真理を求めて

真理を求めて

2003.01.01
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年が明けて、あちこちで新年の挨拶をしているだろうと思う。年が明けたからといって、日付が一日進んだだけだと、現実主義者だったらそう感じるかもしれない。現実主義者=唯物論者だと思っていると、唯物論者もそうだと思うかもしれないけれど、本物の唯物論者はちょっと違う。

僕の尊敬する板倉さんという本物の唯物論者は、<きっかけの論理>というものを大事にする。人間というのは、いつ始めてもいいというものを始めるのにとても苦労するものだ。明日があるさと思っているうちに時間が過ぎてしまう。そんなときに、「今日は一年の最初の日だから」と理由をつけるのが<きっかけの論理>だ。きっかけには理由が必要だ。それは、自分が納得さえすればいい。新しい年だから、新しいことを始める。それが納得できれば、きっかけになるものだ。

その新しい年にふさわしい歌として、今日は「友よ」を選んでみた。これには「夜明けが近い」という繰り返し出てくる言葉がある。今のように暗い時代に「夜明けが近い」なんて、皮肉じゃないかと思われそうだけれど、板倉さんの発想でいえば、少数派にとっては多数派が暗いと思う時代こそ明るさを感じられるとでもいおうか。

仮説実験授業は、徹底的に子どもたちの主体性を大事にする。それはわがままと紙一重だ。子どもたちがわがままになり、大人のいうことを聞かなくなったと嘆く声があがれば、仮説実験授業学派は、子どもたちがやっと正直に自分たちの声をあげることが出来るようになったと解釈する。いい時代になったものだ。我慢して苦しんでいた時代ではないのだ。不登校の子どもたちが増えたと嘆く声が多くなれば、国家に支配された教育から、本当に個人のための教育を求める人がやっと増えてきたのだと、民衆の成長を喜び合いたい気持ちになってくる。

この歌がかつて人々に歌われていた頃は、みんな「夜明けは近い」という気持ちを抱いていた。でも、それは気分だけで中身が伴わなかった。だから、岡林信康もこの歌をすぐに歌わなくなってしまった。今は、気分はとても夜明けが感じられないけれど、客観的条件は、改革の前の混沌という感じもする。今こそまさに夜明けを感じるにふさわしい時じゃないんだろうか。

僕は混沌が好きだ。それは権威あるものを否定してしまうから。誰もが困っている、誰もが分からない、そういうときこそ新しいことが自由に出来るときだ。

この歌は<うたまっぷ>で検索できる。今日引用したいフレーズは次のところだ。

     友よ 君の涙 君の汗が
     友よ むくわれるその日がくる



繰り返される次の言葉が、今こそふさわしい時代がやってきたと僕は思う。

     夜明けは近い 夜明けは近い
     友よ この闇の向こうには
     友よ 輝くあしたがある

岡林信康も、今この時代こそこの歌を歌ってくれないかな。今が闇の時代だからこそ、輝く明日があると。明けない夜など無いのだから。





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最終更新日  2003.01.08 12:11:20
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