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第五幕「見えてきた黒幕」の続き。

「蘇民将来」と「過ぎ越しの祭り」も、 いよいよ、最終章へ!!

と、まあ、勢い込んでみましたが、
実際のところ、自分の頭の中は、収拾がつかなくなりつつあり、混乱しています。(^^;

前回、最後の方で、唐突に出てきた(?)「黒幕」のひとつ、謎の渡来人 「秦氏」


「秦氏」 については、見ていくとキリがないので、これ以上は踏み込みませんが、ある意味、日本の神道や、日本の今の風習、習慣の基礎を作り上げた「重要な」集団であることは、間違いありません。

そして、もっと言えば、「聖書」に繋がる集団であり、「聖書」でいう人類発祥の地でもある「中近東」、そして、「イエス・キリスト」にも繋がる集団である!!と。

と、そんなことを書いていたら、いつもお世話になってます けんたま様 から、重要な示唆をいただきましたので、こちらへ引用してみます。
いつもありがとうございます。

「秦氏」と「二十歳」(ハタチ)
民族ルーツの証しとしての旗印。
そして、20数理は、伊勢神宮の遷宮、復活蘇り。
ハタ=秦=幡=二十=旗・・・この繋がりに謎解きありそうですね。
秦氏、八幡、二十歳、旗印・・・???
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「二十歳」を何で「ハタチ」と読むのか、考えてみたら、ものすごく不思議。
まさか、秦氏と関わりがあろうとは、けんたま様に指摘されるまでは、思いもしませんでした。いつも気づきをありがとうございます。
いずれにしても、「秦氏」は、謎を解く鍵を握っているようですね。


★きっかけは「蘇我馬子」という名前★

今回の連載も、そろそろ区切りを付けなくてはいけません。


そもそも、「蘇民将来」と「過ぎ越し」の比較を紹介しようと思ったきっかけは、
kurohogan様 の記事でした。
再度引用させていただきます。
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二人は一人、一人は二人。kurohoganとみなもとたろう(誰もしらないって!)が同一人物源義経とジンギスカン、柿本人麻呂=猿丸太夫?アマテラス=イエス・キリスト?そしてうま(午)宿のみこ(子)=馬子?「蘇我▲我は蘇(よみが)える」


「蘇我馬子」 という人物は、いったい何者??
正直なところ、この人物に関しては、名前くらいしか知りませんでした。

彼について、せっかくなので、インターネットの「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」より引用してみます。
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蘇我 馬子(そが の うまこ、欽明天皇13年(551年)頃? - 推古天皇34年5月20日(626年6月19日))は飛鳥時代の政治家。ちなみに男性。
邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。

生年は不詳であるが、名前の「馬子」は午年生まれであることに因むと考えられること、『公卿補任』に「在官五十五年」とあることから、550年の庚午年前後であろうと推定されている。

父は稲目。 蝦夷は子、入鹿は孫。
また、娘の刀自古郎女(とじこのいらつめ)を聖徳太子に嫁がせ、外戚となって権力をふるった。

572年の敏達天皇の即位時に大臣に就く。 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、626年に病没するまでの54年に渡り権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築く。
仏教の興隆に熱心で、587年に厩戸皇子(聖徳太子)と共に泊瀬部皇子(後の崇峻天皇)を擁して排仏派の物部守屋を破った。
592年11月には不和となった崇峻天皇を東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を使って暗殺し、推古天皇を擁立した。
596年に法興寺(飛鳥寺)が完成、620年には、聖徳太子と共に「天皇記・国記、臣連伴造国造百八十部併公民等本記」を記す。

馬子の葬られた桃原墓は、奈良県明日香村島之庄の石舞台古墳のことだとする説が有力である。 また、同古墳の西数百mの位置にある島庄遺跡についても邸宅の一角だったとする説がある。
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蘇我氏自体が、謎に包まれているようで、出自についても実際のところよく分かっていないようです。
馬子についても、不明なところの方が多いようです。

それにしても、 「蘇我馬子」 という名前は、偶然にしてはあまりに出来すぎの名前です。

なぜなら、kurohogan様も述べられているように、 「蘇我」 「我は蘇る」
「馬子」 は、 「馬宿の御子」

「馬宿の御子」 とは、これ馬小屋で生まれた、 「イエス・キリスト」 のことを指します。

すなわち、 「蘇我馬子」=「我は蘇る、イエス・キリスト」!!
と見ることができます。

あるいは 「蘇我馬子」=「祖が馬子」=「祖先がイエスキリスト」??

この名前が、これらのように読み取れるのは、偶然でしょうか?


さらに、日本では、この 「イエス・キリスト」 との出生がシンクロしてくる人物がいました。

そう…  「厩戸(うまやどの)皇子」 と呼ばれた 「聖徳太子」その人です!!

「蘇我馬子」=「我は蘇る、イエスキリスト、あるいは聖徳太子?」


蘇我馬子は、娘を聖徳太子に嫁がせて、政治的にも協力し合ったりしていることから、浅からぬ関係が、伺えます。

いったい、蘇我氏とは、蘇我馬子とは、何者なのか?
聖徳太子との関係など含めて、興味深い氏族であり、人物です。

kurohogan様 謎解きお願いします!?(^^;


★最後の謎「蘇民将来」へ!★

「蘇我馬子」という 「蘇(よみがえ)る」 という字から 「蘇民将来」 という言葉を連想しました。
そこから、この連載を始めたのですが。

この 「蘇民将来」 という言葉は、そのまま、「最後の謎解き」へとシフトしていきます。

「蘇民将来」 …、これも実に意味深な言葉です。

なぜなら、 「蘇民将来」=「将来において蘇る民」!!
となるからです。

そして「蘇民将来」伝説自体が、日本に伝わっているということは、「将来において蘇る民」とは、どの国の人か、というのは、自ずと明らかなのですが……。


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最終幕への前置きが長くなりました。

「蘇民将来(そみんしょうらい)」の漢字について、漢字破字法などから、見ていきます。
ただ、「蘇民将来」の4つの漢字に秘められた謎は、あまりに大きすぎました…。
まだ、把握できてないし、私には、手に負えないな、というのが、今の正直な気持ちです。
が、そうも言ってばかりはいられません。

次回から、正真正銘の最終幕へ突入!!







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Last updated  June 29, 2005 01:47:44 AM
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