OBOE-GAKI

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2005-10-25


視覚に制約をお持ちの方のための床上にある黄色い歩行誘導板

私も気を付けますが、その上に自転車やバイクがまたがって駐輪されていたり(~_~;その店の商品が置いてあったり、、危ないなあ、、と感じてしまいました(_ _)



2005-09-15
エレベーター(EV)のない地下鉄

今日久しぶりに地下鉄にのりました。
途中、車椅子に乗った方とベビーカーを押しているご婦人を見かけました(カートを使用されているご年輩の方もそうですね)。

その時ふと、このような風景もエレベーターがあってこその光景であって、エレベーターのない地下鉄の地域は上記のような方々の利用(出入り)に大きな制約を与えているのだと改めて考えさせられました。

自動改札機の横幅も、1ヶ所は横幅が自走式の車椅子に対応していたり、そのような配慮があって初めて車椅子を利用される方が他者の介助なしで地下鉄を利用できるという事ですよね、、(それでも車両とホームの間の空間に課題が残されている場合もあると思いますが)。

後日、大型スーパーで車椅子に乗られている方がご自身で買い物をされているのを見かけました。
段差のバリアフリー化やレジ通過の際の幅員(横幅)のゆとり、さまざまな配慮があってこそ可能なのでしょう。
それでも棚の高い商品を手にするのは難しいかもしれません。
そんな時、自然に「何かお探しですか?」と声をかけられるようになりたいと思いました^^



2005-08-13
障がいや病名などの診断は常にマジョリティ側(多数派)によってなされるという事


1.本人も周囲も困っていない

2.本人は困っていないが周囲は困っている

3.本人も周囲も困っている

4.本人は困っているが周囲は困っていない


マイノリティ(少数派)の困り感は3と4に対して、マジョリティ(多数派)の困り感は2と3です。
一般的に、障がいや病名などに診断されやすいのは2と3のように思いますので、障がいや病名などの診断は常にマジョリティ側(多数派)によってなされるという印象を受けました。



2005-07-10
「障害」という表現に思う

仕事でも家族でも、身近に該当する方がいると、この表現の持つニュアンスについて考えさせられる事が多くなると思います(個人的には対人では「制約」、表記上では「障がい」といった表現を使用しています)。

現時点での人(日本人)の精神性が、少数派(マイノリティ)の存在を憐れみでしか優遇する事ができないから、、「障害」という表現に違和感を持たないのかもしれません。
何の制約も持たずに生まれてきても交通事故などや脳硬塞などの疾病、精神的な負担で、誰でもそのような立場になる可能性があるにもかかわらず、、です。

もしも自分がその立場になった時、違和感を感じなくてもすむ世の中であってもらいたいと願う事はごく自然な感情かと思います。

せっかく認知症や統合失調症といった表現での配慮がなされ始めているのですから、いつか上記の表現の問題点にも着目される事を願っています。



2005-02-02
医療制度の本来あるべき姿

人々の健康維持の為のサポート的役割が、本来は重要だったように思います。
3時間待ちの3分診療と、よく言われるように、診察しても「良くなるお薬出しておきますね」で終わってしまう事も少なくないのではないのでしょうか。

利用者ご本人の生活習慣などに病気の原因がある程度の可能性があるのなら、原因の改善や再発予防に向けての生活習慣の検討、、本来は、そちらを重要視してあたるべきなのではないか・・そう思う事があります。

病院も、製薬会社も、民間事業である以上は、利益を重視する傾向に向うのは自然な流れなのかもしれませんが、、。
いずれにしても、利用者側が、常に賢明でなければならない状況にあると思います。



2005-01-24
マイノリティ(少数派)の症状

医学的に名前がつく症状の多くがマイノリティ(少数派)といった立場にあるように思います。
逆に言うと、老化や毛髪の減少化、近視・老眼などの、全体における比率の高い症状は、世間の理解も進みやすく、民間の企業に委託(化粧品会社、養毛・植毛企業、眼鏡店など)することも可能になっています。

まぁ、いずれにしても、利用者や消費者一人一人が、理性をもって賢明に判断する事が重要である事に変わりはないようです。^^

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