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図書館で小林良彰さんの『複眼の時代』(ソーテック社)という本を借りた。これは昭和51年(西暦1976年)に出版されたものだが、今読んでも新鮮さを感じるすごい本だと思った。この時代にこれだけの本を書いていたのに、板倉さんが小林さんを知ったのは1985年のことだった。ここにかかれている小林さんの主張も、ほぼ板倉さんのものと重なるように思えるのに、板倉さんの目にとまることがなかったのだ。小林さんの知名度はそのくらいこの当時は低かったのではないかと思う。小林さんは、時代の先を行き過ぎていたのではないかと感じる。この当時に正当な評価を得るには、その主張があまりにラジカルでありすぎたのではないだろうか。そして、今でもそれほど有名になっているようには見えない。小林さんの主張がごく当たり前のようになっているとは思えないのだ。しかし僕には、小林さんが言うことのほうが本当だという確信のようなものを感じる。これはいったいどこからくるものなのだろうか。かつて「新しい歴史教科書を作る会」では、歴史は物語であって科学ではないと主張した。そのように考えている人は今でもかなりいるのではないだろうか。歴史は立場や国によって違うのが当たり前で、誰もが賛成するような事柄にはあまり価値あることはないと考えているほうが主流なのではないだろうか。それに対して小林さんは、歴史は科学であり、誰も反対できないような命題が求められると考えて、そのような命題を提出している。しかもそれは末梢的なつまらないことを主張する命題ではなく、歴史の本質にかかわる重要な事柄を語る命題だ。この主張に深く賛同するからこそ、僕は小林さんが語ることが本当だと感じるのだろうと思う。歴史を科学にするための「よい先入観」は、ヘーゲルが語ったという「現実的なものは理性的(合理的)である」ということではないかと感じる。江川達也さんは「つじつまが合う」という表現をしていたが、同じような発想ではないかと思う。歴史的事実を受け止めるとき、そこに整合性を見るような見方こそが歴史を科学にするポイントではないかと思える。明治維新が市民革命であるかどうかというのは異論があることで、主流は市民革命ではないというものだったそうだ。今ではどうなのかは分からないが、その後の昭和の反動的な歴史とのつながりを見ると、これが市民革命であるということと「つじつまが合わない」ような感じもして、市民革命であることが否定される発想も出てくるのかもしれない。しかし、江戸時代に比べて飛躍的に人口が増え、植民地化されたアジア各国に比べて独立を守った明治の日本の姿を見ると、明治のころに飛躍的な進歩・改革があったことは疑いがない。そうでなければやはり「つじつまが合わない」。そうすると、反動によるゆり戻しがあったとしても、それが反動であること自体がその前に革命的な出来事があったということを証明するようなものではないかという「つじつま」も考えられる。そこでフランス革命を見てみると、そこにもやはり反動的なものを見つけることが出来る。今の西洋の進んだ民主主義を見ていると、フランス革命はそのような進歩をもたらしただけのように見えてしまうが、歴史というのはそれほど単純な解釈では正しく理解できないのではないかと考えられる。今の日本が民主主義として未熟だというのを見て、明治維新の革命性を否定してしまうとしたら、今の時代の尺度を単純に昔に当てはめるという「悪い先入観」で歴史を見ていることになるのではないだろうか。僕が、小林さんが語ることが本当だと感じるのは、小林さんの説明なら歴史の流れを論理的に納得して眺めることが出来るからだ。歴史においてはいくつかのつじつまを合わせることが難しい出来事がある。そのような時、それをどう受け止めるかが歴史観という「先入観」によって決まる。たとえばユダヤ人を600万人も虐殺するようなことを引き起こしたヒトラーのような人間が、大衆的支持を受けて権力を独占したことをどう受け止めるかというのは難しい問題だ。ヒトラーを極悪人だと思ったら、そのヒトラーを支持して権力を委任した大衆はすべてバカだったと解釈するしかない。これはとても整合的な解釈には見えない。あるいは、人間というのはそういうものだ、と悟りの境地に入るのも整合的ではない。それは現実をあるがままに認めているだけで、現実を深く考えているのではないからだ。この難しい問題に対して整合的な解釈が得られたら、それこそが本当の歴史の意味だと思えるようになるだろう。歴史に対して、すべてこのような整合的な解釈が出来るとは限らないが、小林さんが提出するいくつかの出来事に対しては、そこに見事な整合性が語られているのを感じる。『複眼の時代』から幾つか例を拾ってみよう。第1章では「日本の文明は猿真似といわれてきたが」ということが語られている。「猿真似」というのは軽蔑的な言い方であり、解釈としては、日本の文明はレベルの低いたいしたものではないということになる。だが、そう解釈すると、日本の高度経済成長などということが、この解釈と「つじつま」が合わなくなる。これは「猿真似」という解釈が現象的・末梢的なものであって本質的なものではないからではないかと考えられる。本質は、真の独創は模倣から出発するという、模倣と独創の関係を捉える考えではないかと思う。これは板倉さんが主張していたものと同じ発想だ。模倣を軽蔑して独創をありがたがる人間は、板倉さんに言わせれば「独創を気取る」人間だということだ。そしてそのような人間は、模倣であることを知られたくないため、誰の遺産を受け継いだかを厳密にしない。そのため盗作まがいのこともしてしまうというのを実例を挙げて語っていたことがあった。歴史を振り返ってみれば、先進国というのは一定ではなくいくつも変わってきている。かつてはエジプト・メソポタミア・中国・インドなどが先進国であり、それがギリシア・ローマ・アラビアなどに移っていき、やがてヨーロッパが先進国となる時代がやってきた。これらの流れの中で、後発の先進国は、常に先発の先進国の模倣をしながら進歩してきた。そして、ある時点で模倣を乗り越える独創の時代に入ったことが、先発の先進国を追い抜いて新たな先進国となるきっかけを作ったと考えられる。模倣から独創へという道こそが歴史の本当の姿であり、模倣だからだめだという解釈は皮相的な末梢的なものだろうと思う。この大きな流れの指摘だけでも小林さんのほうが正しいと思えるのだが、さらに小林さんは、進歩の条件という整合性についても考察している。どのようなときに、先進国が入れ替わり、より進歩した独創の時代に入ることが出来るのかという歴史解釈の整合性についても語っている。小林さんは、「進歩と停滞は、さまざまな条件の違いからくる。その時代の技術的条件に、気候、資源、その他の地理的条件が結びつく。さらに、その時点の社会制度も大きな役割を果たす。国民的能力を全面的に発揮させる可能性が保障されるかされないかも、進歩と停滞の重要な条件となる。」と語っている。この条件が変化することによって、どこが先進国となるかも変わってくると解釈したほうが歴史においての「つじつまが合う」。封建主義を捨てて近代化したヨーロッパがいち早く先進国となったのは、「社会制度も大きな役割を果たす」ということの証明ではないかと思う。小林さんが他の本で語っていたが、有能な人間がその有能さを発揮できる地位につくことができる近代という時代は、家柄だけで高い地位につき、能力はまったく省みられていない封建時代に比べて、何をしても勝負にならないだろうことは容易に想像できる。ナポレオンの軍隊は、数において上回る封建国家の軍隊を打ち破ったそうだが、これは奇跡的なことではなく、ナポレオンの軍隊が近代化されたものだと解釈すれば整合的に理解することが出来る。優れた戦術を考える人間が指導者になり、その指導者に対する信頼感が厚い、しかも国家を守る気概に燃えた人間が集まった近代の軍隊が、家柄だけで地位についた、何も指導できないトップを持った軍隊と戦争をしたら、いくら相手が数で上回っても打ち破るのは容易だろうと思う。また人口や国家規模の小さなイギリスやオランダ・ポルトガルといった国が、まずヨーロッパの先進国となったのも、整合的に理解するには結構難しいだろう。イギリスの進歩については小林さんは次のように語っている。「産業革命の出発点では、イギリスが最先進国であったが、この時代の貧弱な輸送手段の段階で、イギリスでは鉄鉱石と石炭の産地が接近しており、これを運河で結ぶことが簡単であるという地理的条件の有利さの上に、機械の大量生産に成功したのであった。もちろん、これだけが決定的な原因であったというものではないが、これなしには、当時の急速な産業革命は実現できなかったはずである。」また、次のような指摘もある。「社会的条件の相違も重要である。ある国の社会制度が行き詰まりとなり、政治が反動化し、進歩を抑圧するような段階になると、経済の停滞も始まる。そのとき、他の国がより自由で、国民の創意性を発揮させるような制度をとっているならば、やがてその国に追い抜かれる。日本のように海の中に孤立している場合は、あまりはっきりとした対比の実例は見られないが、移動の比較的容易な西洋諸国では、そうした現象が多く見られる。」オランダやポルトガルが、国としては小さくても、有能な人間が集まってくるような条件を持っていれば、そのような背景から先進国となる可能性が生まれてくるだろう。「つじつまの合う」整合的な理解が出来る。日本の明治維新も、それまでの封建制が消滅して、有能な人間が指導者になれる道が開けたことが大きな進歩につながっているという。この解釈なら、明治がいかに優れていたかというのを整合的に理解することが出来る。単なるノスタルジーではなく、客観的に正しい理解だと自信を持つことも出来るだろう。逆にいえば、近代成熟期においても、まだ封建的な権力委譲をしているような企業は、有能な人間が指導者になれない状況が続き、やがては没落するということのほうが「つじつまが合う」だろう。不二家の姿などを見ているとそう感じる。歴史は物語のように都合よく解釈するのではなく、整合的に正しい解釈を引き出すことが出来る。もちろんすべてにわたってそのようなことが出来るとは限らない。だが、問題を限れば、客観的に正しい解釈を引き出すことが出来る。解釈が難しい歴史があるからといって、すべての歴史が物語りだと結論するのは、可能性を根拠にしてすべてを分からないものにしてしまう不可知論だろう。僕は、小林さんが語るように、歴史は科学になると思う。それが歴史の常識になり、歴史教育に生かされてほしいものだと思う。歴史が、文科系的な味わいの対象(物語)になってしまうと、危険なナショナリズムに利用されてしまうのではないかと思うからだ。
2007.01.30
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機能主義については、僕は長い間ある種の偏見を抱いていた。「悪い先入観」を持っていたといってもいいだろう。それは、三浦つとむさんが機能主義に対して常に批判的な見方をしていたからだ。三浦さんは唯物論の立場だから、機能よりも実体の方が基礎的なものだと考える。唯物論の立場からすれば、機能主義は本質を外れるように見えるだろうと思う。しかし唯物論というのは絶対的に正しいものではない。そのような観点から見れば対象を実体的に把握する際には間違いが少ないという、視点を提出する発想法のようなものと捉えたほうが正しいと僕は思うようになった。あるときには観念論的に見える視点の方が本質を捉えている場合もあるだろうと思うようになった。現象を観察するときに、そこに実体を把握することが極めて難しい場合がある。たとえば社会というような対象を考える際には、社会そのものは実体としては見えてこない。社会を構成する人間一人一人は実体的に把握できても、その人間が構成する社会というのは、人間の実体的な身体を延長しても解明できることは何もない。この場合われわれが観察できるものは、ある現象が起こった後に他の現象がつながるという、機能的な側面だけになる。宮台氏的な表現を使えば、われわれに観察できるのは行為の行動的側面だけということになる。われわれはそれをいくら細かく観察しても社会そのものを理解することは出来ない。個人の法則と社会の法則は違うということは、板倉さんも強調していたことだが、社会の観察においてはわれわれに見えるのは、何かが起こった後に他の出来事がつながっていくという機能的側面だけと考えられる。機能というのは数学的に言えば関数のことになる。関数では、入力と出力の間に成立する数学的な法則を捉えることが大事なことで、どのような内部構造でその機能を実現しているかという実体的な面は関心の外にある。その機能を実現する装置はブラックボックスと呼ばれ、中で何が行われているかは分からないが、とにかく何かが入って何かが出てくるということが分かればいいという対象だ。関数をブラックボックスにするというのは、本当は実体的なものは存在せず「関係」があるだけなのかもしれないが、フィクショナルにブラックボックスというものを設定して実体的に捉え返してみると役立つことがあるからである。その間に計算をしたり・合成をしたりという操作が出来るようになる。本質は機能にあるのだが、その機能は、機能そのものとして扱うには扱いにくいのでブラックボックスのような実体的なものにして、関係がつかみやすいように工夫して本質である機能を捉えようとするのだと思う。三浦さんは言語の基礎を実体的なものに置いた。そのほうが考察の対象としては安定したものになると思う。そして、実態的な音声や文字というものの属性として、そこに固定された表現という意味の機能との関係を考察したように見える。三浦さんにとっては、言語の本質はあくまでも実体的なものであり、何かが伝わるという機能は、その本質から導かれる属性として捉えられているように感じる。機能はあくまでも導かれるものであって、本質は実体に在るという捉え方のように感じる。これが唯物論というものでもあるのだろう。本質は機能にあるのではないということが基本にあれば、機能を本質とするような機能主義は、それだけで間違いだということになるだろう。三浦さんが捉えた対象の言語に関してはそのような考えが正しかったかもしれないが、すべての学術的な対象がそうであるとは限らないだろう。実体が存在しないときは、実体ではなく機能を本質とするような数学的な関数の考え方のほうが正しいのではないかと思う。ソシュールが捉えようとした対象の言語は、実体として存在する具体的なコミュニケーションの場で使われるものではなく、コミュニケーションを支える人間の頭の中に存在するものだったのではないだろうか。それは実体的なものではないから、むしろ機能的側面を本質だと捉えたほうが正しいのではないかとも思える。それを「言語」という名で呼ぶかどうかにはまた他の難しい問題があるだろうが、ソシュールと三浦さんとでは、捉えた対象が違うのであるから、その方法論にも違いが出てくるというのは理解できそうな気がする。機能主義は、機能主義というだけでは間違っているかどうかは分からない。考察の対象が本質的に実体的なものであるのか、それとも実体を持たない、現象としては機能しか観察できないものであるのかによって、機能主義の正しさが違ってくるのではないかと思う。宮台氏は社会をシステムとして捉える。このシステムというのは、人間の行為を入力として、その行為に続く行為を出力とする関数(=ブラックボックス)だと考えることが出来る。つまり、システムとして捉えるということは、実体は把握することは出来ないけれど、ブラックボックスとしての関数として把握しようということなのではないかと思う。この実体が把握できないということは、本質的に実体的なものが存在しないのか、われわれがまだ対象をよく知らないために把握できないでいるのかを考える必要があるだろう。われわれの知識不足のためであるなら、ブラックボックスは、とりあえず対象をつかむための方便として考えられた方法論ということになる。いずれは、ブラックボックスの中身が解明されると期待できるだろう。しかし、どこまで言っても観察されるのは機能的側面だけだということになれば、ブラックボックスであるということが本質になる。つまり、その場合は機能主義こそが本質を捉えた正しい見方だということになるだろう。システムという捉え方は、システムの中にも部分的なシステムが存在し、それはどこまで行っても実体的なものに行き着かないように見える。システム理論で対象を考察するというのは、機能に本質を見ているのではないだろうか。システムというのは、全体は部分の総和を越えるという理解からもたらされる。部分は、全体を構成する要素であり、これは実体的に捉えることができる。その部分を、全体はいつも越えてしまうということは、システムにおいては決して実体的な捉え方は出来ないということを意味するのではないだろうか。社会全体は決して実体的に捉えることができない。機能主義で本質を捉えることしか出来ない対象なのではないだろうか。社会という全体がシステムとしてしか捉えられなくても、その部分であるいくつかのものは要素的に実体把握が出来るものもあるかもしれない。たとえば宗教のようなものは、実際に教団があったり、偶像的な崇拝対象があったりして、実体的な捉え方も可能になるかもしれない。しかし、それを社会の中の下位システムとして見るというのは、ある種の「先入観」を持って眺めることになる。だが、この「先入観」は、社会の全体像を捉え、その社会における宗教の意味を理解するのに役立つ「よい先入観」になるのではないだろうか。宗教をシステムとして捉えるというのは、その中身は問わないということでもある。中身はブラックボックスとして、分からなくてもいいものと捉え、観察するのは入力と出力に当たるものになる。宗教というものは、どのような現象(行為)に当たるものが入力となったとき、どのような反応(行為)が出力として出てくるかというのを考えることになる。それがシステムとしての捉え方ということになるだろう。これは、宗教を実存的に生きている人から見れば、宗教の冒涜に感じるだろう。だが、宗教を実存的に生きている人にとっては、宗教が社会の中で果たしている意味は理解できない。それは、実存的に生きている人間には、宗教が価値ある行為をもたらしてくれることが自明の前提になっているからである。自明の前提になっていることに対して、客観的に正しいと思えるようなことを認識することは出来ない。そのような人にとっては、宗教が社会的にどのような意味を持っているかということは、関心の外のことであって、考えること自体が宗教の冒涜になるだろう。機能主義的な捉え方は、その機能をもたらす装置を外から眺める視点を与える。それは覚めた・冷たい視点であって、宗教の場合で言えば、宗教的な高揚感を捨てた、感情的な喜びを捨てたものになっている。しかし、その代わりに得られるものが、一つ高い視点からのメタ的なものになる。これは、その中に没入して感情的な喜びが得られない分、感情に流されて間違えるということから免れるようになるだろうと思う。実存を離れてメタ的な視点から世界を眺めるというのは、これこそがいわゆる理科系(これは数学系といったほうが正確のような気がする)の特徴なのではないかと思う。その反対の極にあるのが文科系(これも文学系といったほうが正確だろう)だとすれば、文科系はメタ的な視点よりも実存的な感情のほうを大事にする特徴を持っているのだといえるのではないだろうか。これは、一人の人間が、完全な理科系になったり完全な文科系になったりすることはないと思う。おそらく考える対象によって、理科系的になったり文科系的になったりするのだろうと思う。問題は、対象を正確に捉えるには理解系的でなければならないときに、感情に流される文科系的な受け取り方をすることだろう。正確な判断が要求される場面では、絶対的ともいえるくらい理科系的でなければならないと思う。逆にいえば、個人の自由が保障されている範囲では、それはあくまでも文科系的に実存を尊重する態度が望ましいだろう。自分がそれをしたいからするのであり、好きだから熱心にやるということでいいのだろう。宗教を理科系的に捉えれば、それは社会の中で、パニックを起こしそうなくらいに衝撃的な出来事を受け入れ可能なように和らげる装置として理解することが出来る。宗教があればこそ、吹き上がるような大衆的な激動的な流れが起きずにすむだろう。革命にとっては宗教は邪魔になるかもしれない。だが、社会を安定させるには役立てることが出来るものだ。明治政府が採用した天皇制も、宗教的な側面の効用を考えると、合理的な理解が出来るかもしれない。それは、天皇制に翻弄された人々には出来ないことだろうと思う。外から眺める覚めた視点だからこそそのような理解が出来るのだと思う。また、個人的な実存の危機が訪れたとき、理科系的な視点だけではそのパニックから逃れることが難しいだろうとも思う。自らの実存の危機を外から眺められる人間などいないからだ。もしそれが外から眺められるのなら、それは少しも実存の危機にはならないからだ。理科系の頭を持っている人間が、自らの実存の危機に際してはかなり程度の低い宗教に走るというのも、宗教を装置として眺めれば理解できそうな気がする。僕も若いころにキリスト教の洗礼を受けようかという一歩手前まで言ったことがある。「ブラザーサン、シスタームーン」という映画を見て以来、聖書とキリスト教が好きだったからだ。ちょうど実存的な危機を感じたときに、洗礼を受けようかという気持ちにまでなったことがある。残念なことに洗礼を受けることはなかったが、今は実存の危機も脱したのでとりあえず宗教を個人的には必要としていない。理科系の人間としては、宗教も理科系的に理解したほうが気分的には安定していると感じている。理科系的な思考は機能主義のほうへ向かうかもしれないと、今はなんとなくそう感じている。
2007.01.29
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仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんに『近現代史の考え方』(仮説社)という本がある。この中に「明治維新とフランス革命」という文章がある。ここで主張されているのは、「明治維新とフランス革命とは基本的に同一の革命であって、フランス革命は完全だったが明治維新は不完全だなどとはいえない。もし明治維新がブルジョア革命として不完全だというなら、フランス革命もそうだ」というものだ。板倉さんは、世界史の授業を科学的に考えるにはフランス革命を教えるといいと考えていたそうだ。しかし、フランス革命について「フランス革命の結果、フランスの社会はどう変わったか」ということがはっきりと書いてある本がなかったそうだ。フランス革命は、民主主義へ至る革命として知られているが、恐怖政治をもたらしたり、その後王政復古があったりと、何が革命なのか、何がその成果なのかがわかりにくいというのだ。それに比べると明治維新は、日本の出来事ということもあるが、それまでの何が否定され、何が新しく興ってきたかというのが分かりやすい。しかし明治維新は、その中で民衆の活躍という場面が見つからないので、何か革命らしくないように見える人もいるようだが、これを革命と呼ばなくて何を革命だというのだろうかというのが板倉さんの感想だったようだ。その板倉さんが、自分のこの考えとほぼ同じ事を主張している歴史の専門家を紹介していた。それが小林良彰さんという人で、この人の『フランス革命の経済構造』という本の序文には次のようなことが書いてある。「フランス革命について著書は無数にある。しかし、フランスであれ、日本であれ、今までに出版されているものを見ると、総合的なフランス革命史は、たとえ出発点は経済的・社会的な考察が多くても、展開・結論へと進むにつれて文学的・理念的考察に終わり、結論は宙に浮いたようなものになる。」小林さんのこの指摘を見て、板倉さんは「どうやら私が不勉強のために目指す本が見つからなかったわけではなかったようです」と安心している。この事情は今ではどうなのだろうか。板倉さんのこの文章が書かれたのは1985年の12月で、もう20年以上前なのだが、この事情は今でもあまり変わらないのではないだろうか。フランス革命や明治維新の革命性が、日本では常識的なものとして歴史教育で教えられているとは思えないからだ。僕も板倉さんや小林さんの見解に賛成なのだが、これが主流になっていないというのは、どんな「先入観」を持って歴史を見ているかということと深くかかわっているような気がする。この「先入観」は言葉の定義にも深い関係がある。板倉さんは前々から「近代ヨーロッパのというのは、日本の平安時代のよりも江戸時代のに近いものではないか。それなのに、どうしてと訳すのか、混乱するではないか」という疑問を持っていたそうだ。今までヨーロッパのとい呼ばれていた存在に対して、日本的なのイメージという先入観を持っていると、多分間違った判断に引きずられるのではないだろうか。これは「悪い先入観」になってしまう、つまり本質から外れた理解になってしまうのではないかと思う。このという言葉の概念に対しても、小林さんは『明治維新とフランス革命』(三一書房)という本で「誤訳が固定観念をつくる」として一つの章を使って語っている。これなども、何が「よい先入観」なのか、そしてその「先入観」を持つことによって、何が解明できるのかという本質に迫ることが出来るなら、ものを考える一つの技術として「よい先入観」を見分けるということを考えることが出来るかもしれない。小林さんの『明治維新とフランス革命』はたまたまアマゾンで見つけたので購入してみたのだが、この序文には興味深いことが書かれていた。小林さんは歴史の専門家だが、実はスタートは医学者を目指す理科系の人だったらしい。それが文系の方へと変わっていくのだが、そのあたりの事情が面白い。小林さんは次のように語っている。「そこから先に迷いが生じた。当時の理科の状況の下で、すなわち実験器具、材料すべて不足している条件のもとで学が成るかという予想をめぐってである。私は不可能だと思った。その説明は省略するとして、本と紙と鉛筆だけで、世界的な水準の学を成らせるためには、文科系でなければならないと考えた。こうして文転をしたのであるが、理数を得意とした頭では、文科系の人の中でよく孤立するのである。つまり相手の理論の飛躍を、何気なしについてしまい、相手を怒らせるのである。 そうした中で、私は文科系の学問のうち、理科的な学問はないかと探求をはじめた。つまり、しっかりとした理論の組める、科学的な学問はないかということである。こうなると文学、哲学、法律などを捨てることになり、残ったものとして、歴史、特にそれの科学的な解釈が有望であると思い至った。」小林さんは歴史の専門家ではあるが、もともとは科学の出身であるといってもいい人だったのだ。それならば、板倉さんが求めていた発想で歴史を研究していたとしてもうなづけるものがある。そして、小林さんのような理科系的な発想が、文科系では異端であり孤立しているとしたら、事情は20年以上経ってもそれほど変わっていないのではないかとも感じる。丸激の中でも、数学を擁護する江川達也さんが、文系の発想というのは最後は味わいになってしまい、理論的な探求ではなく感想になってしまうと語っていたことがあった。前述の小林さんの言葉「展開・結論へと進むにつれて文学的・理念的考察に終わり」というのも、理科系的発想から見た文系の理論への批判として読むことが出来るだろう。文系的発想では、理論という形にはなりにくいのではないかと思う。これは文系への悪口を言っているのではなく、それが客観的な事実であると自覚しなければならないのではないかということだ。文学的な味わいという面では、理科系にはそういう発想がないので、たとえ科学者が書いた文章に文学的センスが感じられようとも、理科系はそのようなところを味わおうという気はあまりない。それが大事だと思っている文系からは、理科系はひどく野暮な人間に見えるかもしれない。しかし、理論という側面で現実を捉えなければならない場面では、理科系的な捉え方をしなければ現実を間違って認識するだろうと思う。どんなに味わい深い文章であろうとも、その表現者の感想を語ったものは、そのまま現実だと受け取るわけにはいかない。どのようなものにも長所と短所があり、大事なのはそれを自覚することではないかと思う。科学は理科系的な発想でなければ理解することは出来ないだろう。歴史を科学として捉えようとしている小林さんは、自らが見出した結論に対してもほぼ絶対的な自信を持っている。小林さんの主張は、「明治維新は市民革命である」「明治維新は近代社会を作り出した革命という意味で、フランス革命と同じ意味をもつ」というものだ。小林さんは次のように書いている。「フランス革命では、領主の組織した権力が破壊され、商工業、金融業の上に立つもの(フランスではブルジョアジーと呼ぶ)が権力の指導権を握った。これだけが、フランス革命で異論の余地なく実現された結果である。そこで、この基本的結果が明治維新で実現されたかどうかと観察するならば、江戸時代は領主が権力を組織していたこと、明治維新以後商工業、金融業の上にたつものが権力の指導権を握ったということが確認される。その点でフランス革命と明治維新は基本的に同一の変化を引き起こしたのである。」「異論の余地なく」という言葉が、小林さんが科学的な考察の結果得たものだという自信に満ちた気持ちを表現しているように僕は感じる。立場や、思いで主張が違ってしまうようなものは科学にならないのだ。小林さんは、「「領主の権力からブルジョアジーの権力へ」、これが市民革命の定理と考えるべきである」とも語っている。極めて理科系的な言い方だ。これは、その現象を市民革命だと呼ぶのならば、必ず「領主の権力からブルジョアジーの権力へ」という現象が見出せるということが「定理」だと語っていることを意味する。つまり、これは市民革命というものをこのように定義するのだということを語っていることでもある。「領主の権力からブルジョアジーの権力へ」と社会が変革されていくものを市民革命と定義するということだ。これは、それこそが市民革命の本質であり、それを捉えることで革命というものの理解が進むと考えられるからそう定義するのだと僕は思う。理科系が考える定義というのは、理論の全体像から見て、その理論的な対象の世界が最もよく把握できる、それの論理的な展開によって世界がつかめると予測できるものを本質と考えて、その本質の把握に役立つものとして設定される。数学で言えばすべての定理が導けるような、整理された公理群の把握が出来る定義が選ばれるということになる。これこそが、板倉さんが言う意味での「よい先入観」ではないかと感じる。小林さんの『明治維新とフランス革命』という本は、「よい先入観」を考える材料にあふれている。小林さんは、「市民革命を引き起こす基本的原因は財政問題にある」ということも語っている。これも本質の一つを見るための「よい先入観」のように感じる。小林さんは、この先入観に絶対的な自信を持っている。この視点こそが革命の本質を見ることが出来るものだという自信にあふれている。小林さんは次のように書いている。「私が財政問題を強調すると、「どうして財政問題がそれほど重要か」という質問を投げかける人がある。私はそれを愚問だというのである。権力を握っているものは財政政策を自分の利益になるように運営することが出来る。その基本は、「納税額を出来るだけ少なく、財政支出からの恩恵を出来るだけ多く」がその基本であり、これを権力と財政問題の定理としよう。フランス革命以前、権力を組織していた宮廷貴族は減免税特権の最大の受益者であった。財政支出の中から、宮廷貴族の有力者は巨額の国家資金をさざまな名目で手に入れた。これが、権力をもつ財政的特権であった。」この小林さんの主張に対して、現実にそうでなかった例を持ってきて、「財政問題だけが重要ではない」と反論することも出来るだろう。しかし、そのような例を持ってきて、特殊性をあくまでも考慮の中に入れようとすると、抽象=捨象によって得られる認識利得がなくなってしまう。そういう特殊な例を、あくまでも例外として排除してしまえば、「納税額を出来るだけ少なく、財政支出からの恩恵を出来るだけ多く」ということが定理として成立する。このような論理展開を、論理の強さと有効性として受け取るか、ご都合主義的な現実無視と受け取るかは、論理に対するセンスの問題ではないかと思う。抽象=捨象をうまく使えない論理は、結局は現実というものは複雑で分からないものだという不可知論的な結論に落ち着いてしまうのではないかと思う。確かなことを自信を持って主張するためにも、科学の持っているこの論理の有効性をしっかりと身につけたいものだと思う。
2007.01.28
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まだブログが主流になる前に楽天では日記形式のホームページサービスをしていた。僕がそれをはじめたのが2002年の1月だった。かれこれ5年程がたっただろうか。その楽天がまだ日記だったころ、自分のページに貼り付けていた画像などについて著作権法違反を指摘して回ることが流行したことがあった。これに対して僕はずっと違和感を感じていた。確かにディズニーなどの有名な画像をどこかでダウンロードして自分のページに貼り付けるということは、著作権法の違反になるには違いない。だが、当時は個人のページを持つということに関して草創期であり、よく知らなかったために間違えたという人が多かったのではないかと思う。それを、凶悪な犯罪を犯したかのように糾弾して回る姿にとても違和感を感じたものだ。もともと著作権法というのは、著作権を侵された当人が告発しなければ有効にはならないそうだ。当人に代わって代行する会社もあるそうだが、まったく関係のない第三者が告発しても仕方がない。だから、著作権法違反に気が付いたときは、糾弾するのではなく、もしそれを知らなかったらこういうものですよと教えてやればいいのにと思っていた。それが糾弾という形にまで行ってしまうのは、本人は正義を実現しているつもりなのだろうが非常に危険な感じがしたものだ。軍国主義化で非国民を探しているような、全体主義的な正義の実現を連想させるような気がした。しかも、糾弾をしている人々が、反戦・平和を訴えるために権力批判をしている人々を攻撃しているのをしばしば目にしていたので、その正義が「非国民」を糾弾する正義と重なって見えるのを特に感じた。著作権法違反というのは、その判断が容易であり、違反を指摘することに間違いがおこることがない。正義を主張するにはちょうどいい材料になる。指摘する側にほぼ絶対的な正しさがある。その意味では、著作権法違反の指摘というのは、著作権を守りたいという目的よりも、正義を主張するための手段として選ばれていたのではないかと今なら思う。その正義は反権力の人間がけしからんと思うような種類の正義と同じだったので、反権力の人間を攻撃することとよく重なったのではないだろうか。反権力がけしからんと思うような心性は、宮台氏が語る、柱にすがる「さびしい輩」の心情ではないだろうか。反権力には、正しい指摘もあれば間違った指摘もある。その都度是々非々で判断すればいいのであって、反権力自体が間違っているのではない。しかし、反権力そのものに過剰に反応してけしからんと思うのなら、それは自分の中に、権力という崇高な存在を柱としてすがるさびしい尊厳の根拠があるのではないか。そのような尊厳の持ち主にとっては、著作権法というのは、その正義が絶対的に見えるためにちょうどいいものだったかもしれない。著作権というのは絶対に守られなければならないという自明の前提がそこにあったように感じたからだ。しかしそれは本当に自明なことなのだろうか。僕はそこに疑問があったので、なおさら著作権法違反を摘発して回ることに違和感を感じていた。そのような疑問に的確に答えてくれるものを、宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で語っていた。それは直接的には、ウィニーというファイル交換ソフトの製作者を巡る裁判のことを語っていたのだが、その裁判の本当の意味は著作権法というものの本質にあるという指摘は、さすがに宮台氏だと感じたものだ。著作権法の本来の目的は、著作権者という創作者の権利を守ることだったはずだ。それは、創作者の権利を守らなければ、創作意欲が枯渇し、新しいいいものが作られなくなってしまうという社会の不利益が出てくるという考えによっている。しかし、現行の著作権法は、本当に創作者の権利を守っているだろうか。友人のギタリストは、自分が作った曲を演奏するときでも実は著作権料を払って演奏をしているというようなことを語っていた。それは、著作権を守ることを代行する会社に、その権利を委託していることからそのようなことが起こるらしい。この著作権を守ることを代行する会社はかなりの儲けがあるらしい。この儲けが、本来の著作権者に正しく配分されているかどうかにはかなり疑問があるようだ。会社だけが肥大していく構造になっているのではないだろうか。現行の著作権法というのは、実は著作権者本人の利益を守るのではなく、その中間でその創作物を提供している会社が儲かるようになっている法律ではないかという感じがする。デジタル情報が氾濫するネット時代になって、著作権法の質そのものが変化したのではないかと宮台氏は指摘するのだが、それにあわせて著作権というものの考え方も変化しなければならないのではないかと思う。著作権というのは、創造者の権利であり、何らかのオリジナリティに対して先駆者としての権利を保障するものだ。それは、一番最初にそれを作り出した人間の大きな才能を尊敬することでもあり、2番目にそれを模倣する人間のたやすさに比べれば大きな努力と才能を必要とするものだから、それを尊重する意義がある。しかし模倣と想像というのはそう単純に判断できるものではなさそうだ。仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、模倣と創造に関する研究も多いのだが、末梢的な創造を気取る仕事は、優れたものを模倣する仕事よりも価値が低いというようなことを言っていた。どうでもいいようなところで創造性を発揮するよりも、明らかに優れているという部分を模倣したほうがいいことがあるということだ。西欧の近代文明に追いつき・追い越そうとした時代の日本ではこれが当たっていただろう。そこでは模倣の才能に優れた学校優等生が時代をリードする人間になっただろうと思う。しかし、模倣する手本がないような分野では、オリジナルな本当の創造性を発揮しなければ優れた仕事は出来なくなる。日本だけにしかなかった現象というのは、そのような本当の意味での創造性が見られるという。板倉さんが研究していたのは脚気の歴史だった。脚気という病気は日本特有のもので、外国には手本にすべき先行研究がなかったようだ。だから、この病気を解決するには、本当の意味でのオリジナルな創造性を発揮する仕事が必要だった。日本特有の問題を解決する仕事に着手している人は、それを解決するためには創造性を発揮しなければならないのであって、もともと創造性がある人がそれに着手するとは限らないのではないかと思う。偶然そのような仕事に携わったおかげで創造性を発揮できたという人もいるのではないだろうか。逆にいえば、手本を真似ただけであるのに、今まで日本にそのようなものがなかったために、日本では創造性を発揮したと評価されたものもあったのではないかと思う。かつてのポップミュージックから、フォークソング・ロックにいたるまでの日本の音楽のほとんどは外国からの輸入品の模倣だったのではないかと思う。それは、オリジナルを創造するよりも、模倣のほうがはるかに優れたものを創れたのではないかと思う。社会が複雑になり、情報が氾濫するようになれば、どこまでが模倣でどこからが創造なのかという区別が難しくなるのではないかと思う。音楽などは、気持ちよく聞こえる音の組み合わせなどは有限の範囲に限られるので、その組み合わせがもう限界に近いくらい創られ尽くされているのかもしれない。本当の意味でのオリジナルを主張することなどもう出来なくなるかもしれない。またそれだけ先行財産が多くなると、もはや新しい創作物などいらないという時代が訪れるかもしれない。先行財産を楽しむだけで人生が終わってしまう時代になったともいえる。過去の財産を利用できるアーカイブスが充実すれば、高いお金を払って新しいものを求めなくなる可能性もあるという指摘を宮台氏はしていた。著作権の所在がはっきりしている著作物に対して、厳密に著作権の実行をしていこうとすると、人々はその著作物から他のものに目を移していくという現象が起きつつあるという。そのような面倒なことがあるのなら、他に楽しめるものはたくさんあるのだから、わざわざそんなものに手を出さなくてもいいということになる。このような傾向は、CDが売れなくなったことに顕著に表れているという。新しい音楽には、もはや本当の意味でのオリジナルは感じられなくなっているのかもしれない。似たような昔の音楽を聞けば十分かもしれないし、その歌い手が歌わなくてもいいかもしれない。代替となるような作品はいくらでもあるという時代になってしまったのかもしれない。かつてなら、同じ歌でもこの人が歌ったものでなければ聞けないというような感性がわれわれにはあった。だが、今ではどうなのだろうか。小説や映画などでも、この人が創ったものでなければというこだわりがあったが、今では楽しめるなら誰でもいいという感じがないだろうか。著作権というものが、今までは商売上の必要性から考えられていたような気がするが、もはや商売上でもあまりうまく機能しない時代になったという感じがする。せっかくそのような時代になったのだから、模倣と創造の本質を深く見極めて、本当の意味での創造性を守り、著作権者の権利を守る方向というのが今こそ考えられるのではないかと思う。情報にあふれている時代のわれわれの周りには本当の意味での完全なオリジナル作品はありえない。すべてが何らかの模倣作品だといえるだろう。その意味では、著作権を守るというのは、経済的な意味での権利を守るということの意味しかもたない。それはどこまで守られるのが、今の社会の状況としては妥当なのだろうか。宮台氏は、ローレンス・レッシグを引いて、著作権は何らかのグレーゾーンを認めるような方向を持つことが望ましいというようなことを語っていた。レッシグによれば、著作権を完全に守るようなことをすれば、それは個人の幸福追求権を侵害するという。創作物を楽しむという面での、それから得られる幸福が制限されるというのだ。他人の創作物であっても、それを他人に譲渡したり、ある集団で楽しむというのまで完全に制限してしまえば、そこで得られるであろう幸福感の追求を侵害するという考えのようだ。著作権者の権利を大幅に侵害しないという程度をどこかに設定することで、著作物を自由に扱う権限も認められるべきだという考えだろう。この「程度」の問題こそが著作権の問題の本質なのではないだろうか。著作権法違反を摘発する側に完全な正義が存在するのではない、と僕は思う。
2007.01.24
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宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送でナショナリズムについても語っていた。暮れの最後の放送で語っていたのだが、これも「目から鱗が落ちる」という体験をさせてくれるもので、それまで持っていた先入観に揺さぶりをかけて、もっと役に立つ「よい先入観」を与えてくれるものに感じた。ナショナリズムは一般論として考えれば、それは必ずしも悪いものではなく、むしろ良いものとして受け止められるものだと宮台氏は語る。それはよく考えてみればそのとおりだということが分かる。ナショナリズムは愛国心とつながるものだが、自分が生まれた国というのは自分で選ぶことが出来ない。それは自分の親を自分で選べないのと同じだ。自分が誰の子供として生まれるかは生まれてみないと分からない。そうであれば、親を愛するというのは、自分を生んでくれたという事実からそのような感情が生まれると理解しなければ、何か他の理由で親を愛するなどということでは理解できなくなる。なぜなら、自分がその親から生まれたというのは否定しようがないが、何か他の理由のほうは、それがなかったら親を愛せないのかという否定が考えられるからだ。自分の出自に対して、それが愛するに値するものでなければ、自分が立っている基盤そのものが不安定になってしまうだろう。親を愛するというのは、自分の存在が安定するための条件でもある。親を愛することが出来ればこそ、自分がこの世に生まれたことに大きな意味を与えることが出来る。だから、自分がよき人生を生きているという実感は、親への愛が支えているといってもいいだろう。国へ対する思いも、このような気持ちを抱くことが出来るならば、その国で生きていくことに対して安定した気分を作ることが出来るだろう。自分がそこで生まれたという運命を受け入れて、その国にいるからこそ幸せだと思えれば人生は充実したものになるだろう。だから、普通にはナショナリズムは自分を幸せにしてくれるものとなる。ナショナリズム一般を考えればこのように理解できるのに、日本ではナショナリズムが戦争の記憶に結びついているために、このような一般論が成立しないと宮台氏は指摘する。そのため非常にゆがんだナショナリズムが蔓延しているという。それはゆがんだ愛国心にも結びついているという。宮台氏が考えている愛国心とは、パトリオットと呼ばれる人々が持つ「愛郷心」に近いもののようだ。仲間との連帯を基礎にしたわれわれを支える郷土というものを愛する気持ちだろうか。この感情は具体的なものと結びついた実践的なものとなる。これが基本になって、幻想の共同体である国家への愛国心へと結びついていくのが、本来の愛国心だということになる。この愛国心は草の根の愛国心だといえるだろう。この草の根の愛国心は本来の右翼思想にも結びつくという。真性右翼は、草の根の愛国心を基礎にしているので、この愛国心と国家の動静が矛盾するような場面に遭遇したら、パトリを壊すような国家を否定し、それに抵抗することこそが正しいという判断をする。真性右翼にとっては、国家に対する態度は無条件の愛ではなく、本来のパトリのために行動しているか、間違った道を歩んでいないかを注視するという「憂国」の態度になる。宮台氏のこれまでの主張と整合性のある統一されたものになるわけだ。明治維新前までの日本は、それぞれの藩が国家のようなものだった。だからそこでは草の根の愛国心に近いものがあっただろう。その基礎を持ったまま日本という大きな国家が出来上がれば、われわれはゆがんだナショナリズムを持たずにすんだだろう。しかし日本の歴史はそのような道を歩まなかった。日本は遅れた近代化の道を歩んだために、国民一人一人がパトリオットとしての愛国心を育てて国家を構成することが出来なかったと宮台氏は言う。それは、当時の日本という国家を主導するエリートたちが、無理やり注入しようとした国家意識だったという。これはその当時としては必要不可欠なやむをえない面もあったようだ。小さな藩が国家のように振舞っていたら、進んだ西欧列強の前に日本はひとたまりもなく植民地化されてしまっただろう。それを防ぐために急いで近代化をして国家のまとまりを作らなければならなかったという。そのために明治政府が取った方法は、国民一人一人を教育して自覚を高めて国家を構成するという方法ではなかった。そのようなことをしていたら間に合わないと思ったのだろう。明治政府は、国家としてまとめるために、その邪魔になるような「愛郷心」をつぶして、自分の存在の基盤を失わせたあとに、幻想の共同体としての国家こそが自分の尊厳を支えるものだという意識を植え付けたという。西郷隆盛などがこのような方向に反対をしたのは、西郷が真のパトリオットだったということなのではないかと理解できる。しかし、結果的には明治政府の方向が成功し、日本国民としての意識を持った日本は驚くほどの速さで近代化をし、アジアの国では唯一植民地化されなかったという結果になった。だが草の根の愛国心を破壊して作り上げた愛国心は、国家に対する「憂国」の念を抑えるようなゆがんだ愛国心になったようだ。草の根で自分を支えるものを失った人間は、国家が提出する崇高なものという柱にすがるような「さびしい輩」になると宮台氏は指摘する。柱がなくなってすがるものがなくなってしまえば、自分自身の尊厳も失われてしまうので、柱としての国家を守ることが愛国心であるということになるだろう。このような愛国心では国家を批判することは出来なくなる。国家を操縦するエリートたちが腐敗したときも、それを正して修正するということが出来なくなる。間違った道にはまったらそれを転げ落ちて、もはや取り返しのつかないところまで行くしか止めることは出来なくなる。それが軍国主義から敗戦までの道のりだったのではないだろうか。戦争の歴史は、ゆがんだナショナリズムが引き起こした失敗だった。この失敗と結びついたナショナリズムだからこそ、日本ではナショナリズム一般が悪いもののようにイメージされてしまったようだ。実は、敗戦を機にこのナショナリズムのゆがみを直す方向も日本国民には選べたという。しかし、それはアメリカの統治政策が望まなかったと宮台氏は語る。アメリカが天皇の戦争責任を追及せずに、それを統治の手段として利用したという。天皇という崇高な存在の柱にすがる心性を残しておいたほうが、天皇が望んでいるという形でメッセージを送ることによって日本国民を統治することが容易に出来ると考えたらしい。天皇が民主主義を望んでいる、天皇が平和主義を望んでいる、天皇がアメリカとの友好を望んでいる、という形でメッセージを送れば、日本国民はほとんどそれに疑いを持たずに従うという計算があったようだ。このために、ゆがんだナショナリズムの温床はそのまま残されてしまったようだ。このゆがんだナショナリズムから発生する愛国心は、宮台氏は「国粋主義」と呼んでいる。これは、国家という存在を崇高なものとして考えて、その柱にすがるような思想だ。国家から国民を見る考え方で、国家の命令に従わない人間を非国民と考えるような考え方だ。この「国粋主義」は、草の根を持たない「さびしい輩」はこれにすがるしかない。ということは、地域が空洞化し、会社共同体が空洞化し、家族が空洞化している現在は、「さびしい輩」がかなりの多数を占めていると考えられるので、国家にすがる人間も増えているのではないだろうか。自分の周りに仲間と呼べる存在がいないと感じられたら、幻想的な共同体であっても国家という柱にすがったほうが自分の尊厳を保つことが出来る。括弧つきの「右翼的」なものが氾濫する今の状況は、このような「さびしい輩」が増加する状況から生まれているのではないかとも感じる。ゆがんだナショナリズムが再び間違った道を歩まないように、これを正しく批判していかなければならないのだが、この日本の特殊性ゆえに、ナショナリズムそのものを否定するという行き過ぎた批判の方向へ向かう恐れもあることを宮台氏は指摘する。柱にすがれと主張する国粋主義が間違いであることは確かだが、柱そのもの(=国家)を否定する括弧つきの「左翼」的思考も間違いだという。戦後の日本の豊かさは、戦前の間違ったナショナリズムから生まれた軍国主義を否定したところから生まれた。それを続けていたらこのような豊かさは得られなかっただろう。戦後の自由な社会は、それが行き過ぎた間違いもあっただろうが、基本的には人々の労働意欲を高め、豊かさをもたらした。その豊かさを享受しているのに、戦前回帰のような「国粋主義」を主張するのは、現状をまったく正しく捉えないでたらめな愛国心だと宮台氏は言う。それと同じように、現在の国家が提供する豊かさを享受しているわれわれが、国家そのものを否定するのは、国家の便益にただ乗りしている公共心のない無知な輩だということになる。どちらも行き過ぎた間違いだということになる。否定するのは国家ではなく、現政府・現統治権力でなければならない。これらの発想を宮台氏は、「バカ右翼」「バカ左翼」という言葉で表現しているが、どちらにも行き過ぎないバランスのとれた発想が必要だろう。国家にすがるのではなく、国家を批判的に監視する目をもち、しかも国家を否定せず国家の役割をよく理解するというバランスを持たなければならない。このようなバランス感覚はどうしたら育てられるだろうか。板倉さんが語っていた「よい先入観」を持つにはどうしたらいいだろうか。ゆがんだナショナリズムのゆがみを直す先入観はどのようなものになるだろうか。宮台氏は根が必要だと語っている。その根はどのようにして作られるだろうか。それはどのような教育によって育てられる根なのか。それはたいへん難しい課題で、なかなかこれだということがいえないものだろうと思う。だが、教育再生会議が提出するような、道徳教育の強化や、規律の強化・愛国心の教育でそれが作られるとは到底思えない。それは戦前回帰の「国粋主義」を育てるだけなのではないか。日本のエリートも根を無くしているのではないだろうか。政治を主導するエリートたちが、国粋主義こそが愛国だと勘違いしているような気がする。「さびしい輩」であるエリートたちが、柱にすがれと主張しているような感じがする。草の根の庶民は、これを拒否して、本当の根を作る努力をしなければならないのではないかと思う。仲間との連帯をどう作っていくか、これこそが重要な課題ではないかと感じる。
2007.01.23
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戦争の記憶を語るときに、日本政府の見解が中国や韓国から批判されることがある。これは、被害を受けた人々の見方は、加害の立場での見方とは違うということを物語っているのだが、その際に「歴史認識」とか「歴史観」という言葉で語られている内容はよく考えると難しいものだと思う。歴史というのは、もともとが過去の出来事をどう解釈するかということがその内容になる。つまり、解釈という点においてはさまざまな解釈が可能になる。正しい歴史解釈などというものは、究極的にはありえない。だから歴史は物語に過ぎないという理解も出てくるのだが、一方では、それぞれが勝手に思い込んだ歴史ではなく、大多数の人が賛成する客観性の程度の高い歴史解釈もある。事実を確定することの難しさは、裁判などで物的証拠が見つからないという難しい場面で想像することが出来る。しかし、一方ではそのような難しい裁判はごくわずかで、たいていの裁判は簡単に結論付けられた事実によって判断される。裁判における事実の確認は、ごく短い間の歴史を確認していると考えれば、歴史においても確定が難しい事実と、確定が比較的容易に出来る事実とがあると考えたほうがいいのではないか。確定の難しい事実に関しては、それは仮言命題的に語っておいたほうがいいのではないだろうか。もしこのようなことが起こったならばこうなったはずだと言えるような、仮言命題的な言い方をしておいたほうがいいのではないだろうか。そして歴史を社会科学として考えようとするなら、比較的容易に事実が確定できる事柄を中心に考察していくことがよいのではないかと思う。その際には、歴史観を一つの先入観として自覚して考えることが重要になるのではないだろうか。歴史を解釈するときには、その解釈の前提になるようなある種の先入観がどうしてもある。われわれは言語を用いて思考を進めるが、言語の意味というのも一つの先入観になりうる。そういう意味では、われわれはものを考えるときに先入観から逃れることは出来ないといえるだろう。逃れることが出来ないなら、これを自覚的に捉えないと、気づかないうちに間違いに陥る可能性があると思う。『南京虐殺は「おこった」のか』(クリストファ・バーナード・著、筑摩書房)という本がある。これは、高校歴史教科書に書かれた「南京虐殺」事件の記述を、言語学的に批判して、そこに隠された歴史観を抽出しようとしたものだ。その文章が事実を表現したものであっても、表現の仕方に歴史観が読み取れるということを語っている本だ。違う先入観を持っていると、同じ事実を表現してもどのようになるのかが違ってくる。これは歴史観という先入観を反省するには参考になる本だと思った。この本では、実際に教科書に載せられている表現の例として次のようなものを挙げている。「ドイツは突然、ポーランドに侵入した」「日本海軍は真珠湾奇襲攻撃を行った」この二つの文章で語られている事柄が事実でないと主張する人はほとんどいないだろう。事実の確定が容易な事柄ではないかと思う。それが容易なのは、細部を語らず、大きな観点からの出来事を捉えているので、末梢的な部分での間違いを見なくてすむからだろう。さてこの二つの文章は事実を語ったものであるが、その表現からある種の先入観を読み取ることが出来る。まずは両方の主語の違いに注目をする。「ドイツ」は国家であるが、「日本海軍」は国家の一部であり、重要ではあるとはいえ、ここからは日本の戦争は突出した軍部が主導したのであって、国家=国民がそれを望んだのではないというようなニュアンスが感じられる。また戦争を仕掛けた対象として、「ポーランド」と「真珠湾」というものを比べてみると、ドイツは国家を蹂躙していて、そこに大きな野望を感じるが、日本が起こしたものはある地域の事件であるかのような印象を受ける。このあたりのニュアンスを、上の本では次のように指摘している。「たとえば、最初の文章では「国」に付いて書いてあるのに、第二の文章では「海軍」と「場所」なのはなぜなのか。こうした例はここだけではなく、教科書のどこにでも見られるパターンの見本なのである。実際、88点の教科書のどれ一つとして1941年に日本が他の「国」を攻撃したとは書いていない。しかし、ドイツがポーランドを攻撃しているとは、全88点のうち83点が書いている。 攻撃がどのように行われたかも調べてみたい。ドイツの場合、攻撃のやり方は文章でかなり明らかだといえる。ドイツについての文章では攻撃のやり方(「突然」)ははっきり述べられている。しかし、日本の場合は、「どうやって」がほとんど触れられていない。事実、「奇襲攻撃」という言葉の中にほぼ消えてしまったのである。つまり「突然」という副詞が「奇襲」という名詞に変わっている。さらに「行為」についてはどうだろう。最初の文章ではかなり明らかである(「浸入した」)。しかし、二番目の文章は「行った」とあるのみで、これはさしたる意味を持たない動詞である。名詞(「奇襲攻撃」)を見て具体的行為を組み立てなおすしかない。実際にはどういう行為があったかを知るために動詞ではなく名詞を見るしかないということは、時としてその文章がメッセージの主要部分を軽視していることだ。」ここで批判されている教科書は1995年度のものなので、その後批判された個所は修正されているかもしれないが、歴史観という先入観を反省する材料としては、ここでの指摘は参考になるだろうと思う。特に「浸入した」という動詞には「不法性」「不当性」というニュアンスがこめられているが、「奇襲」という名詞にはそのようなものがないというのは、先入観を考える上では重要だろう。「奇襲」というのは、単なる戦術の一つであって、うまくやるのなら賞讃されることでもあったりする。誤解してほしくないのは、このような先入観が何か道徳的に正しくないとか間違っていると僕が主張しているのではないことだ。道徳的な価値判断というのは絶対性がないので、それを非難しても仕方がない。むしろ、道徳的な価値観が入り込むニュアンスを持った先入観は、よく自覚しておかなければならないという主張をしたいのだ。人間は先入観から逃れることは出来ない。それならば、どのような先入観を持って対象に切り込んだほうが効果的なのかを考えたほうがいいのではないかと思う。板倉さんは、「よい先入観」「悪い先入観」というような言い方をしていたように思う。これは、道徳的な善悪に対応した「よい」「悪い」ではない。対象の本質をクローズアップして見やすくするような先入観が「よい先入観」であり、末梢的な部分に流れて本質から遠ざかっていくような先入観が「悪い先入観」というものだ。「真珠湾奇襲攻撃」が戦争の歴史において大きな意味を持たない事件であれば、このような呼び方でかまわないだろう。それは一地域で起こった事件に過ぎないのだ。そういう先入観で眺めていることになる。しかし、これが日本の戦争の全体で重たい位置を占めるものであるのなら、それをよく反映する言葉を選んで表現したほうがいいだろう。そうすることで「よい先入観」に結び付けていけるのだと思う。「よい先入観」を身につけるには、何が本質であるかという、本質を見抜くセンスを磨かなければならないだろう。それは、はじめのうちは失敗が多いと思われる。失敗を繰り返すことで、自分の先入観に対する自覚を高め、反省を繰り返すことでセンスが磨かれていくだろう。自分がどのような言葉を使い、どのような言い方が対象にぴったりすると感じるかは、自分の先入観というセンスを教えてくれるものになる。たとえば、僕は「南京大虐殺」という言い方にだんだんと違和感を感じるようになった。これは説明が難しいところもあるのだが、「大虐殺」ということが、客観的に証明できない事柄なので、そのように呼ぶことで何らかの間違いに陥らないかが気になるのである。「大虐殺」という言い方はかなり情緒的・感情的な言い方で、人によってそうだと判断する基準に違いが出てくる。あまりにセンセーショナルな言葉遣いは、それがプロパガンダだと言われたときに反論が難しいのではないかと思う。しかしこれを「南京事件」と呼んでしまうと、そこに含まれている不当性のニュアンスが薄れる。なかなかぴったりくる言葉が見つからないというのが今の状況ではないだろうか。それだけに、あちこちからいつまでも論じられる難しい問題になっているのだろう。僕自身は、南京での出来事は不当性をはらんでおり、日本軍の行動を象徴的に示すものではあると思うが、特にひどいものだったかは疑問に思っている。むしろ、日本軍というのは、前近代的なその組織形態が、日常的にひどい状況を作っていたために、南京での戦闘をきっかけにしてその日常のひどさが溢れ出したと理解したほうがいいのではないかとも思っている。本質は、日常的なひどさのほうにあるのではないだろうか。日本の軍隊の中には、今の学校のいじめよりももっとひどいいじめが日常的にあったらしいし、鬱積した不満をさらに弱い立場の人間たちにかぶせたというのも日常的だったのではないだろうか。こちらのほうが、日本軍の問題としては本質的であり深刻なものだったのではないかと僕は感じる。「南京事件」はセンセーショナルで衝撃的ではあるけれども、本質を外れるという点では「事件」と呼んでもいいのかもしれないと感じている。ある事柄をどのように呼ぶかはそれをどのように認識しているかを示すというのは、現在の事柄についても当てはまるだろう。「週刊ミヤダイ」では、相手をしているアナウンサーが「ホワイトカラー・エグゼンプション」のことを「残業代ゼロ法案」と呼んでいた。この呼び方から、その人がこの法律をどう捉えているかが分かるだろう。宮台氏によると、推進派はこの次には「休日確保法」という名前にするかもしれないと言っていた。「通信傍受法」と「盗聴法」との間にも、それをどう見るかという先入観の違いが現れているだろう。どちらの先入観のほうが本質に近づいていけるのか。言葉の意味と表現に敏感になるというのは、現代社会を正しく把握するのに役立つことだろう。
2007.01.22
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宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは?」ということを語っている。これを聞いて、僕は、ホワイトカラー・エグゼンプションというものの本当の意味をようやく理解することが出来た。ホワイトカラー・エグゼンプションというものが、今の日本では、残業代を払わなくてすむことを合法化するようなお話にならないものだということは、多くの批判者が語っていることだ。そしてそれは、宮台氏も正しいと語っている。今の日本企業における残業の実態は、仕事の能力が低いために時間内に収めることが出来なくて残業が発生するというものではない。基本的に仕事量が多すぎて、それなりの能力で労働時間内の努力をしても、その時間内でこなせる量ではないために残業を必要としているものだと考えられる。ホワイトカラー・エグゼンプションを実現するのなら、まずそのような仕事の実態を改正して、通常の仕事は一定の能力さえあれば労働時間内に終わらせることが出来るというふうにしなければならない。このような基本的な条件があれば、忙しいときには多少残業をしたとしても、その分をひまなときに穴埋めできればいいということになる。これまでの制度では、そのような配分を自分で行うことができず、たぶん上司の配慮で行っていたのだと思うが、ホワイトカラー・エグゼンプションによって自分の裁量で行うことが出来るようにするというのが、名目的には導入の正当性だろうと思う。このホワイトカラー・エグゼンプションがうまく回るようなら、いつも残業が多い人間は、自分がその仕事には適していないのではないかと自覚することが出来る。適材適所に人々がシフトしていくきっかけを与える可能性もある。前向きな効果も、ある条件では期待できるのではないかと思う。しかし、現在の日本ではそのような効果は期待できない。これが一番の問題ではないかと思われる。今の日本の状況では、ホワイトカラーを残業代なしでいくらでも働かせるのに役立つ法律になるだろうと宮台氏も語っている。なおここで言っているホワイトカラーというのは、単に事務職を指すだけのことであって、給料が高い仕事をホワイトカラーと呼んでいるのではない。仕事の時間とその成果がほぼ比例している、長い時間働けば働いただけの生産をもたらすという意味での「ブルーカラー」と区別するために、時間ではなく質が問われるという意味での事務職としてのホワイトカラーという意味だ。ホワイトカラー・エグゼンプションというのは、その理念が正しく発揮されるようであれば、労働の質を高め、労働の意欲を高めるのに役立つこともある。しかし、日本ではそうならないということの中に、日本が持っている労働環境問題を読み取るというのが、ホワイトカラー・エグゼンプションの重要な意味なのではないだろうか。今回のホワイトカラー・エグゼンプションは、ホワイトカラーの賃金を引き下げることを合法化するものだ。ひどいものだと思われるが、経営者の立場からすればこれはある意味で当然な提案なのかもしれない。企業の儲けの部分を、労働者に還元するよりも、国際競争力を高めるほうに回すことのほうが緊急の課題だと考えている人が多いようなのだ。日本の企業の構造は、かつて「加工貿易」と呼ばれたスタイルを今でも踏襲していると宮台氏は指摘する。内需の拡大よりも、貿易による儲けで企業の利益を得るというスタイルだ。しかも、これからの時代はどこと競争して利益を維持していかなければならないかというと、中国やインドと競争していかなければならないと指摘する。中国やインドの人口の多さと賃金の低さと対抗するためには、賃金を下げる方向以外には見つからないという。もし日本国内での賃金が高すぎて、国際競争において負けるという判断になれば、会社そのものが海外へと移っていかざるを得ないという。そうなれば賃金が低くなるどころの騒ぎではなく、仕事そのものがなくなってしまうという現実に直面しなければならなくなる。このような最悪のケースが予期出来るとなると、最悪のケースを避けるために、最も理想的な状態をあきらめて次善のケースに甘んじるということが出てくるだろう。賃金の引き下げを受け入れるという権力の予期理論から導かれる、そこに存在する権力の影を感じたりする。この権力の中にはアメリカという存在もあるようだ。アメリカの要請としても、ホワイトカラー・エグゼンプションの実現が求められているという。これは、僕は最初は不思議な感じがした。日本の労働者に対する規制を、どうしてアメリカが要求してくるのだろうか。いったい何を望んでいるのだろうか。日本の労働者の残業代がカットされることがどうしてアメリカの利益になるのかが分からなかった。宮台氏の説明を聞いてようやくそれが飲み込めた。アメリカは、将来的な投資先としての日本企業を考えた場合、そこから最大の利益を引き出すために、残業代として支出される分を抑えることが出来れば、より大きな利益が得られると考えているようなのだ。将来的には、日本の企業はアメリカのものになるという想定で、今から手を打っておくものとしてホワイトカラー・エグゼンプションというものがあるようなのだ。この法律がアメリカの要求であるならば、この法律の成立の阻止はかなり難しいだろう。しかも、日本社会を主導しているエリート層の中でも、グローバル・エリートと呼ばれる人々は、むしろ国際競争力のためには、この法律があったほうがいいと考えているような節もあるようだ。グローバル・エリートたちは、日本国内で仕事をする必要がない。自分の能力を十分に発揮できるグローバル企業で仕事をすれば、ある意味では日本がどうなろうとあまり影響を感じない人間たちだ。「愛国心」が最も欠けている人々かもしれない。そのような人間たちが日本社会の進路を決めていく力を持っているとすると、グローバル化は避けられないものであるかもしれない。宮台氏の指摘を考えれば考えるほど、日本の未来は暗くなり、展望がまったくないのではないかとも思えてくる。相手をしているTBSのアナウンサーは、オセロゲームで4隅を取られて、あとは負けるのを待つためにゲーム盤にコマを置いていくだけのように感じるという感想を漏らしていた。このお先真っ暗の状況を何とか抜け出す道は、教育の改革にあるのではないかと宮台氏は提起していた。教育の改革によって、人々の価値観に働きかけ、何がよき生活なのか、何が幸せなのかということの変化をもたらさなければならないという。今のように物質的な豊かさが、ある意味では幸せだと思われていたら、その豊かさを維持するために国際競争に勝たなければならなくなる。ホワイトカラー・エグゼンプションによって賃金を引き下げて競争に勝ち抜き、その結果として物の値段も低く下げることによって、賃金は下がったけれど、ものの豊かさは保てるというような方向を目指さなければならなくなるだろう。しかしこの競争に勝ち抜くのもかなり大変なことのように思われる。企業構造を変えずに競争をするなら、一定の金を稼ぐためには多少の余暇を犠牲にして、しかも長時間まじめに働きぬくという心性を持った労働者にしなければならない。これは近代過渡期においては当たり前の心性だったもので、中国やインドにおいては、特に努力せずともそのような心性を持った労働者が多く排出されてくるように感じる。しかし、近代過渡期を通り過ぎて近代成熟期に入った日本人は、もはやそのような心性を作り直すのは不可能に近いのではないか。それでいながら、昨今の教育論議においては、道徳が強化されまじめさが求められているようにも感じる。「愛国心」を植え付けようというような教育も、結果的には道徳的にまじめな人間を作りたいということなのではないかと感じる。今の日本の姿は、破綻への道を歩んでいるようにも感じる。産業構造も教育も今のままで変わらなければ、将来的には、一握りのグローバルエリートが豊かな生活をする層として生き残り、残りの大部分の大衆は、労働に縛り付けられる「不自由感」を抱きながら不満の大きな人生を生きるということになってしまうのではないかと思う。もしそのような社会になっていけば、不満を抱えた人間の反社会的な行動などで、社会そのものが危うくなるという、豊かさを享受したいエリート層にとっても、プラットホームとしての社会が失われるという危機を感じなければならないのではないかとも感じる。今の教育改革の方向は、基礎学力を上げるという、いわば忠実に教えられたことを繰り返し、アルゴリズムとしての知識を溜め込むまじめな労働者という一昔前の日本を支えた人々をもう一度作り出そうとしているようにも感じる。これは時代遅れではないのだろうか。宮台氏によれば、外需で稼ぐという今のスタイルを目標にすれば、昔ながらの加工貿易というスタイルを変えることが出来ず、結局は中国やインドとの競争を勝ち抜くことで豊かさを保つしかないという。そうすると、ホワイトカラー・エグゼンプションで賃金を下げる方向しかないとも言える。だがこれは仮言命題だ。仮言命題はその前件を変えることで、まったく違う命題にすることが出来る。外需で稼ぐということを否定してしまえばいいのである。そうすれば、必ずしも賃金を下げることがホワイトカラー・エグゼンプションに結びつかなくなる。内需を拡大するという方向は、外需ほどの大もうけは出来ないかもしれないが、ささやかな幸せという価値観にシフトすることで、自分たちの満足のいくものを自分たちで生産して、労働にも余暇にも充実した達成感という喜びをもたらすことで幸せを得ようとするなら、それは必ずしも物質的な豊かさを必要としないだろう。内需の方向を向くということは、安全保障の面でも変わってくるという。今までの外需中心の考え方では、石油をはじめとするエネルギーを輸入して、それを利用してより多くの生産物を作らなければならない。しかし、たくさんのものを必要としなければ、エネルギーも石油に頼るのではなく、自然の再生可能な太陽光などでまかなう方向にシフトできる。ホワイトカラー・エグゼンプションの問題は、日本社会が抱えている本質的な問題のすべてにかかわってくるようなものかもしれない。象徴的な問題といえるだろう。「働かせるだけ働かせて有用な人間だけが生き残るようにする」と宮台氏は語っている。そのような競争に追いまくられる人生が幸せをもたらすだろうか。大部分の人間が不幸を味わうような社会は転換させるべきではないかと思う。ホワイトカラー・エグゼンプションが、教育や生き方の根本を見直すきっかけになればいいのになと思う。日本人も、追いまくられる、権力の圧力につぶされる人生から逃れたほうがいいのではないか。本当の「ゆとり」を実現する教育が望まれているのではないだろうか。
2007.01.21
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宮台氏の権力の定義は非常に抽象的なものである。それは、現実の権力のイメージに引きずられると、その正しい概念を持つのに失敗する。数学における定義に近いものを感じる。数学では自然数といえば、物を数えるときに使われる数のことを指す。自然数という概念を抽象するきっかけとして、現実の具体的な物と、それを数えるという行為から具体性が捨象されて抽象されていったことだろうと思う。自然数をはじめて学ぶ子供たちは、このような歴史的な発展の過程を追うことでゼロから概念を作り出すという経験を基にその概念を獲得していくだろうと思う。しかし、数学の理論としての自然数の概念は、ペアノの公理系に見られるように、ある種の条件に当てはまるものを自然数と呼ぶようになる。これは、理論においては、現実の具体性に引きずられて偶然的で例外的なものが入り込まないようにするためである。理論というのは、論理的な整合性を持った対象の間に成立する、抽象的な法則性を求めていくものだ。明確に捉えられる対象以外は排除する必要がある。そうでなければ法則性がつかめないからだ。このように言うと、理論においてはその定義は恣意的に都合よく決められているように感じるかもしれない。それは確かに、理論の整合性や統一性という目的から、都合よく定義されるものではあるが、現実をまったく無視するという恣意性を伴っているものではない。それまでに知られている現実の姿にはよく整合するように配慮され、なおかつ理論としての統一に役立つように工夫されるのが理論における定義なのである。ペアノの公理系における定義では、普通自然数の性質として知られている定理はすべて証明できるように配慮されている。現実に反するようには設定されていない。これが理論として強力なものであれば、今までは偶然の発見に任されていた自然数の世界というものを、世界全体を把握するきっかけを理論が与えてくれると考えることが出来るだろう。それは、自然数の世界というものが、ペアノの公理系でほぼ埋め尽くされるような論理の結びつきを持っていると考えるからだ。宮台氏の権力の定義も、現実に存在する権力の持つ性質と齟齬を起こすことなく、それをよく説明するものになっているだろう。そして、それは権力というものの偶然性・例外性を排除して捨象し、法則性をつかみやすい対象を単純化して、現実の複雑な存在をそのまま考えていては得られなかった知見をもたらすことが出来るようになるだろう。それが「権力の予期理論」の理論としての有効性をあらわすものだと思う。宮台氏は、権力を定義するのに、権力による圧力を感じる(宮台氏は「体験」すると表現する)存在iと、権力を持って圧力をかける(宮台氏は「行為」すると表現する)存在jをまず設定する。このi、jは人間存在が抽象されたもので、両者がどのような行為を選択するかということで、選択した行為の組を「社会状態」という言葉で呼んでいる。「社会状態」という言葉を、そのような行為の組として定義していると理解すればいいだろう。この行為の選択において、権力を持っている側は自らの行為のどれを選択しても自由だと考えられる。しかし、権力による圧力を受けるほうは、自分が最も望む行為を自由に選択することが出来ない。圧力を受けて制限を感じる。そこに「権力」というものが存在すると考えられる。自由に選べない・主体性を持たない行為は、宮台氏によれば「体験」という受動的な意味として捉えられている。具体的で単純な例として、宮台氏は強盗jに脅されている市民iというものを設定して考えている。これは抽象的に考えている対象なので、それぞれの行為の選択肢も二つから選ぶものとして考える。それは、ある種のの二者択一の選択肢と考えられている。その選択肢の組み合わせで、4つの「社会状態」が考えられる。それをマトリックス(行列)として捉えると、次のような感じになるだろうか。 (金を)出す (金を)出さない撃たない(撃たれない) x=(出す、撃たれない) y=(出さない、撃たれない)撃つ(撃たれる) w=(出す、撃たれる) z=(出さない、撃たれる)選択肢を二つしか考えないというのは、現実にはありえない単純化である。しかし、このように他の選択肢を捨象して、二者択一の選択肢として抽象することで理論的にはすっきりする。この後の論理展開の方向が見やすくなる。もし、現実に則して多用な選択肢を認めてしまえば、その選択肢の多さによる場合わけは、理論としての統一性を失わせる恐れもある。宮台氏は、この4つの「社会状態」をiが選ぶときに、「選好構造」と「予期構造」というものを設定する。「選好構造」というのは、iが何を最も望むか・最も好むかという基準で選ばれる選択肢になる。それはyで表現されている、(金を出さない、撃たれない)というものになるだろう。他の選択肢は、どれもこれよりは劣るものだと考えられるからだ。選好に順位をつけるとすれば次のようになるだろう。 y>x>z y>w宮台氏は、本の中では上の不等式しか提出していない。「x>w」「y>z」という不等式は、「撃たれる」よりは「撃たれない」方がいいのであるから、自明なものとして除かれているのだろうか。どちらを選ぶか、ということを考えるときには上の不等式が意味を持ってくると考えているのかもしれない。いずれにしても、iの選好として、自由に選ばれるのならyが選ばれるのが当然であろう。だがここに、iがjの行為を予期するという予期構造を入れて考えると、iの選択はyを選ぶとは限らなくなる。「撃たれない」「撃たれる」というのは、iの体験からくる表現だが、これを「撃つ」「撃たない」というjの立場からの選択を考えると、これが予期構造を与える。すると、「金を出さない」という行為の場合は、jが「撃つ」という行為が続くという可能性が高いと考えられる。この場合の予期構造を示す不等式は次のようになる。 z>y x>w「撃たれる」というiにとっては避けなければならない状態が、「金を出さない」という行為からはそれが引き出されると予期される。そこで、もっとも望ましい選好であるyは選ぶことが出来なくなる。そこで、「金を出す」という選択の場合に、「撃たれない」という予期のほうが大きくなるxを選択するということになる。結局は、強盗に襲われたiの立場としてはxという「金を出す」という行為が選ばれることになる。もっとも望ましい選択であるyをあきらめて、その次には最善の選択であるxを選ばざるを得ないということに「権力」の体験を見るというのが宮台氏の抽象だ。宮台氏の文章による定義は次のようになる。「行為者iが、自分の選択に後続するjの最適選択を予期したときに現実に実現可能だと想定する社会状態の中で、最適選好するものを「現実的最適状態」(x)という。 行為者iの了解内で論理的な可能性を構成されたすべての社会状態の中に、 1 iが、現実的最適状態(x)よりも上位で選好し、かつ、 2 現実的最適状態(x)を開示するiの選択・とは別のiの選択で開示される、という2条件を満たす社会状態(y)が、少なくとも一つ存在するとき、「iはjからの権力を体験する」あるいは「jからiへの権力が存在する」という。」非常に抽象的な言い方で、最初からこの文章だけで宮台氏の「権力」概念を理解しようとすると、まったく分からなくなるだろうと思う。要するに、本当は選択したい行為があるのだけれど、それを選ぶことを断念して、2番目以降の選択肢を選ばざるを得ない体験をしたとき、その体験には「権力」というものが含まれているのだと考えるのだ。この「体験」に含まれている「権力」を抽象すれば、上のような宮台氏の定義になるということだ。これは、一般に「権力」と感じられるものの対象は、必ずこのような性質が発見できるのではないかと思う。他者との関係で、自分が我慢させられていると感じるときは、そこに何らかの「権力」が発見できるだろう。この「権力」概念で重要になるのは、予期構造が選好構造の選択に影響を与えて、自分が望まなくても次善の策だと思うものを選ばせるということだ。つまり、「権力」を実現しようとする権力者にとって重要なのは、支配する相手の予期構造を操縦することになる。「権力の予期理論」を悪用しようとすれば、この面でかなりの悪用の有効性があるように感じる。支配されるであろう側の人間は、予期構造のコントロールで、不当な選択をさせられないように気をつけなければならない。また、悪用ではなく、予期構造をコントロールすることで高い価値のほうを向かせる権力を考えることも出来るだろう。三浦つとむさんは、規範というものを考えるときに、たとえば禁煙のように自分に利益をもたらす規範を考えて、自分を規制することの正当性を論じていた。欲望に任せて選好構造を作ってしまうと、自分にとって損害をもたらす選択をしてしまうかもしれないが、ここに予期構造でその選択をさせないようなものを設定すれば、結果的に損害を防ぐことが出来る。たとえば、他者を自分の思い通りに行動させたいと思っても、そんなことをすれば嫌われるという予期が構成され、嫌われることのマイナス価値が高まれば、相手の同意を得て自分の希望を実現させるという選択肢のほうにシフトしていくだろう。古い家父長的な権力に慣れている人は、自分が権力をもっていると思うと、相手の同意に関係なく自分の希望を押し付けることが多いが、これも、相手に嫌われるという要素が逆の意味での権力として働くようになれば、強引な思いの押し付けに規制をかけられるかもしれない。「権力の予期理論」は、メカニズムとしての真理を語る科学ではないかと思う。それは、そのままでは道徳的にはどっちにも転ぶものだ。悪用するのも、正当に有効性を発揮するのも、使い方によっているといえるだろう。民主主義を支える人間なら、それを社会の安定のために利用するという方向を考えるべきではないかと思う。この定義から展開される論理が、どのように実るあることを教えてくれるかを、かなり難しい文章ではあるが『権力の予期理論』という本から学んでいきたいと思う。
2007.01.21
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宮台氏の最新刊『宮代真司ダイアローグズ』(イプシロン出版企画)に、田原総一郎氏との対談が収められている。田原氏は、ジャーナリストとしては時に疑問符を感じることがあるのだが、ここで語られている宮台氏への観察眼は鋭いものがあるのを感じる。田原氏は次のように語っていた。「宮台さんの文章を読みますと、まるでロシア語をフランス語で通訳してもらってるみたいで、もう一度通訳がないと分からない(笑)。」宮台氏の文章の難しさのニュアンスがよく伝わってくるような表現だ。宮台氏の文章が難しいという感覚は、僕だけのものでなく、田原氏ほどの優れた頭脳の持ち主でもやはり難しいのだということがわかると少し安心する。田原氏が語るように、宮台氏の文章というのは、最初読んだときには、日本語として辞書的な解釈は出来るもののそれは何かの翻訳文のように意味を書き写しただけの外国語のような感じがしてさっぱり分からないという感じがする。だが、そこに書かれていることに何か宝が隠れていることは感じるので、最初は理解が難しくても、何度もそこに帰ってきて何とか理解しようという動機は失うことはない。『権力の予期理論』も博士論文ということでかなりの難しさがある文章だ。最初読んだときは本当にまったく分からなかったといっていい。しかし何度か読み返し、宮台氏のほかの文章における「権力」概念を学ぶことによってようやく分かる部分が出てきた。それは不思議なことだが、宮台氏がこの文章で解明しようとしたことの全体像がぼんやりと分かってきたという感じがする。理論の全体像と細部にわたるディテールの理解とはどちらが先というよりも、並行していくような感じがしているが、僕の場合はまずはぼんやりと全体像が分かることをきっかけにして細部の理解が進むという感じがしている。これは、数学によって抽象化に慣れていることが、まずは抽象的な全体像を捉える理解の方向を向いているのではないかと思う。細部を理解しなければ全体像がつかめないと感じる人もいるかもしれないが、進化して専門化した学問は、細部をつかむにはどれだけ膨大な知識が必要か分からない。本質だけを抽象して、末梢的な知識を捨象できれば、むしろ全体像をつかむほうが容易になるのが今の学問の姿ではないかとも感じる。さて宮台氏は、この本の序章「社会理論が権力概念を要求する理由」でこの理論の全体像の本質を語っている。それがようやくつかめるようになった。それは次の文章に書かれているように思うので、ちょっと長いが引用しよう。「ここではしばしば素朴な社会学者が考えているような、自由と、それを制約する規範、という単純な二項対立は問題ではない。ホッブスの場合でさえ、社会契約は、個体が自由を発揮するためにこそ要請された。ヒュームは、個人が自由に振舞うときにはすでに黙約が前提になっている、という思考である。先に「その次元では自由にならない基礎」としての制度、という但し書きを付した理由もそこにあった。 しかしいずれの立場にせよ、社会の存続は(それが合意に基づくか否かにかかわらず)制度や規範を要請する、という思考はどんな立場にも共通である。私はもちろん、この共通の思考伝統に異議を唱えるわけではない。しかし、社会の存続に関する問題が、それで片付いたと考えるとすれば、きわめて問題的である。実際に、従来の社会秩序論は、いつもこの点で問題を抱えてきた。今回はその問題点について考察してみたい。結論を先取すると、その問題とは、社会における「権力」の概念を、適切に基礎付けることが出来ないために、人間の自由と社会の存続とをうまく調停できない、ということである。」宮台氏は社会学入門講座の「連載第一回:「社会」とは何か」の中で「契約の前契約的な前提、権力の前権力的な前提、宗教の前宗教的な前提──「前◯◯的」とは◯◯の中では不透明だという意味──を徹底的に考察することが、社会学の目的だということになります」とも語っている。これが「その次元では自由にならない基礎」としての制度に当たるものになるのだろう。自由を保障するような「契約」があるとしても、その「契約」の前提として「その次元では自由にならない基礎」としての制度がなければならない。それは、実際の「契約」においては不透明でなかなか見えてこないものだ。それを考察して解明することが社会学の目的であるとするなら、「契約の前契約的な前提」としての「権力」を徹底的に考察したのが、『権力の予期理論』だということになるのではないか。このような「契約の前契約的な前提」を徹底的に考察することが社会学の伝統であるなら、そのようなものが存在するという確認をするだけでは徹底しているとは言えないであろう。もしここで終わってしまえば「それで片付いたと考えるとすれば、きわめて問題的である」ということになるのだろう。存在を確認するだけでは単純すぎるのである。それがどのように機能するかというメカニズムをこそ求めなければ、徹底的な考察とは言えないだろう。「権力」が自由の契約においての基礎になっているということを解明するというのが『権力の予期理論』の抽象的な意味での全体像ではないかと思われる。そして、その際に最も重要な概念として「予期」というものが中心になるのでこれが「予期理論」と呼ばれているのではないかと思う。「予期」というものが、権力というメカニズムにおいてどのように具体的に機能しているかは、理論の細部を理解しなければならないが、おそらくそのような方向で理論が展開していくのではないかと受け取るのは、細部の理解の助けになるのではないかと思う。「人間の自由」と「社会の存続」というのは、実際にはしばしば対立するものとして現れてくる。自由が行き過ぎると社会の秩序が乱れ、社会の存続が危ぶまれるという恐れが抱かれる。うまく調停できないという問題が現れる。この問題は、自由の基礎として「権力」があるのだということだけからでは調停する整合的な方向を見出せないのではないかと思う。自由というのは、望ましい自由と望ましくない自由があるだろうと思う。望ましい自由は制限せず、望ましくない自由は「権力」によって制限するということをすれば、自由の基礎としての「権力」が存在するという命題にしたがっているような感じはする。しかし、これはいつでもうまくいくとは限らない。あるときはさらに深刻な問題を引き起こすという弊害さえ生まれる。かつて学校に校内暴力が吹き荒れたとき、それを上回る教員の暴力という「権力」によって、望ましくない自由を弾圧して治めたときがあった。これは、一見すると自由と秩序の問題をうまく調停したようにも見えた。しかし、この結果として陰湿ないじめが学校に蔓延するようになったというのは、多くの人が指摘した正しい指摘だったのではないかと思う。この権力の使い方は、どこかが間違っていたのではないかと感じる。うまく調停が出来なかったのではないだろうか。宮台氏の理論によれば、「権力」の要素として最も重要なものは「予期」であり、「予期」のコントロールによって「権力」を実現するというメカニズムを語っている。暴力という実体的な「権力」の機能を使うのは、緊急対策的なやむをえない処置ということになるのではないだろうか。「権力」で安定的な秩序を生み出し、それを基礎にして自由を実現することを考えるなら、制度的な「権力」で「予期」をコントロールするという方向こそが正しいのではないかと感じる。そのメカニズムを「権力の予期理論」が教えてくれるのではないだろうか。「予期」をコントロールする権力というのは、社会の安定にはかなり役立つものだと思うが、諸刃の剣にあたる危険性もある。世の中に現実に存在するものは、100%いいものだけをもたらすのではなく、そこには誤謬や悪に転化するものが必ず含まれている。宮台氏がよく指摘するのは、一部のエリートだけがその構造を知っていて、大多数の大衆がそれを知らないという社会構造だ。これにはどのような問題があるだろうか。権力のメカニズムがうまく回っているときは、われわれはそこに権力の存在を感じることが出来なくなる。われわれは自由意志で自分の行動を選んでいると思い込んでいるが、実はある種の社会構造を設定することで、ほとんどの人がある行為のほうを選択するように働きかけることが出来る。それを知っているのはごくわずかのエリートだけでも、社会がうまく回っていれば、あとの人は知らなくても幸せだからいいじゃないかといえるだろうか。世の中を動かしているエリートたちが、いつでも100%信頼できる優れた人々であるなら、心配はあまりないであろう。しかし、人間の歴史は、どれほど優れたエリートであろうとも間違いを犯すということを教えているのではないだろうか。エリートにすべてをゆだねて大衆が何も知らずに安心しているという図式は危険ではないだろうか。大衆自身も、社会が安定しているのは、権力のメカニズムがうまく動いているからだということを理解しておく必要があるのではないだろうか。大衆社会と呼ばれる民主主義社会、特に近代成熟期における民主主義社会では特にそれが必要なのではないかと感じる。このように考えると、「権力の予期理論」という抽象論は、それが抽象的な理論である限りでは、それが善であるとも悪であるとも言えない、単なる真理を語った命題に過ぎないといえる。その真理が、どのような方向で適用されて利用されるかによって、それが現実に善なる効果を生み出すか、悪として働くかが生じるのではないだろうか。科学というのはそういうものだろう。それが真理であることは確かだが、使い方によって善にもなり悪にもなる。大衆が科学をよく知らなければ、科学はエリートの使いたい方向で使われることになる。それが、大衆にとっても常に善である方向で使われていればよいのだが、かつての公害における科学の使われ方などを思い出すと、必ずしもそうなっていないようにも感じる。「権力の予期理論」は、それを応用したときの影響の大きさは計り知れないものがあると思う。それはかなり難しいので、まだエリーでさえも十分に利用し尽くしていないようにも感じる。だが、これがかなり有効であることに気づけば、エリート層は利用してくることだろう。そのときに、自分が分からないうちに権力にコントロールされるという、悪用の面にだまされないためにも、「権力の予期理論」について知っておきたいと思う。大衆的な利益のためにこの理論が応用されるように、監視できるくらいの理解をしたいと思うものだ。
2007.01.20
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宮台氏の最新刊『宮代真司ダイアローグズ』(イプシロン出版企画)に、田原総一郎氏との対談が収められている。田原氏は、ジャーナリストとしては時に疑問符を感じることがあるのだが、ここで語られている宮台氏への観察眼は鋭いものがあるのを感じる。田原氏は次のように語っていた。「宮台さんの文章を読みますと、まるでロシア語をフランス語で通訳してもらってるみたいで、もう一度通訳がないと分からない(笑)。」宮台氏の文章の難しさのニュアンスがよく伝わってくるような表現だ。宮台氏の文章が難しいという感覚は、僕だけのものでなく、田原氏ほどの優れた頭脳の持ち主でもやはり難しいのだということがわかると少し安心する。田原氏が語るように、宮台氏の文章というのは、最初読んだときには、日本語として辞書的な解釈は出来るもののそれは何かの翻訳文のように意味を書き写しただけの外国語のような感じがしてさっぱり分からないという感じがする。だが、そこに書かれていることに何か宝が隠れていることは感じるので、最初は理解が難しくても、何度もそこに帰ってきて何とか理解しようという動機は失うことはない。『権力の予期理論』も博士論文ということでかなりの難しさがある文章だ。最初読んだときは本当にまったく分からなかったといっていい。しかし何度か読み返し、宮台氏のほかの文章における「権力」概念を学ぶことによってようやく分かる部分が出てきた。それは不思議なことだが、宮台氏がこの文章で解明しようとしたことの全体像がぼんやりと分かってきたという感じがする。理論の全体像と細部にわたるディテールの理解とはどちらが先というよりも、並行していくような感じがしているが、僕の場合はまずはぼんやりと全体像が分かることをきっかけにして細部の理解が進むという感じがしている。これは、数学によって抽象化に慣れていることが、まずは抽象的な全体像を捉える理解の方向を向いているのではないかと思う。細部を理解しなければ全体像がつかめないと感じる人もいるかもしれないが、進化して専門化した学問は、細部をつかむにはどれだけ膨大な知識が必要か分からない。本質だけを抽象して、末梢的な知識を捨象できれば、むしろ全体像をつかむほうが容易になるのが今の学問の姿ではないかとも感じる。さて宮台氏は、この本の序章「社会理論が権力概念を要求する理由」でこの理論の全体像の本質を語っている。それがようやくつかめるようになった。それは次の文章に書かれているように思うので、ちょっと長いが引用しよう。「ここではしばしば素朴な社会学者が考えているような、自由と、それを制約する規範、という単純な二項対立は問題ではない。ホッブスの場合でさえ、社会契約は、個体が自由を発揮するためにこそ要請された。ヒュームは、個人が自由に振舞うときにはすでに黙約が前提になっている、という思考である。先に「その次元では自由にならない基礎」としての制度、という但し書きを付した理由もそこにあった。 しかしいずれの立場にせよ、社会の存続は(それが合意に基づくか否かにかかわらず)制度や規範を要請する、という思考はどんな立場にも共通である。私はもちろん、この共通の思考伝統に異議を唱えるわけではない。しかし、社会の存続に関する問題が、それで片付いたと考えるとすれば、きわめて問題的である。実際に、従来の社会秩序論は、いつもこの点で問題を抱えてきた。今回はその問題点について考察してみたい。結論を先取すると、その問題とは、社会における「権力」の概念を、適切に基礎付けることが出来ないために、人間の自由と社会の存続とをうまく調停できない、ということである。」宮台氏は社会学入門講座の「連載第一回:「社会」とは何か」の中で「契約の前契約的な前提、権力の前権力的な前提、宗教の前宗教的な前提──「前◯◯的」とは◯◯の中では不透明だという意味──を徹底的に考察することが、社会学の目的だということになります」とも語っている。これが「その次元では自由にならない基礎」としての制度に当たるものになるのだろう。自由を保障するような「契約」があるとしても、その「契約」の前提として「その次元では自由にならない基礎」としての制度がなければならない。それは、実際の「契約」においては不透明でなかなか見えてこないものだ。それを考察して解明することが社会学の目的であるとするなら、「契約の前契約的な前提」としての「権力」を徹底的に考察したのが、『権力の予期理論』だということになるのではないか。このような「契約の前契約的な前提」を徹底的に考察することが社会学の伝統であるなら、そのようなものが存在するという確認をするだけでは徹底しているとは言えないであろう。もしここで終わってしまえば「それで片付いたと考えるとすれば、きわめて問題的である」ということになるのだろう。存在を確認するだけでは単純すぎるのである。それがどのように機能するかというメカニズムをこそ求めなければ、徹底的な考察とは言えないだろう。「権力」が自由の契約においての基礎になっているということを解明するというのが『権力の予期理論』の抽象的な意味での全体像ではないかと思われる。そして、その際に最も重要な概念として「予期」というものが中心になるのでこれが「予期理論」と呼ばれているのではないかと思う。「予期」というものが、権力というメカニズムにおいてどのように具体的に機能しているかは、理論の細部を理解しなければならないが、おそらくそのような方向で理論が展開していくのではないかと受け取るのは、細部の理解の助けになるのではないかと思う。「人間の自由」と「社会の存続」というのは、実際にはしばしば対立するものとして現れてくる。自由が行き過ぎると社会の秩序が乱れ、社会の存続が危ぶまれるという恐れが抱かれる。うまく調停できないという問題が現れる。この問題は、自由の基礎として「権力」があるのだということだけからでは調停する整合的な方向を見出せないのではないかと思う。自由というのは、望ましい自由と望ましくない自由があるだろうと思う。望ましい自由は制限せず、望ましくない自由は「権力」によって制限するということをすれば、自由の基礎としての「権力」が存在するという命題にしたがっているような感じはする。しかし、これはいつでもうまくいくとは限らない。あるときはさらに深刻な問題を引き起こすという弊害さえ生まれる。かつて学校に校内暴力が吹き荒れたとき、それを上回る教員の暴力という「権力」によって、望ましくない自由を弾圧して治めたときがあった。これは、一見すると自由と秩序の問題をうまく調停したようにも見えた。しかし、この結果として陰湿ないじめが学校に蔓延するようになったというのは、多くの人が指摘した正しい指摘だったのではないかと思う。この権力の使い方は、どこかが間違っていたのではないかと感じる。うまく調停が出来なかったのではないだろうか。宮台氏の理論によれば、「権力」の要素として最も重要なものは「予期」であり、「予期」のコントロールによって「権力」を実現するというメカニズムを語っている。暴力という実体的な「権力」の機能を使うのは、緊急対策的なやむをえない処置ということになるのではないだろうか。「権力」で安定的な秩序を生み出し、それを基礎にして自由を実現することを考えるなら、制度的な「権力」で「予期」をコントロールするという方向こそが正しいのではないかと感じる。そのメカニズムを「権力の予期理論」が教えてくれるのではないだろうか。「予期」をコントロールする権力というのは、社会の安定にはかなり役立つものだと思うが、諸刃の剣にあたる危険性もある。世の中に現実に存在するものは、100%いいものだけをもたらすのではなく、そこには誤謬や悪に転化するものが必ず含まれている。宮台氏がよく指摘するのは、一部のエリートだけがその構造を知っていて、大多数の大衆がそれを知らないという社会構造だ。これにはどのような問題があるだろうか。権力のメカニズムがうまく回っているときは、われわれはそこに権力の存在を感じることが出来なくなる。われわれは自由意志で自分の行動を選んでいると思い込んでいるが、実はある種の社会構造を設定することで、ほとんどの人がある行為のほうを選択するように働きかけることが出来る。それを知っているのはごくわずかのエリートだけでも、社会がうまく回っていれば、あとの人は知らなくても幸せだからいいじゃないかといえるだろうか。世の中を動かしているエリートたちが、いつでも100%信頼できる優れた人々であるなら、心配はあまりないであろう。しかし、人間の歴史は、どれほど優れたエリートであろうとも間違いを犯すということを教えているのではないだろうか。エリートにすべてをゆだねて大衆が何も知らずに安心しているという図式は危険ではないだろうか。大衆自身も、社会が安定しているのは、権力のメカニズムがうまく動いているからだということを理解しておく必要があるのではないだろうか。大衆社会と呼ばれる民主主義社会、特に近代成熟期における民主主義社会では特にそれが必要なのではないかと感じる。このように考えると、「権力の予期理論」という抽象論は、それが抽象的な理論である限りでは、それが善であるとも悪であるとも言えない、単なる真理を語った命題に過ぎないといえる。その真理が、どのような方向で適用されて利用されるかによって、それが現実に善なる効果を生み出すか、悪として働くかが生じるのではないだろうか。科学というのはそういうものだろう。それが真理であることは確かだが、使い方によって善にもなり悪にもなる。大衆が科学をよく知らなければ、科学はエリートの使いたい方向で使われることになる。それが、大衆にとっても常に善である方向で使われていればよいのだが、かつての公害における科学の使われ方などを思い出すと、必ずしもそうなっていないようにも感じる。「権力の予期理論」は、それを応用したときの影響の大きさは計り知れないものがあると思う。それはかなり難しいので、まだエリーでさえも十分に利用し尽くしていないようにも感じる。だが、これがかなり有効であることに気づけば、エリート層は利用してくることだろう。そのときに、自分が分からないうちに権力にコントロールされるという、悪用の面にだまされないためにも、「権力の予期理論」について知っておきたいと思う。大衆的な利益のためにこの理論が応用されるように、監視できるくらいの理解をしたいと思うものだ。
2007.01.20
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宮台真司氏が『権力の予期理論』(勁草書房)の序章「社会理論が権力概念を要求する理由」の終わり近くに次のようなことを語っている。ちょっと引用しよう。「第1に、権力と自由とは対立するどころか、権力は自由を要請している。自由を賞揚するためには権力を批判しなければならないとするリベラリストの言説には問題がある。自由こそは、権力を呼び寄せる依代である。この命題のコロラリーだが、権力=悪しきもの、という一般図式は、図式の提唱者がリベラリストであればあるほど、問題的である。「権力なき自由」を構想できるとする発想は甘い。自由は必ず権力を招き寄せる。 第2に、複雑な社会が諸身体を拘束する高度な超越的審級(道徳など)を要請するとする把握も誤りである。権力工学に基づいて必要な選択連結を供給できれば足りる可能性があるからだ。この命題のコロラリーだが、高度な資本制による道徳的な基礎の破壊を、社会システムの自己破壊に直結させるヒューマニストの議論にも問題がある。高度な資本制は、権力を媒介とするその高度な自己準拠によって、そうした道徳的な基礎を代替し、不要にしてしまうからである。」「「権力なき自由」を構想できるとする発想」や「複雑な社会が諸身体を拘束する高度な超越的審級(道徳など)を要請するとする把握」の誤解というものは、僕も以前そういうものを抱いていたように感じる。権力は自由にとって、それを邪魔する存在であるようなイメージを持っていた。また、社会が正しく運営され安定するには、正義の実現というような道徳的な基礎がなければならないというイメージも持っていた。しかし、そのイメージは、現存する日本社会の権力に対するものであって、実は「権力」一般という抽象的な対象に対するものとしては間違っているのではないかというのが、このごろ考えることだ。「権力」一般に関しては、それはむしろ自由を保障する基礎になるもので、「権力」の支えなしに自由の実現は出来ないのが近代社会というものではないかとも感じるようになった。日本社会は、近代社会としてはまだ未熟な面をたくさんもっている。だから、自由が制限される場面のほうが目立っているといえるだろう。しかし、自由がすでに実現されている部分は、われわれにとってはあまりにも当たり前になっているので、そこに自由があることすら忘れてしまっているようにも感じる。たとえばかつての日本では人々に移動の自由はなかった。一般大衆は、生まれた土地で育ち、死ぬまでそこで生活するような人生を生きていた。だから職業に関しても、親がやっている仕事をそのまま受け継ぐだけで、自分の才能を発見して、自分で職業を選ぶというような自由など考えられもしなかっただろう。現代社会で基本的に保障されている自由は、改めてそれを反省してみないと、どんな自由があるかさえ気づかれない状況だ。その自由は、日本の歴史を見る限りでは戦って勝ち取ったもののようには見えない。それは、進んだ西洋社会を真似て取り入れたもののように見える。つまり、権力の側が積極的に保障して社会に取り入れた自由のように見える。もしこの自由を権力の側が認めなければ、民衆の側が戦って勝ち取らなければならないのだが、勝ち取った自由は、それを守るためにも権力による擁護を必要とするだろう。権力がそれを守らなければ、自由は存続できないというのが一般論としては正しいのではないかと思えてくる。もう一つの道徳的基礎の必要性の誤解は、上のような自由のための権力の要請という考えが一面的に行き過ぎると生じる誤解のように見える。自由のためには権力が要請されるが、その権力は自由を守るものでなければならないから、ある種の正義を実現するものでなければならない。だが、正義を実現するものだからということで、それが道徳的にも正しいもので、それを実現しなければ社会の安定性も失われると考えるならば、自由の意味が変化する部分を捉えるのに失敗する。自由が制限され弾圧されていた時代には、自由を守るための基礎は正義であり道徳的に正しかっただろうと思う。しかし、自由が普及して、むしろ自由であることが当たり前になると、「近代成熟期」における「不自由」というものが発生してくる。何を選ぶかという選択肢の自由がなかった時代は、選択肢を増やすための物理的な・量的な努力が必要になる。それは努力さえすれば何とかなるといういうふうに見えるので、一生懸命がんばるというモチベーションを高めることが出来る。だが、何を選ぶかの自由は一応達成されている時代には、何を選んだらよいのかということが、自由のもたらす幸せではなくむしろ苦痛に感じるようになる。「近代成熟期」になれば、自由の選択肢は、その時代に可能な限りでたくさん発生するだろう。中には、道徳的に見れば放縦のように見える自由も存在するようになるだろう。そんなときに、道徳的な主張をしてその自由を制限しようとしても、おそらく成功しないというのが宮台氏の第2の指摘ではないだろうか。権力にとって、自由がその社会を安定させるというメカニズムが働いていれば、最初その自由を獲得するために働いた人々の動機は関係なくなる。努力せずとも守られている自由においては、人々は道徳的な意識など持たなくても社会は回ってしまう。宮台氏は、このような現象を「気がついてみるともう降りることが出来なくなった賭け」のようなものと表現している。まことに言い得て妙だと思う。自由の暴走は、社会のメカニズムが回るために起こっているのであって、個人が意識してその意思を変えようとも個人的な努力ではどうにもならないのだ。メカニズムを修正しなければならない。社会の制度を変えて何とかしなければならない問題になるのだ。決して道徳の問題ではない。宮台氏が指摘するような誤解は、おそらく誤解する人のほうが多いのではないかと思えるものだ。それは、普通に生活していれば、誤解する部分のほうが社会の中では目立ち、よく見えるところだと思えるからだ。現存する権力は、うまく回っている部分よりも、不合理で下手な使い方をしているところが問題になり人々に印象される。道徳的な荒廃のほうが、それが合理的に正当に実現されている現象よりも目に付く。現存する権力の姿の印象的な部分が抽象されれば、宮台氏が指摘するような誤解のような権力の概念のほうが普通に抱かれやすいのではないか。そこから、現実の特殊性を捨象して、論理的な構造としての抽象的な「権力」の概念を作るのはかなり難しいものだと思われる。しかし、この誤解をよく自覚して考えなければ、現代社会における「権力」を正しく把握することは出来なくなるのではないだろうか。現存するものの特殊性に引きずられて一般的・抽象的な概念を作るのに失敗するというのは、三浦さんの誤謬論でもよく指摘されていたものだ。宮台氏がよく語る集団的自衛権の問題にもそのような誤謬があるのを感じる。集団的自衛権というのは、自国の防衛のためだけに自衛権を行使する(つまり軍隊を動員して戦闘を行う)のではなく、同盟国の安全保障のためにも自衛権を発動するということだ。自国が直接攻撃されたのではなくても、同盟国が攻撃を受ければ戦争に巻き込まれるということになる。日本の場合の集団的自衛権の問題は、具体的にはアメリカの戦争に巻き込まれるということだ。この特殊性は非常に重要で、現代社会で戦争を起こすのは、今のところ可能性としてはアメリカ以外にはない。だから、集団的自衛権を認めれば、これから起こる戦争(アメリカが起こす戦争だけがおこると考えられる)のすべてに日本は巻き込まれるという形になるだろう。これは非常に重大な問題だろうと思う。このような集団的自衛権の許容はとんでもないと考える人は多いのではないだろうか。今までなら、憲法9条があったので、たとえアメリカが戦争を起こしてもそれに直接巻き込まれるということはなかった。しかし、憲法を変えて集団的自衛権を許容するような内容に変えれば、当然のことながら、これからのアメリカの戦争にはすべて日本は軍事的に動員されることになる。憲法9条と日米安保条約があれば、アメリカの戦争に巻き込まれることなく、逆に日本が戦争の危機に見舞われたらアメリカの援助を期待することが出来た。これもまた日本の特殊な状況だろうと思うが、集団的自衛権というものを深刻に考えなくてもよい時代が続いてきたといえるだろう。日本における集団的自衛権の問題は特殊な状況にある。その特殊な状況という条件のもとでこれが否定されることから、集団的自衛権一般が否定されるとしたら、特殊性を普遍性と取り違える間違いということになる。集団的自衛権が肯定されるような状況もあると考えるのが一般論だ。宮台氏によれば、平和主義・中立主義を主体的に行いたいと考えるなら、重武装をして自衛能力を持たなければそのような主体性を発揮することは出来ないと指摘する。これは論理的には正当ではないかと思う。もし自国を守るだけの能力を持たなければ、自国の安全のために強い国に頼らなければならなくなる(日本の場合はこれがアメリカになる)。そうなれば、どうしたって主体的な行動は出来なくなるだろう。アメリカのケツ舐めをせず、反米的な思想でしかも平和主義を提唱するなら、重武装をして自衛能力を高めなければならない。アメリカに従属していれば、イラク戦争のような反平和主義的なものに巻き込まれるのであるから、一般論として自衛隊を否定して平和主義を唱えるのは、ある意味では論理的な整合性を欠くといわなければならないだろう。平和主義を提唱するなら、むしろ自衛隊が理想的な軍隊として機能するようなメカニズムをこそ考えなければならないということになるだろう。現実の自衛隊は当然のことながら理想的な軍隊ではない。だから批判すべき点はたくさんあるだろう。だが、これを特殊性の批判として普遍性から切り離して正しく行うことは大変難しい。行き過ぎて普遍性の部分までも否定してしまえば、特殊性を批判している分には正しかった部分の正しさもすべて失われてしまうかもしれない。現代社会を捉えるときには、この特殊性と普遍性の区別にかかわる誤解が、気をつけて見ていなければあちこちにあるだろう。憲法改正の問題も、現代日本のこの時代に、憲法9条という特殊な条文の特殊性を考慮すれば、今それを変えるのは間違いだという結論を出すことが正しいかもしれない。しかし、憲法一般で考えれば、これを改正してはいけないなどという一般論は明らかな間違いだ。そのようなときに「もし改正するのなら」という仮言命題的な考察をするのは、一般論としての考察になる。しかし、感情的には、このような仮言命題を提出しただけで、その提出者が憲法改正をしたいのだと誤解する人がいるかもしれない。そのような誤解が多いようであれば、特殊性と普遍性を取り違える誤謬が生まれるだろう。特殊性と普遍性を取り違える間違いは、近代成熟期においてはますます難しくなっていくのではないかと思う。
2007.01.19
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権力というものを抽象的に考察していくと、それが合理的に機能しているときは、われわれはほとんどその存在に気が付かないのではないかと思う。権力がうまく機能していると、われわれはそれを気にする必要がないほど安定した社会が営まれているといえるだろう。われわれが権力を意識し、権力に注目するのは、たいていが権力がうまく機能していない・合理性を失ったときではないかと思う。だからこそ、権力というものは、われわれを弾圧するだけの悪い存在だという感じがしてくるのではないだろうか。合理的に機能していない現存する権力と、合理的に機能する抽象的な権力とを区別しなければならないのではないかと思う。抽象的に捉えられた権力は、ある意味では理想的な権力であって、そんなものは現実にはないというふうに簡単に捨てられてしまうかもしれない。それが現実にはありえないことは確かだが、理想的な権力というのは、現存する権力がどれだけ合理的に働いているかの判断基準を与えてくれる。そのような見方が大事ではないかと思う。いじめ問題を議論しているとき、宮台氏と内藤朝雄さんが、学校に警察権力を介入させろという主張をしていた。このことは、学生運動が華やかだった全共闘の時代の記憶がある人には、生徒を弾圧するために警察権力を利用するのか、というふうに見えるかもしれない。しかし、宮台氏や内藤さんの主張の根底にあったのは、生徒の自由を奪うという意味での権力ではなく、「正義の実現」を達成するための権力というイメージだった。いじめ問題の根本的な解決は、内藤さんが主張するように、学校における中間集団全体主義の克服にあると思うのだが、緊急の処方箋としては、正義の実現によって今生じているいじめの中のひどいものはかなり収まるのだという。他者を肉体的・精神的に傷つける行為の中には、犯罪的なものがある。いじめという判断はなかなか難しいが、犯罪的であるという判断は下しやすいだろう。それを処罰することで、いじめがひどくなることを防ぐことができると思う。それは、いじめそのものをなくすことはできないかもしれないが、やり過ごせるだけの軽いものに変えることはできるかもしれない。犯罪を処罰するというのは正義の実現をすることだが、このためには「権力」というものを必要とする。論理的に考えれば、「権力」なしに正義を実現することの困難が見えてくるだろう。西部劇映画などを見ていると、そこには無法地帯というものが出てくることがある。無法地帯では正義が実現されていない。最も力の強いものが、暴力的な支配を基に、自分勝手なやりたい放題をするのが無法地帯だ。ここに正義を実現させるには、映画では正義のヒーローを必要とする。支配者よりももっと強いヒーローが出現して、そのヒーローの人格の高潔さで正義を実現する。映画の中ではヒーローが正義を実現するが、現実の世界ではなかなかヒーローは出てこない。支配者よりも強いヒーローは出てこない。ヒーローの出現を待っていたのでは、いつまでも正義は実現されない。ヒーローがいなくても実現される正義として、権力が合理的に働いたときの正義の実現が考えられなければならないと思う。教師の資質によっていじめの緊急対策をするのは、教師をヒーローにしようとするものだと思うが、これは西部劇映画のようにはうまくいかないだろう。ヒーローがいなくても実現される正義として、警察権力の合理的な働きに期待したほうがいいと思う。また、学校における正義の実現として、直接教員に権力を与えてしまえばいいのではないかと考える人もいるかもしれないが、前近代の社会ならいざ知らず、近代社会では分化した機能として権力が働かないとそれはおそらくうまくいかないだろう。犯罪を取り締まる正義の実現の機能は警察権力が担っているのであって、それを教師に担わせると弊害のほうが大きくなるのではないかと思われる。教師は、教育と評価という二点でのみ正義が実現されるような権力をもつべきだろう。警察権力が、誰もが認める正義の実現をしていれば、社会は安定した状態を保ち、われわれは権力の存在を意識することなく、権力の合理性を感じることができるだろう。しかし、現存する権力はいつも合理的に働くわけではない。私利私欲に駆られて権力を利用する人間もいつでも生まれてくる。現実の権力はいつでもそちらへシフトする可能性が高いのだから、合理的に働く権力などは、やはり現実離れした理想に過ぎないといわなければならないのだろうか。合理的に働く権力というものが、現実離れのした妄想になるのか、現実が目指すべき理想の姿になるかは、われわれの学習にかかっているのではないかと思う。私利私欲に駆られて、権力の合理性を逸脱して不当な使い方をすれば、結局は支配する人間にさえも不利益が生じるという学習が大事ではないかと思う。正義の実現ができない権力は、一時的には支配者に利益をもたらすかもしれないが、社会そのものの存続を脅かすために、やがてはプラットホーム(存在基盤)の崩壊を招き、支配するべき対象がなくなってしまうのではないかと思われる。その学習にとっていい材料は、不祥事を起こして倒産が確実視されている不二家という会社ではないかと思う。不二家では不正が行われていて、それを隠すという不正義が行われていた。不二家という会社(社会)では、正義の実現をするような権力が存在していなかったと考えられる。青山貞一さんの「格差社会と内部告発~不二家問題に思う~」というエントリーには次のような記述がある。「この不二家問題を見ていて直感したのは、不二家工場でパートとして働いてきた労働者の「内部告発」であり、ここ数年のこの種の不祥事や事件の多くが、「内部告発」がきっかけとなっていることだ。」「ところで格差社会は、言うまでもなく本来必要とされる社会経済的な規制までとっぱらい、何でも市場にゆだねる市場原理主義のもと、弱肉強食の経済社会を増長していた。とくに、製造業では大企業の多くが日本の伝統的な終身雇用や正規雇用からパート、アルバイト労働に切り替えることで大きな経常利益を上げてきた。 だが、ちょっと考えれば分かることだが、同じ内容の仕事をしながらボーナスやさまざまな保証もない、日雇い労働者として差別されているひとびとは、会社への帰属意識も従来のようになく、眼前で起こっている今回の不祥事に見て見ぬふりをして辞めてゆくひともいれば、正義感や怒りを持って外部に内部告発するひともでてくるのは自然の成り行きである。」不二家という会社の中では、他の会社も同じだと思うが、同じ仕事でありながら給料の格差があったりするという不正義が横行していただろう。この不正義は、虐げられた人間の個人的な叫びでは改正されない。正義が実現されることはない。また、正義を実現してくれるようなヒーローが経営者の中に出てくることなど期待できない。ここに正義を実現するには、合理的に働く権力がどうしても必要だろう。しかし、不二家は合理的な権力を実現できなかったのではないだろうか。不合理な不正義を押し付けて、さらに消費期限切れの原材料を使うという不正が行われていたとき、不正義が行われていないことに不満を持つ人は、どこかでそれをいきなりもっと大きな権力に訴えるということが起きても不思議ではない。それによって、会社というプラットホームが失われることになっても、正義の実現をしてくれないような会社には愛着がないだろう。不二家が、会社内の不正を正し正義を実現するという合理的な権力をもっていたならば、不二家で働く人間たちは、そのような会社を大事に思い、会社の存続にかかわるような重大な事柄に対しては、会社にとってプラスになるような提言をするだろうと思う。重大な不正が外に出る前に、内部の努力によってそれを正すということができるだろう。内部告発は、正しく内部で処理されるようになるに違いない。内部告発で不正が明るみになり、そのことによって組織が致命的ダメージを受けるというのは、その組織自体がやはり正義を実現するだけのものを持っていなかったのだと学習しなければならないだろう。もし、組織内で正義が実現されていれば、内部告発はいきなり大きな外に対してなされることはないだろう。正義を実現してくれると信頼される、しかるべき部署にまずその告発がされるようになる。そうすれば、組織としての会社は、いつまでも合理性と健全性を保つことができるようになるだろう。正義の実現というのは、何か青臭い子供のような理想主義ではないのだと思う。むしろ、組織や社会を安定させるために不可欠の要素なのだと思う。かつて敗戦間近の日本軍においては、組織的な腐敗が蔓延していたと聞いたことがある。物資の横流しが行われ、利権を持っていた人間は、あのような時代であったにもかかわらず不正な蓄財をしたという。正義が実現されなかった軍隊という組織が、本来の任務でも能力を発揮できなくなるであろうことは自明ではないかと思う。権力の座にいる人間こそが、権力による正義の実現というものを学習しないと、組織や社会は崩壊への道を歩むだろう。日本における最高の権力は、国家を動かす政府権力だろう。果たしてこの権力は正義を実現しているか。ここが正義を実現していなければ、日本社会の行く末は不二家のようになるのではないだろうか。プラットホームそのものの崩壊を招くのではないか。宮台氏が語る真のエリートなら、そのようなことに気づき学習するのではないかと思うが、権力に集まる人間たちは、どうも私利私欲を求めて動いているように見える。権力の座にいる人間たちが賢くないとき、その社会は崩壊するしかないのだろうか。そのまま権力の構造が変わらないのであれば崩壊するしかないかもしれない。しかし、近代社会は民主主義であるということに一筋の光明が見えるかもしれない。民主主義社会では、形の上では、大衆が最高の権力者になっている。今権力の座にいる人間たちも、民衆の支持を失えば権力の座を失う。正義を実現する権力が、今の権力の座にいるエリートに期待できないときは、民衆が賢くならなければならないとも思う。宮台氏はこれにあまり期待していないようだが、大衆の一人である僕は、こちらのほうにこそ期待をかけたいという願いを持っている。
2007.01.18
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学問と呼ばれる種類の理論や科学的思考において対象として設定されるものは、ほとんどが何らかの抽象過程を経て得られるものだ。現実に存在しているものがそのまま対象になることはない。現実の対象は、抽象的対象を理解する助けとはなるが、それをそのまま受け取ると抽象的な推論において間違った展開に陥る可能性がある。特に、現実を対象とした学問・科学においてその恐れが大きい。数学などは、その対象が抽象的なものであることが明らかなので、抽象が現実に引きずられることは少ない。数学的対象は、そのままの形では現実に見つけることができないからだ。数学の場合は、むしろこの逆の現象が起きる。現実の対象に抽象性を押し付けるという、実際には成立しない性質が、そこにあるかのような錯覚を起こす。たとえば、仕事算などという文章題では、ある人の仕事が10日で終わるなら、1日にこなす仕事は正確に1/10という抽象をする。しかしこんなことは現実にはありえない。仕事の質によって、1日にこなせる量はランダムな分布をするのが現実だ。もし正確に等分されるなら、人数さえ多ければその仕事は1時間ほどで完成するというような論理的結論さえ導かれてしまう。三浦さんが、かつて中国における俗流弁証法を批判したとき、ある書物を書くとき、労働者が1ページずつ担当するなら、500人の労働者がいれば500ページの書物ができるというのを、戯画的に批判していたことがあった。これは確かに、寄せ書きのような書物はできるかもしれないが、何かまとまった主張を整合的に表現することはできなくなるだろうと思う。現実は、抽象世界ほどの単純さを持っていないのだ。「権力」という存在は、その現実存在があまりにわれわれの生活に密着しているために抽象化が難しい対象ではないかと思われる。現実に何らかの圧力を感じていて、自分が自由に振舞っていないという感覚を持っていると、その自由を制限する何かに対して悪感情を抱くのではないかと思う。特に、自由というものがかなりありふれたものになってきた近代成熟期においては、自由の選択肢はあるのにそれが選べないということは、「不自由感」を感じて不幸だという気分が生まれてくるかもしれない。このような気分の中で生きていれば、「権力」というものはすべて悪いものだというイメージが出来上がるのも無理はないかもしれない。だが、この一般化は、果たして正しい抽象であるかは一度考えてみたほうがいいのではないかと思う。「権力」というものを抽象すると、実は自分が「権力」を意識せずに自由に振舞っていると思い込んでいるときほど、「権力」は見事にその存在を実現しているとも考えられるからだ。これは構造主義的な見地に近いのかもしれない。無意識のうちに人間を支配している構造こそが、本来の抽象としての「権力」と呼べるものかもしれない。この抽象的な「権力」は、抽象的であればそこに善悪の価値観を伴っていないのではないかと思う。あるのは、システムとしてのメカニズムだけではないのだろうか。ある種の「権力」は、実際に人間社会にどのような働きかけをし、どのような効果をもたらすかが解明できるだけなのではないだろうか。この「権力」を、自分のために、あるいは他者を含んだわれわれのために生かすかどうかは、メカニズムをどれだけ正しく解明できるかにかかっているのではないかと思う。抽象的対象の間に成り立つ論理的な法則を解明し、それを現実に適用するときに、抽象と現実の関係を間違いなく把握することが重要だろう。宮台真司氏が「連載第二二回:政治システムとは何か(上)」の中で政治システムとともに語っている「権力」は、その抽象性を考えるのにいい材料だと思う。宮台氏の「権力」概念は、『権力の予期理論』(勁草書房)という本に詳しく書かれている。しかしこの本はとても難しい。抽象度があまりに高いので、そこに書かれていることをイメージするのが難しいのだ。『権力の予期理論』を理解するヒントとしても、政治システムとともに語られている「権力」について考えてみたいと思う。宮台氏によれば、「政治システムとは、社会成員全体を拘束する決定──集合的決定という──を供給するような、コミュニケーションの機能的装置の総体」として定義されている。この拘束が、自分にとって利益になるのであれば、積極的に拘束に賛成するであろうが、何らかの不利益があるのなら、いやいやながら従うということになるだろう。この、いやであるけれど従うという状態の中に「権力」が存在すると考える。「権力」をこのように抽象すれば、社会というものにとって「権力」は必ずどこかに存在するものであり、「権力」をなくすということは、社会をなくすということに等しいことになるだろうと思う。どのような政治決定であろうとも、100%その構成員が賛成するというような決定は考えられないからだ。どこかに制限される人間がいる。その制限される人間が、決定に従わない場合は社会の秩序を乱すことになる。その場合は、「権力」というもので従わせるというメカニズムがどうしても必要だろう。抽象的な論理帰結としては、社会にとって「権力」は必要不可欠なものだということが出てくるのだと思う。宮台氏は「ウェーバー的権力」という言葉で、「相手の抵抗を排して意思貫徹する能力」としての「権力」を語っている。この例として分かりやすいものは強い暴力的な機能を持ったもの、端的に言えば軍隊や警察のようなもので「権力」を示すことではないかと思う。力によって相手を支配する「権力」は、その実体は見えやすい。その「権力」行使に不当性を発見したときにも、抵抗の動機を持ちやすいといえるだろう。この場合の「権力」の行使は、その正当性を示すことのほうが難しいともいえるかもしれない。戦争を起こすような「権力」は、この種の「権力」の中でも正当性の証明が難しい「権力」だろう。イラク戦争を起こしたアメリカのように、その戦争に大儀があることを証明することが難しいだろうと思う。宮台氏が語るもう一つの「パーソンズ的権力」というものは、その概念をつかむことが難しいと思われる。これは、「権力」を振るう実体が見つからないのだ。そこに見えるのは、実体ではなく機能だけだ。自分の選択が、自分が最も望むものではなく、仕方なく選ばされるものになっているという圧力は感じるのだが、何がそのような「権力」を振るっているのかはわからない、というものだ。「パーソンズ的権力」を語るキーワードは「資源動員能力」というものだ。つまり、ある種の利益をもたらすような能力が、人間の選択において影響を与えるだろうということは論理的に納得できるので、これがある種の制限になりそうだということは分かる。これは、利益を受ける人間にとっては、制限というよりもむしろ積極的にそれが実現するように求めることにもなるので、「権力」が行使されているという気分さえ抱かないだろう。だが、その選択に必ずしも利益を感じない人間も、その選択を選ばざるを得ないときがある。たとえば、今の年金政策に対して利益を得る人はほとんどいないだろう。年金を支払っている人間のほとんどは、将来自分の不利益になることを予測している。しかし、これが制度としてある限りは、いやでも従わなければならないという感じを抱いている。この年金制度は、誰か「権力者」がいて、その「権力者」が私益を追求するために設定したのではない。民主的な手続きを経て、選挙された議会が進めた政策であり、形の上では、みんなが賛成したからこうなったのである。ほとんどの人が反対しそうな政策なのに、形の上ではみんなが賛成したことを理由にそれが押し付けられる。ここに存在する「権力」とはどういうものだろうか。この「権力」を、多くの人の利益になるようにコントロールしなおすことができるのだろうか。「権力」のメカニズムを解明できたら、そのようなことが可能になるだろうか。宮台氏は、「権力」の分析において「予期」という概念を使っている。「予期」とは、「こうなるであろう」と想像している内容のことで、まだ現実化していることではない。自分がある選択をしたとき、その結果としてこんなことが起こるだろうと「予期」した場合、人間はその「予期」に従って行動することが多い。実際にそうなるか試してみようと考える人は少ない。「権力」の行使による弾圧的なものも、実際にそれが行われることは少なく、社会的に誰もがそうなるだろうという「予期」を持っていれば、「権力」は十分その機能を発揮できる。仕事もないのに付き合って残業するという必要はないはずなのに、付き合いが悪いと白い眼で見られるという「予期」を誰もが持っていると、付き合いたくないのに付き合わざるを得ないという「権力」がそこで機能する。意に反する行動をしてしまう圧力を感じる。この「予期」を成立させる要因はどこにあるのだろうか。暴力的な機関というのは、一つの要因にはなるだろうが、それは抵抗を生み出す契機にもなる。「権力」の安定にとってはむしろマイナス要因になる可能性もある。宮台氏は、正統性というものをあげて次のように説明している。「正統性とはウェーバーを踏まえるなら「決定への自発的服従契機の存在」です。ウェーバーは「カリスマがあるから/伝統だから/合法手続だから、従う」という正統性の三類型を挙げています。」確かに正統性があれば、不本意であろうとも納得してそれに従うということができる。「権力」の装置は安定したものになるだろう。だが、今度は、この正統性はどのようにして形成されるかという問題が出てくる。この解明が『権力の予期理論』に語られている内容だろうか。抽象的な意味での「権力」は、善悪という価値をもっていない。それはあくまでもメカニズムを解明する対象だ。それが実際に悪用されるのも、利益となるように正当に利用されるのも、抽象性とはあまり関係のない偶然の産物だといえるだろう。「権力」は必然的に悪いものになるのではなく、人間が賢くなればかなりうまくコントロールできるようになるものではないかと思う。ただ、今はまだ人間はそこまで賢くなっていないのだろう。私益の追求も、単なるエゴでは安定せず、本当の利益は公益に支えられてこそ得られるのだ、というメカニズムをほとんどの人が理解すれば、人間は「権力」を賢くコントロールできるようになるのかもしれない。「権力」のメカニズムの難しさを分かりやすく解明する努力をしたいものだと思う。宮台氏の言説がもっと分かりやすくなればと思う。
2007.01.17
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宮台真司氏が「学生諸君が考えるべきこと~宮台真司インタビュー[中編]」の中で語るところによれば「優等生病」とか「一番病」とか呼ばれるものは次のようなものになる。「対米自立を長期的目標とした途端に、少なからぬ官僚は、「一流国における三等官僚になるか、三流国における一等官僚になるか」という「究極の選択」の場面に立たされ、多くが迷いなく後者を選ぶということです。これぞまさしく売国奴官僚です。 この売国奴的メンタリティを、昔は竹内好が「優等生病」と呼び、今は鶴見俊輔が「一番病」と呼びます。僕の十年以上前の言い方では「受験エリート病」です。受験エリートは受験システムが無いと困ります。だから受験システムを廃止するような改革には、実存的にも利権的にも抵抗するわけです。この脆弱な者どもを、さてどうするか、です。 こうした脆弱なる「優等生病」「一番病」「受験エリート病」を患うような者どもしかいないのなら、冷戦体制終焉後の日米関係の見直しを、対米ケツ舐め外交の永続「ではない」方向で行うことはできません。こういう病気を患っていないエリートを養成することが、僕が長年教育システムの改革に携わってきている目的です。」優等生になること・一番になることが至上価値になるということは、何かを学ぶときに学ぶ対象の本質を求めるよりも、その時々に最も高く評価されるものを記憶するということが目的になる。「優等生病」「一番病」の問題でもっとも重要なものは、優等生になりたがったり・一番になりたがったりというメンタリティの問題ではなく、評価されたがるというメンタリティの問題ではないかと思う。評価されたがる人間は、価値基準が自分の中にない。宮台氏がよく語ることで、最近印象的なのは「人は変わらないから変わる」という言い方だ。これは江藤淳が語ったことであり、宮台氏の父親も同じことを語っているという。この弁証法的な捉えかたは、人間のどのような側面をどの角度から見ているのだろうか。これは日本における「優等生病」「一番病」のエリートのことを語った言葉だ。「変わらない」という側面は「評価されたがる」という側面のことだ。たとえば世の中がファシズム的な雰囲気の濃い時代であれば、ファシズム的な価値観から最も評価される人間として振舞うのが、「優等生病」「一番病」に侵された日本のエリートたちだった。彼らは、敗戦になって民主主義の世の中になったら、民主主義の観点から最も高く評価されるような振舞いをするようになる。彼らの「評価されたい」というメンタリティの本質は「変わらない」。だからこそ、時代が変わり価値観が変われば、彼らの振舞いは「変わる」というのが「人は変わらないから変わる」ということの意味だ。「優等生病」「一番病」の人間たちは、優等生であり一番になる人間たちだから、高い能力を持っていることは確かだ。エリートになりうる人間といっていいだろう。だが、彼らは評価されている間は高い能力を発揮するだろうが、自らが指導者の立場に立ち、人から評価されるのではなく、自らの判断で問題を解決していかなければならないようになると、その高い能力がまったく生かせないということが起こってくる。日本が遅れた国であり、目指すべき目標が明確に定まっていて、それに近づくことが高い価値をもっていた時代だったら、評価されることが至上価値の人間であっても、その能力を十分発揮できる場があっただろうと思う。定型的な仕事を効率よくこなす人間が、その時代には最も望まれたエリートの姿だったかもしれない。しかし、日本が遅れた国であった時代でも、日本がこれから先どのような進路をたどっていくことが、国家と国民にとってもっとも望ましいのかという公的な判断をするには、定型的な解答はなかっただろう。それは自らが切り開いていかなければならない問いであり、主体的に試行錯誤ができる能力がなければ考えられない問題だったのではないかと思う。明治維新のころに日本の指導者になり、日本が欧米列強の植民地になることを防いだ人間たちは、「優等生病」「一番病」のエリートではなく、創造的で主体的なエリートたちだったのではないかと思う。国民の中に国家という意識を持たせるために天皇制を利用して「愛国心」を植え付けようとしたのも、あの時代においてはまったく先進的な創造的なものだったのではないかと思う。国家としてのまとまりを持たなければ、日本が植民地化されることは目に見えていたという判断があったのではないかと思う。当時において、世界的な視野で日本の姿を見ることのできる人間などは少なかったに違いない。今なら高い教育を受けた人間がたくさんいるので、そのようなことを考察できる人間も多いだろうが、当時において教育の成果を待つのでは遅かっただろうと思う。当時の判断としては、上からの注入による国家意識と愛国心が必要だったのではないかと思う。そして、それは国益にかなう公的な行為だったのだと思う。この当時にそれが必要だったということと、今の時代にそれをしようとしている現在の統治権力を比べて、その時代の違いが、同じことをしようとしていてもまったく国益という観点からは違いがあるということを考えるのは面白いことではないかと思う。同じようなことを考えていても、当時のエリートの創造性と、現在のエリートの創造性のなさを比較するのは重要ではないかと思う。「優等生病」「一番病」のエリートたちは、定型的な仕事をこなすには高い能力を発揮するが、創造性を必要とする、未来を切り開く指導者としての能力には欠ける。だが、優等生になりたい・一番になりたいというメンタリティの強い彼らは、創造性のある指導者が高く評価される時代には、そのようなものになりたいという要求が強くなるのではないか。そのようなときに、本来的には矛盾する自らの姿とどう折り合いをつけるだろうか。この折り合いのつけ方が、宮台氏が語る「亜インテリ」という姿として現実化するのではないだろうか。本物のインテリであれば、広い視野を持ち・深い思考ができる創造性を持っている。自らの持っている資質で、本当に高い評価を受けるような仕事ができるだろう。だが、指導されるものから評価されるために、その視点での膨大な知識を身に付け、他の観点からの思考ができなくなっている「優等生病」「一番病」の人間は、その欠点を隠すような合理化をする必要が出てくるだろう。それは、ある意味では他の視点を否定することで、自らの視野の狭さを覆い隠すということになるかもしれない。だが、他の視点を否定するのに、正当なやり方を使うほどの教養はない。むしろ、正当なやり方では広い視野を否定することなどはできない場合がほとんどだろう。だから正当でないやり方で否定するようになると思われる。それは、権力と結託して、権力的な弾圧で他の視野を否定するという方向に行くのではないかと思われる。この特徴は「亜インテリ」の特徴とよく一致するのではないかと思う。「亜インテリ」が権力と結びつき、代替的な権威を獲得して、本物のインテリを弾圧するという図式は、「亜インテリ」というものの内在的な特質から論理的にも導かれてくるようなものではないかと思われる。「優等生病」「一番病」の人間は、「亜インテリ」へと育っていきやすいということがいえるのではないだろうか。「亜インテリ」は、創造性と主体性という面では欠けるだろうが、インテリであることは確かだろうと思う。膨大な知識をもち、確立された理論の範囲内では十分正しい結論を導き出すだけの高い能力を持っているに違いない。彼らは、彼らがそれまでぶつかったことのないまったく新しい側面の本質を理解するには創造性が足りないのだと思う。この「亜インテリ」というインテリが権力と結託するとき、最も恐れなければならないのは「ファシズム的」な権力と結託するときだろう。彼らがそのような権力と結託すれば、真のインテリを弾圧することは容易になり、世の中から正しい判断というものが消えてしまう。軍国主義下の日本の姿は、丸山真男が指摘したようにその典型的な姿を見せたのではないかと思う。今の時代はどうだろうか。学校教育では真のインテリが評価されるような制度になっているだろうか。真のインテリに対するリスペクト(尊敬)が自然に生まれるようになっているだろうか。それとも、教師の価値観に迎合して、教師の視点から物事を見ることで高く評価される人間が一番になるような制度になっていないだろうか。現在の教育制度のもとでも、「優等生病」「一番病」は再生産されるような仕組みになっているのではないかと思われる。インテリの中には、相当数の「亜インテリ」が生まれているのを予想させる。だが「亜インテリ」と真のインテリを区別するのは難しい。その語る内容が専門的なものであれば、専門的な知識をもたないものは、それが単なる辞書的な知識なのか、それとも現在の世界の正しい認識の上に、その知識が正しく適用されているものなのか、つまり創造性が発揮されているのかを区別するのは難しい。両方とも難しいことを語っているという印象だけが強くなることもある。専門知識のない普通の人間に、真のインテリと「亜インテリ」を区別する視点を育てるにはどうすればいいのだろうか。多分それは応用問題が解ける能力というものが一番の目安になるのではないかと思う。三浦つとむさんは、戦後まもなく若い労働者の相談を受けて、彼らが日常でぶつかるさまざまな問題を、正しく捉えて弁証法的に考えるという指導をしていた。その際に、どれほど難しいことを語ることができても、ありふれた日常的な問題を正しく解決できないなら、それは本物の知識ではないということを語っていた。象牙の塔にこもっていて、日常的な問題をまったく無視して生活しているインテリは、それだけで「亜インテリ」かもしれないと判断してもいいのかもしれない。そして、インテリが、日常的なことに対して何かを語ることがあれば、ありふれた日常に対して正しい判断をしているかどうかで、そのインテリの創造性や主体性を見抜くことが必要なのではないだろうか。宮台氏や内田樹さんは、ありふれた日常について語ることが多い。そしてそこには正しい判断が含まれていると僕は感じる。日常の中に本質的なことを読み取っていると感じる。世の中の大部分の人が賛成して、常識的で権威ある人から評価される方向のことを語っているのではないのを感じる。あるときは常識に反して、たたかれやすいこともあえて語るところがあるのを感じる。しかしその判断は、論理的な整合性があって正しいというのを感じる。この二人は、真のインテリではないかというのを、僕はそのような面からも感じる。
2007.01.16
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現在の日本の社会状況は、規律の乱れや道徳の荒廃が指摘されることが多いのではないだろうか。学校においても、学力の低下や、自由が放縦の様子を見せるなど、いわば勝手なふるまいをする子供たちを育てているように見える。かつての日本では、人々はもっとまじめな生活に価値観を抱いていたし、学校でも子供たちは秩序に従う生活をしていた。これは、かつての日本人のほうが道徳的に優れていたことを意味するのだろうか。あるいは、かつての教員のほうが子供の指導力が高かったので、秩序を確立することができたのだろうか。これは、そう思いたい面もあると思うが、本質的には「近代過渡期」が「近代成熟期」になったということがこのような変化をもたらしたのではないだろうかと僕は感じている。「近代過渡期」の学校教育は、宮台氏が指摘するように、監獄と軍隊を手本としていた権力的な押し付けを基本としていたと思う。戦後民主主義は民主的な教育を実現したと言う面もあるだろうが、基本的にはそれは戦前とつながっている権力的な押し付け教育だったのではないかと思う。これは「近代過渡期」というものがそのような教育を求めていたということがあるのではないかと思う。そのような教育で育った人々が、「近代過渡期」によく適応して、時代を前進させる力として有能な人を多く排出したのではないかと思う。権力を背景にして秩序を作り、ひとつの目標に向かって努力を傾けていくという道徳が、「近代過渡期」という時代にはぴったり適合するものだったのではないかと思う。学校教育における体育は軍隊を思わせるものが色濃く残っているものの一つだ。整列させたり、全体が一つの行動を同じようにするということは、心身を健康にするという目的とは直接的にはかかわってこない。むしろ、個人に合わせたトレーニング方法を工夫したほうが、個人の心身の健康には効果がある。本当に民主的な教育をするのなら、全体主義的なやり方ではなく、個人主義的な方向へとシフトしていかなくてはならなかっただろう。高度経済成長期に子供時代を過ごした僕は、今から振り返ると学校におけるこのような権力的な教育を反省できるが、子供だった当事はそれほど疑問を感じることはなかった。学校というのはどこでもそういうものだったから、いやな面はあったけれど仕方のないものとあきらめていたところもある。ほかの「自由」を知らなかったので、「自由」がないことに悩む必要がなかった。ビデオニュースの主宰者の神保哲生氏は、中学生時代の体育教師の暴力について語ることが多い。それは秩序を維持するための暴力であって、教育的な意味はあまりなかったと思われるのだが、単なる暴力という判断はされず、教育に有効な「体罰」という判断がされていたようだ。かつての学校が秩序を保っていたのは、教員に権威があったことが大きかったと思う。そしてその権威を支えるものが「権力」というものだったような気がする。本来ならば、個々の教員の人格に権威が帰することが最も理想的な状態になるだろう。しかしこれは大変難しい。本当に尊敬できる「師」と呼べる存在がどこにでもたくさんいるとは思えないからだ。たいていは平凡な教員であることが多いし、社会的な職業というのはそういうものではないかと思う。大多数の人が従事する職業というのは、特に優れた選りすぐりの人が就くようなものでは、社会的に成立しない。人材が確保できないだろうと思う。選りすぐりの人が就くような職業は、エリート的な職業としてやはり特別なものになるだろう。多くの人が従事する職業は、一定のレベルの技術・能力を持っている人間であれば勤まるというものでなければならない。そういう意味では、教員が学校の秩序を維持できるということは、個人の資質に帰する権威ではなく、外的な存在が保証する権威として確立されていなければ、秩序確立が難しいのではないかと思う。「近代過渡期」には、社会の要求に応えていた教育という姿が、学校の権威を信頼させ、国家権力も後ろ盾となっていたと解釈したほうが正しいのではないかと思う。「近代過渡期」が「近代成熟期」へと移っていくと、社会に要請される能力というものが変わっていくのではないだろうか。それはもはや、軍隊や監獄を基礎とした押し付け教育では身につけることができない能力となってきたのではないだろうか。努力して時間さえかければ身につくという、勤勉さを最上の価値とするような教育があまり効果をもたなくなってきているのではないかと思う。決められたことをきちんとやるよりは、その対象や状況に応じて試行錯誤の末に最適なものを選んでいくという、「自由」により適合した能力が必要なのではないかと感じる。全体主義的な一斉授業のカリキュラムよりも、個別的な一人一人に応じたカリキュラムが有効なのではないかと思う。そのようなものを制度的に保証するものとして、都立高校に登場した単位制という考え方を宮台氏は高く評価していた。東京都の単位制高校は、何を勉強するかを自分で選ぶ制度になっている。何が自分に適合する学習なのかを、自分で試行錯誤して確かめていくような制度になっている。これによって、自分が「自由」に選んだ結果が自分にとってよいものをもたらすかどうかということを訓練することになる。「自由」を適切に使える能力を育てるということになるのではないかと思う。「自由」な選択肢がなかった時代には、ある種の押し付けであっても、それを押し付けと感じることなく受容できただろうと思う。しかし、他に選択肢があることが明らかにわかる時代になった今は、なぜ他の選択肢が選べないかという思いが強ければ、権威や権力で押し付けようとするものは、「自由」を侵害する悪いものだと感じるのではないかと思う。「近代過渡期」には、物理的な意味での選択チャンスがなかったので、それを獲得するための量的な努力が必要だった。そして、それは努力をすれば何とかなるという希望の見えるものだった。それが、ある種の我慢をしても努力をしつづけるというモチベーションを高めただろう。このような時代は、その目的を達成すると信じられるような方向であれば、少々の押し付けで「自由」を制限しても多くの人がそれを受け入れただろうと思う。この「自由」を制限して秩序を確立するために、「権力」というものがかなり有効に働いたのではないかと思う。そして、この「権力」は、弾圧という面も見せただろうが、総体では人々の希望をかなえたので民主的な支持を得たのではないだろうか。これは、ファシズムがその初期においては大衆的な支持を得ることの理由に通じるようなものではないかとも感じる。「近代成熟期」になると、「近代過渡期」で有効性を持っていた「権力」の一面が、その有効性を発揮できなくなったのではないかと考えられる。むしろそれは「自由」を侵害するひどい押し付けのように感じられるのではないだろうか。秩序の維持に有効性を発揮できるように「権力」というものも再構築される必要があるのではないだろうか。「近代過渡期」においては、学校では、秩序を乱すものを弾圧する「権力」によって秩序を維持していた。神保氏が語る体育会系の暴力などは、稚拙な方法ではあるが、「権力」の面を端的に示す例としては分かりやすいものだろう。この時代には、秩序を乱すということが罰されるべきことであり、そこにどんな理由があるかなどは問題にされなかった。「近代成熟期」は、何が秩序を乱すことであるのかということで、必ずしも合意できなくなってきているのではないだろうか。携帯電話の会話がうるさいという道徳的な問題も、携帯電話ですぐに会話するほうが便利だと感じる人が圧倒的多数を占めるようになれば、道徳感情も変わってくるだろうと思う。表面的に秩序を乱すように見えるようなことであっても、そこにどのような理由があるかで、是々非々が判断されるようにすべきなのが「近代成熟期」の秩序というものではないだろうか。「近代成熟期」には、すべての事柄が再帰的に考えられるようになり、自明の前提というものが崩れる。前提が自明であれば、その前提を選ぶということに選択肢はない。それが当たり前のことであるということで人々の共通の理解がある。だが、それを再帰的に相対化して、その前提が本当に正しいのだろうか、他の可能性はないのだろうかと考えるようになれば、一つの選択だけを押し付けることは非常に難しくなる。多様性こそが重要なものになってくる。多様性が許容されるような、そのような秩序の確立に役立つような「権力」というのは考えられるだろうか。宮台氏が社会学入門講座で語っていた、信頼ベースの社会のモデルというものが、そのような権力の実現ができるのではないかと感じる。信頼モデルに対して、合意モデルという社会の形もあるようだ。これは、ある種のルールに人々が合意して、そのルールが守られている状態が秩序があると感じるような社会だ。そこではルール破りが出た場合に秩序が乱れたと判断し、秩序を乱した人間を処罰するようになる。これは多様性を許容することができない。信頼をベースにするということは、社会を構成する人々が、プラットホームである社会そのものを転覆させるというような無茶をしないという信頼が基礎にある。だから、表面的には合意されたルールを破るような出来事があっても、そこに整合的な理由があることが納得できれば、一定の範囲でルール破りも許容される。それは秩序を乱すことにならない。信頼さえ失われなければいいわけだ。これなら多様性を許容することができるだろう。このような社会は、信頼を失墜させるような行為に対しては厳しく対処しなければならない。そのために「権力」というものが有効性を発揮しなければならない。今の日本の状況はどうなっているだろうか。ルール破りの面がセンセーショナルに見える凶悪犯罪の報道を見ていると、その犯罪にいたった個人的な特殊な事情というのはあまり省みられていないように感じる。むしろ、ルールを破ったことで、その人間が生まれついての極悪人だったようなイメージを持っているのではないかとさえ感じる。逆に、政治家に対する信頼を破るような人間が多く出てきているにもかかわらず、彼らに対する厳しい処置を要求するような社会的な雰囲気がないように感じるのは僕の思い過ごしだろうか。今の日本社会は、信頼をベースにしているとは到底思えないような状況ではないのだろうか。このような状況のもとで「近代成熟期」を乗り切ることができるのだろうか。信頼を基礎にした社会を構築する努力をしなければ、教育改革も本質的な面では成功しないのではないだろうか。「近代成熟期」という認識は、「権力」と個人の関係を考える上でも重要になるのではないかと思う。
2007.01.15
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『自由とは何か』(佐伯啓思・著、講談社現代新書)という本に大変興味深い記述があった。そこでは3年前のイラク人質事件に関連して、自らの自由意志でイラクに行った彼らの責任が、意志の「自由」というもので論理的に導出できるかと問いかけていた。佐伯さんは、彼らがたとえ自分の意志で、国家の勧告に反して行ったとしても、どのような事件に巻き込まれようと自業自得で放っておいてもいいのだということにはならないという。近代国家には国民を守るべき責任があるというのだ。彼らがある意味では勝手に行ったのであろうとも、彼らの危機に対して国家はそれを救うのに全力を尽くさなければならない責任があるという。近代国家(民主主義国家ということだろうか)はそうでなければならないということだ。これは僕もそう思う。これは感情面で同意できるというだけではなく、民主主義というものは、そのような原則を基礎にしなければ国家の安定が得られないのではないかと思うので論理的にもそうでなければならないと思う。もし国家が、守るべき国民と見捨てる国民を差別するようになったらどうなるだろうか。それは、国家を支える国民と、国家を支える必要のない国民を分けることになる。すべての国民が国家を支えるということではなくなる。これは民主主義というものの否定にならないだろうか。佐伯さんも、「国家は国民の生命や財産の安全に対して責任を持つ」「いかなる心情の持ち主であれ、人質に関しては、可能な限り安全な救出を目指す」と書いている。これは「本人がいかに反国家であり、日本政府に不信感を持っていようと、個人の心情とは無関係に」救出をしなければならないということでもある。それがすべての人が、国家を支える動機を作る民主主義社会の原則ではないかと僕も思う。このあたりの論理は、かつての「自己責任論」が実に奇妙なもので、国家が責任逃れをしようとする間違った論理であることを改めて納得させてくれるものになる。そしてこれに関連させて、人質になった彼らが、危険な場所であるにもかかわらず、あえて自らの意志でそこに行こうとするような「自由」があるのは、実はその「自由」を国家が支えているからできるのであるという論理の展開が、新たな視点を教えてくれるものとして目にとまった。僕には左翼に近いリベラルの感覚があるので、国家が「自由」を制限して、「自由」を規制してくるという面は気づきやすいし分かりやすい。しかし、国家にそのような面があるにもかかわらず、安定した生活においては、われわれの「自由」は実は国家という権力がその安定を支えているのだというのは気づきにくい。国家権力というのは、常に悪としてわれわれに対しているのではない。国家権力の必要性というものも論理的に理解することは重要だ。宮台真司氏は、アナーキズムを「国家を否定する中間集団主義」と呼んでいた。アナーキズムは権力をすべて否定するのではなく、国家のような大きな権力は否定して、中間集団としての小さな権力で市民社会の安定を図る思想だと捉えているようだ。これに対して、社会学が提出するのは、「国家を否定しない中間集団主義」だと語っていた。これは、基本は中間集団による社会の安定を図ることにあるのだが、中間集団では請け負えない機能を国家という権力が引き受けるのだという考えように感じた。『権力の予期理論』などは、そのような国家権力が社会において果たす役割を分析したものではないかと思う。国家権力が社会の安定にどのように役立っているかを知ることは重要なことに違いない。それは、ファシズムの分析などにおいても、ファシズムの初期においては、その権力が市民生活の安定のために貢献するという面が見られることが、大衆的な支持の要因になっているのではないかとも感じるだけに、結果的にひどいものをもたらしたファシズムが支持されるという矛盾を理解するのに役立つのではないかと思う。佐伯さんの次の文章は、実に印象的に頭に残ったものだった。自分では忘れていた視点を教えてくれたものだった。「国家があってはじめて自由な個人という主体がありうるという、考えてみれば当然のことに、人質事件は改めてわれわれの目を向けることになった。しかし多くの場合、このことは事態の背後に隠されている。普通、われわれは「自由な個人」から出発する。「自由な個人」から出発すれば、国家はそれに対する制約としてしか理解されないだろう。こうして、「権力を行使する国家」に対抗する「自由な個人」という図式が出てくる。 確かにこの図式が妥当する局面もしばしば存在する。しかしより根底にあるものは、「自由な個人」を支える「権力をもった国家」なのである。この後者をとりわけ注意しておきたいのは、「権力」vs「自由」や、「国家」vs「個人」という図式はあまりに分かりやすいのに対して、「権力」や「国家」が「自由」や「個人」を支えているという側面はなかなか見えにくいからだ。 われわれの意識はどうしても自明に思われる「個人」から出発する。そうすると、そもそも「個人の自由」が実際にはいかなる条件のもとで成立しているのか、という自らの足元に目をやることが難しくなってしまう。」この佐伯さんの言葉は、宮台氏がよく語る「プラットホーム」の問題を言い換えたもののように感じる。「自由」の謳歌は大切だが、それが謳歌できるプラットホームが存在してこそそれはできるのだということだ。プラットホームが壊れるかもしれない事態が起きれば、今確保されている「自由」が失われる恐れがある。そうであれば、あるときには「自由」の行使よりも「プラットホーム」を守ることが優先される。そのような判断をしなければならない時がいつなのか、それに敏感になる必要があるだろう。佐伯さんの本は、自由を支える国家権力という視点の新鮮さで面白さを感じるた。そしてそれともに冒頭で語っていた、若者にとっては、もはや「自由」はあたりまえのものであり、ことさらそれを求めると力をこめて言わなくてもいいものになっているのではないかという、現在に対する現状把握に、今の時代がやはり「近代成熟期」ではないかという感じがしてまた面白かった。佐伯さんは「自由に対する切実感がなくなった」と語っている。むしろ自由をもてあましているようにも見えると語っている。かつてなら「自由はいつも脅かされ、自分が本当にやりたいことができず、何かによって縛られていると感じるのが」当たり前だったという。もし、自由が何かの制限を受けているという「不自由感」によって分かりやすいものになるのであれば、「自由」を求めるという態度もとりやすい。これは、「近代過渡期」の「不自由」ではないだろうか。それは、何かが不足しているという「不自由」なので、不足を埋めれば「自由」になれる。目標がはっきりしており、その目標に向かって意欲的に突き進んでいける「自由」だ。「近代過渡期」における学生運動の高揚などを考えると、単純に価値のある「自由」に突き進むことができた幸せな時代だったのではないかと感じる。それが今の「自由」は、とりあえず「したいと思えばだいたいすることはできる」という自由になっている。もちろん物理的条件によってはできないこともあるが、そういう場合はむしろ、それをしたいという「自由」を抱かないのではないかとも感じる。選択肢を設定しなければ、それができなくても「不自由感」はない。オタク的な若者は、恋愛においては弱者であり成功することが少ないという。しかし、最初から恋愛などに意欲を持たなければ、それができないという「不自由感」に悩まされることなく、「自由」が得られないことに悩む必要がなくなる。「萌え」という対象を求めるのは、現代的な「自由」の処理のしかたとしてまことに合理的な行動なのかもしれない。現代社会においては、選択肢を持とうと思えばかなりのところで選択肢を持てる。しかし、どの選択肢を選べば自分にとってっは幸せなのかを決定することが難しくなっていないだろうか。オタク的に、あえて選択肢を捨てることによって「不自由感」を克服するというパラドックスも起きてくるのではないだろうか。何をすれば幸せなのかがわからないので、とりあえず何かをしてみるのだが、どうもあまり幸せになれないという感じがしている人が多くはないだろうか。考えるよりも前に、自分の選択肢はこれしかないという状況にいる人は果たして多いだろうか。何を選択してよいのかがわからない、自分の好きなものが自分でよくわからない、という「不自由感」が今の一番大きい問題であれば、それはまさしく「近代成熟期」だと言ってよいのではないかと思う。国民の「自由」を支えるプラットホームとしての国家権力という視点で、国家の選択を見直すことはなかなか役に立つものになるのではないかと思う。政治的な選択については、自らの個人的な立場から、それが利益になるのか損害になるかが分かれてくる場合がある。この利害関係で、国家の選択に対する自分の判断というものが出てくる場合もあるだろう。だが、そのような個別的な利害関係を離れて、国家権力が、国民のどの面の「自由」を支えるためにそのような決定をしているのか、ということを考えられるのではないかと思う。具体的には、教育基本法の「改正」をはじめとする教育改革において、それによって何が「自由」になるかを考えてみたいと思う。その「自由」は、果たして「近代成熟期」における「自由」としてふさわしいものになるだろうか。それがふさわしいものであれば、教育改革はよい方向へ進むのではないかとも思える。しかし、「近代過渡期」における「自由」の問題を引きずるような古臭いものであれば、その「自由」はかえって「不自由感」を増すものになるのではないだろうか。最近話題になっているホワイトカラー・エグゼンプションについても、これはいったいどのような「自由」を保障するものであるのか、という視点で捉えるのは面白いのではないかと思う。それは、働く立場から、創造性を発揮する「自由」を支えてくれる制度になりうるだろうか。今の状況は、まったくそういうものではないように感じるのが正しいのではないかと思うが。それは、今のところはいくらでも給料を下げられるという「自由」に役立つものになるらしい。近代民主主義国家は、大多数の国民の「自由」を支える方向で、政治的な意思決定をすべきだろうと思う。現政府が果たしてそのようなプラットホームを守る方向で動いているのか、よく考えて見ていきたいものだと思う。
2007.01.14
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宮台真司氏が「連載第7回 選択前提とは何か」の中で「自由」について記述している。この「自由」は「意志の自由」であり、いくつかの選択肢がある中で、その中のどれを選んでもいい・「自由」にどれかを選べるという意味での「自由」だ。面白いのは、この「自由」が実現できないと言う「不自由」の問題を考えると、そこで起きてくる「不自由感」が、「近代以前」「近代過渡期」「近代成熟期」にそれぞれ対応した特徴を持っていると言うことだ。つまり、「自由」の問題を考える上で、「近代成熟期」という概念は非常に役に立つのではないかと思えるところだ。「自由」は「放縦」につながるというイメージがあって、「自由」というものは保守勢力にはすこぶる評判が悪い。教育が乱れているのも、無制限の「自由」が許されているからだと考える人もいる。「自由」は「義務」とセットにされるべきであり、「義務」を果たした人間だけが「自由」を行使する権利を持つのだと考える人々もいる。一方では、基本的人権として認められている「自由」は、それを行使するものが一人の人間であると言うことから認められている「自由」であり、人間ならば誰でも所有する権利であるから、ある意味での無制限の「自由」だと言ってもいいものだ。この場合の制限や義務の問題は考え始めるとけっこう難しい。思想・信条の自由は、思うだけなら何を思おうと自由だと言うことになる。これは、それを表現しない限りでは誰にも知られないのであるから無制限の自由のように見える。制限があるとしたら、とんでもないことは表現しないと言うことだろうか。しかしそれにしたって「表現の自由」というものがあるのだから、いくらとんでもないことであっても、実質的な被害が起こらなければ、何を表現しようと自由だとも言えるのではないかと思う。ある種の表現をしたために実質的な被害が起こるとしたら、それは表現そのものがいけないのではなく、表現が関わる関係性に問題があると考えた方がいいのかも知れない。フィクションであり、それが誰を表現したものであるかが特定できないのであれば、プライバシーという関係は起こりえない。だからそのようなものはプライバシーに関わるかも知れないある種の表現があっても、何を表現しようと自由だと言うことになるかも知れない。同じ表現であっても、ある場合にはプライバシーの侵害になり、ある場合にはならないと言うのは、表現の問題ではなく関係性の問題になるだろう。その場合制限されるのは、表現そのものではなく、関係性という条件の下での表現と言うことになるのではないだろうか。表現そのものは、一般的には「自由」があると言ってもいいのではないか。実質的な被害が出るときは、その実質的な被害に応じて責任の所在が判断されるべきであって、それによって表現一般を制限するのは、論理的には行き過ぎた判断になるのではないかと思う。「自由」というのは考えれば考えるほど多様な面を見せてくれるので、これの全体像をつかむのはかなり難しい。しかし、この否定である「不自由」というものは共通のイメージをつかみやすい。「不自由」がカバーする範囲は「自由」ほどの多様性を持っていないとも言えるだろう。だから、宮台氏も「自由」を説明するよりは「不自由」を説明して、そこから「自由」に対する多様なイメージにつなげるという方向を取っている。「不自由」というのは「自由」ではないと言うことなので、端的には「選択肢がない」と言うことになる。これは、決定論的な世界観を持っている人間には、一切の「自由」はないように見えるだろう。しかし、この「自由」はあくまでも「意志の自由」であり、選択における「自由」なので、決定論的には他の選択肢がないように見えても、あえて間違ったものを選ぶという「自由」もあるという形で理解する「自由」になる。それが正しいか間違っているかにかかわらず、原理的に選ぶことが出来ないようなものであれば、そこには選択肢が存在せず、「自由が」無いと言ってもいいだろう。しかし、結果的に間違った(意図に反すること)方に行くことであっても、それをあえて選ぶことが出来るなら、そこには「自由」が存在すると考える。このように考えた「自由」は、対象の物理的法則性を全て把握して、深い洞察の下に、ある一つの選択肢だけを選び、あえて他の選択肢を排除した選択は、他のものを選べないと言う「不自由」ではなく、正しいものをただ一つ主体的に選択したという、究極の「自由」を実現しているものと考えられる。これがヘーゲル的な「必然性の洞察」という意味での「自由」ではないかと思う。各時代に応じた「不自由」については宮台氏は次のように説明している。1 近代以前:選択肢そのものが存在しないと言う不自由「近代以前に特徴的なのが「選択領域の欠落」です。南側は、近代と接触することで貧しさを自覚し、外貨を獲得するべく一次産品に作付けを替え、国際市場で買い叩かれて構造的貧困に陷りますが、以前は自足していました。この自足が選択領域の欠落に相当します。」2 近代過渡期:選択肢はあるのだが、それを選択する物理的条件が無く、選択のチャンスがない不自由「近代過渡期、すなわちモノの豊かさが国民的目標となる第二次産業中心型の社会で問題になるのは、経済的貧しさ=「選択チャンスの欠落」です。」3 近代成熟期:選択肢もあり選択条件もあってどれを選ぶことも可能になるが、どれを選ぶのがもっともふさわしいかという判断能力が無く、選択した結果に満足できないという不自由「モノの豊かさを達成した近代成熟期に、何でも選べるのに、何を選んでいいのか分からない、あるいは、ソレを選ぶことに何の意味があるんだ、という形で問題になるのは、選択原則(選択肢を評価する物差し)の不在という意味での「選択能力の欠落」です。」近代以前は、選択肢の存在を知らないので、それがないことに悩むという気持ちは生まれてこない。だからこの時代には「不自由感」を感じるという不幸は免れる。しかし選択肢が存在することが見えてくる近代過渡期には、それが得られないことによる不幸感は「不自由感」として生まれてくるだろう。だが近代過渡期にはこの「不自由感」を埋め合わせることは比較的容易だと思われる。なぜなら、この時代の欠落感は物質的な不足感から来るものだからだ。物質的な不足感は、量的な増大によって解決できる。つまり、「頑張れば何とかなる」と思えるような範囲の問題として現前してくるのだ。この時代の教育は、勤勉さを尊ぶ心性を身につければ、頑張って労働に励むことが出来るので時代の要求に応えるものが実現できるだろう。深く考えて疑問を持つ人間よりも、素直に言われたことにしたがって行動する人間が高く評価される。そしてそのような人間が近代過渡期の成長に貢献するような人間になるであろうことも予想できる。教育によって高い評価を受けた人間が、社会においても重要視され、仕事の上での成功を実現するというのが近代過渡期だったのではないかと思う。努力すれば努力した分だけ報われるという幸せな時代だったのではないかと思う。問題が量的な事柄に限られていたのでそのようなものにつながったのではないだろうか。近代成熟期において本質的に問題になっているのは「選択能力」というものだ。これは頑張れば何とかなるというものではない。選択する対象の性質をよく知って、深い洞察の下に正しい判断をすると言うことで「自由」を実現しなければならない。「選択能力」がない場合は「不自由感」に悩まされることになる。頑張れば何とかなるという教育は、監獄的・軍隊的なものである程度成果を上げることが出来る。頑張れば何とかなるという見通しがはっきりしていれば、人間は努力も出来るし、意欲も高めることが出来る。しかし、頑張ってもどうなるか分からないという時代では、学習の意欲そのものが減退してくる。今の子どもにやる気が感じられないと思うなら、それは時代のせいであることが極めて高い可能性として考えられるのではないか。近代成熟期は、意欲というものを自明の前提として要求することは出来ない。意欲を高めなくてはならないと言うことが前提になっているとしたら、やはり教育の世界でも近代成熟期を感じなければならないのではないかと思う。今が近代成熟期では無いという判断をするなら、論理的には今をその前の「近代過渡期」であると判断するか、近代成熟期を越えてしまった時代と考えるしかない。もし、今が近代成熟期を越えているなら、近代成熟期の「不自由感」は克服されているはずだ。しかし現状はそうは見えないのではないだろうか。それでは、今はまだ「近代過渡期」なのだろうか。今が近代過渡期であれば、ものを豊かにするという目標を持ち、頑張れば何とかなるという意欲で乗り切ることが出来るのではないか。それで乗り切れないと言うことは、今が近代過渡期ではないことを意味するのではないか。mechaさんが「理論構築における抽象(=捨象)--何を目的として何が引き出され、何が捨てられるのか」のコメント欄で語ってくれたように、経済的な面から見ても現在が近代成熟期であることを感じることが出来る。「社会的(経済的)に過渡期であれば、需給バランスが需要サイドに偏ってますので、比較的簡単に物が売れますし、競争状態が起こりにくい」という社会現象は、ものが豊かになっていく過程を見させてくれるだろうし、この過程を見ることによって、頑張れば何とかなるのだという思いも高まるだろう。「しかし成熟期であれば、需給バランスは偏りがなく、下手すれば供給サイドに偏りますので、物はなかなか売れませんし、それに反比例するように競争が激化していきます」というような現象は、頑張っても何とかならない、むしろよく考えて正しく判断しないと駄目だという思いを抱かせるだろう。「何らかの差別化が必要になり、技術やアイデアが不可欠になってきます」というのは、単に勤勉で与えられた仕事をこなすことだけが評価されるという時代ではないと言うことを物語っているのではないだろうか。この時代にふさわしい、判断力という面での教育の必要性を語っているのではないかと感じる。「他方、皆が長時間勤務で苦しいかと言えば、退社時間にきちんと帰ったり、休みを取っている人は、しっかりいるんですよね。でも残念ながら、得てして大きな仕事は任されていない。しかし彼らも、それはそれで満足しているんです。他に生き甲斐があるんですね。」と言うコメントからは、近代成熟期の「不自由感」を無視して(あえて見ないようにして)、「不自由感」から生まれる不幸を回避する方向に向かっている人がいるのを感じる。そのような人々の存在を許容する社会であるということからも、やはり今が近代成熟期であるという判断は正しいものだと思われる。近代過渡期には、このように勤勉でない人は排除されるのではないかと思う。このような人々が社会にとって脅威にならず、それなりに幸福感を感じて生きていくことが出来れば近代成熟期の問題はないだろうと思う。しかし、多くの人が「不自由感」からの不幸を感じるようであれば、それは社会にとって脅威になるだろうし、近代成熟期にとっても解決しなければならない問題になると思う。近代成熟期という概念は、そのような社会の理解にとって重要な概念だと思うのだ。
2007.01.13
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宮台真司氏が「連載第二〇回:法システムとは何か?(上)」の中で「法」というものを語っている。この定義も、日常感覚からするイメージから言うと少しかけ離れているように見えるが、社会というシステムを理解するには有効性を感じる定義になっている。宮台氏が語る定義をそのまま受け入れるというのは、何か定義が天下って無反省にしたがっているように見えるかも知れないが、学習というものはそのような形で始めなければ出来ないものではないかと思う。宮台氏の定義は、宮台氏の長く深い考察の結果として得られたものだとしても、それと同じだけ長く深く考えなければ見出せないとしたら、宮台氏と同じ能力を持たない人間にはその定義は見出せなくなってしまう。実際には優れた人間から学ぶことによって、かなり難しい・自分一人では見出せないようなことも理解することが出来る。科学の歴史というのはまさにそうだっただろう。科学というのは他者が学ぶことを可能にしたので、誰かが到達した地点から次のステップへ進むという進歩の歴史をたどることが出来た。いつでも全くゼロから始めなければならないとしたら、真理の認識は特に優れた人にしかできないことになる。もちろん特に優れた人は存在するだろうが、それが「特に」と呼ばれるのは、大多数はそうではないと言うことだ。その大多数にとっては、誰が優れた人で、誰に学ぶことが大いなる真理を得ることが出来るかを正しく判断することが重要になるだろう。特に難しい対象を理解するには、誰に学ぶかが決定的に重要になってくる。社会を深く理解するための師として僕は宮台真司氏を選んだのだが、ここで語られている「法」の本質への見方も、社会の中で「法」がどのように役立っているかを見るのに見事な整合性があるのを感じる。「法」というものが人間社会の中にこれだけ深く浸透していると言うことは、それに欠点があるかも知れないが、本質的な部分で役立っていると言うことがあるはずだと感じる。時には冤罪の発生という事実があっても、それがなぜ発生してくるかと言うことを、不合理の発生でさえも合理的に理解できるのなら、それは現象をよく説明する論理になっているのではないかと思う。これは矛盾の存在に目を向ける弁証法に通じるような考え方だろう。冤罪の発生を合理的に理解すると言うことは、冤罪が発生してもやむを得ないからそれを受け入れろと主張しているのではない。むしろ逆に、冤罪発生のメカニズムが合理的に理解できれば、その発生のメカニズムを改善することによって冤罪の発生を防ぐことが出来ると言うことが語れると言うことだ。冤罪は不合理で不当なものだが、「そんなものはあるべきではない」と糾弾をしてもそれがなくせるものではない。発生のメカニズムを正しく捉えない限りそれはなくせないものだと思う。宮台氏の「法」の定義は次のように語られる。「連載でも述べましたが、法とは紛争処理の機能を果たす装置の総体です。紛争処理とは何か。紛争の抑止ではありません。紛争を公的に承認可能な仕方で収めることです。公的に承認可能な仕方とは、「社会成員一般が受容するだろう」と期待できるような仕方です。 「収める」とは何か。紛争当事者のどちらかが死滅するまで戦うことを以て「収める」こととし、その結果を「公的に承認」することもあり得ます。ただ、今日まで生き延びた社会はどこも、そこまでせずに、「手打ち」することを以て「収める」こととしています。」日常感覚では、「法」というのは正義を実現してくれるもののように感じる。だからこそ「正義」ではない冤罪を発生させるようなものはケシカランという感覚も出てくるわけだ。「正義」というのは「正しさ」にも通じるものだが、「法」を正しさを実現するものと考えると、冤罪の発生は矛盾以外の何ものにも見えなくなり、なぜ発生するかという合理性を求めることが出来なくなる。だが、「法」が求めるものが「正義」ではなくて「手打ち」だとするなら、「正義」が決定できなくても「手打ち」が出来れば「法」を実現していることになるだろう。「正義」というものがいつでも確実に決定できるものでないと言うことから、あやふやな決定をして「手打ち」をしなければならないケースが出てきたときに冤罪が発生すると理解することが出来る。冤罪というのは、どれほど民主主義が進んだ国であってもゼロにすることは出来ないことだろう。人間がやることに間違いというものはある。だが、その発生を出来るだけ少なくするように工夫することは出来る。それが「推定無罪の原則」というものではないかと思う。これが正しいと言うことは、「法」を「手打ち」だと理解するときに納得しやすい。「法」を「正義」だと思うときには納得することが困難になるのではないだろうか。「推定無罪の原則」は「疑わしきは被告の利益に」という言葉でも語られるのではないかと思う。その人間がどんなに犯人のように見えようとも、決定的な証拠がない限り、つまりその人間が犯人であると言うことを積極的に肯定する証拠がない限りは無罪だと考えると言うことだ。無罪というのは、罪を犯していないと判断するのではなく、罪を犯したと決定できなかった、そういうときは無罪なのだと考える原則だ。だから本当には罪を犯しているのだが、それを証明できなかったときに無罪にするのは、「正義」を実現できていないことになる。これは、「法」を「正義」だと考える考え方からすると、「法」が実現されていないように見える。しかし、本当に罪を犯しているのかどうかが分からないときに、罪を犯しているに違いないという先入観が強いと、「正義」の実現を求める人々は間違った判断をして冤罪を作る恐れがある。それを防ぐためにこそ「推定無罪の原則」がある。これは、本当のことが分からないときは罪を問えない、つまり無罪であると言うことで「手打ち」をしようと言うことで合意することなのだと思う。「推定無罪の原則」と言う「手打ち」があれば冤罪のかなりの部分は防げるだろうと思う。この「手打ち」は国民一人一人にとって利益になることだ。罪を問うのは警察権力という国家権力が行う。国家権力にとっては、個人の疑わしい面を調べることはたやすい。何かの標的になれば、疑わしい面などいくらでも見つけることが出来る。もし疑わしいだけで有罪になるのなら、国家はねらいをつけた人間を誰でも罪に陥れることが出来るだろう。このような可能性に歯止めをかけるために「推定無罪の原則」は有効だ。個人が刑事被告人になる可能性は少ないだろうが、それは誰にでも起こる可能性を持っているものでもある。犯罪現場の近くにたまたま居合わせたがアリバイが無いというケースは起こりうるだろう。そのようなときに、犯罪を犯したという積極的な証拠がない限りは無罪であるという原則は、個人にとっての大きな利益となるに違いない。この「推定無罪の原則」に反する出来事が、「和歌山毒カレー事件」で出された死刑判決だったと宮台氏も神保氏も批判していた。これは、その判決理由が、林被告以外には犯行を行うことが出来た可能性がないからと語られていたことが「推定無罪の原則」に反するという批判だった。林被告以外にそれが出来たはずがないから、林被告が犯人だという結論だ。これは、林被告がその犯行を行ったという積極的な証拠から得られたものではない。まさに「推定無罪の原則」に反するものだろう。林被告が犯人かどうかは分からない。もしかしたら犯人かも知れないと言う可能性は残るだろう。しかし、分からないという状況の時は無罪という決定を下すべきだと考えるのが「推定無罪の原則」だ。だから、この原則は「100人の真犯人を逃したとしても、一人の冤罪者を出さない」ということで共通に了解しなければ出来ない「手打ち」だ。進んだ民主主義国家ではこのような「手打ち」が出来ているようだ。だが、犯罪者というものが、誰でもそのような追求を受ける可能性があると受け止められず、悪いことをする特別な奴が犯罪者だと言うことが社会の認識として大きいものになると、「100人の真犯人を逃す」ことに耐えられなくなってくる。誰かが犯人になってくれないと不安が静められないというメンタリティが育つことがある。そのようなときは、むしろ疑わしい奴に厳罰を与えてくれと言うことが「手打ち」になる可能性がある。林被告が犯人であるかどうかは分からないが、分からないのであるから無罪だとしなければならない、と言うのが近代民主主義国家の「手打ち」にならなければ、個人にとって「法」の脅威の方が大きく感じる。日本の現状は、どうも「推定無罪の原則」が実現されているように見えないので、「法」が個人にとっての脅威になる可能性の方が大きいのではないかと感じる。「推定無罪の原則」は感情的には受け入れがたいものがあると思う。だが、社会というものや「法」というものを深く考えれば、この原則こそが正しいと結論できるのではないだろうか。感情を抑えて論理の結論を受け入れるには、「法」が「正義」を実現するものではなく、「手打ち」として社会的に共通に承認されるものなのだという定義が役に立つだろうと思う。この定義は、普通に生活して「法」の現象を見ていてもたぶん発見するのは難しい。社会について「法」について深く考えてきた人に学ぶことによって初めて気づくようになるだろう。そして、その定義の有効性に気づいた人間は、「法」の他の定義との比較によってこの定義の意味をもっと深く知ることが出来るようになるだろう。「法」についての多様な現象を全て理解したあとに、最も優れたものが発見できるという手順は、かなり優れた資質を持った人でなければ難しいだろう。しかし、普通の資質であっても、何か一つ優れたものを頼りに、多様な現象を見直すと言うことが出来れば、それがなぜ優れているかを比較的容易に理解できると思う。学習というのはそういうものだろう。宮台氏は、法定義論の歴史や言語ゲームによる定義などを語っている。これらも、先入観なしに白紙の状態で理解しようとするよりも、「法」が「手打ち」としての機能を持っているという観点から、その内容を理解した方が理解しやすいのではないかと思う。そして、その方がたぶん正しい理解に近づくのではないかと思う。我々の誰もが世界を広く深く捉えられるものではない。たいていの人間は、世界を広くとりすぎれば、そこには混沌しか見えてこない。狭い一部を深く観察することによって全体の理解に役立てようとするのがそもそもの科学の発想だ。狭い一部に対して本当の理解をもたらしてくれるのは誰なのか、学習や教育にとって大事なのは、そのセンスを磨くことだろう。
2007.01.11
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宮台真司氏が「連載第一八回:宗教システムとは何か?(上)」の中で宗教を「前提を欠いた偶発性(=根源的偶発性)を無害なものとして受け入れ可能にする機能(を持つ装置の総体)です」と定義している。これは、一般的に考えられている辞書的な定義とはかなり違うのではないだろうか。宮台氏は、この定義を社会学という学問を説明する「入門講座」の中で語っている。日常的な出来事を語るエッセイの中で「宗教」を語っているのではない。ということは、この定義は社会学という学問の中で「宗教」を考察するのに有効であるように工夫された定義になっているはずだ。宮台氏が、どのような意図で「宗教」をこのように定義しているのかを考えてみようかと思う。それが分かるようになれば、学問的な考察における定義の仕方というものが理解できるかも知れない。宮台氏は何故に「宗教」を上のように定義したのか。その理由が分かれば、「ファシズム」という言葉の定義をするときも、どのような理由でどのように定義することがふさわしいかと言うことが分かるようになるかも知れない。宮台氏は、社会を捉えるときに基本的にそれをシステムとして捉える。システムとは、ある集合体をそう呼ぶのだが、それは個々の要素が部分として孤立して存在しているのではない。互いに関連しあっていて、しかもシステム全体としては一つの存在のような振る舞いを見せる。個々の部分的な要素だけでは実現できない動きが、システムの全体としては実現できたりする。システムのイメージはもっと豊かなものがあるのだが、社会に存在するものはほとんど全てこのようなシステムとして捉えるという基本的な考えがある。そして、もっとも大きなシステムが社会全体と言うことになり、その中に含まれる部分的なシステムがまたいくつかあるというとらえ方をする。「宗教」も宗教システムとして考えるなら、社会システムという大きなシステムに含まれる一部だと言うことになる。そしてこれは単なる一部ではなく「下位」システムと呼ばれる。それは「システムが、自らの存続に必要な機能的達成を、システムの中に存在するシステムに委ねたものが下位システムです」と定義される。「下位システム」という言葉は、日常語の中には含まれていないだけに、新たに定義された学術語であると言うことが明確なので、これはその意味を受け取るのにあまり迷いは出ないだろう。「宗教システム」は、社会システムという上位のシステムが「自らの存続に必要な機能的達成」の一部をゆだねたものと考えられる。ここで注目しているのは、システムとしての姿であり、その最も重要な属性は「機能」と言うことなのである。宮台氏が「宗教」の定義に「機能」という面を最重要視したのは、システムとしての解明をすることが目的だったのではないだろうか。宮台氏はこのエントリーで「宗教」の定義の歴史を振り返っている。それは、現実からの抽象によって概念を作り上げ、その概念によって定義されているのだが、現実のどこを抽象するかという明確な意識はあまり持っていない定義のようにも見える。一つの定義は、「第一は、聖俗二元図式を用いて、聖なるものや聖なる体験を宗教と呼ぶ定義」と語られる。これは、体験の中で最も強く感じるものが抽象されているだけのようにも感じる。何か理論的な要請があって、何かを解明することが目的で設定された定義のようには見えない。この定義は、「しかし聖なるものとは何かを巡ってこの定義は困難に陥ります。宗教定義の困難を聖なるものの定義の困難に移転しただけです」と宮台氏によって語られる。何か不思議な体験をして目がくらんでしまったことをそのまま定義に使ったように見えるため、何か分からないものを「宗教」と呼んでいるだけだというふうに感じてしまう。抽象されている概念は「不思議さ」「わからなさ」というようなものではないかと思われる。だからこの定義を用いると、不思議なもの・分からないものが「宗教」の中に入ってきてしまう。「ドラッグによるトリップや、激烈な地上戦下の変性意識状態が、聖なるものとなり、宗教に算入されてしまいます」と宮台氏は語っている。これは、理論的な反省なく、体験の強さという感覚あるいは感情をそのまま抽象して定義したことによる失敗ではないかという感じがする。体験をそのまま抽象するとどうやらまずいことが起こるので、別の角度からの抽象を考えている。「第二は、究極性や最高性を宗教的なものと見做す定義です」と宮台氏が語っているものを考えてみよう。これは抽象としては、具体性を離れていっているように見えるので何となくうまく行きそうな感じもする。「しかしこの定義にも、先の定義同様、日常的に宗教と呼ばないものが含まれます」と宮台氏は指摘する。これはあまりにも抽象のレベルを上げすぎたのではないかと考えられる。「究極性」や「最高性」として抽象してしまうと、「宗教」が持っている独自性というものが捨象されてしまうのではないかと考えられる。このように抽象されすぎた「宗教」は、「ケルゼン流の概念法学で把握された憲法は定義に合致するし、俗に言う「科学万能主義」の世界観も定義に合致しますが、私たちは比喩を超えて憲法や科学を宗教と呼ぶのを躊います」と言うことになってしまうのだろう。この二つの定義は、いずれも多くの「宗教」が持っている属性を抽象して作られている。しかし、それはどうも「宗教」の本質をぴったり捉えている定義とは言いがたいものになっているようだ。どのような定義をすれば、「宗教」としての独自の性質をも表現し、具体性にベッタリ張り付いた感覚的なものにならない、抽象された概念となるのだろうか。これには唯一の正しい定義の仕方というのはおそらく無いだろうと思う。宮台氏の定義の仕方も、「宗教」をシステムとして、より大きな社会システムの中に位置づけるという目的を持つという条件の下で正しくなる定義なのだろうと思う。そのような条件を意識しないで機能を本質と考えた場合は間違いになることもあるのではないかと思う。マルクス主義的な言説では、かつては機能を本質と見る見方は「機能主義」と呼ばれる誤りだと考えられていた。これは、マルクス主義が「唯物論」が正しいという前提で考えられているからだろうと思う。ものの存在が第一義で、認識はその物質的存在から得られると考えるなら、本質は物質的存在という実体の方にあるのであって、機能の方は人間の受け取り方という「観念」に左右される。機能というのは数学的には関数を意味する。何を入力として、何を出力とするかで関数のとらえ方は違ってくる。機能というのは、人間のものの見方という「観念」に左右される。しかし、ある場合には観念を基礎にした見方の方が本質であると言うこともあり得るだろう。無条件で唯物論的なものが正しくなるのではなく、真理は常に条件付きなのだと考えられる。宮台氏の定義は、「宗教」を外から眺める第三者的な視点だ。「宗教」を内側から生きるような信仰の観点ではない。だから、これに対して、「宗教」を冒涜するものだと反発する人がいるかもしれない。「宗教」を内側から生きる人にとっては、それにふさわしい定義があるだろうと思う。そして、それもある条件下では正しいのだろうと思う。「宗教」を内側から生きる人にとっては、信仰の対象である「神」が必要なのではないかと思う。対象なしに信仰することは出来ないのではないだろうか。そうすると、「前提を欠いた偶発性(=根源的偶発性)を無害なものとして受け入れ可能にする機能」というのは、神の能力として信仰する対象であり、神という実体の属性(これはフィクショナルな実体だと僕は思うのだが)として機能が捉えられるようになるだろう。「宗教」を信仰として考える人にとっては、それは聖なるものとして映るだろう。それは信仰するがゆえに聖なるものとして映るのだが、信仰する人間には逆に見えるかも知れない。聖なるものとして存在する神がいるからこそ、自分の信仰が生まれたように。信仰という面から「宗教」を考えると仏教というのは奇妙な存在に見える。仏教は信仰する対象を持たないからだ。仏教では「悟り」というものをひらくことを目的とする。「悟り」に関しては、その本質を考えることが難しいのだが、ある種の諦念(あきらめ)が「悟り」と呼ばれるのではないかと思う。世の中の全ての出来事に対して、それはそうなっている、いわば運命なのだと了解することが「悟り」のようにも感じる。そうすると、これは「前提を欠いた偶発性(=根源的偶発性)を無害なものとして受け入れ可能にする機能」を持つだろう。宮台氏の定義からすると十分「宗教」としての本質を持つと考えられる。「宗教」をシステムとして捉えれば、システム理論として抽象的に捉えた論理を応用することが出来る。宗教システムの発展というものを、論理的に追うことが出来る。社会が複雑化したときの、それに対応する下位システムとしての「宗教」がよりよく理解できれば、宗教的な「狂信」ではない方向での「前提を欠いた偶発性」の処理が出来るようになるのではないだろうか。かつてはパニックを収めるために有効だった「宗教」が、複雑化した社会では、「狂信」という形で社会の存在を脅かすようにもなっている。それはオウム真理教という「宗教」の地下鉄サリン事件などに端的に表れているのではないかと思う。この「宗教」を単に「狂信」として、「宗教」にあるまじき邪教として排除するだけでは問題の解決にはならないのではないかと思う。システムとして「宗教」をとらえる視点が、問題の本当の解決につながるのではないだろうか。さて「ファシズム」の定義は、どのような目的の下に考えられるだろうか。「ファシズム」の被害を受けた人々が、その体験の深刻さを抽象するだけでは本質を捉えたかどうかは分からないだろう。深刻な体験をした人々は、本質は体験した人にしか分からないと言うようなことを語るときがあるが、抽象化した理論として本質を求めるときは、逆にあまりにも体験のイメージが強いときは抽象化が難しくなる。「ファシズム」の属性であるものは、非論理・非理性・非合理・暴力的・差別的・抑圧などいろいろと考えられる。これが不当なものとして退けられるだけの市民社会であれば「ファシズム」の脅威は少ない。だが、このような属性が権力を持ったりすれば、それは大部分の人にとって暗黒のような世界だった第2次世界大戦を思い出させるのではないだろうか。「ファシズム」にとってこれが重要になるのは、権力との関係をどう見るかと言うことではないのだろうか。それを考察するのに最も有効な定義というのはあるのだろうか。考えてみたいと思う。
2007.01.10
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内田樹さんの「「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む」というエントリーを見て、「3年」と言うことが印象に残った。個人的な経験から感じるものでは、僕が職に就いた26年前は、3年勤めればあとはいくらでも勤められたという感じがしたからだ。3年というのは仕事に慣れるのに必要な時間でもあった。その3年が、今の時代は辞めることを決断するのに必要な時間になっていると言うことに時代の差を感じる。実を言えば僕も仕事を辞めて他の職業を探そうと思ったことがある。しかしそれは仕事についてすぐにそう思った。仕事について、自分はその仕事に向いていないとか、仕事に就く前に抱いていたイメージと違う(端的に言えば理想とは違うと言うことだろうか)と言うことはよくあることだろう。僕と同期に新規採用された教員は、その地域では16人いたが、3年以内に8人が辞めた。辞める理由はいろいろあったようだが、最も早い人間は半年で退職した者がいる。彼は辞めて俳優になるためにどこかの劇団に入ったと言うことを聞いた。彼は、理想と違う現実を拒否して理想に向かって進むことを決断したのではないかと感じたものだ。僕の場合は特別に理想を抱いていたわけではないが、中学校で数学を教えてみると、その数学がひどく程度の低いものに思えて、こんなものは数学ではないと言う思いが強くなった。そんな思いを抱いているものだから、僕が教える数学はなかなか子どもの成績につながらないと言う、仕事を果たすには困ったレベルになりそうだという思いから、辞めた方がいいのかなという思いを抱いていた。僕は教育の理想に燃えて、使命感を感じて教師になったという人間ではない。出来れば自分の自由になる時間がそれなりにあって、数学と論理学の研究を、独学でもいいから続けていきたいと思っていた人間だ。いわば、教師に「でも」なるかという発想で教師になった「でも」教師だ。最低限要求される技術が自分にあればいいのであって、ひどく低い水準の授業さえしなければ仕事を果たしていることになると思っていた。それがどうも低い水準の授業になりそうだったので困っていた。ここで早い決断をしていれば僕は教師でない他の人生を歩むことになっただろうと思う。今から振り返るとその方が面白かったかもしれないとは思いながら、これも運命なのだろうと思うところもある。その後の人生がそれほど悪いものではなかったので、まあ満足しなければならないかとも思う。僕は早い決断が出来なかったので、疑問を感じながらもずるずると教師を続けていた。そうすると不思議なことに仕事への慣れというものが出てきたのだ。疑問を感じながら仕事をしていたときは、ひどく低レベルの授業をしているものだと感じていたのだが、慣れてくるとそれが結果的にはそうでもなく、並レベルのものではないかとも思えてきた。結局、子どもたちのレベルがひどく標準を離れていない限り、普通の教員にとっては並レベルを脱することは出来ないのだと思った。ひどい低レベルの授業をするには、僕の個性はまだ不足していたと言うことだったのだろうと思う。板倉さんの言葉の中に、「びりっかす、向きを変えれば一番に」というようなものがある。だから、ひどい低レベルの授業しかできないと言うことは、実は状況が変わればそれが一番いいと評価される可能性もある個性なのだと思う。普通の人間はそれほど強烈な個性を持っていないので、たいていが並のレベルに落ち着くのだろう。しかし、仕事というのは、基本的に並のレベルがこなせる人間が圧倒的多数を占めなければ、社会的に要求されるレベルをクリアできないだろう。僕は1年間の仕事で、どうやら自分は並のレベルくらいにはいるらしいとわかり、2年目・3年目には仕事にますます慣れてきて、かなり楽に並のレベルを保つことが出来るようになった。仕事はかなり順調にいくようになってきたのだが、個人的にはちょっと困ったという感じがしていた。数学の内容に疑問を感じていた頃は、その問題意識が働いていたのかも知れないが、数学や論理学の学問の方に自分の関心の多くが向いていたのだが、仕事に慣れて疑問が薄れると、学問に対する気持ちも薄くなってきたのを感じていた。僕は仕事の中で自己実現をしたいとは思っていなかったが、仕事の中に埋没することは、自分の生き甲斐とも言える学問を忘れてしまうことにならないかと言うことが気になった。どうも学問的とは言えない数学を教えているのがいけないのかとも思い、数学を教えなくてもすむような学校を探そうと思った。数学の教員が数学を教えなくてすむようにしようと考えたのだから、これはかなり難しい。このときそういう学校が見つからなかったら、僕は3年で教員を辞めていたか、学問的な要求を捨てて、まったりと現実的な満足の中で生きていくことを決めて仕事を続けていたかどちらかだっただろう。僕は、運良く養護学校と言うところを見つけて、そこで数学を教えずにすんだので教師を続けることが出来るようになった。数学を教えなくてすむようになってからの養護学校での教師生活は楽しいものだった。数学を教えていた頃は、教科書を教えてノルマを果たしていればそれで仕事をしたという感じだった。拘束されている時間内に、果たすべき仕事内容が決まっていて、それをどの程度こなしたかで評価されて賃金がもらえるという感じだっただろうか。そのような仕事生活は、仕事をしているときはあまり自分が生きているという感じがせず、余暇の時間に自由に過ごすときの自分こそが本当の自分だという感じがしていた。ところが養護学校では、これをしなければならないと言うマニュアル的なものが何もなかった。そこで長く仕事をしている人間も、初めてそこに行った人間も、仕事の内容が分からないと言うことでは同じだった。試行錯誤で仕事を進めていかなければならなかった。この試行錯誤が仕事に対する関心を高め、仕事を面白くさせるのに強い効果があるというのは、かつて数学の魅力を感じ始めた頃、試行錯誤によって数学の法則を一つ一つ確かめていた頃の楽しさを思い出す感じだった。また何よりも喜びを感じたのは、自分の仕事が子どもの要求に応えているという感じが持てたことだ。数学を教えていたときは、子どもがそれを望もうが望むまいが、とにかく教えなければならないことが決まっていて、それを子どもに注入することが仕事だった。しかし、養護学校ではそのような発想では子どもは何も応えてくれない。子どもがまず何を求めているかを知らなければ全く仕事にならない。それを探るために多くの試行錯誤をしてみる。もちろん失敗することも多いが、失敗から学んで賢くなると言う感じも実感として受け止めることが出来る。給料をもらっていながらこれほど充実した時間を過ごしてもいいものだろうか、と感じることもしばしばだった。自分がやりたいと思っていた学問的な思考が、仕事をする中でやっていけているという感じだった。その時に出会ったのが「障害者の教育権を実現する会」という運動団体だった。その中心にいたのは、三浦つとむさんとも親交のあった津田道夫さんだった。津田さんは、戦後まもなくマルクス主義陣営をリードした理論家だった。障害児教育を扱った文章で、津田さんの文章ほど学問的な香りの高いものは無かった。今は障害児教育を離れて夜間中学にいるのだが、それは障害児教育の方が、理想的な障害児像のようなものを設定して、それに近づく努力をすることが障害児教育であるというような雰囲気を持ってきたからだった。そうなるとそこからは試行錯誤によって実践を確かめると言うことがなくなってくる。どこかの偉い学者が打ち立てた学説を忠実になぞるような実践が主になる。全体がそのような流れを持ってきたときに、一人でそれに抵抗するのはかなりしんどいことだ。試行錯誤というのは、ある程度の失敗を見込めるから踏み出せるのだが、主流派に抵抗するとなると失敗が許されなくなる。そこまで仕事の中で自己実現をしたいという要求は僕にはなかった。ある程度の妥協は仕方がないと思いながら、妥協の中で流されないような職場をまた探そうという気分になったときに見つけたのが夜間中学だった。僕の教員生活の中では夜間中学が一番長くなった。夜間中学でも妥協しなければならないところがないわけではない。仕事というのは、自分勝手に出来る部分で全て成り立っているわけではないから、妥協する部分もたくさんある。だが、夜間中学ではもっとも大切にしたい試行錯誤による実践という面での妥協はまだしなくてすんでいる。他でいくら妥協しても、ここで妥協しないですむなら、夜間中学という場はまだやりがいのある仕事場だと思う。板倉さんが言う「理想を掲げて妥協する」と言うことを実践している思いがある。僕は教員という仕事を辞めはしなかったけれど、数学を教えるという仕事は基本的に3年で辞めたと思っている。まことに3年という時間は微妙な時間だ。内田さんは「「働き甲斐」というのは金だけではない。著者は「やりがい」の条件として「担当業務が縦に切り出された形で一任されること」、「予算も含めた権限がセットでついてくる」雇用形態を推奨する。つまりスタンドアロンで、小なりといえども「一国一城」を任されると、若者もやる気になる。」と語っているが、試行錯誤をして自分の成長を感じることが出来る仕事というのは、ここで言っている「やりがい」のある仕事ではないかと思う。また内田さんは「オーバーアチーブという言葉には、単に「賃金に対する過剰な労働」のみならず、個人にとっては「その能力を超えた成果を達成すること」を意味している。というより、「賃金に対する過剰な労働」は労働者自身が「能力を超えた働きをしてしまった」ことの副作用なのである。」ということも語っているが、まことに鋭い指摘だと思う。人間は適材適所に配置されると、どうしても要求された仕事以上の成果を上げてしまうものかも知れない。それが、まだ適材適所にいない人たちの仕事をカバーして、日本を引っ張っていくものになるのだろう。僕は数学を教える教師としては適材ではなかった。それを知るのに3年かかったと言うことだろう。そして、養護学校と夜間中学は自分の適所だと言うことを見つけて、たぶん給料以上の働きをしているだろうと思っている。自分が、仕事において適材適所にいるかどうかを判断するのに、たぶん3年という時間がちょうどいいのではないかと思う。そして、多くの若者が自分が適材適所ではないと感じるからこそその仕事を辞めていくのだろう。若者にそう感じさせてしまう仕事の環境というのは、それが特殊ではなく一般的ならば、やはりシステムの改善が必要な問題なのだろうと思う。
2007.01.09
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わどさんから「「成熟社会」論の震源地/批評」というトラックバックをもらった。トラックバックをもらった僕のエントリーは「成熟社会にふさわしい教育とは」だ。ここで書かれているわどさんの感情的な思いというのは理解できる。「近代成熟期にはいると、物が豊かになり、長時間労働をしなくてもすむようになる」という表現に対して、未だに長時間労働に従事していて、しかもその労働に使命感を感じることなく「苦役」という感覚しか持てなかったら、現在が「近代成熟期」であるという判断そのものに異議を唱えたくなるかも知れない。しかしこのような異議を唱えることは、社会全体を「近代成熟期」と判断しなければいけないイメージ(抽象化)が、自分の周りの生活実態というイメージの壁によって邪魔されることにならないだろうか。両者は抽象化のレベルが違うのだと思う。社会全体というのは、自分の周りの狭い世界だけを見ていたのではその実体がつかめない。特殊な生活環境にいる人は、その環境から外に出ない限り、社会全体のイメージを間違えて受け取るだろう。社会全体のイメージというのも、個別的な体験で判断するのではなく、ある程度の抽象によって理解する必要があるのではないかと思う。社会全体のイメージをそのまま再現するような体験というのは、おそらくあり得ないだろうから。統計的な判断で言えば、近代過渡期というのは第1次産業から第2次産業へと労働人口が移行すると言うことが起こる時期だと言える。戦後まもなくの高度経済成長期には、農業を離れて工場労働者になる人々が多かった。実際のあらわれとしては、農業では食えなくなったと言うことだろうと思うが、近代過渡期という時代が、そのような労働の流動性を要求したとも言えるだろう。このときに、農業を守って生きた人がいたとしても、社会全体としては製造業に従事する人が増えた近代過渡期だと判断することが正しいのではないだろうか。今の時代は、製造業は外国へと移転されている。ものを作るのは、もはや日本国内ではコストダウンの競争に耐えられず、第2次産業に従事する人が、サービス業を中心とする第3次産業へと流出している。この事実は、やはり現在が近代成熟期へと入ったと感じさせるものだ。また、第3次産業で人々が食っていけると言うことは、それだけサービスを受け取って金を払う人が多いと言うことでもある。つまり、大多数の日本人は、余暇に金を使って楽しむという生活をしているのである。まさに近代成熟期だからこそそのような生活スタイルがあるのではないか。僕は大学を卒業する年に初めて個人的な旅行をした。旅館に泊まるという旅行は、修学旅行以外はしたことがなかった。もちろん、両親が子どもだった僕を旅行に連れて行くと言うこともなかった。結婚して子どもが出来たとき、子どもがまだ小さいうちに僕は家族旅行をしている。これは、僕が教員であり、まあまあ高い給料をもらっていたからだと言うことだろうか。そうではないと思う。僕の生活はかなり普通の生活に近いのではないかと思う。家族で旅行に行ったり、家族でレストランに食事に行ったりするのは、僕が家族を持った時代あたりから普通の生活になったのではないかと思う。そうでなければ、日本全国にあれだけたくさんのファミリーレストランがあって、しかもその経営が成り立つと言うことの理由がなくなってしまう。これらの事実から論理的な帰結として、現在という時代が「近代成熟期」で、ものが豊かになり、余暇をどう使うかが問題になってきた時代なのだという判断をするわけだ。「近代成熟期」という判断は、抽象によって得られた論理的な判断であって、具体的な生活感覚から得られる事実の判断ではないのだ。また、捨象という言葉が、「捨てる」というイメージを持っているからと言って、「しかし宮台氏やひで先生の社会観では、ゴミ箱に捨てられる商品は捨象という思考の方法によって視野のそとに放りだされ、二人分、三人分を働くサラリーマンたちはギリシャの奴隷たちさながら社会の本質からは隠される存在のようです」というイメージを持つのは、捨象という言葉に対する誤解だと思う。これは、あくまでも概念上の操作の技術を表す言葉であって、道徳的な価値に関わるところはない。働きすぎるサラリーマンに対しては、宮台氏が霞ヶ関の官僚の例を出して面白い話をしていた。霞ヶ関の官僚は、平均して年に5000時間くらい働くそうだ。毎日働いても1日に14時間くらい働かなければならない。日曜くらい休むのかも知れないが、寝る時間・食事する時間・通勤する時間を除けばほとんど働いていると言ってもいいだろう。この働きすぎるサラリーマンに対して、宮台氏は、霞ヶ関の官僚だったらそれはかまわないというような言い方をしていた。それは、彼らが日本の進路を握るような重要な使命を負った仕事をしているからであり、その使命感を満足させるような仕事であれば、それだけ働いたとしても全く苦にはならないだろうと言うことだ。彼らは働いて賞讃を得ることで、働いた分に見合うだけの報酬を得ていると考えられるのだ。彼らは金銭的には、その働きにふさわしいと思えるほどの大金はもらえない。しかし、彼らの労働の動機は金にはない。むしろ金に動機があるようであれば、それは日本の指導者としてふさわしい働きではなくなってしまう。彼らは、その使命感ゆえに過剰な労働をすることが正しいのだ。これは、いつだったか、mechaさんがコメントで語っていた、「2割の人間で8割を引っ張る」というようなものだろうと思う。彼らが働いて多くの日本人の豊かさを支えるというのは、構図としては適材適所の仕事と言うことになるだろう。そして、団塊の世代のサラリーマンは、これと同じ構図を、高度経済成長期の会社で作っていたのではないかと思う。彼らは、日本の高度経済成長という国益を担っていた使命感に燃える労働者だった。彼らこそが日本の成長を支え、豊かな生活を実現する推進力だった。それに対して基本的な尊敬を捧げるべきだというのが、内田樹さんが語るオーバーアチーブとしての労働と言うことではないだろうか。彼らは近代過渡期の象徴的な存在だ。この近代過渡期にふさわしい人間は、勤勉であり、命令されたことにいちいち疑問を持たずに、自分の使命を理解して邁進する猛烈サラリーマンだ。当然、学校教育もそのような人間を高く評価して、そのような人間を育てることに全力を注ぐだろう。そして、それはかなりうまくいったのだと思う。なぜなら、そのように高く評価されて卒業した人間たちが、ほとんど実社会でも成功するという結果になったからだ。軍隊と監獄を基礎にした教育は、近代過渡期においては成功したのである。それは支配者たちが要求する人間像にふさわしい教育であり、しかもその教育によって育てられる側にとっても大きな利益をもたらすものであったから、そこには矛盾が存在せず、両者にとって蜜月のような時期が続いただろう。そのような教育に異議を唱える人間は少数派だったに違いない。西洋的な市民社会を望む人間はたぶん少なかっただろう。だから、監獄のように自由がなかったとしても、それがさほど問題にされなかったのではないかと思う。軍隊のように、体罰という暴力でたたき直されても、たたき直された方が正しいとされたのではないかと思う。しかし、近代成熟期に入って、この教育が通用しなくなった。最も大きい要因は、この教育で育てられ、高い評価をされた人間たちが、現実の社会で使い物にならなくなってきたと言うことではないかと思う。命令を忠実に実行し、勤勉で仕事に邁進するだけでは、現代社会は成功を導かなくなったのではないだろうか。変化する社会に対して臨機応変に対応する能力が必要とされているように感じる。だが、監獄と軍隊を基礎にした教育ではそのような能力は育たない。かつてはその労働に高い使命感を感じていた官僚たちも、自分たちの仕事が必ずしも高く評価されないことに使命感が下がり、長い労働が喜びではなく苦役になってきたのではないかと思う。それがさらに現代に必要な労働の資質を育てるのに邪魔をするのではないかとも思う。今の日本社会の教育では、実社会へ出たときに役立たないものが多い。それに気づいた人々が教育に対する不満を増大させていると思う。かつては、教育される中で、評価される努力を積めばその努力は報われた。だが、努力が報われない教育では、誰が勤勉になるだろうか。今の子どもたちが勉強しない、学力が低いというのは、子どもたちの意識のせいではない。近代成熟期にふさわしい教育が構築できない学校制度に根本的な問題がある。時代に合わない教育の中で、勤勉さを取り戻す動機を育てたり、勤勉によって学力を向上させようと言うことに無理がある。現在を「近代成熟期」だと捉えればこのような論理展開が出来る。近代成熟期にふさわしい教育制度に変換すれば、子どもたちの勤勉さは取り戻され、高い学力も復活するだろうと思う。現実を対象にした考えに絶対と言うことはない。だから、今が「近代成熟期」ではないとする判断も一定の条件下では成り立つだろう。だが、このような判断をすれば、教育の改革は出来ない。現在が「近代成熟期」ではないのなら、それは「近代過渡期」だと判断するしかない。それならば、今やっている教育制度を変えずに、その中で個人的な努力で何とか問題を解決するしかなくなる。今ある問題が、特殊な事情にある子どもだけの問題であれば、その問題を抱えている個別的な対象で努力をすればいいだろう。しかし、今の教育が抱えている問題は、どの子どもたちにも(任意の子どもたちにもと言うこと)起こることだと考えるなら、個人的な努力ではどうしようもない。それは制度的な改革という根本を変えない限り解決は出来ないだろう。このような発想をするかどうかは、現在が「近代成熟期」であるのに教育の中身はまだ「近代過渡期」に合わせたものになっているという判断が必要だ。僕は、教育の問題は制度を変えなければ解決しないと思っている。だからこそ、今の時代を「近代成熟期」だと判断するのだ。自分の生活で、労働時間に比べて余暇の時間の比率が高いからという理由で、今を「近代成熟期」だと判断するのではないのである。
2007.01.08
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『ファシズム』(アンリ・ミシェル著・文庫クセジュ)という本をヒントに、「ファシズム」の概念が出来ていく過程を考えてみたいと思う。概念というのは、思考を進める出発点になるものだ。たとえば数学などで、「偶数とは2で割り切れる整数のことである」と定義して、偶数の思考を進める場合など、「偶数」という言葉を見たら、この性質を満足する対象なのだと言うことで思考を進めていく。同じように、「ファシズム」と言うことについて思考を進めようと思ったら、まず「ファシズム」と言うことがどういうことなのかを知らなければならない。これがありふれた、誰もが共通に持っている概念ならば特に説明することなく思考を進めていく。だが、どこかで概念の共通性が崩れそうな部分があれば、そこはどのようなものかというのを事前に説明しておかなければ論理の展開が違うものとして受け取られてしまうだろう。『日本ファシズム史』(田中惣五郎・著、河出書房新社)という本の冒頭には、「ファシズムとは、資本主義社会が、没落の断崖に立ったとき試みる独裁の一つの形態である」と定義されている。これは、抽象の過程を省いて、抽象の結果としての定義を語ったものだ。この定義に対して異論があるかも知れないが、この本で展開する「ファシズム」の概念は、この定義に書かれているものとして考えるのだ、と言うことをここでは宣言している。数学の場合では、このような宣言としての定義は、ほとんどの数学者の間で異論がない同意できるものになっているが、現実を対象にする社会科学の場合には、立場・視点の違いによりそれは異論がたくさん存在するだろう。しかしある主張を、そこに何が語られているかという受け手の立場で見るなら、主張する人の定義をそのまま受け取ってまずは理解することが必要だ。異論があってもその異論をひとまずは括弧の中に入れて、相手が言うような意味で考えてみなければならない。『日本ファシズム史』を理解する立場では、田中氏の定義をそのまま受け入れなければならないが、「ファシズム」一般を考察しようとするなら、その定義が生まれてくる過程を理解し、自分が解決しようとする問題に、どのような抽象がもっともふさわしいかを考えなければならない。僕の問題意識としては、個が完全に殺されるような「ファシズム」の体制が、これからの日本社会で生まれてこないように、その徴候を警戒し、発展を防ぐようなことに有効な定義を求めようとするものだ。さて『ファシズム』という本では、「ファシズム」の概念に関する言説が数多く語られている。それを一つ一つ見ていくことで、その概念が作られる過程を考えてみたいと思う。言説をいくつか抜き出しておこう。1 「ファシズムとは、様々な勢力を寄せ集めたもので、その思想については問わないにしても、それがともかくも統一を保っていたと言うこと自体が既成事実に他ならないのである。」2 「ファシズムの独裁者はいずれも経験主義者であった。支配者は常に民衆から一頭地を抜いた存在でなければならず、その行動は無言の言葉となり、その口をついて出てくる言葉は、常に真理であるとされた。」3 「全てのファシストたちが例外なしに、自己の存在意義を確証する手段として、実在の、時に架空の敵をわざわざ名指しして、これを弾劾し、これと戦うという方法を選んだ。」4 「ファシズムが有無を言わさず全面的に否認したのは、あの<啓蒙思想>に啓発され、政治的にはフランス革命で実現した19世紀龍の自由社会であった。 (中略) ファシズムに忌避された対象として、まず挙げられるのが民主主義である。圧力団体に言いなりの弱体政体である民主主義は<腐敗>していて、とても国益を守るに足りない、と言うのがその根拠である。議会制などという代物は意味のない制度であり、言論の自由と言ったところで、それは国家の置かれている現実とは何の関わり合いもない。複数政党制は、いたずらに分裂と無駄な議論を重ねるためのものでしかなく、政治の指導者を国民が選ぶなどと言うにいたっては言語道断もはなはだしい愚挙、と言うのがファシズムの考え方であった。」5 「ついでファシズムに忌避されたのが、個人主義、人権、<人間の尊厳>などである。個人は何の権利も持たず、その存在意義は、その個人が所属する共同体を介してのみ認められる。個人は共同体の一員として組み込まれ、命令されるままに動かなくてはならない、と言うのがその理由である。」6 「自由社会も忌避の対象となった。自由は放縦に退化するものであり、放縦は集団の連帯を弱める、と言うのがその論拠である。集団には、これに参加するのを拒否する全ての個人に罰を与える権利がある。裁判の目的は個人を守ることではなく、集団の保全を守ることであって、集団の保全を危うくする者は制裁を受けなくてはならない、と言うのがファシズムの考え方であった。」7 「理性に基づく行動も、生命の飛翔を抑圧するものとして忌避された。ファシズムがそもそも反知性的な反動であり、かつまた本能に基づく復讐であってみれば、行動への信仰が称揚され、暴力が美徳として讃えられるのも当然であろう。」8 「ファシズムは、何よりもまず国家主義を主張する。国家は神聖化され、最高至上の存在と見なされる。国家の利益のために、国内で政治、社会、人権が三位一体となることを求められ、国家を分裂させ、弱体化させる反国家主義は厳しく糾弾される。ファシズム出現時直前の時代は否定され、ファシズムは過去の多少なりとも神話的な時代にその原型を求めようとする。 (中略)このような黄金時代には、国家は外国の影響を受けずに、全く純粋だったわけで、今また国家を浄化しようと言うことになると、ファシズムは勢い拝外主義、人種差別主義に走らざるを得ず、究極的には反ユダヤ主義となる。国民、国家、人種の三者は、全く同一の歴史的現実として捉えられることとなる。」9 「国家の生存が確実に保障されるには、まず国家が強く、かつ専制的でなければならない。中央集権性により地方の特殊性は抑圧されなければならないし、国家は個人、職業団体、社会の諸階級の利益よりも集団全体の利益を優先させなければならない。独裁制を重視し、国家と、独裁制を支持する思想とに付随する一切のものを一体化させると同時に、合法的であると否とにかかわらず、社会福祉の考え方を普遍化させなければならない。国家は自ら警察官の役目を果たし、裁判は国家の秩序に奉仕するものとされる。これまで弁護士、検事、裁判官が別々に果たしていたそれぞれの機能は一本化されるが、これは裁判の際に被告が問われるのは、その行為よりもむしろその意図であり、その<政治的信条>であるからに他ならない。かつての異端者への審問と同様に、ファシズムの裁判所が一掃しなければならないのは、他ならぬ国家への汚辱行為なのである。」10「以上のような政策を全て実行に移すためには、ファシズムに固有の、全く新しい型の男性が出現し、その男性は思いのままに行動することが必要となる。その新しい型の男性は、何よりも男性的でなければならず(ファシズムは女性を蔑視する)、指導者としての適性を備え、おのれに対しても他人に対しても、ともに厳しい態度を保持するものでなくてはならない。この男性の備えている資質は、何よりも勇気、規律精神、連帯感でなくてはならない。ファシストたちが発展させようともくろんでいるのは、このような男性の持つ知的な資質よりも、むしろ<動物的な資質>の方であって、批判精神なるものは退廃的であるとして退けられる。ファシストたるには、<盲信し、服従し、闘争する>だけで十分であって、その理想の姿は、全く感性を欠き、人間的な意識をも失った完全な自動人形になりきることで、ただ求められるのは、命ぜられるままを理屈抜きに実行できる能力だけなのである。この種の新しい型の男性像は、ヒトラーの親衛隊の中に、ほぼ理想に近い形で見られたもののようである。」11「教育家が育成を求められ、芸術家が制作を望まれるのも、こうした新しい型の男性像である。ファシズムの文化は、ヒューマニズムの持つ普遍主義を極度に嫌い、それに代わって国家への帰属、集団の中での連帯、土、国語、郷土への愛着(ナチ党はこのほか、血への愛着を説いた)を称揚する。つまり、ファシズム文化が重視するのは、あくまでも行動を介しての感性及び思考であって、その行動なるものも、非理性主義に基づくものでなければならず、荒削りな独断、事物の図式化が要求され、ユーモアとか繊細な感覚とかは一切認められず、そのかわり宣伝のためにイヤと言うほど乱用されるスローガンが大切にされるといった具合である。」かなり長い引用になったので、考察するだけのスペースがなくなってしまった。これからの考察の方向としては、上のような「ファシズム」の特徴が、具体的にはどのような姿から抽象されてきたかを考えてみたいと思う。そして、日本の歴史においては、上の特徴を証拠立てるような事実としては何が見られるかを探してみたいと思う。その上で日本の持つ特殊性ゆえに、上の特徴が現れにくい所を捨象して、「ファシズム」の本質のエッセンスとしての概念が求められないかを考えたいと思う。僕は、あくまでも、日本にも「ファシズム」が存在したという観点で抽象をしてみるつもりだ。そういっても間違いがないような概念を求めていると言ってもいいだろうか。だから、目的は「日本にもファシズムが存在した」ということをいいたいと言うことではない。あくまでも「ファシズム」という言葉を通じて近代日本を理解し、現代日本の理解に役立てたいと言うことが目的だ。「ファシズム」という言葉で表現されるような特徴というのは、論理を否定し、非論理が跋扈するような社会を作る恐れがあるので、論理を基礎にして生きていきたいと思う僕には非常な不利益になると思う心情が作用している。これは、僕の個人的な利害感情から生まれてくるものだが、論理が否定され、非論理が論理を駆逐する社会というのは、一握りの強者だけが好き勝手にして、大多数の弱者が迫害される社会になると思う。そういう意味では、僕の個人的利害は、おそらく大多数の民主的な利害をも代表するものになるだろう。次のエントリーでは、これらの特徴から「ファシズム」という概念が生まれてくる道筋というものを考えてみたいと思う。そして、「ファシズム」という対象を考察する他の考え方との比較も考えてみて、その概念の妥当性というものも考えてみたいと思う。そのような考察こそが、未来へ役立てることが出来るものになるだろう。
2007.01.08
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「ファシズム」の概念やイメージについては専門家でさえも一致したものがないそうだ。これは現実を対象にした考察ではしばしばそういうことが起こるのではないだろうか。現実からある概念を抽象するとき、その対象をどういう視点から見るかで抽象の過程が違ってくる。この違いは概念の形成やイメージの全体像に反映してくるだろう。「言語」の概念も三浦つとむさんとソシュールの間には大きな違いがあるように見える。これは、どちらが正しいという問題ではなく、何を解明したいかという目的の違いが、対象に対する視点の違いに結びつき、それが抽象(何を引き出すか?)=捨象(何を捨てるか?)というものに結びついて、それらが概念やイメージの違いに結びついてくるものと思われる。具体的な言語現象において、直接は伝わらない、言語表現の背後に隠されている人間の認識がどうして他者に伝わるかというメカニズムを解明したいという目的であれば、三浦つとむさんが定義する「言語」の概念がふさわしいと思われる。ソシュールについてはあまり詳しくは知らないのだが、内田樹さんが引用して語る内容は、世界を認識する際に世界のとらえ方に言語がどのように有効に働きかけているかという、言語によって人間の世界が広く深くなっていくメカニズムを考えることが多い。そしてその際には、ソシュール的な思考がふさわしいように僕は感じる。日本において「ファシズム」という政治体制が存在したかどうかと言う判断においても、似たような抽象の過程の違いを感じる。それは、何を目的として「ファシズム」という概念を利用したいのかと言うことが大きく関わってくるような気がする。そして、その目的によって選ばれた概念を使えば、「存在した」「存在しない」というどちらの判断も成り立つような感じがする。それは、定義を選ぶことによって、それを前提として帰結される論理的な判断のように思われる。これはたとえば、何ものかが「赤い」というような判断をするとき、典型的な赤色に対しては誰でも同じ判断をするかも知れないが、ちょっと他の色に見えそうなとき、もしも「赤色」と「朱色」を区別したいという人だったら、判断が違ってくることもあるだろう。「赤である」という判断と「赤でない」という判断は、対象の物理的性質を反映したものではなく、「赤」という言葉の概念の違いによって論理的判断が違ってきているものだと思われる。似たような判断の違いが「ファシズム」という言葉にもありそうだ。歴史的な事実がただ1回のユニークなもので、そこからもっぱら解釈を引き出したいと考えている人は、「ファシズム」という言葉をその由来とも言えるイタリアのファシスト党と結びつけて概念を作るのではないだろうか。この場合の「ファシズム」は具体性にベッタリ張り付いた抽象という感じになるだろう。他の国の政治体制が「ファシズム」であるかどうかは、イタリアにおける「ファシズム」にどの程度似ているかで判断される。この場合の「ファシズム」概念は科学的な検討に値するものはたぶん得られないだろう。現実に存在するものが概念の根拠になってしまうと、その概念が、現実を深く知れば知るほど変わってしまうからだ。極端な場合は、最初提出された「ファシズム」概念が、実際のイタリアをよく調べていたら当てはまらなくなり、イタリアにさえも「ファシズム」はなかったというようになりかねない。そうなると困るので、最初の概念は現実の新発見に際して修正されることになる。そうすると、これはイタリアにおける「ファシズム」を「ファシズム」と呼ぶので、イタリアには「ファシズム」はあった、と言うトートロジーになり、反証は不可能になり科学としての資格を失うだろう。科学は普遍的な性質に関わる法則を語るものだから、歴史が1回きりだと考えたら、これはどうしても科学の対象にはならないだろう。そして、そのような抽象の過程を経て得られた「ファシズム」という概念は、客観性を判断する対象にはならないだろうと思う。このように作られた「ファシズム」という概念に、「悪」のイメージがつきまとったりすると、ある対象を「ファシズム」だと判断した時点で、それを非難することになる。「ファシズム」が民衆を弾圧する「悪」だというイメージがあれば、日本はそのような国ではないと言うことを主張したい人は、日本に「ファシズム」があったと言うことを感情的に認められないだろうと思う。歴史は1回きりだという歴史観を持っていると、日本に「ファシズム」があったはずがないと言う前提から思考を始めるのではないかと思う。そして、そのような思考にぴったり合うような「ファシズム」の定義を探し、それを概念として採用するだろう。これは、どこかに「ファシズム」の正しい定義があり、その定義に照らして「日本にファシズムはなかった」と判断することが客観的に正しいと言うことを導かない。むしろ、「ファシズム」の正しい定義などないのであって、それは恣意的に決められるのだと言った方がいいだろう。このような思考は判断を客観的に導くのではなく、むしろその逆に、日本に「ファシズム」があったはずがないから、最初から「ファシズム」がなかったという結論を導くことが目的で論理を構築してしまう。これは論理的には間違いがないように構築できるから、そのおかしさを理解するのは難しい。だが、これは論理的につじつまを合わせただけのもので、現実を少しも反映したものではないということは言えるだろう。「日本にファシズムはなかった」という判断が、全てこのように最初から「ファシズム」の定義に含まれている判断だったかどうかは、その言説を詳しく検討してみないと分からないが、抽象の過程が、イタリアのファシスト党から引き出されていて、他との比較が対等でないよう面があれば、このような論理の構造が見出せるかも知れない。いずれにしろ、歴史が1回きりだというような基本的な発想は科学にはならないし、それは客観的な判断にもならないと言うことは重要だろう。具体的な対象の一つを抽象の過程の中心に据えるのではなく、多くの似たように見えるものを比較して、対等の対象として共通の性質を引き出している抽象の過程は、それは科学的な検討に耐えうる定義を提出する可能性がある。このような発想は歴史を1回きりのユニークな事実だと見る見方ではない。むしろ、同じような条件下では同じようなことが繰り返されるという普遍性を求めようとする見方になる。具体的な現象として現れるときは、そこにはユニークな一面もあるだろうが、それは捨象されて、ユニークでない共通の面が抽象されることによって普遍性を見ようとする。これは科学の発想としてとらえられる。歴史を科学的に見ようとする観点からは、「ファシズム」という概念は、そのままで具体的に現れることのない抽象的な概念になる。それは多くの対象を比較することで共通部分が抽象されたものになる。と言うことは、発想としてはまず多くの共通部分を持つ対象が存在するという判断があって、そこから概念が抽象されていくという過程が見られるだろう。このことは、「ファシズム」を抽象する対象として、日本の敗戦までの政治体制を含むと見るのなら、日本に「ファシズム」があったという判断を予期しながら抽象することになるだろう。だから、この概念を使えば、当然日本に「ファシズム」があったという判断になるに違いない。こう考えれば、日本に「ファシズム」があったかなかったかという判断は、ある程度の先入観に左右されながらしていることになるのではないかと思う。それがなかったと思いたい人は、なかったと結論できるような概念を抽象し、あったと判断したい人はあったと結論できるような概念を抽象することだろう。それでは、この両者には客観性というものはあまりなく、単に見解の相違・感じ方の違いというものがあるに過ぎないのだろうか。これは、何を解明したいかという目的の違いが、その概念の妥当性というものに関わってくるような気がする。歴史を物語として1回きりのものだと考えるならば、何をどう呼ぼうと自分の自由だと言うことになる。それは物語なのだから、どこにフィクションが含まれていようとかまわない。だが、歴史から何らかの教訓を引き出し、それを未来に役立てようとするのなら、それにふさわしい概念を作らなければならないだろう。「ファシズム」を考えるというのは、将来、この「ファシズム」と呼ばれるような政治体制に似たようなものがこの戦争がもたらした災厄を再びもたらすことのないよう、「ファシズム」が成長しないように警戒すると言う目的でこれを考察するのではないかと思う。この目的にふさわしい概念は、やはり1回きりの特殊な事実として概念を作るのではなく、普遍的なものとして、その徴候を見つけられるような概念を作る必要があるだろう。日本が経験した戦争や軍国主義に対して、それを災厄だと思うなら、日本の政治体制を「ファシズム」だと捉えて、他の「ファシズム」との共通部分を拾い出し、将来(もしかしたら現在でも)、同じような「ファシズム」が日本社会を覆うことのないように警戒をするという姿勢が必要だろう。そのような目的からすれば、当然日本には「ファシズム」があったという判断になるに違いない。日本を含む多くの国の現象から、「ファシズム」と呼ぶにふさわしいものを抽象し、それを「ファシズム」と呼ぶなら、日本に「ファシズム」が存在するのは定義から来る論理的に自明な帰結になる。問題は、その抽象の仕方に妥当性があるかどうかを検討することだろう。多くの資料からそれを学び取りたいと思う。そしてその上で、丸山が語る「ファシズム」の意味をもう一度考えてみようと思う。なお概念の形成としては、三浦さんが言語論で使ったような手法が分かりやすいのではないかと思う。三浦さんは、まず言語を含む「表現」という概念を出発点にしていた。言語が「表現」としての特徴を持つことは誰でも賛成することだろう。言語は「表現」の一部だ。だが、言語と「表現」とはイコールではない。「表現」の中には言語と呼べないようなものも入っている。たとえば絵画などはそうだ。そのような言語ではないものと言語との違いを考察することによって、三浦さんは言語の特性を引き出そうという抽象の過程をたどった。「ファシズム」の場合、それが「全体主義」であるとか「軍国主義」であるとか言うことは反対する人がいないだろう。だが、その中には「ファシズム」でないものも含まれている。だから、日本は「ファシズム」ではなく「全体主義」だとか「軍国主義」だという言い方があるそうだ。「ファシズム」ではないが「全体主義」であるものとか「軍国主義」であるものとか言うものと、「ファシズム」との違いがはっきりすれば「ファシズム」の抽象の過程というものもハッキリしてくるかも知れない。そのような方向で考えてみようかと思う。
2007.01.08
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丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)には「思想のあり方について」という文章がある。これも講演記録を起こしたような文章で、平易な語り口で書かれたものだ。そこでは最後に、当エントリーの表題に書かれたような「二つの問題に焦点を置いてお話をした」と語られている。この二つの問題の語り方からも、僕は丸山真男の一流性を感じ取ることが出来る。丸山は、この文章をイメージの問題からまず語り始めている。それは、人間の思考が実像よりもイメージを基に展開されているという指摘から始まる。これは思考というものの本質を捉えたものではないかと感じる。実像を直接捉えるものは感覚と呼ばれているものだと思うが、この感覚が行動に直結するのが、刺激を反応に短絡させる動物的な判断ではないかと思う。それに対して、感覚をいったんイメージとして蓄積し、そのイメージを加工してそこから論理的な結論を引き出すのが、人間的な判断の仕方ではないかと思われる。丸山は、イメージというものは「人間が自分の環境に対して適応するために作る潤滑油の一種だろう」と言っている。人間は環境を受け取るだけではなく、そこに働きかけて利用することが出来る。そこに思考という働きかけがあるのだが、その思考の基になるのがイメージであり、それは「他の人間あるいは非人格的な組織の動き方に対する我々の期待と予測」につながっていく。「期待と予測」は感覚から直接もたらされることはなく、思考を経て論理的な帰結としてもたらされる。このイメージというのを別の角度から見るならば「抽象」(=捨象)というものになるのではないかと思う。感覚というのは、物事の一面を直接知ることになる。他面に関しては見えていない。だからそれは、ある意味では存在しないのと同じものになっている。感覚というのは、感じるか感じないかのどちらかしかない。知っているか知らないかのどちらかだ。しかし、イメージというのは、ある種の感覚で捉えられるものから一面を取り出して他面を捨てると言うことから作り出される。それが、何らかの表現で伝えられると、取り出した面つまり抽象が強調され、捨てられた面(捨象)はますます忘れられる。これは、知らないのではなく忘れると表現した方がふさわしいのではないかと思う。凶悪犯罪を犯したというイメージで報道される犯人を見たとき、その犯人が実は普通の他面をたくさん持っている人間だと言うことを忘れずにいられる人はどれくらいいるだろうか。むしろ、凶悪犯の強いイメージから、何から何まで特別な存在として極悪人のように見えてくるのではないだろうか。普通の面があるのが当たり前のはずなのに、それは忘れられるのではないだろうか。それは、感覚として認識されない・知られていないと言うよりは、忘れられているのではないだろうか。このようなイメージの持つ性質は、思考を展開するための道具として「潤滑油」だったものが、「本物から離れて一人歩きする」ことによってその有効性を失い、真理を遮断する壁として立ちはだかることにもなる。だがイメージなしにすますには、現代社会というのはますますとらえどころのない複雑さを増してきて、思考の上では困難を来す。丸山は次のように語る。「ところが、我々の日常生活の視野に入る世界の範囲が、現代のようにだんだん広くなるに連れて、我々の環境はますます多様になり、それだけに直接手の届かない問題について判断し、直接接触しない人間や集団の動き方、行動様式に対して、我々が予測あるいは期待を下しながら、行動せざるを得なくなってくる。つまりそれだけ我々がイメージに頼りながら行動せざるを得なくなってくる。しかもその際我々を取り巻く環境がますます複雑になり、ますます多様になり、ますます世界的な広がりを持ってくると言うことになると、イメージと現実がどこまで食い違っているか、どこまで合ってるかと言うことを、我々が自分で感覚的に確かめることが出来ない。つまり、自分で現物と比較することの出来ないようなイメージを頼りにして、我々は毎日行動しあるいは発言せざるを得なくなる、こういう事態になっているんじゃないかと思います。言い換えれば我々が適応しなければならない環境が複雑になるにしたがって、我々と現実の環境との間には介在するイメージの層が厚くなってくる。潤滑油だったものがだんだん固形化して厚い壁を作ってしまうわけであります。」実に的確な問題の指摘ではないだろうか。これは、今でもまだ解決されていない、現代的で本質的な問題を指摘しているのではないかと思う。イメージが狂うと言うことは、抽象の方向を間違えると言うことでもある。抽象の方向を間違えれば、それは現実をよく反映した抽象ではなくなる。そこから帰結された論理的な判断は、現実の反映ではなく妄想的・幻覚的な判断になってしまうだろう。その正しさは必ずしも保証されず、時にはひどい間違った結論を導くかも知れない。イメージの一人歩きの問題は、ある意味では人間の思考に共通する普遍性を持っている。これに注意をしなければ、どの人間でも間違いに陥る可能性があるものだ。これに対し、もう一つの「タコツボ化」の問題は、かなり日本社会に特有の問題のようにも感じる。これは、広い視野を持って考えることが必要な場合にも、狭い一面的な見方にとらわれて判断を誤るという考え方のことを指す。これは、日本に入ってきた欧米の知識が、特殊な入り方をしたことに原因があるように思える。丸山もそのような説明をしているようだ。欧米で発達した様々の知識は、彼らが新たに切り開いて発見してきたものだ。それを自ら獲得した人間は、その知識がどのような背景を持ち、どのような世界で通用するものかというのを試行錯誤の上で捉えている。しかし、その結果だけを早く受け入れようとしてきた日本では、その知識が成立する狭い範囲の世界と、それを包含する広い世界の位置づけが十分理解できなかったのではないかと思われる。出来上がった知識を受け入れてきた日本社会では、その知識が固定化された形而上学的なものになったのではないかと思う。それを、本来は、それが正しくなる条件とともに思考をするという弁証法的なとらえ方をしなければならなかったのではないかと思う。この「タコツボ化」が特に組織とともに語られる場合、その組織が代表する特殊利害という立場からのみ考える「タコツボ化」が問題にされるのではないかと思う。本来なら社会全体の視野から判断しなければならない問題を、組織の利害という要素が判断の一番大きい要素になってしまうことがあるのではないだろうか。ある場合には、組織にとっては短期的には不利益であっても、社会全体にとって利益になるのであれば、組織としてあえて不利益を選ぶという判断が必要なのではないかと思う。そのような判断が「タコツボ化」によって阻害される。マル激のゲストで出ていた山崎養世さんは、銀行への公的資金投入は、本来責任を取るべき人間の責任を尻ぬぐいするような感じがするかも知れないが、結果的には必要なものだと語っていた。これは、社会全体の利益という面から見てそう判断できるのだろうと思った。国民の税金が、銀行の失敗を埋めるために使われるという我々の不利益は、銀行が破綻したときに被る不利益よりも、より耐えやすい不利益だという判断が出来るのだろうと思う。これと同じような観点で考えれば、夕張のように破綻した自治体に対しても、銀行へ公的資金を投入して救済したように、社会的な利益としては税金を投入して救うのが正しいと山崎さんは語っていた。これも、自治体財政を破綻させた直接の責任者の尻ぬぐいをしているようにも見える。これが、破綻した自治体が例外的な存在であり大部分の自治体は健全だというなら、確かにそこでは破綻させた個人の失敗が責任を負うべきだという自己責任原則が正しいだろうと思われる。だが、日本全国で破綻する自治体だらけだったら、破綻することの連鎖で日本社会そのものが危機に陥るのではないかと思う。銀行に自己責任原則が適用できなかったのも、ほとんど全ての銀行が破綻することが見えていたからではなかっただろうか。山崎さんによれば、大部分の自治体は夕張と同じように破綻するという。夕張がたまたま一番最初だったために窮地に追い込まれているだけだという。やがては誰もが破綻に気づき始めれば、いつかは税金を投入せざるを得なくなるだろうと語っていた。その時、どうしようもなくなってから税金を投入すれば、その時の負担は計り知れないという。10年遅れれば20兆円よけいにかかるという。それは消費税2年分だという。社会全体を見通して、そのような未来が見えている政治家なら、今すぐ税金の投入を考えなければならないと言う。だが、「タコツボ化」している判断をするなら、税金投入をためらうようになり、いつか消費税の大幅アップをしてそれを埋めるしかなくなる時代が来るかも知れない。山崎さんが語っていたことが本当かどうかは、これから公共サービスのメルトダウンが始まるという山崎さんの予想が正しいかどうかに注目すればいいのではないかと思う。もし自治体が破綻せずに、必要なところには必要なお金を回すことが出来るという健全さを保てるなら、公共サービスの質が落ちることはないだろう。しかし、お金がなければ、どんなに必要だと思われているところにも金は出せなくなる。それは、誰かが利権をかすめ取るために弱者を切り捨てるというような「悪意」ではないだろう。どんなに「善意」があろうとも、切り捨てざるを得ない事態が生じたら、山崎さんが言うように自治体の破綻は近いのだと思う。毎年縮小される学校予算の実態を見ていると、山崎さんの予想が正しいことを実感としても感じるところだ。学校組織の中にいると、学校予算が縮小されると言うことは不利益以外の何ものでもなくなる。だが、社会的な総予算が本当に少ないのなら、応分の縮小を負担して、決定的な破綻を避けるという判断もしなければならなくなるだろう。教育は大切な社会的使命を負っているのだから、必要な金はつぎ込むべきだという論理だけで利益を要求するのは「タコツボ化」の危険を持っている。組織の状況と、それを含む広い社会の状況とを正しく捉えて判断しなければならない。だが、それを正しく捉えると言うことは非常に難しい。丸山は、これの解決の方向として「モンタージュ写真を作成するような操作」という比喩で方法を語っている。「タコツボ化」の問題は、現在の日本社会でもまだ解決されていないように僕は感じる。特に硬直化した組織の問題として「タコツボ化」はますますひどくなっているようにも感じる。それぞれの「タコツボ化」した判断を総合して、全体とのバランスで判断するシステムが必要だろう。これは難しいことだろうが、丸山が語る「モンタージュ写真を作成するような操作」というのは、今の時代でも有効性を持っている考えではないかとも感じる。やはり丸山は、過去の遺物ではなく、現在にも通じる優れた一流の学者だろうと思う。
2007.01.07
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僕は丸山真男という人の文章を詳しく読んだことがなかった。何となく時代の違いを感じていたことと、古典と呼ぶほどの存在にも感じなかったので、より問題意識が重なる現代的な宮台真司氏などの文章に親しんでいた。丸山真男に関しては、宮台氏が高く評価している人物なので、あまりよくは知らないが、宮台氏に対する信頼感から、一流の学者であることは確かだろうというイメージだけは抱いていた。しかし、丸山真男を低く評価する人もけっこういるらしいことに気が付いた。たとえば「日本には「ファシズム」はなかった」などというページを見ると、「ただ明治以来何とも正体の知れない「右翼」という「暗黒な勢力」があった。それは一度も政権を奪取することなく、しかも軍部を動かし軍部と結んで「満州事変」と「日支事変」をおこし、ついに大東亜戦争を開始した。「この点ファシズムに似ているようで似ていないが、似ていないようで似ている」という、わかったみたいでわからない論証が丸山学説である。」と言うような記述が見られる。また、丸山の亜インテリ論については、大衆蔑視のエリート主義だという批判もあるようだ。「ファシズム論」に関しては、どうも上のような批判は、「ファシズム」の概念が違っているところから出てくるような感じがする。これはもう少し「ファシズム」に関して調べてからよく考えてみたいと思う。このほか丸山批判を語る文章をいくつか目にしたのだが、いずれもどこが具体的に間違っていたかと言うことの指摘に乏しいような感じがしている。説得力を感じないのだ。批判が的はずれのような感じがしている。これは、丸山が本当に批判に値する過去の遺物なのか、それともやはり一流の学者であって、現在にも通じる問題意識の下に鋭い論理の展開をしているのかというのを、丸山自身の文章から考えてみる必要があるのではないかと思った。宮台氏に対する信頼感からいえば、僕の中には、丸山が一流の学者であろうという先入観がある。そこで丸山の文章の中から、一流の匂いを感じる部分を拾い出してこようと思った。選んだのは『日本の思想』(岩波新書)に収められている「「である」ことと「する」こと」という文章だ。この文章は講演を起こした平易な文章になっている。専門的な内容ではなかなか評価が難しいが、一般的な読者を想定して語った、ある意味では通俗的な内容に、本質を語るような鋭い部分があれば、それが一流の学者の証明になるのではないかと思う。平易な文章というのは、現象を表面的に捉えて、俗情に媚びる(気分的にすっきりすることを目的にする)ならば、常識的で簡単に思いつくような内容になるだろう。そんなものはすでに分かり切っている、あるいはもう克服されているというようなものになるだろう。しかし、難しい問題を本質的に捉えているのなら、それは時代を超えて今に重なる問題意識を教えてくれる。そのような内容は普通は難しい表現になる。だが分かりやすい平易な表現でありながら、しかも本質を捉えていると思えるなら、それは一流の学者であることの証拠になるだろう。三浦つとむさんはまさにそう言う文章を書く人だった。丸山もそのような優れた学者だろうか。多分そうだろうと思うが、その根拠を「「である」ことと「する」こと」の中に探してみよう。「「である」こと」というのは、存在を実体的に捉えて、その属性を固定的・静的に見ることを本質とする。丸山は、「自由」あるいは「権利」というものから話を始めているが、これらが「憲法に記載されている」という属性で捉えて日本社会には「自由」や「権利」が存在すると考えると、「「である」こと」の観点からの理解ということになる。これに対し、「自由」や「権利」を、それを行使するという行為とともに理解するとき、それは「「する」こと」の視点で理解していると言える。「「する」こと」というのは、物事を変化の視点で捉えることであり、「である」が名詞的なら、「する」は動詞的だと言ってもいいかも知れない。哲学的な表現では、「である」が形而上学的な見方で、「する」が弁証法的な見方だと言えるだろう。丸山は、「である」という判断が限定的・一時的なものであると捉えているようだ。それは「時効」ということの説明とともに語られていることにそれを感じる。ある権利を獲得したとき、たとえば金を貸して、それを取り立てる権利を持っているとき、その権利をずっと行使しないままでいると「時効」によって権利を失うという。これは、ある時点では存在した「である」としての権利が、「する」ということがなかった場合に失われるということを意味する。これは、現実に存在する物事は本質的に「する」というとらえ方をすることが正しい場合が多いということになるだろうか。ある時点という短いスパンで考えるときにのみ「である」という判断が妥当になるという解釈が出来る。これは三浦つとむさんが語った弁証法的な見方と全く同じことを言っているように感じる。この見方は実に広い応用が出来る有効性を持っているが、正しく現実に適用するのはけっこう難しい。これを丸山が見事に行っているところに、僕は丸山の一流性を見る感じがする。いくつか文章を引用しよう。「自由は置物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、言い換えれば日々自由になろうとすることによって、初めて自由であり得るということなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とか言うものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などは人に預けてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々と寄りかかっていたい気性の持ち主などにとっては、はなはだもって荷やっかいな代物だと言えましょう。」「民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化--物神化--を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、初めて生きたものとなりうるのです。それは民主主義という名の制度自体について何より当てはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によってかろうじて民主主義であり得るような、そうした性格を本質的に持っています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。」ここで語られていることが、すでに常識であり、今さらいわれなくても分かっているということなら、丸山は過去に偉大だった人として記憶されるだけでいいだろう。しかし、「自由」や「民主主義」は、今の日本社会で果たして上のように理解されているだろうか。言論の自由や表現の自由は憲法で保障されているが、それは果たして実現されているだろうか。「改正」教育基本法が、多くの異論があるにもかかわらず、文言の修正もなく政府案だけが可決されることが「民主的」なのだろうか。多数が賛成したからそれは「民主的」だと言えるのだろうか。日本は、制度としては「民主主義」が実現されている。「である」という観点からの「民主主義」は存在する。しかしそれは本当に「民主主義」が実現している「する」という観点でも評価できるものなのか。丸山の指摘は現在にも通じているものだ。しかも、それは本質を捉えた指摘だからこそ、今でも全く輝きを失わない指摘になっている。このような現実を深く捉えている学者が、言葉の定義によって反駁されるような単純な主張をしているだろうか。どうも丸山批判の方が僕には疑問を感じるところが大きい。「「である」こと」の観点は、固定的な見方になるので、物事を単純に捉える。社会そのものが単純であった時代にはそれも正しかったかも知れないが、複雑化した現代社会を捉えるにはそれは間違えることだろう。丸山は、「歌舞伎の芝居や八犬伝などの読本に出てくる人物を見てみますと、善人はたいてい100%善事を行い、悪人はまたほとんど悪事だけを行っている。つまり、善人の中身から善事が必然的に流れ出し、悪人からは悪事が流れ出す。これはいわゆる勧善懲悪のイデオロギーなのですが、必ずしもそういう意識的な「主義」の産物とだけは言い切れない。それはつまり、そういう作品を生んだ社会が隅々まで「である」原理に基づいて組織化されているからこそ、こういう思考様式が支配的になったわけなのです。」と語っている。勧善懲悪を好むということは、「である」の思考になる。水戸黄門に拍手喝采するメンタリティーは単純明快な「である」思考を好むものだろう。水戸黄門の人気が下がってきたとはいえ、凶悪犯罪をする人間は、とにかく凶悪な奴だと思ってしまうメンタリティーは、同じようなものではないかと思う。マスコミの報道を見ていると、日本社会はまだ「である」思考が強い社会だと感じる。だが、今は単純明快な封建時代ではない。丸山が語る次の言葉は良く噛みしめる価値があるだろう。「社会関係が複雑化し、同一の人間が様々な側面と役割で関係し合うようになるにしたがって、具体的状況での具体的な行動を見ないと、良い人とか悪い人とかは単純に言えなくなります。と言うより、良い人、悪い人という基準に代わって、良い行動と悪い行動という基準がますます重要になってくるといった方がいいでしょう。」丸山の指摘は非常に鋭く深いものだと思う。一流性を十分感じるものだ。見事な弁証法の展開だと思う。現実社会の変化という本質を捉えていると思う。すでに十分長い文章になっているのでこれ以上の考察を語れないが、最後にもう一つだけ引用して終わりにしておこうと思う。これも素晴らしい内容だ。「だとすれば果たして現在いろいろな形で潜在もしくは顕在している議会政治に対する批判を、たとえそれがどんなに型破り、あるいは非良識と思われる議論であっても広く国民の前に表明させ、それとのオープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していくという道を進むほかに、どうして議会政治が日本で発展し、根付く方向を期待できるでしょうか。本当に「恐れ」なければならないのは、議会否認の風潮ではなくて、議会政治がちょうどかつての日本の「國体」のように、否定論によって鍛えられないで、頭から神聖触るるべからずとして、その信奉が強要されることなのです。およそタブーによって民主主義を「護持」しようとするほど滑稽な倒錯はありません。タブーによって秩序を維持するのは、古来あらゆる部族社会--「である」社会の原型--の本質的な特徴に他ならないのです。」
2007.01.06
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三浦つとむさんに『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)という本がある。三浦さんは弁証法を「科学」と捉えていたのだが、これを板倉さんは批判していた。板倉さんの定義では弁証法は「科学」ではないからだ。板倉さんは、最初はこの表題を比喩的な表現だと思っていたようだ。弁証法は「科学」ではないが、「科学」の持つ真理性を、嘘やデタラメではないことと言うような比喩的な意味で受け取って、弁証法も嘘やデタラメではなく真理を語っているのだという意味でこの表題がつけられていると思っていたようだ。しかし、後によくよく考えてみると、三浦さんは本当に弁証法が「科学」だと思っていたようにも感じていたようだ。これは「科学」というものの定義が違い、「仮説実験の論理」によって検証されたもののみを「科学」と呼んだ板倉さんとは判断が違ったようだ。三浦さんは、社会科学は基本的に「仮説実験の論理」には馴染まないと感じていたのかも知れない。だから、よくよく考えて論理的な齟齬を起こさなければ、それは真理として通用すると思ったのかも知れない。そのような真理を「科学」の中にも入れていたのではないかと感じる。僕は「科学」に関しては板倉さんの定義に同意しそれを支持する。たとえ論理的な齟齬を起こさなくても「科学」ではなかったと確認されたものが科学史においては存在するからだ。もっとも有名なものは天動説だろう。地球が固定されていて、他の天体が地球の周りを回っていると言うことを前提にしても、そこに論理的な齟齬を起こさないような理論を構築することが出来る。視覚的な事実(=真理)に関しては、それを整合的に説明することが出来るのだ。ディーツゲンが指摘したように、視覚的真理に関しては、天動説は真理なのである。しかし天動説のまずいところは、その理論では説明が出来ない新事実が次々に発見されて、常にそれを修正していかなければならなくなったことだ。惑星のように「惑う星」の動きを説明するには「周点円」という仮定を設定しなければ説明が付かなくなる。複雑な計算値を合わせるためには、この「周点円」をいくつも重ねていかなければならない。これは、誤差を埋めるために関数の次元を上げていかなければならないということなのだろうと思う。未知なる存在がいつでも理論の修正を要求すると言うことは、実は「任意」の対象に対して成立すると言うことを否定することになる。「任意性」が証明できなくなるのだ。地動説の方が正しく、それが「科学」と呼ばれているのは、その理論は未知なる存在に対しても、理論を修正することなく整合的に当てはめることが出来たからだ。エンゲルスが語ったように、「コペルニクスの太陽系は、三〇〇年のあいだ仮説であった。それは九分九厘までたしかであったが、やはり一つの仮説であった。しかしルヴェリェ〔一八一一~一八七七、フランスの天文学者〕がコペルニクスの太陽系によってあたえられたデータから、一つの未知の遊星の存在の必然だけでなく、この遊星が天体のなかで占めなければならない位置をも算出したとき、そしてガレ〔一八一二~一九一〇、ドイツの天文学者、1846年に海王星を発見〕がこの遊星〔海王星〕をじっさいに発見したとき、コペルニクスの太陽系は証明されたのである。」(「〔弁・抜〕物自体――『フォイエルバッハ論』から」よりコピー)という、本当に未知だった新発見された星にさえも適用できたと言うことが、地動説が「科学」であることを確証させることになったのだと思う。このほか科学史では「フロギストン説」というものもある。これは、ものが燃えるときは「フロギストン(=燃素)」というものが放出されるという説だ。このことを前提にして、ものが燃えるという現象を考えると、論理的には整合性を持った理論を構築することが出来る。しかし、いまでは「科学」は、フロギストンの放出ではなくその反対の、酸素との結合によってものが燃えるという現象を説明する。これは、板倉さんが作った仮説実験授業の「燃焼」という授業では、燃えたあとのものの重さを考え、原子論を基礎にして燃焼の現象を考えることで、酸素との結合の方こそが正しいという認識が得られる。そちらは、未知の現象を正しく言い当てることが出来る。フロギストン説の方は、フロギストンが放出されるのであるから、原子論を基礎にすればものが燃えたあとは全て軽くならなければならない。しかし、燃えたあとに重くなる物質というものが存在する。これをフロギストン説では整合的に説明することが出来ない。しかし、酸素との結合という考え方を使えば、酸素と結合して気体になって放出されればものは軽くなり、結合した結果が物質的にとどまるならば、それは結合した酸素の分だけ重くなる。現象を整合的に説明することが出来る。そして、この説明が、未知なる新しい燃焼の現象に対しても、その重さに関する予想がいつでも正しいものを導いてくれるなら、それは「科学」に一歩近づいていっているのである。論理的に整合性のある考えを、実験によって検証することで「科学」が成立する。そして、その実験は、基本的に未知なる存在に対しても予想が100%当たるというものでなければならない。そのことによって「任意性」が証明されると考えるわけだ。弁証法も任意の対象について考えるのだが、これはその結果が常に正しいと主張するものではない。対象によっては正しくなり、対象によっては正しくならないと言うとらえ方をする。ここが「科学」と決定的に違うところだ。弁証法は、それだけでは全く当たり前のことを語っているだけで、何ら新しい発見をもたらしてくれるものではない。ある時は正しいけれど、ある時は正しくないと言うのは、その「時」を区別できなければ何の積極的な意義を持たないものになる。たとえば、男と女というのは対立する概念であるから、人間はこの対立する概念が統一された、男であると同時に女であると理解することが正しい、と言われると、何を馬鹿なことを言っているかと思うだろう。僕も、形式論理を勉強していたときに初めて弁証法に接したときは、弁証法はバカげた主張をする間違った形式論理だと思ったものだ。弁証法は間違った主張もたくさんするので、それを詭弁だと断じている人もいるようだ。「時」を間違えて、正しくないときにも弁証法的な主張をすれば、それは詭弁になるだろう。しかし、これを「発想法」として利用すればこれほど役に立つ道具はないと、板倉さんは指摘する。僕も、それこそが弁証法の神髄だろうと思う。物事を整合的に捉えるためには形式論理的に考えなければならない。形式論理を真っ向から否定するような理論は、たいていの場合は間違えている。妄想に過ぎないものが多い。だが、対象によっては、その複雑性がどうしても形式論理では表現しきれないものがある。あれかこれかの二項対立的な思考では、どちらにも形式論理的な整合性が取れない場合があるのだ。こんな時、そこに対立した面を見つけて、その対立がどのような「時」に正しくなるかを考えることで、「時」を分けることで形式論理の正しさを救うという方向が見つけられることがある。「客観的報道が存在するか」というようなことを考えたとき、それが「ある」と断定すると、記者の主観が介入するのに、それが「客観的報道」だと言えるかということが形式論理的な整合性が取れなくなる。逆に、「客観的報道」はないと断定してしまうと、どの報道も信用するに値しないということになってしまい、これも形式論理的に報道の信頼性を証明できないという結果を招く。これを解決するためには、どのような「時」あるいは「条件」が「客観性」というものと結びつき、どのような「条件」が「主観性」というものと結びつくかということを正しく区別することによって、「客観性」との結びつきの正当性をもって、たとえ「主観性」があろうともその報道を「客観的」だと判断しようと言う考えがでてくる。これを弁証法的に表現すれば、報道というものは、本質的に「客観的」であり「主観的」でもあり、両者の統一として捉えなければならないということになる。弁証法は結果的に間違った判断をもたらす場合もある。しかし、それを発想法として使えば、今まで見落としていた「時」や「条件」を強く意識することが出来る。それによって問題を新しい角度から照射することが出来る。それによって思考が発展することが期待できる、と言うことが弁証法の最も重要な有効性ではないだろうか。それを「科学」だと思ってしまうと、間違いに陥ったときにその詭弁性に気づかなくなる。それは「科学」ではなく「発想法」として捉えることが正しいだろうと思う。構造主義というのも、これは発想法の一つとして捉えるとかなり有効性を持っているものではないかと思う。内田樹さんが説明する「ソシュール的」と言える考え方も「発想法」として受け取ると役に立つような感じがする。対象は名前を付けることで、我々に対するものとして存在し始めるというのは、ひどい観念論的な妄想であることもあるだろうが、そのように捉えることによって新しい角度から対象を捉えるヒントが得られるのではないだろうか。観念論や唯物論も、真理を問題にするような「科学」ではなくやはり発想法だろうと思う。それらは、究極的には真理性を確立することは出来ないのではないかと思う。そして、全ての「イズム(=主義)」で語られる言説も、「科学(=真理)」ではなく「発想法」だろうと思う。マルクシズムもフェミニズムも、発想法として受け取ることが正しいだろうと思う。フェミニズムに関しても、社会的な現象を女性の目から見て捉えた方が正しいこともある、と言う発想法として捉えれば全く問題はないだろう。それが、その方が正しいのだという硬直したドグマになってしまえば詭弁になるのだろうと思う。弁証法が「科学」と同じ真理だと思い込むのと同じ間違いになるだろう。フェミニズムの発想で捉えれば、正しいこともあり間違っていることもあるというのは、ごく当たり前のことだろう。問題は、どのようなときに正しく、どのようなときに間違っているかを区別することだ。内田樹さんも、僕も、どちらかというとフェミニズムの発想が間違っているときの方が気になって、そちらの方の指摘ばかりをしたくなるところがある。これは一つの偏見ではあるが、間違いの方を肥大させて、フェミニズムの発想は「全て」間違いだといえば、行き過ぎたことになり、かえってそう主張する方が間違えるだろう。しかし、フェミニズムが正しい「時」も承認して、その前提で間違えているときの指摘をするなら、これは何の問題もないのではないかと思う。それはフェミニズムを発想法だと捉えているだけのことだからだ。マルクシズムはその間違った面が明らかになったので、行き過ぎて発想法としてのマルクシズムまで否定されかねない状況になっている。フェミニズムの場合は、まだ間違った面を主張することがはばかられる雰囲気もあるように感じる。そのような雰囲気があるときは、内田さんのように皮肉っぽくフェミニズムの間違った面を指摘する言説は必要であり大切なものではないかと僕は思う。誰もがこれを一つの発想法だと認識するようになれば、過度の批判は必要なくなるだろうと思う。
2007.01.05
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民主党の「日本国教育基本法」の考察を続けたいと思う。「日本国教育基本法案 解説書」に書かれている第四条(学校教育)から見ていきたいと思う。ここで目に付くのは、「日本に居住する外国人」という記述があることだ。教育の現場にあまり詳しくない人は、いまの学校教育において外国人生徒の問題がかなり深刻なものになっていることを知らない人が多いかも知れない。国際結婚が増えていく中で、母親の再婚によって呼び寄せられる子どもたちの数が増えてきたことが、小・中学校において外国籍生徒が増えてきた原因だろうと思われる。国際結婚によって日本で生まれ育った子どもたちは、家族にとっては様々な問題がまだあるだろうが、学校にとっては少なくとも日本語の問題は生じない。だが、呼び寄せられた子どもたちは、全く日本語を知らずにいきなり学校に入ってくるので、日本語の問題が非常に深刻なものとして生じてくる。習慣の違う外国で、全く日本語を知らない状態で孤立している子どもたちは、学習の支援はもちろんのこと、そのような不安な心のケアも重要なものになる。しかし、今の小・中学校においては、彼らに対して十分な支援が行われているとは言い難い。財政難の問題もあり、東京都の区によっては、いままで彼らのために日本語の支援を行っていた日本語学級を縮小しようという反対方向に行政がシフトする場合さえある。小・中学校の対象になる子どもたちはまだ学習の場が与えられるが、15歳を過ぎた子どもたちの場合はもっと深刻だ。彼らはいきなり高校に入ることは出来ない。日本語も出来ないし、日本の高校で必要とされる、日本の学校教育における知識(社会科など)を持っていないからだ。彼らは教育を保障されず、家庭がそれほど裕福でなければ、放っておかれるだけの無為の日々を過ごすことになる。東京都の場合は、15歳以上の学齢を越えた子どもの場合は、夜間中学というものが受け入れ場所になって何とか学習の場だけは確保できる。ここ数年、僕が勤める学校でも16歳から18歳くらいまでの外国籍生徒が圧倒的多数を占めるようになった。中国籍の生徒が最も多く、フィリピン・タイなどの生徒が多い。だが、夜間中学は東京でさえも8校しかなく、それがない都道府県などでは教育を保障されない10代の子どもたちが、子どもの権利条約で保障されなければならない教育の権利が捨て置かれているのを感じる。この外国人生徒の問題は、現代日本の学校教育の問題として非常に深刻なものだが、60年前に出来た前の教育基本法ではもちろん予想もされていなかったので記述はない。「改正」された政府案にもその記述はない。前の基本法では<学校の設置><教員>に関する記述が書かれていて、政府案の方では、同じく<学校の設置>と、新たに<教育の内容>が記述されている。<教育の内容>においては「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めること」などと言う記述が見られ、これは道徳的な内容を法律として記述しているようにも感じる。いまの学校における規律の乱れが気になるのだろうと思うが、法律に記載したからと言ってそれが確立されるわけではない。これは、板倉さんが発見した社会の法則を適用すると、その弊害が大きくなり結果的には目的と正反対のものがもたらされることになるのではないかと思う。以前に宮台氏が語ったことで、軍国主義下で育った愛国的な日本軍人が、捕虜になって人間的な扱いを受けると、極秘情報とも思えるものを進んで語り出すと言うことが印象に残っている。軍国主義下で、暴力的な押しつけで育てられた愛国心は、従順な心情を育てることには役立ったが、本当に愛国的な行為である、国益を守ると言うことには役立たなかったと言うことを意味しているのではないかと思った。法律によって規律の重視を命じられた学校において、似たような結果が起こるのではないかと僕は感じる。学校教育における法律の比較においては、この外国人に対する記述一つだけでも、僕には民主党案の方が3つの比較では優れているのではないかと感じる。また民主党案には、「3 学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。」と言う、他のものには見られない新たな記述が含まれている。これは、教育行政における中央集権的な支配構造を崩そうとするもので大きな意義を持っている記述ではないかと思う。教育というのは、全国一律で同じものを一定のレベルで行うという発想はもう過去のものではないかと感じる。明治維新によって近代国家へのスタートを切った当初は、その近代国家を支える「国民」を育てるためには、一定レベルの教育を、詰め込んででも一律に行う必要があったと、当時の権力の側にいた人間は考えただろう。そうでなければ日本という国の存立さえ危うくなるという発想があったものだと思う。だから、その当時は、教育というのは国家のためにあるものであって、決して国民一人一人のためにあるものではなかっただろう。だが、曲がりなりにも民主主義国家として歩み、独立した個人が国家を支えると言うことが可能になるくらい豊かになった今の日本では、個の独立のために地域の独立や自主性が確保されなければならなくなっただろう。教育は全国一律に同じものをするのではなく、その地域あるいは個人にふさわしい内容を持ったものとして考えられなければならない。そのために、「学校の自主性及び自律性」というものが大事になるという発想は、極めて今日的なもので現実認識を元にしたものだろうと感じる。さらに、この方向を修正していく機能を持たせるために「4 法律に定める学校は、その行う教育活動に関し、幼児、児童、生徒及び学生の個人情報の保護に留意しつつ、必要な情報を本人及び保護者等の関係者に提供し、かつ、多角的な観点から点検及び評価に努めなければならない。5 国及び地方公共団体は、前項の学校が行う情報の提供並びに点検及び評価の円滑な実施を支援しなければならない。」と言うことが付け加えられている。学校の評価を、学校内部の利害関係者(ステイクホルダー)だけで行えば、それの直接的な受益者である幼児、児童、生徒及び保護者にとっては逆に不利益になることが生じる恐れがある。正しい修正が出来なくなる恐れがある。それを防ぐためにこの条項を付け加えてあるように思う。この学校教育に関する条文の比較を見る限りでは、民主党案が最も優れているように僕には思える。この教育基本法の議論は果たしてどのようにされたのだろうか。マスコミ報道では「愛国心」問題ばかりが大きく取り上げられていたが、政府案が全く修正されずに可決されていたと言うことはあまり大きく語られなかった。マル激で鈴木氏が語っていたが、政府案は、一言一句そのままで、文言の修正は全く受け付けなかったそうだ。おそらく公明党が拒否したのだろうと語っていた。公明党は、政府案に対してはトップの承認を受けていたが、文言を修正された場合にそれを受け入れるかどうかはすぐには判断できないらしい。もし民主党案を取り入れて、文言を修正していたら、国会会期中に可決が出来なくなる恐れがあったのではないだろうか。実際には、安倍総理が「十分ご審議願いたい」というようなことを語ったので、審議だけはあったようだ。だが文言の修正はなかったらしい。このような議論の内容はもっと報道されるべきだと思う。そして、民主党案に含まれている優れた面が、どうして「改正」教育基本法では取り上げられずに、欠陥があると思われる政府案がそのまま可決されてしまったのかを考える材料を提供してもらいたいものだと思う。鈴木氏も宮台氏も、今回の「改正」は、とにかく「改正」したという事実を作ることが目的であって、その内容云々よりも、戦後初めて教育基本法を改正した総理として安倍晋三の名前を残すことが目的だったのだと語っていた。その意味を考える材料を、報道にジャーナリズム精神が残っているなら知らせるべきだっただろうと思う。自民党内リベラル派の河野太郎氏や加藤紘一氏が、この教育基本法の「改正」には大きな関心を持っていなかったというのも、これは政治的には通すことだけが目的だったのではないかというのを信じさせる一つの要因になると思う。鈴木氏は、教育改革の本丸は「地方教育行政法」の改革の方だと語っていた。民主党の「改正」案も、これにつなげるための「改正」が主目的だと言えるかも知れない。鈴木氏の考える改革は、「地方教育行政法」の改正によって、文部科学省の権限を小さくすることによって実現される。これに対する文部科学省の抵抗はたいへんなものだと鈴木氏は語っていた。「愛国心」問題は、「改正」教育基本法から派生する問題の一つかも知れないが、政治的なセンスを持っている人間なら、これをあまりに強く押しつけすぎれば弊害の方が大きくなることを直感的に嗅ぎ取っているのではないだろうか。だから、適当に押しつけはするが、あまりに強くなりすぎるとブレーキをかける勢力も働くようになるのではないかと思う。そうなると矛盾が薄められ、本当の本丸である教育改革が鈍る恐れもある。文部科学省は権限を温存して、既得権益者としてあり続けるかも知れない。そのようなものが現実化してくることが見えてくると、神保哲生氏が「愛国心問題はかませ犬ではないか」と語ったことが本当になるかも知れない。国民の目がそこに向いているときに、文部科学省は自らの権益を守ることに成功するのではないか。文部科学省の官僚は、その程度には頭のいい人間がそろっているのだと警戒心を持っていた方がいいのではないだろうか。文部科学省の官僚は確かに頭はいいだろうと思う。だが、どんなに頭が良くても、全国の教育問題を処理できるほどの能力は、もはや今の時代では、誰にも持てないのだと思った方がいいのではないか。たとえ頭の良さでは、個々の国民は文部官僚にはかなわなくても、教育の現場で起こっている問題のとらえ方においては、現場にいるという分だけ文部官僚よりも正しく捉えられるのだと思う。教育の問題は、中央集権的に処理するのではなく、地方分権的に処理する方が現在の問題としての対処は正しいと思う。
2007.01.04
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「不可知論」というものを、認識には限界があることを主張するものだと定義している人がいるかもしれない。「学習通信 040710 ◎「ほんとうのことは分からない」……。」には次のように書かれている。「不可知論の考え方 「私たちの知識に原理的に限界がある」という考え方は、哲学では「不可知論」という言葉で呼ばれます。この言葉を文字どおりに読めば、「知ることができない」論です。私たちはたしかにさまざまなことを知ることができるが、私たちの理性にはこれ以上超えることのできない境目があって、そこから先は、どうあがいても、人類史がどんなにすすんでも、人間の英知がどれほど発達しても、越えることはできないのだ、というのがその考え方です。」「不可知論」というものが、上の定義にとどまる限りでは間違ったことは語っていない。現実の多様性の全てを把握することは出来ない、実無限を完全に理解することは出来ないのだという点で、我々の認識には限界があるというのは同意できる。しかし「不可知論」の主張はここにとどまってはいない。この限界が存在すると言うことから次のような論理を展開させると間違いに陥る。上のページにはこのように書かれている。「不可知論の考え方は、「私たちの認識能力には原理的に限界があるのだ。その限界の先には私たちの知ることのできない世界が広がっているのだ」というものでした。つまり、私たちは私たちを取り巻く客観的世界を原理的に知ることができない、というのです。そうだとすれば、私たちの現在もっている知識が真理であるかどうかを判定(検証)する客観的基準はまったくないということになります。」我々が知り得ない世界・限界の先の世界というのは、知り得ないのだからそれについては何一つ語ることが出来ないはずだ。何かを語ることが出来るのなら、それは知り得ない世界ではなく何かを知っている世界と言うことになってしまう。このような世界については何も語ってはいけない。沈黙しなければならないのだ。それなのに、「その限界の先には私たちの知ることのできない世界が広がっている」と断定してしまうのは、そこには認識不可能な物自体が存在していると語ることになる。実際には、限界の先のことなどは何一つ分かるはず無いのだから、そこに物自体があるかどうかも不明だと言うしかないはずだ。「不可知論」は、知り得ないことを知ってしまうと言う論理矛盾を犯している。ここに「不可知論」の本質的な間違いがあると僕は思う。実際に正しい言い方をするなら、限界の先については我々は何も知り得ないが、限界の中の世界に関しては、世界内の存在を正しく認識できるし真理をつかむことが出来ると言えばいいのだと思う。カント的な「物自体」に関しては、三浦つとむさんが語ったように、それは「存在する」という属性以外の全ての具体的な属性を捨象した抽象概念だと捉えるのが正しいと思う。この世に存在する物体は、全て「存在する」という属性を持っているが、具体的属性を認識しなければその区別をつけることが出来ない。それを全て捨象してしまえば、その対象はものとしての実体を何も持たない抽象概念になってしまう。属性が何一つつかめない(それは捨象したためにつかめなくなってしまったのだが)ので、それはものとしての認識が不可能になってしまっただけなのだと思う。このようなイメージはエンゲルスも次のように語っていると思われる。「しかし次に新カント派の不可知論者がやってきて言う。われわれは物の諸性質を正しく知覚するかもしれないが、しかしわれわれはどんな感覚過程または思考過程によっても物そのものをとらえることはできない。この『物自体』はわれわれの認識のかなたにある、と。これにたいしてヘーゲルは、とっくの昔にこう答えている。もし諸君がある物のすべての性質を知るならば、諸君はまた物そのものをも知るのである。そうすると残るのは、この物がわれわれの外に存在するという事実だけである。そして諸君の感官が諸君にこの事実を知らせるとき、諸君はこの物の最後の残りものを、すなわちカントの物自体をとらえたのである、と。」(「〔弁・抜〕物自体――『フォイエルバッハ論』から」よりコピー)知り得ない「物自体」というのは、認識の中にある「存在」という抽象概念だけを考えている限りでは、その抽象概念の具体像は知り得ないと言うことに過ぎない。現実に存在する具体的な対象に関しては、それが知られている限りでの全体像をつかんでいれば十分なのである。もし新たな属性が発見されたら、その対象に対する認識が深まったと評価すればいいことだ。それが知られていなかったときに、その属性を持った「物自体」がどこかにあったのだと考える必要はないのだ。ただ、「物自体」が「存在」という抽象概念だと言うことであれば、「存在」という抽象概念を全面的に否定する必要がないことから、「物自体」もフィクショナルな実体であると言うことを意識して使えば便利な道具になるかも知れない。カントのように哲学史の巨人といわれるすぐれた人物が、単純な間違いを犯すとは思えない。エンゲルスも、上のような考え方は「新カント派」という主語で語っている。「物自体」という考え方の中に、何かそれを利用するとよく分かるような事柄があるのではないかと思う。フィクショナルな実体としてもっとも有名なものは数学における虚数ではないかと思う。2乗すると-1になる数というのは実数(現実に存在する数=real number)の中にはない。だから、現実にはない数として「虚」の数として虚数(imaginary number)を設定する。これは始めから「虚」であると自覚しているのでフィクショナルな実体と考えられる。実際にはないのだが、あえて実在するかのように取り扱ってみようとするわけだ。虚数の威力は3次方程式を解くときに発揮される。2次方程式までは、まだ虚数が無くても解けるものもあるし、虚数の解は現実には存在しないからと言うことで捨てることが出来る。しかし、3次方程式を解くときは、たとえ解が実数であっても、解を求める過程でどうしても虚数が必要になってくる。虚数という存在をフィクショナルに設定することで、一般的な世界を広げることが出来、その世界の中で問題を解くことによって、現実的な解も求められるという有効性を持つ。虚数は世界を広げる効果を持ち、その広い世界の方が数学的には実りが多いという結果を出してくれる。「物自体」にも、世界を広げる有効性というようなものが見られるだろうか。「物自体 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば「超越論的自由とは「物自体」として要請されたものである。というのも、「行為」の結果は知ることができるが、その行為を起こした「自由意志」は現象界に属するものではない。しかし、因果律によって存在が証明できない、この「自由意志」が要請されることによって、その行為に対する道徳的責任を問うことができる。ゆえに「自由」の存在は正当化されるのである。」と書かれている。カントが語る「物自体」というのは、認識の限界から導かれてきたのではなく、「自由意志」の存在の根拠として要請されたものではないかとも感じる。これなしに「自由意志」の存在を言うことが困難だったのではないだろうか。「物自体」を設定すれば、とりあえず「自由意志」の存在も正当化できるという意味でのフィクショナルな実体ではないかとも感じる。自由意志というのは、宮台氏が語ったように「選択の自由」として理解することが正しいだろう。いくつかの選択肢が存在するとき、そのどれを選ぶかは、選択する主体の自由に任されていると考える考え方だ。このときなぜ「物自体」が要請されるかと言えば、認識され得ない「物自体」がなければ、全ての存在の間には必然的な関係が設定されていることになってしまうと考えたのではないだろうか。「物自体」がなければ存在の間の必然性は全て求められてしまうというふうに考えたのではないだろうか。ある時に選択を間違えて何らかの責任を引き起こすような行為をしたとしても、その選択の間違いでさえも必然的に起こるものだとしたら、いったい責任というものを問えるだろうかという問題が出てくる。責任を問うならば、その選択をした主体が、どれでも自由に選べるのだという前提がなければならない。そのためには「認識できず、存在するにあたって、我々の主観に依存しない。因果律に従うこともない」という「物自体」を設定する必要があったのではないか。何らかの犯罪を裁くという責任を問う問題があったとき、我々は動機というものを求める。それは、犯罪の原因をたどる因果律を求めることになるだろう。この因果律において、どこかで主体的な自由な選択で犯罪をすることを選んだと言うことがなければ、罪を問うことが出来なくなるだろう。「物自体」が存在せず、全ての属性をつかんだとしたらどうなるだろうか。それはこれから起こる事態を確実に予想することが出来るようになるだろう。そうなるとそこにはある行為を選ぶときの選択の自由というものは無くなる。どれを選ぶかは、つかんだ属性の認識によって必然的に決まってしまうからだ。しかし、この必然性の洞察は、三浦さんによればヘーゲルによって究極の「自由」として語られているものになる。全く選択の自由がないのに、それが究極の自由になるというパラドックスはまさに弁証法的だと思うが、対象を完全につかんで、自分の思いのままに利用できるという点ではまさに完全な自由という感じはする。意志の自由から要請される「物自体」は、フィクショナルな実体として有効性を持っているのではないかと思う。それは、フィクショナルな「物自体」が消えた状態こそが完全な自由になるというパラドックスとともに理解される。それに対し、不可知論から要請される「物自体」は、「不自然な神の視点」から語られる「可能性」のみを根拠にした主張になっているのではないかと思う。この二つの「物自体」をもっと深く考えることで、不可知論の問題性をもっと深く捉えることが出来るのではないかと思う。
2007.01.03
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なみふくくんから「亜インテリ論にまつわる様々な抜粋・覚え書き」というトラックバックをもらった。僕は、亜インテリが悪いというような道徳的な主張をしているのではなく、亜インテリが権力に近づき、権力を握って真のインテリを追い出すという構造に問題があると思っている。亜インテリと真のインテリに対して、大衆が妥当な判断をしていれば、亜インテリが簡単に権力を手にするということはなくなるだろう。またインテリ予備軍が、真のインテリに対するリスペクト(尊敬)の方向へ行き、代替的な権力志向を持つような亜インテリにならなければ、問題のかなりの部分が解決できるだろうと思っている。このような方向への解決は大部分が教育の力に依存するものだろう。暗記量の多さのみが高い学力として評価されるような教育制度の下では、亜インテリと真のインテリの区別をつける力を養うのは難しい。亜インテリの方が、むしろいまの学校教育制度の下での優等生が多く、記憶量では真のインテリをしのぐ可能性さえあるからだ。宮台氏はその博覧強記の記憶量の膨大さと、緻密な論理展開の能力の高さとで、両方の能力を高いレベルで保っているというまれな学者だと思う。まさに真のインテリの一人だろうと思う。亜インテリ論に対しては、ナチスに集結したインテリたちのことなどを調べたり、現代アメリカの体制派内インテリと反体制インテリ、あるいは旧ソビエトの体制派内インテリと反体制インテリなどについて資料を求めて、日本だけに特有の現象なのか、国家という組織においては避けられない問題として存在するのかなどと言うことを考えてみたいと思う。さて、なみふくくんのエントリーに関しては他にも言及したいことがいくつかあるが、まず目にとまったのは養老孟司氏の次の文章だ。『 そもそも「歴史(history)」とは「イストワール」「ヒズ・ストーリー」つまりは「物語」であって、極めて個人的な営みであろう。そこには主観しかなく、客観などありはしない。中国、韓国が主張する「正しい歴史認識」などあるはずがない。人間が六十億人いるならば、六十億通りの「歴史」がある。それをマルクスが「歴史科学の法則は客観的だ、一つの正しい歴史があるのだ」云々と、背筋が寒くなるようなインチキを言ったあたりからおかしなことになったのである。』僕はこれに不可知論の匂いを嗅ぎ取ったので気になった。「歴史」という言葉の意味を語源的に考えることには一定の意味はあるだろうが、それは科学としての「歴史」を考えることとは全く別物だろうと思う。むしろ上の養老氏の文章は、「歴史」は科学ではないということを主張しているようなものだと思う。確かに、歴史はそれぞれの立場によって全く正反対の主張をするときもある。どこかに正しい歴史があるなどという、「歴史」を科学的に捉える(「科学」は相対的真理を語るものだから、科学的に捉えればそこにはある種の「真理」があると捉えることになる)ならば、そんなものは幻想に過ぎないと感じる人もいるだろう。確かに、物語としての感覚的に捉えた「歴史」も存在する。だが、「歴史」は全てそういうものだと考えるのは、「真理」は捉えることが出来ないと考える不可知論ではないかと僕は思う。相対的真理にいつもどこかに誤謬がこびりついているという「可能性」があることのみで、「歴史」における真理性を否定しているとしたら、それは不可知論にしか過ぎないだろう。科学を仮説に解消することに反対するのと同じロジックで、僕は「歴史」の全てを物語に解消しようとするこのロジックには反対だ。「歴史」を科学として捉えるには、そこに「仮説実験の論理」の適用が出来なければならない。たとえば板倉さんが発見した歴史法則には、「道徳的命題を法律にして強制すれば、それは多くの弊害を生み出し、結果的に目的と正反対の効果をもたらす」というものがある。板倉さんは、これを<生類憐れみの令>と<アメリカにおける禁酒法>に適用して、未知なる事実を発見したときにいつでもこの法則が成り立つかどうかを確かめた。「歴史」における科学法則は、具体的な条件に多様性があるので、その表現はかなり抽象度の高いものになる。時には法則に反するようなグレーゾーンが存在することもある。これを、ある種の解釈によって「誤差」として処理することが要求される。このあたりの解釈はおそらく異論が存在することだろう。道徳的命題を法律化してもうまくいっている例があるということを探し出してくる人がいるかもしれない。それが、実は何らかの特殊な条件の下でのみ成り立つ「例外」であるかどうかは、科学法則の証明とは別の問題として考察する必要があるだろうと思う。板倉さんが提出した科学法則において重要なロジックは、道徳的命題というのは主体的にそれを守ることに意義があるということだ。それを法律で強制すると言うことは、過ちに対して公的に罰すると言うことを意味するが、これは道徳的感性は過ちを通じて育っていくと言うことと矛盾してしまう。法律で禁止されてしまうと、道徳的感性を育てる前に、その意志が強固にならないのに規則だからやらないでおくという状態になる。それは、なぜそのことをしてはいけないのかということを考える主体性を弱めることになる。このことは様々な悪影響を生み出すだろうと予想できる。もし、ある行為に対して重すぎる罰を受けたと感じるなら、その罰に対して恨みがたまるだろう。また、現実というのは実に多様性を持っているものだから、新しい事態に対して対処するには試行錯誤と言うことが必要だ。しかし失敗を許さない法律化された規則は、新しい事態は避けることが正しいという認識を生む。<生類憐れみの令>は、その目的としては、生き物を大事にする社会的な意識を確立しようとするものだ。これは本来は教育の力によって達成することがふさわしい目的なのだが、正義の人だった綱吉は、法律によってこの目的を達成しようとしたようだ。その結果どのような現象が現れたかといえば、重すぎる罰を受けたと感じた人たちは、生き物、特に犬を恨むようになったという。自然のままにしていれば犬に恨みを抱く人ではなかった人たちに大きな恨みを残した。さらに、法律に規定されている違反をしないように、犬を避ける人が増えたそうだ。犬と関わりを持たなければ法律に違反することが無くなるからだ。生き物を愛し、生き物を大切にさせようとした法律は、生き物を避け・生き物を恨むような結果を招いて、人々がこの法律にどうしようもなく嫌気がさした時点で廃止された。<禁酒法>というのも、酒を飲んで酔っぱらったり、それで仕事が出来なくなったりすることは道徳的に悪いことだという感じがする。酒が飲めないようにしてしまえば、人々は道徳的に正しい生活に戻るのではないかと単純に考えると、これがまったく違う結果を招くことになる。人々は隠れて酒を飲むようになり、合法的に手に入らない酒はギャングの資金源としておいしいものになる。道徳的に正しくなるどころか犯罪が横行するという結果を招くだろう。人々が酒を飲んで道徳的に堕落するのは、実は酒でも飲んで憂さを晴らさなければ生きていけないという社会の方に問題があるのであって、社会に希望が持てるような改革をして問題を解決しなければならない。そうすれば、結果的に道徳も保たれるようになるのだ。板倉さんが発見した法則はロジックとしても整合性を持っている。そのロジックが現実に良く合致するかは、未知なる事実を求めて「任意性」を証明する「仮説実験の論理」で確かめていく。そのいい材料が最近日本でも法律化されているのではないかと思う。「改正」教育基本法では、「愛国心」という道徳的な問題を法律化しているように見える。板倉さんの法則が科学的なものであれば、この法律は、「愛国心」を育てるという当初の目的とはまったく違う方向で弊害を生み出し、「愛国心」を育てることに失敗するだろう。具体的にどうなるかは分からない。この法則が抽象的なものだからだ。だが、「愛国心」の法律化が、特殊例外的なものでない限り板倉さんの法則が成立するだろうと思う。この弊害が大きなものであれば、<生類憐れみの令>と同じように、人々がどうしようもなく嫌気がさしてから廃棄されることになるだろう。弊害が大きなものにならなければ、やがては人々から忘れられるのではないかと思う。いずれにしろこの法律は当初の目的は達成できないと思う。「歴史」というのを、事実を羅列してその解釈をするものだと受け止めていると、それは「物語」だと言うことになってくるだろう。「歴史」の中に抽象化という視点を持ち込んで、法則を求めるという見方をすれば「歴史」は科学になる。僕は若い頃歴史学者の羽仁五郎さんが好きでよく読んでいた。その羽仁さんの次の言葉は、今一度噛みしめて味わう価値のあるものだと思う。「歴史を学ぶことによってわれわれは軽信という病気にかからないようにすることができる。」「軽信ということは人類を不幸にするもっとも恐るべき病気のひとつである。」から「われわれが流通観念によって見とおしをたてるとわれわれはかならずあやまる。」「懐疑は理論の母である。」「懐疑的精神はあらゆる過去を否定し、未来を信じる。猜疑的精神は、あらゆる過去を信じ、未来を否定する。」「歴史」(『羽仁五郎歴史論著作集』第一巻 青木書店 一九六七年)(「歴史学を考える」よりコピー)「歴史」における法則性を学ぶというのは、宮台氏が言う失敗学を学ぶと言うことでもある。羽仁さんは「過去を否定し」と語っているが、過去が否定されるのは、そこに必ず失敗が含まれているからである。人間は本質的に失敗するものだと三浦つとむさんも語っている。だからこそ失敗学が大事であり、その失敗に学ぶことこそが「歴史」なのだと考えることが出来る。そして、「過去の否定」の上に立てられた失敗学が「未来への希望」となっていくことが正しい歴史認識なのだと思う。過去を賛美して、過去の物語で気分を良くすることが「歴史」の効果なのではない。歴史科学における真理が、自分にとって都合の悪いもの・気分を悪くするものであっても、それを直視しなければならない。事実の解釈が多様性を持っているからと言って、そこには客観的な真理はないのだという不可知論に陥ってしまえば、小さな失敗の時に修正すると言うことは出来なくなるだろう。取り返しのつかない状況になってからしか舵を変えられないと言う、戦争における失敗を繰り返すような「歴史」になってしまうだろう。失敗を研究することを「自虐的」だというような感性では、「歴史」を科学にすることは出来ないだろうと思う。それはたぶん不可知論の誤謬から来ているものだろう。
2007.01.02
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不可知論とは、辞書的には次のように説明される。「哲学で、経験や現象とその背後にある超経験的なものや本体的なものとを区別し、後者の存在は認めるが認識は不可能とする説。また、後者の存在そのものも不確実とする説。」これは僕は間違った考えだと思っている。なぜなら、この考え方を肯定すると、科学が仮説に解消されることが正しいという結論が導かれてしまうからだ。科学を検証する実験で確かめることが出来るのは、現実の経験的事実の確認であって、それから抽象された法則が確かめられているのではない、とする考えがこの不可知論に通じる考え方だろう。科学法則は、言葉の上では全て(任意)の対象について当てはまるので、超経験的なものだと考えられる。これは存在はするかも知れないが、現実存在としての人間には決して捉えることが出来ないとすれば、それはいつまでも仮説にとどまると言うことになるだろう。もし不可知論が正しいとするなら、このような科学を仮説に解消する考えも、それに符合するのであるから正しいと言うことになってしまう。僕は、人間は超経験的な意味での科学法則を認識できると思っている。これは、科学法則に反するものを例外的な存在として比喩的な意味で誤差として処理することを意味するのだが、それはその存在が確率的に捉えられているのではない。たとえば、客観的に存在する物(物質的な対象)は、全て原子で出来ているという科学法則は、例外的な存在が、ある確率で原子で出来ていないと言うことを意味するのではない。物質は全て原子で出来ているのである。物質であるにもかかわらず、原子がないように見えるのは、それはそのように見る判断の方に間違いがあるのか、それを物質的存在だとする見方に間違いがあるかのどちらかだと考えるのである。たとえば「霊魂」というような対象が、もし本当に存在する物質ならば、必ず原子が見つかると考えるのが科学である。そこに原子が見つからないのは、見つけるだけの技術を持たないのか、あるいはその存在が物質ではない、すなわち観念が作り出した想像だと言うことを意味していると考えるのが科学だ。ある対象が、もしかしたら原子であることを否定する存在かも知れない、などとは考えない。このような科学法則のとらえ方は超経験的なものだ。超経験的なものは認識できないとする不可知論では出てこない結論になる。僕は、このような論理の飛躍をもたらすのは、経験と超経験を結ぶ「仮説実験の論理」(「2006年12月29日 科学とは何か--仮説実験の論理」で詳しく論じている)だと思っているのだが、このことが確信できない人にとっては単なる思い込みにしか見えないかも知れない。もし不可知論が正しいとすると、僕が考える「仮説実験の論理」の方こそが間違っていると言うことになるが、不可知論の間違いを考察するのにいい材料になるものを、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(永井均・著、ナカニシヤ出版)の中に見つけた。ここではある部屋の存在を巡っての議論でこんなことが話されていた。ある部屋が存在することは、自分がそれを見ていることで確かめることが出来る。これは経験によって検証すると言うことになる。しかし、その部屋を自分が見ていないときにも、それは相変わらず存在していると言ってもいいだろうか、ということを考えると、経験を越えた神の視点という超経験的なものを想定しなければならなくなる。翔太は猫のインサイトと次のような会話をしている。「そうかも知れないけれど、それって誰でも信じていない?たとえばさ、僕たちがこの部屋から出て行って、誰もこの部屋を見ていなくなっても、この部屋は客観的に実在しているって、誰だって信じていると思うよ。それもやっぱり超越的な実在を信じるってことになるの?」「そうだよ。超越的な実在を全く信じない人はいないさ。いま現在自分に知覚しているものしか信じないんだったら、誰もマトモに生きてはいけないからね。見られていないときのこの部屋は、見ようと思えばいつでも見ることが出来るし、他の人に見てもらうことも出来る。抜き打ちで見てみていつもあれば、それは客観的にあると言っていいんだよ。」ここで猫のインサイトが語る「見ようと思えばいつでも見ることが出来る」「他の人に見てもらうことも出来る」「抜き打ちで見てみていつも(ある)」と言うような要素は、「仮説実験の論理」で考えた「任意性」を他の言葉で表現したものになっている。「いつでも」というのは時間の「任意性」であり、「他の人」は主体の「任意性」であり、「抜き打ち」というのは未知なる誰かの確認という意味での「任意性」に当たるだろうか。この説明に対して翔太は、「それは見られればいつもあるってことで」(つまり経験を越えていないと言うことか)「見られていないときにあるってことはやっぱり超越的な信念を持つことじゃないかな」と言って、それの客観性を疑っている。超越的な信念は思い込みではないかというわけだ。「仮説実験の論理」で言えば、実験したときにはいつも確かめられるけれど、実験する前には正しいかどうか言えないだろうと、科学を仮説に解消する考えに通じる。それに対して猫のインサイトは、それは「自然な超越」だと言って次のように語っている。「いつでも好きなときに存在することが確かめられれば、僕らはそれを客観的に実在するって言っていいんだよ。いやむしろ、言わなくちゃいけないんだ。そんな場合でも、見ていないときはこの部屋は本当はないかも知れないなんて言うのは、むしろ『無い』ということに関して不自然な超越的視点に立つことになるんだ。」「本当はないかも知れない」という予想は、実は確かめてもいない「可能性」を根拠にして予想していることになる。実際には、「無いかも知れない」という予想は、その場所に行って部屋があることを確かめればすぐに間違った予想であることが確かめられる。でも、四六時中そんなことをしていられないから、確かめていない時間がでてくるだろう。その時に、確かめていないからと言って、無いかも知れないと言う「可能性」だけの根拠で主張することは「不自然な超越的視点」だというのが猫のインサイトの説明だ。これは非常に説得力のある説明だと思う。「いつでも好きなときに存在することが確かめられれば」というのは、経験的に確認出来ることを根拠に超越的な視点を語ることだから、「自然な超越」と呼べる。だが、「見ていないときはこの部屋は本当はないかも知れない」というのは、単なる可能性だけを根拠にしている。これを経験によって、無いことを確かめることは出来ない。これは極めて不自然だと言えるだろう。次の会話も実に示唆の富んだ内容を持っている。「でも、やっぱり、本当はないかも知れないじゃん。無いって言ってるんじゃなくて、無いかも知れないって言ってるんだから、別に間違ってはいないと思うよ。」「いや、間違っているね。見られていないときには部屋がないかも知れないって主張する人が、見られていないからってこと以外に、そう主張する積極的な根拠を持っていないなら、その人の主張は根拠のない主張なんだよ。いいかい、よく考えてくれよ。ここが大事な所なんだから。たとえばね、この部屋が心理学の実験のために作られた部屋だったり、遊園地の『不思議の館』の中にあったりして、本当に見られているときだけ出現する視覚的錯覚の部屋だったとするよ。その時、もし君が『この部屋は見られていないときは存在しないかも知れない』と主張したら、君は正しいことを言ったと思うかも知れない。でも、そうとは言えないんだよ。もし、君がその時『一般にものは見られていないときは存在しないかも知れない』という以上の根拠を持っていなかったなら、この部屋に関する君の主張は、根拠のある正しい主張とは言えないんだ。この部屋に関してそういう主張をするには、もっと別の積極的な根拠が必要なんだよ。つまりね、視覚的錯覚の部屋がもし完全にうまくできていたなら、疑うべき根拠がないんだから、むしろ騙される方が正しいんだよ。」不可知論が語る認識できない超経験的なものというのも、それは可能性として存在しているから認識できないとするものだ。それが認識できないと言うことの根拠は、背後にあって我々には見えないからだ。しかし、それは我々には見えないのであるから、それが存在するかも知れないと言うのも可能性の話に過ぎない。不可知論が語る認識できない超経験的なものは、可能性として語る以外に語れないものだ。もし、可能性ではなく、それが存在するという積極的な根拠が見つかるならば、それは背後に隠れているのではなく、何らかの形で我々に知られるものになるから、不可知にはならなくなってしまう。積極的な根拠があるものは、我々に知ることが出来るのだ。もし不可知のものがあったとしても、それを知ることの出来ない我々が、それについて語ることに何の意味があるだろうか。語り得ぬことに対しては沈黙することが正しいのだろうと思う。科学を仮説に解消すると言うことは、その法則が正しくなくなるような対象の存在の可能性を語ることによって導かれる。これが、可能性ではなくて、もっと積極的に具体的な対象としてその法則を否定するような対象であることが確かめられれば、それは科学を否定して誤謬にするのではない。相対的真理にこびりついていた誤謬が解明されたと言うことを意味するだけだ。相対的真理の真理である範囲がより厳密に規定できるようになったと言うことだ。科学を仮説に解消するような論理に、可能性以上に積極性を持った根拠はないと僕は思う。もし、単なる可能性だけではなく、もっと積極的な根拠があるのなら、僕も科学を仮説に解消する論理に耳を傾けようと思う。だが、積極的な根拠があるのなら、それは科学をより厳密にするだけのことになるのではないかと思う。そう解釈できない、積極的な根拠というのは果たしてあるのだろうか。僕はないと思う。不可知論や、科学を仮説に解消する考えは、「不自然な超越的視点」なのだと僕は思う。
2007.01.01
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pantheran-onca さんが「2006年12月24日 バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男」というエントリーのコメント欄に書いた「丸山が戦時中の日本を「ファシズム国家」と規定したこと」が間違いだったと言うことは、「南京大虐殺があったか無かったか」という対立によく似ているような感じがする。「南京大虐殺」という事件については、「大虐殺」という曖昧な言葉をどう定義するかで、あったかなかったかという判断が違ってきてしまう。問題は、この言葉を厳密に定義して、事実がそれに合致するかで判断しなければならないのだが、対立する双方が同意するような定義は見つからないのではないかと思う。宮台真司氏も、どこかで「南京大虐殺はなかった」というような発言をしていたように記憶している。このことの意味は、世間で流通しているようなイメージでの「南京大虐殺」はなかったという意味なのではないかと僕は思っている。言葉とそれが指し示している概念とは、唯一に決まるわけではない。「南京大虐殺」という言葉が、具体的には何を指しているかは、それを使う人によって違ってくる可能性が出てくる。そして違った前提で結論を引き出している論理は、論理としての正当性を持っているにもかかわらず、言葉の上では全く反対の結論を出すこともある。このような状況を解決するには、そこで何があったかで同意できるような表現で論理を進めるしかないだろうと思う。当時の南京で、本当にはどのような「事件」が起こったのか。その具体的な事実で、同意できるものがあったとき、初めてその判断も論理的に同意できるものが出てくるだろう。丸山眞男と「ファシズム」を巡る議論も、「ファシズム」という言葉が何を意味しているかに違いがあれば、その評価に違いがあっても論理的にはおかしいところは何もないだろうと思う。この「ファシズム」という言葉が、定説としてほぼ一つに決まっているのなら定説というものはあるかも知れないが、それはいわば多数決で決められた結論のようなもので、それが真理であるかどうかは多数決では決められない。「ファシズム 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば「ファシズムが何であるのかの共通見解は未だ確定しているとは言えないが、定義するに当たって重要なのはその歴史的経緯である。現在の多くの論者は、ファシズムの原因が当時の複雑な状況にあったことを挙げる。」と書かれている。「現在の多くの論者」の中に丸山が入っていなければ、未だに確定していない共通見解は、丸山の当時にはさらに多くの異論が存在したのではないかとも思われる。また、現在の多くの論者が「当時の複雑な状況」を大きな要素として考えるのは、現在の論者が何を主張したいのかという内容にも大きく関わっているだろうと思う。僕は丸山眞男にも、現在の論者にも詳しくないので、その主張の内容は具体的には分からない。だが、それに違いがあるのなら、丸山が「現在の多くの論者」と同じように、歴史的経緯を第一の要素として「ファシズム」を考えなかったとしても、それは論理的に理解できる。歴史的経緯を重視するというのは、「ファシズム」という概念をかなり限定的に考えることになるだろうと思う。極端なことを言えば、普通名詞として捉えるのではなく、固有名詞のように捉えることにもなるだろう。「ファシズム」というのは、イタリアのファシスト党の政治的な立場を捉えたものだと言うことになるだろう。同じように見えるドイツの政治体制は「ナチズム」と呼ばれることになる。こうなると「ファシズム」という言葉は、同じような現象を一般的に取り扱う言葉としては使えなくなる。このような立場に立てば、日本における「ファシズム」を考えるというのは、その定義からして間違っていることになるだろう。それは日本ではない国の出来事を指しているのだから。もし、日本においても「ファシズム」を考えるなら、この概念を一般化して、歴史的・地理的な違いを捨象して適用できるようにしなければならない。それはウィキペディアによれば、「広義にはナチスドイツ・日本・スペイン・南米・東欧などでの極右国粋主義による全体主義独裁体制を指す」と言うことになってくるだろうと思う。「小熊研究会1 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」コメント 丸山真男と日本の全体主義」には、「丸山真男の全体主義の図式 日本のファシズムの特徴」として、「ファシズム」という言葉が使われている。この「ファシズム」は、ウィキペディアで言っている広義の意味のものだろうと思う。「全体主義」というものを広く「ファシズム」に通じるものとして捉えているものだと思われる。だが、「全体主義」というのは、旧社会主義国家もそう呼ばれたように、「ファシズム」ではないものも含まれている。全体主義とは、「全体主義 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば「個人の自由、個人の利益に対して、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張」と定義されている。いくつかある全体主義の中で、特に「ファシズム」と呼ばれる特徴を持つものとして「極右国粋主義による」というものを付け加えると「ファシズム」の特徴が捉えられるとするのがウィキペディアの広義の定義のように思われる。「極右国粋主義による全体主義」という抽象的なとらえ方をするなら、この抽象の範囲には戦争当時の日本も十分含まれるのではないかと思う。もし丸山がこのような意味で「ファシズム」を使っていたのなら、それは言葉の使い方として大きくはずれているようには思えないだろう。「ファシズム」という言葉は、その定義が違えば、論理的な結論が違ってくるような言葉になっている。そして、立場や目的が違えば、それに伴って定義が違ってくるような言葉になっているのではないだろうか。問題は、この言葉を誰もが同意するような定義として確立することではなく、何を解明したいかという目的にふさわしい言葉にすることではないかと思う。「科学」という言葉も、それを仮説に解消してしまうような定義も出来るし、相対的真理として確立できるような定義も出来る。どちらの定義が、自分が解決したい問題にふさわしいかという、問題意識と重なる定義が求められるのではないかと思う。丸山眞男は、果たしてどのような問題を解決したいと思ったのだろうか。小熊研究会では、日本のファシズムの特徴を1.家族主義2.農本主義3.無責任の体系(無限責任=無責任)と言うものに置いているのが「丸山真男の全体主義の図式」だと解釈している。そして具体的な主張として・日本でのファシズム運動を担ったのはインテリ層(ヨーロッパ的教養を持つ人間)ではなく亜インテリ層(土着の権力者)→日本におけるインテリ層の大衆からの孤立・日本ファシズムの矮小性/指導者の指導意識の希薄・ナチスやイタリアファシズムが大衆運動から出発した(下からのファシズム)のに対して日本のファシズムは上からのファシズムであると言うようなものをあげている。このような考察によって、丸山眞男は何を明らかにしようとしたのか。日本が歩んだ間違った道の、どこが間違っていたかを明らかにしたかったのではないだろうか。それは戦争に負けたから間違ったのではなく、重大な判断において間違ったものを結論していったことの本当の原因を求めたいと言うことではないかと思う。「ファシズム」の問題で言えば、宮台氏が語ったような亜インテリ層がその中で権力を握っていったことが、真のインテリ層を追い出すことにつながり、これが間違った判断を修正できないことにつながっていったのではないかと言うことは、論理的に整合性があるように感じる。亜インテリ論が正しければ、それを基にした解釈にはかなり信憑性を感じるものだ。そして、亜インテリ論は、日本特有のものであるからこそ「ファシズム」一般ではなく「日本ファシズム」という呼び方をするのではないだろうか。「ファシズム」という言葉の定義に拘ることは、問題の解決に対してはあまり重要ではないように感じる。問題としては、次のようなものを解決することが大事なのではないだろうか。・広義のファシズム(=極右国粋主義による全体主義)には本質的に大衆の支持を受けるような要素があるのか。・広義のファシズムはインテリ層の支持を受けるものなのか、それとも権力の圧力に対してインテリ層が負けてしまったのか。・亜インテリというのはどこにでも存在するものなのか。それはどのようなメカニズムで生み出されるのか。・日本には亜インテリ層が権力を握る源泉としての制度的問題があるのか。(宮台氏によれば、欧米では亜インテリのような存在は大きな力を持たないと言う)・人間の行動に対する暴力の影響の一般的な法則はあるのか。真のインテリ層というのは、ある意味では専門家を指すのではないかと思う。難しい問題に対して、多面的な角度から分析して、その時にもっとも妥当な結論を出すことが出来る人間が、本当の意味での専門家であり、真のインテリ層ではないかと思う。この真のインテリ層が、世論の動向や権力の意思にかかわらず、「それでも地球は回っている」というエピソードに語られているガリレオのような、真理に対する強い意志を持っていれば、激動期においても間違った判断を避けられる可能性があるだろう。しかし、インテリ層が、世論の動向を気にしたり、権力の圧力に負けたりするようであれば、誰が道の間違いを指摘できるだろうか。亜インテリの影響力を大きくしないためにも、誰が本当のインテリであるか、真の知識人・専門家を見分ける目を、一般大衆こそが持つ必要があるのではないかと思う。それこそが丸山眞男的問題なのではないかと思う。
2007.01.01
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