりを持ちたがらない子どもが増えてきていることに危機感を感じていた。 また、両親のメディア依存や誤った認識のために乳幼児をはじめとした子ども達の発達が脅かされていることを心配していた。 2009年、NPO法人 子どもとメディアの古野氏の講演を拝聴し、現代の子ども達の状況に愕然とし“子ども達を守るためになんとかしなければ手遅れになる”と痛感した。 そこで、小児科医が公式インストラクターの資格を持つことで、専門性を生かして子どもの発達とメディアについての啓蒙を広めたいと考えた。その講演内容の詳細をここに書く事は難しい(というよりかなり長文となりそう)ので、「子どもとメディア北海道」の会報を読んでいただきたい。そこにも書かれているけれど、子どもが幼い頃からテレビやゲーム機器に長時間触れていると、脳(前頭前野)の発達を阻害し、注意能力低下、言語能力低下につながるそうだ。また、小中学生が長時間ゲームをすると勉強したりする能力が低下するそうである。講演では、ことばの発達への影響や体力低下、睡眠リズムへの影響と食事の関係など、メディア機器の子どもの成長への影響についての、データーを元にしたお話を聞くことができた。ちょっとショックであったのは、インターネットやゲーム依存状態の脳は、コカイン等の麻薬中毒と同じような「脳内ネットワーク障害」を起こしているとのこと。最近、「ネットいじめ、ネットトラブル」についてよく聞くけれど、それ以前に子どもの脳に悪影響を与える可能性が高いということに、私たち大人はもっと危機感を持たなくてはならないと感じた。また、日本の子どもたちは「慢性睡眠不足状態」でもあり、それは特に乳幼児期には「ことばの遅れ」や「ADHD」に似たような症状をみせることもあるようだ。そのまま電子機器に触れる機会が増大し、睡眠不足や生活習慣や食事の乱れが続いたなら…。最近、子どもの発達障害のことがよく聞かれるけれど、その発端にはそんなことも関係あるのかもしれない。日本の子どもたちの学力低下を憂うるならば、もっとこのような研究の結果を真摯に受け止めた対策を考えて欲しい。少なくても私は「教育現場でタブレット端末浸透 2020年の「1人1台目標」前倒しが進む」が良い方法とは思えない。教育が経済効果の道具にされてはいけないと思う。
2016年02月10日
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今年も健康に無事に過ごすことができました。楽天ブログも、なんとか続けることができました。このブログを書く事で、日々の出来事に少しだけ深く心を寄せることができているような気がします。いったいどなたが読んでくださっているのだろうと思いますが、毎日200件あまりのアクセスがあるようで、本当にありがたいことだと思っています。これが、誰も読んでくれなかったなら、きっと続ける意欲もなくなるのではないでしょうか。本来日記というものは、誰に見せるものでもなく、自分の記録と自分との対話のものだと思うのですが、ブログという方法は、読んでくださる人を少しばかり意識することで、より自分を省みることができるような気がします。心がけていることは、「嘘は書かない」「見栄は張らない」「他人を誹謗中傷しない」ということですが、書いていてよく感じるのですが、やっぱり人間の業からは離れられないもので、自分に不都合なことは書かないし、恥と感じる部分もできるだけ見せたくないので、そのあたりはスルーしてもおります。そんな弱点もあるブログを読んでくださっている皆様に、心から感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。このブログを訪れてくださる皆様にとって、来年がどうぞ良いお年でありますように。そして、もしご不快でなければ、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2015年12月31日
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どうでもいいことですが、今アクセス数を見たら「456785」でした。これをアップする頃には、456789になってるかな。ちなみに、開設から4435日目で、記事はこれで1999、エッ、あと一つ書いたら2000件です。いやー、我ながらビックリです。
2015年08月09日
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リンクするsowonさんのブログで見つけたものです。多くの人に読んでいただきたいので、ご紹介します。 「日本の歴史家を支持する声明」
2015年05月08日
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これを読んで、ウームと唸ってしまった。いつもながら、考えさせられる内容である。
2015年04月15日
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今朝の新聞で泥憲和さんという人を知り、早速ネットで検索してみた。そして見つけたのが下記。元自衛官・泥憲和さん「集団的自衛権を斬る」 (上) 自衛隊は「反戦組織」元自衛官・泥憲和さん「集団的自衛権を斬る」 (下) 9条で和平生み出す泥憲和Facebook時々、右翼的な人や安倍総理の姿勢を支持する人の書いたものを読んだりすると、私は平和ボケなのかなあとよくわからなくなったりする私であるが、泥氏の言葉を読んで本当に納得している。そして、現職の自衛官やそのご家族の人たちはどのように考えているのだろうと思った。自衛隊員への志願者が減少しているとも聞いているが、単に少子化のせいだけではないだろう。私は、基本的に子供たちが希望する進路を邪魔しないつもりでいたし、周囲には自衛隊官舎が並び、息子たちの友達の中にも自衛官となった人もいるから、本音では「自衛隊を志願しないでほしい」とは思っていたが、もし本人がどうしてもと願ったら認めたとは思う。しかし、現在なら「絶対反対!」と言うだろう。他国に行って、他国の戦争に巻き込まれて、他国の人を傷つける可能性があるとしたら、そのような職場を選んではほしくないと必死で説得するだろう。今まで泥氏のことを知らなかったことが残念だけど、これからは応援します。ネットって、本当にありがたいと思う朝です。追記: 「護憲的安全保障論」 兵庫県弁護士会憲法懸賞作文優秀賞 泥憲和
2015年04月03日
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そういえば楽天ブログを始めて何年かなと確認したら、何と11年も経っていた。2003年06月19日が楽天日記デビューの日である。その三日後に、「50代を味わおう」と書いている。もともとブログを始めたのは、慶應大学を通信教育で卒業した体験を、今頑張っている後輩たちへの参考にならないかと思ったのがきっかけ。それを書いていた頃は「慶応通信」などで検索したらこのブログがヒットしたけれど、今はそのような記事を書いていないので引っかからなくなっている。11年も経つと私もすでに60代半ばに入ってしまった。「みらい」というハンドルネームは、自分にもまだ未来があるという気持ちだったが、今じゃ「未来も徐々に減りつつあるな」という気がする。それでも、生きている限り明日があるし未来がある。特に何かをやりたいという強い気持ちもないけれど、今与えられた場所で真面目に生きたいとは思う。最初の頃とは違って、ブログの目的ははっきりとはしていないが、このブログで出会った人への日々の思いの近況報告と、世の中で様々な出来事が起きた時に感じた事の備忘録とでもいおうか。それにしても、1783件も書いているとは我ながらすごいな。この記事を書くために少し読んでみたが、自分が書いたものでも面白かったりして…。ハッキリ言って、書いたことも忘れていることが一杯ありそうだ。フリーページは題名がすぐ見えるので時々読み返すこともあるが、そこに載せないものは忘却のかなたである。さて、いつまで書くことができるのか。今は、ちょっとそれが未来への楽しみかな。楽天さん、ブログは閉鎖しないでください。
2014年07月23日
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5月13日の「美味しんぼ 福島の真実篇」騒動に思う で、政治家たちが「風評被害」の影響を懸念して批判する違和感について書いた。そのことについて、今日の武田邦彦氏(中部大学) のブログ「お母さんのための原発資料展望(10) 鼻血・・・なにが隠されているのか?」が、とても明確に書かれていたのでご紹介する。(転載可のようなので、全文コピーします) 「お母さんのための原発資料展望(10) 鼻血・・・なにが隠されているのか?」 鼻血の問題が大きく取り上げられていて、「公害の倫理」、「低線量被曝の確率的疾病」について整理をしましたが、少し踏み込んで、この問題の裏に何が隠されているのかを明らかにしたいと思います。 原発事故の後、本来なら政府が必死になってやらなければならないことがありました。原子力予算は1年に4000億円近くあるのですから、十分に研究資金はあります。それは日本の国民の健康を守るためでもあり、今、政府が進めようとしている原発再開に政府として「合理的な判断」をするためにも必要なことです。1.原発からの放射性物質の飛散状態を公表する最初に100京ベクレル程度の放射性物質が飛散し、その後(現在も)、継続的に原発から放射性物質が飛散していると考えられる。スピーディは動いているのだから、時々刻々、それが危険かどうかは判断せずに、データも飛散地点もわかるので、公表するべきだが、それに話が行くことを防ごうとしている。 というのは、100京ベクレルだけで、それがもし日本人全員に降りそそいだとすると、全員が致死量の被曝を受けることになるからだ。しかし、だからこそ、みんなが心配しているのだから、「風評」ではなく、「知らなければいけないデータ」である。2.放射性物質の汚染状態を公表する2011年に飛散した放射性物質はセシウムのように一年で土の中に1センチずつ沈んでいく(チェルノブイリの例で、日本の場合はまだデータなし)ものや、再飛散するもの、森林から田畑などに移行するものなどがある。その状態を明らかにすることは、公害(広い環境汚染で被害が予想される)については環境省や国立環境研究所などが税金をもらっている立場から義務と言える。 また、再飛散したものが、空気中にどのぐらいの濃度で存在するか、それを呼吸した時に咽頭、肺などにどのぐらい取り込まれるかを明らかにしていく必要がある。今回の鼻血や、私が三重県の個人の測定データから三重県の汚染を推定したように、安心した生活をするには必須のものであるが、それを明らかにするのを政府や専門機関は避けている。 環境関係および原子力、放射線関係の学会や専門家は、社会的責任としても、また学術的にも、特別な計画を立てて原発による汚染の研究を進める必要がある。これはこれまで原子力を進めてきた日本、原爆を落とされた唯一の国としての日本、そして事故を起こした責任としての集団の責任があるからでもあり、さらに時々刻々、貴重なデータは失われている。3.被曝による健康被害調査を実施する・大気汚染や水銀汚染などと同じように、政府や関係機関は公害の恐れがあるときには積極的に健康調査を実施し、その結果を報告する必要がある。被爆の場合は、甲状腺がん、急性白血病、一般のガン、遺伝性疾患などは必須だが、日本は世界にかんたる技術国であり、さらに原発を積極的に推進していたのだから、福島事故では精密なデータを取り、今後の人類の発展のために供さなければならない。 現実に、甲状腺がんは増加しており、急性白血病も増えているといわれる。これが「風評」になるのは、信頼性があり学問的に中立なデータが測定されず、公表されないことにある。 この件は厚労省や医学界にも責任がある。厚労省は政府機関ではあるが、国民の健康を守る役場でもあるので、より積極的に世界的にレベル高いデータを出すべきであり、医学界は学会として政府からは独立しているので、被曝と健康障害に関する人類の智慧を確実なものにするために、学問として、第三者として、専門家集団として、学会を上げて調査を進めるべきである。4.食材の汚染を経時的に調査し、公表する・食材についてはよく「風評」というが、政府や学会がデータを公表しなければ、すべての情報は「風評」になる。これまで私の記憶では、政府が食材について網羅的、個別的に「ベクレル表示」をしたことがない。 つまり国民はこの3年間、「日本の食材は汚染されているが、その程度は不明」と言う状態の中にいる。「子どもに責任を持つ親」が何とか情報を得ようとするのは当然であり、政府もそのような日本の親は歓迎すべきだろう。その親はどこからデータを得ればよいのか、どうしたら子供を守ればよいのかというと政府の言う「風評」以外にはないからだ。 この世に悪人はいない、誰も法律違反はしないということなら、「政府の言うことを信じろ」ということだが、政府はすべての食材を測定していないことは事実であり、さらに流通段階での怪しげな情報は後を絶たない。この状態で「政府の言うことを信じろ」というのは具体的にどういうことを言っているのだろうか? これも隠ぺいの一つである。鼻血という小さな問題が、漫画に描かれただけで、日本の政治家や自治体がこれほど敏感に反応するというのは、彼らの心の中に、「堂々とした考え」がないことを示している。また福島や近県の人が「被曝は安全だ」という政府の説明を信じていないことも十分に理解しているのだろう。それなら、積極的に国民の疑問を解消する方に舵を切るべきだ。 数年前、「安全、安心社会」と言われたとき、多くの人が「これからは「安全だ」と言うだけでは不十分で、「安心する状態」を作っていかなければならない」と言った。でも原発事故の後の被曝の問題では、法令で1年1ミリシーベルト以下となっているのだから、国民が具体的に1年1ミリシーベルト以下の被曝に収めるように自ら生活できるだけの情報を提供することが「安心」につながるのは当然でもある。 今回の鼻血問題は、1)表現の自由、2)公害の訴え、3)放射線のデータ隠匿、4)国民が計算できないデータ公開、5)安全安心社会、のいずれにも大きく悖るにも関わらず、大臣、首長、専門家、マスコミなど社会の指導層が単に「原発を再稼働したい」という目的以外の目的を示さずに強引に国民をバカにした言動が続いたことは残念だった。 またマスコミはSTAP事件も同じだったが、「組織が正しく、個人は間違っている」(STAPでは理研と小保方さん、鼻血は大臣や首長と作家)という前提を置いているのは報道にあるまじきことで、放送法第4条の違反でもある。 (平成26年5月14日)
2014年05月15日
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久しぶりに内田樹氏のブログを覗き、「学校教育の終わり」を読んだ。とても共感したので、ここに紹介をさせていただく。 「学校教育の終わり」2013.04.07
2013年04月09日
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楽天のブログから、ブックマークが消えていたもっと早く対処をしておくべきだったと思っても、後の祭りである。中部大学の武田邦彦教授のブログは、ある時期からずっと読んでいる。今日の記事もとても納得するので、ここに転載しておこう。知の侮辱(11)・・・野蛮人? 2011年の原発事故から約1年が経ちました。この大きな事件でさまざまな面で日本の後進性、知に対する侮辱が見られました。その中で「日本って、こんなに野蛮だったか!」と驚くことも多かったのです。 私は自分でつけたタイトルですが、「野蛮人」という言葉に抵抗があります。この言葉はヨーロッパ人の思想に近く、「文明が人間を人間らしくする」という基本的な仮定があるのですが、自然の中でゆったりと暮らしている人と、競争に明け暮れて訴訟ばかりしているアメリカ人とどちらが「人間として」優れているかは判らないからです。 でも、ここであえて野蛮人という言葉を使ったのは、街角で犯罪人の首をくくり見せしめにする、災害があると普通のおばさんを捕まえて魔女として火あぶりにする・・・こんな現象はやはり野蛮な行為ではないかと思うからです。その点ではここで言う野蛮人というのは、中世のヨーロッパなどの野蛮な行為を意味しています。 ・・・・・・・・・ 福島原発事故で私がもっとも野蛮だと思ったのは、「被曝に負けない子供」という言葉です。県民税、市民税が減ると生活に影響があると心配しているとしか思えない人たちは地域から人が逃げていくのをいやがり、「被曝に負けない子供」という奇妙な発想をしたのでしょう。 水俣で水銀中毒事件が起きたときでも、「水銀に負けない子供」という標語を作り、水銀で汚染されたサカナを食べさせるようなことはしませんでした。新型インフルエンザが流行した時も、「新型インフルエンザに負けない子供」ということで学級閉鎖をしない、隔離しないということもありませんでした。 科学が進み、魔女がいなくなった今の日本で、まさか「被曝に負けない子供」という言葉を作って、子供たちの被曝をそのまま放置する方法の一つとして活用したのは野蛮な行為であり、私は気分が悪くなります。 これに似たのが「農家の人を助けよう」という言葉で汚染された野菜、牛肉を売ったことです。確かに汚染された農作物を食べたいという人はいませんが、「農家の人を助ける」と聞くと「私の食べないといけないかしら」と思うのは、「こころ優しい日本人」のような気がしますが、決してそうではないと私は思います。 被曝した農作物を出荷するという行為は農家の信用を落としますから「農家の人を助ける」ことにもなりませんし、それを食べる人の「健康を損ねる」ことにもなります。もともと「人が食べるのにはふさわしくない」というものを出荷する人は「農家」ではないでしょう。 「農家」という名称は「そこから出荷される農作物を食べて命をつなぐ」というのではないでしょうか。あまりにも当然ですが・・・・・・ これと似た野蛮な言動が「風評被害」という言葉でした。風評被害というのは実質的に被害がないのに、噂を立てて被害を生じさせることを言いますが、1年1ミリ以上の被曝が法律上許されないのに、セシウムだけで1年5ミリシーベルトの被曝を認めた暫定基準を決め、おまけにセシウム量も測らずに出荷する農作物を買わない人に対して、政府が「風評被害だ」といったのには、これも気分がわるくなりました。 ある東北の知事さんが「県民はベクレルなどと言っても判らないから、安全か危険かだけ言うのが良い」と発言したのはびっくりしました。民主主義ですから、知事は「公僕」ですから、県民の召使いです。それが「主人はバカだから数字はわからない」と公言するのですから、なぜ知事になりたいのかも理解できません。 原発事故の直後、「直ちに健康に影響は無い」と政府は繰り返し、1年経ったら、「被曝の影響がすぐ現れることはないのは常識だ」と原子力安全委員長が会見で発言するのですから、これも驚くべきことです。 ・・・・・・・・・ このようなことはここ1年で数限りないほどあり、それは多くの人の心をかなり痛めたような気がします。「自分の住んでいる日本、こんなに誠実で学問を尊重してきた日本、子供を大切にしてきた日本。それが本当の姿はこんな社会だったのか!」と残念に思います。
2012年02月19日
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このブログを使うようになったのは、2003年。もう8年も経つのだと、あらためて時の流れの速さに驚く。来年の1月12日に、「足あと、メッセージ、BBS、ブックマーク」の機能が終了すると知り、少しガッカリしている。オークションや星座占いは使っていなかったのでいいけれど、メッセージがなくなるのは寂しいなあ。ブログを読んでくださって、メッセージをいただいた方とメール交流などができるようになったことも何度もあるので…。また、私も「コメント」に書きこむのはちょっと…と思い、メッセージを書いたことも何度もあるし。それでもまあ、私の場合は最近あまり書きこんだりしていないので仕方がないと思ってる。最初からなかったと思えばいいや…と。そう、私は何かを諦めたり我慢したりしなくてはならない時、「最初から無かったと思えば、どうってことないさ」と考える方なのだ。どうしても必要なものなら抵抗だってするだろうけれど、そのようなものって、実はさほど多くはないものだから。しかし、そんな私でも、「もしこのブログそのものが無くなるとしたら」と考えて、ちょっとばかりうろたえた。今までに書いてきたブログの件数「1620件」。これを全部コピーしたり印刷したりすることは、不可能ではないけれどやる気がしない。どうしても残しておきたいものがあれば何とかするけれど、その必要が私にあるのかないのかよくわからない。ただ、私の心が「せっかく書いたのに消えるのはもったいない」ということだけだ。うーん、これは『欲』というものだなあ。もともと、このブログは私だけのもの。私個人を直接知っていて、このブログの存在を知っているのは8年たっても4人だけ。多分、その人たちも最近はあまり読んではいないだろうし…。書いたものだって、他の誰かに見せたいということではなく、ただ自分の覚書というか、心のゴミ箱みたいなものだし、残さなくてはならない必要性はまったくないはず。うん、万一ブログが無くなるようなことがあっても、「今まで楽しませて下さってありがとう」と、原則諦めることにするぞこう書きながら、また、ふと思った。今年の大震災で、家も思い出の品物もすべて失った人たちの中には、このようなブログで、思い出や懐かしい写真などと再会した人も多いのではないだろうか。ひと昔前なら、様々な貴重なデーターは『原本』が無くなってしまうとオシマイのものも多かっただろうが、今では色々なネットワークでつながっているから、大切な資料(史料)も助かったものも多いのかもしれない。やはり、情報機器の発達はありがたいものだと思う。しかし、私個人としては、できるかぎり「何もなかった昔」のことを思い出し、「無くなったからってどうってことないさ」の精神を大事にしよう。ところで、楽天ブログのお知らせの最後に「楽天ブログでは、今後もユーザの皆様への一層のサービス向上に取組んで参りますので、ご理解を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます」とあったけれど、「一層のサービス向上」ってどんなのだろう。ブログ機能のサービス向上ってことなのか、ブログ利用者にもっと楽天市場を使う気になるようにするってことなんだろうか。願わくば、「ブログ機能」が今まで以上に便利になることを祈るけど。
2011年12月15日
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数日前、ある人のHPリニューアルのお知らせがあり、その中に私のブログがリンクされていた。私はてっきり、その人が私の書いた記事と知らずにリンクしたと思ったので、少しびっくり。というのは、私は自分のブログは諸般の事情により匿名性を大事にしていて、このブログがきっかけで知り合った人数名と、昔からの信頼できる友人二人にしか、正体を明かしていないつもりであった。ところが、その人は書かれている内容から、以前から私が書いているのではないかと推測していたらしい。しかし、私が匿名性を大切にしていると感じたからか、あえてそのことは問い正さずに、自分に関係のある記事のみリンクしていてくれたのだ。その人になら、私が書いたものだと知らせても良いと思い、「実は、あれは私が書いたのです」とメールをしたら、「以前からそうではないかと思っていた」と返事か来て、「ヘーッ! 内緒で書いているつもりだっただけで、バレバレだったの!」と愕然ひょっとすると、これを読んでいる人の中には、私が誰かを知りながら黙っていてくれる人が他にもいるのかもしれない。そう思うと、色々な意味でかなり恥ずかしい。でも、一応隠れて書いているつもりなので、そのあたりをお含みおきくださいね
2011年10月06日
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日本の若者や子ども達の健康を守りたいなら、武田邦彦教授のよびかけに、ちゃんと答えてください。武田先生の言っていることに批判をするなら、きちんと根拠をしめしてほしい。脱原発論議とは区別して、日本人の放射能被害を最小限にくいとめるために、原発に対する姿勢の違いを超えて、学者や医学関係者、国政や自治を担う人たちが、きちんとテーブルについてほしいと切に願います。危機を回避するためには、最悪の事態を想像しながら対策を考えるのが常識ではないでしょうか。【よびかけ】2提言に関する専門家・自治体への呼びかけ(平成23年9月11日)
2011年09月12日
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今、自分のブログ管理ページを見ていたら、「ブログ開設日数」が3000日となっていた。開設日は2003/06/19で、日記記入率:48.8%とある。最近はあまり更新していないが、一時期は毎日のように書いていたと思う。我ながらよく続いたなあという感じだ。考えてみれば、このブログのおかげで自分の活動が広がった部分もあるし、見知らぬ人とのネット上やメールでのお付き合いもぼちぼち…。色々な考え方があるけれど、私のようなタイプの人間には、この世界は悪くはないと感じている。もしも私が、今でもパソコンが使えなかったら、どのようになっているのだろう。多分、もっと頻繁に図書館通いをして、違う世界を覗きまわっていることだろう。考えてみれば、幼い頃から私は本の中で遊ぶことが楽しみだった。つまり、直接的な友達との遊びよりも、バーチャルな世界で遊ぶことの方が居心地が良かったといえる。もしも今私が子どもや若者なら、ネットの世界にもっともっとはまり込んでいたことだろう。そう思うと、なんだか複雑な気持ちにもなるが、この世の中は現実的・直接的な人との関わり合いを絶っては、いくらバーチャルな世界でははばたけても、現実生活は決して心豊かに生きることはできない。人間が生き物であり決してロボットではないのだから、人との顔を合わせてのコミュニケーションは避けては生きられないだろう。そのあたりの自覚とバランスが、この世界が好みの人間は意識した方がいいだろうと思う。(自戒をこめて…)そんなことも思いつつ、これからも思い出したようなブログ生活を送るのだろうな。
2011年09月04日
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全面的にこのお二人の言い分を信ずるという意味ではないが、今日の時点でこのブログを読んで「その通り!」と思ったのでご紹介します。原発事故の東電はもとより、原子力安全保安院の言い分なども、今ではほとんど信頼できずにいるのが正直なところ。せめて、政府を信じたいのですが、それもグラグラ・・。でも、今は東電や政府の覚悟ある言動を祈るしかありません。そして、それぞれの個人としては、今の時点でどのように行動するかだけが問題です。特に、被災された人たちは、自分達や子ども達の未来のためにも色々な情報を検討し、自分の頭で考え判断して何とかするしかありません。病弱な人、障害を持った人、子どもたちなど、誰かに依存しなければ生きることができない人は別として、国や県が何とかしてくれないと嘆いたり批判することでは、何ともなりません。十分頑張っていらっしゃる人に「頑張れ」とは言いにくいのですが、他の誰かや組織に依存することで何とかしようと考えないでください。故郷や友人・知人も大切です。でも、大切だからこそ、自分で何とかできる人は、まずは自分の安全と生活の基盤を確保してください。自分でしっかり立っていられない人は、大切な人や故郷も守ることはできません。この危機的な東北地方や原発や、それを抱える私達の国日本を守るために、お互いに自分の頭と足で歩きましょう。その意味でも、私は色々な人の発信する情報を見ています。そして、「本当にそうだ!」と思うことを、ここでもご紹介しているのです。 武田邦彦 (中部大学) 原発7不思議 なんで東電なの?! 原発七不思議 神になった専門家河野太郎ブログごまめの歯ぎしり 救済されるべきは東電ではない 2011年4月21日 声を上げますか、それとも泣き寝入りですか 2011年4月23日 09:25
2011年04月25日
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毎日、本当に気になる原発関連ニュースや記事。何よりも、一日も早い終息を願っているが、その後のことを考えると知らなくてはいけないことが沢山あるような気がする。今日読んだネット記事。まずは、日本における原子力発電推進の背景を大づかみから。記者の目:「原子力ムラ」の閉鎖的体質=日野行介毎日jp特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ毎日jpこれから出掛けるので、また更新するかも。
2011年04月23日
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携帯同士ではだめだったけれど、パソコンから携帯にメールを送ったら届いた!やっと妹一家の無事を確認して、とりあえずホッとしている。北海道のあまり地震の被害のない地域でも、家電同士の電話は通じない。さきほどから、携帯同士の電話はそこそこ通じるようになった。妹の家も、停電と断水状態のようだ。テレビもつかないので、詳しい状況がわからないようである。情報遮断はやはり不安なことだろう。緊急事態の連絡方法を、家族同士で話し合っておくことがとても大切だと痛感する。
2011年03月12日
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このところ忙しい毎日が続いていて、ブログを更新できないままになっている。しかし、今、アクセス数を見てみると、カウンターが299913となっている。ひょっとすると今日中に、300,000の大台に乗るかも。2003年06月19日から今まで、1513件書いてきたことになっている。ここまできたら、10年は続けましょうか。これから出掛けなくてはならないので、帰ってきて見るのが楽しみです。≪追記≫300000番目の方は、 2009-10-18 01:03:49 *.yahoo.co.jp でした。
2009年10月17日
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またまた秀さんのブログから教えてもらったことで恐縮だが、これは多くの人に読んでもらいたいと思い、ご紹介する。「日経エコノミー」というサイトで、飯田哲也(いいだ・てつなり)氏が書いている以下の記事である。25%削減は可能であり希望だ・新政権における環境エネルギー政策の行方と期待(09/09/17) ■「脅し」に使われた国民負担 ■「麻生中期目標検討会」の本質的欠陥 ■25%削減実現の「ドリームチーム」を ■経産省フィード・イン・タリフの即時凍結が第1歩私の能力ではよくわからないことも多いのだが、傾聴に値する論だと感じる。もっとちゃんと読み込みたいと思うが、何よりもこのような言説を読むと、「鳩山総理、頑張れ!」という気持ちになった。きちんとしたデーターに基づく信念で、理想を現実化してほしいと思う。
2009年09月29日
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私がこの楽天ブログを開設したのは2003年06月19日。それから2277日がたった。(約6年3カ月) 総アクセス数:296651 アクセス(平均 130 アクセス/日) 日記記入率:59.9%我ながらよく続いていると思う。少しフリーページに過去の記事を転載しておこうかと見直すと、(この時は、こんなこと考えていたんだなー)と新たな発見があったり。もともとは、通信教育で慶應大学を卒業した経験が、後輩たちの参考になればと思って作ったものだけど、それは最初の3年くらいで役目を終えた感じがする。その後は、日ごろの生活の中で感じることあれこれを、気が向くままに書き連ねてきた。今思っているのは、このブログで書くことで、私自身の考えを見つめることになり、その結果整理され、現在の自分自身の行動を支えるものになっているかということだ。もともと、書くことは嫌いではなかったが、プライベートな日記はただ感情を書くことが多く、他人の目にはさらされることはないので、自分本位の考えを強化することがあったり、自分の精神のストレス解消には役立っても、いわゆる『止揚(アウフヘーベン)』にはなりえなかった。でも、匿名で書いているとはいえ、たった二人だが現実の私を知っている人も見ているし、私の文章だけから判断してコメントなどを書いていただく人も多く、それまで自分が気付かなかった自分の考えの狭さや、新たな視点を示していただくなど、このようなブログも、本当の意味での「対話」になりうるということを感じている。蛇足だが、私はできるだけ正直に書こうとは努めている。でも、人間である以上、多少の自己弁護や見栄も入っているであろうことも事実でしょう。私は、現実生活の中で、知人・友人とも色々な話をする。また、かつての仕事や活動の中で、色々なことを考えたり感じていることもある。そして、私自身の感じ方・考え方は、ひょっとすると少数派かもしれないが、さほど間違っていないのではないかと感じるようになっている。現在でも、アクセス数は更新をしない時でも50前後、更新したら100を超えるアクセスがある。だから、もっと自分に自信を持って、具体的な話から説得的に主に福祉関係の問題提起をしたいという気持ちも強くなってきた。しかし、「具体的」となると、私の指は思うように動かなくなる。『具体的な話』は、必ず私の身近な人のことを書くことになるし、それはある意味、とてもプライベートな話にもなる。匿名性を維持したいということとも矛盾することも多いし、私の思考や感性を通過することで、事実は一方的になってしまう怖さもある。昨日も、私のブログを見ている友人と話したのだが、児童福祉分野で働く彼女の考えや問題提起にとても共感し、友人の話、としてでも書きたいと思うのだが、正確に書くことはとても難しいと痛感。だから、現場からの思いを本人にレポートしてもらい、私のブログでアップしたいと思い、お願いもした。だけど、彼女も忙しいし、無理かなー。ここで、あらためてラブコールしてしまおう。よろしくおねがいしますそのような形で、私が支持する考えや行動を紹介したり、そこで私の感じていることなども書いていきたいと思う。それにしても、今までに書いた記事(つぶやき?)は1495件。あと5件、いやこれを書いたらあと4件で1500件ウワーッという感じだ。この記事まとめてデーターとして落とせないものだろうか。自分で書いたものはそれなりに愛着もあるのだが、整理してwordなどに編集しなおすのはあまりにも面倒。何か良い方法はないものでしょうか。それともう一つ、私のブログは「マイペース50代」なのだが、50代もあと1年を切ってしまった。最近は、「私の60代のテーマは何かなあ」と思うことも増えてきた。しかし、今のところテーマなんぞは見つからず、「まあ、今までどおりにマイペースで。でも、もう枝葉は広げないようにしよう」程度。長寿遺伝子を持つ私は、多分長生きするだろうから、現状の意欲が残っている間は、日記代わりにブログも書くだろう。しかし、このブログのことは家族も知らないので、私が突然死したら多分放置されることになるだろう。ですから、もしも1年以上更新されなければ、私は指か頭が動かない状態になったか、別の世界にワープしたと思ってくださいね。
2009年09月12日
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最近はニュース関連のブログばかりでしたが、その合間にこんなサイトを見つけました。誰かのブログで紹介されていたので、今、やってみました。その結果を見て、吹き出してしまいました。結構、的を射ているんですよ。「初恋の人からの手紙」このサイトで、いくつかの質問にチェックすると、初恋の人からの手紙として表示されるのですが、それがこれ↓初恋の人からみらいさんへお手紙が届きました。--------------------------------------------------------------------------------みらい、元気?もうそろそろダイエットは終わったかな?今ごろみらいは理想体型になっていることと思います。別れたくないおれに、みらいが「別れても連絡するから大丈夫だよ」と言いつつパッタリ連絡が来なくなったあの日から、もう44年が経ったんだね。月日が流れるのは早いものです。この手紙を書いたのは、特に用事や理由があるわけではないんだ。ただ昨日友達と会ってみらいの話題が出たから、ひさびさに思ったままでも何か書いてみようと思って。びっくりさせたかな。あのころの付き合いを思い返してみると、かなり自分だけが空回りしていたなぁと思います。みらいのほうがだいたいいつも余裕があって、電話できなかったり会えなかったりすると、なんだかんだとおれのほうが不機嫌になっていたなぁと。「好きな人ができたら言ってね」と言うみらいの余裕が、やけに自分には痛かったものです。というか別れるのを推奨されていたような…。そういえばみらいにとって、おれって初恋かな? なんだか普段からやけにツンツンしているわりに、恋愛になるとぎこちなくなっていたイメージがあります。もはやあんなウブさはないんだろうけど(笑)。まだ付き合い始めのラブラブだったころ、みらいは「もう彼氏は人生に一人いれば充分」などと言っていましたよね。嘘つけと思ったけど、嬉しかったなぁ・・・。ま、結果を見てみても、完全に嘘だったけど(笑)。恋愛を総括して言えば、きっとおれはみらいと付き合うことができてよかったのだと思います。いつもどこかにいってしまいそうなみらいと付き合って、最終的には自分との戦いだということを学びました。いろいろ書いたけど、おれはみらいが大好きでした。これからもみらいらしさを大切に、あと、Gカップになるという夢もそのまま追いかけながら(笑)、新しい誰かと幸せになってください。またいつか会いましょう。では。P.S. 誕生日にあげたシルバーリング、オークションに出したって本当ですか?残念ながら、現実の私は初恋の人とはお付き合いすることはできなかったのですが、幼馴染の人に強引に付き合いを求められ、友達としては嫌いではなかったし、相談した共通の友人にも「付き合ってみたら?」と言われ、断れば友人関係にもヒビが入りそうで、何ヶ月か付き合った経験があるのです。結局、「この人を異性としては愛せない」と感じ、色々ドタバタして別れたのですが、この手紙を読んだ時、すぐに彼のことを思い出しました。「そういえばみらいにとって、おれって初恋かな?」なんて、勘違いさせたまま別れた彼に、本当に申し訳ない。でも、あの時は、いくら冷たい私でも、「あなたに恋したことはないし、これからも恋愛になる可能性はない」なんて、とっても言えなかったんですよ。それでも、その後お互いにそれぞれちゃんと結婚したし、その当時の申し訳なさと、自分への自己嫌悪で20年あまりは会うこともなかったけれど、共通の友達を通して再会し、「幼なじみ」としての付き合いも復活しました。でも、まだどこか勘違いしたままの彼の言葉に接すると、「うーん、違うんだけど」と思いつつ、「まあ、いいや」と思っている私です。ちなみに、このサイトでは「分析結果」も出ます。これも、結構当たってるかもと思いましたが、今の私にはあまり関係ないので流し読みしました。このようなサイト、どんな人が見ているのかな。私のように面白がっている人が大半なのかそれとも真剣に見ている人が多いのか。興味があったら、どうぞお試しください。
2009年09月09日
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8月6日に広島の原爆忌に開かれた田母神俊雄の講演会についてニュースやブログを検索していて、下記のサイトを見つけた。黒古一夫BLOGこの人の名前は、どこかで見たことがあるという感じがしたが、最近、新聞の書評欄で村上春樹の「1Q84」についての書評を書いていた人だった。その書評を読んで、そのうちに読んでみようかと思ったことが記憶にある。(この書評について、色々とブログに批判コメントを書いている人もいるようで・・)それはともかくとして、今日読んだいくつかの田母神氏の講演についての記事で、黒古氏の書いたものがとても共感できたので、ここに転載させていただく。これを機会に、原爆文学を!2009-08-08 00:00:19 | 昨日の続きのようになるが、メディアが伝えるところに拠れば、例の「狂信的」としか思えない核武装論者の前航空幕僚長田母神俊雄が、こともあろうに「8・6ヒロシマデー」と同じ日に広島市のホテルで持論の核武装論をとうとうと語り、850人の聴衆が彼の演説に聴き入ったという。 講演会の主催は、戦後も生き残った国粋主義・民族主義の信奉者達が集う「日本会議」の広島支部だという。この反核・反戦運動をあざ笑うかのような「日本を憂う」ナショナリスト達の目論見が、日本国憲法(とりわけ「前文」や第9条等々)が体現している戦後的理念を否定するところに成立しているものであることは火を見るより明らかであるが、そのような「日本会議」の目論見とは別に、北朝鮮の核武装をきっかけに国内で盛んになってきつつある核武装論がいかに危うい論理であるか、そのことについて書いておきたいと思う。 まず、何故「核武装論」が危うい論理の上になったものであるか、といえば、それは核兵器(原水爆)をあくまでも「戦争の道具」としか見ていない、ということがある。 新聞に拠れば、田母神氏の「核武装論」は、「核廃絶は絶対できない。夢物語に過ぎない。(何故なら)各国首脳も核武装して強い国になった方が国が安全になると考えている。核兵器の戦争に勝者はない。だから大きな戦争にもならない。日本も世界の中で生きるために核武装を追求すべきだ」というものであるという。 保守党の政治家を初めとする大方の核武装論者も、田母神氏と同じような論理に基づいているように僕には思えるが、彼らの論理が間違っていると思う理由には二つある。 一つは、「ニュークリア・バランス=核抑止論」は冷戦時代の産物であり、確かに東アジアにおいては「北朝鮮VS日本」という形の冷戦構造が残っているという論理も成り立つかも知れないが、「核戦争に勝者はない」ということが分かっていながら、それでも核武装を推進すべきというのは、仮想敵国からの核ミサイル発射に関して、これまで何度「誤認」があったか、またそれに基づいて核戦争の一歩手前まで何度行ったか、を歴史的に検証していないということで、核武装すれば核戦争は絶対起こらないというのは、幻想に過ぎない。 これは、スリーマイル島やチェルノブイリ、あるいは日本各地で小規模ながら繰り返し原発で事故が起きているにもかかわらず、「原子力発電は安全である」という「神話」を信じているのと同じ精神構造と言える。 核戦争がこれまで起こらなかったのは、ただ単に「偶然」の所産にすぎない。「やられたら、やり返せ」が戦争の本質だとするならば、兵器としての原水爆など(田母神氏のような)「狂信的」な指導者が存在した場合、いとも簡単に使用されるのではないか。 核兵器が使用されたら、「ヒロシマ・ナガサキ」の何十倍も威力のある原水爆によってどれほどの被害が出るか(人類が滅亡するか)、容易に想像できる。 もう一つの理由は、「核・原水爆」の問題は、「ヒロシマ・ナガサキ」の出来事が実証したように、文明論的・歴史的な側面からも考えなければならないことで、もし万が一にも全面核戦争が起こったら、「核の冬」現象のことを考えても、そこで私たち人類の歴史は終わり(あるいは今までのものとは異なり、大きく変質したものになる)、「猿の惑星」ではないが、営々と築き上げてきた「文明」に終止符を打つことになる。 そのことについて、核武装論者達は一顧だにしていない、そこが最大の問題なのである。 このような「文明論的」「歴史的」観点の欠如は、「ヒロシマ・ナガサキ」について報じたり論じたりしているマスコミ・ジャーナリズムも同じで、薄っぺらな感じを免れることができない。 その意味では、マスコミが高く評価しているオバマの「核軍縮」論も同断である。 しかし、「日本の原爆」(全15巻 83年 ほるぷ出版)のどこを繙いても理解できることだが、日本の文学者達は、戦後間もなくの原民喜(「夏の花」など)や大田洋子(「屍の街」など)を初めとして一貫して上記のような「文明論的」「歴史的」観点から「核・被爆」の問題を考えてきた。 「核廃絶」を言うのなら(あるいは「核武装論」を唱えるなら)、「夏の花」や「屍の街」、あるいは井伏鱒二の「黒い雨」、小田実の「HIROSHIMA]、井上光晴の「明日―1945年8月8日・長崎」、そして林京子の「祭の場」他の作品を読んでからにして欲しい。 海外にだって「ヒロシマ・ナガサキ」の出来事を真摯に受け止めた上で書かれたと思われる原爆文学(大方はSF)がある。 「熱い夏」は良い機会だから、僕らはそれら「原爆文学」の成果を今一度じっくり考えるべきなのではないか。(読みやすいように、改行や太字にした部分があります)私は、単純に考えて田母神俊雄氏の品性や理性・感性を疑うのだが、彼が「幸福実現党」と理念を同じくすると知って、いよいよ信じられないという感じだ。田母神俊雄×大川きょう子「激論・日本の選択」(上)(下) (産経新聞、意見広告)個人がどのような思想を持ち、それを主張してもとやかくいうつもりもないけれど、ミサイルが飛んできそうなら先制攻撃をすることが、幸福の実現への道か?それに加えて、産経新聞って、これほどの意見広告を掲載するのは、幸福実現党を支持しているということなのか?ちょっと話が幸福実現党にそれてしまったが、もう少し黒古一夫氏のブログを読んでみようと思う。
2009年08月08日
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この一年余り、どうもパソコンが不調でしたが、なんとかだましだまし使っていました。でもこの数カ月は、固まってしまったり、勝手に終了したりで、夫などは(もともとあまり使っていないけれど)「使う気になれない」と見放されていた状態。でも、ケチな私は、「完全に壊れたわけじゃないし」と頑張って使ってましたが、最低限度の利用しかせず、ブログは他の人のものを時々見る程度になってました。そんな時、長男が「ネットで購入したら、結構安いよ」というので、思い切って息子に相談しながら買いました。今までネットで買うことを躊躇していたのは、接続や設定など、自分でやることに自信がなかったから。幸い、以前とは違い長男も車で一時間足らずの町に住んでいるので、「僕がやってやるよ」と言ってくれましたので。一昨日、接続や諸々の設定や登録もあらかた終了。とにかく、インターネットの検索や書き込みなどが以前の数倍のスピードでできるので、使っていても本当に楽しい!!でも、価格を抑えるために最低限のソフトで買ったので、今まで使用していたソフトのデーターなどは、おいおい整理していく必要があります。いずれにせよ、キーボードを打っていてもなんだか嬉しいですね。これを期に、ブログ更新をとも思いますが、そちらのほうはどうなることやら。このところ放置状態のブログなのに、見に来てくれる人がいらっしゃるのはありがたいやら申し訳ないやらです。
2009年06月09日
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「変えよう日本の学校システム」(古山明男氏)のブログを、久しぶりに覗いてみた。以前は時々読んでいたのだが、このところご無沙汰していたのだ。(だから、テーマの「サイト見つけた!」はちょっと適切ではないのだが)古山氏のお書きになっていることは納得できることが多いのだが、中でも、2009年4月 2日 (木)の「恐怖に対する条件反射」は、思わず「なるほど」と膝を叩くような気持ちになったので、ここでご紹介しておこう。大人でも子どもでもそうだが、逃げてばかりいる思考、融通の利かない思考、聞きかじりの結論ばかり蓄積している思考は、恐怖に対する条件反射である。自分を観察すればわかる。生徒を観察していてもわかる。ただし、言葉での結論なしに、直接に知覚する必要がある。恐怖自体はモヤモヤとした、身体全体で感じる身体感覚である。言葉ではない。そのモヤモヤを一瞬感じ取ると、たちまち、さまざまな条件反射が起こる。これは、あまりに素早く起こる条件反射なので、恐怖によって引き起こされたことが非常にわかりにくい。話をそらせる。りっぱなことをしゃべりはじめる。お決まりの楽しいことを思い出す。何かをいじりはじめる。お決まりの解決方法を思い出す。そのようなことが起こる。これは、恐怖自体を感じないですむように、気持ちが楽になることを記憶の中から呼び出しているものである。自動反応となっている。これが、生徒が授業に集中しない原因である。原因は他にもいろいろあるが、もっとも大きなものの一つだと思う。これはまた、大人同士のコミュニケーションがうまくいかない大きな原因の一つだと思う。大人は、恐怖の引き金が引かれると、たいていは一方的にしゃべりまくって、相手の存在が見えなくなる。小学校にあがる頃には、多くの子どもが恐怖を抱え込み、たくさんの条件反射で反応している。教育困難と呼ばれる子供たちのかなりがこれだと思う。教育にできることは、この条件反射を解きほぐしてやることである。親切に暖かく、かつ逸脱をたしなめて、物事そのものを見るよう援助することである。おきまりの恐怖の回路にはまりこみそうなときに、ちょっと手をさしのべることである。恐怖からやることは、上の空であり、型にはまっている。しかし、その型に落ち込まずに、物事を意識的に好感をもって行うと、条件反射回路が消えて、自由意思が使いこなす道具の一つになる。それが教育のすべてということではない。しかし、大事な一部である。同じようなことをしているようでも、これを厳しく、批判的に、逸脱に罰を与えて止めるようにすると、逆効果になる。そのつらさを逃れようとして新しい条件反射ができるのである。教育にとって、知性と暖かさがどれほど重要であることか。子どもが、木登りをして落ちても大丈夫と感じていることが、大事なのだ。「何歳までにかくかくができるようになること。脅しても辱めても競争させてもかまわない」これが、逃避的で、頑なで、無力な知性をたくさん産み出してしまう。話をそらせる。りっぱなことをしゃべりはじめる。お決まりの楽しいことを思い出す。何かをいじりはじめる。お決まりの解決方法を思い出す。そうか、これは、恐怖から逃れようとする条件反射なのか。そう考えたら、様々な場面でコミュニケーションをとりにくく感じる人と向き合った時に、対処の方法を考えやすくなると思う。また、自分がこのような状態になった時に、「私は何を恐怖に感じているんだろう」と自省することもできるかもしれない。「親切に暖かく、かつ逸脱をたしなめて、物事そのものを見るよう援助すること」は、言葉にしたらたった一行だけど、実際にはなかなか難しいことだ。それでも、教えたり指導する立場にいる人には常に忘れずに心がけてほしいし、お互いに学びあう人間同士として、私たちも心がけていかなくてはならないと思う。
2009年04月23日
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以前から「お気に入り」に入れている「不登校・ひきこもり・ニートを考えるブログ」はもともとは楽天のブログでも書かれていました。その頃から、巨椋修(作家・漫画家・格闘家)さんのお書きになることにとても共感して、11月には、彼が監督をされた映画の上映と講演会までやってしまいました。今日のブログも、とても納得できる内容。というよりも、昨今はマスコミがあらゆることで「ネガティブ・キャンペーン」をしているようで、それに踊らされたくないと思いながらも、ついつい気分は影響されているのが現実。そう、私はとても周囲の気分に影響されやすい性質(たち)なのです。そしてそれは、人間がお互いに影響されあう存在である限りほとんどの人がそうではないかと思うのです。だから、ネガティブな情報の嵐の中にいると、自分がそれほどどん底でないのにも関わらず、「未来は暗い」という気分になり、ポジティブに考えられなくなり、さらにマイナス状況への螺旋階段に踏み込んでしまう。だからこそ、「本当にそうか? もっと未来に希望を持とうよ」というような言葉は、少なくても私には本当にありがたいのです。さて、今日のブログの一部を転載させていただきます。現代社会は不況といいつつ、豊かな時代であることも事実でありましょう。しかし、「豊か」=「生きやすい」というわけでもなさそうです。いまが、豊かであろうが、そうでなかろうが、人生における春であろうが秋であろうが、いまそのときを生きている人は、「いまを生きる」「いまを楽しむ」ということが大事のような気もします。明けない夜はないといいます。マイナス思考ばかりにならないで、少しプラス思考になって、未来に希望を持ってもいいんじゃないでしょうか?きっと、そのほうが楽しいし、楽だと思いますよ
2008年12月16日
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