真理を求めて

真理を求めて

2003.01.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
この歌も、厳密に定義すれば、懐かしい「フォークソング」じゃないだろうけれど、そこはファジーに、気に入った歌はフォークソングということにしてしまおう。心に響いてくる歌をフォークソングということにして。

僕は、お袋が沖縄の出身で、半分は沖縄の血が流れているので、喜納昌吉が「ハイサイおじさん」で登場してきたときから面白いなと思っていた。この歌は、あまりにも有名なので、おそらく知らない人はいないくらいだろう。僕は、有名すぎる歌はあまり心にとまらないときもあるんだけれど、この歌だけは別だなという感じがする。

この歌は副題で「すべての人の心に」と書かれているのがいいと思う。その気持ちが込められている

     いつの日か
     いつの日か 花を咲かそうよ

という部分を聞くと、いろいろな連想が浮かんでくる。花になる前のつぼみというのは、誰の心にもたくさんあるような気がする。つぼみは、いろいろな意味での可能性を秘めたもので、その可能性のつぼみが花開くためには、好奇心というものが必要だ。好奇心という栄養があって、つぼみは花にまで生長する。

仮説実験授業に「花と実」という授業がある。それは、植物というのは、花を咲かせないと実が出来ないというメカニズムを持っているということを教える授業だ。花が咲かずにいきなり実が出来る植物はない。見た目にはあまり美しくない花もあるけれど、花としての条件を持っているものが現れないと実にならないというのは、何かを象徴しているような感じもする。

人間は、豊かな実りを持つためには花を咲かせないとならない。だから、「すべての人の心に」なんだろう。そして、花が咲いているとなかなか分からないひっそりと咲く花もある。そんな花を見つけてあげて、いつの日か花が咲いたことをいっしょに喜んであげるようなことが出来たら、「寄り添う」という雰囲気にぴったりになりそうだな。

人生という時の流れの中で、人間は、泣いたり笑ったりして花が咲く日を待つんだろうな。若いうちは、可能性というつぼみをたくさん持っているだろう。年をとってからも、それが全部なくなるということはないはずだ。かなり少なくなってはいるだろうけれど。その少ないつぼみを大事に育て、いつか咲く花があるかもしれない。年をとって、すでに花は枯れてしまっていても、その代わりに豊かな実をならせれば、それが種になり、やがてはそこから新しいつぼみが生まれてくるのを見ることが出来るかもしれない。そういう希望に充ちた、心が穏やかになる歌だ。年の初めに、未来を語るにはふさわしい歌かな。





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最終更新日  2003.01.15 22:29:06
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