真理を求めて

真理を求めて

2003.02.02
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今日は河島英五の歌を聞きながら日記を書いている。残念ながらこの歌も<うたまっぷ>では検索出来ないので、まずはタイトルから連想出来ることをつづっていこう。

心から心へ何かが伝わったと思ったとき、人間はとても幸せになると思う。でも、僕は唯物論者だから、心から心へそのまま何かが伝わるとは考えない。テレパシーなんて超能力は、あったとしても誰もが出来るわけじゃないからね。心から心へ何かが伝わるためには、その媒介となる物質がなければならない。

それは大部分は言葉だろうな。話し言葉なら音声という空気の振動で、書き言葉なら文字という形のあるものだ。言葉がなくても、仕草や態度・表情なんかで伝わる心もある。何か物をプレゼントすることで気持ちを表す人もいる。

この心を伝える様々の媒介物が、心をなかなか正しく伝えてくれないから困るときもある。誤解していた方がうれしいときもあったりするからね。どういうときに正しく伝わるんだろうということを今日は考えてみた。

僕の好きな灰谷健次郎の「兎の目」では、何もしゃべらない、表情の変化もない鉄三という少年と、教師になったばかりのお嬢さん先生の小谷先生との心の通じ合いが美しく描かれている。最後の作文の場面では、その心が本当に伝わったことに、小谷先生のうれしい心が、僕にも伝わってきて何度読んでも涙が流れてくるようなところがある。

小谷先生は、どうして鉄三の心を受け取ることが出来たのか。それは、限りなく鉄三に関心を持ち続け、鉄三のあらゆるところ、小谷先生に見えるあらゆるところを理解しようと望んだからだと思う。それだけの強い関心を持つことが出来たからこそ、鉄三の小さな表現の中に、鉄三の心を感じることが出来たんだろうと思う。そして、何も表現しなかった鉄三も、理解されているということを知って、小谷先生だけには心を伝える表現をするようになった。それがあの作文の場面だと僕は思った。

心から心へ何かを伝えるというのは、これくらい強い想いがなければ出来ないことなんだなと思う。この歌では、

      山よ河よ雲よ空よ 風よ雨よ波よ星たちよ
      大いなる大地よ 遙かなる海よ


と呼びかけ、これら永遠に存在するものたちに囲まれて生きていくことが、変わらない心を支えてくれているようなイメージを浮かばせてくれる。そして、次の言葉が、心から心へ何かを伝える強い想いを持ち続けるための助けになりそうな言葉に感じた。それは、

      たった一度きりの ささやかな人生を

という言葉だ。たった一度きりだから、強い想いを持たなければならない。心から心へ想いを伝えなければ、その一度きりの人生でのすべての幸せも失われてしまう。もし伝えることが出来れば、ささやかな人生であっても、最大の幸せを感じることが出来る。心から心へ伝えるために、何に心を託すか。それが人生でのもっとも楽しい問題かな。





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最終更新日  2003.02.03 08:31:20
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