真理を求めて

真理を求めて

2003.11.19
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宮台真司氏の学校批判には、教師のバカがうつらないシステムに変えて行かなくてはならないというような主張がある。これは、うっかりすると誤解されそうな過激な言い方だが、教師に苦しめられた経験がある人間にはすぐにピンと来る感覚だろう。でも、その人たちもこの言葉を正確に受け取っているかどうかは難しい問題だと思う。経験を一般化して抽象するというのはかなり難しいからだ。

僕も、この言葉をあまり深く受け取ってはいなかったような気がする。これは、能力の低い教員が、権力という後ろ盾で弾圧をすることで、心ならずも生徒の方が自分の頭で考えなくなる、つまりバカになってしまうという悪循環が、バカがうつるシステムだと思っていたのだ。教員の能力の方に大きな原因があるのかなと思っていた。

しかし、これをわざわざ「システム」と呼ぶのは、個々の教員の能力の問題以上にシステムという客観的な存在の方に問題があるという指摘ではないかとも思える。それを納得させてくれる記述というものを、小熊英二さんの「<民主>と<愛国>」という著書の中に見つけることが出来た。小熊さんは、軍国主義化の日本社会の様子を描いているのだが、これがまさに絵に描いたような見事な「バカがうつるシステム」になっているのだ。軍隊組織しかり、学校教育しかり、日常生活での隣組しかりだ。

まず当時の軍隊がどのような組織になっていたかというと、小熊さんの言葉で言うと「セクショナリズムと無責任」が支配していた組織ということになる。陸軍と海軍は、双方に無関係に作戦を立てており、陸軍は大陸方面の戦争しか想定しておらず、アメリカとの戦争においては当面の相手となる海軍の方は勝算がないと見ていたにもかかわらず、陸軍に押し切られる形で戦争に踏み込んだようだ。

しかも、勝算がなくても負け戦を正直に報告することが出来なかったので、小熊さんに寄れば次のような状況だったらしい。

「大本営は陸軍部と海軍部に別れ、それぞれ別個に作戦を立てており、大本営陸軍部の情報参謀の回想によれば、「陸軍と海軍が双方とも、なんの連絡もなく勝手に戦果を発表していたため、陸軍は海軍の発表を鵜呑みにする以外にない」という状況であった。海軍の空母が全滅した1942年6月のミッドウェー海戦の実情についても、陸軍情報部の部員たちは「各種の情報、特に外国のニュースなどによって」「だいたいのことは知っていた」にすぎなかったという。」

作戦において、敵の状況を正確に把握しないと、それは悲惨な失敗につながってしまうだろう。このときの日本軍については、別の要素として敵を過小評価し、味方を過大評価するという失敗もあったと思う。これは、正確な情報がなかったことに寄るもので、軍事情報には機密情報が多いだろうけれど、秘密にするということが間違った判断に結びつくという歴史はここでも見られるのだなと思う。

軍国主義化の軍隊というのは、おそらく日本で一番優秀だといわれる人間たちが集まってきたところだ。最初からバカだったわけではない。しかし、その優秀な人間たちがこのようなバカとしか思えない行為をしてしまうというのが、旧日本軍の軍隊というところが「バカがうつるシステム」だということなのではないだろうか。つまり、最初からバカな人間が権力を握るような単純な話ではなく、どんなに優秀であっても、権力の座に行けば行くほどバカになっていくシステムということなのではないだろうか。

「バカがうつるシステム」では道理が引っ込んで無理がまかり通る。道理を唱える人間が迫害され、無理に反対することが出来ない強い同調圧力がかかる。まともに考えればとても成功しそうもない特攻という攻撃に関しても、それに反対することは出来ず、かえってその攻撃を賛美する空気が作られていく。小泉さんは、特攻隊の隊員の手記に感動していたが、それは理不尽な理由で死ななければならない人間が、その理由を納得しようとして無理矢理ひねり出したその心情の哀れさと純真さに感動するような感じがする。小熊さんの言葉に寄れば特攻の実情というのは次のようなものだった。


 海軍軍令部の予測では、8機から10機が同時に最良の条件で命中しなければ空母や戦艦は撃沈できないこと、出撃する特攻機のうち1割程度が敵の位置に到着できるだけであろうことなどが、沖縄戦の時点ですでに算定されていた。そのためもあって、特攻で沈められた大型艦船は存在しなかった。」

科学的に予測できたにもかかわらず、無理な作戦がまかり通った。さらに特攻に関わっては次のような無責任ぶりも見える。小熊さんの報告では次のようなことが語られていた。

「航空隊の幹部や兵学校出の将校、古参パイロットなどは、部隊の維持に必要であるとされたため、特攻に出ることは少なかった。そのため特攻隊員の多くは、戦争の後半に動員された学徒出身の予備仕官や、予科練出の少年航空兵などから選ばれた。機材面でも、特攻用には、喪失しても惜しくない旧式機や練習機がしばしば使用された。当時の古参パイロットの一人は、「特攻隊に選ばれた人たちは、はっきり言って、パイロットとしてはCクラスです」と述べている。
 海軍のある航空隊では、こうした状況に疑問を持った飛行長の少佐が、司令の大佐に以下のように主張したあと、特攻出撃が立ち消えとなった。「もし行くんであれば、まず私が、隊長、分隊長、兵学校出の士官を連れて行って必ずぶち当たって見せます。最後には司令も行ってくれますね。予備仕官や予科練の若いのは絶対に出しちゃいけません」。しかし多くの特攻は、こうした言葉と逆の形態で行われていたのである。」

もっとも立派な人間が、そうでない人間がたまたま権力者の位置にいたために、犠牲になり、その犠牲が卑劣な人間に利用されるという、アメリカの戦争をしたがる人間たちの姿を連想させるような姿になっている。戦争をしたがる人間は、自ら率先して最前線に行ったりはしない。これが、「バカがうつるシステム」の象徴的な姿かなと思う。

軍隊についての報告と、隣組のような日常生活の様子など、小熊さんの本にはまだ興味深い「バカがうつるシステム」を思わせる記述がたくさんある。それと、今の学校教育の比較なども面白いものになるだろう。今後も、このテーマはちょっと考えていきたいものだ。

さて、最後に今日の注目ニュースのことを少しだけ書いておこう。見出しは次のようなものだ。

「<イラク支援>比大統領「治安悪化すれば撤退も」」
「日本大使館に10数発発砲 バグダッド、警備員が応戦」
「<米軍ヘリ撃墜>イラク武装グループが犯行声明」
「米大統領は「人類の脅威」 ロンドン市長、口極め批判」

「<アフガン>米軍が誤爆を否定」

これらの報道の解釈をするときに、冷静に事実をどう受け止めるのかというのをまず最初にやらなければならない。テロリストはけしからんという感情的な憎しみを抱きたくなるような価値判断は、今しばらくはじっとこらえて、事実を優先して判断しなければならないと僕は思う。

その事実の解釈としては、イラクは大変な危険な状況にあるという判断だ。この危険は、まだその全貌がはっきりしないのだから、はっきりするまでは動かずに見守るということが正しいのではないかと思える。フィリピン大統領の判断はそういうものではないかと思える。

日本大使館がねらわれたり、テログループの犯行声明が出たりするのは、危険性がかなりはっきりと出てきていると解釈しなければならないのではないかと思う。世界の世論の動向としての、ロンドン市長の言葉は参考になると思う。また、米軍がアフガンでの誤爆を、殺したのは市民ではなくテロリストだと強弁するのも、世界の世論を気にしての言い訳だろう。僕は、これは誤爆だと思うけれど、事実には注目していきたい。僕が、これを市民を殺していると思うのは、アメリカのこれまでのやり方からの想像だ。それに、誰がテロリストかは、アメリカが決めるというのでは、アメリカの主張は、自分に都合のいい方向にしかいわないだろうから信用できない。第三者機関が、誤爆ではないと証明しない限り、僕は誤爆だと思うだろう。





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最終更新日  2003.11.19 09:29:19
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