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名古屋の西養老石津御嶽山登山してきました。はじめは養老山地の最高峰笙ケ岳を登ろうと思ったのですが私の持っているガイドブックの登山道が見あたらず断念その登山道入り口近くにある多良峡を見学してきました。岐阜県上石津町多良名古屋から車で50分楽しそうな所ですね!さて、笙ケ岳登山が駄目だったので養老で登りたかった石津御嶽山を目指します。この時もう午後3時です。上石津町から南下すること25キロ3時30分に養老石津御嶽山登山口に着きましたここから登ります!初めの鳥居です此処5合目からは濃尾平野が一望出来景色が最高です。天気は良かったのですが風が無く今日の景色はこうでした。9合目には木曽の御嶽山を山岳宗教の地として開いた覚明行者の像が建っています。(覚明行者については最後に春日井に有る碑を書き込みます)頂上の下にある4等三角点頂上には御岳教の祠があって作れなかったので此処にあるんでしょうね!三角点の近くにあったキノコ食べられるのかな?養老石津御嶽山の頂上です御岳教のお社が建っています途中幾つかの社がありましたが祝詞をあげながら登ってきたので普通の人の倍の時間2時間かかり頂上に着いたのが午後5時30分でした。此処で、登山の感謝をして御岳教の神に祝詞を唱えて下山致します。下山は、日も暮れその言葉通りにヒグラシの合唱の中下り、名古屋に着いたのが予定より2時間遅れの午後8時遅れる連絡をしなかったのでしっかり家内に怒られてしまいました。言い訳養老の山の中は携帯電話が使えません。街から直ぐ近くなのに携帯電話会社さん此処の登山でも使える様にしてくださいね!!!付録覚明行者覚明霊神顕彰碑碑文木曽御嶽開山大先達覚明行者は、享保3年尾張国春日井郡牛山村皿屋敷住農丹羽清兵衛妻千代の子としてこの地に誕生した。幼名源助通称仁右衛門覚明は修験道の法号である。幼時故あって生家を離れ、同郡土器野新田貧農の家に養われたが、やがて枇杷島村清音寺の徒弟となり道生と号した。後医師井上竜正の箱持ちとなる。児玉村より妻お梅を娶り、中河原阿弥陀堂前に住み、米屋伊助方に雇われ、妻と餅粥を商っていた。時に赤貧洗うが如く生活苦に喘いでいた。一夜彼は決然として妻を離別し、単身四国八十八個所7回巡拝の途に就いた。満願の日土佐国蹉陀山中夢想に覚明の二字を授かり、汝木曽御嶽を開山せよの神託をを蒙り、先ず美濃国恵那山を開き、ついで天明初年御嶽山麓黒澤村に到り、庄屋田中新左衛門のその旨を懇請したが許さず却って彼を福島番所に拘禁するに至る。やがて出所万難を排し村民の協力を得遂に天明7年6月23日登頂二之池畔において立往生を遂げた。 嗚呼覚明行者資性温良信心堅固、自然を尊び人間を愛し未踏の霊峯を大衆の手に開放した。没後行者の遺徳を偲んで霊神の尊号を贈った。 http://www.gld.mmtr.or.jp/~hiroh/rekishi/kinsei/kinsei5.htm
August 18, 2009
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山桜神社の絵馬を頂きに岐阜県高山市へ行って来ました。娘が夕方から用事があるというので朝5時に名古屋を出ました出る時名古屋はバケツをひっくり返した様な大雨でしたが高山に着くと薄日が差していました。高速を乗り継ぎ高山に着いたのが朝7時頃早く着きました。まずは宮川沿いの朝市へ昔は猿の頭とか自分の所で採れた野菜が並んでいましたが今は既製品ばかりになりました面白みがないですね!まあ観光相手だとこうなるのでしょうか?30年前地元の人に教えて頂きました高山の野菜は「高山の八百屋で買った方が新鮮で安いよ!」それから私が必ずお詣りに行く国分寺さんへそして桜山八幡宮此処の神社懐かしい物がありましたそして桜山八幡宮の中にある屋台会館・日光会館へ屋台会館は春の高山祭りの山車が保管されています次に日光会館です飛騨の巧みが作成した此処は日光東照宮の十分の一のレプリカが展示されています流石に飛騨の巧みの技素晴らしいです。
August 14, 2009
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今月も宜しくお願い致しますm(^O^)mタイタンビカス沢山花が咲き始めました一花が23センチくらい見応えがありますしかしよく折られるんですそれとも風雨で折れるんでしょうか?しかしそれをそのまま土に刺しておくと直ぐ根が出て復活タイタンビカスの生命力素晴らしいです。セシルは空を飛んでいる蝶を狙っています獲れるはず無いのですが車庫にこんな物がさて私が何のしなければ襲ってきませんがどうやって駆除しましょうか?
August 5, 2009
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