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August 18, 2009
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カテゴリ: 日記


名古屋の西

養老石津御嶽山登山してきました。

はじめは
養老山地の最高峰
笙ケ岳を登ろうと思ったのですが
私の持っているガイドブックの登山道が見あたらず断念

その登山道入り口近くにある
多良峡を見学してきました。


090817_1416~01.jpg
090817_1421~01.jpg
090817_1421~02.jpg
岐阜県上石津町多良
名古屋から車で50分
楽しそうな所ですね!


さて、笙ケ岳登山が駄目だったので
養老で登りたかった
石津御嶽山を目指します。
この時もう午後3時です。
上石津町から南下すること25キロ
3時30分に
養老石津御嶽山登山口に着きました


090817_1543~02.jpg
090817_1543~01.jpg

ここから登ります!

090817_1546~01.jpg

初めの鳥居です

090817_1552~01.jpg
090817_1607~01.jpg
090817_1616~01.jpg
090817_1623~01.jpg
090817_1637~01.jpg

此処5合目からは
濃尾平野が一望出来景色が最高です。


090817_1759~02.jpg

天気は良かったのですが
風が無く
今日の景色はこうでした。


090817_1704~01.jpg

9合目には
木曽の御嶽山を
山岳宗教の地として
開いた
覚明行者の像が建っています。
(覚明行者については最後に春日井に有る碑を書き込みます)


090817_1712~01.jpg

頂上の下にある
4等三角点
頂上には
御岳教の祠があって作れなかったので此処にあるんでしょうね!


090817_1717~01.jpg

三角点の近くにあったキノコ
食べられるのかな?


090817_1730~01.jpg

養老石津御嶽山の頂上です
御岳教のお社が建っています
途中幾つかの社がありましたが
祝詞をあげながら登ってきたので
普通の人の倍の時間
2時間かかり
頂上に着いたのが午後5時30分でした。
此処で、登山の感謝をして御岳教の神に祝詞を唱えて下山致します。

下山は、日も暮れ
その言葉通りに
ヒグラシの合唱の中下り、
名古屋に着いたのが予定より2時間遅れの
午後8時
遅れる連絡をしなかったので
しっかり家内に怒られてしまいました。

言い訳
養老の山の中は
携帯電話が使えません。
街から直ぐ近くなのに
携帯電話会社さん
此処の登山でも使える様にしてくださいね!!!


養老石津御嶽山地図その2.jpg

付録
覚明行者
覚明霊神顕彰碑碑文
木曽御嶽開山大先達覚明行者は、享保3年尾張国春日井郡牛山村皿屋敷住農丹羽清兵衛妻千代の子としてこの地に誕生した。幼名源助通称仁右衛門覚明は修験道の法号である。幼時故あって生家を離れ、同郡土器野新田貧農の家に養われたが、やがて枇杷島村清音寺の徒弟となり道生と号した。後医師井上竜正の箱持ちとなる。児玉村より妻お梅を娶り、中河原阿弥陀堂前に住み、米屋伊助方に雇われ、妻と餅粥を商っていた。時に赤貧洗うが如く生活苦に喘いでいた。一夜彼は決然として妻を離別し、単身四国八十八個所7回巡拝の途に就いた。満願の日土佐国蹉陀山中夢想に覚明の二字を授かり、汝木曽御嶽を開山せよの神託をを蒙り、先ず美濃国恵那山を開き、ついで天明初年御嶽山麓黒澤村に到り、庄屋田中新左衛門のその旨を懇請したが許さず却って彼を福島番所に拘禁するに至る。やがて出所万難を排し村民の協力を得遂に天明7年6月23日登頂二之池畔において立往生を遂げた。
 嗚呼覚明行者資性温良信心堅固、自然を尊び人間を愛し未踏の霊峯を大衆の手に開放した。没後行者の遺徳を偲んで霊神の尊号を贈った。

http://www.gld.mmtr.or.jp/~hiroh/rekishi/kinsei/kinsei5.htm







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Last updated  August 18, 2009 06:13:50 PM
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