真理を求めて

真理を求めて

2003.11.26
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国際的ジャーナリストの田中宇さんが、「イスラエル化する米軍」という題の興味深い報告を書いている。この報告の全文は、次のところで見ることが出来る。

http://tanakanews.com/d1125iraq.htm

この報告の冒頭で田中さんは次のように語っている。

「9月下旬、バグダッドから北に70キロほどいったイラク中部の町ドルアヤの近郊で、米軍のブルドーザーが果樹園の木々をすべて根こそぎにする作業が行われた。付近は旧フセイン政権の支持者が多いスンニ派の地域で、米軍に対するゲリラ攻撃が頻発していた。米軍は、付近の村人たちを尋問したが、誰もゲリラの居場所を教えなかったため、その「懲罰」として、村人たちが所有するナツメヤシやオレンジ、レモンなどの果樹を、根こそぎ切り倒した。

 伐採するなと泣いて頼み込む村人たちを振り切り、ブルドーザーを運転する米軍兵士は、なぜかジャズの音楽をボリューム一杯に流しながら伐採作業を続けた。ナツメヤシは樹齢70年のものもあり、村人たちが先祖代々育ててきた果樹園だった。伐採を止めようと、ブルドーザーの前に身を投げ出した女性の村人もいたが、米兵たちに排除された。

 伐採を担当した米軍部隊の中には、村人たちの悲痛な叫びを聞き、自分に与えられた伐採の任務と「なぜ村人たちにこんな辛い思いをさせねばならないのか」という不合理感の板挟みに耐え切れず、突然大声で泣き崩れてしまう兵士もいたという。」

この懲罰には全く正当性がない。人間性を失わないでいる兵士は耐えきれないのが当然だろうと思う。兵士がゲリラ捜索のために、尋問をするのは仕方がないだろう。しかし、その答えが気に入らないものだとしても、気に入らないからといって証拠なしに、懲罰的に乱暴をはたらくのは、戦争下といえども正当化できるものではないと思う。

村人たちはゲリラそのものではない。ゲリラをかくまっているという証拠があれば、それに対して懲罰を下しても仕方がないかもしれないが、フセイン政権支持者が多かった村だからという理由だけで懲罰を下すのは、理不尽だと思われるだろう。フセイン政権は暴力的な独裁政権だったのだから、支持をしているといっても、暴力で協力させられているだけだったかもしれないし、村人にとっては、米軍が守ってくれるという保証がない限りゲリラを密告することなどもできないだろうと思う。そういう配慮をした上での行為なのかということが、イラクの人々の受け取り方に大きな影響を与えるだろう。この行為に対して、田中さんは次のように語っている。

「テロ・ゲリラ攻撃が起きた場所の近くで、実行犯の居所を教えろと村人に尋ね、情報をもらえなかったら「懲罰」として村の家々を壊したり、果樹園を伐採したりするのは、イスラエル軍がパレスチナ占領地でよく行っている「作戦」である。パレスチナ人はオリーブの果樹園を大事に育て、オリーブはパレスチナ人の「民族の木」のような意味合いを持っているが、それがイスラエル軍のブルドーザーによって潰されることは、パレスチナ人の全体にとって、イスラエルに対する憎しみを植え付ける「効果」がある。」



昨日は、NHKの「クローズアップ現代」でパレスチナに建設されている壁のニュースを取り上げていたが、この壁は、全くイスラエルの都合のみを考えて、パレスチナにどのような影響が出てくるかを無視して建設されている。イスラエルの軍事行動は、パレスチナ人の物質的な体を殺す行為だが、この壁の建設はパレスチナ人の心を殺す行為だと僕は思った。

田中さんの報告では、この理不尽な行為に対して、次のような恐ろしい解釈もあることを知らせている。

「イスラエルのパレスチナ占領が純粋に治安維持や防衛のための占領だとしたら、アメリカがイスラエルに頼ることによる懸念はまだ少ないかもしれない。だが、イスラエル軍は、パレスチナ人のオリーブの果樹園を伐採したり、住宅地を空爆したり、検問所で何時間もパレスチナ人を待たせたりすることで、パレスチナ人を怒らせ、自暴自棄にさせ、イスラエルに対して自爆テロを仕掛けるテロリストが増えることを望んでいるように感じられる。

 イスラエルに対するテロが増えると、イスラエルの右派政権は、和平交渉せよと圧力をかけてくる欧米に対し「パレスチナ人がテロを止めない限り和平交渉はできない」と拒否し、その間にパレスチナ占領地の土地を没収してイスラエル人入植者を住まわせ、占領態勢をますます強化することができる。

 つまり、イスラエルの占領ノウハウは、パレスチナ人を怒らせ、テロを増やすためのノウハウであると感じられる。それと同じことをアメリカがイラクでやっているということは、イラクでもテロが増え、民主的なイラクを作る方向からはどんどん遠ざかっていることを意味している。私は以前「米軍はわざとイラク人を怒らせているのではないか」と推測する記事(イラクの治安を悪化させる特殊部隊)を書いているが、こうした見方と「米軍のイスラエル軍化」の動きは一致する。」

アメリカのイラクでの行為が、配慮の足りなさや、方法の誤りであるのなら、経験を積んでまともに考える方向へ進むのであれば改善される可能性も期待できるのだが、確信犯的にむしろ憎しみを駆り立てる方向へ進む道を選んでいるのだとしたら、その改善は期待できない。世界はますますテロリストが暗躍するようになる。そして、そのテロリストを倒すためには軍事力が必要だということに反対できない世論になってしまう。

軍事力を握っている人間たちにとっては、テロが起こってくれた方が都合がいい。しかし、軍事力に支配される我々にとっては、それはどうなのか。テロを防ぐ方法は今のところ有効な手段はない。しかし、確実にテロを増やす間違った方法として、理不尽な武力によって弱い立場の人々を弾圧するというやり方があるだろう。テロリストが理不尽な殺人をするのなら、テロリストそのものとは厳しく戦うことは必要だろう。しかし、テロリストではなく、弱い立場の市民を理不尽に殺すようなまねをすれば、その中からテロリストになる人間が必ず出てくる。テロを抑えるといいながら、実際には理不尽な殺人行為をしていないかどうか、世界はそれをよく見なければならないのではないか。

昨日は文化祭の代休だったので国会中継を見ていたが、国会では本質的な議論は何もなされなかった。イラクへの自衛隊派遣について小泉さんは「状況を見て判断する」と繰り返すだけで、どのような状況の時にどのような判断をするのかということは全く話さなかった。だから、判断をするときその判断の根拠が何であるかとか、判断をしたときの正当性のある理由はどういうものかについては何一つしゃべっていない。小泉さんがその判断をするときに、それが正しいのか間違っているのかを判断する材料を何も提供しなかった。

新聞の論調なんかでは、菅さんの追求が甘かったとかいうものもあったけれど、小泉さんが説明責任を果たしていないことは明らかだから、そのことだけでも、この内閣は支持に値しないと僕は思った。国民に何も知らせないで、改革、特に構造改革などが出来るはずがないと僕は思った。ゴルバチョフはソビエト共産党を改革するときにグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再構築)を唱えた。情報公開をしない小泉さんに改革は出来ないだろうと僕は思った。

国会にまともな議論が戻ってくれば、何かが変わるという期待も出来たのだが、やっぱり絶望しかないのだろうか。





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最終更新日  2003.11.26 21:36:26
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Re:テロとの戦いか民衆の弾圧か(11/26)  
msk222  さん
動物が増えすぎると、集団自殺に似た行動をとることがあるといいます。

国会討論も、結果として形式的にしか感じられないのは、小泉首相には(自らの意思では変えられない)結論があって、それにそった答弁をしているように見えました。
答弁の顔つきや話し方は、歯切れのいいものではなかったし、誤りと気付きながら答えている表情と受け取れました。
それでも、方針通りに答えなければならない。何かに縛られているのではないか。そう感じます。
ゴルバチョフがペレストロイカで情報公開をしたことによってソ連は崩壊し、ゴルバチュフも失脚へとすすんだわけです。
このまま歴代政府の踏襲を小泉首相がひきついで、旧態依然たる日本を生きながらえさせたとしても、もっとむずかしい局面が確実にくるような気がします。
田中宇さんや、多くのジャーナリストがとても解りやすいレポートを出していますが、9.11以来のアメリカの動きは、考えられるなかでもっとも悪い選択を繰り返してきています。
世界は、絶望から立ち上がることができるでしょうかねぇ。それが「テロ」と呼ばれるものでしかないとしたら、悲しいさを越えてやりきれなさしかないですね。


(2003.11.26 23:48:23)

Re:Re:テロとの戦いか民衆の弾圧か(11/26)  
秀0430  さん
msk222さん

僕は、テロリストの絶望の深さというものにもっと共感しなければならないのではないかと思っているのです。それは、テロリストを支持するということではなく、正しい判断のためにはまず深い理解が必要ではないかと思うからです。

テロリストと呼ばれる人間たちは、単純な犯罪者や性格破綻者、精神に異常を来した人間ではありません。彼らに絶望さえなければ、たぶん普通に幸せに暮らした人間ではないかと思えるのです。今朝のテレビニュースでも、あるテロリストの取材で、近所の人へのインタビューをしていました。みな一様に、賢くて優しいいい子だったと話します。

テロリストのすべてが、犯罪者として厳罰に処する必要のある素質をもっているのなら、断固とした戦いが必要だと思います。しかし、絶望さえなければ、彼らはごく普通に生きることの出来た若者だったとしたら、むしろ彼らはあまりにもまじめすぎる生き方をしているのだったら、絶望を取り除く努力をすることこそが正しい道なのではないかと思えるからです。

テロリストが単純な悪人ではないというと、テロリストを擁護していると受け取られかねませんが、これはテロリストという言葉の持っているイメージの問題でしょうね。抵抗者と呼べば、人々の受け取り方も違ってくるのかなと思います。 (2003.11.28 10:31:03)

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